はてなキーワード: 拒絶反応とは
注意
たぶんものすごく長文になるとおもうから暇すぎてどうしようもないひとだけ読んでください。
語彙力文章力なんてないです。深夜のテンションで書いてます。ご了承を。
そのせいか、最近俺のTwitterのタイムラインにしょっちゅうガンダムの話題が出てくる。それは嬉しい。やっぱガンダム愛されてるんだなぁとか思う訳だけど、いるんだ。一定数。火種を撒き散らすやつが。
偏見もあるかもしれないけど、だいたい発端は(ガンダム以外の)アニメアイコンのやつ。そのひとの投稿を遡ってみるとまぁわかる。アナザー系のSEED、00、鉄血あたりから入った若い世代だなって。
新作発表されるたびに批判するやついるけどそういうやつらがガンダムの発展を妨害してる的なこと言ったり
最後のやつは流石にキレそうだった。いや、こんなことでキレるガノタキッモwと思うなら思っとけ。俺はそんくらい愛してるんだよ。
かくいうワタクシは新作ガンダムウェルカムではない派です。理由についてはのちほど…
話を戻して、アナザー特に平成ガンダムから入った世代がよく喧嘩の原因になってるんだよ。
んで、最近思ったのが、ファースト世代と平成世代でガンダムに対する思い入れが圧倒的に違うんじゃないかと。
もちろん平成世代にもファースト世代に劣らず大好きって人も少なくないだろうね。俺もまだ二十代だし。
俺は親の影響で物心ついたときからずーっとマジンガーZとかザンボットとか80年代前後のスーパーロボットものしかみてなかったんだ。リアルタイムのアニメは一切見てなかった。今思うとすごい生活してたんだなって笑
んで、5歳くらいだったと思う、ガンダム初めてみたのは。もう衝撃だったよ。
今までのロボットとは違ったんだよ。
当時どのくらい話を理解してたかは覚えてないけど、もうその時からガンダムの虜だった。俺にとってガンダムは特別だったんだよ。それからもうガンダムしか目に写らなかったね。
月日流れて中学、ガンダムの話をやっと理解できるようになってきた。理解したら理解したでまた衝撃。ガンダムには善悪がなかったんだよ。正義と正義の戦いだったんだよ。はぁ~すごい。これを勧善懲悪がメインでアニメましてやロボット物なんて子供むけと言われてた時代にここまで大人向けに作られたガンダムはすごいってまた虜になるわけですよ。
ここまで取り付かれると壁が出てくるんだ。ガンダムファンなら気づくと思うけど、そう。Gガン。
ガンダム…なのかぁ?ガンダムゥ?って当時は思ってたけど話自体はよかったし今は割りきってガンダムかどうかは疑問だけど、スパロボとしては大好きってことにしてる。
俺みたいに最初の大人向けアニメがガンダムだったらまぁ同じような反応になって特別視されると思う。
ずっと米をあたりまえのものだと思って食べてたところに突然パンを差し出された明治時代の人みたいな気持ち。
ただ、平成世代。ガンダムの影響かヤマトかエヴァかは知らないけど、大人向けディープなアニメは珍しくなくなったわけで。普段からその類いのアニメを見ていた世代には目新しくもなんともないただのかっこいいロボットなわけだ。だからFGOとコラボしてほしいなんてワケわからんこと言えるんだ。
普段からパン食べてる人に新種のパンを持っていっても美味しいけどパンだねって流されるような感じ。
彼らにとっても特別なものになるにはなるんだろうけど、所詮かっこいいロボットだからリアリティに欠けていても、かっこいいロボットであればそれがガンダムとして受け入れられ、新作が発表されるとふつうに喜ぶ。
ガンダムは一世を風靡したリアルロボットアニメという称号で特別視しているので、リアリティに欠けた作品や、ほぼスーパーロボットのような作品が受け入れられない。
前にも書いたけど俺が新作好まない理由のひとつとして、書いた通りの平成世代が増えるのが嫌というのがある。
もちろん、そこからガンダムに興味をもって熱狂的なファンになってくれればそんなに嬉しいことはないけど、そうじゃない人が極端に多いと思うんだ。
最近で言うと鉄血のオルフェンズ。鉄血と全く関係ないyoutubeのガンダムの動画を見に行くと高確率でコメント欄に鉄血の話をしてるひとがいる。何事も鉄血基準。三日月だったら~とかバルバトスのほうがかっこいいとか。
Twitterでも出てくる。鉄血を基準にして他の作品を貶すやつ。
そういうやつらが変なこと言ってまた論争がはじまる。
それが嫌なんだ。
新作を好まないもう一つの理由はガンダムのブランドを汚してほしくないから。
これまた平成世代に老害だ癌だなんだって総攻撃くらいそうなんだけど。
まず、アナザー。ガンダムって兵器だったはずなのにいつのまにか一機二機で軍隊と戦えるスーパーロボットになってません?SEED、00、鉄血。AGEなんてもろ英雄言ってますし。
スーパーロボットとは違うぞってところが評価されたのに、いつのまにかスーパーロボットに逆戻りしてる。アナザーが発表される度にがっかりするんだ。あぁまたガンダムブランドが堕ちるって。
次に宇宙世紀。
せっかく逆シャアで人の可能性を示して綺麗に終わったのにユニコーンでまた懲りずに戦争して、っていうところが逆シャアのラストの意味を問いたくなる。
まぁ人間はどんな状況でも戦争するって最大限のリアルなのかもしれないけど笑
新作発表の度に拒絶反応起こす人の気持ちはたぶんだいたい一緒です。
長くなったけど、俺はガンダムを愛してる。キモいとかめんどくさいとか言われても気にしないレベルで愛してる。
なんだかんだでガンダムだいすきなんです。
ここまで読んでくれた人、ありがとう!
