2015-03-06

甘んじるか、それがイヤなら割を食うしかない

anond:20150305021937

同じく就活生。理系、男。

言いたいことはよーくわかる。

ぼくも研究室配属の時、同じ学科の人たちがこんな研究をしだいだのなんだのと言っているのを尻目に一切迷うことなく一番楽な研究室に決めていたし、授業の一環で講演みたいなものを聴きに行かされた時も、どこぞの会社役員

社会活躍する研究者となるためには積極性がなければ云々」みたいな話を、「社会洗脳されるとこんなことを本気で言うようになってしまものなのか~」と思っていたぐらいだ。つまりはぼくも、仕事面白かろうがつまらなかろうがそんなことはどうでもよくて、生活に困らないぐらいの給料が楽に稼げればそれでいい、と考えているということだ。まあ今時、こんな人間は石を投げれば当たるほど大勢いるとは思うけど。

だけれどもいざこの時期になると、そんなやる気のないことばかり言ってもいられなくなってきた。なにしろあと一年大学卒業してしまうのに、その頃もし職がなければ収入もない、収入がなければ死んでしまう。そういう非常にシンプルでかつ、容赦のない理屈が世の中には存在する。だからその自分の話す志望理由だとか自己PRだとかいもの所詮おためごかしにすぎないとわかっていたとしても、やるしかない。有吉弘行マイナビCMで「やるしかないから、やるしかない」と言っていたけれど、身も蓋もないこの言葉はおそらく事実のものだ。もちろんぼくは今も依然として向上心があり、リーダーシップがとれて、皆から人望がある人間なんて唾棄すべき存在だしクソくらえだと思っている。だがそれはそれとして、就活なんて“入社してからも続く、面白くもなんともない仕事”と性質は違うものの同じだと考えて、割り切った方が間違いなく得だ。どうしてもそれがイヤなのなら、頑なに夢を語らず内定のないまま卒業しても良いと思うけど、おそらくそれだと自分の思い描いている“普通”の暮らしとは程遠い生活になると思う。実際、その“普通”の暮らしを送ることができない人間は世の中にけっこうな数いて、もはやそれはぼくたちにとって決して他人事ではなくなっている。だから、我慢して夢を語ることと、自分の思い描いた暮らし享受すること。その二つを天秤にかけて、好きな方を選択すればいいと思う。その結果はあくまでも自分責任で、上手くいこうがそうでなかろうが、その結果は誰のせいにもできない。

就活というものある意味イニシエーション儀式なのだと思う。

学生時代、人は誰でも自分のことを内心で特別存在だと思っているが、その多くは取るに足らない凡人にすぎない。今まで特別だと思っていた自分という人間が、ありふれた存在であるということを知り、また自分の思っていた“普通”の生活を維持するのは思いの外大変だということを知り、人は通過儀礼を経て成長するのだと思う。しかし、人によってはその挫折に耐えきれないこともある。就活というシステム若者にとって良いシステムなのか悪いシステムなのかはぼくにはよくわからないけれど、システム自体を変えることができないぼくたちは、ほどほどに頑張るしかない。

記事への反応 -

記事への反応(ブックマークコメント)

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん