はてなキーワード: 犠牲とは
イーロンマスクですら今でも割と支持者がいるので、コロンブスMVが許容されるのはそんなに不思議じゃないよなと
理系の人はマスク支持者多いので、コロンブスで文系理系煽りをしてくる理系が湧いてくるのも当然といえば当然
「テスラのEVはマスクにとって宇宙移民という壮大な目標のための単なる金儲けの手段でしかない」
というもので、まあ、実際、そうなんだろうなと思うんだけど
つまり、まだ見ぬフロンティアへと人類を導く稀有壮大な目標のためにEV詐欺(環境性能について曖昧にはぐらかす態度や、自動運転を標榜するだけ標榜しといて人をバンバンひき殺す態度)をかましても構わないって思ってるんだろうな、この人たちっていう
マスクもマスク支持者も、バカじゃないので、現実にEVや自動運転技術が目先どのぐらいの見込みのものなのかなんて百も承知なわけでさ。だから支持者は「EVなんてのは単なる金策」とポロっと漏らしちゃうし、マスク自身もテスラの株価が異常に高くなると持ってる株を売ることを考えるわけで
Twitter買収にしても、高騰したテスラ株を現金化するための方便を探してて、ポロっとやらかしたんだろうなと疑ってるけど
宇宙開発大好きマスク支持者ってさ、マスク自身の倫理から大きく外れた発言や行動も見ないふりして沈黙するし、EV販売に絡む詐欺的なプロモーションに対しても沈黙するし、自動運転の夢想のために実際に発生している交通事故被害者についても沈黙するわけじゃない?
まさにコロンブスの正当な後継者、アメリカン・フロンティアスピリットの信奉者の現在進行形だよなあと感心するし、そらまあ、コロンブスの何が悪いの?百歩譲って非人道的行為はあったかもしれないけど、そんなの大きく取り上げる必要ある?人類が宇宙に飛躍するのに比べたら些細な犠牲でしょ、ってなるよね
コロンブスなんて割とすぐイーロンマスクを連想して誰かネタにするだろうと思ってたんだけど、意外と誰も言わないなと思ったので書いときました
私が欲しくないのにね!!!
結婚して約半年、旦那に「子どもが欲しい」と言われた。正確には、私に対して「子どもが欲しい?」という問いかけだったけど。
これを聞かれたとき、わたしはめちゃくちゃ驚いた。というのも、旦那は子どもが欲しくない派だったからだ。
結婚をする前、付き合っていたときにも、「子どもが欲しい?」と聞かれたことがある。私は「相手が欲しいなら欲しいけど、欲しくないなら別にいらないしそこまでではない」と答えた。これは私の本心だった。私の答えに対して、旦那は「自分は欲しくないかな〜」と言った。なので、私たちは子どもを作らず、二人で暮らしていくものだと思っていた。
旦那に「子どもが欲しい」と聞かれたとき、私はびっくりして「〇〇(旦那)は欲しい?」と聞き返してしまった。質問に質問で返すな。
旦那の答えは「いてもいいかな、楽しいと思う」的なものだった。それに対して、私は「〇〇が子育てをできる気がしない」と最悪な返事をしてしまった。でもこれも私の本心だった。
旦那は絶対に子育てができないと思う。旦那は私からすると良い男だし良い夫だ。でも、良い父親にはなれない。
私の中の親のイメージは、子どもが最優先だ。実際私はそうやって育ってきて、両親は私たち子どものためにあらゆることを犠牲にしてきたと思う。お金や時間、趣味、仕事、そういったものを全て子どもに合わせられるかどうか。旦那がどうかはともかく、私にはその覚悟や気概はない。
旦那に子どもが欲しい話をされて一番驚いた理由は、私に選択肢があると思っていたからだ。本当に最悪、最悪な女。
旦那は子どもがいらないと思っていたから、ずっと一人で悩んでいた。私が欲しいと思えば産むだろうし、私がいらないと判断したら二人で暮らしていく。勝手にそう思っていたし、結局「いらない」という結論に至って、子どもがいない人生を歩もうとしていた。
当たり前だけど、子どもの有無は一人で決めるものではない。それが分かっていなかった。あまりにも愚か。そして、旦那に子どもが欲しいという話をされてから1ヶ月以上経った今も、結論を出せずにいる。
子どもが欲しくない理由は大量にある。一方、欲しい理由は片手で数えられるほどしかない。この時点で、私は子育てができないと思う。
私の人生において、父親の存在はかなり大きい。父親は、常に私たち家族のために過ごしていた。
だから、昔から漠然と、もし私が子どもを産むとしたら子どものために人生を捧げられる人が父親であってほしいと思っていた。時間やお金、生活、趣味の全てを捨ててでも子どもを優先できる人。子どもが大好きで、子どものために生きられる人。
後述するけど、私は子ども自体がそこまで好きではなくて、多分普通の母親にはなれるだろうけど、並以上の愛情を注ぐことはできない。せいぜい一人分が限界だ。だから、私以上、せめて私と同じぐらいには愛情と手間を注げる相手でないと子どもは作れない。愛情が足りなくて子どもを不幸にしてしまうという強迫観念を持っている。
それでも、私は幸せに生きてきた。家族からの無尽蔵の愛情と、友人に恵まれたのと、勉強が得意だったことが主な理由だ。
子どもに遺伝した場合、子どもは幸せに生きていけるのかという不安がある。家族からの愛情は私たちで頑張るとしても、友人をはじめとした人間関係や学習能力はほとんど運だ。もし子どもが「産まれてこなければよかった」と言ったら、私にはかける言葉がない。私が原因だからだ。
私はとても自己中で、自分がしたいときにしたいことをできない状況が許せない。眠いときに寝たいし、お腹が空いたときに食べたいし、出かけたいときに外出をしたい。仕事は気分が乗ったときに取り組みたいし、お金は自分のためだけに使いたい。
幸いなことに、今は上記の願いが全て叶っている。自分の努力で望む仕事に就いたのと旦那の理解の賜物だ。
子どもができるとこれら全てが失われる、と思っている。子ども中心になって、子どものための生活サイクル、外出、出費。きっと私は耐えられない。私はまだまだ自分の人生を楽しみたいと強く思う。子どもの人生を優先させる未来が想像できない。よく「子育ては自分の人生の追体験」と聞くけど、私は自己中だしまだまだ自分が主役で生きていきたい。この座は譲れない。
そもそも子どもが嫌いという大きな理由がある。特に中学生以下が嫌い。
私はかなり器が小さくて、子どもだからという理由で許せることが少ない。子どもに手をあげそうな気すらしている。イヤイヤ期や反抗期を耐えられるわけがないと思っている。
「子どもが嫌い」というと「自分も子どもだった時期があるのに?」と言われることがある。そう言われてもと感じる。おじさんは、自分がおじさんだからという理由でこの世のおじさん全員を好きになれるのか?
あと「自分の子どもは可愛いから大丈夫」とも言われる。そう感じる人もいるだろうけど、じゃあ仮にそう感じなかったときはどうすればいいんだろう。やっぱいらない、ができるわけもないのに。
これが一番大きな理由かもしれない。とにかく産みたくない。自分のお腹の中に別の命がいるのが気持ち悪くて本当に無理だ。しかも1−2ヶ月ならまだしも10ヶ月も…?
私は痛みにかなり弱い。少しでも頭痛がするとすぐに痛み止めを飲むし、病院での治療や検査は全て麻酔ありを選択する。でも、出産は痛みありきの行為だ。無痛分娩も痛みはあるし、妊娠中も不調や痛みがつきまとう。
妊娠の何もかもが嫌で、自分が子どもを産む可能性を想像すると、まず妊娠への嫌悪感でつまずく。
本当に最悪な話なんだけど、正直自分が男で相手が産んでくれるなら、子どもは欲しい。最低!このわがまま女!
私は自分の精神を安定させたいという気持ちが人一倍強い。自分の努力と行動の結果、今の生活は最高に幸せ。嫌なことを排除して排除してやっとこの状況に辿り着いたのに、子どもができると全てが崩れ去る。そうなったときに、自分の精神が安定しているわけがない。不安定でぐちゃぐちゃで、死にたいと思うだろう。
子どもを産むと、もう後戻りはできない。絶対に今の生活には戻れない。まだまだ今を満喫していたい。
あと、仕事を休みたくない。仕事が好きというより稼いでいる自分が好き。私の精神の安定には十分なお金が必要で、旦那の給料に頼って暮らす生活をするときっと自分を嫌いになる。100歩譲って、産んだあとに相手が育休を取って私が変わらず働くなら、もしかしたら子どもが欲しいと思えるのかもしれない。
子どもが欲しい気持ちも少しだけある。理由は、親に孫を見せたいという気持ちと楽しいと思える可能性があるという気持ち、これだけだ。
親は、孫を楽しみにしている。私に直接言うことはないけど、薄々伝わってくる。
兄弟が結婚して子どもができれば、私が子どもを欲しいと思うことはなくなる気がする。もちろん、兄弟には絶対に言わないけど。結婚するもしないも、子どもを作るも作らないも本人の自由で、周りが触れることではない。
子どもができると、なんやかんや「子どもがいて楽しい」と思うんだろう。
でもそれは、子どもがいる自分を無理やり肯定したいだけではないか。今が不幸1・幸せ10の人生とすると、自分は子どもができると不幸100・幸せ60になる気がする。幸せも増えるけど、それ以上に不幸が増える。
絶対量ではなく相対量で判断する価値観を持っているから、増えた幸せよりも増えた不幸に執着してしまいそう。
ただの予想だけど、本当は旦那も子どもが欲しくないのではないか、と思う。
旦那からすると、人と暮らすようになり自分の人生に他人が入ってきた。その結果、年収が増えたり生活が整ったり部屋が綺麗になったり食事が出てきたり風邪を引かなくなったりなどのメリットが手に入った。お互い完全別家計、趣味は不干渉で暮らしているから、ある程度の自由もある。
子どもができたら、もっと良い生活、楽しい生活になる、そう思っている気がする。
でも実際は、お金が減るし部屋は汚くなるし子どもの風邪が移るし自由も無くなるし、デメリットがたくさんある。あくまでも私から見てだけど、それを理解していないように感じる。
デメリットをちゃんと知ると、結局子どもが欲しくないと思うのではないだろうか、と勝手に予測している。本当にどこまでも勝手な女。
私の努力もあり、今の人生には辛いことがない。例えるなら、毎日海を見てのどかに暮らすような生活。定年後のような暮らしをしている。
子どもを持つことは山を登るようなものだと思う。厳しい道でしんどいこともあるけど、時折見える絶景や頂上という目標への道のりに楽しさややりがいを感じるのだろう。大変だけど喜びも多い、そんな日々。
普通の人の生活は、私からするとマラソンのように見える。コツコツと走って、辛いときもあれば楽しい瞬間もある。会社の人に怒られたり失敗したり、目標を達成したり褒められたり。
どうせ走るなら山を登りたい、と山登りに惹かれるのかもしれない。
私は海辺をのんびりと歩いているような日常だ。気分でなければ歩く必要もなくて、座って綺麗な景色を見ている。周りには誰もいなくてこの過ごし方に対して嫌なことを言われることもない。
そんな状態で山に登ろうと言われても、なんで?と感じる。もちろん山にもいいところだろうけど、わざわざ登ろうとは思えない。
それに、一度登ると今の生活には戻れない。息を切らして山を登りながら、「海に戻りたい」と二度と戻れない生活に想いを馳せ続ける人生は、私からするととてつもない地獄に思えてしまう。
まとめると、私には何も覚悟がないのだと気づいた。これを書きながら子どもが欲しくない理由ばかり思い浮かぶし、頭の中にはマイナスの考えばかり漂っている。
子どもが欲しくない理由も、全てが幼い。自分自身が成熟しきれていなくて、本質的には子どもだから、大人側になりたくないのだと思う。自分の人生を子どもに捧げる覚悟がない。子どもを幸せにする力も、自分が子育てで幸せになる未来も見えない。
私は考えがコロコロ変わるから、今はここまで欲しくないと思っても、いつかは欲しいと思うのかもしれない。今の考えを忘れないためにこれを書いたけど、後から見て嫌になってすぐ消す可能性もある。
てか、こんなところで勝手につらつらと書かれている旦那が一番可哀想だよ。ごめんね旦那。あなたは何も悪くなくてただただ私の幼稚性が悪い。
