はてなキーワード: 免許とは
自転車を免許制にしたところで原付きと同じで普通自動車免許にくっついてくる形になるだろうし、運転免許証がもっとも手軽な身分証明証で運転しなくてもとりあえず持ってるって人が都市圏でも多い現状、免許制にしたって自転車利用者の数はそう変わらないと思うぞ。
免許持っててもルール違反し放題なんだから自転車のルール無視も変わらねえだろ。
圧倒的に多い。違法駐車が多すぎるせいで都内は1車線潰れてるんだけど。アホか?
監視員来ても簡単に誤魔化せて見逃されるから常用されてるけど、運用がおかしいだけだからね。
ドライバーは取り締まられなきゃ平気だろ。と思ってるフシがある。
歩道に侵入する時は一時停止するんだけど観測する限り99%守ってない。
減点されなきゃ安全なんてどうでもいいもんな。
横断歩道でも車サマが優先と思ってるアホはかなり多いので、
歩行者は横断を躊躇する
→車サマが譲られてると思って爆走するは相当数いる
横断歩道渡ろうとしてる奴いたら譲るんだよ?
漫画家が億単位の巨額の収入をえていながら、全く確定申告・納税しておらず告発されたニュースのブコメ見てびっくりしちゃった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/matomedane.jp/page/157381
本人が「確定申告が必要と知らずやってなかった」と言ってると報道されてて、それを真に受けて「過失なのに告発は厳しい」だの、「故意でないから罪は重くない」だのブコメがたくさんついて、たくさんスター集めて上位ブコメになってるの。
…それマジで言ってるのか?
この場合の「過失」ってのは、確定申告したつもりだったけどできてなかった(税理士に依頼したけど税理士が怠けてやってなかった、パソコンで入力したけどテストで送信されてなかったとか)場合で、
「収入はあったけど、確定申告が必要だという知識がなかったので、やってませんでした」は故意なんよ。
無免許運転で捕まった人間が、「自分が免許持ってないのは自覚してたけど、公道で車を運転するのに運転免許が必要だと知らなかったので、運転してしまいました」と言ったとき、過失になると思うか?
ならねーよ。この場合の過失は「有効期限が来てるのに気づかずうっかり失効してて、自分は有効な免許を持ってるつもりだった」とかだよ。
自分が運転免許持ってない事実は認識してたのなら、本気で運転免許の必要性を知らなかったとしても、これは故意の無免許運転になるんだよ。
法の不知は言い訳にならず、「違法と知らなかった」では過失にならないんだよ。
過失として罰・罪から逃れるためには「事実を誤認してた」前提が必要なんだよ。
…
まあそれ以前に、日本に普通に生きてて「公道で車を運転するのに免許が必要と知らない」ってまずあり得ないので、嘘ついてると判断するのが普通だわな。
作者のwikipedia見ればわかる通り、デビューしたてでいきなり大ヒット飛ばしたわけでなく、最初の連載は2010年でもう10年以上のキャリアがある。
これまで編集者とのつきあいで、税金の話や確定申告の話が全くでなかったと思うの?
漫画家同士の雑談で、税金たくさん取られて大変で~、確定申告で経費計上して~みたいな話が全くでなかったと思うの?
自営業やってないサラリーマンですら確定申告の義務は知ってるし、普通に日常生活を送るなかでテレビや新聞や雑誌でも確定申告・脱税摘発の話はたっくさん出てくる。
それを全く耳にしてなかったと思うの?
周りの漫画家、自営業者、サラリーマンも収入ある人はみな税金を払ってる中で、自分は億単位の巨額の収入を得ていながら1円も所得税を払ってない状況が、本当に無知によるものだと思ってるの?
しかも記事読めばわかるけど、印税収入だけでなく、不動産投資までしてるんだよ?不動産投資なんて節税手段、相続税対策の筆頭じゃねえか。それで「確定申告が必要と知らなかった」を信じちゃうの?
