はてなキーワード: おためごかしとは
クリスマス(2017)だしもう別れたんでこっそり復活させとくわ
まさか三十路を越えた童貞の俺に恋人ができるなんて思わなかった。
インターネットでリア充を気取る輩どもも、非モテをこじらせてリア充をうらやむ芸風の輩どもも、俺は気にくわなかった。
だから、そういう話で場が盛り上がる度に「そんなことより聞いてくれよ、うちのオカンがさ!」と、だれも聞いていないオカンネタをツイートしてどうにか居場所を確保していた。
おかげでオカンは毎朝起きるとアルミホイルをシャクシャク噛みながら口笛でダイアルアップをしてインターネット株取引にいそしむ化け物になってしまった。この場を借りて深くお詫びしたい。
だが、インターネットでしずかにこじらせていた俺にも好意をむけてくれる奇特な女子が現れたのである。
快活でやさしくてユーモアと好奇心を兼ね備えた年下の才女であり、たいへんかわいらしい。性格カタログと化した往年のエロゲでもなかなかここまでストライクなものはないだろうという高級物件である。
もちろん、俺は三十路童貞よろしく魔法使いとしての矜持をたずさえ、しずかにはげしくこじらせていた。
これはもう確実に騙されているに違いない。
三十路超えの売れないふぁぼられないブクマもつかない顔も目と鼻と口と耳がワンセットついているだけでたいしたことはなく、悪いことに肉は最近落ちなくなってきたうらさびれたインターネット芸人崩れを好きになるわけがない。
そうだろ?
だから当然の帰結として、生身の人間に触れずにオッサンが考えた二次元の女子の一挙手一投足に日夜情欲を昂ぶらせていた自分であるがゆえに、生身の女子がくれる好意の質を勘違いしてとらえているのだろうと手前勝手に得心した。
さもなくば、その好意に乗せられて暴走する俺をどこかで観察してあざ笑っている集団がいるのだろうと考えた。
そういう面白い催しがあるのならば、どうせなら観察する側にいたいものだ。
三十路半ばで人生に対するそれなりのあきらめを身につけた俺は、半ば自嘲とともにイグアスの滝にノーロープで飛び込む芸人になったつもりで好意に乗った。
手もつながずにデートは終わった。中学生男子よろしくゆだった頭がその重要さに気づいたのはデートが終わった後だった。
好意を向けられた相手にデートに誘わせたあげくなにもしなかった俺に、相手は失望しただろう。したはずである。
なにもなかったということは、さすがにかけるコストとして俺が笑いものにされている可能性は低い。
というかそもそも俺は罠にかけて笑いものにされて面白いようなキャラクターではなかった。
こうして浮かれて血迷った頭が人に決断の時を誤認させるのだなあと深夜の公園で砂山に頭をうずめて泣いた。
ふがいなさが、自責の念となり俺を毎夜責め立てるようになった。釣り逃した魚は大きいのであるし、俺はこうしてこの失敗を人生における最大の失敗として二月に一度くらいの頻度で悪夢に見ながら死ぬまで一人であることを責められ続けるのだろうなと覚悟を決めた。
いい夢を見たのだと思って、宝石箱にしまって生きよう。そう思っていたらまたデートに誘われた。
あるデートの時、意を決して家に呼んだ。
向けられていた好意につきあってみたような気持ちでいたはずなのに、いつしか呼吸ができなくなっていた。
胸は本当に苦しくなるのだと知った。右室ブロックの気があるらしいです。ヤバい。
さすがにこの頃になると、お互いにお友達同士のおつきあいではなく異性として認識しているに違いない。
何度となく繰り返された三十路のくたびれたオッサンの咲きかけの恋と葛藤、不完全燃焼のデートの度に膨らんではしぼんでいるのである。
他人事としてみるとこんなに気色悪いものはないのだが、明らかに相手も俺のアタックを待っているのである。
恋に狂った本能はそうだと断じている。しかし、「騙されるな、社会性を失うな」とこじれた理性もまたささやくのである。
「貴様の薄汚い下半身由来の欲求がそういう自分に都合のいい思考を招いているのである。一緒に居て楽しい女子と二人でいられるだけで身に余る幸福だというのに、お前は自分からその幸福を靴で踏みにじろうとしているのだ」
と大脳皮質に棲む天使(メイド服)と悪魔(ブレザー)がドルビーサラウンドでささやく、最近二人の意見が食い違うことがなくなってきた。
いやいや、とはいっても、女の子家によんで、お茶とお菓子だけ飲んでおしゃべりだけして帰るわけないでしょ、平成何年だと思ってんの。
二一世紀に生まれた若造どもが青い性欲をもてあまして図書館トイレ駐輪場でよろしくやってるんですよ中学生じゃないんだからそんな――
――手も、つながずに、デートは終わった。
待ってください、みなさん。ウンコを投げないでください。座布団を持って行かないでください。
みなさんのおしかりはごもっともです、自分でも、こんなに恋愛に向いてないとは思わなかった。
ふがいない右手を切り落としたい衝動を押さえつけて、メールで謝罪文を打ち、その勢いでおつきあいをお願いした。
リンゴが地面に落ちるがごとくオッケーがでた。
客観的に見るとなんなのこのウブなネンネちゃんとしか思えないし、実際そうだ。
相手もここまでつきあってくれるというのは相当の変人か暇人だし、この際もうちょっと押していこう。
ここにきてようやっと足が動きはじめて恋人的な段階が進んでいくわけです。
話が長くなってきたんでノロケはこの辺にしまして、タイトルの伏線を回収したいと思います。
途中段階はとばしますけど初行為をするべくホテルに行ったわけです。
泡の出る風呂とか照明とかで遊んで、テレビをつけて、AVはやめようってんでNHKにしといたんですよ。
あとは存分にイチャイチャして、照明を落として、消毒剤の臭いがするシーツの上に彼女の身体を横たえて、服はうまく脱がせなかったけど、ブラのホックは一発で外せて。いざや鎌倉うちてしやまんって時テレビの音が耳に入るわけです。
非常に耳慣れたBGM。そう、俺はこのBGMをよく知っている……荘厳で重厚で、悲哀をたたえた力尽くで精神をゆさぶってくる力強い音楽……!
彼女の肌の色がまぶしくて目をつぶるだけで経験したはずもない二〇世紀中盤の白黒映像が走馬燈のように流れ去っていく……。
『映像の世紀』
この文字列見るだけであのテーマソング「巴里は燃えているか」が耳に蘇る方多いんじゃないでしょうか。
わかりますよチャンネル変えるとか、音量下げるとかすればいいんですよ。そんなことはわかってるんですよ。
でも壮大な音楽と、うすっぐらいナレーションをバックに慣れない愛撫とかしてるんですよ、背中にファスナー付いてないかとか、カメラがしかけられてるんじゃないかとか、この反応は演技ではないのか、とかそういうことを考えるのに三十路半ばおじさんは必死なんですよ!! チョビ髭の男が演説してる中、ゴムを付け替える俺の身にもなってくださいよ!! ていうか早くしないとこのままだとあのシーンになってしまうじゃないですか!! だが焦るほどになにもかもうまくいかない!! 東京が焦土に!!
なかばやけになってテーマソングのリズムに沿って腰を動かしてたら、新型爆弾が落ちました。
人間としていろいろ申し訳なくなります。この映像とBGMが強力すぎて、俺は今後彼女と肌を重ねる度に「巴里燃え」が自動的にかかる身体に改造されてしまったわけです。
ちょっとした背徳感は恋のエッセンスとかそいういうおためごかしをすっとばして不謹慎きわまりない初体験です。ヒンズー教徒だった前世の俺が牛肉でも食ったのかと言わんばかりの仕打ちに心折れつつも、焦土となった都市の映像に負けない励起状態を維持しようとしている俺に、彼女がようやく口をひらいてくれます。
そう! 俺はずっときみの一言を待っていたいまからでも遅くない助かった! このいまいましいテレビ消そう! 消そうと言ってくれ! この状況がちょっと面白いのはわかるが俺のチキンハートはもう耐えられないんだ!
枕元にあるリモコンをたぐってなんでもいいからチャンネルを変えてくれ――! はやく!
このままでは俺の爆弾が――――
「ん、――不発弾?」
イケませんでした!
(最後の部分をオチ補正のため追記しました、わかりにくくてすみません)
(まだわかりにくいですよ)
(オチがなくて無理やり付け足すからこういうことになるんですね、わかります)
(うるせ-!)
