はてなキーワード: てっぺんとは
あのねジェンダーとか性役割?について書いてあるコラムとか本とか読んでいて思うんだけど
「新しいジェンダー」
で、思ってしまうのは、
「じゃあ旧来のジェンダーで満足しちゃいけないの?」
「あなたがたは新しいジェンダーをカレンダーの如く毎年作ってもジェンダーのボーダレスには否定的だよね」
ってことなんだけど。
たとえばさ、亭主関白とか男に二言はない!女は男の言うことに従え!って男性とか、夢はお嫁さんになって子ども3人くらい育てて幸せに暮らしたい、夫の理想の妻でありたいって女性とかを、ザルで振るい落とさないわけでしょ?
(古い歌だけど男性だと「関白宣言」、女性だと「あなた」の世界観ね)
ボーダレスについてはさ、変な話、トランスジェンダーは受容されつつあって、それはそれで大変結構なことなんだけれど、じゃあ単純に好きで髪を長くしてフェミニンな服装をしてる事務職のお兄さん、ベリーショートで化粧ゼロで現場職のお姉さん、彼・彼女らって結構いると思うんだ。自分の観測範囲内に何人かいるし。
そういう
方々についてはジェンダー論のふるいにもかけられてない。あちらが小麦粉ならこちらは米です的な。相手にされてない。
したらさ、
「本当に新しいジェンダーにアップデートできる人、くいついていこうとする人」
って、実は
のてっぺんとその下くらいにいて、それ以外の人は社会不適合あるいはてっぺんからは見えない人たち、になっちゃうと思うんだけど、それって健康とか健全なジェンダーなんかな。
不思議。
コロナ、思った以上に長引いているね。ワクチンも現実味を帯びてきたけど、どうだろう。実際にその辺の医療機関で使用されるのはいつになるだろう、来年中になんとかなるのかな?それとも再来年になるんだろうか。こちとら休日にお家引きこもり期間も長くなってきたし、疲れるよね。インドア派な自分でもこうなんだから、アウトドア派やアクティブな人はさらにつらいだろうな。
今は第3波がきている状態だけれども、山のてっぺんが見えてきた頃だろうか。それともまだ伸び続けるだろうか。どちらにせよ、いったん下り坂になったとしても、また次の波がくるよね。もっと高い波が来てしまう。個人でできることはもうしてるから、山の様子を眺めるしかない感じだし、こんなこと言っても何にもならないけどね。あぁ、また次の波が来たぞ、気をつけろ、って言って、波の届かない高台へみんなで非難することができればいいけどね。なんにせよ自分は真っ先に高台へ向かうだろうと思う、言い訳として気をつけろ、波が来るぞ、って言いながらね。
公的な対策は打たれるだろうか。ちょっと無さそうだな、彼らも私と変わらないのかね。できることには限りがある、今はまだその時ではない、経済に対する影響に責任は負えない。
まぁそうだよな、責任負えないね。間違っていたらどうする、波の来ない高台に誘導したら、その高台まで波が来ないとは限らない。経済が壊れると人の生活が壊れる。
現実的な人は、経済とコロナ対策のトレードオフを考えているんだろう。一定のコロナ被害を引き受ける代わりに、経済への打撃を限定的に抑えなさえたい。人の感情を考えればはっきりとは言えないけれど、コロナによる死者が月間何人くらいまでなら許容できるという計算もされているんだろうか。人命と経済の価値交換。年齢、残り働ける平均年数と平均年収とか労働生産性みたいな数値から、年代別の死者数と掛け合わせて被害予想額を出したりするんだろうか。
まだ子どものいない若い年齢層なら、もし生きていたら生まれたかもしれない子どもたちの将来的に生み出したかもしれない価値も計算するんだろうか。計算できないよね、こんなの。だから閾値も設けられないし、判断も遅くなるんだろうな。すべてが終わった後、結果論としての振り返りが行われたりするんだろうか。責任が追求されたりするんだろうか。失われたのは命か、お金か、最適解はあったのか、次に同じようなことが起こった場合の対策は?
