はてなキーワード: ホッテントリとは
最近ホッテントリ見るときはアフィカスブログを踏まないよう注意するようになった。
エントリ名で、あーこれゲロくせーなーと思ったら見なかったことにしてスルーするし、間違って踏んでしまったらはてなNGにそっこーぶち込む。
記事の中身なんて見ない。
判を押したようなあのグローバルナビゲーション+右のサイドナビ+コンテンツ上部のソーシャルボタン連打が見えたら終わり。NG。だってゴミだから。
リアルでもポストに毎日大量のチラシがつっこまれるけどあんなのいちいち見ないよね。マンション管理組合が用意したゴミ箱に即捨てる。
あれほんとやめてほしい。自分宛ての郵便物とより分けながら捨てていく時間が惜しいし、なんでこんなことやんなきゃなんないんだろうって虚しくなるから。
アフィカスブログもいっしょ。ゴミ撒き散らすのやめてほしいんだよね。
もう21世紀じゃん。もう2016年じゃん。今時プッシュ型の営業ツールが流行るわけないじゃん。嫌われるために金と時間かけてるようなもんだよ。
もうほんと。いい加減気づけアフィカス。
そういえば最近、ちきりん(伊賀泰代)のブログを読んでないなと、ふと気付いた。
https://www.google.co.jp/trends/explore#q=%22%E3%81%A1%E3%81%8D%E3%82%8A%E3%82%93%22
こんな感じで、注目度が2011年11月をピークに下る一方だ。
はてぶのホッテントリでちきりんの日記を目にすることも減った気がする。
もう賞味期限切れなのかな。
自分はたしか2010年か2011年ぐらいにちきりんの日記を知って、その後著書も2冊ぐらい買って読んだ。
最初は発想が面白いと思ったり分析の切り口が鋭いと思ったりしたんだけど、ある時期から、ちきりん自身が主張する「自分のアタマで考える」が悪い方に出ているなという印象を持つようになった。
たまに自分(俺)がそこそこ知っている話題についてちきりんが論じているのをみると、あまりにも調べ物をサボりすぎというか、その道の専門家たちが何を言っているのかを考慮せずに、自分のアタマだけで考えた図とかが載ってて杜撰さを感じるんだよね。
そして年々、煽り口調が激しくなってきた気もする。炎上狙いというか。
ちきりんて結局、IQが高いだけで特に専門性はないコンサルタントって感じの人だったんだよね。
大手金融機関だの外資系コンサル会社だのといったところに勤めてたといっても、要は人事部のおばちゃんでしょ?
社会派ブロガーを名乗ってるけど、人事部のおばちゃんが通用する範囲はさほど広くないよなぁ。
ちきりんは要するに、どんな話題でも短時間でそれっぽい仮説を考えることができるってタイプで、会社とか飲み屋にこういう人がいるとアタマの体操にはなっていいと思う。しかし今のネットでは、ちょっとググれば専門家の見解をふつうに読むことができるから、単なるアタマの体操に過ぎないちきりんの日記に「情報」としての価値はないんだよね。そもそも間違いも多いし。
しかもあるとき気付いたんだけど、ちきりん風の「IQが高いけど専門性(知識)がない人」の言うことって、似てることが多かったりワンパターンだったりして、意外性がじつは少ない。
政治や文化に関する話題ならとにかくリベラルっぽいことを言っておき、経済についてはとにかく市場を礼賛するネオリベっぽいことを言っておき、ビジネスやキャリアの話題ならとにかくグローバル化を礼賛して日本の大企業を叩いときゃいいや的な。
もっとざっくりまとめてしまうと、なんか新しいものにとりあえず着目して、それと対比できる古いものを持ちだして比較し、古い方を叩いて「これまでの常識は通用しなくなる!」みたいなことを述べて終了というワンパターンな芸を繰り返してるだけなんだよね。しかもちきりん風の人たちって、新しいものを称えるのがアイデンティティになってる割に、発想のパターンはすごく古かったりして(たとえばネオリベ的なところ)、その意味でも「あぁ・・・またそれですか?」って感じがする。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20140922
このエントリで紹介されてる東浩紀との対談を、俺は動画でみたんだけど、ちきりんの底の浅さが如実に現れていてとてもよい例だと思う。
ちきりんはしきりに、「私は一般人」「東さんが言うような難しいことは分からない」と逃げてたんだけど、難しいとか易しいとかの問題じゃなく、東のほうがはるかに発想が柔軟で意外性のある指摘をしているなと思ったんだよね。
ちきりんのような「IQが高いけど知識がない人」は、身軽に見えて実のところ発想の幅が狭い。東みたいな頭でっかちな人文系オタク知識人のほうがアイディアが豊富で、鋭くて、ちきりんはついてこれなかったんだ。
なんというか、多様性を強調してる割に「ちきりんの主張」はワンパターンだし、「ちきりん風の人たちが言うこと」も決まりきっていて、じつは全然多様じゃない。
「自分のアタマで考える」のは結構なことだけど、自分のアタマで考えただけで過剰な自信を持つタイプの人が言うことってだいたい予想できちゃうんだよなぁ。
そういう点に気づくと、賞味期限切れするのも仕方ないかなーって思う。
あ、そういえば思い出したけど、ちきりんの日記って、コメント欄だけじゃなくてブコメすら途中から非表示にしたんだよね。Twitterでも、ちょっとでもちきりんに批判的なコメントをしたユーザは即座にブロックしてるらしい。
グローバルとかオープンとかそういうのを煽ってる割に、ちきりん自身はとても閉鎖的に振舞っているように思える。
べつに閉鎖的でもなんでも勝手にすりゃいいと思うけど、情弱の信者を囲うだけになってしまったら、イケハヤさんみたいなのと差がなくなってくるよなぁ。
追記:
ていうかさ、この増田へのブコメみてて、ちきりん擁護派が皆無すぎて引いたわ!!!
俺は著書まで買ったんだぜ・・・
さらに追記:
この増田がホッテントリに上がっていたようで、けっこう多くの人に読まれたようだけど、反応としては、
http://www.kandareiji.com/entry/chikirin
という何が目的なのかよく分からない長ったらしい言い訳みたいなブログ記事と、
https://twitter.com/kirik/status/728432263852007424
という簡潔なコメントが、印象的でありました。
池上氏関連のホッテントリがここ数日あがってたので、自分の思うところを書いてみる。
自分は一応、新卒で池上氏と同じ業界に就職(といっても、自分は紙媒体)し、記者という肩書をもらっていた経験がある。
7年ほど現場にいて、体壊して、ちょっと内勤の管理部門にいさせてもらったのだが、なんか、内側から会社を見ているうちに
もともと、あんまり向いていなかったかな?と思っていた業界がさらに嫌になって転職して
10年ちょっとになる。
普通、あの業界では、最初の何年か地方で修行して、いずれ東京や大阪に戻ってくるパターンが多いが、
自分の就職先は、いわゆる経済紙で(ってもう社名明かしたようなもんだが)地方支局が貧弱な会社だった故、
新卒が地方支局に行くという制度がなく、入社から退社まで東京で過ごした。
池上氏の凄さは、なんといっても、情報を取捨選択してわかりやすく伝えるプレゼン能力と、守備範囲の広さだと思う。
で、あれだけのことを伝えられるには、背後に相当の知識があるのであろうと思われている。
その「相当」がどの程度なのか、というと、たぶん、世間一般の人が想像するよりは、かなり浅くて、
けっこうぎりぎりのラインでしゃべっているのではないか、という気がする。それでももちろん、かなりのレベルではあるだろうが。
いわゆる大手のメディア企業の記者にまず最初に求められるのは、
「昨日聞きかじったばかりのことを、あたかも以前から詳しく知っているかのようにしゃべったり書いたりする能力」である。
なにしろ、日々、いろんなことが起こるのだ。
なかなか深堀している暇などない。
そうこうして、キャリアを積んでいくうちに、それぞれの専門分野ができていくわけだが、
大半の人は、きちっと専門分野を確立する前に、デスクや管理職になったりして、だんだんと現場から離れていく。
記者職としてキャリアを全うする人(編集委員とか論説委員とか解説委員とか)は少数派だ。
池上氏の経歴を見ると、NHKで地方局や通信部を回った後、東京の社会部で気象庁や文部省、宮内庁などを担当した、とある。
東京では、悪名高き日本の「記者クラブ」に所属し、最優遇される立場で、役人から懇切丁寧なレクを受けて、
それをニュース原稿に仕上げるのが、まず最初の基本的な仕事だったと推測する。
NHKの記者は特に、「特ダネ」を取ってくることよりも、「報道されるべき情報を落とさない」ことをなにより求められるらしいので、
多分、想像以上に、定例記者会見に出席したり、資料をチェックしたり、他社の報道を確認したり、
思いのほかルーティーンワークが多いのではないかと推測される。
(なお、NHKスペシャルなどのドキュメンタリー番組は、主にディレクター職の人が担当しているので、
一つのテーマを深くじっくり追いかけるのは、あまり記者の仕事ではないらしい。
実は自分もNスぺ作りたくてディレクターを第一志望にしてNHK受けたのだが、見事に落ちた)
で、そんなに知識が深くなくても記者が務まるのかといえば、そこそこ務まる。
自分は、そのさして長くない記者のキャリアの大半を、メーカーを中心とした企業の取材で過ごしたのだが、
正直、最初は、「貸方」「借方」もよくわかってなかった。(大学は政治学選考だったし)
それでも、入門書片手に勉強しながら記事書いて何とかなっていたし、
そもそも「大手メディアの記者」が企業の広報部を訪ねると、結構いろいろ懇切丁寧に教えてくれるのである。
多分、NHKの記者というのも、それなりの対応を受けるはずである。
もちろん、伝えてほしいことは積極的かつ懇切丁寧に伝え、触れられたくないことは隠しながら、だが。
中には、「たいてい経験の浅い若手が担当する企業」というのがあって、そういう会社の古参の広報さんの中には
「今、編集委員の何々さんねえ、あの人が新人のころ、私がいろいろ教えてあげたものだよ、わっはっは」なんて言ってたりした。
もし、あなたの会社の広報部に、なんだか大学出たての記者ばっかりくるようだったら、
もちろん、教わってばっかりでは舐められるので、こっちも勉強していくわけだが、
相手はその会社一筋なわけで、知識の深さでは、敵わないのが通常だ。
知識を深めるのは、そこそこにしておいて、知らなくてもはったりかませる胆力をつけたほうが役に立つ。
そうこうしているうちに、正面から取材を申し込んだり、正規の記者会見に出席したり、
ニュースリリースを原稿に仕立て上げているばっかりでは通り一遍の記事しか書けず、
社内的にもマイナス点はつかないものの、プラス点がつけられることもないので、
独自に夜討ち朝駆け(アポなしで取材対象のところに押しかける)したり、独自ルート作ったりし始めるのである。
そんなことをしているうちに、自分のような、結局途中で業界を去ってしまうような木っ端記者でも、
ごくごくたまには、取材担当企業の株価をストップ安にしちゃうような記事を書くチャンスが巡ってくることもある。
まあでも、ぶっちゃけいえば、そこそこキャリアを積んでいる先輩の中でも
減価償却費が資金繰りにどういう影響を与えるのかよくわかっていないまま、
それでも企業の経営危機について記事を書いているような人はざらにいた。
(まあ、自分も経験積みながらようやくわかるようになったクチで、
当初はなんのことやらわからなかったのだから、偉そうなことは言えないが)
それでも、首にはなりはしない。
そういえば、思い出したことがある。
今の若い人にほ想像もつかないだろうが、その昔、世界のエレクトロニクス業界をリードし、
今でいえばappleと同じくらいのブランド力で各種製品を生み出していたSONYという会社があった(今もある)。
当時はまだまだ、かつての威光が残っていた。
自分は、そこのメイン担当になるほどの能力もキャリアもなかったが、
たまたま、SONYの会社が取り組んでいる内容が、自分の取材テーマに関わっていたことがあって
取材を申し込んだことがある。
いわゆるストレートニュースではなくて、連載コラムのような記事を書くためである。
で、SONYに行ってみて驚いた。
膨大でかつ、非常にわかりやすくまとまった資料をお持ち帰り用に用意していたのである。
なんかもう、取材しなくても、この資料テキトーにまとめたら記事書けちゃいそうな。
もちろん、そんな手抜き仕事をして相手の思うツボにはまってはいかんので、
きちんと担当者さんに話を聞いて、自分なりの記事を書いてみたのだが、
やっぱり資料に引きずられなかったかといえば、影響はあったわけで、
まあ、恐ろしい会社であった。
かつて「メイド・イン・ジャパン」の強さの象徴として流布されたSONY伝説は、
もちろん実力の部分もあったけれど、伝説を伝説たらしめようという広報戦略によって
かさを増されていた側面も多かったというのは、そこそこ業界で有名な話である。
なんだか、大分、話がそれた。
多分、池上氏は、NHKでそこそこの社会部記者だったのだろうと思われる。
そんな彼の経歴の中で異彩を放っているのは、そろそろ管理職か専門記者か、という分岐点にさしかかったあたりで
キャスターに転身し、その後10年以上にわたって「週刊こどもニュース」を担当していたことだろう。
(すごい優秀な記者と認められていたら、ここいらで、海外支局あたりで経験つんでいるはずである)
「衆議院と参議院って、どう違うのですか?」とか「比例代表制ってなんですか?」とか、
「どうして輸出が中心の企業は、円高ドル安になると困るんですか?」とか
あらためて、そういうレベルからニュースを解説する仕事を10年以上も続けたジャーナリストは、
少なくとも今の日本では皆無に等しいんではなかろうか?
普通、そこそこキャリアを積んだ記者は、あらためてそんな仕事をしたがらないし、
そもそも、そんなレベルことは、真っ当な社会人ならば学校で習っているはず、というのが日本社会の建前で、
読者や視聴者を、そんなこともわからないヤツらと想定して記事や番組を作っていたら、
ある意味、「お客様をバカにしている」ことにもなりかねない(と、みんな考えていたのだろうと思う)。
まあ実際、そのレベルで作ってみたら、予想以上に受けたわけだが。
「こども向け」の番組というフォーマットを得ることで、池上氏はそういう稀有な仕事を追及していった。
その結果、得たのが、あのたぐいまれなるプレゼン能力だと思うのだ。
多分、池上氏程度の知識や取材能力をもった記者は、NHKや全国紙にはゴロゴロしていると思う。
(自分のかつての勤め先でも、そこそこキャリアがあって、東京でそれなりに仕事している先輩は、皆さんそれなりに凄かった)
でも、その知識や取材結果を子供にわかるレベルでよどみなくしゃべれる人は、そうはいない。
池上氏のニュース解説番組をたまに拝見すると、自然災害のメカニズムから、最新の科学上の発見、日本の選挙から世界経済まで
だが、自分が見る限り、その解説は一般紙や新書本で得られる知見を超えるものはほとんど見ない。
「いや、それは、視聴者に分かりやすいレベルにしているからで、その背後には物凄い知識が・・・」という見方もあるが、
果たしてどうだろうか?