何度でも言う。地域の絆と犯罪にはなんの関係もない反社会学講座ブログ http://pmazzarino.blog.fc2.com/blog-entry-188.html
寝屋川の中学生殺人事件について、「「地域の絆がうんぬん」とかいうおためごかしを抜かすんじゃねーぞ、地域は十分に安全に配慮していたがそれでもアクシデントはあるんだから」というブログエントリー。
はてブを見ると、主に前半が注目されているようだけど、個人的には後半の論旨のほうが気になる。というか、ずっと考えている話。
ゼロリスクがありえないという前提に立てば、必要な安全性と利便性、コストとを天秤にかけて最適の資源配置を実現せよということになる。ただ最適の資源配置であってもアクシデントは起きるわけで、感情的にコストを投入すれば資源配置は最適なものではなくなってしまいむしろ安全は劣化する。資源配置が最適なものだったかという検証はもちろん必要だが、確認された場合にはアクシデントがあったとしても現状維持、何も間違っていなかったと考えることが正しいわけだ。
だが、正しい選択をしていたのに「不条理」にアクシデントが起きる、人が死ぬということに人間はなかなか耐えられそうにない。いや、それを受け入れるための仕組みとして宗教というのがあり、「人間には計り知れない神の御心なんやで、しゃーない」と納得するようになっていたはずだが、現代のぼくらはいかにして「不条理」を受け入れるのか。まあ受け入れられないから、わかりやすい悪人や失敗を見つけることになるのだろう。
とここまで書くと、若い頃に読んだ宮台真司の影響をばりばり受けているのがばればれで恥ずかしいのだが、自分の母の介護をしていてどうにか助かる道がないか考えていた時も、あるいはわかりやすい悪人をぶったたいて気勢を上げている活動家・ネット民のみなさんを見る時も、やっぱりこのことを考えてしまったり。
「女は外見しか見ない」「男は中身を見ない」←どっちよ
http://anond.hatelabo.jp/20150713234228
これ書いたんだけど。結構ブコメとか付いてて。マジで世の中こんな感じの感想なのかとビックリした。
でも本当にこんな感じで反応するんだなあと。
→学生のウィキペディアコピーレポートと、査読を通る論文では『中身』の意味合いが違う、中身が無い論文は採用されない。みたいな純粋な中身。ってのが伝わらないのは本当だろうか?
→女の子はお姫様とかきらきらしたものが子供のときには好きだし、男の子は発達障害が多くてミニカー渡すと並べだす子が多い。みたいな性差に基づいた嗜好が普通にある。女の子はきらきらした『見た目』のものが好きで、男の子はプロ野球名鑑みたいなのを暗記するのが好きだったり。これをもって、女、男と書くのは、医学的にもなされてることなのに、なぜダメなのか分からない。
→モテナイから、疑問に思ったが、モテナイから文句を言ってるわけではない。
→中身無い論文は採用されないから。中身無い文学なんて歴史に残らないから。だから中身に言及するのは自然としか思えない。
「フィールズ賞の話なんてありがたいと思わないでしょ」
→普通に中身あると分かってる話しだから、理解できなくても是非聞きたいってなるがなあ。
「人生経験が足りない」
→人生経験してる人達って、文学とか哲学とかなんで読まないの?それこそ人間の存在について色々疑問持って普通読むんじゃないの?それをしない『人間性』ってどの程度の人間性なの?薄っぺらく感じる。ってかおかしいと思わないのかな自分で。あおりとかじゃなく、普通におかしいと思う。強くなりたい、って思ってる人がトレーニングしてないみたいなおかしさ。
→だから、女が求める中身、とやらは本当に中身という話なの?たんなるおためごかしでしょ。中身って単語を恣意的に間違って使ってる。AV女優は演技下手なのに、一応女優的な、そういうエクスキューズでしょ?
「中身は外見に表れる」
→すばらしい中身の発達障害系の偉人は相当クズ扱いされるなあ。外に出たらいぶかしがられるのが中身なら、中身がある奴が好きだという女の言葉はやはりおかしいのでは。
とまあ、俺はそういう風に、思ったんだけど。
世の中的には、ブコメの通り思うのがスタンダードで、俺は間違っているという話らしい。
でも、俺は数学で学年で俺だけ正解とか、そういうのたくさんあって。俺だけ違う答え書いたから間違いかといわれたらまったく納得がいかなくなってしまう。
だってそれが正しいなら、大多数が数学でバツつけられるあの事象はどう説明するんだろうって思う。
でも、客観的に、数学とくようになんの感情も抜きで、こういう結論に俺はなってしまうんだけど、なぜみんなそうならないんだろうか。と思う。
答えを見ても理解できない層というのが大多数らしいし、こんなものか?
俺が正しいと言いはることに意味は感じないが、じゃあ何が間違っているんかは、まったく理解できなかった。
中身があるなしという話で言うと、論文なんかは中身を審査できる人間ってのが限られてて、ほとんどの人には無理だから。
だから、中身を判断している、っていう言葉自体が相当おごり高ぶっているとしか思えない。
男の場合は、発達障害とかで、確かにそういう奴がいるなってのは理解できる。あるいは専門に走ってるオタクとか。
でも、女はそういう人少ないわけだ。医学的にも。
そうなると、女の中で、「中身で判断する」というのがスタンダードになることはかなり難しいと思う。なんらか理屈がないとおかしいと思える。
惜しいけど、ちょっと違う。
勘違いしたまま時間浪費するだけだよお前の漫画ツマンネーから打ち切りだよ!ってキッパリ言ってあげなかったからだね編集者のおためごかしの言い訳が面白い漫画を描く未来を奪ったんだねかなしいかなしい増田君が言ってあげたら?