才能あるクリエイターはイノセントで純粋で悪意のない存在で、そのやらかしは全てうっかり過失によるものでした~ってか?
馬っっっ鹿じゃねえの?
大谷選手のときもそうだけど、クリエイターやスポーツ選手の言い訳を頭から鵜呑みにして同情的になるはてブの傾向って公平性のカケラも無くて、ほんっと気持ち悪い。
政治家が違法行為したときに「知らなかった、秘書が勝手にやった」を鵜呑みにして「先生は被害者よね、かわいそう、これからも頑張って!」と投票するジジババの思考回路が理解できなかったけど、大谷選手や漫画家の言い訳を鵜呑みにしてるような連中がそのまま年を取ったら、ああいう愚かな有権者になるんだな。勉強になるわーはてブ。
断っておきたいが、俺は女たたきをしたいわけではない。
会社の研修で「貴方はストレートな男性で管理職であるから、社会的には強者である。社会的な弱者である女性のことを考えましょう」みたいなことを言われて、不意打ちにあったような気持ちになった。
俺は在日三世である。まず、在日差別はある。おじいさんや父親が苦労してきた話(教師が親父の書いた絵に「朝鮮人で最も絵がうまいで賞」と書いた花をつけて廊下に張り出す、など)を聞くとやるせない気持ちになるし、今でも同世代との飲み会になるとザイニチが!みたいな罵倒語を吐くやつは目にする。
なので、正真正銘ゴマカシなしの社会的弱者であるウチは、在日であることを完全に秘匿しながら、日本において唯一無二の後天的に取得しうる強者性=学歴を息子や娘に身に付けさせることが長期的な戦略となった。豊かではない父母は持てるリソースのすべてを我々に注ぎ込んでくれ、果たして俺は東大に合格した。
ただ、どんなに努力を重ねても、やはり特に大阪に帰ると無意識の差別のオブラートは社会を包みこんでいるように思えてならない。帰化申請を自分で行ったときに、半ズボンで来るようなマトモじゃない人は審査で落とすけど、君は大丈夫。普通だよ。でも普通じゃない人ばっかなんだ、とヘラヘラ宣った法務局のHとかいう奴の顔は一生忘れないし、梅田の地下歩いてただこの親父が免許書を見せた瞬間に顔色変えて根掘り葉掘り聞いてきた警察官のことを俺は許さない。妹の元彼の親が朝鮮人とは結婚されられないと挨拶の場で断って、それにそれもそうだなあと言っていたらしいアイツらは妹の流した涙のぶんの毒薬を地獄で飲ませたい。
なので、俺がしてきた努力は、親子三代に渡り投入し続けたリソースは、この日本社会で生きていくために絶対に必要なコト/モノだったし、その結果としての社会的強者然としたこの姿は、弱者性の超克の志向の当然の帰結である。
それを、社会的強者である日本人女性から、生得的に男性であるからという言葉だけで強者と形容されるのはとても気に食わない。俺は、俺等弱者は、本当に死ぬ思いをしてここまで来てるんだ。生得的なんて言わないでほしい。
最近思ったことがある。多くの生き物って、人間にとって見た目がいいように進化している気がする。
哺乳類とかだったら、人間にとって気持ち悪いやつはあまりいないだろう。爬虫類とか両生類とか、特に昆虫類だったら気持ち悪いやつがけっこういる。
今回思うところがあったから、4つほどエピソードを語らせてほしい。
去年の秋頃だったか、近所の裏山に登って、入会地の傍にある栗林で農作業をしていたのだが、そこにひょこっとアナグマが現れたのだ。アナグマというのは……約10年前にやってた「のんのんびより」のEDだったかな。「あれってハクビシンとか、タヌキとか、アライグマとか、イタチですよ」とか、そういう歌詞があったのだが、だいたいそんな生き物だ。
アナグマはイタチ科の動物で、体長1m未満のずんぐりしたイタチみたいなやつだ。顔はハクビシンに似ている。※ようつべで検索するとすぐに出てくる。
