はてなキーワード: 不義理とは
去年の年賀状で「今年で年賀状を最後にします、ご了承ください。」と辞めてすっきりしたのに
今年もチラホラ届くのは何なんだよ…
しつこく送ってくるのは全員子供の写真入りの子持ちなんだよなー
あれもし誤送されたりアホ配送員がまとめて捨てたりして地域の変質者の手に渡ったら怖くない?
個人情報の塊だぞ?カモネギ過ぎて怖いと思うんだけど自分がおかしいのか?
もし自分宛てに来る年賀状がそういう輩に渡って事件起こって関係者になったら耐えられんわ
そういうことに関わりたくないのもあり年賀状やめたのになんで送ってくるんだよ…
どうでもいい人なら「子無しの僻みなので送らないでーw」って面白おかしく言えばいいけど
30を目前にして1人でいることが多くなった。
恋人もいなければ、それほど友達もいない。そればかりか知り合いさえ少ない。
仲の良かった友達とも転職や転勤であまり会うこともなくなった。
会うことが少ないといざ会う理由もなく、なんだか疎遠になってしまった。
働いていると新たな出会いもない。
職場では会話する人もいるが、あまりプライベートな話をするのも面倒ごとが増えるのでしない。
そうなると人として興味を持ちにくく、結果として親しくなることもない。
でもこれらの理由は言い訳で本当の理由じゃないことはわかってる。
ただその程度なのだ。
例えば僕側からしたら、いつも当たり障りのない会話しかしないので相手のことがよくわからないのだ。
話し合う必要もなし、むしろそれで大変になるかもしれないのだ。
すると次第に当たり障りのない会話すら少なくなり、僕の周りには人がいなくなる。
そうするともうダメだ。きっかけも何もないからもう関係が切れてしまう。
逆に相手からはどうだろうか。僕との会話は面白くないのだろう。
当たり障りのない会話を心がけているからか、相手も僕の反応が薄いし、僕から積極的に興味をもって反応することもない。
そんな会話のどこが楽しいのだろうか。
そんなこんなで僕は今、周りから人が離れていき、また近く人もいない。
なんでこんなことになってしまったのだろうか。
僕も人と分かり合ったり何かを一緒に共有したいと思う気持ちはある。
だけど、それは簡単じゃない。
自分から関係を作っていくってことは相手を受け入れて、相手にも受け入れてもらう必要がある。
それができない。
偏屈だからだろう誰かを受け入れられないかもしれない。それが他人だったらまだいいのかもしれない。
でも僕は周りの人にある程度の好意はあるからそんなに不義理な態度は取れない。
そんなこんなで今の状況がある。
今までは数少ない同級生やらがいて、たまたま仲良くなっただけだったのかもしれない。
でもこの先はなさそうだ。
だとすると僕はこのまま1人で生きていくのだろう。
なんだかひどく寂しい。
1人でやっていくことを覚えよう。
#無かった、というかやたらと延焼していなかったというか、、
最近の性差における問題が建設的でない盛り上がり方をしていて、
理性的とは言えない人間の声のほうが大きく、悪循環に陥っているように思える
問題に対して過去から真摯に取り組んできた人に対して不義理となってしまうのではないか
こういった問題に限らず騒動は論点のズレや複雑化から時間経過により落ち着いて、
冷静な議論と検証により改善に一歩近づいていくと希望しているが、
今回の件については良くない延焼に繋がっている事例が多く見られる様にも思う
非建設的、未検証で感情的なぶつかり合いは見るに堪えないと思っていたが、
思い出してみるとこれは旭日旗の問題とも類似性があるのではないかと考えた
とある時点までは特に言及されず、その事柄に関わらる人たちもメリットを受け止めており、
デメリットを受けていた人はそれをうまく回避していたのではないだろうか
#勿論被害者側の泣き寝入りによって逃げられない悪辣な環境に閉じ込められ今か今かと死を覚悟していたのでは
大問題ではあるが、ポスターの表現程度であれば目を逸らせば事足りるはずだ。
紙切れは性犯罪を実行しないし、包丁自体は殺人を実行しない。逮捕するのは紙でも包丁でも無く犯人である。
類似したフラストレーションを持つ周囲によって無秩序な延焼を引き起こし、改善から著しく遠ざかってしまう。
こうなると油田火災などで使われる爆風消火といった極端な方法しかないのかもしれないが、、
本来であれば発生しなかったはずの争いによって、
疲れる必要のない人が疲れたり、傷つく必要のない人が傷ついたり、
そういった状況が起きているとすれば、それはとても悲しい事だと思う
道徳とかで取り扱う平和とかの定義を見直したほうがいいんじゃないかと思う
みんなただしい考えを持ちましょう。悪いことはすべて無くしましょう。
自分は絵描きで、自分も同人依頼で絵描いてるけど、この人の言ってることはよくわかる。
自分は同人では(あきらかに商業臭いの以外は)金はもらわない主義なので金どうこうはともかく、どうしたって思い入れでムラがでる。