オレはただの一読者だからね。自分勝手に、ただ面白い漫画が読みたいだけなのね。
だから、「さっさと見切り付けて、もっと面白い次の漫画描けや」「そんで、くだらんことくっちゃべっとる傍観者どもの口を、お前の漫画で黙らせてみれや」「それが漫画家やろうが」って言いたかっただけなんだよ。
分かって貰えたかな。
言いたいことはよーくわかる。
ぼくも研究室配属の時、同じ学科の人たちがこんな研究をしだいだのなんだのと言っているのを尻目に一切迷うことなく一番楽な研究室に決めていたし、授業の一環で講演みたいなものを聴きに行かされた時も、どこぞの会社の役員の
「社会で活躍する研究者となるためには積極性がなければ云々」みたいな話を、「社会に洗脳されるとこんなことを本気で言うようになってしまうものなのか~」と思っていたぐらいだ。つまりはぼくも、仕事が面白かろうがつまらなかろうがそんなことはどうでもよくて、生活に困らないぐらいの給料が楽に稼げればそれでいい、と考えているということだ。まあ今時、こんな人間は石を投げれば当たるほど大勢いるとは思うけど。
だけれどもいざこの時期になると、そんなやる気のないことばかり言ってもいられなくなってきた。なにしろあと一年で大学を卒業してしまうのに、その頃もし職がなければ収入もない、収入がなければ死んでしまう。そういう非常にシンプルでかつ、容赦のない理屈が世の中には存在する。だからその自分の話す志望理由だとか自己PRだとかいうものが所詮おためごかしにすぎないとわかっていたとしても、やるしかない。有吉弘行がマイナビのCMで「やるしかないから、やるしかない」と言っていたけれど、身も蓋もないこの言葉はおそらく事実そのものだ。もちろんぼくは今も依然として向上心があり、リーダーシップがとれて、皆から人望がある人間なんて唾棄すべき存在だしクソくらえだと思っている。だがそれはそれとして、就活なんて“入社してからも続く、面白くもなんともない仕事”と性質は違うものの同じだと考えて、割り切った方が間違いなく得だ。どうしてもそれがイヤなのなら、頑なに夢を語らず内定のないまま卒業しても良いと思うけど、おそらくそれだと自分の思い描いている“普通”の暮らしとは程遠い生活になると思う。実際、その“普通”の暮らしを送ることができない人間は世の中にけっこうな数いて、もはやそれはぼくたちにとって決して他人事ではなくなっている。だから、我慢して夢を語ることと、自分の思い描いた暮らしを享受すること。その二つを天秤にかけて、好きな方を選択すればいいと思う。その結果はあくまでも自分の責任で、上手くいこうがそうでなかろうが、その結果は誰のせいにもできない。
就活というものはある意味、イニシエーションの儀式なのだと思う。
学生時代、人は誰でも自分のことを内心で特別な存在だと思っているが、その多くは取るに足らない凡人にすぎない。今まで特別だと思っていた自分という人間が、ありふれた存在であるということを知り、また自分の思っていた“普通”の生活を維持するのは思いの外大変だということを知り、人は通過儀礼を経て成長するのだと思う。しかし、人によってはその挫折に耐えきれないこともある。就活というシステムが若者にとって良いシステムなのか悪いシステムなのかはぼくにはよくわからないけれど、システム自体を変えることができないぼくたちは、ほどほどに頑張るしかない。
読んだ。ブコメもいくつか。
も見た。
Japanese Twitter Users Mock ISIS With Internet Meme
(http://www.nbcnews.com/storyline/isis-terror/japanese-twitter-users-mock-isis-internet-meme-n291591)
にも目を通しておいた。
もちろん「ISISクソコラ画像グランプリ」の画像もいくつか見ておいた。
というのは、論理としてはなんとなく理解できる。でもそれを信用するには、その論理に誤りがなく妥当な効果があることが前提だが、平和ボケしてるということなのか俺は信用できないでいる。ネットでの言い分なんて、「しっかりした結論なんて生じ得ない、当座かぎりのおためごかし」と思ってしまえば、それでおしまいだったりするわけで。
無関心を決め込むなら、メディアがしっかり情報を統制しないといけないけど、日本のマスコミにそんなの期待できるはずないし、日本政府がそこまでガッツリやるとも思えないし。
かといって日本政府が実際に情報管制しいたとして、「それはそれでディストピアじゃね?」って。知る権利がうんたらー、なんて喚く人が出てくるのは目に見えてないすか?
たぶん俺には、テロリストのことがなんにもわかってない。テロリストがわからないからこそ、その対策をも信じられない。
急にUFOが来て宇宙人が下りてきたとき、「彼らは地球人と和平を結びに来たんだ!」と言われようが、「戦争だ! 宇宙戦争だ! 早く軍備を!」と言われようが、宇宙人がわからないのだから信じるすべがなく困惑するように。
彼を知り己を知れば百戦危うからず
(孫子)
という言葉もあるが、
戦いは、敵の気持ちを理解したら負けるのだ
という言葉もある。
拘束事件から、些末ではあるがイスラムに関することをググったりした。おそらく俺は知りたかったのだろう。
ISIS、つまり敵について知ることは重要なのかもしれないが、でもそれはISISに対して情でほだされて肩入れしてしまう可能性を秘めちゃいやしませんか、と自問した。それは仲間を集めようとした彼らの術中ではないですか、と。
いや、そもそも無関心を装うのなら、「フランスのように連続テロが日本で発生しようと無視を決め込めますか?」という疑問に、「もちろん」と答える胆力が必要になる。
俺は今現在、こうしてISIS関連のことについて考え、書いてるわけで、無関心を決め込むフリすらできないでいる。
この文章を読んでいる人も同じじゃないか? はてブやらニュースやらテレビやらツイッターやら学校やら仕事場やらで、ISIS、テロ、拘束事件関連のことを検索しては読んだり、見出しに惹かれてページを開いちゃっり、少しでも話題にしてしまった人たちは、みんな落伍者では?
無関心を決め込む。
できる人はいい、すればいい。
出来ない人は?
出来ない人を「まんまとテロリストの図にのりやがって、グズが」と叩くなら、それもいい。ただ「日本人すべてが無関心を決め込む」という解決法には沿わない。
自分の足の動きを意識し始めてしまったムカデのように、無関心を装おうという気概こそが無関心から程遠くさせてしまいそうで。
いや、そもそも「日本人すべてが」という一般化が間違っているのか?
じゃあ「日本人のある程度が無関心を決め込み、その他は自由」とか?
これってトップダウンの政策のように、大多数が無関心でいて、落伍者をミニマムに済ませる施策が必要になるのでは。本当に政府やメディアが腰を上げない限り、机上の空論で終わってしまうような気がする。
だから信用もままならないし、おおよそ実践もできそうにない。少なくとも俺には、だけど。
とはいえ、俺が「無関心」というものについて、勘違いをしてるだけなのかもしれんね。
上の記事にあるように、
ISISの脅しに対抗
とあるけど、俺たちはISISの人間を怒らせるのが目的だったっけ?
薄汚い意見かもしれないが、「日本でISISに関連するテロ、人死にさえ出なければ、わりとどうでもいい」なんじゃないのか?
今回、日本人が拘束されて俺がドキッとしたのは、対岸の火事だったはずが僅かではあるものの現実味を帯びて、『テロという暴力と「日本」』として、身近に感じられてしまったからだと思う。フランスの風刺画、連続テロまでは無関心を決め込めた。時事ネタとして、いずれ過ぎ去るよくあるニュースとして。
実際、北大生の件については、見聞きはしても、記事をわざわざ検索しようなどとは思わない程度に、無関心でいられた。
正直なことをいえば、今回の拘束者が2人とも殺されても、その後ISISと日本とになんら交わりがなければ、俺はどうでもいいと言える(お1人の死亡が囁かれる今でもなお)。
それに、クソコラをつくった「ツイッターユーザー」は、他の人も考えているように、おそらくなにも考えずにやっていた(やっている)のだと思う。コンビニのアイスケースに入って写真とったり、ゴキブリ揚げたりするようなヤツらと大差はない、と。
まあそんな認識はどうでもいいのかもしれない。結果として、現実にテロ抑制に繋がるのなら。
結構。どれもいいんじゃないですか。だってどれも信用できないんだもの。
結果論。
みなさんの仰りたいことは承知のこと。「だったら代案、提示してみろよ」でしょ。
できやしませんよ。ワーキングプアですよ、こちとら。まともな教育うけちゃいません。
皆さんと同じ、ただの一般人です。ただの。
「ISISの脅威がなくなるまで、全国民1日1枚クソコラ制作の義務」とかします?