で、そのアナグマだが、栗林で農作業をしていた私の方に寄ってきたのだ。まだ若そうな個体だった。当方だが、農業林業はこれでも10年以上やっている。これまで、数多くのイタチ・キツネ・アライグマその他の小動物が箱わなに引っかかり、漁師や地元住民に殺処分されるところを見てきた。
正直、あまりいい印象はなかったが、半径数メートル以内まで寄ってきたところで、「けっこうかわいいな」という印象が支配するようになっていた。このあたりにはアナグマが少ないのもある。あと、私が育ててるのは栗だから、こいつらには盗まれんだろうという感覚もあった。
そういえば、小学校高学年だった姪っ子が、同じようなシチュエーション(農地の中)で、狸っぽい生き物にポテトチップスやコンビニのホットスナック(ファミチキ)をあげていたのを思いだした。あれは遠目からだったが、やはりずんぐりした見た目だった。
結局、栗林に来たアナグマは、その辺りをちょっと掘り返しただけで山の中に帰っていった。もう二度と出会うことはないだろう。例えばもし、私が育てているのがイチゴだったとしたら、確実にその場でクワなんかを握りしめて、ヤツを叩き殺そうとしていただろう。
実際、うちの畑でサルを見かけた時は、全力で追い払うようにしているし、タヌキやアライグマだったら石を放り投げてぶつけた後、スコップで殴り殺したこともある。蛇とかだったら、毎年20匹以上は駆除してる。長靴で踏んづけて、もう片方の足裏で頭を叩き潰すのだ。ジャンボタニシだったら、毎年夏になると百匹以上は生き埋めにしてる。イノシシは……あれはプロの量子さんの領域である。農家は手を出さない。
私はこれでも専業農家である。大切に育てた農作物を捕る生き物は憎くてしょうがない(人間まで含めて)。蛇足になるが、農業従事者は漁師率がけっこう高い。昔の農家は、田植えや稲刈りの時期を除いては、鶏を育てたり、山に入って鳥獣を捕っていた。今でも、狩猟免許がある人もない人も、山でイノシシとか鹿とかを捕って食料にしている例はある。
私の祖父もそんなだった。私がまだ小学生の頃に、鶏小屋がキツネかタヌキかアライグマかはわからないが、そういうのに襲われてしまった。非金属のネット小屋だったから、鶏が何匹かやられてしまっていた。祖父は悔しそうな顔をしていた。
或る夜に、実家で夕食を食べていると、鶏が騒いでいる声が聞こえた。祖父と親父はすぐに実家を飛び出して、鶏小屋に行くと、キツネのようなものが鶏小屋のネットを破ろうとしていた。なぜか、祖父よりも自分と父の方が早く鶏小屋に着いていたっけ。
後ろでカチャッ、という音が聞こえた。祖父が目の前に出てきたと思ったら、パアンッ!! という音が聞こえた。※祖父が散弾銃を撃ってた。
キツネのようなものは、その場で転がって痙攣しながら逃げようとしていた。親父が、祖父に鍬を手渡していた。それで、祖父が走り出して、ほうほうの体で逃げるキツネに追いついて……後は、何度何度も鍬が振り下ろされた。ぐちゃ、べちゃという音が聞こえて、狐は何度か鳴き声をあげると……多分絶命したのだろう。※近づいてわかったが、縞々のしっぽだった。アライグマである。
祖父は「このバカタレが、バカタレがぁ、アアッ!!」って叫んでたっけ。愛鶏(?)を殺されたのがショックだったのだろう。とにかく狐に凄まじい恨みを持ってた。あの時の自分は、「すげー。銃かっこいい!! 撃たせて」って祖父にねだってたよ。それくらい衝撃的な体験だった。私にとってのエポックメイキングだった。
「なに、お前も撃ちたい? 大人になったら警察行って免許がとれるど!」
「わしはもっとらん。ひいじいちゃんはもっとった。でも、わしは撃てるけえええんよ」
「俺も撃ちたい」
「○○くんが撃ったらいけん。捕まるよ」
平成初期の話である。当時はおおらかな時代だったのだ……。今だったら普通に逮捕される。絶対にマネしないように。