(猿人を出したことなどの細かい文脈があるみたいだがMVが削除されて見ていない)
しかし(MVが話題になることで知ることができた。今後気をつけよう)と
MVを制作した人たちを「尊い犠牲」にして自分の中では終わった
ところがコロンブスに無知な自分までMVと一緒に批判されたと捉えたのか、なんなのか
食って掛かる人がいることで話題が沸騰して驚いている
ファン以外にとってはミュージシャンなんて遠い存在じゃないか、そんな大げさに捉えなくても
と思うのだけど、SNS時代の今日は一個人であってもネットからバッシングに遭う可能性はあり
これを「身近な危機」だと確信させる結果に繋がったように思われる
批判する人はMVが「企業が関わって出されたもの」でチェック体制なども気にしているわけで
一個人の同レベルの失言で同じことにはならないと信じたいものだが
MV批判の批判はそもそもが批判者への不信感からも来ているだろうから
信じてもらうのは難しいだろうな
私たちは常に何かを選び何かを捨てて生きてる
何かを失わなければ何も手に入れることはできない
自分が本当に手に入れたいものがわかってないと何かを捨てる覚悟すら持てない
自分の選ばなかった選択肢を選んだ人間を見て羨ましいと思うのはおかしい
不機嫌ハラスメントって、大きい音を立てて威嚇したり、叫んだりっていうのの他に、悲しいとか落ち込んでいるとかをあからさまに押し付けられるハラスメントもあると思う。
人を嫌な気持ちにさせることに遠慮がない人に対して、無視したり気にしない以外の対処方法がなくて、落ち込んでしまう。
他の人はうまくやっているのか、私に対してだけやられてるのかわからないけど、楽しい気持ちになっているところを、急に変なスイッチを押して相手の気分がガクンと下がってしまって、気にしなければいいのにつられて嫌な気持ちになってしまう。
相手が欲してる言葉はわかってたけど、それは自分を犠牲にしないといけなかったし、やりたくなかった。
前は機嫌取るため、というか相手が死んじゃうんじゃないかって夜中相手してたけど、泣きながら自分を削りながら必死でやるのは、結果的にあんまよくないのではと思ってやめた。
放っておけるようになったのは進歩だけど、でも気が重いのには変わらず。程度は違えど。
不機嫌ハラスメントって、大きい音を立てて威嚇したり、叫んだりっていうのの他に、悲しいとか落ち込んでいるとかをあからさまに押し付けられるハラスメントもあると思う。
人を嫌な気持ちにさせることに遠慮がない人に対して、無視したり気にしない以外の対処方法がなくて、落ち込んでしまう。
他の人はうまくやっているのか、私に対してだけやられてるのかわからないけど、楽しい気持ちになっているところを、急に変なスイッチを押して相手の気分がガクンと下がってしまって、気にしなければいいのにつられて嫌な気持ちになってしまう。
相手が欲してる言葉はわかってたけど、それは自分を犠牲にしないといけなかったし、やりたくなかった。
前は機嫌取るため、というか相手が死んじゃうんじゃないかって夜中相手してたけど、泣きながら自分を削りながら必死でやるのは、結果的にあんまよくないのではと思ってやめた。
放っておけるようになったのは進歩だけど、でも気が重いのには変わらず。程度は違えど。
Disclaimer: 刺さる人に刺さればよいので、「こうすれば良かった」「ここが悪かった」という意図はありません
『トラぺジウム』が連日満員になるには、見終わった人が満足し、リピートしたり口コミでおススメ!と広めたりする必要があった。なぜそうならなかったか。
主人公の欲望が冒頭では謎、なのは構わない。東西南北集めたい、というのは観客を引き付ける謎だろう。
だが、なぜその欲望が生まれたか、源がわからない。 アイドルになりたいという表層の奥に、原始的・普遍的な欲望が存在する必要があった。
”すべての登場人物には、一杯の水でもかまわないので、何かを欲しがらせること。” という格言に含まれているのが、水を欲しがるというの原始的な欲望であることに注意すべき。
オフチョベットしたテフをマブガッドしてリットにしたい、という欲望の奥に、他人を幸せにしたいとか、自己実現したいとか、生き残りたいとか、そういった欲望がなければ観客は共感できない。
主人公は努力をしていない。計算ノートを書いたりテニスをやらされたりC言語の勉強してる人と会話できる知識を身に着けたりプールを借りたりダンス練習するのは努力にカウントできない。正確には葛藤・選択をしていない。