違うと思う。
活字を読むぐらいのことにいちいち拒絶反応起こされても困るが、活字を好むぐらいのことを褒め称えるのは違うと思う。
とりあえず活字を拒絶しないことの次のレベルとして、化学式や数式に拒絶反応を起こさないってのがあるけど、これも褒めるほどではなく人として当然のこと。
というか、自分一人で黙々と本を読むだけのことになんの凄さもない。
アニメ毎週100話見てる自慢と何も変わらぬ。
じゃあ何が出来たら褒められるかというと、どの書物にも書いてないけど、誰も知らないという訳ではないようなことを知る方法を身に着けていること。
つまりは、他人とコミュニケーションを取れること、自分の手足を動かせること。
紙やテキストファイルに文字を書いてるのは人間な訳だけど、その内容は整理こそされてるけど、整理するために削られている部分も多い。
書く以前にその内容自体がまだ誰も知らないけど、しかるべき人が手足を動かせば案外簡単に手に入る情報とかもある。
たとえば、自分の体の調子が悪いと感じているとしたら、本を読んで調べればある程度の症例は絞れるかも知れないけど、医者に相談する方が正確だ。
素人がいくら本を読んでも憶測の域を出ないし、自分でできる治療も民間療法や市販の薬品を使うことぐらいだ。
本を読むことは多くの場合解決力において、然るべき人間とコミュニケーションを取ることに劣る。
誰にどう相談するか、どういう表現が適切かを学ぶのに役には立つが、実行に移さないなら宝の持ち腐れどころか、それが実践において宝と言えるのかも分からないままだ。
だが、本の虫であることに満足してコミュニケーションから遠ざかっては駄目だ。
本を読むことはある意味ではコミュニケーションなのだが、それは静的なコミュニケーションであり、動的ではない。
ピッチングマシンばかりを相手にしていては、ボールを捕れても投げ返し方が分からないままだ。
それでは、褒められない。
本を読むことを褒めるより前に、人と会話ができる事、積極的にコミュニケーションが取れることを大事にすべきだ。
天声人語より
http://news.livedoor.com/article/detail/14539261/
この中ですごくストンときた一言に「心の原風景」っていうのがあった。
要するに今になって保毛尾田保毛男を笑うことを社会的に非難されると、自分がかつて子供の時に友達と一緒に大笑いしてきたことが罪であったかのように言われてそれにひどく傷つくという主張だ。
記事の主題はLGBTについてだけど、「心の原風景」で引き合いに出していることとして「女子の夏服から透けた下着」ということがある。
このインタビューを受けた人はきっと他にもエロ本を盗み見たり、同級生の女子の胸の大きさを比べて批評したり、生理の日を予想したりとかそういったごく当たり前の男子中学生らしい日常を送ってきた人なんだろうと思う。
また今日になって突然にハリセンボンの春菜がお笑いを目指すルーツとして「小学生の時にブスと言われてそれを笑いに変えた」という話が再燃してきた。
ハリセンボンの側からしてみると、自分がおどけて見せたことで周囲が笑顔になったということが自分にとって大きな精神的ターニングポイントになったのだろうが、おそらく当時の同級生たちは「ブス」とからかった同級生がそれを笑いに変えて、それを大笑いしたということもまた「心の原風景」になるのだろう。
自分はおとなしい陰キャ男子だったからそこまで「心の原風景」を否定されることに拒絶反応はないが、おそらく陽キャとしてプロトタイプなバカな男子中学生時代を送ってきた人にとっては、その自分たちが共有してきた「笑い」が実は女性やLGBTを傷つけることで成り立ってきたということを今更事実として突きつけられる罪悪勘は非常に不愉快なものなのだろうと思う。
だけど同時にその罪悪感に耐えられなくなるからいまさら罪扱いするなというのも自分勝手な主張なのではないかと思ったりもする。
中学生の時、気になっていた女子の持ち物を一つ盗んだことがある。
当時は悪いと思っていたけれども、ずっと持ち続けていて捨てられなかった。オナニーもした。
その子が今どこで何をしているかは全く知らないが、こんな陰キャな自分にとっての心の原風景にされてしまったことを知ったら、おそらく気持ち悪いんだろうなと思ったりする。
親に毒親だと告げた。
絶縁したかったわけではない。し、する必要はないと思う。性的暴行があるわけでもアル中なわけでもないし。なんならこれから仲良くやっていきたいと思っている。だからこそ告げた。
親、といっても母親、いわゆるシングルマザーで娘2人育てた。私が高校生の時離婚した。そして院まで出してもらっている。立派すぎて尊敬する。
ただし妹は典型的にグレてしまった。現在家に寄り付かなくなってしまっている。
客観的に見てグレた原因は離婚。しかも妹は離婚するなんて思ってなかったっぽいからそれはそれは泣いていたことを覚えている。私はついにか、と思っていたことも覚えている。別れた原因は全く分からないし、聞ける雰囲気もない。お母さんはいつか家を特定されるのではないかと今も怯えている。
お母さんは短気で癇癪持ちだった。何かあるとすぐ怒る、いやキレるが正しい。お母さんの中の「正しい」を抜けると拒絶反応を示して罵詈雑言が止まらなかった。でもシングルマザーで仕事(福祉)をしながらで仕方なかった部分もあると思う。今だからそう思うことができる。でもお母さんはこのことに自覚がなかった。
だからせめて分かって欲しかった。自分が癇癪持ちであることを。ちゃんと自覚して、自制してほしかった。許せない範囲を変えることは難しい。パチンコ屋でバイトするのが許せないのはもうしょうがないと思う。でもそれにかこつけて罵詈雑言浴びせるのは違う。すぐ金の話で脅すのは違う。それを理解してほしかった。