さしもの私も、祖父の遺品である銃剣類は所持しているが、自らの敷地内であっても使おうとは思わない。なにしろ、狩猟免許もってないからな。ほかの地元民と同じく、鳥獣の駆除行為はひっそりとやりたい。
話があっちの方にいってしまったが、私は基本的に、うちの農地に入ってくる鳥獣類は殺そうとする。苦労して育てた農作物を食われるのは絶対に嫌である。しかし、たまに殺さない例もある。それが上の例でのアナグマだった。
その状況で見逃したのは、なんとなくという理由が強い。農場内でメシを食ったばかりで、ゆっくりしたかったのもある。しかし、珍しくこっちに寄ってくるアナグマが「かわいい」という感情もあったのだと思う。うちの地域では、アナグマが珍しかったのもあるかもしれない。しかし、不思議な体験だった。
今度は市街地での話だ。
まだ若いころ、農業者じゃなくてサラリーマンだった時代に、とある国道沿いの飲み屋街にいた。最初の一軒目を探していたのだ。ふわふわと路地をさまよいながら、国道に出たところで、そいつに出会った。
歩道の上に、もぞもぞと動く物体があった。よく覗いてみると、コガネムシだった。背中の色が特殊で、なんとベージュだった。限りなく白に近い真珠色といってもいい。レア甲虫である。いとおかし!! いとおかし!!
その真珠コガネムシは、あまり元気がなかった。しかも車道に向かってもぞもぞと進んでいた。このままでは自動車に轢かれて死ぬだろう。ぐしゃ、という音がするのだろうな。昆虫類が車に轢かれると、意外と大きい音がする。
私は、そいつの目の前に人差し指を延ばした。するとそいつは、六本の足でガシッと私の指を掴んで、勢いよく私の手を昇り始めた。
土の中から出てきたばかりのカブトムシとまではいかないが、元気な様子で私の手指を昇っていた。そのまま徒歩で飲み屋街に移動して、レストラン沿いの並木を見つけた。おそらく欅だったろうか。樹の表面にコガネムシをくっつけると、また元気そうにどんどん昇って行った。
どうしてあの時、コガネムシを助けてやったのだろう。そういえば、小学生の頃は甲虫が好きだったような気がする。懐かしい気持ちになった。
今でも、夏場で路上に転がってるセミとか見つけると、拾って助けてやる。すぐ近くにあるクヌギかコナラにくっつけてやる。
これは私じゃなくて、息子の話だ。当時は小5だったかな。夏休みだった。
ある日、家の庭の中にある小道(※田舎だから家が大きい)で、息子が「トカゲ見つけた」と報告してきた。「捕まえたの?」と聞くと、「捕まえてない」と言う。
現場に行ってみると、小道の上でトカゲが2匹、それぞれ離れたところに倒れていた。お腹を上に向けて。瀕死だった。おそらくだが、野猫にやられたのだろう。お腹に爪で引っかかれた跡があった。
息子がそいつらを触ったところ、1匹だけはまだ息があった。残り1匹について、「よい旅を」と私がその場に埋めてやっていると、息子が生き残った方に落ち葉や土を被せてやっていた。どうやら、回復を待つつもりらしい。「これ、おうち」と言っていた。
好きにさせるべきだと思った。息子に対して、「日光に当てないように木陰を作る」「できるだけ触らないように」「1日に1回は霧吹きで水をかけてやるように」「餌はやらなくていい」など最低限の指示をした。
私はトカゲが1日以内に死ぬと思っていた。木の棒で突いても、片方の足が全く動いてなかったし、どう見ても虫の息だったからだ。早い話、移動能力を失っている。
その日から、息子は毎日トカゲのところに足を運んでいたっけ。水やりは欠かさなかったし、日光を浴びて体がのけぞっていたりすると、木陰の位置を調整してやったりする。