文化祭でライブを3人に見せアイドルに興味を持たせることを失敗するのも、ボランティアでグループが分かれてしまうのも、メンバーの恋愛バレも、失敗は天災のようにやってくる。(成功も青空のように自然現象のように迎えにくる。)
南の高校にダサい制服で入ったら死ぬ、テニスをやらされたら死ぬ、プールを借りられなかったら信用を失う、高専の萌え袖に付け焼刃の知識がばれたら仲間に入ってもらえない、アイドルになれなかったら〇〇しなくてはいけないとタイムリミット付きで母親に迫られる、メガネ男子に協力と引き換えに何か犠牲を払わなくてはならない…
そういった成功するかしないかわからない場所に立たされないし、選択もしない。観客が応援するポイント、ハラハラするポイントがないのだ。失敗は選択の結果であるべきだ。
そして成功したと思ったらさらに悪い事態に結び付くエスカレーションが望ましい。
1-C:悪人だった
東も完全な悪人ではなく、最後の方の回想で「小学生のころいじめられっ子を助けた」という観客には開示されていなかった過去が明らかになる。これをもっと前倒しし拡張する。
例えば、最初のガラガラのローカル線で(そこそこ露悪的な要素も入れつつも)困っているおばあさんを助けるシーンを入れておけば、いじめられっ子を助けたシーンも生きてくるだろう。
主人公が悪人の作品でもヒット作はある。主人公よりもっと悪い人物を出すという手段もある。芸能事務所とかテレビ局の大人にその役割をあてるとか。
仮説2:主人公が成長しなかった
誤った欲望が潰えて、正しい欲望に気づくというのが王道シナリオであろう
アイドルになりたかったのは子供のころ見たアイドルAさんが素晴らしかった>私もあんなアイドルになりたい>東西南北(仮)を踏み台にしてなるアイドルはAさんとは程遠いものだと気づく>間違いだった>初心に帰る とか
仮説3:
ハッピーエンドではなかった
トラペジウムがオタクに流行ってるのは一般受けしてないからなんだよなあ。
オタクって「俺の考察凄い!俺だけがこの真実に気づいた!」みたいなの大好きだからさ。
一般受けしてると大物評論家がズカズカ乗り込んでくるし、インタビューとかもしまくってスタッフから答え合わせをガンガン聞き取ってしまうでしょ?
そうすると単にアニメ・ゲーム・漫画をだらだらやってきただけのオタク君の雑で荒い考察なんて無価値になるわけ。
ただ感想を呟くにしても有名レビュワーが次々感想を言ってたらしょーもない雑草オタクの「凄かった(語彙力皆無)」の羅列なんて誰も見に来ないやん?
トラペジウムが今一部で凄い伸びてる最大の理由は、ちょっと掘り進めた考察をしている人の規模が他の作品と比べて圧倒的に少ないからなんだよ。
内容だって関東地方を舞台に架空のアイドル活動をやってるだけだから、一般教養レベルの知識で分析できる範囲。
たとえばこれがウマ娘だったら、登場したちょっとしたキャラの考察に踏み込んだだけで超熟練の競馬オタクが「あの馬はそんなんじゃないんだよ。君みたいな若造は知らないだろうけど、俺の所属してた競馬サークルじゃアイツはマジで伸びるって前々から注目されていたわけ。馬の才能ってのも結局は人間の格闘家と同じでどこまで筋肉をつけられるかなんだけど、そういった筋肉の成長は当時の荒いレース映像しか見れない環境にいる今の子には伝わらないかなあ」みたいな一方的勝利宣言にまみれた意味分かんね―クソリプがビュンビュン飛んできてもおかしくないわけよ。
だけどトラペジウムの場合はそもそもやってることが異常よりのアイドル活動なわけで、これに対してアレコレ言える人の方が少ないからみんなそこまで違いのないレベルで考察をすることになるし、リアルにおけるアイドルがどうなのかと言い出すやつがいても「ゆーてこれは架空のアイドルだし?」でクソリプは論破出来るから、適当考察かましあってキャッキャッしたい今のオタクには都合がいいわけよ。
分かる?
オタクのコンテンツ消費の仕方っていうのは、コンテンツを利用して自分の考察力や消化能力を自慢する行為にこそあるわけよ。
まあこれはオタクに限らず近い所はあるけどね。
山崎パンの皿を何枚集めたかどうかを通じて「自分が如何に普段の食事において好みの味のパンを食べることに固執しているか」みたいなキャラ付けをアッピールしてくるおばちゃんとかおるやろ?
アニメを全部見るとか、ライブに出来るだけ行く、毎シーズンかかさずにスキーに行くだの、俺の釣り道具はこんなにコスパがいいんじゃだの、ちょっとオタッキーな方向に傾いた途端に皆して消費活動を通じて自己顕示欲を満たそうとしてるような行動に出るやん?
