亡くなったくらいの頃にちょうどそのひとのブログを読み返していたのに気付いてしまって、もういなかったんだということがどっと来てしまった。
とても不義理をしていて、2、3回会ったきりだった。
それでもいろんな話を聞いて、その頃会った他の人たちとも話題になったひとだった。
インターネットで人と会うと、本当にいろんな人がいるということを生の存在として教えてくれたひとだったのだと思う。
時が経って何者にもなれていないのが残念極まりないというのもある。
ふつうに、数ヶ月前まで、何なら近所に来ていたという記事まであったのに。
ああ元気そうだなと思っていたのに。
向こうにとっては記憶にも残らない程度の自分だったろうけど、どうにも泣けてしまってこの時間。
オフでもオンでも仲良くされていたひとが発信されたから気付いたくらいの距離でしかないのに、すごく悲しいのは、なんなんだろう。
その後もたくさんの人たちとネットを通じて出会い、交流し、途切れたり、またつながったり、危ない目にもあったりしながら、今、出会ったネットで訃報に触れて。
多くの人が悲しんでいる様子に、大して仲良かったわけでもない自分が悲しむのもおこがましいだろうけど。
こういうのってどう向き合ったらいいんだろう。
という吐き出し。
初めて教えてもらった遊びでした。
一緒に連れてってもらった友人たちとは離れてしまったけれど。
そのうちに。
死者は居なくなったのではない。 死者として存在している。 新たな対話を大切に。
ありがとうございます。 とはいえ、当時の咥えタバコでセッティングする姿や、食事しながら話す様子が浮かぶばかりです。