この話をするのは正直怖かった。攻めたい訳でもないし、過去を謝ってほしい訳でもない。でもそう受け止められてしまう可能性が高かった。親の性格だから嫌でも分かる。そうなって自分を責めないでほしいと思った。思い詰めて自殺されたら嫌だ。だってお母さんは充分頑張っている。幸せになる権利がある。
結果とても悲しんでいた。死にたいという類いのことも仄めかされた。
私は後悔した。
やっぱり言うべきじゃなかったのかなあ。
でもやっぱりお母さんが自覚しない限り妹は帰ってこないと思う。いや、自覚しても帰ってこないかもしれない。でも会って話をしてくれるくらいにはなるんじゃないかなあ。今の状況からしたら大進歩だよ。
お母さんはみんなで楽しく暮らしたかったんだって。そのためにマンション買ったんだよ。シングルマザーだよ。すごくない?すごいんだようちのお母さん。自慢だよ。
確かに子育て失敗したかもね。こんなに捻くれちゃったもん。でもうち幸せだよ。ちゃんと幸せになる方法見つけたよ。だから間違えたなんて言って欲しくないよ。
お母さんほんと自分のことばっか。でもそれでいいんだよ。こんなに苦労したんだよ。もう子どもに囚われて不幸せになるのやめようよ。やめていいんだよ。なんのために離婚したの。
あと一年は頑張るとか、折角買ったけどマンション売ろうとか、身辺整理してるとか、やめてよ。いくら大人になっても人が死ぬの受け入れられないよ。やっとジョンヒョンさんのことちゃんと沁みてきたところなのに。お母さんは知らないかあ。
この話はやっぱりお母さんの傷を深くしてしまっただけなのかな。そうなんだろうな。泣けてきた。
でもちゃんと考えてくれるって信じてるよ。信じないとやってけないだけだけど。渡した本ちゃんと読んでくれるといいなあ。
明日は妹と会う。何年振りだろう。
法的にやるか、あるいは自発的に払おうという気持ちにさせるかの2種類です
法的には、まず家庭裁判所へ行って、養育費請求の調停を申し立てます
これは裁判ではないので、弁護士は不要で、費用は事務手数料程度です
弁護士に頼むこともできますが、弁護士出しても結果に影響しないのであまり意味はないでしょう
むしろ相手の態度が硬化してあなたと子の父親との関係は完全に敵対し、法的手段以外の交渉方法の選択肢を以後完全に失うでしょう
養育費請求調停の場合、養育費算定表というものがあって、それでほぼ争点なく機械的に決まるでしょう
弁護士に依頼するか、自ら裁判所へ行って自力でやるかのどちらかでやればよいです
仕組みとしては、子の父親の勤務先に対して彼の給与を差し押さえることになります
裁判所をとおした法的強制なので、勤務先の会社はよほど社会的におかしな会社でなければ唯々諾々と従います
これで最大で手取り収入の半分が子の父親の勤務先の会社からあなたの口座に入るようになります
ですが、この法的強制では、ごく一部のケースを除いて最終的には養育費は支払われなくなるでしょう
なぜそうなるかは具体的にはここでは書きません
簡単なことです。子の父親に対して、子供と接する機会を与え、増やしてあげることです
また、子の成長に対して関与する権限を増やしてあげることです。
その父親が自分の子へ親としての愛情を感じるならば、お金ぐらい自然と出すでしょう
新入社員の迎え入れの準備などで各チームが引き継ぎを行っている。
新しいチームが嫌な人たちは何やかんや言いつつ引き継ぎを渋る。
自分のこれまで担当していた仕事をブラックボックス化することで
引き継ぎが困難という印象を与えて、自分の担当にしがみつこうとする。
もしくは引き継ぎをせず仕事を混乱させて「俺を担当から外すからひどい目にあうんだ」と示そうとする人もいる。
長い間1つの仕事ばかり担当していた人はぬるま湯に慣れきっていて
新しいことを学ぶということに慣れていないので
それぞれの仕事の守り方を見ているととてもちっぽけに見える。
「やっぱり先輩がこのチームにいないとダメですよぉ〜」
なんてやりとりを真剣な顔して話している。
本気で言ってるのかな?と思ってしまう。
初めに、これは文句でもなんでもなくカプ厨が書くただの愚痴だと言っておく(書いておく)。あとこれが初めてここに書くってことも。
どこかの誰かが読んでそういうこともあるよねー程度の同意が得られればそれで満足だ。
タイトルで地雷を踏み抜いた、なんて書いておきながら実際のところ地雷らしい地雷は自分にはない。「あ、これはねえわ」って思うことはあってもダメージは基本受けない。どちらかといえば手榴弾投げ込まれたとかミサイル飛んできたとか電車で隣に座ってた人が自爆テロしたとかそっちの方が近い。
リバとか別CPはそういう取り方もあるねですむし腐ってない男オタだがBLも物によっちゃ自分から見に行く。さすがに濃厚ねっとりな本番は好き好んで見はしないけどたとえ見てしまっても問題はない。
なんとなくこの件はNTRに近いと思ってるがそれだってタグで分かるから見にはいかない。だから踏み抜いたわけではない。向こうから飛んできた。
じゃあ何があったのか。そりゃあものすごいものに出会った。やばかった。pixivに上がってる小説なんだけどタグだけで拒絶反応を起こした。本文読んでないのにすっごいダメージを食らった。初めてミュートとブロックした。本文一切読まずに。
ここで注意として言っておくが、できる限り詳細は隠すけれどそれでも「その小説知ってる」って人がいるかもしれない。もしかしたら作者がこれを読むかもしれない。あくまで一個人の愚痴であることを改めて明記する。
クロスオーバーはいいと思う。いろんな可能性があってそれだけ世界が広がるだろう。オリ主×ヒロインもアリだとは思う。自分は「あ、これはねえわ」と思うがそういうのもきっと面白いのだろう。
けどさ。作品Aの主人公(以下主人公をAとする)と作品Bのヒロイン(以下B)でのカップリングはどういうことだ!!!!!!!!!どうしたらそんなもん思いつく!!!!!!!!!