有名どころや相当好きな人から来た依頼と、いい方はすごく残酷でいいたくないけどフォロワー100人とか50部もでないだろう
サークルへの絵に対して同じテンションで描いてるかと言えば…というのは、自分でも嫌だなと思うけど、差がある。
なるべくそうはありたくないとは思ってるけど、後ろめたくもそれがないとは言えないので、この増田は心にきた。
この人、お金払ってるのかとか、お前が悪いとか言ってる意見みかけるけど、そういうことじゃないだろう。
好きでやってることだけど、どうしたって「値踏み」は発生する
それはつらいし、みたくないっていう気持ちは痛いほどわかる
この増田は不義理なことを言ってるとは思わないし、この人を悪者扱いするのは絵描き側を被害者扱いしてるみたいで
俺はいやだな
大学教員になって十数週間、大学で授業することにも慣れてきたと思っていた。欠席しがちな学生を会議で報告するんだけれど、なんか自分の授業はやたら欠席が多い。明らかに学期初めの新鮮な気持ちは消え失せ無気力な90分だけが広がっている。
自分の中では、では欠席者など放っておきたいし、どうぞお互い自由にしようやという気持ちがある。一方で、あまりに落第者が多いと教員のほうに無能の烙印を押されかねないので怖い。教員は単位という絶対的な権力を持っているように思われがちだ。しかし、いまどき学生が事務に訴え出たら担当教員はただじゃすまないと思うし、学生にそっぽを向かれては研究室運営も上がったりだ。じつのところ、学生は懐に見えない刃を隠しているのだ。
何が悪いのか、まあたぶん授業がつまらないから出席しないんだろうな。だけど、どうしたらいいのか。数式が多いのかな?でも、理系なら数式なしで説明するのは不義理な気がする。どうしたらいいですか、と率直に聞いてみたい気もするけれど教室という権力勾配の支配する空間で忖度ない意見が得られるとは思えない。学生が関心を示さない授業をしている自分を、許してあげられるようにもなりたいがとにかく学生にそっぽを向かれるという未来が怖い。いまはギリギリ臨界点だが、何かの拍子に授業が崩壊したらこっちの精神が持たない。
他の授業と比べて目立って意欲が低いのかもしれないと恐怖を感じている。自分が担当しているこんなにも素晴らしい学問のすばらしさを伝えられないというのは辛いものだ。
自分が学生だったころ、大学教官の半分はえらく攻撃的で独善的だった。残りの半分は独善的で自分だけの世界に生きていた。大学で授業をしてみるとそのどちらもとてもリスキーなことをしているとわかる。いったい彼らは何を考えていたんだろうか。
さて、6月に入り、今回の恒常SSRにて若林智香が追加されたことで、190人から居るアイドルのうち、まだSSRになってない
一時期、運営がボイス未実装のSSRを出すのを渋ってた時期があったことを考えたら「やっとここまで来たか」といった
感慨深さすら少しは感じている(唯一の不満は、うちの担当が未だにSSRになってないことくらいか)
さて、ここからは、キャラバンと今後のデレステにおける、自分からの要望とほんの少しだけの苦言
さて、今回のキャラバンは、昭和を感じさせるアイドル長富蓮実と、芸歴11年の子役出身岡崎泰葉という、デレマスの中でも特に
通好みが選ぶアイドルの組み合わせなのだが、今回はこのうちの一人岡崎泰葉の扱いについて私が思ったことを書こうと思う
岡崎泰葉がデレステ初のSR4枚目となるキャラバンのイベントが追加されたことで、一部の担当の中に
「なんでSSRがないのか」ということで物議をかもし始めてる。(勿論、ほとんどの担当Pが腑に落ちないながらも
確かに、私も少しこれは疑問に思った。泰葉といえば、GBNSの中枢の担う位置に居るアイドルで、なおかつ、去年の10月に
モバで行われた蒸機公演の主演という大役を担っており、今SSRになってないアイドルの中でも間違いなく上10番以内には
入るくらいの人気であることは間違いないからだ(これは、去年の後半にCoのボイス未実装のアイドルのSSR更新を運営が
怠ったことも原因にあるのだが)
しかも、キャラバンの場合、SRながら上位は描きおろしという救済措置があるのに対し、下位はモバマスのSRカードの
使いまわしであるため、これも、納得が行かない理由としては大きいように思う
自分は和久井留美の担当で去年の10月の頭に、デレステ:担当がSSRにならない悲しさと今後の総選挙の提案についてという形で書かせてもらったのだが
この時にも似たようなことを書いた通り、SRがこのタイミングで来たということは、年内のSSR実装はほぼ絶望的であり、
蒸機公演やGBNSの躍進で楽しみにしていた、泰葉Pが残念な思いをしているのは、この時の自分たちと重なって見えるように思えて
共感を覚えずには居られなかった
ボイス未実装のSSR更新といえば、ここ数ヶ月のラインナップからもう一つ疑問に思ったことがあって、それは、第7回総選挙までの
時点で全員全圏外だったアイドルの中から、「明らかに一見さんに受けそうなタイプのアイドルばかり選んでいる」ということである
