はてなキーワード: アルファブロガーとは
もう、老人会くらいの人か覚えてないと思うけど、昔dankogaiという人がいたんですよ。
perlのハッカーでね、Encode.pm作ったりして貢献されていたんですよ。
すごく本を読むのが早くて、頭がいいもんで、書評をブログを書いていたんですよ。結果、最初の有名ブロガー(アルファブロガー)になったんですよ。
当然perlのハッカーだからperlのソースを書かれてたんですけど、読みづらくてねぇ。perl = 読みづらいを加速させてくれたんじゃないかと思いますよ。
(ex. http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50502585.html)
人気ブログだったので本とかも出されてね、2000年代のインターネットの重要人物だったんですよ。
それから、4、5年くらい前かなぁ?Twitterの波がグワーって来た頃から更新が減りましてTwitterにすっかり移っちゃったんですな。
さっきみたら去年の7月の更新が最後だったんですな。内容を見たらVALUのリードエンジニアになったとの記事ですね。
サイト行って確認するまでなんのサービスだったかも忘れていました。
まぁ、そんなdankogaiさんなんですけどね、最近はおなじアルファブロガーの池田ノビー先生同様、信者商売をされているようでしてニコニコ動画で自分のチャンネルをやっておられるようです。
さて、そんなdanさんなんですが、結構政権批判ツイートをいいねしておりまして、別に個人の思想なんて自由だとは思うのですが、「dan kogaiさんはこのツイートをいいねしました」で入ってくるもんで、へぇそうなんだと思い、増田らせていただきました。
もう2018年なんですなぁ。
<「セクハラはダメ」っていうのは、みんなが当たり前に持っている共通認識だよね。>
<そのセクハラを叩いて、ぶっ潰そうとする動きに対して、なんでそんなに荒れるんだろう。>
<「セクハラはダメ」という圧倒的正義の声に対して疑問符をつけてくるなんて、この人たちバカなんじゃないの?>
と、「#Metoo叩き」を叩き返している人たちが思ってるとしたら、この戦いは永遠の負の連鎖で何も生み出さないんじゃないかと思う。
世の中はセクハラ、パワハラをされる弱い人、セクハラ、パワハラをする強い人という単純な二分の構図ではない。
大人が子供に対して、上司が部下に対して、金持ちがビンボー人に対して、人気者がブサイクに対して…
そして、弱い人は常に、絶対に、永遠に弱い立場というわけではないし、強い人も常に、絶対に、永遠に強い立場というわけではない。
子供は大人になるし、ブサイクだって金持ちになることもあるし、人気者がビンボー人になるかもしれないし、上司は会社をクビになるかもしれない。
現実はヒーロー映画のようにいかず、絶対の正義と絶対の悪がいて、オチで必ず正義が勝つような、そんな分かりやすい話ではない。いつだって、強者は弱者に、弱者は強者にひっくり返る可能性がある。
「#Metoo叩き」は、今や社会がこんなに複雑になっているということに、大多数の人が気付いているにも関わらず、「正義が悪を駆逐する」という映画みたいなストーリーを、ハリウッドセレブや、アルファブロガーといった半虚構の世界で生きる有名人が、現実世界に押し付けてくることに対しての違和感が噴出した結果ではないのか。
そんなに単純なことで物事が解決するなら、俺は今こんなに不幸なわけがない。と、感じている人が多かったということだろう。
現実世界でいじめや上司からのパワハラを受けている人にとっては、自分の体験をSNSで拡散させて「いいね!」や「リツイート」をたくさんもらうことよりも、身近な誰かに聞いてもらって、現実世界で解決する方法なりアドバイスを教えてもらった方がよっぽど為になる。場合によっては、その人が味方になってくれて一緒に動いてくれるかもしれない。
#Metooの元々のムーブメントの意味は、そういうことでは?
被害に遭ったことを誰にも言えない人に対して、「身近な誰かに助けを求めよう」というメッセージを伝える方が、本人にとって明らかに有益だろう。
社会活動や、ムーブメントを、十把一絡げに何でもかんでも「いいこと」にして、賛同しない人を「悪だ」と決めつけるのは、あまりにも雑すぎではないか?
ゲームクリエイターを目指しゲームをやりこみ、プレイするのが楽しいのであって作ってもしょうがないと悟った小学生時代。
漫画家になりたいと思いA.ルーミスの本を買うも30ページで挫折し、数カ月後に2冊目を購入して10ページで挫折した中学時代。
ラノベ作家を目指してブログで文章力を磨こうとするも、ネットばっか見て本を読まない自分に気づいてこりゃ儲からねえから目指してもしゃーないなと諦めた高校時代。
アルファブロガーになろうとブログやSNSでキチガイアピールを繰り返すも全くフォロワーが増えない事で自分の限界を悟った大学時代。
そして、今、俺は公務員になった。
公務員になるのは夢じゃなかった。
本当の夢はニートになることだった。
でも、ニートになるのは怖くて、社会も怖くて、あんまり社会が怖いから安定を求めて公務員というドツボに落ちた。
夢は、ニートになること。
でも、公務員というスキルが全く身につかない仕事のレールを途中で降りたら、二度と日の当たる場所には戻れまい。
貯金をためて、自分の人生はもう残り数年や10年で十分だと割り切り、遂に仕事を辞めた頃には、もうニートと呼べる歳ではなくなっているだろう。
俺は、俺の夢を裏切りつ続けて、今ここにいる。
俺には夢がない。
たとえば、差別発言をした会社社長Aに対して、ネットの有名人Bが「こんな発言を見かけて悲しい」と紹介し、芸能人Cが「さすがにこれは酷い」とコメントし、別の企業社長が「俺ならこんな人間に会社を任せない」と憤慨し、アルファブロガーが長文でAの発言の誤りを逐一指摘し、ネットニュースが反応をまとめて当たり障りのない記事を書き、それをブクマしたはてなーが「いまどきこんなことを言うとは」「Aは馬鹿なのか」と口々に責め立て、ついにAが謝罪会見を開いたとき、増田はそれを見てどこもかしこも批判に溢れているように感じ、これほどの攻撃はやりすぎだと感じ、まるで批判者たちは己の正義を信じてAを責め立てているようだと感じる?
唐突ですが私の出身地は北海道の旭川という片田舎でして、その旭川に住む40代男性と思われる方が書いてるブログが私のお気に入りです。
http://tarmericman.blog.fc2.com/
故郷の情報が知れるのと独特の文体が好きなのとで、登録したRSSリーダーに更新があるとウキウキして読みに行ってます。
このブログのように、有名人ではなく普通に暮らす一般の人が書くブログで皆さんのお気に入りがあったら教えてください。
いわゆるヲチ対象とかアルファブロガーとか収益を目的としたブロガーが書くライフハックとか技術ブログとかそういうんじゃなくて、全く無名な人の生活の断片が垣間見れるようなものが良いです。
例で言うと以下ようなブログです。
これは有名なブログですが、ふじこさんが書く撲滅苦愛も好きでした。ここ数年更新がなくて悲しいです。
撲滅苦愛
よろしくお願いします。
というわけであくまでも損の総量の話をする。
id:otsune に名指しで絡んでいった広告マーケティングクラスタの社長がいた。
そのあとヨッピーが加勢してその後ヨッピーがいつもの様にotsuneを晒し「イキり発言をするネット古参のよくししらないおっさん」とマサカリを投げた一連の流れで誰が一番損をしたのかという話だ。
(イキり発言をするネット古参のよくしらないおっさんというマサカリは戦況が明らかになったタイミングで確認をしに言ったら何故か更新履歴もかかずに改変されて削除されていたけどそれはいかがなものか)
otsuneと言ってもPBMクラスタやインターネット中年會、老人會をはじめとするネット中毒クラスタ、アルファブロガー・インフルエンサークラスタ以外では無名である。ヨッピーも彼を知らなかったくらいらしい。
なので彼についてまずは簡単に説明するのは無駄に人生をネットで消費している村民の数少ない義務なのは私も知っている。当たり前の話だ
と言っても私が彼を認識したのはパソコン通信のとあるゲーム系電子会議室なのでわりと最近のことなのであるのはむしろ許して欲しい
彼はそこで既に「めんどくさいが筋の通った男」というテーブルトークなら誰しもが使いたい設定で認識されていた。
その後彼は何度も炎上もして居るのがその評価は変わっていない。それは何故なのか特に筋の通った男としての部分だ。
それは彼がネットウォッチャーとしての流儀を守り続けているからだよなあ。と皆が口を揃えてブコメすることだろう。
彼はネットウォッチ三原則として直接触らない、叩かない、過剰な興味を抱かないを常に実践してきてる。まったりなんて話はしらない
有名な話はTwitter監視ツールの話だ。Twitter黎明期から彼はそのツールの存在と仕組みを公にしているが、それで補足した人間を血祭りにあげたことも、その人の個人情報につながる話を匂わせたことすらないのはまさしくそのもの。
これは彼の元祖モヒカン族としての一面を知っているのであれば当たり前の様に知っている彼のハッカーとしての血がそうさせているのだろう。
彼はマサカリを投げると同時に正しいマサカリの投げ方を教えるほどマサカリについては矜持を持っているらしい。
