「ゴシップ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ゴシップとは

2024-09-22

性欲と撮り鉄欲が入れ替わった世界

あの日、神に願いを託したのは、ある一人の男だった。

「この世の性欲と撮り鉄欲を、どうか交換してください…!」

男は名を田中健二、30代後半に差し掛かった独身男性で、いわゆる“撮り鉄”という部類に属する。

鉄道撮影することが何よりの生きがいで、日々全国を渡り歩きながら、名だたる鉄道カメラに収めるのが彼の生涯の目的だった。

しかし、その情熱を周囲に理解してもらうことは難しく、家族や友人からは「どうしてそんなものを撮るのか」と常に冷たい視線を浴びせられていた。

恋愛も当然、うまくいかなかった。

女性との出会いはあったものの、彼の会話の半分以上が「今日特急あずさの迫力」や「新幹線の美しい流線型」についてだったからだ。

恋愛結婚も、どうでもいい」と彼は思っていた。

しかし、それでも社会圧力に屈しないわけにはいかなかった。

テレビをつければ性欲を煽るような広告が流れ、街を歩けばラブホテル看板恋愛を謳う雑誌が彼の視界に入ってきた。

性欲を抱くことが当然で、むしろそれがないことが異常とされるこの世界に、彼はひどく疲れていた。

そんなある日、鉄道神社に参拝した彼は、思い余ってその願いを口にしたのだった。

「どうか、性欲と撮り鉄欲を交換してくれませんか?」

もちろん、健二自身も半ば冗談だった。

撮り鉄欲なんて、そんなのが性欲並みに強力なものになるなんて、あり得ないと思っていたのだ。

しかし――彼の願いは、なぜか神に届いた。

翌朝、健二が目を覚ました時、世界は一変していた。

彼が最初に気づいたのは、スマートフォンの通知がやけに多いことだった。

何事かと思って画面を確認すると、SNSには膨大な数の撮り鉄動画投稿され、YouTubeトップページ鉄道関連の動画で溢れていた。

何より奇妙だったのは、それらのほとんどに「年齢制限」がかかっていることだ。

健二は頭を掻きながら、YouTubeを開いてみた。

「この動画センシティブな内容を含んでいます。18歳以上でないと視聴できません。」

表示されたのは、ただの電車が駅に滑り込む映像。それがなぜセンシティブなのか、健二には理解できなかった。

しかし、コメント欄を見て愕然とする。

「やべぇ、これやばすぎる……マジで興奮するわ!

「めちゃくちゃ良いシーン。完全にアウトだろこれ」

バンされる前に保存しとけ!」

健二はしばし呆然としてしまった。

いつもの撮り鉄動画が、まるでアダルトコンテンツのように扱われ、視聴者たちも異常に興奮している。

どうしてこんなことに?

混乱しながらも、次に目を向けたのは、街中の広告だった。

以前なら恋愛ドラマ化粧品広告が目立っていたはずの看板には、なぜか鉄道写真ポスターが貼られ、キャッチコピーには「最高の瞬間を捉えろ!」や「巻頭グラビア芋坂跨線橋!」といった文字が躍っていた。

さらに、健二がコンビニに立ち寄ると、週刊誌のコーナーも異様だった。

普段ファッション雑誌タレントゴシップ記事が並ぶ場所に、まるでポルノ雑誌のような過激鉄道写真集が置かれている。

「な、なんなんだこれは…」

すぐに理解できたのは、健二の願いが本当に叶ってしまたことだ。

性欲と撮り鉄欲が入れ替わり、世界中の人々が鉄道撮影することに異常なまでの情熱を抱くようになっていたのだ。

それは健二にとって、ある意味理想の世界かもしれなかった。だが、次第にその異様さが浮き彫りになっていった。

街を歩くと、至る所で人々がカメラを構えて鉄道撮影している。

どんなにささいな路線でも、彼らは真剣眼差しシャッターを切っている。

昼夜を問わず鉄道の動きに敏感に反応し、駅のホームは常にカメラを構えた人たちでごった返していた。

仕事をさぼる者、学校をさぼる者も続出していた。

テレビをつければ、ニュースキャスターがこう報じていた。

現在撮り鉄欲による社会的混乱が拡大しています専門家によると、この現象世界的に見られ、既に政府対策検討中です。ネット上では過激撮り鉄動画規制が進んでおり、多くのサイトが取り締まりを強化しています。」