つーかな、そういう消費活動を通した自己実現みたいなのがある時期から日本人のトレンドになって、電通に煽られるままに皆テレビと雑誌の奴隷みたいになってたわけよ。
オタクってのも結局はそういった分類の中における分派の一つでしかなく、生活を犠牲にしてアニメや漫画に打ち込むというキャラクター性によって自分が『イカした』奴だとアピールして身内で褒めあってるだけの奴らなわけだな。
そんな連中の中で流行るものってのは、つまる所は「それを消費することによって自分をどこまで着飾れるか」で判断されるわけだよ。
トラペジウムを見て感想を書けば、考察力の高いオタク集団の一員として格好が付けられる。
でもぼっち・ざ・ろっく!で同じことを下手にしたら往年のバンドマンから「いや君ね、浅い知識で雑なこと言いすぎじゃない?虹夏タソハアハァだけ言ってればいいんだよお前程度の雑魚は」って怒られちゃう。
でもトラペジウムなら安心。
だから、オタクはトラペジウムを見て、意味分からん考察を書きなぐりたがる。
分かった?
「丙午年生まれの女性は、気性が荒く激しくなり、夫の命を縮めてしまう」という迷信があって、実際に前回の1966年(昭和41年)の出生率は前年比で約25%も下がっています。
昭和40年出生数182万 → 昭和41年出生数137万 → 昭和42年出生数194万という推移で、特に田舎の農村部で妊娠中絶が繰り返されました。
2026年においても、この迷信を信じて妊娠を避けようと考える者が出てくることがすでに懸念されており、少子化にさらに拍車をかける年になると思われています。
これだけ科学が発達した現代においても、オカルトや占いの類いの人気は衰えることを知らず、むしろ不安を煽るものはSNSのせいで拡散されやすくなってしまった時代だと思います。
そこで、この馬鹿馬鹿しい迷信を逆に利用することで、出生率を前年比より上げることを目指したムーブメントを、今のうちから作りましょうという提案をします。
ムーブメントの中心はSNSから、フェミニストの方たちに率先して動いてもらいたいと考えています。
丙午の迷信はつまるところ、「男性支配に縛られることのない、強い女性が誕生しやすい年」であると言い換えることができます。
これからやってくる女性の時代の幕開けに向けて、相応しい女性の誕生を望める年だとして、潜在的に占い等を信じてしまいがちな人たちの背中を押してあげることで出生率のブーストを図ります。
しかし、これだけでは迷信に迷信をぶつけるだけになってしまうので、あえてこういう意図でやっていますということを同時に大っぴらに説明していきます。
科学的ではない迷信に囚われることの愚かさを同時に語ることで、カウンターとしてのこの運動に意義を持たせ、本来オカルトを嫌う理知的な人たちをも巻き込んでいきます。
そうすることで、逆にあえて2026年の丙午の年に子供を産むこと=オカルトを信じない科学的思考のできる人間、であることを内外にアピールできる絶好の機会として、SNSで大々的にキャンペーンを打ち出します。
ただし、これだけでは出生率の降下を止められないでしょう。
なので、さらなるブーストのために、丙午の迷信を利用し尽くします。
まず、その迷信にあえて乗っかり、男児ではなく女児を産むことを暗黙の目標として掲げます。
べつに男児でも当然良いのですが、これをあえてすることで、韓国系のラディカルフェミニストというチンドン屋を引き寄せることができ、爆発的にSNSでキャンペーンを拡散させることを狙います。
過激な発言も増えることは必至ですが、悪名は無名に勝るという清濁併せ呑む考えの基、国内のフェミニストもここは大いに議論を盛り上げていくべきです。
議論の内容はともかく、重要なのは、これからやってくる女性の時代の始まり、そのファーストイヤーとなる2026年に子供を産むことをトライする、という意識をSNSを通じて潜在的に人々に植え付けていくという目的です。
まず、男性よりも女性の方が占い系のオカルトに興味を寄せやすいという傾向は、事実はともかくとして、大体の人がある程度そう思われがちであることに納得するところだと思います。
これは逆に言えば、男性はあまりそういうのを信じる傾向にない、という意識を作りやすい状況にあると考えることができます。事実は置いておいて、です。
そこで、2026年にあえて子供を作ることは、迷信に惑わされない冷静で理知的な男性である、というイメージを作っていきます。