前述したが別カプやリバは所謂解釈の違いだ。それは仕方ない。実際にコラボでパラレル時空とはいえ公式で絡みがあったならまだ分かる。ワンピとDBみたいに。読まねえけど。
けどその作品Aと作品Bに一切関係はない!!!じゃあなんで作者はんなもん考えたんだ!!!!!しかも!!!タグに!!!!!A×Bタグ!!!!!!!!ふっざけんな!!!!!!同じ作品内でのキャラでのNTRならここまでダメージは受けん!!!!それだって解釈の違いというか趣味嗜好の違いだ!!!!!うわあって思ってそれで終わりだ!!!!!こんなもん初めてだわ!!!!!!!
本文一切読まず色々文句つけるのもな、と思って読もうとしたけれど断念。タグの時点で大ダメージなんだから本文とかまじで死ぬに決まってる。
自分は作品Bが好きで、作品Bのタグで小説漁る度にそれが目に入って。一本だけじゃなくてまさかのシリーズで。そのタグが目に入る回数が増えて。結局ミュートあーんどブロック!!!!をしたわけだけれど個人的な心境としては消してほしい。せめてA×Bタグを外してほしい。それが存在するってだけでちょっと嫌な気分になる。
もちろん、本当に消せってわけではないけれど心境としてはそんな感じ。
表現の自由というものがあって作者さんがA×Bの小説を書くことは何も悪いことではない。嫌だから消せというのは横暴であり、何よりもひっそりとだが同じく二次創作をしている自分の権利を脅かすことでもある。
だから何度でもいうがこれはあくまでもただの愚痴。しょうがないよとか気にすんなとかそんなチープな慰めがあれば少し楽になるようなそんなもの。
もしかしたら知らないだけで別作品のキャラ同士でのカップリングはそれなりに普通かもしれない。けどやっぱり存在するのは嫌だなあと思ってしまう。
感情に任せて書いたせいで文章めちゃくちゃだけれど、これで終わり。本当にただの愚痴。正直書き足りない気もあるけれど同じようなことを繰り返すだけだから割愛。
要点としては別作品のキャラ同士のカップリングふぁっ○ゅー!って話。読み切った人は適当な慰めでもくれるとありがたい。
多分支部を探せばその作品は見つかるだろうし芋づる式にこれ書いてる自分のことも見つかると思う。もしそんなことをする暇人がいて、さらに時間があるならその時はどれか一本でも読んでいってくれると嬉しいなあと思いながら駄文を終わる。
何処にも書けないのでかかせてくれ
twitterには多分十年くらいいる
だからtwitterにはいろいろな流行り廃りがあることはわかっているつもりだしすべて受け入れられると思ってきた
名称はままあれど、
Twitterユーザー(フォロワー)とtwitterユーザーをカップリングにする、腐女子の遊びだ
ユーザーをキャラクター(概念)のように扱い、カップリングを作る
たとえばフォロワーにイワシとサンマがいたらイワシ×サンマ、イワサン、といった具合だ
この概念CPは腐女子はまりたてのいにしえの時代によく見かけた
たとえばクラスメイトの男子たちをCPにするとかそういうものから始まると思う
解りやすく作品になっているのは、影木栄貴と蔵王大志の、自分たちをモデルにしたBL『color』だ
盛り上がる。内輪では。
最初は仲良しなんだなーと眺めていたが、
それが目に付く回数が増えるにつれなんともいえない拒絶反応が自分の中で出ていることを感じ始めた
見たくないのである
もしかしたらナマモノが好きなら受け入れられるのかもしれないけれど、わたしはナマモノは通ってこなかった
でもワードミュートをしたら、本人の名前そのものをミュートするので他のツイートも見られなくなってしまうし、
共通フォロワーの普通に呼びかけている名前ワードもミュートになってpostが読めなくなる
自衛ができない。
つらい
そのフォロワーカップリングは空リプで投稿されているため、スルーしても問題ない
つらい
多分私ももっと若ければ混ざってたのしくフォロワーカップリングできたんだと思う
だけれどそのノリについていけない
つらい
わたしはどうしたらいいのだろう
作品が好きで繋がったのにブロックミュートしないといけないのだろうか
昔は四六時中張り付いていたのに、である
こう思うのは少数派なのだろうか
だれか対策を教えてくれ
今回の騒動、日本版#MeTooというハッシュタグも含めて、私ははあちゅうの行動の全てを支持できないでいる。
理由は主に3つあり、
1. なぜ裁判と言った公正な場で戦わずに、ネットで晒すという卑怯な手に出たのか理解できない。
2. 男性の性に踏み込むキャラを自分で作っておきながら、逆の立場に置かれることは許容しない
3. 自分に否定的な意見をする人間を徹底的にブロック。そもそも議論する気がないのに問題提起の声だけでかい。
(補足. セックスの話題を使って仕事をしている女は、同じ女に対して害悪だと思っている)
特に1.については絶対的な悪だと考えていて、実名を晒してああ言う書き方をすれば、(はあちゅうの言ったこと内容が対して検証もされず)見た人たちが感情的なネットリンチに走ることは容易に想像できたことだし、そこまで考えられないのに言葉を仕事にしているのは失格だと思う。
どういった被害を受けたのであれ、私刑に走るのは最低だと思う。
2.については、『あーこいつもかー』と思った部分。
男性からすれば理屈の上でおかしい、と感じるかもしれないけど、女性からするとこう言う女性を少なくない頻度で目にするのでうんざりしてる。
自分から男性の性に踏み込んだ話題を振る割に、自分の性の話になると拒絶反応を示して、後で女だけの会話になったら『あいつセクハラ。最低』という女。
男性の性について会話の中で踏み込んだ時点で、自分の性についての話題を振られる間口を開けてしまっているのだから、
そうされることを拒絶すれば一方的なコミュニケーションになるし、男性から『なんだこいつ』と思われるのも当然じゃないかと思う。
私はそう言う女が正直言って面倒くさい。性についての話題は、自分の性だろうが他人の性だろうが、一切NGとするべきだと私は思っている。
3.ははあちゅうの子供じみた行動が、言葉を仕事にしている人間として不適格だと感じている点。
過去何度も炎上させる度に、反対意見を持つ大量の人をブロックリスト送りにしているけど、不特定多数が目にする自分の意見(文章)に対して責任を持つという最低限の事ができていないこの行いは、もっと追求されるべきことだと思う。
そう言った、『特定意見しか受け入れません』という態度を取っているにも関わらず、未だに支持者がいることも理解できない。
手のひらを返すように意見を変えた瞬間、支持してる側だと思っていた人がブロックリストに送られることだってありえるのに(と言うか今回沢山起きてますよね)。
女性が自分のキャリアのために、女性の性を使う必要はありません。
40代の私は過去数え切れない回数のセクハラを受けてきました。だからこそ、性に触れることを自分の言動のなかで行うことは避けようと思っています。
セクハラ問題においての唯一の特効薬は、性について(自分の話題であろうが、人の話題であろうが)、一切公で触れてはいけないという風潮を作り出すことだと思っています。
私が仕事をしているアメリカでは十数年前からそういった風潮が完成しており、今問題になっているのは密室で行われたセクハラです。
アメリカの女性たちが密室で行われたセクハラを告白することで、アメリカからついにセクハラが無くなるのではないか、という期待あってのムーブメントです。
日本はまだ、公に行われる軽いセクハラが許容されていると感じています。
これは女性側の言動にも責任があると思っており、『女らしさ』や『女性性』といった言葉でヴェールをかけていますが、結局のところネットやTVで目にする性の話題は、女性の側から男性に対して会話の間口を開いているにすぎません。
セクハラ撲滅の第一歩のためには、女性自身が性に触れることはセクハラのある風潮を助長することだと自覚し、公で話題にしないという意識の徹底が必要です。
はあちゅうの童貞いじりや、恋愛やセックスについての話題は、男性が女性に対しても同じ話題を振っても良いと勘違いを助長してるにすぎません。
そう言ったポジションを仕事の上での強みの一つにしているので、はあちゅうは特に悪質です。
彼女自信がこういった自分の悪質さに気がついてくれると良いのですが、残念ながら2.の通り、自分に対する否定的な意見は無視を決め込んでいます。
そうなれば私達が取るべきアクションはたった1つで、はあちゅうを無視して孤立させる他ありません。
非難、批判には読者のバイアスが含まれる。育った境遇、倫理観それらを作品と擦り合わせる行為でしかない。
作品が受け入れられず非難する者は、編集者、校閲者のように作品自体を変化させようとは思っていない。ただ作者の世界観が受け入れられず投影出来なかった為に起きる拒絶反応だ。それは読者側の経験不足、認識不足、読解能力の低さが元凶である事もある。
NOT FOR YOUという言葉がある。買わなければそのコンテンツは衰退し、賞賛する者に相応しい形へ変化する。作品が必要とするのはパトロンであり投資者だ。そうでなければ作者が得る者はなくなってしまう。不買行為は覿面に効果を発揮する。他作品より優れたアプローチが出来なければ評価されないのは当然だ。例えばボリューム感にしても、読後感にしても読者は常に満足を求めている。
私がここ半年で学んだ事はこんなあたり。
男は画面の向こうの女を美少女だと思い込む傾向にある
「もしかしたら可愛い子かも」「美人だったらいいなあ」ではなく、少なくとも自分がセックスしたいと思える範囲に収まる程度の美人だと思い込む
これは男が不細工な女、下品な女を「女」として認識していないので、「普通の女」で連想する姿が実際の平均値よりかなり高く設定されているからである
また、美少女はインターネットに疎く、頭が弱く、性への関心が薄く貞淑であり、男がするようにインターネットで性的なコンテンツにアクセスするなんてやろうとも思わないしやろうと思ってもできないものだ、と考えている