山を登り切ると、向こうの山が見えてしまう、さらに高い山が見えてしまう。登りたい人だけが登って済めばいいんだけどね。そうもいかないんだろうね。
この前大変ショックなことがあって、その時周りの反応から思ったこと。
ねじ切られそうに精神が辛い時、一発目にこのセリフもらうとマジで沁みる。
いっぱいいっぱいの時とか文字見るだけで嗚咽した。
飲もう!はたくさんきたけど、すぐ予定調整してくれるひとは限られるので嬉しい。
時間でもお金でも、自分のために割いてくれるのは純粋に嬉しい。
一晩中飲みに付き合ってくれたり、高い酒あけてくれたりなどなど。
「あんた○○だから大丈夫、だって○○だし○○なところも〜〜」みたいに
頭のてっぺんからつま先、中身、生い立ちまで誉め殺しにされて自己肯定感修復された。
しんどい時なんて「世界で一番自分が不幸」な気持ちでいっぱいなので、
「お疲れとか何目線だよ」とか「よくねーよダボ」みたいな歪んだ気持ちしか湧いてこなかった。
「俺も@@@でさ〜、それに比べたらマシだろ?」
愛の鞭みたいなつもりかもしれないけどただの死体蹴り。
滅されてほしい。
人間の男女しか知らんようだが、たいていの動物でも「劣ったオス」というのは同族からすらうっとうしがられる存在だ。
ショウジョウバエ、そうあのバナナ放置しているとどこからともなく湧いてくるコバエ、
遺伝子配列が単純なことからよく実験動物として使われるあのコバエ。
あれも実験で劣ったオスが一定数出て、DTのまま死んでいくオスとSJのまま死ぬメスでは前者のほうが多いという結果がある。
オスというのは生物的には総じて単なる資源を浪費するごくつぶしに過ぎない。
オスが社会のてっぺん目指すようにできているのは、もしかしたら、そういう己の存在価値を示すためでもあるのかもな。
この増田はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、
駅前でレンタカーを借り、見慣れた風景の中を懐かしく思いながら車を流していた。
その風景の中に味気ないクリーム色をした小学校の校舎が見えてきた。
「あ、ここ俺が行ってた小学校なんですよね」
「ふうん、そうなんだ。あ、でも『俺の母校めぐり』はしなくていいからね」
里子はそう言っていたずらっぽく笑い、いつものクシャっとした笑顔を向けた。
俺も里子と、その背後に見えるクリーム色の建物を見ながら笑って応えた。
「校舎裏に原っぱがあってカマキリたくさん捕まえてさ」
こういった類の話は得てして、その時間、その土地にいた者以外にとっては
そういった性格的な了解が里子と俺の間にはあったため、冗談を言い合い
じゃれあうようにしながら目的地の温泉地へ向けアクセルを踏んだ。
仮にこの妻を良子としよう。
良子の提案で、彼女が大学院時代にすごした地方都市へ旅行に行くことになった。
「このカフェがとってもお気に入りで、ほとんど毎日来てたんだ」
「あ、ここが昔住んでたアパート。ぼろいけどまだ人住んでるね」
「この飲み屋はね、BGMが素敵なの。あ、今日はお休みみたいね」
軒先のビールケースと使用済みのおしぼりがただじっと回収を待っている。
良子は、里子が言うところの『俺の母校めぐり』をほぼ無自覚に、
いやここでは無邪気に、と言った方が正確に思えるが、行っていた。
良子を愛しているし、俺にはないその無邪気さが
より一層彼女を魅力的にしている数多くの要素のひとつだということも分かっている。
ただ、たまに、里子のことを懐かしく焦がれる瞬間がある。
どうかしたのと本人に聞いてみても「さぁ・・・なんででしょう」というような曖昧な返事しか返ってこないので困ってしまった。
私もサボテンも、あまり人付き合いが得意なタイプではないのだ。だからいつもは程々の距離感を保っている。
しかし相手が落ち込んでいるとなると話は別である。実は私はサボテンに助けられたことが何度もあるのだ。
例えば仕事でミスをした時。そのミスが些細なものであっても私は勝手に考え過ぎてしまって、そして深く落ち込んでしまう事がある。
そんな時、サボテンは私を慰めたりは決してしない。むしろ文句を言うのである。
「もっと肥料がほしい、湿気が多い気がする、日光浴がしたい、云々」
私はそれに従って忙しく働くのだが、世話をされて楽しそうなサボテンを見ているうちに仕事のミスなどは自然と忘れて気にならなくなるのだ。
そういうことがこれまでに何度もあった。
私はサボテンに顔を近づけてよく観察してみた。いつものようにツンツンと張ったトゲが針のように光っている。
・・・もしかして私と同じような事がサボテンにもあるのだろうか。何かを深く考え過ぎて落ち込んでいるのだろうか。
「ねえ、ちょっと触っていい?」
私の突然の問いにサボテンは驚いたようだった。そして少し怒ってもいるような気もした。無理もない。
触られるのを防ぐためのトゲを持っている生き物に対して「触っていい?」が禁句ということは誰にでも分かることである。
私はサボテンの返事を聞かずに、その身体のてっぺんにある唯一トゲの生えてない場所に人差し指をそっと乗せた。
この3年間で初めて触ったサボテンの感触は、他の植物と同じようなものだった。瑞々しくて少し弾力があって、そして生きている感触があった。
その間、私はサボテンの悩みとは何なのか考えてみたが、正直なところ見当もつかなかった。
しかしサボテンにはサボテンの悩みがあるに違いない。それだけは確かだろう。
私には私の悩みがあるのだから。
入りきらなかった題名
『昔好きだった男の子が見事に「アベガー」になっていて百年の恋も冷めた話』
題名の通り。昔好きだった男の子が、「アベガー」になっていた。それを知ったのは2、3年前の話だけど、今日安倍総理が辞任されるという話を聞いて色々と思い出したので書こうと思う。
政治の話がしたい人には申し訳ないが、ここからしばらくは私の恋話に付き合っていただきたい。ウヨもサヨも、野党も与党も安倍総理も、全く関係がない。
長い前置きで悪いね。でも言っておきたい。私は彼のことを責めているのではない。私は結構自分勝手な人間だったってことを自覚したと同時に、世の中の残酷さを味わったという、ただそれだけの話。
昔、というのは私が中学生の頃のこと。現在の私は社会人1年目。社会の荒波に揉まれながら毎日頑張っている。
これは、私が中学2年生だった頃から23歳を目前に控えた今日までずっと消化しきれなかった、小さな恋の話である。
中学2年生のとき、好きな人ができた。彼の名前は"リュウ"としよう。クラスメイトが時々彼は神木隆之介さんに似ていると言っていたからだ。リュウは賢く、明るく、優しく、運動も得意で、先生にも好かれている、常にカーストのてっぺんに立っているような人だった。対する私は、良く言えば大人しく、悪く言えば地味な眼鏡っ子。勉強はそこそこ、運動は苦手、国語の先生には好かれて体育の先生には嫌われるようなタイプだった。
リュウは私のような人にも優しかった。人見知りの私は初対面の人間の大半が苦手だが、不思議と彼を苦手だと思ったことはなかった。初めて隣の席になったときなんて、もう毎日が夢のようだった。教科書見せて、これどうやって解くの、今日朝練やってたね…少しずつ、少しずつ、私たちは"ただのクラスメイト"から"友達"になっていった。
友達になった私たちは、あっという間に仲良くなった。(私は人見知りだが彼のことが大好きだったから、どうしてもこのチャンスを逃したくなくて必死だったのだ。)ノートの切れ端で手紙を交換して、授業中に目が合えば小さく手を振られて、休み時間はよく2人で頭を突き合わせて数学の問題を解いていた。
私は彼のことがずっと好きだった。今でも覚えている。中学3年生のある日、彼はこう言った。
もちろん答えはイエス。隣の席になったときよりも、もっと夢みたいだった。
で、まぁよくある話だけど、幸せな時間は長くは続かないんだよね。夢みたいに幸せな私が、彼と恋人でいられたのはたったの半年だった。公立中学校の3年生には、受験というものがあるからだ。ありがちな展開で申し訳ないが、私たちは進学を機に別れてしまった。より正確に言えば、私は彼に振られたのだ。
大半の大人から見れば、中学生の恋愛なんて所詮はオママゴト。中学校より高校、高校より大学、大学より社会人になってからの恋愛の方がより真剣で、大事なものだと思っている人も多いんじゃないかな。でも、私にとってあの時の恋は本当に真剣で大切で、今でも忘れられない出来事だった。
話は変わるが、私が初めてスマートフォンを手にしたのは高校に入学したときのことだ。スマートフォンを手に入れた女子高生がすることといえば?
…そう、SNSだ。私はTwitterアカウントを手に入れた。(Instagramを始めたのはもっと後の話だ。)
始めたばかりのTwitterアカウント、それもリア垢でフォローするのは誰?
…そう、リアルの友達だ。私は友人たちを探してフォローしたし、彼女らも私をフォローした。そうやっていつの間にか広まって、私のフォロワー欄には同じ中学校や高校の人たちが並んだ。
その中にリュウがいた。恋人になる前の私とリュウは気の合う友達だったし、趣味も話もよく合った。SNSでも、滅多にリプライなんてしないしされないが、それでも私たちは時々、本当に時々、ネットの世界で顔を合わせるようになった。
まだ私は彼のことが好きだった。あの時だって、「面倒な女」「聞き分けの悪い女」になりたくなくて、別れ話にも納得したフリをしただけだった。必死で忘れようとして、本当に忘れた時もあったけど、やっぱり好きだった。多分ずっと好きなんだと思う。
ストーカーだと思われたくないから、今までの話は誰にも言ったことがないし、行動を起こしたこともない。私は彼にLINEの一件すら送ったことがない。
私の激情もだいぶ落ち着いて、大学生になったある日。リュウのTwitterをたまたま見てしまった。いや、わざわざ彼のアカウントを見に行ってしまったのだ。友達に彼氏ができたって聞いて、私はやっぱり彼のことを思い出してしまったから。
高校生の頃は確かにあったはずの、彼の好きなスポーツや音楽、部活にゲームに本や漫画の話題は全て消えていた。真っ白なタイムライン。タップしてリプライ欄。メディア欄。空っぽ。
どうしたのだろうかと考えながら、またタップ。いいね欄。私はここで2度目の失恋をした。
「安倍晋三は総理大臣としての責任を果たしてさっさと辞職するべき。」「アベはこの問題について一体どう考えているのか。逃げていないで説明しろ!」「アベは国民をバカにしている!」「アベが」「アベが」…。
どうしたというのだろう。何故彼のいいね欄は政治の話…それも所謂「アベガー」ばかり。
リュウは優しい人だった。自分も努力家で、同じく頑張る人を見捨てられない、優しい人だった。
間違っても、誰かを口汚く罵倒するような人ではなかった。
なのに、どうして?
私の恋心ゆえに、記憶の中のリュウがかなり美化されていることは分かっている。(クラスメイトよ、リュウが神木隆之介似というのは流石に言い過ぎだと思う。)
でも、優しくて賢くて、誰かに手を差し伸べることはあっても、誰かを攻撃するような人ではなかったことは紛れもない事実だ。
何がどうしてこうなったんだろう。リュウが私の理想通りにならなかったことに怒ってるんじゃない。絶対に言い返さない、言い返せない人に向かって、安全圏からこそこそ口汚い言葉を使うような人に共感しているなんて、ショックだった。
直して欲しいとは思わない。誰が何を考えていようと自由だからだ。彼は自分が共感した意見にいいねを押して、私は勝手にショックを受けた。ただそれだけの話。
私は懲りずに彼のアカウントを見に行った。凍結されていた。
恋って一体何なんだろう。
各記事のリンク張りたかったけど増田仕様?9個までしか張れない模様
祝 書籍化
※2020年上半期、cakesでもっとも読まれた記事 15位
突然だが、私はアイカツ!という作品の出戻り勢である。そして、戻ってきたことを後悔したオタクでもある。
アイカツ!放送当時、私は小学三年生だった。ちょうど声優、逢来りんの一つ下にあたる。大した理解力もなかった私は、3話にして純粋に神崎美月にハマった。レッスンする姿がカッコ良かった、それだけだった。
1年目は純粋に楽しんでいたが、2年目の終盤。最高のパートナーがいちごとセイラであると明言されたとき、幼心に感じたのは「あおいは?」だった
時が経ち、あかりジェネレーションになった。さくらの薄紅デイトリッパーはうっすらと覚えているから、恐らくそこまでは見ていたのだと思う。しかし放送開始当時の私は小学五年生になっていた。周りにはもうアイカツ!を見ている友人はおらず、曲が好きだと誤魔化しても苦笑いされるばかりだった。アイカツ!は幼稚だと、友人は思っているようだった。
私はあかりジェネレーション開始のすぐあと、ジャンルを後にした。
さらに時が経ち、私が小学六年生の三月にアイカツ!は完結した。最終話と聞いて、一年半ぶりに見てみようと思った。
あかりがいちごより早く崖のてっぺんに登ったところで思い浮かんだ当時の感想は「は?」と静かな怒りだった。もちろん私は出戻り勢。あかりジェネレーションはその時見てもいなかった立場だ。その回はカレンダーガールなども流れたようだが全く記憶にない。悲しいことである。
それからすっかりアイカツ!から離れ、高校一年生になったある日、Twitterを見ていた私はふと、幼少期の推し、神崎美月について検索してみた。
そうしたらなんとびっくり。アイカツオンパレード!なるものをやっているのだ。
びっくりした。小さい頃の推しにまた会えるんだ。そう思った。
そして深く後悔することになる。
まず、私は大空あかりについて色々調べてみることにした。
そしたらなんとびっくり。いちごと美月が出せなかった、私も名前を知らない新しいアピールヲ出せたと書いてあった。
は?が正直な感想だった。そりゃ彼女たち、つまり私が応援していた時には無かったものだから2人とも出せなくて当たり前だよね。そう思った。
とりあえず、あまり見ていなかったあかりジェネレーションをDアニメストアで全部みてみることにした。
大変申し訳ないが氷上スミレ、新条ひなきのことは一切記憶になかった。しかしあかりがドリーミーレイクに行く場面などは記憶の奥底にうっすらと残っていた。さくらのデイトリッパーも懐かしい気持ちでみていたが、大空お天気やスミレの歌の話も一切覚えていなかった。
さくらがスターライトクイーンになる話やあかりのBlooming♡Bloomingから先も記憶にないので、おそらく当時の私はこのあたりで視聴をやめたのだろう。そう思った。
そして見始めること151話。ファンの間でも意見が割れるであろう大スターライト学園祭。私は当然のように否定意見しか出なかった。
ルミナスが推し(美月)に勝ったことではない。見えないところでも頑張っていたという関係者のツイートを目にしたからである。
なんだそれは。あかりは努力するキャラ、少なくとも私が見ていた2期ではそうだったはずだ。見えないところでも頑張っていたから出来た、それは天才として作られたキャラには通じる言い分だが、なぜ努力として作った大空あかりでそれをやってしまったのか。
彼女は見えないところでも頑張っていてはいけなかった。頑張りを余すところなく見せないとダメなキャラだった。
そしてまあ、その後4期も見た。アピールはしっかりと新時代のアピールと明言されていたので一先ずそこの誤解は解けた。
とりあえず推しがいるのだから繋がりたいと思うのが世の摂理。推しの名前で検索すると出てくるのは罵詈雑言。
うーん地獄かな。小さい頃好きなキャラがBBA呼ばわりされているのをみて戻ってきてよかったと思うファンっているのだろうか。少なくとも私はよかったと思えなかった。
あかりジェネレーションでいいと思った曲も聞いてみた。そしてYouTubeのコメント欄で見るのは必ずと言って良いほどあかりの努力の賞賛。ここまではまだいい、しかしそれと同時に他のキャラは努力していないみたいな書かれ方だった。
とある動画で「美月といちごは天才だったからあんまり努力はしてなかった。でもあかりは沢山努力した」というコメントをみて「は!?」となった。私が見てた1期と2期ってなんだったのだろう。幻覚?
どこぞのいちごやゆめと違ってあかりは努力しているというツイートも見かけた。私が小さい頃応援していたいちごはなんだったのだろうか。
ダイヤモンドハッピーはかえでの曲だった話を耳にした。楽しんで見ていた1期の裏にそんな事情があるとは知らなかった。知りたくなかった。
トライスター編で蘭の役は本当はあおいの立場だったが、あおいに嫌な印象をつけたくないから蘭にかえた、という噂も聞いた。あくまでも噂だがショックだった。
しかしこれでも戻ってきた身。文句ばかり言っているが、美月のLPRは自力で揃えたし、ドリームストーリー第1弾のPRも揃えるつもりでいた。
ここでやって来るのがコロナ騒ぎ、そして緊急事態宣言に伴うゲームセンターの閉鎖。これはもう仕方の無いことだろう。だから私は、きっと第1弾の延長が告知されると思い、定期的にDCDの公式Twitterを確認していた。
結果、ファンの「第1弾延長だって!よかった!」というツイートで知った。
なんなんだろう、これは。その公式Twitterは何のためにあるのだろうか。情報発信が目的のはずなのにどうしてそんな大事な話を発信していないのだろうか。
小さい頃好きだったものは、こんなひどいものだったんだろうか。
小さい頃楽しんでいたものの裏に、愛など無かったのだろうか。
小学生の頃の思い出を踏みにじられた気分だった。
私の推しは確かに、Twitterをやっている層からはあまり人気はなかったのだろう。それは分かる。ここに来て見返してみると、確かに美月の行動はかなりおかしい、そう感じた。
しかしだからって、なぜBBAとか言われなきゃいけない。小さい頃好きだったオーラの演出をフケとか言われなきゃいけない。
こうなるのなら戻ってこない方が幸せだった。
推しのことも、ファンのことも、トライスター編やかえでのことも、知らないままで思い出にしておけば良かった。
そう思った。思ってしまった。
推しの新規CGや楽曲を聴きながら、今日もアンチスレを開く。しかしこれからも私は、追い続けてしまうのだろう。アイカツ!というコンテンツを、小さい頃見た楽しい世界を追いかけて。
私は園芸が嫌いだった。
いや、おそらく……嫌いだったのは父で、園芸には興味がなかった。
父が大事そうに育てている花たちに興味が持てず、どの株も同じようにしか見えなかった。
だから最初から農園を継ぐつもりもなく勉強に打ち込み、そこそこいい大学に行って実家を離れた。
それから10年間の間に私は園芸に触れず、父の農場が今どうなっているかにも全く関心を示さなかった。
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ある春の日の仕事帰り、ふと100円ショップでミニサボテンが売られているのを見つけた。
連日の激務で疲れ果てていた私は売れ残っていたのであろう萎びたそれに同情し、自身の安アパートの部屋に連れて帰ることにした。
「生き延びろよ」と声をかけ、俺も頑張るからと心の中でつぶやく。
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しばらくたったある日、異変に気付く。
よくよく見てみると肌にツヤがあり(水を吸ったのだろう)、新しいトゲが頭のてっぺんから生えてきている。
なんだか嬉しくなってしまい、その日は滅多にしない晩酌をした。
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一人じゃ寂しかろうと思い、ホームセンターから別の種類のミニサボテンを連れ帰った。
サボテン入門の本を買い、よく育つよう黒のプラ鉢に用土、肥料も用意した。
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まずい事実に気付く。ベランダが北東向きで日照時間が足りない!
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職場からは少し遠くなったが、ベランダは広くなった!園芸用スチールラックも買った。
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また春がやってきた。
希少なサボテンの種を購入した。多肉植物、コーデックスの種にも手を出した。
種まき後の生存率は5割……初心者にしてはまあまあなのではないか?
日ごとに成長している姿を見せるサボテンの苗たちが愛おしい。
いつのまにかそれぞれのサボテンたちの顔色が少しわかるようになっている気がした。
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婚約した。
婚約者を父に紹介することになり、日程調整のため久々に電話で父と会話した。
インスタやってるよと言われ、写真を見てみる。
「父さん、このサボテンは?」
「え、初耳なんだけど……」
「昔は少しだけだったけど、今は農園の区画が余ってるから趣味のものを増やした」
さらにインスタをスクロールすると食虫植物やら蟻の巣玉やら……まあいい趣味だこと!
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私は園芸が好きだ。
初めて手に入れたサボテンはもう二回り以上大きくなった。
つまりはそういうことなんだが、チェンソーマンの面白さとは、アンチカタルシスを極めたあの藤本タツキという作者の作品に、少年漫画のエッセンスをこれでもかとぶち込んだその濃度だ。
漫画マニアなら作者の前作、ファイアパンチは知っているし、最低でも1話は読んだことがあるだろう。今ならジャン+で無料で1日1話やってるから、知らなかった一般人諸兄も気になるなら読める。1話目をとりあえず読んでくれ。復讐譚の導入としては、これ以上ないほどの1話目だと感じられると思う。これが合わないなら藤本タツキは合わない。それはしょうがない。
で、このファイアパンチだが、連載終了後もとにかく賛否否否両論ある漫画だ。とはいえ、否の方も「編集がバケモノを持て余した」というタイプの否が多く、1話目の出来を疑う人は少ない。ではなぜここまで否が多いか?簡単だ、徹底して読者の予想を裏切ることに特化したからだ。問題は、予想だけじゃなく期待すらも裏切ったことだ。
1話目を読んだ時点では、ファイアパンチはどう考えても「復讐譚」になる。復讐譚にしかならない。モンテ・クリスト伯や虎よ虎よの導入のように、如何にして復讐を遂げるか、を期待させ、復讐への葛藤を乗り越え、最後にどうやってカタルシスを感じさせるか、に焦点が行く。しかし、ファイアパンチは徹底してその予想、期待を裏切り続け、復讐ではなく「呪い」「嘘」「演技」といった、ユングのペルソナ論的な方向性に進んでいくのだ。あれだけ復讐の想いを奮い立たせる効果がある1話目の妹の言葉すらも、「その役割からそれっぽい言葉を言う」という演技からくるものではないか、というちゃぶ台の下の畳からひっくり返すレベルの話を平気で作ってくるのが藤本タツキだ。主人公の復讐という目的から、アレコレあってブレてブレてブレまくって、という葛藤をも描いた作品だ。カタルシスなんてあったもんじゃない。全力で振り回される、ジェットコースターのような作品だ。観覧車に乗ったと思ったらてっぺんから急降下してなんかよくわからないけどコーヒーカップで目が回ってた、みたいな状態になる。徹底したアンチカタルシス、解決しないことへのこだわりを感じさせる作品だ。
さて、ここまで前作の話だが、今作のチェンソーマンはどうだろうか。1話目は作者の妹(作者)のTwitterでも読めるし、ジャン+でも確か読めたはずだ。まず読んでくれ。1話読み切りだとすると完璧過ぎる1話だ。「普通を望みながら、誰もが今以上を望む」というテーマを書きながら、ちゃんと伏線張って回収する、お手本のような1話目だ。さて、ここから本作がどうなっていくかだが、とにかく主人公であるデンジが直情的なのだ。俺の邪魔すんな、面倒みてくれる奴が好き、おっぱいもみたい。とにかく目的が、「自分の感情」でブレない。ここが前作と比較したときの大きな差で、少年漫画とはこの確固たる「目的のブレなさ」が大きな魅力なのではないか。ナルトなら火影、ワンピースなら海賊王、チェンソーマンなら「普通の生活」である。カッコつきの「普通の生活」が何かは読めば分かる。読め。デンジはその「普通の生活」への憧れが本気で、徹底してる。馬鹿らしくても徹底してるんだよ。それも1話目からだ。
そして藤本タツキ作品には、素晴らしい助演が居るのだ。ファイアパンチではトガタ、チェンソーマンならマキマさんだ。まて、石を投げるな。チェンソーマンならポチタだろうとか、パワーちゃんだろとか、アキくんと姫野の話とかコベニちゃんだとかコベニカーだろとかあると思うが、マキマさんだ。マキマさんが圧倒的にエロいんだ。直情的なデンジに、文脈のエロさを教えるんだ、あのシーンでマキマさんに心を動かされなかった奴は居ないだろう。いいから読め。まだ既刊は7巻だ。今日7巻発売。一瞬だ。読め。合わないならしょうがないが。読め。マキマさんは怖くてエロいぞ。1話目のセリフも、素晴らしい前フリになってる。読め。
もう一つの魅力はセリフ回しだ。例えば、デンジが夢をバカにされた時のセリフ、「み~んな俺のやること馬鹿にしやがってよぉ、みんな偉い夢持ってて偉いなぁ!じゃあ夢バトルしようぜ夢バトル!お前が俺に負けたらお前の夢は俺の夢以下な!」だ。最高に頭が悪い。バカのデンジが、圧倒的なバカを本気で叫ぶ。読者も、そのバカを待ち望んでいる。予想は裏切っても期待は裏切らない、王道の少年漫画だ。それでいて、前作のジェットコースター性は失っていない。圧倒的なスピード感と期待を裏切らないフルスイングのバカ、これはジェットコースターではなくもはやテーマパークだ。
まだまだ魅力はあるぞ。マキマさん以外も素晴らしいキャラがたくさんいる。全員がブレない、生きたキャラだ。書ききれん。読め。キャラデザも最高だ。読め。全てを理解していけ。
チェンソーマンというテーマパークを楽しめるかは個人差がある、友達になりたくないならしょうがない。私だって高校の文化祭が最高の思い出で率先して同窓会の幹事をやるような奴とは友だちになれない。シラフでディズニーランドを楽しめる奴とは友だちになれない。大学院の研究室生活が365連勤のような状態で如何にクソだったかを語りつつ、研究室生活に戻りたいと思ってるような奴と友達になりたいと思ってる。そこはしょうがない。いいか、読め。1巻だけでいい、読んでくれ。