最近は若返りに成功したのかクラッカーとハッカーの違いもわからない人がはてブを利用してる事もあるだろうからこの場合のハッカーはホワイトハッカーを指してるものだとの断りはさせて頂く。otsuneはクラッカーではなくハッカーなのである。
凄いのは彼は2度ほど自らのアイデンティティに関わる炎上をしているがその際には自分で自分をウォッチするという神の様な選択を息を吸って吐く様に選んだことだ。
ネットウォッチするもの自らも事象としてただウォッチするのだと村民は震えたものだ。
そんな彼のもう1つの一面がBF3の厄介プレイヤーとしての一面と争わないネット討論強者としての一面だ。
彼は無職と思われることが多いがそこそこ有名なIPを抱えるアニメ会社のシス管である。
特にセキュリティについての知見は彼を数年ウォッチした人であれば疑う余地が無いので割愛させていただくが彼が最も得意としているのはシス管のお仕事ではなくBF3であるそれは彼のプロフを見ても疑う余地がない
BattleField4, FreeBSD, Perl, JavaScript, tumblr starcraft2:otsune 537 PSN, Xbox, Steam: masafumiotsune 3DS:1392-3915-2089
久しぶりにプロフを見に行ったところBF4にプロフが捏造されていたのでBF3で話を続けさせて頂く。
彼のBF3の厄介プレイヤーとして有名なプレイスタイルとして「いやらしい地雷埋め」がある。
otsuneがいるぞと突っ込んでくる人を各種地雷で葬りさっていく嫌らしい戦い方を彼は得意とし味方ならほっとけるが、敵ならば非常にうざったい戦術を得意とするソルジャーとしてしられていた
頼りになると思った人は観測範囲が狭いので一度BF3をプレイしてほしい。頼りにはならない
地雷の埋め方は一度引っかかった人が警戒すると尚更引っかかるという極めていやらしいものであった。
彼のそんな一面を知りたい人はPUBGをやると良いだろう。BF4以降では味わえない世界が待っていてドン勝だ。
既に現時点ではネタバレしてて村民歴が長い人は最初から気づいてるだろうが今回も彼は地雷を2つ埋めていた。もう絶望しかない。
ヨッピーは相手の明らかな問題点をどんなに些細なものでもそこだけ切り出し一点指摘して相手をやり込める戦術で社会悪と戦う姿に好感を抱ける人気広告記事ライターなのであるが今回ヨッピーが取り上げた問題点は実はotsuneが意図的に仕掛けていた遅延性ギガ地雷なのであった。
今まで斬ってきたおっさんはヒビの入った禍津神みたいなものだったのだが今回は名も知れぬ土着神だったのも災いした。
触んなければよかったし普通は触らない。そういうものだ土着神は
ヨッピーがotsuneを知らなかったと言うのはマウンティングではなく実際知らなかったのであろうポストがあったっぽいのでそれも不幸だったのだけど彼のしている指摘はことごとく的外れでそれらに関してはotsuneは1つ1つ丁寧に指摘をしていっている。
例えば監視ツールをヨッピーはotsuneが配布または販売していると認識していたがotsuneはゴーストリプレイやプロアクションリプレイの様なビジネスをしてれば大金持ちになったのにとは村民みなが思うところで彼は自分のために作って眺めてるだけである。
ただしギガに関しては「そういう人もいますよね?」と彼のウイークポイントとしての偽装を続けたまま24時間以上を過ごしたのである。
その間にヨッピーのotsuneのイキリ発言をまとめたスクリーンショットと共に
という完全勝利宣言がされたのを皮切りにいヨッピーキッズ達は「ギガおっさん」「ギガネットナンパ師」とギガを消費しながらotsuneへ突撃をしていく。ダークファンタジーの世界観そのものだ。なんどもいうが絶望しか無い
ヨッピーもギガをテーマにファンに向けた熱いメッセージをエントリーした。
ネット老人会の皆様はまたしても id:otsune がやっているなとそれらの構造をまず疑ってかかるのですぐ地雷に気づきニヤニヤしながら眺めたりボヤかしながらのヨッピーにコードのにおいがしないとか単著もないのにとか若者用語もしらないのに人をおっさん扱いかよとか不毛なマウンティングを繰り返していた。
一通りの観衆の手元にギガ地雷が行き渡った後にotsuneはギガ地雷を爆発させた。
ギガおじさん、ギガおじさんと叫んでいた人達は爆発し、otsuneはPUBGに戻った。
眺めていたネット老人会の皆さんはまたしても id:otsune の言ってることが正しいことが証明されてしまったあの頃のはてなは楽しかったなと思い9時に消灯した。最近は夜更かしが辛い。
「おっさん認定をしていた側が若者用語を知らなかった」という地雷をotsuneがしかけて一歩も動かなかったただそれだけの話である。
アングラ系のグループチャットによるとギガビックマックの発売日を狙ったのもわざとだろうという話だ。恐ろしい。
現に「ギガが減る」はヤフーニューストップで拡散され毎秒ギガギガ不毛なワードが飛び交う地獄絵図となった。
つまり一番損をしたのは知らずに配布された地雷を手にしてしまったPRな方々ということだ。本当に絶望しかない。
更なる付記
まるで高速道路で逃げる豚だ!