「セックス」くらいの単語なら保健体育で習ったことがあるが、女は彼氏が教えてあげるまで「フェラチオ」「後背位」「朝勃ち」などの単語は一生知る機会がない、と思っている
(悠木碧は駅弁が体位の名称のひとつであると知っていたようだが、それは彼氏に駅弁をされながら「これはね、駅弁という体位なんだよ~」と教えられたからであってインターネットや深夜番組や成人向け漫画を見て得た知識だという可能性に思い至らない)
性知識が豊富で、性的なことにオープンな女はAV女優や風俗嬢、エロ漫画家などの「普通ではない女」であり、普通に生活している女ではありえない
性を売ることを職業にしていなくても、性欲があることを大っぴらにするなんてお笑い芸人のバービーや大久保佳代子のようなブスなおばさんくらいであり、どちらにしろ「普通の女」ではない
一方、元増田
性的な話を投稿しているが、風俗嬢などではなくただの一般人で大久保佳代子のような肉食系性欲おばさんの雰囲気もない
年齢は書かれていないがわりと若そうである
少コミやBLを読み漁るオタク女だから性的なことにやたら詳しいなんて感じもない
画面の向こうにいるのはAV女優でも風俗嬢でもおばさんでもオタク女でもない、それなら無知で貞淑な美少女に違いない
それなのに元増田はセックスが好きで乳首舐めやフェラまでしている
これは男にとってはありえないことで大いなる矛盾だ。こんな女が存在しているわけがないのだ
脳が拒絶反応を起こし、「そうだ、こんな女が存在しているわけがないんだ!だからお前は女ではなくおっさんんなんだ!」という結論に至る
会社が成長するにつれ起きる主に人事関連で起きる問題を象徴的に表す言葉で「●人の壁」というのがあります。
その30人の壁・50人の壁を体験している社長さん側の語りは見たことがあるのですが、社員側の意見を読んだことがないなと思い、筆を取りました。
ちなみに特に結論みたいなものはありません。「ふーん」と読んでくれればと思います。
しばらく前になりますが、六本木の安い居酒屋でベンチャー社長たちと飲んでいるとひとりの社長が語り出しました。
「いまちょうど30人の壁のようなものにぶち当たっている気がするのがけれど、何がいけないのかわからない。会社は順調だし、ブラックでもないし」と。
数億の資金調達をし、界隈ではそこそこいけている感じの会社だったと思います。
自分は少し前に独立したのですが、話を聞いた時はこの社長とは別のベンチャー社員でした。30人の壁とやらで辞めたうちの一人です。
30人の壁を前に、そして真っ最中に、どういうことか起きるか、起きたかを羅列してみたいと思います。自分は辞めた側なので当たり前にマイナスなことが中心になります。
ちなみにこの壁とやらが30人で起きるのか50人で起きるのかは会社によるのですが、簡単な言葉で言うと『社長の器による』という印象です。20人で起きている場合も、50人でも平和そのものという会社もあります。
そして、ここ重要ですが、「社長はこう思ってるんだよ」「イチ従業員の君たちにはわからないだろうが」というのは当たり前ですが一切抜きでいきます。
30人の壁を見上げる者、また後方から眺める者としての一方的な意見です。
1、フラットに近かった関係性に「組織」という概念が生まれる。人事に納得のいかない社員がつまらない思いをする。(自分はこれです)
2、縁故採用だけではなく、一般採用が急激に増え、コミュニケーション不足による不協和音が発生する。
3、サービス認知の拡大により1→10のフェーズに入り、これまでヒーローとされていたゼロイチが得意なメンバーが営業チームに押され、プライドが傷つく。(自分はこれです)
4、社長ブログがパワーアップして胸焼けする。(自分はこれです)
で、この中で、2や3は社長さんたちのブログなんかでよく見かけるので(でも的外れな意見だったりするとは思う)、1についてやや深堀りし、4についてはもっと深堀りたいと思います。
まず1の組織化ですが、全員が納得する人事なんてあるはずもなく、自分はもっと良いポジションにあるべきだという(自分のような)人は、よっぽどその会社に恩義を感じていたり、給料が良かったりしない限りは俄然やる気が消滅します。そして当たり前のように「会社やめよっかな〜」と言う考えが脳裏をよぎるようになるのです。
何せここは引き抜きが横行するベンチャー界です。しかも今は大型資金調達の成功が続き、経営者たちは西にIoTプログラマーがいればウチならもっと唯一無二の開発ができるよと口説きに走り、東に死ぬまで売りまくる営業がいればビジョンと涙を垂れ流して獲得に行く、そんな時代。ライバル企業のメンバーを堂々と引き抜きにかかる猛者もいます。人材流動性の高いベンチャー界においては人事は諸刃の剣となることはいうまでもなく、「このポジションでしばらく我慢してくれよ」と言っている間によそから引き抜かれてもしょうがないのです。