これを達成するのは容易ではありませんが、昨今の状況においては、とある属性を利用することで、これを比較的簡単に達成できる状況にあると言えるでしょう。
2026年に子供を作らない男性=子供を作る相手がいない男性⇒迷信に囚われた古い価値観のダサい男性、という文脈を根付かせることにより、独身や弱者男性と呼ばれる属性の人たちの意識をこちらに向けさせます。
当然、謂われのないレッテルを貼られるわけですから、反論してきますし、大いにネット上で吠えてくれることでしょう。これは上記の韓国系ラディフェミと同じく、キャンペーンの宣伝材料として機能します。
たとえ男性側の主張が正しくとも、必死でそれを訴える様は女性からの嫌悪を誘うであろうことは容易に想像できるため、それは逆説的にさらに2026年妊娠出産の意識を強く根付かせていく結果となるでしょう。
事実はどうであれ、2026年に妊娠と出産をして丙午年生まれの女児を授かった方が、迷信の真偽に関係なく、単純に勝ち馬に乗れることになるという潜在意識を強く強く植え付けさせることが、なによりも重要となります。
ここまでやって、ようやく出生率を上向けることができると思います。
そこからさらにその後も続けていく必要はありますが、まずは一年目、その切っ掛けとなる千載一遇のチャンスが2026年に訪れます。
その年になってから急にそんなことを言われても、すぐに妊娠出産ができるわけはなく、ゆえに今から大急ぎでこのムーブメントを起こす下地を整えていく必要があります。
大切なのは、2026年に妊娠出産をすることで強い女性が生まれる、という考えの基でムーブメントを起こすのではなく、丙午の迷信に対するカウンターとして、あえて2026年に妊娠出差を目指す、という形にすることです。
その過程で様々な議論が巻き起こるでしょうが、それらはすべて気にする必要はなく、むしろ薪をどんどんとくべて火を大きくしてさえくれれば、その中で生まれるであろう犠牲も、それだけで必要な役割を果たしてくれていると言えます。
あれこれ理由をつけてこの火に水をかけようとしてくる輩には、どんどんと丙午の世迷い言を信じる馬鹿者扱いをしていくことで、2026年妊娠出産を掲げる側こそが理知的で科学的で先進的であるというイメージを強くしていきましょう。
そして、こうして私がこの場ですべての考えを大っぴらに公開しているように、このムーブメントにおいて二次的に生まれる中傷等の被害については、すべて意図的で意味のある行為だと初めから説明をしておくのです。
すべては日本の少子化解消に向けての第一歩、そのための運動であるということを隠すことなくす伝えることによって、何も分からずにただ殴られるだけという状況を回避する手段を用意し、運動を支える側に回った方が得であると認識させていきましょう。
2024年もすでに折り返し地点で、2026年まであとわずか18ヶ月しかありません。
私はここに、具体的な手段として日本の出生率を一時的に上げる方法を上げました。
※最後に追加あり
事例
…
2023年に表面化したジャニー喜多川による性加害問題も、2019年に死去したジャニー喜多川の過去の行いに対するキャンセル・カルチャーの一例として取り上げられる[59][60][61][48]。例えば、ジャーナリストのシェリーめぐみは、「1人の犯罪者のために皆が犠牲になるのはフェアではない」として「関ジャニ∞」や「ジャニーズWEST」「ジャニーズJr.」などのグループ名や屋号を変更することの必要性に疑問を呈している[48]。特に漫画家・評論家の小林よしのりは、本問題を「史上最大のキャンセルカルチャー」と評している[59]。
他ならぬジャニーズ事務所が問題を長年誤魔化し、表面化してからも散々ずさんな対応をした結果引き起こした契約解除や屋号変更が「キャンセルカルチャー」???
事例として不適切すぎる。
問題点
キャンセルカルチャーの問題点として以下が挙げられている[62][63]。
…
ジャニーズ性加害問題当事者の会は、ジャニーズ事務所(現SMILE-UP.)に対して「具体的な補償額についても法を越えた救済を図るよう求めます」と要望しており[64]、事務所側も消滅時効に関わらず法を超えた補償を行うと宣言した[65]。
被害者の求めに事務所が応じた補償対応が「法治主義からの逸脱」で「キャンセルカルチャーの問題点」???
は?