反対に、今回の長富蓮実や岡崎泰葉のように、ぱっと見地味に見えて、実はかなり味わい深いアイドルや、仙崎恵磨や奥山沙織のような
他の作品にないタイプのアイドルなんかは明確に後回しにされてるように思えてならない(その意味では20代後半のうちの担当も
敬遠される理由にはなると思う。需要に対して既に実装組で供給過多に陥ってるので)
本来ならその売り出し方は、マーケティング的には間違ってないのだろうが、このコンテンツの場合、総選挙で事実上、
前金みたいな感じで課金させておいて、建前上とはいえ「登場するアイドルは対等」と謳ってる作品で尚且つ、
人気も同じくらいのアイドルをそういった形で峻別するのは少し、不義理さを感じずにいられない(ついでにいうなら
実装されたのが総選挙の結果前で、実質課金ゼロの新アイドル4人が追加されてることも踏まえれば猶更である)
ただ、SSRを実装する順番については、残り三分の一を切ったことを踏まえて、今日一日、改めて考えを整理したうえで
ここまで来て、もし「全員実装される」ことを前提としたときに、そういったせこい考え方は持たないほうがいいんじゃないかという
考えに辿り着いた
なぜなら、仮にデレステ運営が全員分SSRを用意する気があったとして、最短(月三回ペース)で更新されたとしても
残り66人居るSSRが全員分実装されるのは、あと二年近く先になってしまわざるをえないということである
(実際には、枠の都合でボイス実装アイドルの二周目もある程度追加せざるをえないため、均して月二回ペースが
やっとではあると思うが)
そうなると、最後に追加されるアイドルは2021年の10周年の時までに間に合うか間に合わないかくらいのところまで
待つことを余儀なくされることになる
それでも、今SSRが実装されずにいる担当P達が「やっぱり、どうしても担当のSSRが欲しい」「他の同条件のアイドルが持ってるのに
自分の担当だけSSRが用意されなければ納得行かない」というのなら、運営に要望を出したり、同担を中心に呼びかけることも
大事だとは思うが、それと同時に「少なくともあと二年は腐らず待つ」くらいの覚悟は同時に必要なように思う
確かに、二年先なんて誰も待ちたくはない。同担だって離れてくかもしれないし、自分だってその時どうなってるか解らない
ただ最初は、月5人だったことを考えるなら、月7~8人のSSR更新している今のペースがおそらく運営側の限界だろうと思うし、
それ以上の更新を望んだところで、コピペ衣装か、あるいはファッションカタログからそのまま引っ張ってきたような衣装を
あてがわれるだけで、おそらく、声がつかないかぎり一回しかないであろう担当のチャンスを誰もそんなことに使いたくないはずである。
もちろんこれは、うちの担当である和久井留美も同様の立場であることに変わりはないし、キャラバン上位、限定SRときて次もまた
でも、「全員実装されるまでに2年、今実装されてないアイドルのうち、少なくとも半数は1年以上待たされる」という
避けようのない現実を考えた時、自分の担当アイドルのSSRを運営に要望するのはいいが、どんな理由があれ、実装される
アイドルの順番に対してケチを付けたり、次に用意されたのがSSRでなかった時に、過剰に文句を言うといった行為は、
単純に自分勝手なだけでなく、「他の担当に、自分にとって嫌な役回りを押し付けようとする」ことでコンテンツ自体の衰退を招き、
私自身、これまで「担当のSSR実装にあまりに強くこだわりすぎてた」が故に、その辺は反省し心を入れ替える必要はあると思ってる
(もちろん、「担当のSSRを望む気持ち」は今でも変わらないが、「執着」はしないようにしようと思う)
その上で、今現在、SSRが実装されてない担当Pと協力したうえで、「SRが来たことで損をしたと思えないような方法」や
「長い間SSRが無くても冷遇と思えない方法」というのを考えていこうと思ってる(今現在、その救済措置として、代表的なのが
スシローだと思ってる)
そして、これからも、デレマスを続けるとして、この先もし仮に自分の担当にSSRが来たとしても、「自分の担当が190番目だった」
時のことを考えて、他の担当のSSRを出すようにも力を尽くしてこうと思ってる
以上のことを踏まえたうえで、週末に、考えを整理したうえで、改めて運営に要望を出そうと思ってる
それは「和久井留美のSSRを可能な限り早めに出してほしい」というものだが、それと同時に
1.キャラバン下位のアイドルにも片面だけでいいから、描き下ろしイラストを与えてほしい
2."SSR"のアイドルだけでなく"SR"が追加されたアイドルにも少しだけでいいからデレ劇わいどに出してほしい
3.これ以降、追加される未実装のSSRには「オルラン」や「コンセ」ではなく、それよりは実用的な技を追加してほしい
(これまで追加されたアイドルのPから「不平等」と思われるかもしれないが、「残り物には福がある」という考え方が