自分の場合でいうと、辞めた会社では一桁台の入社で、自分の能力で会社を支えてきた自負がありました。技術の方向性と会社の事業もマッチしている。自分が開発したものが売れて、人の役に立っている様子はとても嬉しかった。みんな忙しいだろうなとひとり仕事を抱えたことも数知れず。でもベンチャーってそういうもんなんだろうなと思っていたので頑張ってました。
でも人事で自分の上に立ったのは、自分より後から入ってきた「人に仕事を渡すのが上手い人」。技術者として自分よりいい仕事をしているとは思わない。お恥ずかしながら勝手に感じていた社長との信頼関係はないものなのだと感じ、人事発令から2ヶ月で、辞めますよと(slackで笑)辛い時期を支え合った総務のメンバーに伝えました。
「情けないな、次の人事で上に行くように頑張ればいい」という、自分の大人気のなさを諌める自分も出てきて一瞬悩みましたが、その時間ももったいないと思い、すっぱり辞めることにしました。
そもそも管理職になりたいのかというとそうでもない。ただ、会社の行方には口は出したい、そんなわがままな気持ちがあることもここで気づかされました。
出した退職届はそれなりの引き止めののち受理され、いま自分は独立してひとりで仕事をしています。誰かを雇うなどは考えていません。めんどくさいので。
さて、僕のしみったれた話はこの辺にして、次に、4の社長ブログについて。
そもそも壁とか関係なく社長ブログを好まない社員も多いと思います。自分も嫌でした。
以下、社長がブログを書いている会社の社員に聞いてみた、社長ブログで「まじ勘弁」と思っていることベスト3です。(3人しか聞いてませんが。プラス自分)
1位 読んでることが前提なこと(勝手に発信して読んどけ感出すな。)
2位 すべてに感謝感謝みたいな内容(マジでやめてほしい。恥ずかしい。イタイ。 ※20代は拒絶反応)
3位 名前は出さなくても社員の誰のこと書いてるかわかる批判(自分のことだなっていう内容を書かれたあとどういう反応したらいいかわからない)
壁とどういう関係があるのかというと、やっぱり組織化すると雰囲気変わるんです。ブログもちょっとより社長っぽくなる。
辞めるまでの2ヶ月、組織ってどう変わるんだろうと思って見てたんですが、それぞれがそれぞれっぽくなるんです。
総務がめちゃくちゃ厳しくなったり。営業でそれまで自由にやっていた子がなんかパワー半減してたり、その上に行った人はキリッとしてたり。「俺通して」感出るんですよね。
それが耐えられなかったんですよね。なんか。子どもですね。自分がそこに混れなかったからかもしれませんが。
前の会社は入った時から組織ができていたからなんとも思わなかったんだと思うんですけど、みんなが窮屈そうになったのがなんか嫌で。もう自由になろうと決めました。
社長のブログはよりラブ&ピースになり、以前からあった特定の誰かを示唆する内容がより増えました。僕以外にも人事に抵抗しつつ残っている人はなんかかわいそうなくらい書かれていました。あれって、社員には言い返す場がないんですよね。ずるいよ。
いきなりですが、ネガティブな気持ち書いてたら疲れてきたのでここらで締めます。
結論はありません。では。
差別とは、身体的特徴を元に不当な扱いを受けることである。例えば、肌が黒いということで、奴隷扱いされる、または汚い、不潔とされて侮辱されること。
では、身体的特徴を指摘、言及することは良いのか?肌が黒いね、黒人は背が高くて、運動能力が高いよねなど。ポジティブに捉えられる、おおよその場合において、これは問題ないと捉えられる。
ただし、これが女性の場合、セクハラ・差別として問題になる。胸の大きさ、お尻の大きさなど。身体的特徴でも、言及箇所によってはネガティブと捉えられる。
黄色人種なら、目の細さや、平らな顔か?
おそらく白人の美的感覚から逸脱した特徴がネガティブなものであり、それら特徴を元に侮辱、不当な扱いを受けることが差別なのだろう。
特徴の指摘から侮辱、までがセットで差別だとは思う。しかし、場合によっては特徴の指摘の段階で、侮辱の意味が込められているとして、差別と判断されることもある。だからこそ、純粋な疑問を抱く子供の問いは、その裏に侮辱意識が無いとして、差別とは判断されないのだろう。
セクハラの場合は、特徴の指摘から、だからあなたは性的に魅力的で猥褻行為をしたい、という意識を汲み取ることで、防衛意識からの拒絶反応になるのだろう。
差別の難しさは、この指摘段階で差別と捉えられる点だ。どこまでの指摘、言及が差別と捉えられるかは、その発言の背景と、発言者の背景が求められる。
だか現状、多く場合、発言・言及・表現した時点でアウトだ。これが非常にややこしく、煩わしい点であり、差別言及が過激化する要因の一端だと思う。
私が感じている違和感は、この差別の適用範囲の過激化で、まるで言葉狩り、表現狩りのように思える。日本でも、身体障害者を表す言葉が数多く規制されてきた。
過激化は、人種差別から性差別、LGBTの全てにおいて見られる。
過剰にセンシティブな世界において、我々は幸せなれるのだろうか?全てが平坦で、そこから少しでも逸脱した人間が、過剰に攻撃されることは平等なのだろうか?