3日が経って、私が現場を見に行くと、どうやらまだ生きていた。土くれと落ち葉を払いのけると、少しだけ体が動いた。体にはまだヌメリが残っていた。片足だけを動かして、体をのけ反らせて私から逃れようとしていた。「シャー」みたいな感じで、口を開けてこちらを威嚇している。少し気の毒になって、植物用の霧吹きをしてやったのと、一応、ミルワームを顔の近くに寄せてやったが、無反応だった。やはり餌は不用のようだ。
次の日だったか、息子が飛んできて、「トカゲが動かない」という。現場に行ってみると、そこには……「おうち」から出てきたところで静止しているトカゲの姿があった。口には小さいミミズのようなものが入っていた。目は閉じていた。
「餌をあげてしまったの?」
「うん。お腹すいてると思って」
「そうか。たぶん、びっくりして死んでしまったんだね」
「うん」
「……どう思った?」
「わかんない」
「うん」
そんなやり取りをしたかな。
そのトカゲは、結局何時間たっても動かなかった。生命活動を停止したのだ……。推測だが、ミミズが喉に詰まって息ができなくなったのかもしれない。放っておいても、数日中には死んだだろうが。
息子にとっては、トカゲがかわいかったのだろうと思う。私は、あまりそうは思わないが。大人になると、高速で動くトカゲはちょっと苦手だ。だがまあ、カナヘビはまだかわいいと思える。トカゲと似ているが、比較するとあまり動かないのもある。
先日、県道を車で運転していたところ、路側帯を走っていた自転車が急に停まった。その彼女はアスファルトにゆっくりと降りて、自転車を端に寄せると、足先でなにかを小突いていた。
ちょうど信号待ちになったので、その様子を眺めていると、どうやらそれはひっくり返ったセミのようだった。彼女が小突く度に、「ジジッ」という音でセミは鳴いていた。死んではいないようだ。
その子は、セミに向かって指先を伸ばした。セミは指を樹木だと思ったのか、ホールドした。その子の指に乗ったセミは、一緒に自転車でまっすぐの方向に進んでいった。
次の信号で、彼女に追いついた。自転車を降りて、民家の入り口に生えている樹にセミをくっつけようとしていた。指で押してやると、セミは樹にくっついて、もぞもぞと枝を張っていた。彼女はセミをちょっと撫でたかと思うと、また自転車に乗って県道を走り抜けていった……。
一応、セミもかわいい部類には入るのだろうか。丸っこい見た目だから好きな人もいるかもしれない。当方はどちらともいえないが、今度セミがひっくり返っていたら、死んでいるか小突いて確認してみようか……と思った。新しい世界が開けるかもしれない。
話は長くなったが、結びにしよう。
大昔から、それこそ多くの生き物がいたのだろうが、人間にとってかわいくない種の生き物がどんどん淘汰されていった。それで、今みたいに哺乳類や鳥類は可愛いのばかりが残った。
それは、全然定かではない。でも、かわいい生き物はというと、殺される場面でも殺されないことがあったのではないか。大昔から。よって、醜い種に比べて生き残れる可能性が高かったのではないか。と、先日『利己的な遺伝子』を読み終えたばかりの私は感じた。
あなたはどうだろうか。生き物は、やっぱりカワイイ方が生き残れると思うだろうか。しかるに人間の場合は、かわいげがあって、みんなに好かれる個体ほど早死にする傾向があるように思えるのだが。
無免許医と知りながら医療行為を依頼することは何らかの罪に問われるのだろうか
ブラックジャックに手術を依頼する側の人が何かの罪の問われることはあるのか、という話か
自動車の運転免許の場合は、無免許だと知りながら運転を依頼したら罪になるんだっけな
うーん、ぱっと見る限り見つからないように見えるが……
薬を処方とか手術のために体にメスを入れるとか
とりあえず手術に限って考えるか
「私はあなたにお金を払います。あなたは私を殴ってください。」みたいな状況と解釈することもできるのか?