できるようになれば、最後の方で追加を待たされるアイドルも、相応に納得できるので。その意味で、今回智香に新特技を
与えたのは、大英断だったと思う)
ここまでやると絵師さんが少し大変になるかもしれないが、「SSRの更新をあと月1回増やせ」よりはまだ可能だと思うので
ともあれ、今回の更新で、改めて「自分の事だけ考えてたらやっていけない」ということを再認識させられた
とりあえず、キャラバンは久しぶりに走れるだけ走ろうと思う
常駐開発でそろそろ1年。プロジェクトと自分の利益向上を考える。
お客さんは安く短期で、うちは少しでも単価上げてなるべく長期で。
この状況で、自分の単価を上げるとしたら技術では弱い。取り立てて新しいことをするわけではないから。
だがしかし大型案件もそろそろ収束に向かいメンバー数の減る中で、リーダー役というのは需要がない。
運用フェーズに向けて顧客や海外の開発チームとの連携を想定し、英語力をアピールするのは悪くないかもしれない。他社のマネジメントメンバーがやってる英語コミュニケーション部分を引き取る。
問題は自分の英語力はさほどないということだ。全く読めないわけではないし、システム周りのことだから言わんとしてることもぼんやり分かる。が、確実に理解できるかというとそうではない。
というレベルなので難しいところは請負元や顧客に頼むという形を取らざるを得ない。となると単価を上げろというには厳しい。
というか既に英文でのドキュメント作成を仕事に求められている状況。テスト仕様書や簡単なマニュアル等。なので英語スキル必要な連絡周りをやるから増額して、は通らない。
そもそも顧客とのコミュニケーション部分は元請けが握っている部分であり、顔としての役割もあり、そういったスキルをこなす人材が欲しい ということになれば、うちのような下請けに出す前にまず自社の新人を使う方向に行くだろう。うちよりはるかに学歴高く優秀な新入社員が揃っている。下請けにそういった仕事をさせる時は自社内で調達できなかった場合に限られる。そう考えるとうちの会社の社員の英語力を上げて雇用を増やそうというのはかなり遠回りだ。
もちろん、英語が必要な現場というのは多く、増える傾向にもあるだろうので、勉強しておくのは個人としては良いことだ。が、この現場のこのチームの採算改善となると、なんとも言えない。
では他の手は。
一番良いのは、元請けが顧客から新しい仕事をもらえた時に、うちの会社で大人数で受ける ということだ。
今回のプロジェクトでは競合他社との合同作業だったが、今後の運用についてうちをメインとして任せる との言葉をもらっているとのことだ。たしかに競合他社は傍目にトラブルが多かったように見えており、比較しての好評価なのだろう。
が、しかし、あるかも分からない次の案件を想定してもなんともならない。できることは今の好評価に甘えず、変わらない確かな作業品質を維持することくらいだ。
そもそも雇用期間や単価についてはこちらで最初に提示した額から上げるのは難しい。となると高い案件の現場に人を移動させる、安い現場は早々に切り上げる ことで採算を上げるという方法も。が、単価面でいうとこの現場は社内プロジェクトとしては中間程度であり、引き上げるほどに低いわけではない。迂闊に人を抜いて反感買うわけにもいかない。
とはいえ同じ元請けの別の現場は単価が1人当たり10万違う。向こうが旨いのは間違いなく、また、同じ元請けということでそこまで不義理にもならないのではとは思う。使う場合は選ぶが、無い手ではないと思う。
長期雇用、単価アップ というのは相手あってのことなので、こちらに予算を達成したい・採算を上げたいとの思いがあっても それをダイレクトに変更させる手段はないと思っている。
昔、誰かが言っていた、損をするかもしれないけど逆らえない流れがある時、むしろ進んでその流れに乗ってしまうのが良い。そのことが結局 自分を助ける、と。DVD等のメディアの販売業の人だったか。その後、その経営者がどうなったかは分からないが。この考えには当時 強い印象を受けたし、本質だと思っている。
話が逸れたが、要は顧客が単価にそれ以上出せない という状況があるところに、単価交渉しても無駄だし、この期間・この役割でと意図してアサインしてる状況で、期間を延ばす・役割を変えるという交渉を試みても波に逆らうようなもので、利益は少ないと思うのだ。
次の案件も新しい役割も期間の延長も、今の日常の努力の延長上にしかない。単価アップも雇用期間延長も増員も結果なのだ、目標ではない。(営業職ならまた少し違うだろうが。)
だったらどうするか。
逆説的かもしれないが、地道なスキルアップしかないのだと思う。個人とチーム、会社組織全体としての。
現状は少なくともプロジェクト期間内の要員参画は継続されるし、計画から要員の不足があった場合にもうちに話は来ている。実際、過去に契約終了となったメンバーが追加作業のために再参画している。もちろん他社にも話は行っているだろうし、そのメンバーの空き状況・タイミングもあったのだろうが、増員の機会は十分に得られている。