ていうかこの謎の論理、Xのジャニオタがしてる主張まんまなんだが……。
よく見たらその下もおかしかったので追加
対抗言論の困難さ
告発された者に対抗言論の機会が十分に与えられず、一方的かつ不可逆的に排除の手続きが進められることがある[62]。過去の行為に対する謝罪に効果がなく、長きに渡って多数の出演がキャンセルされたり、謝罪がさらなる反発にさらされたりするケースもある[66][67][68]。
例えば、前述の小山田圭吾・たぬかなは当該の行為を謝罪・弁明したものの批判の声が収まらず、解任・解雇された事例とされる[69][70][注釈 3]。ただし、小山田の場合は、法的処罰対象となる犯罪行為である[72][73]。小林賢太郎・石川界人・加藤純一の事例は違法行為をした訳ではないが、対抗言論の機会もなく即座に解任された[74][75][76][注釈 4]。ジャニー喜多川も、問題視されるようになった2023年時点ですでに死去しており、全く抗弁の余地はなかった。
喫茶店に寄ってちょっと話をすることになって、さっきの映画は確かに面白くて私も興奮していた。
え?砂糖入れるの?
「うん?」とあなたは聞き返してきた。
どうして砂糖を入れるの?
人生はブラックコーヒーようなものでしょ?私そう言うとあなたは眉を顰めた。
甘くはないってこと。
あなたは苦笑いをする。ブラックを飲んだからこんな顔をするんじゃないかって思わせるような。
あなたは今自分が言われたことをすぐ忘れたように映画の感想を滔々と語り、私のさっきの言葉が映画からのオマージュであることには気づかない。
少し歩くと苛立ちがこみ上げてきた。貴重な休日を犠牲にしてまで行ったことに対する苛立ち。
そのコーヒーは微糖だった。
こういうのを擁護するのだから女はバカでまともに扱われなくて当たり前なんですわ。
小山(狂)
@akihiro_koyama
この犯人、報道内容見る限り夫婦仲良好で義実家との関係も良く経済的に問題とかも特に抱えてないんでよね。ただ犯人が異常にこだわりの強い性格で自分の家事育児のやり方を無理に通そうとし、それが通らないとなると発狂して周りを攻撃しはじめる。
酌量すべき事情はなにもなく、ただただ犯人の異常性格ゆえに幼い子供3人が犠牲になったとしか言いようがないんだけど、こんな怪物ですらマスメディアは擁護するんで本当に女の加害性はこの国では見過ごされるんだなという気持ちになる。
https://x.com/akihiro_koyama/status/1800129081444561226
@neroopinion
手にかける前にパンケーキ食べさせる 「最後に子ども喜ばせたかった」 娘3人殺害事件で母親
https://news.yahoo.co.jp/articles/d14dc3a4ae208d852841e604706cb8d7a0afdf24?page=1
難しくないだろ。有罪だろ。
さらに表示
591万 件の表示
小山(狂)
@akihiro_koyama
話題となってる「パンケーキ」も、最期に手作りのパンケーキを子供に食べさせたみたいな美談じゃなくて、食べさせたのはマクドナルドのパンケーキなんですよ。なぜそれが特別かというと、遠矢被告はいわゆる「自然派ママ」で、市販品のレトルトカレーすら買わないレベルで徹底的にジャンクな食べ物を禁じてきた。だからこそ最期にジャンクフードの極みであるマクドナルドを子供に食べさせたわけです。
https://nagoyatv.com/news/index_amp.html?id=024720
https://x.com/akihiro_koyama/status/1800127559210082716
小山(狂)
@akihiro_koyama
自分が散々禁じてきたジャンクフードを嬉しそうに食べる子供たちを見て、遠矢被告が一体何を思ったのか。正直自分は弁護側の言うような「子供が喜んでよかった」みたいな気持ちだとはあまり思わないです。
自分の努力と献身が踏み躙られていると感じてたのでは。そこから発作的に殺意を抱いたと言われてもあんま驚かないです。拘りの強い独善的な自然派ママにはそういうの腐るほどいるんで。
222.4万 件の表示
世話の問題だけじゃないんだ
自分の子が、孫が、障害児でオッケーな人はほとんどいないのが現実(隔世遺伝もありうるし)
欲しくなくてもできるときはある、確実性を期しても女の避妊手術は器質的に心身の負担がでかいし、ピルも同様
パイプカットしてまで…と嫌がる男は多いしな
施設前提でも障害者に余計にかかるコストはあるし(時間・社会的リスクなども含む)
また特に年上世代は「きょうだい」の育成環境リスクのことも考えてるはず(増田みたいに犠牲にされ続けて自尊感情が壊れてるので心身症発生リスク高い)こういうの、親は経験則で知ってるからな
増田の悪口を言いたいわけじゃないが「きょうだい」って自分がされてきたことが普通だと思っていて、それをパートナーや子供にも求めがち(なぜならそれ以外の家族の形を知るすべがなかったから)