多分、毎日6紙読むという新聞をベースに、ひたすら横に広くいろいろな情報を取り入れておられるように見える。
海外取材などの映像を見ることもあるが、どうも、テレビ局とコーディネータによるセッティングが透けて見えてしょうがない。
多分、その経歴からいっても、海外取材に独自のルートなどはそんなにお持ちではなさそうだ。
やはり、「あまり深くないレベルで次々とあらゆる分野に取り組んでいく」ことがこの人の真骨頂だと思う。
それが悪い、ということではなくて、それがこなせる凄さがある、ということである。
著書を読んでも(といっても、ほんの数冊目を通しただけだが)、たとえば同じNHK出身の元ワシントン支局長の手島龍一氏とか、
あるいは日経の元スター記者で週刊ニュース新書の田勢康弘氏の著書のような、深い取材と鋭い洞察に支えられた
凄みのようなものは感じられない。
やはり、この人の存在価値は「広く入門レベルの知識を提供する」以上でも以下でもないのだろうと思う。
(なお、今、軽く検索してみたらどうやらニュース英語の本まで出されているようだが、
膨大な著書のどこまでご自分で書かれているのだろうか?という疑問は置いておく。
出版業界では、驚くほど「著者が適当にしゃべったことを編集者やライターがまとめた本」というのが、世間で思われている以上に多い。
あと、池上氏が英語を話しているところって、あんまり見たことないような。
NHKの採用試験を突破するくらいだから、読むことに関しては、そこそこのレベルと推察できるが)
さらに、分かりやすさの理由の一つとして、「子供のような素朴な疑問にも正面から取り組む」というのがあるように思う。
巷間よくいわれる、選挙特番の「池上無双」の象徴ともいわれる「創価学会の話題」についても、
タブーへの果敢な挑戦というより、素朴な疑問を追求していった結果なのかもしれない。
「どうして自民党は公明党と組んでいるんですか?」という質問は、大人はあんまりしない。
それは何となくタブーであると感じているせいでもあるが、一方で「そりゃ、理由はみんな知っている」からである。
ましてや、「政治記者歴何十年」を売りにするような政治ジャーナリスト諸氏は、
そんなことよりも、自分の掴んできた独自情報を話したくて仕方なかろう。
「それは、公明党には創価学会という支持母体があって、固定票が見込めるからですよ」と優しく語りかけるのだ。
で、「では、公明党と創価学会の本部がある信濃町に行ってみましょう!」と、女子アナを連れてツアーを組んだりする。
実際、やってみれば、放送しちゃいけないタブーというほどのこともない。
そりゃそうだ。
ある程度、日本の政治に関心を持っている人ならば、普通に知っていることなのだから。
公明党の側だって、連立与党として大臣まで出す立場になった以上、その程度の取材を拒否するはずもなく、
「創価学会の人たちが、選挙は功徳だなんていう仏教用語を使っていたりしますが、政教分離の観点からみて
「創価学会は、大切な支持団体ではありますが、創価学会と公明党は全く別個の組織です。
政教分離というのは、政府が宗教活動を行ったり、宗教活動に介入したり、宗教団体が政治に介入することを禁じておりますが
宗教団体が政党を支持することを禁じるものではなく、現在の公明党と創価学会の関係は問題と思っておりませんが云々」
「そうはおっしゃいますけれども、ここに創価学会の名誉会長が、公明党に指示した文書がありましてね・・・」
などと、爆弾情報でもぶっこんで来たら、それは多少「タブーに斬り込んだ」ことになるだろうが、
そこまでのことはしない。
多分、そこまでの取材もしていないと思う。そもそもが、そういう役割の人ではなくて、そこは、
「はい、そうですか、よくわかりました」と視線を投げかけるという、
「子供にも分かるように語ること」「子供の持つような素朴な疑問をゆるがせにしないこと」
を常に追求し実践してきた所にあるように思われる。
これは、なかなかに難しい。
多分、そこには、「相手(子供)が、何がわかって何がわからないのか」を推察する想像力や共感力と
「限られた言葉で複雑なことを説明する」ことを可能にする、優れた言語能力が必要なのではないかと思っている。
ただし、限られた言葉で語りえることは、やはり、ある程度、限られているわけで、
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.konayuki358.com/entry/2016/05/01/190000
こんなクソ記事もクソブコメいらないんだよ。なんだこの街頭募金みたいなヘラヘラした笑顔の集団は。
人気コメントはあまねく、ブログ主の☆連打じゃねーか。賛助会員か。
元記事もブコメにもなにひとつ有益な情報ないじゃないか。ぱくたそみりゃ全部わかるっつーの。
これが互助会ならまだいいわ。
深刻なのは、互助会でもないメンツがこんなウンコみたいなブコメ寄せて、
こんなどうでもいいエントリをホッテントリに押し上げているはてな民度の低下だわ。
いつからこんなエントリにブコメするようになったんだ、はてな民は。
頼むから、こんな、他人のおっぱい使ってスタバで10分で書いたようなクソ記事を神輿にしないでくれ。
こんなの、タチの悪いバイラルメディアとさして変わらんわ。
01・楽しい
02・スターもらえるのがこんなに嬉しいなんて
03・価値観の似た人をお気に入りにしたらその人もお気に入りにしてくれた
04・どうにも我慢できない人を非表示にしたらスッキリ(その人とブコメがカブっても気にしない)
07・ブコメ書き直したいけどスター付いたからできない…もどかしい…
08・LINE既読スルーでも気にしなくなった、2ch、まとめサイトは見なくなった
09・3行読んで「これはいいや」と思った増田が半日後にホッテントリして自分の見る目の無さにがっかり
10・思いついたコメントが既にみんなにブコメされててスター配り
11・自分のファーストブコメと違う流れになっていて置いてけぼり
12・70users越えて書いたブコメが人気1位なって承認欲求完全充足
13・カラースターもらっちゃうと「ありがとう」より「すみません」
14・「これなら俺にも書ける」と思ったら自分の非公開ブクマのみ
目立ちたいなら目立ってもいいけど、ちゃんとツッコませろよ、俺達のおもちゃになれよ。
互助会と呼ばれる奴らは、はっきり違う点がある。
はっきり言うとだな、実力のあるなしはあんまり関係ない。実力がない奴が目立つのは昔からよくある。
互助的行為をしてることとか、それによってブクマ汚染をしてることについてはそれほど問題じゃない。
この点で比較するなら、確かに古参のやつらだって互助会と言えるからな。
今日のシロクマなんて僕はおおきなおっぱいが苦手ですだけで100ブクマだぜ。記事の面白さはそんなに重要じゃないんだよ。
むしろつまらん記事でもブコメによって面白くなることがあるのがはてブのいいところだからな。
そういうのはいいんだよ。 もともとそこ問題にしてねえっつー。
みんな本当の問題をごまかしてるから、アスペの集まりであるはてなウォッチスレの人間がギャーギャー喚くことになる。
わざわざ出てきて突っ込みマチとしか思えない記事書いてるのに、なんでお前らツッコまれたらびっくりしたような顔をしたりあげく被害者面するのかという点。
これがどうにも気に入らんのだよね。
他の人かどうかはしらんけど、違法でもないんだから互助的行為するなとは言わんよ。
でもさ、目立つことすんなっていってるたくて目立ちたいことしてんだから、どういう反応がくるかくらいは考えろよ。
ツマラン記事書いたらつまらんってツッコまれるのくらいは覚悟して欲しいしさ。
間違ったこと言ってたら批判されるのは当たり前だしさ。
ついでにいうと、ホッテントリってのはブックマーカーのおもちゃになることと引き換えに注目を集めてくれるサービスだからな。
そのくらいわかってやってくれよってことなんだよ。
はてなのルール知らなかった。でもはてなのルールって自分の思ってたのと違う。おかしいとか
人を批判するのはよくない肯定し合おうよとか、そういう自分ルールを喚いたりとか。
そういうのほんといいですから。やめて。
お前らが体験したのは球技のルールも知らず、ろくに練習もしてないからヘボプレイしまくってたまたまその様子を大勢の人に見られて笑われてるだけだから。
はてながおかしいわけでもないし、お前らがおかしいわけでもなくて、実力がないおまえらが目立ったことの当然の帰結だから。
わかる?
古参のやつらだって互助会だろうがっていうやつはこれが全然分かってないわけな。
でも、いざホッテントリになったら好き勝手言われるのくらい覚悟しろって。
好き勝手言われたくなかったら、もっと記事の書き方工夫しろって。
そういう発想や努力ができないくせに、目立ちたい目立ちたい批判されたくないって幼児みたいなわがまま言ってるからバカにされるの。
フミコフミオも最近まではあんまり叩かれてなかったけどしっきーと揉めた時にあれこれ言い訳したからすごい株下がっただろ?
作家気取りの感動小話くんも
閲覧視点で考えすぎ
でもまぁ気持ちはわかるよ
でもそういう人は続かないんでないかな
…と思ったけど、去っていく新規よりも流入する新規が多いのが、今の現状なのかな
ホッテントリやブログを見るに、ユーザー層がアーリーアダプターからマジョリティに移ったのだろう
キャズムを超えたんだよ
俺たちはもうメインユーザーではないのだ
mixiやmyspaceなどと同じように利益を最大化しながら徐々に衰退していく運命なのだ
それを見守ろうぜ
何だか話がそれてきちゃった…
恐らく、ホッテントリはアーリーアダプターが少ないのでそのうち機能しなくなる(今も兆候は出てるけど)
これは他のキュレーションサイトに取って代わられることになるだろう(はてなが作れると良いよね)
ただ、過去に様々なウェブページに付けられたブコメという資産は残る
なのでランキングを無視した、本来の意味でのブックマーク機能+コメント機能として、はてブは長い間利用されていくだろう
しかし、そのユーザー層もマジョリティが多いので、新たに付けられるコメントの質が落ちていき、その割合が過去10年のコメント資産よりも多くなった時、はてブもまた衰退していくのだ
増田です。
このところジャーナリストカエルさんのまとめが立て続けにホッテントリに入ってたりして、
そこで私は「この人は困窮してるんではないか」と直感的に思いました。
というのも、題名の通りですが、今まさに知人が困窮の一途を辿っていく道すがらにおり、
もちろんカエルさん=知人ではありません。
それを目の当たりにしたので、すごいスピードでピンと来たのです。
いや、ピンと来ただけでそれが当たっているとはみじんも思いません。
最初の1年くらいはノリノリですごく頑張っていたのですが、じょじょに雲行きがおかしくなってきました。
家はあるが生活費が厳しくなっていきました。
SNSを見ていると、この知人の変化がつぶさにわかるのがなんとも言えず…。
初期
中期
どうしてこんな貧乏になってる。嫁さんすまない。嫁さんに財産残してやるつもりだったのに
末期
お前らみんなふざけんなよ、俺がどんだけ頑張ってるかも知らないで!嫁さんを苦しめてしまった、お前らのせいだ!
みんな敵だ!
実はこの知人が始めたのは××なんですね。××は天候に左右されることが多いですし、
使っている機具もそれなりに高いものがポコンと壊れたりもする。
頑張っても取れない時期もある。
受けていない××もあると思いますが、補助金が廃止されたら、日本の多くの××は食い詰めるくらい、補助金で食べている人も、実は多いのです。
中期には、やはり周りの人に助けて欲しいという気持ちが表れてきます。同情を誘うような投稿が多くなり、それでもけなげに頑張ってるよ感を出してくる。
チラチラっていう感じなんですが、まわりはどうしようもないんですよね…
実はこの時期に「××の多くは補助金で食べているのが実情だけど、そういうのは考えない?」と訊ねたことがあるんですよ
でもプライドがあるんでしょうね。そんなものは無意味だと突っぱねられました。
(しかしながら多くの企業が補助金や助成金をもらっているのは事実なんですけどね。ちなみにこの知人はもともとは社長でした)
カエルさんもそうですよね。
朝日の記者だったんだ、俺はすごいんだというプライドから離れられない。
朝日の看板でそこまでのプライドがあるのであれば朝日をやめてフリーになる事なんてなかったのに、
俺はすごいんだ、やっていけるんだという欲目が出てきてフリーになって、それでもやっぱり今は媒体の変化によって物書きの値段は恐ろしく落ちていますから
俺は元朝日の記者だぞと仕事を選んでいたら当然ですが仕事が減っていくでしょう。
それどころか、文そのものの値段が落ちていて、もうどうしようもなく下がっている。
私も専業の物書きの人は知っていますが、投げ銭を要求してそれを浄財と呼んでいる人は初めてみました。
ファンらしき人が「明日のお昼代を振り込んでおきますね」というリプライを送ったりしている。
これは、もう相当逼迫しているのではないか、そう感じました。
カエルさんは末期にあたる状態だと思います。もうまわりがみんな敵になっています。
どうしてお前らは俺を理解してくれないんだ、お前らみんなクズだ!死ね!
50代〜60代の中高年男性のあのプライドの高さは一体なんなんでしょう。
そしてプライドのために困窮している。
とくにカエルさんなんて、あの年代で京大卒&コロンビア大卒ってすさまじいですよ。
同級生なんかは銀行の頭取とか大企業の幹部になっていてもおかしくない。年収も数千万クラスがゴロゴロいるでしょう。
そんな中で自分は朝日のジャーナリストとして肩で風切って歩いてきたのに。
こうなったらすごい記事を書いて一旗あげるしかない、となるわけですよね。
だいたい50代〜60代の人っていうのは時代が良くて好景気で、バブル前夜→バブルキター!みたいなのと、
若くて脂が乗ってバリバリ働けた時期がまるかぶりしてるんですよ。
時代によって下駄をはかせられていただけなのに、自分たちの能力がすごく高くて実力があったからいい時代を築けたんだって本気で思ってる。
この年代の人はそもそも若い世代とかを見下してるよ。能力がないやつらだって思ってる。
一方で自分の成功法則にしがみついて、好景気の時代と同じ行動をやってしまう。
日本のボーナスステージはもう終わったんだって、早く気づきなよ。
ああ、胸が痛い。
追記
増田です。
トラバ、ぶコメいただきましてありがとうございます。
自分の中ではジャーナリストとして独立したあたりを初期、しんどくなってきた時期を中期と適当にイメージしていました。
twitterはあまり関係なく、独立した時期から現在までのスパンと思っていただければ。
正確には、努力すれば報われるとは限らないけど自分の人生を思い通りにコントロールできる可能性が上がる、だろう。
努力が報われるかどうかは運次第、めぐりあわせ次第…そう思っていた時期が私にもありました。
あなたの、私の、一人ひとりの努力が報われるかどうかは、多くの場合客体が恣意的に操っている。
受け持ちの生徒二人が同じ点数を取っても、ほめ方の度合いや向ける笑顔の量は違う。
これは先生が「あの児童よりこの児童をたくさんほめたい」というきわめて恣意的な思いで報いている。
家庭科の実習で、一生懸命ミシンを操作したのに機械に不具合を起こす生徒が二人いたら一方には「頑張ってこうなったのだから仕方ない」といいもう片方には「どんくさい真似して仕事増やしやがって」という。
これまた、2つの同等の努力に対する報いの量を胸三寸で決めている。
大人になってもそう。
努力して成功を収めたある人は惜しみない賛辞を受けるのに、他の一方は「順調で良かったですね」程度。
これ、日頃の行いがものを言うんだと思う人がいるかもしれないけどそれがそうとも限らないんだよね。
気のせいだろうか?もしかして、はてな運営により対策されたのではないか?
仔細は5月上旬に書かれるであろう、互助会の人々の「4月のアクセス記録と収支」を読まないと分からないだろう。しかし、昨今の変化が気になった速報として、ここに報告しておく。
自分の観測範囲の問題なのか、別の要因なのか、それとも偶然か。もし良い棲み分けが出来ているのならば、歓迎したい。ソースが私の肌感覚でしかないので、間違いの可能性もある。何か気がついた人がいれば、訂正をお願いしたい。
【スクリーン雑記帖】今の日本映画にもの申す…「レベルが本当に低い!」 英映画配給会社代表が苦言(1/5ページ) - 産経ニュース
俺は普段映画を見ないのね。で、話題になった次の増田を読んだ。
挙げられている映画は10本。ブコメを見る限りでは、いいリストであるらしい。しかし、うち7本はまったく聞いたこともなかった。『野火』と『花とアリス殺人事件』はかろうじてタイトルを聞いたなあという程度。『海街 diary』はむしろ評判悪いと勘違いしていた。もちろん俺の情報感度が鈍いというのは認める。ただし、そんな俺の目にも触れる程度の大きな話題にはならなかったというのは事実だ。
一方で、こういうのはホッテントリ入りして目にするんだよな。
2015年 この映画はいったい誰が観に行くんだ!?大賞 結果発表 - 破壊屋ブログ
つまらない、またはつまらなそうな映画をいかに面白おかしく茶化すかという大喜利企画。洋邦問わずだけど、標的にされるのは邦画が多い。
あと、こういうのとかさ。
超映画批評「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」40点(100点満点中)
超映画批評「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド」30点(100点満点中)
今はこれ。
映画ファンは、とくに邦画に関して、いかに貶すかバカにするかという点で芸を磨きすぎている感じがするんだよ。読んでみればわかるけど、上の記事はすこぶる面白いんだよな。他にも挙げれば宇多丸の罵倒芸とかさ。面白い。面白すぎるんだ。結果として、どうにも邦画の悪いイメージばかりが先行してしまっている。
一般論として、褒めたりお勧めしたりするよりも、批判したり貶したり茶化したりするほうが拡散伝播しやすいというのがあると思う。その上、映画ファンは邦画に関しては後者に力が入っているのよね。結果、邦画がつまらないという話ばかりが蔓延して、良作が話題にならず埋もれてしまっている。素晴らしい作品だよという話を、いろいろな人から様々な形で目にし耳にすれば、1度劇場に足を運んでみようかと思うだろうけど、邦画に関して言えば、つまらない下らないバカバカしいと駄作の評判ばかり聞いて、良作を知る機会が少なくなってしまっているんだよね。俺が増田の紹介する10本の殆どを聞いたことすらないというのもこれが原因だろう。『海街 diary』を評判悪いと勘違いしていたのも、有名女優(タレント)を揃えた邦画というだけで駄作なんだろうなという先入観をもち、認知を歪めたのだと思う。
じゃあ映画ファンはどうすればいいかというと、駄作の罵倒の蔓延に負けないくらい大きな声で繰り返し繰り返し、自分の好きな映画・評価できる作品を勧め褒めちぎるってことなんじゃないかな。参考になるのは『ガールズアンドパンツァー』というアニメ映画。「ガルパンはいいぞ」という言葉は目障りで気持ち悪いくらいに広がり、結果として多くの人に知られ、興行的に大成功を収めた。もちろんもともと良作なんだろうけど、それだけではこの興行収入は達成不可能だった。ファンがしつこいくらいに宣伝しまくって(自分も何度も足を運んでってのもあるようだが)、あの数字を叩きだしたわけだ。実写ファンもこういうことをやるべきなんだよ。くだらない映画を茶化すことに頭をひねるのではなくて、見るべきだと思う映画をしつこいくらいに宣伝し、褒めちぎり、身近な人を半ば無理やり連れて行き、その作品の数字を残す。映画の話題で駄作の割合を減らし良作の割合を増やすように努力をする。そうすることで、邦画を取り巻く現状は大きく変わるのではないかと思う。傑作に心打たれるよりも、駄作をバカにしている方が楽しいんだったら、そりゃ日本映画のレベルが低いのはお前らが望んだことじゃねえかとしか思わんよね。
1日1スターは貰っていた。増田としてはホッテントリすることも何度かあった。それが何だ?今や、勢いのあるブックマークに融合して大勢に媚びへつらうコメントばかり。そりゃ、トップブックマーカーには到底及ばなかったけど、承認欲求を満たせる程度にはやれていたはずだ。媚びても媚びてもスルーされ、自我を押し通しても無視される。潮時か。
追記)融合→迎合 (ありがとうトラバ)この程度の国語力で夢を見たのが間違いだったか。身の程を受け入れるのがこの歳なのか。無念。
なるほど。自分の場合、自分がブクマしたい記事と、カテゴリ新着を整理するのは、方向性が違うので、必ずしも「カテゴリ整理をした=ブクマしたい」訳ではないんですよね。個人的には評価していない記事に対して1ブクマ与えるのもなんかなぁ……。と思いますし。
正直なところ、はてなブログ枠は新着には載りやすいですが、そのまま抜けてしまう事も多いので数時間後にはさっぱり流入が無いという状態です。ホッテントリに入っている場合は息が長くなったという程度にはなります。
アクセスログを分析している限りでは、新着・ホッテントリには非常にライト層が集まってますが、カテゴリー別になると「分かっている」ユーザーの割合が多くなるので、カテゴリーが何であっても気にしない方も多いように感じます。
はてなブックマークは、個人の要素とソーシャルな要素が複雑に混ざっているサービスですので、どのような基準をもってカテゴリー変更を行っても必ず対立した意見が出ます。画面の向こうには必ず相手が居るので仕方がありません。
自分のペースで良いのです。「この記事はカテゴリーを直した方がより良い」と感じる物だけでも変更する人だって居ます。
個人的には、その方がサービスとしても末永く生き続けて、記事を書いた人もブックマークをした人も前向きに発展できる、いい意味での互助になるかと思います。
誰が見ても変なカテゴリーに入っている以外は、トラブル防止のためコメントに「こういう理由だから変更した」と書くことがありますが、理由が常識の範囲内であれば納得できるのでは。他のユーザーが困るような変更を抑制するための注意文でもあります。
なるほど。自分の場合、自分がブクマしたい記事と、カテゴリ新着を整理するのは、方向性が違うので、必ずしも「カテゴリ整理をした=ブクマしたい」訳ではないんですよね。個人的には評価していない記事に対して1ブクマ与えるのもなんかなぁ……。と思いますし。
とはいえ、混乱を招くなら、新しいアカウントを作って、それでブコメ+カテゴリ変更するのが適切かもですね。
1週間やってみた感想としては、カテゴリ変更って結構難しい。「誰が見ても変なカテゴリー」「常識の範囲内」と言うけれど、実のところ、たぶんその常識とは十人十色なんだなと実感します。明らかに「テクノロジーじゃないだろ」と思って変更した先でも「いや、おもしろじゃないでしょ」と言われる可能性は大いにあると思います。そして、おそらく大抵の人は「自分の読みたくないエントリは、どういう流れであっても、読みたくない」という意識が根底にあるんじゃないかと想像します。たぶんですね、互助会やはてなブログで持ち上げられた内輪エントリーって、結局の所、外部の人は誰も読みたくない記事だと思うんですよ。身内で楽しんでる文化祭のドンチャカ騒ぎを見る感覚に近いです、お客さん置いてけぼり。200記事分変更したという事は、もちろん200記事以上読んでるって事なんですけれど、ハッキリ言って、本当に面白くない。とはいえ、少しでも適切と思われるカテゴリに変更したら、3ブクマ以上稼いでる以上、どこかのホッテントリには載るわけです。やっぱり変更先のカテゴリーファンから見て「読みたくない」と思う人はいるわけで、みんな微妙な気持ちになると思うんですよね。自動分類よりも幾ばくか、カテゴリとエントリの合致制が高まったとしても、読んだ人のモヤッとした感情は、どうやっても拭えないというか……。これはちょっと、行き場がないよなぁ。とも思います。
まあ、地道にやってく他ないと思います。私は別にはてなからお金貰ってるわけじゃないし、変更した所でもしかしたら誰かが怒るかもしれないけれど。私にとっては互助会を叩くよりもカテゴリ変更の方が解決の近道じゃないかな。って思うので、ちょっとの労力を払って、もう少し様子を見ながらやってみようと思います。
ホッテントリになりやすいカテゴリは、自分が見てきた限りでは、「学び」と「おもしろ」あたりだと思う。
ただしそれこそ、その日によってケースバイケースだったりする。
たとえば、小保方さん事件の頃は、普段は新着に出てこない「学び」関係のエントリーがニュース系のせいで多かった。
ただ、「1週間程度で200件くらいカテゴリ変更をしてみた」ということだが、その中にはてなブログはどのくらいあったのだろうか?
「先に誰かがカテゴリを変えていた」ブログは触らなかったそうだから、むしろ「スパム行為があった」としてもスルーしていたのではないだろうか?
自分が見た限りでは、「意図を持ってカテゴリを有利に変更した」と思われるブログは、はてなブログしかなかった、と言ってもいい。
(厳密には、ブコメでも「スパムサイト」と言われているあるサイトははてなではなかったが、これは例外)
もっとも最近は、大手サイトやまとめブログ、ニュース系以外で、ホッテントリいなるエントリーの多くがはてなブログだから、しょうがないのだが…。
自分はブクマカだが、互助会じゃない(はてなブログやってない)ので、これは常識なのかもしれないが、ホッテントリになりやすいカテゴリに自分で変更するのは互助会の常識なのか?
こういうこと増田で書いて、知らなかったヤツまで始められると、ますますホッテントリの質が下がりそうだが、最近あまりにはてなブログでカテゴリ変えてるヤツが多い。
昔は、ある程度ブクマが多くなってからじゃないとホッテントリにはのらなかったが、最近カテゴリによっては、20程度でもホッテントリになってるのが目に付く。
ヤツらはそこに目を付けて、勝手に都合よくカテゴリを変えている感じ。
だいたいエントリごとのカテゴリって、ブログ管理人が任意で決められるわけじゃなくて、はてな側で判断してるんだよな?
ただ、それがどう考えてもおかしい、というときに変えるものであって、他の似たようなエントリがあるカテゴリで決定されているのに、自分のところだけエントリ数が少ないカテゴリに変えるのって、スパムだと思うんだが。
たとえば、災害関係のニュースが「世の中」じゃなくて「エンタメ」になってたら、どう考えてもおかしい。
ただ、学術的な記述があって「学び」になることは十分あると思う。