単価についてはよほどのことがないと上げづらい。
となると改善として現行のプロジェクトでできるのは、取りこぼしの部分を拾うくらいだ。しかし、わずかながらにこぼしている部分もなくはないはずだ。
勤めていたお店を辞めてきた。あーせーせーした。
ユニフォームを返しに行ったら、オーナーとオーナーの奥様と鉢合わせしたが、私が辞める事を知らないみたいだった。
辞めるまでの1ヶ月、ずっと辞める事を口止めされていたんだけど、まだ口止め中なのだろうか。
店長にユニフォームを返したが目を合わせないどころか顔も上げないので、イケメン正社員氏にだけ挨拶したようなもんである。
たった1ヶ月ちょっとでばたばたと従業員が辞めてったので、私まで辞めるとなったら店長がオーナー夫妻から怒られるのか、それとも辞める私にオーナー夫妻が何か要らんこと言うのをおそれたのか、両方なのかどちらでもないのか、それは知らないけど。
私としては、義理で縛るんならそれはお互い様なので、こっちも不義理をされたと思ったらサクッと辞める。それだけのこと。
相棒は私が辞めてせいせいしてるんじゃないかな。私が居なくなればシフト自由に有利な時間に入れるもんね。
私みたいな「仕事の出来ない」「頭ばっかり固い」女、いなくなってせいせいだよね。今後、私に任せきりだったトイレ掃除、誰がするのか知らないけど。
ところで、私の辞めたい理由の3割を占めていた新人ちゃんが、私が辞意を店長に伝えてすぐくらいに急に出勤して来なくなってそのまま辞めていた。
相棒も新人ちゃんも、自分で稼ぎたいといって無謀な長時間シフトを組んで貰っといて不平を言い、よく私に八つ当たりしていた。
知らないうちに八つ当たり人が一人消えていたわけだが、もしも私が辞める前に新人ちゃんが飛んでいたら、私は辞めたいのを我慢して、勤め続けただろうか?と何度も考えた。でも、それはない、と思った。
きっと、辞めづらくてしばらくズルズルすることになっただろうけど辞めたい気持ちは変わらなかっただろうし、辞めないのは私にとって良くない事だ。このまま勤めてたらいよいよ自分はダメ人間になりそうと思ったのだから。
結局、相棒とか新人ちゃんとかみたいな仕事する気はないのにお金はいっぱい欲しくて、やる気を出すのは仕事仲間を威圧するときだけ、という人をわかってて放置しとくような職場なのである。
そんなとこにいつまでもいたって、仕事の出来ないダメ人間のレッテルを貼られたまま、ずーっとお尻を叩かれながらみじめに頭を下げ続けていなければならない。みじめが自分全体を侵食する前に、とっとと去るべきなのだ。
オーナーが私に、真面目に働く姿を見せてお手本になれと言った事があった。でも、そんなの誰も見ちゃいないのだ。
コンビニのバイトは皆平等ではなくて、長時間シフトに入っている人が強い。覚えるべき仕事量が自然多くなるし、本人もプライドが高くなる。自分が主のように振る舞うようになる。
そういう、長時間仕事する人達が本当に働き者で、人に教えられるほどに仕事をよく知っていて、やる気もあればいいんだけど、そうとも限らないわけで。沢山稼げればそれだけでいい人もいるわけだ。コンビニバイトはボーッと立っているだけでも時給は貰えるんだから。
週に3日勤務で週に12時間しか働かない私はどんなに頑張っても打ち負かされる。お手本になるどころじゃないし、私みたいな奴がやっている糞作業だからと、相棒や新人ちゃんはバカにしてやらなかったりするので、却って私が頑張るとマイナスなのである。
私にはどうにも出来ない問題だ。誰が仕事をして誰は仕事をしないのか、なんていうのを見極めるのは店長やオーナーの仕事であって、店長やオーナーにそれをサボられたら一アルバイトにはどうすることも出来ない。私は悪くない。
だから辞める。
で、今夜はさっそく、新しい仕事先で働く。またコンビニだけど、家から近いし、違算の弁償もなければ季節商品の営業競争もない。時給は前の職場と同じで、仕事力に応じて昇給がある。
今度はどうなることかわからないけど、就業前に唱和をして相棒から真面目にやるなと怒られたりはしないらしいので、マシかもしれない。
生まれたくなかった。毎日生まれたくなかったことで頭がいっぱいだ。
私が生まれたのは1990年代後半のいわゆる就職氷河期時代だ。就職氷河期世代といえば今はアラフォー世代ということになるが、この時期に20代前半だった世代は時代の波に煽られ新卒就活に失敗し、20年経った今でもまともな雇用にありつけず不安定な生活を強いられている層が他と比べて多数存在するのは周知の事実だろう。そんな閉塞感いっぱいの時代に、何をトチ狂ったか私は誕生させられてしまった。
