はてなキーワード: 不義理とは
エロ系ユーチューバーとして多分中堅以上の私。特定されたくないからブラフ入れます。
事務所が怖い。他のエロユーチューバーがどうか知らないけど私は事務所所属。エロユーチューバーって最初からエロ出してると収益化審査が通らないので、お菓子食べたりゲームしたりの動画の合間合間に新しい水着買いましたなんて動画を挟んで、エロ未満のお色気動画で客を集めて、収益化してしばらくしたら本番。
不透明な入浴剤レビューしたりノーブラで縄跳びしたりラブホでマイクロビキニ着たり同じ事務所のエロユーチューバー先輩の動画で温泉動画撮ったり……どんどんチャンネル登録者は増える。正直この時は最高に楽しかった。事務所もチヤホヤしてくれるし先輩エロユーチューバーも抜かして人気出て、正直ちょろいと思ってた。
登録者数の伸び率が下がってきたあたりで空気が変わった。「生配信でポロリでもしろよ」や「尻さえ映ってりゃいいんだよ」って事務所が言うようになってきた。マイクロビキニより際どいプレ○○ーラッ○の衣装着せられたりして泣きそうになった。あの人嫌い。
そして今月の登録者の伸び率があまり良くない。コロナでみんな家にいるのに伸びないのは怠慢って言われた。あと20過ぎたらBBAとも言われた。数日前に事務所登録した時の契約書出されて、よく見たら「広告収入が下がった場合は風俗で働く」という項目があったことを知らされた。まだ収入が下がってはいないけど風俗堕ちさせられるかも……。
事務所に今まで会ったことがない見るからにヤクザの人が来て、私と面接した。体に触られた。ハンコついたのは私だし契約書読んでなかったのも私だし。今にして思えばエロユーチューバーやるなら事務所なんか入る必要はなかった、編集を誰かに依頼して個人でやるべきだった。
私は地下アイドルも失敗したし演劇に出させてもらったのにその恩人に不義理を働いて演劇からも逃げた。エロユーチューバーはそんな女のたどり着く底辺だ。私は底辺にいる。
これ見た女の子はエロユーチューバーにはならないで欲しい。ここは本当に底辺の掃き溜めだから未来ある女の子がここに来たらもう終わり。あとライバルが増えると本当に私は風俗堕ちだし。今はまだ若さがあるけど、若さが無くなってしまうまでにエロユーチューバーから抜け出せるんだろうか。契約書は満了期間が書かれてるけどそこまで私がコンテンツとして生きられる気がしない。
ツイステ1章までやりました。その上で感想を言わせてほしい。バカ女の戯言として流してくれ。
私はディズニーファンではないけれど、ツイステはヴィランモチーフと聞いてリリースを楽しみにしてた。ヴィラン、カッコいいし。
私は急に冷めて即座にアンインストールした。
主人公の選択肢にFGOの与太系の波動を感じてしまった。未知のモンスターに襲われかけて出てくる感想がそれか?
それからしばらくして、友人から猛プッシュがあった。「女の子が出てきたらやるわ」と返していた(男子校で出てくるわけあるかとお言葉を貰ったが)手前のゴーストマリッジだった。再度インストールしてイベントを読めるところまで頑張った。ちなみにそのゴスマリは周回嫌いが発動して結局読めなかったけども。
そこからまたほってたものの、やると言った手前不義理も程がある。めちゃくちゃ頑張って先日1章まで駆け抜けた。その上で一言いいですか。
徹底したグリムのたぬき扱い。どう見たって猫だろうが。主人公共々悉く節穴か?見た目猫を猫扱いで「猫じゃねぇ!」って言い張るのは理解できる。せめて見た目をたぬきに寄せてからたぬき扱いしろ。それからプロローグ後半でのグリム、エース、デュースの和気藹々とした掛け合い。「うるせぇお前らのせいでこうなったんだろうが!」と叫びたくなった。
うん、でもプロローグだしな。冗長になるのは仕方ないよな。世界観あんまりわかんなかったけど。
一章。主人公とグリム、なんでさらっとパーティー参加してんの?エース追い出す前に追い出すやついるだろ。ご都合主義とは言え無視するんじゃない。せめてもっと理由をつけてくれ。オーバーブロットにしても、魔法がハバ効かす世界観ならもっと周知されてくれ。なんで知らないんだ。
ここまでやって、ちょっとだけ既視感を覚えた。これヒプマイだ。