2chでは経歴暴きで完全に終わった人扱い
ただし2chから離れたところでは「アルファブロガー」として存在感を維持
livedoorのブログ大賞なんかにはよくノミネートされてなかったか
そのうちはてブに頻繁にブログがエントリするようになって「2chでほら吹きだと判明してるのに何でこんな思わせぶりな書き方しかできないブログが注目されるんだ」と思ったものだった
その後、ハゲネタ、結婚、子育て記事で一般層の人気を集め、twitterでアルファな人になったと聞き、ヤフーニュースのメイン個人ライターになっていて、他の文化人と肩を並べ、ショーンKとともにとくダネ!コメンテーターになった出世道には「すげーなこいつ」と感心した
突如として増田の前に現れるプロトタイプ増田11(旧11人の増田)。
アルファブロガーが残したとされる禁忌のネタを使い5000ブクマを動員してyahooニュースにも掲載される。
荒れ狂うYahoo砲とはてブ砲の前に次々とサービス停止に追い込まれるはてなサーバ。
akamaiのバックエンドごと葬り去るその威力の前に、政府は非常事態宣言を発令。
はてな運営は東京DCを捨て、dockerを使い、北海道は石狩にあるデータセンターでサービス復旧を試みるも、
自分を偽って送り続ける退屈な日常と決別して、この非常事態に対する挑戦を開始した。
次回、「決戦!クラウドに降る雪」
君のpingはアプリケーションサーバに届いているか。
という感じの合体ロボものになりませんか。 >さくらインターネット様
そのいろいろとは何かというと、まずブログ黎明からのブロガーの歴史を学ぶということがある。
また人気ブログの掟、定石などを学ぶということがある。
またいろいろのデザインやプラグインなどを主に学ぶということがある。これをかたちから入る学という。
また各無料ブログ、サーバーをはじめ、手当たり次第に学ぼうとすることもあるだろう。
このほかにも、種類を細かく分けていけば、学び方はもっといろいろあるだろう。
それにもアフィリエイトの貼り方を学ぶものと、アフィリエイトを貼りたい者のためにアフィリエイトそのものを講義しているものと二通りあるようだ。
ざっと上記のごとくブログ道にはいろいろあって、めいめい好む種類を学ぶにあたって、めいめいがどのようにして学ぶかが問題である。
その方法はといえば、これまた教える師の思惑、そして学ぶ者の思惑がそれぞれ違うので、様々である。
ブログ道を志して、学びに入ろうとする人々の中には、初めからこれぞという当人の思い込んだ方向があって、その方法も当人が独自に見つけるというケースもある。
しかし、それほどまで特別に思い込んだ方向もなく、方法も自ら探り当てるに至らぬような人は、ものを知った人の言葉を読み、どこから入ればよいか、初めての稽古の仕方はどのブログをまず見るべきか、あれこれ問い求める。これは世の常であるが、誠にそうあるべきことである。
自分が追求したいブログの性質を正しく見定め、それを学ぶ方法を確かに掴んで、ゆくさき横道の悪い方に落ちないように、業績も早く出来上がるように、効率的であるようにと、初めからよく考えめぐらせて、学びに入りたいものである。同じく努力していても、その学びの方法によっては、得失の差が出て来ることだろう。
そうはいっても、ブログの種類はさまざまであるから、特にこれをと、はたから押し付けるのはよくない。たいていは、当人みずからが思い込んだほうにまかせてよい。
いかに初心者といえども、ブログ道を志すほどの者は、まさか子供のような料簡でもあるまいし、分に応じて当人の考えは必ずあろうというものである。
めいめい好むこと好まぬことがあり、また生まれつき得意なことと苦手なことがあるのだから、苦手なことを努めても、効果を上げることは少ない。
またどういうタイプのブログにしても、どのようにして書くかという手順を一応の理屈によって、これはこうだからと示し教えることは簡単であるが、その示し教えた通りにやることが果たして本当に良いものかどうか。それは案外、悪いのではないか。ブログというものは、いかにベテランといえども知りがたいことも多いのだから、やはり鵜呑みは良くはなく、実は当人のこころまかせにするのが一番良いのだ。
結局、ブログはただただ年月長く、止まらず怠らず、励み努めることが肝要である。
学び方はいかようにしてもよいだろう。それほどこだわることはない。方法がどれほど良くても、怠って努めなければ効果はない。
また、それぞれの者の才能によって、効果は非常に違ってくるが、才能のあるなしは生まれつきのことだから、手のつけようがない。
しかしたいていは、才能の無いひとにしても、怠らずに努めさえすれば、それだけの効果はあるもの。
また、歳を取ってしまったひとも、努めて励めば、思いの外、効果を上げることがある。
また、暇の無いひとも、思いの外、暇の多いひとよりも効果を見せもする。
それだから、才能の乏しいこと、学ぶことのおそいこと、暇の無いことなんぞによって、こころくじけて、やめてはならぬ。
なににしても、努めさえすれば、事はできると思ってよい。
まずは、大変遅ればせながらはてな上場おめでとうございます。2ヶ月遅れですが。
先にお断りしますと、この文章は長いです。12,000文字近くあります。そう言えば最近「長すぎて読めない」ってタグ見なくなりましたね。
元々は数日前に自分のブログに投稿したのですが、アイコンを見てもIDを見ても誰にも認識されていないであろう私がこんなことを書いているのも気持ち悪いような気がして、衝動的に消してしまいました。そんな文章ですが、せっかく書いたので思い返して増田に投下します。それでも交流のある僅かな方からは、「あ、あいつだ」とすぐバレると思いますが、全く構いません。
大げさな振りをしてしまいましたが、この、はてなの世界からゆるやかに距離を置こうと思いまして。
ハイコンテクストな話題で、関係者でも有名ユーザーでもない私が語るには随分と分不相応であろうことは承知しているのですが、私は人知れず長年このはてなという会社とそのサービスの利用者でした。たぶん、相当熱心なファンのほうだと思います。
しかしこのはてなという界隈、おそらく長年世間一般的には「俺ははてなが大好きなんだー!!」とはなかなか言い出しづらい雰囲気と言いますか、一部一種のギーク(ナードか?)臭さみたいなものから逃れられないセグメント感があったために、公の場であまりそれを声を大にして語る機会が無かったという状況があったような気はしています。
勝手な想像ですが、よく言われるとおり先日上場した株式会社はてなとしてはきっと、そういった閉鎖的なカルチャーからの脱却を図る必要があるのは事実なのであろうと考えています。
私は「はてな界隈」という自然発生的な、「インターネット好き」が作ったプラットフォームとコンシューマージェネレイテッドなコンテンツが組み合わさってできた若干マニアックな文化がとても好きで、かつてインターネットに期待していたワクワク感のようなものを自分の感性ともっとも近い形で目指している会社だなと思っていたので、はてなを好んで使っていた理由も、今これを書いている理由も、サービスが向かう方向性とのギャップが発生したということで仕方ないのかな、と考えてはいます。
回りくどい書き方ですが、つまり、ここ最近(数年)の急激な利用者層の変化、人気ブログやホッテントリに上がってくる記事とその使われ方の変化、新たな利用者層との精神的摩擦に疲れて消耗するのが嫌になった、ということです。
私は自分の楽しみのために自分が面白いこと書き、読むっていうスタンスで自分のスペースを使ってきたので特定のユーザー群を非難するのはその趣旨とズレるし、メタな「ブログ論」を書くつもりは無いんです。なのでわかりやすいバズワードは書きませんけど、要は、そういうことです。お察し。
ここまで書いておいてから自己ツッコミを入れますが、私がここでこんなことを書いていても、おそらくそれほどの価値は無いのでしょう。
私は長年使っているとは言いながらも、所謂「はてな村」と言われるような有名ユーザー層に所属するようなアカウントではないし、特別人に見られるコンテンツを上げていたわけでもコミュニケーションを取っていたわけでもないし、こんなことをグダグダ書いていても「知らない人。気持ち悪い。」で片付けられてしまうような気はします。
コンテンツもお金も落としてもいないアカウントですので、ある意味運営側の立場から見れば、「うるさいことだけごちゃごちゃ言って全くサービスに貢献しない面倒くさいアカウント」あるいは「フリーライダー」と言われても仕方がない気がします。
これは別に被害妄想を語っているわけではなくて、自分がサービスを利用して得たメリットと、お客さんとしての価値を第三者的に見た時、そういう風に判断されてしまっても仕方ないかな、と冷静に思っただけです。
最近、はてなブログやブクマを見ていて、「これは自分には合わないな」と思ってケチを付けたくなる機会が多くなってきたことと、でも、ケチを付ける発言力(あるいは権利)のバランスを天秤に掛けて、ああ、もう自分が楽しく見ていられる場所ではないのかな、と感じることが増えてきたことと、単なる1ユーザなのにそんなことを考えてしまうこと、考えさせられてしまうことが嫌になってきてしまったということがあって、こりゃ、私の居場所はもう無いのかもしれないな、と思いつつあるということです。