幸いにも今は売り手市場であり、就職氷河期などと揶揄されることはなくなった。こと新卒就職については生まれた頃より何倍もマシになっているに違いない。しかしそれはあくまで結果論である。もし状況が改善せず、景気状況が芳しくなかったがために今のアラフォー世代のような辛く苦しい就職を経験し、結果として職にあぶれ不安定な生活を甘受しなければならなくなったとしたら、一体どう責任を取るつもりだったのだろうか。「仕方ない」「運が悪かった」で済まされるべきことだろうか。
問題は景気状況だけではない。顔や性格、ある一定の能力のような個人に備わった属性的なものから、親や実家の太さ、周りの人間などの環境的要因まで本当に様々な要因で不幸な人生を歩まざるを得なくなる可能性がある。もちろん中にはそういった不利な要素を克服し、幸福な人生を切り開けた人だっているだろう。しかし、それはたまたまその人に能力や努力する力、環境などが存在しただけであり、克服できなかった人が甘えているなどと批判されるべき理由にはならない。克服するだけの力を持ち合わせなかったのもまた、本当に偶然に過ぎないからだ。
しかしこと生命の誕生に関して偶然はない。予期せぬ妊娠などの偶然はあり得るが、出産までの過程に必ず「産む」という意思決定が介在するからだ。上記で挙げたような偶然の事象により辛く苦しい人生を歩むことを強いられるかもしれないにもかかわらず、出産の意思決定においてそれらが十分に検討されているとはとても思えない。不登校からの引きこもり、ニートになってしまった子供を「お荷物、迷惑だ」などと言ってはばからないテレビの中高年ニート特集の取材に答える親、いわゆる「陰キャ」であるがゆえに健全な人間関係の形成の失敗およびそこに端を発する人格形成の歪みが生じたオタクになってしまった子供を「気持ち悪い」などと表現し友達と笑い合っている親などなど、子供がそうなってしまったことについて少しも悪びれない親たちを挙げれば枚挙に遑がない。その人たちの不幸は本当に偶然やってきたものだし、そもそも生まれなければその人たちだってそんな不本意な人生など歩まなくて済んだのに。
「育ててもらったくせに何様のつもりか」と言う人がいる。何か頼んだ上での不義理であれば「〜してもらったくせに」と表現するのは正しい。でも人生は違う。よく言われることだが、誰も産んでほしいなんて頼んでない。はじめから生まれなければこんなことにはならなかった。いくつもの不利な要素を偶然にも背負い突如として人生ゲームに参加させられた上、結果としてプレイングが下手くそだと出資者に偉そうな顔をされるとは何事か。出資者たるもの、リスクは当然織り込み済みではないのか。「勝手に産んだくせに欠陥品が出てくると文句をつけるとは何様のつもりか」
注意:こういうことを書くと、必ず「自分勝手なわがまま」などと偶然にも幸福な人生を歩めた人々からのありがたいご指摘が飛んでくるが、上記文章の意味を何一つ理解していないので出直していただきたい。また、幸福な人生を歩んでほしいから産むんだ、といった主張も考えられるが、ここではそれに失敗した場合どう責任を取るのかという話をしていることに留意されたい。
例年この時期になるといろんなところで人事異動が公になり、勤め先の歓送迎会や得意先または取引先で関係のあった人の送別会が至るところで企画される。
私にもぼちぼちこの手の誘いが入り始めているのだが、自分の勤務先のは付き合いでも明瞭に誘われるのだが、社外の人の飲み会となると微妙な扱いをされる。
私はどうも飲み会に誘いづらい雰囲気を全身から出しているようなのだ。
大抵なんとなく不安げな声色で、「予定があるなら別に無理に来てくださらなくてもいいんですが、どうですか?」というような誘われ方をする。
おそらくはこの前段で、「この人、ずっと関わりがあるけど、仕事以外の話題で話したことなんてほとんどない。そもそも飲み会とか嫌いそう。しかし声かけないのも悪いボジションだしな」という葛藤があって、恐る恐る声をかけに来るのだと思う。
会社の内外によらず、他人と打ち解けず、それなりに愛想よくしているつもりだが、たまに笑顔で話していても相手が真顔になっていることがある。
では片っ端から断ればいいと言われそうだが、あんまり不義理は出来ないし、お世話になった人の送別会なら出席してお礼を伝えたいとも思う。
だから本当に予定が入っていなければ、行くようにしている。
出席したらしたで、楽しい話なんて自分からはできないし、大抵「止めときゃよかった」と思いながら帰途につく。
それでも年の功で無難に宴席を過ごす術は身につけた。
私が今もってどうしてもやりきれないのは、この誘われるときの腫れ物に触れるかのような扱いなのだと今日悟った。
そんな厄介な扱いをされるのが悲しいのだ。
しかし悲しい。
中年になってこんなことを願うようになるとは思わなかった。
キャサリンフルボディ。
購入してプレイしたことを証明したくてamazonのレビューに投稿したらamazonのレギュレーションに反するとかで掲出されなかった。
日曜日に6時間もかけてせっせと書いたのにのらなくて超ショック。
まあ、性器だの肛門だのセックスだの書いたからか。それともジェンダー書き込みはamazonさんNGなの?
