2024-01-11

自殺志願者がマトモになったら生きるのが怖くなった

 タイトル通りの話を吐き出したい。

 しょうもなく普通のことだが、自分自身含む家族がいつかor突然死ぬかもしれない事実が恐ろしくて、生きるのが怖くなってしまった。

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 20代前半まで死ぬことばかり考えていた。自己肯定感が低かったおかげで、他人迷惑をかけてはならない=自殺不可という考えが強くて生きながらえた。

せめて貯金して、生活に余裕が出来たら募金寄付をして死ぬ日を待とうと決めていた。

 若かりし頃には自傷自殺未遂もした。黒歴史ではあるが、必死に生きていたんだよなと抱きしめてあげたい。

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 まあ、よくある話で恥ずかしいが、躁の時に婚活して現夫に出会い自己肯定感享受し、毒親(過干渉否定型)の洗脳が解け、子も誕生した。

 毎日時間、毎秒、夢の中かと疑うほど幸せに過ごしている。

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 現実的には面倒な毒親問題を抱えているし、おおげさかもしれないけど毒親洗脳されてた過去が悔しくて悲しくて涙が止まらない夜がある。

 子は赤ちゃんなので、夜泣きや諸々で体力面も精神面もゴリゴリ削られてギリギリなんとか生活できている日々。

 育休中なので、復職したら仕事育児家事をやっていけるか?という不安もでっかい。こんなへなちょこ自分に「人間」を育てることができるかどうか?という恐怖も常にある。

 子育て世帯への風当たり、政治世間も強ない?なんで??こんな社会マジでやっていけるか?まあ子のために地べた這いずり回る勢いで頑張るけどな!まじクソ!だから少子化なんだ!と無計画に子を作ったがゆえの無知で不満が爆発してたりもする。

 だが、幸せだ。どんな悩みや葛藤や苦しみがあろうと、私を大切に尊重して愛してくれる夫がいて、なにをしたって可愛い子がいて、とても幸せ

 お金持ちにならなくても、イケメン結婚しなくても、宝くじが当たらなくても、こんなに幸せになれるんだな。

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 脱線しすぎた申し訳ない。普通のことだろうが、夫と子が死ぬかもしれないことが、自分自身が死んでしまうかもしれないことが怖くてたまらない。

 病気事故か、はたまた事件か。どうしたって治らないマイナス思考妄想を繰り広げる。

 この妄想家族が寝静まった夜に咽び泣くほどのものアラサーがなにやってんだか。今も色んな起きもしないような、でも可能性はゼロではないことを想像して泣いてる。

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 夫がいなくなったら、どうしよう。私は夫のいない世界で生きていけるだろうか?子のために踏ん張らなければいけない。でも、夫がいない世界で生きるなんて考えられない。

 結婚など一生しない、こんなクソみたいな人間が誰かの人生を奪ってはいけないと強く決心していたくせに、転がり落ちるように結婚してこのザマだ。

 いっそ不倫でもして、私の知らないどこかで幸せになって、寿命全うの老衰で死んでくれたりしないだろうか。

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 子が死んでしまったらどうしよう、私はもうきっと、子がいなかった頃の夫とのふたり生活に戻れない。

 どこに行っても、何を見ても、何を食べても、なにもしなくても、家族3人で過ごした時間を思い出して泣いてしまう。

 きっといつまでも前を向けない私は、夫の人生の足でまといになる。そのうち、夫も失うだろう。私はもうひとりぼっちで生きてはいけない。

 結婚したものの、子は持たぬ!責任負えん!お金かかるし!夫とふたりで少し贅沢な人生を送るのだ!とかほざいてたくせに、流れるように子を持つことになってこのザマだ。

 子、本当になんでも受け止めるから健康に育ってくれ。後天的障害とか、ニートとか、犯罪者になるかもとか、いろんな不安はあるけど、もう全部とっぱらって生きていてほしいと今願っているよ。

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 死にたい毎日は楽だった。親も嫌いだけど見捨てられないから早く死んでほしいと願ってた(これは今も)し、自分自身もできるだけ早く死にたかった。

 いつも具体的に死を想像しては心を落ち着かせていた。ニュース無差別殺人自然災害をみても、目の前で飛び降り自殺を見た時も、羨ましいとしか感じなかった。

 死体写真を見るのも好きだった。早くこうなりたいと、心が踊った。

 死への恐怖がなくて失うものがない人間って無敵なんだと思う。まさにそれだった。

 私はコンナゴミクズガイキテテゴメンナサイ精神だったおかげで他者危害を加えず済んだが、いわゆる「無敵の人」に近い状況だった。何かが少し違ったら、私も無差別殺人や両親惨殺を実行していたかもしれない……。

 これは同情ではなく恐怖。こういう人間はたくさんいる。私がそうだったように。

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 この前の地震も、電車無作為に刺される事件も、事故に巻き込まれて死んでしまった親子も、全てが自分ごとで想像しては怖くて辛くて苦しくて涙が止まらない夜がある。

 できるかぎりの地震対策はした。電車内でなにか起きればすぐ逃げれるよう、乗車時はベビーカーから抱っこ紐に変えている。

 でも、どれだけやっても足りない。横断歩道を渡る前にどれだけ左右確認をしたって、視覚からスピードで車が突っ込んできたら?たまたま道を歩いている時とかに爆発事故に巻き込まれたら?どうすれば死なずに、できれば健康に生きていける?

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 死に惹かれ、死を調べ、死を妄想し、死だけを願い生きてきた過去の代償か。

 生きたいと願う今、生きていてほしいと願う家族がいる今、こんなに生きたいからこそ「死んでしまうかもしれない妄想」が生活のあちこち無意識に浮かんで、怖くてたまらない。

 調べ尽くしたり妄想し尽くしたから、とてもリアル想像できてしまう。あの亡くなったかたが、私だったら、夫だったら、子だったら。耐えられない。

 もし現実になった場合、それでも生きていかなければならない。私も夫も、子も。

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 とはいえ繰り返しになるが、私を大切に尊重して愛してくれる夫がいて、なにをしたって可愛い子がいて、今私はとても幸せ

 幸せなのに生きるのが怖い、こんな未来がくるなんて想像できなかったな。

 私も含め、みんなこんな世界でマトモに生きてるなんてすごいよな。

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