ヒプマイは白膠木簓を好きになってヒプマイにハマろうとした事がある。……世界観のあまりのガバさにドラマパート、聴かなきゃ良かったと思った。
要するに、ツイステの売りは純粋なキャラ性なんだろう。ターゲットは女性で、夢女から腐女子まで。わかりやすい。プロローグじゃわからなかったけど、1章でリドルとトレイのやりとりを見てみんながハマる理由も理解した。
と、ここまでつらつら不満を垂れ流したものの、進行度はまだ1章とちょい。多分ツイステの良さはもっと先にあるんだろうと、今日も先に行く為に授業を回す。このランクで進行止まるの、なんとかしてくれないかな……。
こんなに不誠実な採用担当がいていいものだろうか、いや、存在していいはずがない。
詳しく書いたところでどうしようもないので、ぼんやりとしたさわりだけ載せる。
今年だけで5人ほど辞めた。
コロナの影響を受けて辞めてもらったのではなく、「私辞めます」という人が半年でこれだけ出た。
辞めていく人を見送り続けていたら、突然羨ましくなった。
私は働く場を変えるという選択肢を持って出ていった5人を尊敬している。
彼らと最後の挨拶を交わしているうちに、もしかしたら自分も覚悟を持って行動に起こすことが許されるのではないかと思った。
折角だし転職活動をしようと思った矢先、採用になってしまった。
理由は明白。
人が辞めたからだ。
5人の穴埋めをすべく、この時期から突然新卒採用をしようと上層部が言い始めた。
そんな馬鹿な。
辞めたくなる会社に未来ある学生を迎えようというのは学生に失礼だ。
頼むから来ないでくれ、という願いとは裏腹に現在も打ち合わせを進めている最中だ。
まさか自分がこんな形で罪悪感を背負い込むことになるとは夢にも思わなかった。
新しい希望である学生に対して誠実でありたいが、辞めようと決意したせいか、早くここから出たいという気持ちが頭の奥にこびりついて離れない。このまま辞めたいと思いながら働くことは会社に対する不義理だと思う。
ここ最近、同人女界隈の神や信者のクソデカ感情がTLを賑わせている。
大抵みんな「神を崇める気持ちは分かるけど、気持ちの押しつけは良くない、神だって人なんだから好きに活動していい」って感想とともにRTしてるし、自分も似たような感想を呟いている。
そんなTLに、相互フォローの神フォロワーから自分宛てのリプライが表示された。
さっきまで、神作家のお気持ち表明に同意したり、別ジャンルにいた時信者が暴走して大変だったとか言っていた神フォロワーが、数々のお気持ち表明内でしんどいタイプのメッセージとして挙げられる内容を、自分にリプライしてきて、私は動揺した。
自分が神だと崇めていた存在にいつの間にか崇められていた、というほんの少しの喜びや、この人今までのクソデカ感情テキストを本当に読んだのかなという困惑、そしてたかがリプライ一つで過剰反応し過ぎなのでは、という自己嫌悪など様々な感情が浮かんだ。
でも一番は、面倒くせえーーーーーーーーーーーーーーーーうるせえ私が消したくなったから消すんだよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーという叫びだった。
素晴らしいA×Bを生み出す人がいる!と速攻フォローしに行ったのが、神フォロワーと私とのファーストコンタクトだった。
ちなみに、ジャンル自体もマイナーだが、A×Bというカップリングもジャンル内でマイナーな存在である(B受けの殆どがC×Bばかりで、ジャンルの覇権カプはB×Cだった)。
ありがたい事に、神フォロワーはフォロー返しをしてくれた上、私の作品に対して感想までくれた。
神から感想を賜われるとは思っていなかったので、ものすごく舞い上がった。
実を言うと私の本命カプはA×Bではない。
本命はD×Eだ。
推しのDくんはAやBと同じグループ・X所属なので、A×B作品にDくんが登場する事が多い。
それ目当てでA×Bを読み漁っているうちに、神フォロワーの作品に出会ったのである(マイナージャンルは少しでも推しが出ていそうなカプは全部チェックしないと他人が描く/書く推しに出会えない)。
だから神フォロワーが感想をくれたのは、本命カプのD×Eではなく、私が書いたグループ・Xのオールキャラギャグのような作品だった(ちなみにEはグループ・Y所属)。