笑えなくて、ごめんなさいね。
「GANTZ」の新宿での大虐殺のようなシーンでは、その場にいる誰もが無関心ではいられないと思う。
無関心を武器とするなら、ATフィールドくらいの防護壁がないといけないように感じる。
ただ現実で無関心といえば、丸腰・丸裸で鼻歌でもうたいながらスマホいじっていられる余裕のように思われる。
俺、そんな余裕ぶった無関心でテロにあって死にたくないです。
唐津で開催された全国知事会議で、少子化非常事態宣言というのがブチあげられたらしいんだけど、
子供が産める年齢の女性が、結婚して子供を産むためには、まず結婚相手が必要なんだが、相手となる若い男性(の平均像)には、結婚能力が無い。
いくら女性が婚活を頑張っても、相手に結婚能力が無いんだから、頑張るだけ無駄。
年収200~300万そこそこじゃ自分1人が食べていくのがせいぜいで、結婚して子供が出来て手当が付いたとしても、夫婦揃って貧乏暮らしを楽しめる性格でないと結婚生活が維持できないし、そんな性格の男女が出会って揃う確率は低い。
「貧乏好きな性格のカップル」頼みの少子化対策なんて、無理過ぎる。
もはや一夫一婦制などという「おためごかしの偽善」をうちすてて、モテる男性・扶養能力の高い男性に、複数の女性をあてがい、たくさん子供を産んで養ってもらうほうが、はるかに有効だ。
男性は妊娠・出産が出来ないのだから、一夫一婦制に替わって採用すべきは一夫多妻制だ。
もしくは、女性が複数の男性を渡り歩いて、複数回の出産をし、子供の扶養は男性に任せられる、という枠組みでも良いかも知れない。
何にせよ、一夫一婦制という枠組みではもう無理。
民法を守って国が滅ぶのでは意味が無い。そんな民法は改正すべき(9条を守って国が滅ぶのでは意味が無いのと似ている)。
旧来の枠組みで「やってけない」んだから、枠組みそのものを変えなければならん。
公序良俗や道徳、諸外国に対するメンツが有る、そんな事は出来っこない、と言うなら、日本は滅ぶしか無いわけで、「少子化非常事態宣言」自体、お飾りのポーズに過ぎず、知事各位は全然本気じゃないって事だ。
いや自分もよく使います。んでその効力の絶大さにすっごいびびるんですけどね。
公共ないし倫理上の正義を主張する場において、迷惑をかけないようにとか迷惑をかけたくないとか。
そういうのがよく使われるようになった。だいたい、10年前にはあんまりなかったと思う。
自分の感情を公共と同一視するまで落として、同時に公共の感情を可能な限り低く抑える。
ただこういうのはもともと子供や感情的になりやすい人を御する場で効力を最大限に発揮する
特殊な言葉で、社会であんまり乱発するもんでもない。人間の自己統制力が弱くなる。
それなのに迷惑にならないようにとかご迷惑をおかけしますがとかあんまり度々聞くから、
きっと今のこの国は、感情的な人が増えてるんだろうなあと思います。
まあ実際公共物のマナーポスターは異常増加していて、ここの予算は毎年跳ね上がってんじゃないのと、
んで、様々なストレスに対する「なにか」というおためごかしがもう、限界にきてんじゃないの、と
最近の私は思うわけですが。
今やっているCMの中で一番好きなのがプロミスの「もっと!サービス向上委員会」だ。
http://www.youtube.com/watch?v=F5ZHI-Bhpw8
最初は凄い気持ち悪いと思った。消費者金融が「人のためを思って」とかおためごかしを言ってるんじゃねーよ!と思っていた。
だけど何回も見ていて別の面白さが出てきた。
この「もっと!サービス向上委員会」の女子グループの配列の仕方が、ものすごいリアルなのだ。
メンバー紹介のページを見てほしい。
http://www.motto-service.jp/member/
この中でのリーダーは間違いなく相武紗季だ。芸能人としての知名度も高いし、多分「委員会の中で可愛い娘ランキング」をやったら一位は相武紗季だろう。
だけど、これだけの想像で終わらないのがこのユニットの面白い所だ。他のメンバーは顔を見るだに「我が強そう」なのだ。
自分のやり方にプライドを持っていて、全員が全員「私がいなきゃこのグループは回らない」と思っている。
「委員会の中で可愛い娘ランキング」で一位が紗季(キャラ名は名前だけで「紗季」らしい)という結果が出た時に「やっぱり~。紗季が一番かわいいもん」と言いながら『でも本当は私が一番かわいい』と思っているようにしか見えない。
間違いなくこのグループの中にカーストがあり、全員が全員のことをある程度バカにしている(もちろん尊重している部分もある)。
このCMを見るとそんなことが自然と想像できるので、心がざわついてしまう。そのざわつきがたまらなく好きで、ふとこのCMを見てしまう。
もうこんな想像を出来る要素が満載だ。こういう女子グループをテーマにしたものはアニメや漫画に多いけど、一番ドロドロした面がにじみ出てくるのはこの「もっと!サービス向上委員会」だ(もちろん、これを含めてほとんどの女子グループがドロドロした面を出さないように作られた物なのだろうけど)
流れで、これが選挙行かない派の最大限言いたいことだと思って。元増田の話からも。
投票行かずにこう思っている人が沢山居るならその人達が投票すれば変わる。
そうでないなら、現状、多数がこの結果を望んでいる、ということになる。
勿論、現在の選挙がある意味消去法的な選択しか無いひどい状態なのが余計投票しても仕方ない、って思わせるのは分かるけど。
ま、何にしろ、直接見返りが来る様な物はなかなか難しいけど、
意味不明な政党が力をもって、ホントにそういったどうでもいいじゃん?って層に目に見えた損害をもたらす様にならない限りは
投票に行く気にはならないだろうね。
多少の増税だとかじゃなくて、それこそ生きていくに困るくらいの状況にならないと。
そうじゃなきゃ、所詮行っても同じでしょ、で終わっちゃうのは理解できないことはないし、選挙行こう、なんて啓蒙活動したって何の意味もないのは分かってるし、
素直に面倒だから行かなかった、といえばいいんだけど、
ワタミにおける就労について、こわい記事が掲載されていた。
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/2761
ぶったるんだ気持ちで仕事すんな。
当然だよね。
でも、限度ってものがあると思う。
こわいと思うのは、それを実践しようとして自殺してる人がいること。
自殺は甘えと言うのは簡単だけど、実際に自殺しようなんて、すごい精神状態なんだろうと思う。
そんな状態になってしまう可能性を内在した労働実態って、それは一体なんなんだろう。
竹ヤリで飛行機を墜落させよう!みたいな。
もしかすると、ワタミの中には、実際に竹ヤリで飛行を落とせるような超人が生まれているのかもしれない。
一方で、超人以外の人間は死ね、と言っているようで、それがこわい会社だなあ、と思う。
しかもその主張が、相手を成長させようとして発せられていること、これが一番こわい。
ワタミの社長は色々言われているけど、きっと正しいことをしようとしている気がする。
でも、その思想はたくさんの不幸にさせられた人の上に立てられた理屈なんだよね。
経営サイドから言えば、向き不向きがあるとか、色々な理屈はつけられる。
でも、それは事前に「ウチの会社は、自分のやり方についてこれない人は捨てます」とはっきり明言していないと主張できない理屈だと思う。
なのに、全国平均と比較して離職率が低いとか、おためごかしを社長が正々堂々と主張する、この無邪気さが恐ろしい。
横だけど年収200万とかでも毎年百万を超える額で税金を収めなきゃいけないこともあるんだよ?うちもそう。
年収200万ぐらいだと所得税や住民税は15万ぐらいかな。これに年金12万と国民健康保険で18万。これだけで公共へは充分払ってるよね。
土地などを保有しているだけでもお金はかかる。固定資産税だけでうちの場合百万超すし、贈与税などを考えるとやってられない。
インフラとか公共サービス使ってるんだから収支がプラスだとか言わんといてよ。
払った税金がどこに使われてるかって、自分が住んでいるところとは関係ないどこか過疎地の道路とかをつかわれてるだけじゃない。
そもそも、こっちのインフラの元になる土地や環境を誰がつくってきたのだとか、提供したのだとか、
そういう経緯を無視して後からきた国を名乗る連中が勝手に資産算定して公共財だからとかいわれても困るわ。
個人ともかく一族としては大損だよ。
戦前の財閥や華族とかに比べたらたいしたことないけど、守ってきた文化財などが二束三文で海外にされちゃったみたいなことと同じことがまたおきてるよね。
日本の主要地の土地だけみても既にだいぶ海外から買われてる。中華系の買収ものすごいよね。
四公六民を超えると江戸時代では一揆を超える水準になったというけど、なるほどこれくらいが限界だとおもうんだ。
景況感が悪く災害がおきてるときに税率をあげるとか一揆の時代からの学習があまりないよね。
法人税率なんかで4割とったうえに、均等割額とかいくつ税の種類があるんだか。
複雑すぎて士業すらもう把握しきれなくなってるじゃない。
行きすぎたシンプル礼賛は人類をいとも簡単に破滅に導く。いわゆる逆立ちした新プリズムである。正しいシンプル志向をここにお教えしんぜよう。
正しいシンプル志向とは無駄がないことである。逆立ちしたシンプル志向とは矮小化である。例をあげようか?腹痛がする。治したい。
原因は何だろう?働きすぎか?じゃあ休もう。治った。なんだ過労か。これである。過労はあくまで引き金。本態は内臓の異常なのである。
逆立ちしたシンプリズムに浸かりきった老年世代にありがちな推論錯誤であーる。つまり表面しか見てない。しかも一部。実に狭視野、実に矮小。
そして面白いことに、逆立ちしたシンプリズムの矮小性は、正しいシンプリズムから見れば「無駄」なのである。畢竟するに両者は相容れない。
そこに早く気づくべきなのだ。間違った簡潔さを狂ったように行使し続けた結果が現代社会であり、あなた方の心のありようなのだ。
それは正しい簡潔さから見れば、複雑怪奇なシロモノであって。簡潔にして簡潔ならず。似て非なるものなのだ。いったい誰がシンプルは善なんて
言ったんだ!善にして善ならず。それはもう今や取り返しのつかない事態なのである。繰り返す。正しいシンプリズムは無駄がないことであり、
究極的にはそれはありのままに認識することなのだ。であるからして、ある種の現実平面からの逃げの一手段として矮小化した認識を
「わざわざ」生み出すことは、表向きは有意義に見えたとしても究極レベルではそれは「無駄」なのである。早い話が、正しいシンプリズム
欧米といえば、左胸のところに「救命は要りません、ありがとう」っていう刺青すんの流行った(?)ことあるみたいだね。流行りとかじゃなくて普通にもう根付いてんのかな?
ある程度のトシ行った人が入れるんだって。道端とかで突然ぶっ倒れた時のために。
そういうのが可能なのって何つーの、自己に関する責任とか決定権とかが社会の共通認識としてある程度しっかり固まってるが故だよね。
でもニッポンはそうじゃないじゃん。和をもって貴しとなすの精神だからか、意思決定とかめっちゃ苦手じゃんこの国の人は。
そうでなくても「死ぬ」なんてこと受け入れたり消化したりするの大変なのに、「これから受け入れたり消化したりするぞ!」って決めるのがそもそも踏ん切りつかないみたいな感じになるじゃん。
それを法制度化するのって、外部から押し付けるみたいに義務化するみたいにもってくのって、どうなの?
しかもおためごかしにも本人の幸福のためでなくて医療費のため。
でも「そこから自己決定権を奪ってはアカン」という部分をどうクリアするのかって本当にすごく難しい。
「承諾書類にサインすればいい」くらいまで整えたとしても、土壇場で泣いて嫌がる人って絶対出るし。
カネとか損得だけ見るのは何か違うと思う。
仕事って結局稼ぐことだよね。金のためだよね。みんなみんな金のためだよね? 金に従ってるのであって、上司に、得意先に従ってるわけじゃないよね。
node.jsが面白いから使ってるんじゃないよね。金をもうけやすいから使ってるだけだよね。
簡単に儲けられればなんでもいいよね。ビジネス誠で語ってる人たちも、儲けてるから出てきてるだけだよね。ちきりんだってお金になるから書いてるんだよね。
ちゃんと「金以外に興味はない」言うべきじゃないかな。みんな。仕事なんてお金のためであって、転職の「より高いステージ」は給料が高いって意味だよね。「仕事が趣味です」ってのは「金儲けが趣味です」ってことだよね。もっともっとお金がほしいんだよね。やればやっただけ金がもらえるから「趣味」として成り立ってるんだよね。それって仕事が趣味じゃなくて、金を集めることが趣味だよね。
すべてのビジネスインタビューはまず「どれくらいお金が好きですか?」と聞いてほしい。もっともっとみんな「お金が好きだ! 人より1円でも集めることが大好きだ!」と言ったほうがいい。つまり「金が集められないやつは無能」だということも言った方がいい。その人の評価は給料の多寡ではなくて、どれだけ金を持ってるかなんだろう。誰だってその人の話じゃなくて、その人の持ってる金の話が聞きたいだけなんだろうし。ビジネス系サイトは「お金大好き集まれ!」と記すべきだし、みんなお金が大好きだ。
わたしはお金が大好きだ。金さえあればなんでもできる。幸せの圧倒的大多数は手に入れられるし、不幸のほぼすべてを回避できる。もっともっと金を集めたい。誰よりも早く、上手に。持ってるやつから取りたい。持ってない奴はなんとかして金に変換してから奪いたい。俺のところに金が集まればそれでいい。金が減ることは厭だ。女と付き合うのも真っ平だ。俺の金目当てで来た奴になぜ金を使わなければならないのだ?
人物関係の整理ねえ。増田でそれって相当不毛だけど、こういうことにしとこうか。
元増田は「自分の感情のためにいじめてます」っつってるじゃん最初から。
いいからまず人の話をよく読め、な?
元増田ってこいつな↓
http://anond.hatelabo.jp/20110914135838
同一人物って証拠はないけど、それ以上に別人とも思えないし。つうかこんなの複数いたら嫌だw
確かに自分の感情のためにいじめてますね。でも感情のためにいじめてるとだけ書いてるわけじゃない。
同時にイジメを親のしつけ代わりとかおためごかしコイているでしょ。
で、アンタがどの増田か知らんけど
こいつってことにしとくわ。
元増田の取り組みを個人的に賞賛してるのは俺。
賞賛までイッちゃってるアレなのは確かにアンタぐらいみたいだけどw
元増田も正当化にかけちゃ最初から引けをとらんよ。要するに同類ってこった。
つうか、まだ自演ってことにしといた方が多少マシだったかもな。
だって自分の感情のままにイジメやるやつを社会的に意義があるとまで言って賞賛しちゃう人って立ち位置だよアンタ。
やばすぎるだろwwww
いいからそーやって自分が受けた不快感に憤慨する元気の100分の1を
そっちの方がずーっと簡単だから。
これはもうホント、クチャラー叩いてる側に言いたいwww
自分がクチャラーから受けた不快感に憤慨してイジメ正当化する、その元気と脳みその容量の1000分の1でいいから、
自分がちゃんと理屈通してモノ言ってるか省みるのに使ってほしい。
そっちの方がずーっと簡単だしマジに周囲に与えてる不快感の防止になるよ。