どちらにせよ、書いたのが無駄になるのが嫌なのではてなさん初投稿。
誰か読んでくれることを祈る。
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エンディングまでのネタバレまで書いているので、ネタバレが嫌な人は読まないでください。
セクシャリティに関して語りますので、性的な用語も書き込むと思いますので、その点もお許しください。
以下の感想は私の主観に基づくもので、全ての同性愛者やトランスジェンダーの方がこのゲームに対してそう思うというものではありません。
ですが、プレイした結果、私はこのゲームのシナリオはとても差別的だと思ったし、私(とプレイを傍らで見ていたパートナー)はアトラスのゲームが大好きな者として、とても悲しく思いました。
レビューでは主にどこが差別的だと感じたかに関して書きますので、シナリオへのレビューが主になります。パズルゲームとしてのレビューをご覧になりたい方は他の方のレビューをご参照ください。ちなみに本編パズルよりラプンツェルのほうが私は好きです。
リンとの恋愛を成就するルートでクリアしました。(初回は恋人ルートだったので、たぶん、リンルートかと思います)
最後まで一緒に見ていたパートナーはとても悲しい思いをしました。主にどこに感じたかというと、リンは同性愛者として描かれていますが、その描かれ方にとても差別的なもの、同性愛者へのステレオタイプな偏見を感じたからです。
詳細を書いていきます。ここからネタバレが沢山書いてあります。
リンは記憶喪失でヴィンセントと出会い、寄る辺がなくヴィンセントに世話になり、親しくなっていき、惹かれあっていきます。
リンは自分のことをワタシと呼称していて、どうやら記憶喪失ではあるものの、自分のセクシャリティに関しては自覚があったようです。なので、自分が同性愛者というか、ワタシというからには自分がトランスジェンダーと認識していたのでしょう。
その上で、ゲーム中盤でリンは男性器がついていることをヴィンセントに目撃されます。
コミカルな描写の上で、リンを拒絶し、リンを押して転倒させてしまう、というシーンがあります。全編コミカルな映画ならまだしも、真面目なトーンのキャサリンのようなドラマなら、欧米ではこんなシーンはもう流せないですよね。日本は遅れてるな、こんなシーンがあるなんて、と思いました(同性愛者は自分のセクシャリティを隠して異性愛者に近づくものだという偏見ですよね。そんな同性愛者は今時いないと思うんだけど)。強い違和感がありました。
ゲームを徐々にすすめるにつれて、これは製作者の偏見で、つまり差別なんじゃないか、と少なくとも私たちカップルはこのシナリオがとても差別的だと思いました。感じたことを書いていきます。まとめる能力がないので、ちょっと支離滅裂かもしれません。その点はお許しください。
リンはその後、ヴィンセントの前から姿を消すのですが、その後電話で「私、受け入れられてると勘違いしちゃってました。ごめんなさい」とヴィンセントに言います。このセリフにすごく違和感を感じました。
エロ目の携帯写真を送ったりして気を引き、明らかな恋愛の眼差しを向けていたにも関わらず、リンはヴィンセントに自分のセクシャリティを語りませんでした。何故だろう。普通、言うよね?なんで言わないの?と疑問に思いました。恋愛なんですから。ヴィンセントが同性愛かどうかなんてわからないんだから。意思の疎通を図ると思うんです。意思疎通しないで恋愛しないでしょ?自分が恋愛対処か相手に確認とるでしょ?リンのしたことはヴィンセントへの不義理であり確かに謝罪するべきかもしれません。けど、そもそもになんで謝罪するようなことになってしまったんでしょう?なんで、自分のセクシャリティを言わなかったんでしょう?
違和感はまだあります。「(男性であることを)受け入れる」っていう言葉が私にはわかりませんでした。私はパートナーに人間としては受け入れてもらってますが、恋愛としては受け入れる入れないではなくて、私とパートナーにとって同性を好きなことは当たり前のことで受け入れる入れないということではないのです。だって両方とも同性が好きなんですから。
そういった、リンのセクシャリティはなんなのか?意思のようなものはなんなのか?が物語ではこの時点では明かされなく、そして最後まで明かされないというか、存在しないように思います。
なので、このあたりから先ほど書いた「同性愛者は自分のセクシャリティを黙っていて、異性愛者を騙して寄ってくる」という作り手側の偏見からも、このゲームでは偏見によって物語がつくられているのではないか?と感じはじめました。
ヴィンセントはその後、リンを選ぶべきだと仲間から促される形でリンを選びますが、その選ぶ理由がとても希薄です。ヴィンセントはダメな自分をリンは受け入れてくれた、と言いますがその程度で異性愛者であった彼がリンとの恋愛を選ぶことはとても抵抗があります。ヴィンセントはバイセクシャルでだったということでしょうか?多くの同性愛者は異性愛者が恋愛をするように自然に同性を愛していると思います。
あと、全編にわたってエロというか性愛が凄く大切かのようにゲームで表現されていますので、ヴィンセントはリンと付き合うということは、リンとセックスをするということかと思います。が、セックスのシーンはリンに限ってのみないように思えました(他のルートであったらごめんなさい)。ヴィンセントのセクシャリティを確認し、リンのセクシャリティを確認し、どうお互いがセックスするのかということがリンのルートにはありません。男性同士のセックスにも多様性があると思うので一概には言えませんが、通常は肛門による性器の接触かと思いますが、ヴィンセントはリンとの行為ができるということなのでしょうか?リンに限っては出来る、ということでしょうか?リンが口内による行為を求めたらヴィンセントはできるということでしょうか?セクシャリティとかセックスってそういうお互いのしたいことの調整だと思うんですが、この流れの恋愛の上でそれがヴィンセントにできるとは思えませんでした。
