行きすぎたシンプル礼賛は人類をいとも簡単に破滅に導く。いわゆる逆立ちした新プリズムである。正しいシンプル志向をここにお教えしんぜよう。
正しいシンプル志向とは無駄がないことである。逆立ちしたシンプル志向とは矮小化である。例をあげようか?腹痛がする。治したい。
原因は何だろう?働きすぎか?じゃあ休もう。治った。なんだ過労か。これである。過労はあくまで引き金。本態は内臓の異常なのである。
逆立ちしたシンプリズムに浸かりきった老年世代にありがちな推論錯誤であーる。つまり表面しか見てない。しかも一部。実に狭視野、実に矮小。
そして面白いことに、逆立ちしたシンプリズムの矮小性は、正しいシンプリズムから見れば「無駄」なのである。畢竟するに両者は相容れない。
そこに早く気づくべきなのだ。間違った簡潔さを狂ったように行使し続けた結果が現代社会であり、あなた方の心のありようなのだ。
それは正しい簡潔さから見れば、複雑怪奇なシロモノであって。簡潔にして簡潔ならず。似て非なるものなのだ。いったい誰がシンプルは善なんて
言ったんだ!善にして善ならず。それはもう今や取り返しのつかない事態なのである。繰り返す。正しいシンプリズムは無駄がないことであり、
究極的にはそれはありのままに認識することなのだ。であるからして、ある種の現実平面からの逃げの一手段として矮小化した認識を
「わざわざ」生み出すことは、表向きは有意義に見えたとしても究極レベルではそれは「無駄」なのである。早い話が、正しいシンプリズム