なんと、撮り鉄動画アダルトコンテンツとして規制されていたのだ。

YouTubeだけでなく、他の動画共有サイトでも同様の対応が取られており、過激鉄道撮影はすぐにバンされる。

それでも一部の愛好者たちはこっそりと鉄道動画を共有し、アダルトサイトでは“禁断の鉄道映像”が取引されていた。

完全に狂っていた。

街角書店に寄ると、性教育のコーナーは消え、代わりに「撮り鉄マナー教本」や「鉄道撮影の基本」などの書籍が並んでいた。

学校でも、保健体育の授業で「撮り鉄の心得」や「撮影倫理」が教えられている。もはや性教育ではなく、撮り鉄教育が標準となっていたのだ。

健二は家に帰り、ぼんやりと窓の外を眺めた。

外では、鉄道が走るたびにカメラを構える人々が見える。シャッター音が響き渡り、その度に興奮した叫び声が上がる。

どうしてこうなったんだろう…」

彼の願いは叶ったはずだった。

だが、これは本当に望んでいた世界だったのか?

撮り鉄という趣味尊重されることは嬉しいが、それが人々の生活支配するようになるとは思いもしなかった。

欲望というものは、どれも程度を超えれば狂気に繋がるのかもしれない。

そしてふと、彼は気づいた。

撮り鉄欲が支配するこの世界では、性欲を持つ者はほとんどいなくなっていた。

もはや人々は鉄道を追いかけ、カメラを構えることに夢中で、恋愛繁殖を考える余裕などなくなっていた。

人類絶滅危機に瀕しているのではないか

「俺がこんな世界にしたんだ…」

健二は深い罪悪感に襲われたが、同時にどこかで安堵している自分もいた。

少なくとも、誰も彼を「なぜ鉄道を撮るんだ?」と不思議がることはなくなったからだ。それが、彼の心の平穏を保っていた。

しばらくして、世界政府はついに動き出した。

人類の存続を危ぶんだ科学者たちが、性欲を取り戻すための研究に着手したのだ。

だが、一度交換された欲望は、そう簡単には元に戻せるはずもない。

プロジェクトリーダーを任され、プロフェッサーと呼ばれていた男は自宅のPCから鉄道ポルノが見つかり解任された。

人々は撮り鉄に狂い、既に撮り鉄欲を手放すことはできなくなっていた……。

健二は今日もまた、カメラを手に鉄道を追いかけていた。もはや性欲など無用だ。

ただ、鉄道撮影するその瞬間だけが、彼にとっての至福なのだから

2024-09-17

真田広之で思い出すと言えば

離婚騒動とき週刊誌ゴシップ記事で「真田は家に帰っても若手役者らと演技論に耽るなど演技の話しかせず、それが家庭不和理由」みたいに書かれてて、ゴシップ仕事一辺倒って話題しかないのどこまでクソ真面目なのかと

anond:20240917110712

いろんな属性主が居るなぁ

…てか全増田共通属性って何だろう🤔

ゴシップ好き?

2024-09-16

30代独身、友人付き合いが基本パートナー同伴で詰んでる

周りが結婚し始めて久しい。子どもが2人3人の友人も増えてきた。

私も過去お付き合いした人と結婚を考えたことがないわけではない。それと同時に、結婚パートナーが全てだとも思っていない。

それでも、友人との付き合いの中で、友人といるのにひとりであることを痛感させられることが極めて増えた。

 

ひとつ話題が合わないこと。子ども話題になったとき月齢どのくらいで何ができるとかはむしろ友人たちの子どもと接して詳しくなったが、所詮他人であり二人称で関わる彼らと雲泥の差である。その話題に入るつもりもない。

子どものない二人暮らしの友人であっても、家具のこと、日々のごはんのこと、一人と二人では置かれた状況の違いから同じ地平で話せない場面もある。

もうひとつがでかくて、友人付き合いが基本パートナー同伴がちであること。

家に遊びに行く、飲みに行くとき一緒に来る、もうこれは基本当たり前である。恐らく私が大人数のコミュニティより少人数で人と親しくしてきたことや、割とオープンマインドスタンスなことにも起因してるという自覚はあるものの、もうパートナーが来ないことが少ない。

 

オープンマインドからって、私は今日目の前の友人と飲みながら、追ってるアイドルは相変わらず元気かだとか、今年のクリスマスコフレは何が気になるかとか、そんな話でくだをまいてたいのだ。仕事も忙しくなって話せる日が減ったからこそ、そんなくだらない積もる話をしてたいんだ。