無免許医と知りながら医療行為を依頼することは犯罪教唆になるのだろうか、ってことか
→この場合は幇助か、元々犯罪の意思が無かった人を唆すのが教唆でもともと犯罪の意思がある人を助けるのが幇助
これは日記です
医師と運転免許に限らず無免許でなんかすると罪になるようなやつの判例を調べれば何か引っかかるかもしれんな
こういう話は専門家に聞くと手っ取り早い
罪になりそうに見えるけどな~
古のコピペにもあるように権利ばかり主張するフェミニストばかりではフェミニズムが普及するはずがない
なぜ日本にはレディファーストが根付かないかについてゼミで討論した事がある。
例によって女子学生たちは日本男性批判と想像上の外国人紳士崇拝の言辞を並べていたが、
30分ほどで教授(女性)が静かに、だが力強い声で言い放った。
「レディーが絶滅しつつある日本ではレディーファーストを普及させようがありません」
教授は海外で教鞭を執っていた時期が長いが、茶道華道ともに師範の免許を持つ人。
その教授曰く「与えられる平等や優遇をあさましく求めるのは日本女性特有の醜態」
自らレディとならずして、レディ扱いを求めるのは常軌を逸していますと。
女子学生達はその後、ひとことも喋りませんでした。
ある研究室が博士課程入学希望者の受け入れに年齢制限をかけていることがX(旧Twitter)上で話題になっている。賛否両論あるが、ここではタイトルの通り「研究室が博士進学希望者と適切にマッチングするにはどうすればよいか」について考察する。
PIになるためには他のPI候補者に勝る業績が必要である(注1)。業績とは、具体的には論文であり、論文の数と質が共に重要で、それらが多く、また高いほど競争で有利になる。
当然のことながら、論文を発表するには研究をする必要があり、研究をするには資源(ヒト・モノ・カネ・情報)が必要である。ひとたび論文を発表できれば、その論文を元本にさらなる研究費を調達でき、研究に必要なヒト・モノを揃えることができる。また他の研究機関との共同研究を通じて情報を得、さらに質の高い研究を行いやすくもなる。すなわち過去の業績は複利的に作用し、今後の業績にも影響を与える。
これは資本主義の挙動に似ており、業績を複利的に増やしたい場合は投資期間を長くできた方が有利である。すなわち、若年のうちからアカデミア業界に身を置いて、早期に論文を発表できたほうがPIになるには有利である。
年齢制限を設ける理由について、その研究室のWebサイト上に詳しく記載されているが、まとめると以下4点に集約される。
1.過去の経験で、高齢の志望者に本気でPIを目指そうとする気概が感じられなかったから
4.最短で博士号を取得できる年齢(27-8才)から遠ざかるほど、今後のPIとしてのキャリア形成に不利だから
1.についてはあくまで経験論であり、一般化には議論の余地がある(注2)。
しかし2-4については第一章で述べたことも含めて、若年の方が有利であることは一般論としてある程度許容できる。こうしたアカデミア業界の背景から、研究室が受け入れ学生の年齢制限を設けることには一定の合理性が認められる。
大企業であれば、仮に採用者が企業側の求める能力とミスマッチしていることが入社後に判明しても、採用者の配置を転換したり、自社の研修プログラムを通じて長期的に教育を施すことはできる。一方で規模の小さい中小企業やベンチャー企業はそうした余力が大企業ほどはない。研究室の所属人数も多くて数十人程度の小規模組織であり、かつ毎年のように研究費の調達や論文発表が求められる。そのため教育やマネジメントにはあまり余力がなく、学生の受け入れに関しては受け入れ時点でいかにミスマッチを防ぐかがポイントとなる。