セックスを題材にしているゲームなのに、リンだけセックスがぽっかりと抜け落ちていて、それが凄く凄く違和感があり、偏見というか、差別を感じました。恋人に関しては初夜のシーンすらあるのに。
描写したり言ったりしたら世の中の多くの人は引くんじゃないか、とか、そういう同性愛の性を描くことがグロテクスと感じているかのような、そんな空気をこのゲームからは強く感じます。リンのセクシャリティを軽んじている感じをとても受けます。そういったことを異性愛と同列に扱えないならばこのゲームのテーマと反するので軽々しく同性愛を扱わないで欲しかったです。
ここから先は同性愛者としての感想というよりは、個人的なことがらなのですが、その後、リンは様々あって人間ではないということが判明します。それが判明したときの私のパートナーは絶叫して泣き出しました。パートナーは親兄弟に同性愛を理解されず、化け物、人間じゃない、宇宙人だ、などと散々と言われてきて、ようやく都会に出てきて自分と同じ同性愛のコミュニティに入り、平穏を取り戻しました。そんな彼女が、このゲームの終盤にリンが宇宙人であることを知ったときの悲しみはとても深かったと思います。大好きなゲーム会社のゲームからすら、同性愛者は人間扱いされないのか、と、泣きました。
そのほかにも、記憶がもどったら一人称がボクになったり、宇宙人のお兄さんたちと再会したさいに、女装をしている理由もお兄さんたちが好きな格好をさせていた、という理由で、それもリンのセクシャリティのなさを感じ、強い違和感を覚えました。
あと、お兄さん宇宙人の容姿がお尻のカタチなのも同性愛をテーマにしているリンルートにおいて悪趣味だなと思いました。
映画の「モールス」のように恋愛対象が性別を超えた性器の存在しない者で、それとの恋愛ということであれば納得できたのですが、そこにセクシャリティが絡むと、全てがチグハグになり、製作者の偏見が全面に感じられて極めて不快に感じられました。
アトラスのゲームはPSPのペルソナ3とvitaのペルソナ4、真女神転生4とファイナルをプレイしたことがあります。ペルソナ3と4は特に、社会に馴染めない悩みを抱えた若者たちにより添い、共に歩んでいく弱い人間によりそうような優しさがあり、とても好きでした。こんな感情をゲームから得られるなんて思っていなかったので、本当にアトラスという会社はすごいゲームを作る会社だと、大好きになりました。プレイステーションの3も4も持っていないため、ペルソナ5はプレイできていませんが、アニメは見ていて、同じような優しさを感じるので、やっぱり好きなだなぁと思い、vitaでこのゲームが出たので買いました。ですが、このゲームにはそういった優しさは一切感じません。同性愛者をただゲームのネタのセンセーションな一部として扱っているような感じと、製作者の偏見が全面に出ていて凄く残念です。
リンのみならず、ゲームの本筋ではないですが、エリカとトビーの関係でのエリカの扱いがトランスジェンダーへの偏見というか不理解を助長する扱いをされていると同様に感じました。
とくにトビーがエリカとのはじめてのベッドインをバーで報告するシーンのセリフで、「経験がないからわからないけど、なんか入れた時に違和感あったんだよね」というようなセリフがありましたが、ゲームを終えて考えてみるとエリカはトランスジェンダーとして劇中では扱われているので、まるでトランプ大統領が話すような最低なトランスジェンダーへの差別ギャグのようだったんだと気づき極めて不快でした。
私の疑問はエリカがトランスジェンダーで性転換を行なっていたとしたら、性転換後の女性器であることを言うでしょうし(セックスに潤滑オイルのようなものが必要なはずなので)また、アナルセックスをするならば男性器はまだついているということでしょうから、ベッドインした段階で気づくでしょうし、性器がついていることが不快で除去したとしても、はじめてのセックスといえど女性器と肛門を間違えるとかありえないし、エリカが男性器がついているなら、豊乳手術をうけて胸を作っているのはどうしてなのかとか、よくわかりません。エリカという人のセクシャリティが極めて不明瞭でかつ、エリカもまた自分のセクシャリティを恋愛相手に共有していないことに強い違和感を覚えますし、エリカへの扱いはこれ以外にも一つ一つが彼女の存在を軽んじていて、オヤジギャグのネタのために存在させているような偏見と不快感を感じました。
私自身はLGBTの権利を声高に主張するようなことはしたことはありません。(そもそもに私はLGBTというくくりも好きじゃないです。)が、同性愛者としてまた一個人として、お金を出して買ってプレイしてとても不快な思いをしたので、その不快を書き込む権利はあるはずだと思って書いていたら長文になってしまいました。読んでいただきありがとうございます。
亡くなったくらいの頃にちょうどそのひとのブログを読み返していたのに気付いてしまって、もういなかったんだということがどっと来てしまった。
とても不義理をしていて、2、3回会ったきりだった。
それでもいろんな話を聞いて、その頃会った他の人たちとも話題になったひとだった。
インターネットで人と会うと、本当にいろんな人がいるということを生の存在として教えてくれたひとだったのだと思う。
時が経って何者にもなれていないのが残念極まりないというのもある。
ふつうに、数ヶ月前まで、何なら近所に来ていたという記事まであったのに。
ああ元気そうだなと思っていたのに。
向こうにとっては記憶にも残らない程度の自分だったろうけど、どうにも泣けてしまってこの時間。
オフでもオンでも仲良くされていたひとが発信されたから気付いたくらいの距離でしかないのに、すごく悲しいのは、なんなんだろう。
その後もたくさんの人たちとネットを通じて出会い、交流し、途切れたり、またつながったり、危ない目にもあったりしながら、今、出会ったネットで訃報に触れて。
多くの人が悲しんでいる様子に、大して仲良かったわけでもない自分が悲しむのもおこがましいだろうけど。
こういうのってどう向き合ったらいいんだろう。
という吐き出し。
初めて教えてもらった遊びでした。
一緒に連れてってもらった友人たちとは離れてしまったけれど。
そのうちに。