かつての掲示板サービス群から始まってブログランキングやら、SNSやら、インターネットのサービスではいろんなところでこのような文化の変遷みたいな場面は見てきたはずなのだけれども、思ったより自分の生活の大きな部分にはてブが入り込んで浸透していたことに自分でもかなり驚いていますね。
前提としてなぜ、こんなマイナーキャラの私がそこまで一、ネットサービスに入れ込んでいたのかについてちょっと語らせてください。長くてすみません。
私のはてな歴は12年くらいです。長かったらどうだというわけでは無いのですが、はてなを知ったのはまだ人力検索しか無かったころで、自分が実際にユーザーになったのは例の「日本人にはブログより日記」のちょっと後、「はてなダイアリーをはてなブログに名称変更」とかエイプリルフールネタでやっていたころです。最古参ではなくて、ブログブームの頃に「はてな界隈」を意識するようになったので第2世代くらい、ということになるのでしょうか。
その後アカウントが一回変わっていて今のIDは5、6年くらい前に取りなおしたものなので、おそらく古参ぽさは無いですね。
はてなには他社のサービスと比べてとりわけIT系ユーザーの比率が高いと思いますが、私もそうです。一貫してネット関連ですが完全な同業というわけではなく、何度か変遷を経て今は流通系事業会社のインターネット事業担当になったというキャリアです。
はてなのサービスを認識した時はちょうどMovableTypeの2.6あたりが日本でも流行りだした頃で、「Web日記がhtml無しでこんなに簡単にできるなんて!」「コメントとかトラバとかすげー!コミュニティ作れまくり!」とかっていう話題で日々興奮していたのを覚えています。90年代後半からネットは見ていたけれど、これからいよいよ「普通の人」にもオープンに普及していくんだなー、と夢描きながら仕事で、あるいはプライベートでどう活用しようか考えていたんですよ。「Web2.0」より2年前くらいのことですね。
その頃、ちょうどあるECサイトのコミュニティサービスの担当をしていたんですね。いろいろやりましたよ。掲示板サービスが炎上して閉鎖に追い込まれたり、画像著作権で揉めたり、ブログが使えるようになってからは、「ブログに商品の宣伝を書いてリンクを貼ってくれたら100ポイント!!」とかいう現代であればGoogle警察が1日でぶっ飛ばしにくるようなプロモキャンペーンもせっせこ考えては公開してました。更にその後はOpenPNEベースのmixiっぽいSNSをやったりとか。
今考えるとうわーっていう企画も多かったのですが、おおらかながら大真面目にやってたんですよ。まじめに、ライトユーザーに使ってもらうにはどうしたらいいかとか、コアユーザーがどう伝搬してくれるかとか考えてました。その頃は(ネット上のマーケティングにおいては)セグメントの乖離とかそういう問題も今ほどは研究されていなかったし、たぶん自分でもまだ十分理解できてなかったんですよね。私はそんな感じの人間です。
自分語り方面に脱線したので話を戻しますが、ブログブームちょい前の頃、世の中で出始めたブログのアカウントを片っ端から取っては試すということをやっていたんですよ。ココログ、はてダから始まって、livedoor、goo、Excite、Seesaa、Jugem、FC2、楽天、MSN、ドリコム、ウェブリブログ、ドブログ、Yahoo、ヤプログ、アメなんたら……
でですね、そのときにはてなの特異性に気付いたわけです。
なんだこりゃ、殺風景なサイトだなぁ、なんか研究室みたいだなぁ、システム屋くさいなぁ、ってのが当時の正直な印象です。まったく間違ってないと思いますが。
ダイアリー以外の他のブログサービスはだいたい大手キャリア系か、大手ポータル系か、大手ホスティング系のいずれかじゃないですか。実際仕事で関わることがあったのはそういった会社さん達だったわけだったんですけど、私個人的にはこのはてなダイアリーってやつにとても興味を持ったんですよね。
純粋にIT系オタク集団(失礼)がコミュニティで勝負するっていう構図のサービスがすごく面白いなって思いまして、当時から実際にIT系のギークな技術記事とか、濃厚なネットのいざこざとかそういうのがぐちゃぐちゃと集積されつつあって、うわぁ危険と思いながらもはてなだけは明確に識別して見に行く感じになってたんですよね。
人力検索もそうですが、アンテナとか、キーワードとか。私はネットコミュニティをやりたくてこの世界に入ってきた人間なので、人と人をつなげるサービス、というコンセプトに対して面白いことをやろうとしている人達がいるんだなーって思ってたんです。こんな殺風景な非コミュ論壇だらけのサイトなのに。なんだかそのギャップがまたすごく居心地が良くてね。よく閉鎖的って揶揄されるはてなですけど、私はそんな風に思ったことなかったな。
そう、私は村感というよりは、僻地の秘境だけどここは自由でオープンだ、っていうように感じていたんです。
今はなおさら顕著ですけど、その頃って既にインターネットサービスが外来の大手サービスに集約されつつあったじゃないですか。ブログにしたってMovableTypeもWordpressも外から来たものだし、MySpaceとか、Facebookもそうだし、その後の流れって周知のとおりって感じじゃないですか。強いて言えばmixi……はやっぱべつにいいや。
そんな中、日本のドメスティックな小さなネットベンチャーが純粋なコミュニケーションの仕組みだけで世界観を醸成して、しかも生き残るっていうことに夢を感じたんですよ。まあ、ドメスティックっていう部分について言えば、jkondoさんが渡米した時期とかあったなぁ、とかあるんですけども。
はっきり告白しますけど、私のような自分で新しいプラットフォームを開発するほどの実力が無い中途半端なネット屋にとって、超恥ずかしながら彼らはヒーローだったんですよ。jkondoさんやnaoyaさんは私とほぼ同い年ですけど、勝手に同世代のヒーローだと思ってたんですよ。
はてなブックマークでソーシャル・ブックマークという概念を身近に体験した時は「単なる『お気に入り』じゃなくて、興味を持ったものについて何時でも語り合える世界が作れるんだなあ」ってリアルに衝撃を受けたし、スターが登場した時は(FacebookやTwitterより前に)これ、シンプルだけどもしかして世界を幸せにする機能じゃね?って感動したりしましたよ。
だいたい、jkondoさんはすごいんですよ。私など勝てる要素が無いですよ。スプリントでもロングでもヒルクライムでも絶対勝てないですよ。山も強いし、みんな山手線一周1時間48分てできます??サラッと書かれてたけど、メチャクチャ速いよ!!俺も何度もやってるけど、大真面目にやっても3時間切るのだって大変だよ。明治通りや中央通りはともかく、田端駒込あたりの裏路地とかどうしてたんでしょうね。メッチャ危ないよ!!つか、あの頃の自転車クラスタみんなどこ行っちゃったんでしょうね……
何の話でしたっけ。そうそう、趣味が合いそうな人達が集ってるっていう話でしたね。
私の文章は、テキストサイトからアルファブロガーあたりまでの文章にめちゃくちゃ影響を受けていると思います。ちょっと極端なことを書いたら「フロムダ先生の真似か」とツッコまれてドキッとしたり、写真クラスタの真似をしてやたらでかい写真を並べてみたり。最近は年に一回お正月だけに現れるmk2さんの文章を見ると涙が出そうになります。長文には慣れています。必死に調べないとついていけないような技術論議や、内蔵をさらけ出して書いたような、編集が入った本では読めないようなブログを読みたいし、そういう記事でみんなが共感していく世界が見たかったんです。
はてなブログの目次記法は便利だと思うんですけど、他所のニュースサイトに貼られた記事を引っ張って目次を並べていかがでしたか?なんていう記事を、私は単純に面白く読めないんですよ。「参考になりました!」じゃねーよ!!ならねーよ!!残念すぎるだろ!!なんて思ってたんですよ。
ここまでで既に5,000文字を超えてしまいましたが、話が飛んでしまったので一旦元に戻します。
つまり、そういった「自分の好きなものを好きと言う」「好きなものを選んで、好きなものを見て共感する」という、人の本能的なコミュニケーションの楽しみの源泉のようなものを、私は求めていたんだと思います。自分の背中に正直な、泥だらけのスニーカーで追い越すような体験を期待していたんです。
もちろん、どんな時代にだって人と人のコミュニケーションにはいろいろあって、変わらないものがたくさんあるんだとは思いますよ。パソ通の時代だって、BBSの時代だって、初期のブログにだって、「読みました。記念カキコ☆」はあったし、コメント欄で交流が繋がって新たな友達ができるという興奮だってあったし。
最近のはてなだって、今、その興奮を新たに体験して純粋に喜びを感じている人達がいるはずだしそれはもちろん喜ばしいことなんですけど、さすがにこの情報過多なご時世なので、ツールと場所の管理と運営をしっかりやっていかないと、純粋な喜びを埋もれさせず、コンテンツの品質を保つのは相当に厳しいなという実感はありますね。
一般化、大衆化、というものはだいたいそうで、単純に「この村も昔は良かったのに」っておじいさんが言っているっていうような話ではないと思うんですよ。
こんなことを話している私自身が既にネット上では「古い側」の人間になっているのかもしれませんが、個人的には、「はてな村」とかって言われている界隈にそれほどイライラするような内輪感を感じたことは無いんですよね。実際にひどい攻撃的な言葉が飛んできて嫌な思いをしたことだってありますし、慣れ合いとかってのは昔も今もあるわけなんですけど、だいたいは好きなことを好きなように書いた、っていうモチベーションによって書かれた記事は、面白ければ当たるし、面白くなければ流行らないわけじゃないですか。読む側だって気に入ったら読めばいいし、気に入らなかったらスルーすればいい。だいたい、広い世界で見ればごく一部のできごとだっていう側面もあったわけじゃないですか。
だから、一定の、嘘を嘘と見抜ける程度のネットリテラシーさえあれば、海水浴場の中に浮かぶ邪魔な漂着物があっても、農耕地が石だらけで荒地になっていても、単に避ければいいだけだって思ってたんです。
むしろ、良い記事にフォローが集まったり、ひどい記事はひどい記事でそれに集まった批判が有益だったり、そうやってやり取りを応酬する中で集合知として収斂されていくという光景は、みんなで海を掃除したり、畑を耕していくような感覚を覚えていつもネットの醍醐味であり爽快ですらありました。
……でもね。最近の例の動向はちょっと様相が違っていて、私のようなユーザーにとってはもうちょっと見ているのが厳しいな、というのが本音です。商業的なまとめサイトが場を汚染している、というような話であればユーザー側コミュニティによるチェックと自浄作用が働きます。はてブはうまいことそういう機能を果たしてきたと思うんですよね。
でも、ユーザー側のほうで「良いと思ったから良いと言った」というお気に入りによるキュレーション機能が働かず、返報性の原理によるコミュニケーションが中心の場になってしまったら、今のままのはてブでは、(コメントツールとしてはともかく)少なくとも情報ツールとしての価値は大きく毀損されます。これは、ユーザーのモラルもありますが、サービスの構造上の問題として避けられなかったことだと思うんですよね。
海や畑が全部「あれ」になったら、もうどうしようもないでしょう。もう去るしかない。
この問題についてはさんっざんぱらたくさんの人に書き尽くされているのでここでは書くつもりないんですけど、小遣い目的で面白くない記事が量産される、共有のヘッドラインが専有されて他のユーザーに影響を及ぼす、内容に関係なく相互フォローする、これらは本人の意識あるなしに関わらず、関係ない人から見たら無益です。
これについてルール違反がないのならば、サービス品質を維持するための運営/システム側の構造課題を疑ったほうが良いし、ユーザー側についても、一部の炎上チャリーンで喜ぶようなやつは単なるスパムなのでこれは単純な絶対悪ですよ。
別に、ネットの世界で今始まったことじゃないんですよ。むしろはてブは牧歌的で今まで性善説でよくやってこれたなっていうレベルじゃないかと思います。Twitterでも「相互フォロー推進委員会」とかあったなあ。一方的に何百人単位でフォローしてきて、ふぁぼりまくって、こっちが反応しないと砂をかけて去っていくようなのが……
ただそういう人達がごにょごにょ楽しくやってるだけならどうだっていいんですけど、今はホッテントリが明らかに使いづらくなっていたり、更には他のSNS経由でこの界隈の記事が流れてきて反応したらおかしなことになったり、実際にそういうことが発生しだしているんですよね。これが結構精神的にくるものがあるんですよね。
というわけで、そういう一団がこのサービスのほんの数%、もしかしたら0.数%の人達であり、ほとんどの普通の人は何も気にせず普通に自分の日記を書いているんだ、てことはわかっていても、でももう気持ち的にこの界隈と一緒の世界でブログを書くのは無理かもしれない。既に古参と言われる人達がかなり去っていっているし、生き残っている人達も読者層が急激に変わっていたりとかして、なんていうか、見ててつらい。
※最近、ある有名人気ブロガーのブログを読んでいて、半年前にも同じテーマで書かれたことがある記事がホッテントリに入っていたのを見たんですけど、ふとブコメを見てみたら、半年前の記事と反応のコメントが全然違くてびっくりしたことがあったんですよ。よく見ると、並んでいるアイコンがガラリと変わっていることに気づきました。読者層が急激に入れ替わっているんですね。
この人はムラ社会に寄る人では(読者から見たイメージでは)無いし、長い人とも新しい人ともバランスのいい関係を築けていてすごいなあ、と思っていたのですが、図らずも急激に「有名人」として新規層の神輿に乗せられているように見える状態になってしまって、一方で彼自身は広告収入で儲けているようなブロガーではないし、内心複雑な気持ちなんじゃないかな、とか勝手な心配をしていたりします。そういう人、何人かいますよね。余計なお世話すぎるとは思うのですが。
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