本命カプの作品でなくても、自分の作品へ感想を頂く経験は稀だった上、あの素晴らしいA×Bを生み出す神から、自分の作品内のAとBに対する描写を褒められたのは、なんだかお墨付きを貰ったみたいで嬉しかった。
ある日私はお題箱を設置した。
そこには本命カプにまつわるリクエストは一切なく「あなた様のA×Bが読みたいです」「B×Cをお願いします」「D×Cください」等、グループ・X内のカプにまつわるものだけが、大量に来た(フォロワーにはB×CクラスタやD×Cクラスタもいた)。
フォロワーには本命カプであるD×Eクラスタもいたが、彼女達は皆『Eくん推しのD×Eクラスタ』なため、Dくん推しの私はいまいちD×Eクラスタには馴染めないでいたので、D×Eのリクエストが来ないのは仕方なかったといえば仕方なかった。
彼女達が私抜きでEくんアンソロを作ったり、スカイプをしていたりしているのは構わなかったが、いくら私が支部にD×Eを投稿しても殆ど反応されないのは正直辛いと感じていたので、この時もちょっとへこんだ。
ただ、D×Eクラスタに反応されないのはいつも通りではあるし、他のフォロワーからビックリするくらいたくさんのリクエストを貰ったので気持ちを切り替え、リクエストを消費する事にした。
今まで私はD×Eしか書いた事が無く、グループ・X内のカプは読み専だった為、クオリティに自信は無かったが、それでも一生懸命グループ・X内の様々な組み合わせを書いた。
解釈違いと罵られないかビクビクしながらプライベッターへアップしていたが、どのカプの作品もフォロワーに受け入れられ、ふぁぼもついたし、感想までいただいた。
特に、A×B推しの神フォロワーは長文感想&私の二次創作を元にした三次創作までプレゼントしてくれた。
そして私の作品をRTして「天才だから読んで!」と自身の信者に紹介した。
神フォロワーの信者達は、私をフォローする事は無かったものの、私の書いたA×Bをふぁぼしてくれた。
また、神フォロワーが「支部にも載せた方が良いと思います」とアドバイスをくれたので、今までD×Eしか支部にアップしていなかったが、リクエストで書いたグループ・X内の様々なカプの作品を支部へとアップした。
すると、物凄く反応があった。
D×E作品はブクマ2・閲覧数20程度しかリアクションが得られなかったが、グループ・X内のカプはどれもブクマ10・閲覧数100を超えた(他ジャンルから見れば病むくらいの少なさかもしれないが、マイナージャンルの弱小作家からすれば、桁数が1つ増えただけで大騒ぎなのだ)。
今までこのジャンルで満たされて来なかった承認欲求が初めて満たされた。
そこから少しだけ私のツイートや作品に、グループ・X全員に関する事やA×B要素が増えた。
今まで全く言及していなかったのが、たまに触れる程度になっただけだが、それだけでも神フォロワーやその他グループ・Xクラスタがが反応してくれるからだ。
特に神フォロワーは、私のA×Bにまつわるちょっとした話を褒め称え、三次創作をいっぱいくれた。
私は人間なのでそれが嬉しかったし、神フォロワーは神なので三次創作はそれはそれは読み応えが凄かった。
私が何かを書けば、神フォロワーが新たに何かを生み出してくれる、そんなスパイラルが生まれた。
とはいえ、私の本命カプは変わらずD×Eだったので、ツイートや書く作品のメインはD×Eのままだった。
D×Eツイートや作品には殆ど反応を貰えず、たまに触れるグループ・XやA×Bの話に過剰に反応を貰う日々が続いた。
そして、私はふと思い立って支部にアップしていた、リクエストで書いたA×B作品を非公開にした。
改めて読み返すと、自分の中で解釈違いが甚だしく、読むに耐えなかったからだ。
一応プライベッターでは公開したままだったので、リクエスト主に対して不義理ではないだろうと思った。
しかし、A×B作品を非公開にした事に気付いた神フォロワーは、私にもう一度支部で公開して欲しいと言ってきた。
何故かそれがとても嫌だった。
別に神フォロワーは支部への再公開を強要していた訳ではなく、あくまでも再公開の予定を尋ねただけだ。
ただ急にそれが鬱陶しく感じてしまった。
二次創作に対して三次創作を生み出してくれるくらい反応を貰えるのは素直に嬉しかったが、毎回添えられる「続きを待ってます」「早く支部にもアップしてください」という言葉は、圧のように感じていたのは否めなかった。
私は一つ書き終えると燃え尽きるタイプだったし、他人にアレコレ指図されるのが大嫌いだった。
それなのに、いつの間にか神フォロワーが、私をグループ・XやA×Bを生み出す神として崇めるようになっていたのだ。
今まで神になった事が無い私は戸惑っている。
昨日まで我こそが信者だと思っていたのに、立場が逆転したのだから。
A×B推しの神フォロワーに限らず、フォロワーのグループ・Xクラスタは、神フォロワーほど熱烈ではないにしろ、皆私の作品を褒め与えてくれた。
グループ・X所属のA×BやB×CやD×BやC×Dは反応が貰えても、本命カプのD×Eには反応が貰えないままなのだ。
私が本当に神なら、グループ・Xクラスタが私の影響を受けて、D×Eを嗜むようになるはずだ。
けれども、そうではない。
グループ・Xにまつわる創作に飢えていた人々が、都合よく作品を生み出す、私という存在を見つけただけに過ぎないのだ。
確かにグループ・Xの話を書けば承認欲求はエグいくらい満たされる。
それでも私は、誰にも反応されなくても、大好きなD×Eを書き続けたい。
Dくんが一番穏やかな顔をしてるのはEくんと一緒の時だもん。
私自身のつまらない承認欲求とやらのために、私がD×Eへ抱いた情熱を捨てたくない。
だからいくら神フォロワーが嘆き悲しんだって、作品の公開非公開の権は他人に握らせないし、誰にも反応されなくったって私はD×Eを書くのをやめない。
皆さまは1年ほど前にあった公務員の障害者水増し事件というのを覚えているだろうか。
その時に自分も公務員になれるならばと思い、受験して合格した。倍率は、10倍程度。
その前の職は、某業種の会社員だったが、障害をもっているなら公務員のほうが働きやすいと思って転職した。
自信もあった。社会人として障害を抱えながらも10年程度働いていた。
小さな会社だが、それなりの役職でもあった。自分ならば、公務員に転職してもやっていけるだろうと思っていた。確かに、一年目はそこそこ上手く行ってはいた。ほとんど雑用だけだったから、「こいつはまともに働けるのか」を見られていたからだろう。
しかし、2年目にポジションをもらって問題がいくつか出てきた。
公務員というのは事務処理能力が問われる。圧倒的に問われる。8割は事務処理能力の世界である。
ほんのわずかな言い回しが、致命的なトラブルになるからだ。官僚の言葉が異常に面倒くさい言葉遣いをしているのは、そのためだ。
これははっきり、根底から民間とは仕事のやり方が異なるということだ。
民間の仕事のやり方は、「金」という大目的があり、すべてそれに付随するが、公務員は「筋」である。
全く関係のない企業に、「こういう素材を探してるんだが、オタク、とりあつかってない? こういう会社なんだけれど。取引の際には先に言い値で振り込むからまずはサンプルで送ってよ」
というのが常識の世界で働いていた。金さえ払えば、とりあえず商品はゲットできるし、取引が続けば信頼も獲得できるという世界だった。だから、最も重要なポイントは金をどう儲けるかという能力だ。多少、書類を作るのが下手であっても金を儲けられるのならば、そこは問題がない。
しかし、公務員は、相手を説得によって動かす技術がなくてはならない。そこに金という大きな力が働かないのだ。
「金の払いで不義理をしないのが良いのが良い客であり成功するコツ」であるのが民間だとすると、公務員は「相手を動かして働くための筋を示した書類を作れるのが能力」であることになる。
「品質、金額、納期、どう儲けるか」を抑えておけばよかったのだが、公務員になると、抑えるべきポイントが、「誰が、どういう筋で、何をやるか」が最重要ポイントになっている。
これは正直、アラビア語が堪能な人間が、英語圏に行ったようなものである。
ドラクエに例えると、全員がホイミを使えるのにホイミが使えない戦士から転職したLv1僧侶の悲哀、というのを感じている。
自分が今まで問題にもしていなかった能力が、実は最重要な才能として通用している世界だった。
「民間ではそんなこと30秒で決まるぞ」と思う段階は過ぎた。
自分が、その世界になじむように努力しないといけないのだが、なかなか大変だ。
書類なんて相手に伝わればいいだろうと思っていたが、そうではない。
作り方ががっちり決まっていて、使っていい漢字も送り仮名も決まっており、それを間違えると直される。
そして公というのは、組織が巨大であり、「縦割り」というが、アレはそうでないと統率が取れなくなるからだということも理解した。
下手に経験があると、逆に面倒くさい。
そして、ものすごい人脈社会だ。民間以上に人格が重要な社会だ。飲み会だろうが勉強会だろうがとりあえず名刺交換して自分を売り込む必要がある。
理由は単純で、あまりにも専門領域が膨大過ぎて、とても一人の力では業務をフォローできない。誰かに助けてもらう必要が必ずある。
シン・ゴジラに一匹狼の官僚が出てきたが、ああいうタイプはしんどいだろうと思う。むしろ三枚目のお調子者のほうが仕事はやりやすい。
これが大変なところだ。
うーん。資料を作らないとなあ。
この仕事、どの部署が担当するのか? マネタイズできる場所がやる、という常識が通用しない。
どうしたものか。
例えば自由恋愛極まった1980年代の昭和の頃から、恋愛市場は今と全く同じ比率で変わってない(上位3割が常に恋愛し合ってグルグル回っている状態)
じゃあ何でそんな結婚率高かったかっていうと、社会慣行や労働環境の変化であり、そんなもの国一切関係なく民間での話だろう
子供生まれたから転勤させまくって辞められる企業だとか、上は本気で善意のつもりでやってるし、育休取るだけでいじめや退職勧告になるのだって、周りの人間が善意や正義のつもりでやってるわけだし。
昭和の末期の頃までは、20代後半から女遊びを覚えて35~40手前くらいまでに20代前半、ヘタすりゃティーンではあるが、若い女を見繕って結婚ってルートが実は盛んだった。
男からすれば、ブサイクだろうがなんだろうと、金を稼げて出世さえできれば、若い女と結婚できるチャンスが大だったわけで、そこはシンプルに将来設計が取れた。
女からすれば、世間を知ってて金を稼げるスペックのある男を、選んで結婚できることができたので、今よりよっぽどハラハラした人生の不安は感じなかった。つまり双方の間で慣習的なサイクルが確立されていたんだな。
何でこの構造が崩れたかって、どんな時代でさえ相手にもされないようなどうしようもない層が、そんなものがおかしいと叫んだせいだ。結果、お互いが不幸にしかならない、どちらかが不義理で卑劣な真似をすることが一番美味しい目を見れる、囚人のジレンマの様な謎のシステムに現状なってしまっている。
最低限の努力さえしないくせに、誰からも相手されないような奴らが男女平等叫んだ結果どうなったか、それが今だ
昭和がすべてにおいていい時代だったとは言えないがね、3歳年の差離れりゃ犯罪者呼ばわりされたり相当奇異の目で見られる恋愛慣行の現状こそが、滅茶苦茶不健全なんじゃねえのか?
私はVTuberが苦手だ。嫌い・憎いと言っても良いかもしれない。
現在のインターネット上のオタクコミュニティにおいてVTuberの話題を避けて通ることはまず不可能である。
「嫌いならば放っておけばよい」という論理はもう通じないほど蔓延っている。降りかかる火の粉だけで死ねる。
初めて概念を知ったのは某ネットカフェのポータルに表示されていたキズ〇アイである。何年前だっただろうか。
今まで思いつかなかったコンテンツモデルの登場に強い衝撃を受けたことを覚えている。
「動画コンテンツはこれから大きな一歩を踏み出すのだ」と興奮と期待を胸に抱いていた。
それからしばらくして、いわゆる「四天王」というものが台頭しだした。
どれも個性豊かで、今後このコンテンツが新しいステージに進むのは間違いないと信じていた。
ペラペラのモデル、よくわからない雑談配信、オタクに媚びてキャラクターを捨て去るリスペクトのなさ、どれも不快極まりなかった。
しかしどうであろうか?瞬く間に勢力を拡大していくではないか。
ただの生主が皮をかぶっただけ、先駆者へのリスペクトのかけらも感じられないにも関わらずである。
めんどくさいオタクだと思われただろう。実際めんどくさいオタクだから仕方ない。
それからしばらく経ちVが浸透し、もう一つ感じ始めた不快感の原因が「よくわからない内輪揉め」である。
ただ、内輪揉めが主たるものではあるがそれだけではない。
前述のリスペクトのなさともつながるのだが、とにかくキャラクター・世界観の軽視が目に付くようになってきたのだ。
にも関わらずどんどん流れてくる内輪揉め情報・運営の不義理・キャラクター崩壊を嬉々として受け入れるオタクたち。
強制的に受容させ続けられる情報により、毎夜毎夜この思いは強固になる。
インターネットから離れればよいという話もあるのかもしれない。
離れれば楽なのだろうが、私はろくな人生を歩んでいるとは到底言えない。
心の底からインターネットに依存しきってしまっている。離れることなどできない。
何も考えずに書き殴ってしまった。論理破綻のオンパレードなのかもしれない。
ただ、私はやはり許せない。
コンテンツの尊厳をないがしろにしたVTuberというものが憎い。
結局子供のわがままだったり、オタクとしての老いだったり、その程度の思いなのかもしれない。
いつかこの憎しみを受け入れ、純粋にコンテンツに向き合えるようになった時、「こんなことも思っていたな」と笑えるようにここに記す。
先月プロポーズして、4月中にお互いの親に挨拶する予定だった。
って話してた。
でも、今会うなんて絶対にありえない。
親は志村けんと同じ年齢だし、基礎疾患もある。
なんてことになったらマジで笑えない。
って言われるけど、式予定してた人は親の挨拶も済ませて籍入れてるから子作り出来るよね。
自分の場合はお互い30代後半で、子供を作るにしてもリスクが高くなってくる。
だからといって、お互いの親に挨拶せず子作りするなんて、不義理なことは出来ない。
コロナのせいで子供が作れないかも知れない(もしくはリスクが上がっていく)と思うと、ストレスでたまらない。
発狂しそう。
私はいわゆる虐待をされて育った人間で、常に「お前は正しい事のために消費される以外に価値のない存在だ」とか「生きようとするな」とか「お前は数合わせで作ったがお前のせいで人生が不幸になってしまった」とか「お前は最高の人間の血を引いているのだから最高の成績を収められない場合それは血への裏切りでありこの家の子供ではない」等と言われてきたのだが、
それでも親に愛されたかった私はその言葉を忠実に継承しながら成長し、高校を出るころには夢も希望も自分を生かす意思さえもない、求められていた立派な廃人に育つことができた。
育ってみると自分を大切にしようとしないというのは結構便利な性質で、事故や事件で困っている人がいればリスク度外視で助ける事ができるし、病気や災害で本当に死にそうになってもヘラヘラしていられるし、悪意に晒されようが異常性から人に縁を切られようが影響を受けずモリモリ自分の仕事ができる……となかなか素晴らしい性能を発揮できていた。
(本質的にはそれが祟って死んだ自分を見たら流石の両親もそれまでのことを悔いて謝ってくれるのではないかという打算もあった。私は命令通り自分を使い潰して死ぬことで親に背くことなく解放されたかった。)
ところが肝心の親は私より先にこの世からいなくなってしまい、そこから数年あれこれ悩んだ結果、最近の私は私は私のために生きていていいのではないかと思うようになり、毎日がハッピーハッピーな感じになってしまう。
これはまあ基本的にいい事であり、頭にはやたらと爽快感があるし、初めて自分の人生を生きられている感じはあるのだが、
自分を許すという事は同時に持っていた自殺パワーを失うという事でもあったので、これまで私を頑張らせていたものが皆不安定になってしまった。
最近の私は過労死はおろか病気も怪我も嫌がるし、休みには子供の頃のように遊びたがるし、笑うし、泣くし、滅茶苦茶である。
その事自体は私の問題なのでいいのだが、たまにやっていた身内での(平たく言うと頭の病気仲間での)お悩み相談の精度が落ちてしまい、困っている。
私のやるお悩み相談というのは私がどん底であるが故に相手への理解が成立して可能になるというものだったので、ハッピーな状態の私では相手の病みについていけないのだ。
(以前の私は憎しみで活動していたので大体の憎しみに同調できたし、「この世にいいことなんてない」と認識していたので返ってイケてる解決策を探したりできていたのだが、最近は「いいことあるよ」で止まってしまいがち)
相手は多分私が話を聞いてやらなくては参ってしまうだろうが、憎しみを失くした私は多分もう理解者としての資格を失っていく一方だろう。