しかし非研究職の就職をしてから博士課程に進学を志望する者と研究室のマッチングは難しい。彼・彼女らは研究歴がないため、アカデミア業界の文化や、PIになるためのキャリアパスへの知識が乏しい。そのため行き当たりばったりな研究室選択になるリスクが、ストレートに博士課程に進学した者よりも高い(注3)。また研究室側も、研究歴のない候補者の受け入れはそもそもリスクが高いし、候補者は全国各地の、様々なバックグラウンドの人であるため自分の研究室を広告するにもターゲットが絞りにくい。またアカデミア業界内の知人を介した採用も難しい(注4)。そこでマッチングの成功率を上げるためにも、年齢制限を設けることは有効なように思えてしまう。
PIになるには博士号を所持していることがほぼ必須条件であることから、アカデミア業界では博士号を研究者になるための免許ととらえる文脈がある。かつ博士号は基本的に大学院でのみ取得できることから、大学院がPI養成所としての役割を一部担っている構造もある。そうであれば、大学院がPIの素養の高い候補者を選抜することは自然なことのように思われる。
しかしながら、大学院は本来学問を行う場であり、学問は自由に開かれるべきである。仮に若年であることがPIの素養の高さに繋がるとしても、それを理由に年齢制限を設けることには議論の余地がある(注5)。
タイトルに戻る。第一章・第二章では研究室側の都合を、第三章では博士課程進学希望者の置かれている環境と、マッチングすることの難しさを述べた。この現状でマッチングするには、研究室が年齢制限という方法を、Webサイト上で告知せざるを得ないことはある程度理解できる。そこで議論すべき点は第四章で指摘した。
ではどうすればよいのか。残念ながら明確な答えは導出できなかったが、いくつかの考えを列挙する。研究室側はもう少しマイルドな表現を心がける(注6)。候補者の面談から受け入れまでのプロセスを最適化させる(注7)。候補者を研究員として採用し、雇用契約を結んだうえで給与を支払う(注8)。候補者側は、なるべく事前にアカデミア業界に触れておく(注9)。また両者のマッチングを支援する第三者機関の設立も望まれる(注10)。これらの解決策は、少なくとも部分的には、研究室と博士課程進学希望者のマッチングに貢献するかもしれない。
研究室と博士課程進学希望者のミスマッチ問題は根深く、今回インターネットやSNSによって表面化したものと思われる。同様の経験をもつ者としては、この問題の解決を願ってやまない。
(注1)
業績以外にも本人の将来性や同業者からの評判も採用に影響するが、ここでは割愛する。将来性や同業者からの評判についても若年の方が有利であることはほぼ自明である。
(注2)
例えば高齢の方が職歴があるため、「本気で(ここでの本気というのは長時間研究するだけでなく、他のキャリアの選択肢を捨てた状態も指すと思われる)」研究に取り組まず、研究が失敗すれば前職に復帰するという選択を取れることがネガティブな印象を与えている可能性はある。
一方で博士課程にストレートで進学する学生の数は減ってきている。彼・彼女ら若年者は、博士課程進学と、就職を天秤にかけて就職した可能性もあり、必ずしも高齢であることだけが本気でPIを目指さなくなる原因ではない。また、そもそも博士課程はPIを養成することだけが目的なのかについても議論が必要である。
(注3)
Podcast「いんよう!」でも指摘されている通り、医者はそれ以外の理系学生に比べて、研究に関する知識が乏しいまま研究室や研究内容を選ぶ傾向が強い。それ以外の理系学生は、学部の卒業研究や修士を通じて研究業界のノウハウやキャリアパスを学ぶようであるが、医者は卒業研究もなければ修士もないため学ぶ機会に乏しい。
(注4)
例えば同じ大学の学部生や修士であれば、あらかじめ彼・彼女らを卒業研究や修士で受け入れて、研究活動を共に行うことで博士受け入れ前の摺り合わせが可能である。また候補者も卒業研究や修士で活動していれば、自分に合った研究室の情報が周囲から入ってきやすい。医者(あるいは非研究職)として働いている限りは、そうした情報は入ってこない。
またポスドクや助教以上の採用であれば前所属の教授から推薦書や意見をもらえるが、医者(あるいは非研究職)は業界が異なるため前所属からの推薦書や意見は少なくとも同業者のものよりは効用が乏しい。
(注5)
同様の問題は、医学部入試の女性・浪人生差別が記憶に新しい。医学部は医者を養成する場である一方で、医学を修める場でもある。当時は若年男性の方が医者としての素養が高いと考えられていたため、女性や浪人生の点数を不当に下げていた。秘密裡に点数を操作していたことに加え、学問の自由という観点でも批判が集まった。
(注6)
研究者の研究以外の発言が話題になることは、国内外でしばしば観測される。
(注7)
組織における採用については、Podcast「経営中毒~だれにも言えない社長の孤独~」に詳しい。
(注8)
給与を支払う一般企業やポスドク以上の採用においては、採用にあたって年齢制限を設けることは比較的受け入れられている。また大学においても、特殊事例ではあるが防衛医大は大学でありながら学生に給与を支払うシステムであり、応募資格に年齢制限を設けている。
(注9)
医学部には卒業研究がないが、自主的に研究室に通うことは可能である。またいくつかの医学部は学生を研究室に一定期間配属する実習をカリキュラムに組み込んでいる。
(注10)
一般企業であれば転職支援サイトやリクルーターが仲介してくれて、候補者と採用側のミスマッチのリスクを下げることができる。大学院進学において同様のサービスは存在しない。
業務委託の入力業務を四年続け、病んでいた精神もなんとか普通の状態に戻せたので再就職(正社員希望)を決意。
で、転職活動中なんだが、アドビ認定アソシエイト(今はアドビ認定プロフェッショナルというらしい)という未だ役に立つのが不明な国際認定資格しか持っていないことに危機感を抱いている。
世の中にとって本当に必要なのは普通自動車免許、MOSだと思うんだ。自分はそれを持っていない。
illustratorとPhotoshopが使える、使えるが、世間は未経験はいらないんだ。企業は実務経験者のみ、つまりは即戦力が来てほしいからって素人がillustratorとPhotoshopが使えようがいらねえんだよ。普通自動車免許とMOSが必要なんだ。必要だったんだ。つうか金な、資格って金が必要だよな。30万とか、一回1万とか、ゲロ吐く。
illustratorとPhotoshop使えるなら新卒のときに企業潜りこめばよかったんじゃね?とおれのなかの山田(ガヤ)が言っているが、就活時は鬱で無理だったんだよ。就活時に鬱になると本当に詰みます。正しい判断力も気力も体力もないので自分に合っていない会社に内定(説明会のときに内定もらえたからバリバリブラック風味だったんだけど内定欲しかったからどうでもよかった)、研修五日目で辞めた。池袋西口のすごく綺麗になった公園のベンチ(?)に座って泣きながら求人検索した。一か月に今の業務にありつけたけど…。
本当はいろいろと書いていたが自分の身の上話はどうでもいいのでカットする。生きてる。それだけで素晴らしいと思う。そう思わないとやってられない。
で、本題。資格が欲しい。とりあえずすぐ取れそうなMOS。あとITパスポート。普通自動車免許も取りたいよな……取りたいです…。平行して複数のことを行うのがほんと苦手だから転職活動中に自動車免許取れる気配がしねーよ。つうかこわい。MOS試験の予約したいのにこわくて指がそのさきにいけないし、自動車免許もやだやだこわい。なんでみんな普通に運転してんの?ばあちゃんが平気な顔で運転してんだから自分もできる、できる、できる……(必死の自己暗示)