それでもパートナーは来る。ひまだというのに断る理由もない。さすると自然に二人の生活の話や、最近の私の話になる。これは集団で飲んでてみんなパートナーがいるときにもよく起こる。

 

私の話を求められると、自分の心としては真面目に向き合ってうまくいかなかったような話もすぐネタとして昇華してしまう。むしろ結局人間ゴシップが好きだから、ひとりの私に薄っすらと無意識下にゴシップを求めてる人もたまにいる。そして応えようとなんか頑張って疲弊する自分がいる。

ある種の摂理だと頭でわかりつつ、その友人ごとその日が少し苦い思い出になりそうになるのがつらい。

 

 

前にツイッタランドで「『友人は季節に咲く花だ』という言葉がある」みたいなことを見た。人生の置かれている状況が変わり、一時は会わなくなっても、また季節が巡れば会うようになる、的な素敵な言葉っぽい響きに感じた。

きちんと調べたら、これは深沢七郎の「人間滅亡的人生案内」(※以下、"〜"は同書引用)という「話の特集」の誌面で受けた人生相談をまとめた本で見ることができる、"友達というものは花のようなものです。"という言葉のようだ。

その後に続くのは以下のとおりである

 

"そのとき、そのとき時季状態友達はそこにあるから眺めたり、飾りものにするのです。友達などというものはそのときどきに自分のために存在するのだからそんなもの負担を感じたり、たよりにしようと思うことは悪いことだと思います。"

 

要は友達自分の都合で生じる存在から、気にしすぎず捨てるなり飾るなりすればよいという、まあ突き放した感じだった。けど、そんな捉え方もアリだなって少し気が楽になった。

大事に愛でつつ、でもそれを理由に傷ついたり凹んだり無理したりする必要はない。当たり前っちゃ当たり前だけど、孤独故にたまに違えてしまっていたような気もする。

 

旧い友人でも双方の認知が一致することなど極めて少ない、人間と関わる限りう〜〜〜〜んという瞬間は尽きない。友人と会うときにこれからパートナーは同伴率高いだろうが、途中合流にしてもらうとか2人まとめて仲良くなるとか、私の心地よく生きられるよう頑張らないよう努めたい。

書き始めたときもやもやが少しうすれた。ありがとうはてな

2024-09-11

anond:20240910142406

はてブビジネスはまあ頑張ってという感じだが、私はここには暇空なんかよりも価値のある投稿をしてくれる人が大勢いるので通っているし、SNSとしても楽しいので使っている

ゴシップしか興味のないババア価値のある投稿とか言ってて草

2024-09-10

結局兵庫県知事パワハラは立証されたの?

百条委員会でも立証されて無くて、それは証拠隠滅たから、なんだっけ?