元増田の話を要約すると
「今、ほのぼのふるゆわアニメ好きは少数派なの!?私がおかしいの?」「世の中のメジャーはバトルアニメなの?」ってことかなと思う。
これについては、なんともいえないが、ランキングサイト(統計うんちゃらはいうなよ、あくまで参考だから)は一つの見方にはなるだろう。
https://www.anikore.jp/chronicle/2017/summer/ac:all/
パっと見る限り、2017夏アニメに限っても、かなりバランス良く散らばっていると思う。なのでそんな極端に偏ってはいない。
その上で、自分の意見を言うならば、オタクに受ける作品とは「ほのぼのかわいい世界に、緊張や若干のストレスを加えた作品」だろう。
そのストレスの加え方のさじ加減は非常に難しく、そこは好みが分かれるところだが、グロまでいくと拒絶反応が出て来るが、その加減しだいで大ウケする。
「まどマギ」、「がっこうぐらし」の虚淵作品なんかまさにそうだ。グロも一部効果的に使うことで見事にヒットした。「メイドインアビス」もそうだ。
元増田が褒めている「サクラクエスト」も暴力はないにしても精神的なストレスは多少加えてスパイスになっている。
大ヒット「けもフレ」も、基本ほのぼのだが、微妙な世界の不穏さやセルリアンを加えている。
「ガルパン」だって、基本ほのぼのに砲弾飛び交い手に汗握るバトルを加えて大ヒットした(スポーツということにしてグロや身体的痛みは排除した)
これらを完全に排除した作品として「きんモザ」などはあるが、ここまでいくとやはり人を選ぶ。
まとめると
・オタク的にはその中間、さじ加減が大事。(さじ加減の好みに正解はない)
ぐらいかな?
カープ優勝のツイッターを眺めてたらトレンドに「リンダリンダ」が上がって来た。どうやらMステでブルーハーツの過去映像が流れたらしく初見の人達のつぶやきが膨らんだらしい。曰く「ヤバイ」「この人クスリやってるだろ」「落ち着きなさ過ぎ」「障害者?」等々。まぁネガティブ。けどその衝撃を受け入れ切れない拒絶反応にも思える。
当時中学生、家族でテレビを観ていると件のリンダリンダ。広島の更に奥地の田舎といえでも既に友達の間ではダビングテープが回ってきてたし先輩はコピーバンドを始めてたし、誰かがパクった吉本バナナのブルーハーツ本は回し読みされてた。少なくとも自分の周りは皆パンクロックの熱に浮かされていた。で、リンダリンダ。母ちゃん「なんなん、この人、気色悪い」姉「狂っちょる」自分「キチガイじゃね」 いや、カッコよかった。ぶちカッコよかった。おしっこちびった。カッコよかったと言いたかった。けど家族の手前言えんかった。火照ったまま二階に上がって布団に包まって雄叫びあげてセンズリこいた。
http://www.kansou-blog.jp/entry/2017/09/04/073456
この記事のブコメを見てると、太田に共感を示してるようなコメが結構あるけど、みんな正気?松本の意見がどうかは置いといて、俺には太田のいうことがサッパリ理解できなかった。支離滅裂過ぎて。
この時点でもう無理。いきなりなぜ音楽家の評価の話なる?凄い音楽家ならビンタOKってこと?
もし仮に、コイツが「暴力はNG」という立場に立って発言してるんだとしたら、なおさらこの発言は看過できない。失礼すぎるでしょ。ビンタはNGだけど言葉の暴力はOKって言いたいわけ?だとしたらとんだダブスタだ。
あの場面はどう見てもいきなりビンタから入ってるわけではなくて、コミュニケーションが取れなかった結果ビンタにつながったわけでしょ。この言い方だと日野氏が何でもかんでもビンタしてるように受け取れる。
意図的な印象操作で悪意を感じるんで、個人的には拒絶反応モノなんだけど、みんななんで平気なの?
これもいきなり出てくる意味が分からない。そもそもビンタに繋がったのは中学生が気に入らなかったからじゃないでしょ。ショーの進行に支障が出るのにトチ狂った中学生が全く指示に従わなかったから。
それに、これは意図的な矮小化であり、悪意を感じる。こういうのは気分が悪くなる。
太田「いや、言ってわかんなかったらビンタすりゃ良いってことは、日野さんのこれが気に入らないって人がいたらビンタすりゃいいわけ?」
言ってわからないということと、気に入らないということは別の事象。同一視するのはおかしい。意図的にやってる証拠。悪意を感じる。
太田「じゃあ例えばね、我々がお笑いでお客を笑わせたいと思ってるときに、客をくすぐっちゃうようなもんなんですよ。それやっちゃったら、それはもう自分のやってることの否定になっちゃうから」
この例えは心底理解できない。くすぐるのは暴力じゃないし、親しい間柄なら別にやっても何の問題も無い。(金のないキモいオッサンが女性にやると犯罪になるけど。)
話は暴力としてのビンタじゃなかったのか?なんでこんな美学みたいな話になってんの?マジで意味わかんねえ。
太田の話は一貫して、それっぽいことをその場その場でオウムのように言ってるだけで、全然話が繋がってないように思えるんだよね。だから支離滅裂に感じる。みんななんでこんなのに共感できるの?