「結果を待たずに処分できないか相談した」

みたいな微妙な感じの発言内容はあったけど、それが証拠隠滅かに繋がってるんだっけ

パワハラの直接の被害者は未だに誰ひとり出てこなくて

「見聞きした」

っていう証言ばっかりなのがずっとモヤモヤしてる

マスコミ知事のおねだりとかチャット時間外に指示とかのゴシップネタばっかりやってて

肝心の二人の自殺者に関与してる具体的なパワハラ証拠とか、その他のパワハラセクハラ系の話とかも全然無い

音声ファイル副知事のしか出てこないし、疑惑の周辺で騒いでるイメージ

自動販売機自分の音声を喋らせてる時点でこの知事がヤベー奴っていうのは良く分かるんだけど

決定的な話が全然出てこなくてずっとモヤモヤしてるんだが

「なぜ辞めないのか」

みたいに断定出来る人って何を持って辞任すべきと思ってるんだろうか

2024-08-22

ゴシップBBA巣窟化した

anond:20240821183605

上がってくるネタが文春や女性週刊誌みたいな底辺向け娯楽コンテンツばっかりで、ついてるコメントも全く学びのないゴシップBBAお気持ち表明だらけで読む価値がない。

焼きそばマヨネーズの話も男女入れ替えたら真逆の反応になってただろうし、老いて女の価値失った廃棄物スキャンダルや誰かを叩いて安心する場になってる。

元々オワコンだったけど完全終了も近いよ

2024-08-17

私は本というか、活字比較的読む方だと思う

けどそれは読む量が多いというだけだ

ゴシップも読めば各種のSNSも読む

本の体裁をたもったもののうちでも、読むのは圧倒的にマンガだし、次に料理生活ノウハウ実用もの

こういうのはいくら読んでても本好きとは呼ばないんだなきっと

本好きの下剋上最近マンガで一気に読んだけど

本のモノ自体にも愛着とこだわりをもつ人たちなんだよな、本好きって

2024-08-13

anond:20240813193756

例えば汚職を追及するとして

丁寧に情報精査してデータとかの証拠を積み上げていくのは正しいんだけど、インテリしかウケんのよな

アイツら我々の血税で豪遊してるぞー!いいもん食ってるぞー!みたいにゴシップ化した方が一般層にはウケるんだよね

でも他人の知性を信じてる人は、分かりやす説明すれば理解してもらえるって、扇動じゃなくて啓蒙しようとすんだよな

そっちのが正しくはあるんだけども

2024-08-12

anond:20240812172743

そんな大きな話しなくても、話してると自分勝手すぎて腹立つし、集まるとうるさいし、常にだれかの悪口言ってるし、芸能人ゴシップとかどうでもいい事で盛り上がるし、女同士の人間関係でいつも揉め事起こしてるし、嫌いな理由は身近にたくさんあるぞ

2024-08-09

anond:20240717134905

そう

男は女と違って異性の地位肩書知名度には欲情しない

というか顔や胸すら割とどうでもよく、ある程度若い素人ならそれでいい

その上旧ジャニーズKAT-TUN中丸や数々の芸人がいい例だが、有名芸能人や有名事務所所属だと不倫ゴシップが金になるから常にマスコミに張られており、相手や内部や周辺からのチクリも多いから女遊びはリスクしかない

平均以上の身長で顔がまともな男がわざわざ芸能界を目指さないのは、廃業バイト率が高く不安定業界だというのもあるが他にもいくつも理由がある

なので全国区知名度を得ない限り相手にされない低身長男性ばかりが芸能界に入りたがる

平均以上の身長で顔がまともな男は見向きもしない芸能界音楽界を根拠に「チビは女に受ける」と主張するのはいかに虚しいかがわかる

https://anond.hatelabo.jp/20240807172157

2024-08-04

東浩紀

東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀特別存在であった。これは今の若い人には分からいであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からいかである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別にインターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀堀江貴文ホリエモン)、西村博之ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのであるファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。

私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたもの網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信ほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレ古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。

1 批評空間

東浩紀は71年5月9日まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介時代区分だと、虚構時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。

東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親金沢出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼新左翼左翼よりバカ!」【真実幻想と】)。

東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。

筑駒筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブ高井麻巳子福井県実家訪問したことであろうか。秋元康結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代うる星やつらファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。

もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。

東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月であるソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫ノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。

東は、教養課程では、佐藤誠三郎ゼミ所属していた。佐藤村上泰亮公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文グロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤ゼミ所属していたこから学部時代に読んだのだろう。

東は94年3月東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科を卒業し、同4月東京大学大学総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文バフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである私たち世代は三読くらいしたものである博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。

郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッター清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。

東の若いころの友達阿部和重がいる。阿部ゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイ寄稿している。川上早稲田文学市川真人によって見出されたらしく、市川渡辺直己の直弟子である市川鼎談現代日本批評」にも参加している。

東は、翻訳家小鷹信光の娘で、作家ほしおさなえ1964年まれ)と結婚した。7歳年上である不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー東浩紀批評家が中小企業経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。

そして娘の汐音ちゃん生まれる。汐音ちゃん2005年6月6日まれであるウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれ時間まで書かれている。名前クラナドの「汐」と胎児聴診器心音ちゃんから取ったらしい。ツイッターアイコンに汐音ちゃん写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。

96年、コロンビア大学大学入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試残酷なのは、それが受験生合格不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生家族に対し「おまえの未来合格不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。

2 ゼロ年代

東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である

東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だからサブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。

「いま批評場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。

動ポモ10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモフェミニストには評判が悪いようである北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモ英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客哲学」が3つと動ポモが圧倒的である2024年8月3日閲覧)。動ポモ海外論文でもよく引用されているらしい。

次の主著であるゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。

この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラ告発されたこともあるが、不発に終わったようである結婚して子供もできて幸せらしい。

その頃は2ちゃんねるネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃん俎上に載せている。北田は「広告都市東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーション接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析古典ではある。

東は宮台真司大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本ジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。

宮台や大澤や北田はいずれもルーマンであるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者馬場靖雄2021年逝去)は批評空間に連載されていた頃から存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文正義門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマン社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。

佐々木敦ニッポン思想」(2009年)によると、ゼロ年代思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義日本現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダンとは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。

佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代思想土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。

北田によると、東の「情報技術公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。

佐々木ニッポン思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝ストリート思想」が出ている。文化左翼歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代佐々木命名から勢いが増していき、今や大学メディア大企業裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会包摂」(2021年教育Permalink | 記事への反応(13) | 17:44

2024-07-13

anond:20240713020710

日本人ゴシップの取り扱い方、ほんときもいな

必ず専門性の高い人間意見を挟むジャーナリズムが当たり前で丁寧な意見を言う人ばかりの社会に比べて程度が低すぎる

知能も低い

人権意識が低いか面白人間みたいにネタにしてるだけでリスペクトもないし節操もないよな

彼に何が起こってるのかを知ってるのは主治医と彼自身と彼の周りの人だけでしょう

2024-07-06

anond:20240706132155

そりゃあ、ゴシップって人の興味を引きやすいからやろな。人は他人感情や行動に敏感やし、それを話題にすることで共通理解ができるというか、一体感も出てくるんちゃうかな。人の悪口ってめっちゃ引きつけるけど、後々後悔することも多いわな。知らんけど。

でも、その元管理人さんのことをみんなで悪く言うのはちょっとなぁ・・・なんか後味悪いな。ワイもそう思うとこあっても、どうせやったら建設的な話した方がええんちゃうか?知らんけど。

ゴシップが人を惹きつけるのはどうしてか

discordサーバ管理者が辞めたいって言うので、discordサーバを新しく作ってそこへ移動したのよ。そしたら移動先のサーバで元管理人の陰口をみんなで言うのよ。ドン引きした。

まぁ俺も思うところがあったから書いたけど。

2024-07-02

アメリカテレビアニメをたくさん見てきて気づいた日本産との違い

萌えに逃げない

美少女キャラをメインに据えない

魔法設定を出さな

④敵とのフィジカルバトル展開に逃げない

ボケはあっても声色じゃ分からないほどあっさり。ツッコミ的なものは皆無

登場人物同士の掛け合いやなれ合いでテンポが悪くなっている作品が極端に少ない

⑦どれだけ制作費がかかっていようが判子絵(ゆえに顔芸的な場面がある作品を見たことがない)

ストーリーの続きが気になってむさぼるように延々見てしまうほど面白い作品の出現頻度が日本よりもかなり落ちる

⑨持ってたグラスを怒ってるわけでもないのにカジュアルに地面に放り投げて割ってしまい、それを別に意に介してないシーンが1シーズン1回は見る(まさかリアルアメリカ人こんなことしてないよな?)





正直①~⑥を満たしているアニメを観るのはここまで快適なのか、体力を削がれないのかと衝撃だった。

まるでアメリカアニメは見ててお茶を飲んでるような気楽さがある。

対する日本アニメは好きでもないドクペをどうにか飲んでるような感じ。皮肉にも逆。


⑦はすぐに慣れる。

⑧はストーリーがとにかく平板なせいだと思う。朝の連続テレビ小説くらいペラペラ

⑨は日本アニメ漫画で言うところの「めっちゃ急いでる登場人物自転車AKIRA金田みたいにドリフトしながら止まる、曲がる」的なお約束表現みたいなもんなのか?

追記

追加

⑩「このキャラ強いだろ怖いだろ」的な意図じゃなく、

「これシュールだろ?笑ってー。ちなみにこのキャラ、あとで説明無しにちゃんと無傷で現れるから安心してねー」みたいな感じでエグいグロ描写を突然繰り出してくる場面が頻出

木多康昭作品くらいの手数で、唐突に、無遠慮に芸能人ゴシップ皮肉ネタを「視聴者属性の別なくこれはさすがにみんな分かるだろ」と言わんばかりにぶち込んでくる

⑫恐らくだが、ダジャレイケてるいであるという文化がある。

「Holy Crap! He is a cripple!」

と言うべき場面において主人公が驚きのあまり

「Holy Crip! He is a crapple!」

と言い間違えてしまうシーンが某アニメであるのだが、涙流して動けなるくらい笑ったあの伝説的なブラックジョーク、くらいに絶賛されてredditで未だ語り継がれてるくらい

2024-06-21

anond:20240621114344

男だけど共感というより刺激への反応のしきい値の差なんだろうなとは傍から見て思ってる

まあ少し悪しざまに言えば「つまらない」ものでも面白く感じる性質というか。それこそ赤ん坊の反応とかガキの話とかしょうもないゴシップとか…

それがそのまま男女の各ホモソーシャルでのある種のコミュニケーションへの参加の難易度の差になってそうだなと

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん