はてなキーワード: あーる。とは
35度ぐらいまでは暑いって感じだけど、38度で14時のあの感じがたまらんよね。最高に暑いよね。
体が溶けそうだよね。
サウナで、そろそろ水風呂行く前みたいな感じの状態。たまらん感覚だよね。
あと、公園でランニングしても、きほん誰もいないんだけど、たまに同じ趣味の人がいると嬉しくなっちゃう。
なんか下手すると熱中症になるかもという、この街中で死ぬかもみたいな感じがたまらんちょ。
冬山みたいな感じっていうのかな。
わいはそこまではさすがにしないけど、最近は、マスクしてさらに暑さを増強しているし、上には上がいるのであーる。
マスクしている人見ると、熱中症ギリギリを体験したい人がいっぱいいて嬉しいのだ。
暑いからマスク外せとか、熱中症ギリギリ体験したい人の気持ちが分からんのか。
応援するのもいいよね。もう無理。焼けそうみたいな感じで応援するの。頭のネジが外れるっていうこの感じ。
https://twitter.com/kamekoopa/status/1357112398373507074
泥のcocoaがまともに動いてなかったのは社会的意義を考えるとごめんで済まない系問題だと言うのはそうなんだけど、この国はとにかく何かやらかすとそれがせっかく芽吹き始めた貴重な芽であろうとも地面ごとえぐる勢いで叩き潰す風習があるのでという意味であまり過熱しないで欲しいみたいな気持ちある
ま さ に こ れ 。
で、日本人は勇気がない!勇気を出せ!と何も知らないガキンチョを危ない道に誘うことばかり必死になる。ガキンチョがちょっと動いた程度じゃ何もできねぇって。
逆になにかなそうと思えば、そんな日本の腐った空気を踏まえて、のらりくらりとした逃げ方と、どこかで海外に出るか、辞めるかは選択肢に置かないとならないのであーる。
行きすぎたシンプル礼賛は人類をいとも簡単に破滅に導く。いわゆる逆立ちした新プリズムである。正しいシンプル志向をここにお教えしんぜよう。
正しいシンプル志向とは無駄がないことである。逆立ちしたシンプル志向とは矮小化である。例をあげようか?腹痛がする。治したい。
原因は何だろう?働きすぎか?じゃあ休もう。治った。なんだ過労か。これである。過労はあくまで引き金。本態は内臓の異常なのである。
逆立ちしたシンプリズムに浸かりきった老年世代にありがちな推論錯誤であーる。つまり表面しか見てない。しかも一部。実に狭視野、実に矮小。
そして面白いことに、逆立ちしたシンプリズムの矮小性は、正しいシンプリズムから見れば「無駄」なのである。畢竟するに両者は相容れない。
そこに早く気づくべきなのだ。間違った簡潔さを狂ったように行使し続けた結果が現代社会であり、あなた方の心のありようなのだ。
それは正しい簡潔さから見れば、複雑怪奇なシロモノであって。簡潔にして簡潔ならず。似て非なるものなのだ。いったい誰がシンプルは善なんて
言ったんだ!善にして善ならず。それはもう今や取り返しのつかない事態なのである。繰り返す。正しいシンプリズムは無駄がないことであり、
究極的にはそれはありのままに認識することなのだ。であるからして、ある種の現実平面からの逃げの一手段として矮小化した認識を
「わざわざ」生み出すことは、表向きは有意義に見えたとしても究極レベルではそれは「無駄」なのである。早い話が、正しいシンプリズム
暴力の肯定論者は正確には暴力の発散を肯定している。言いかえるならば、それは短期的視点からの発言なのであーる。
しかして暴力の否定論者は悪の発生を否定しているのでありまして、それは長期的な視点にたってのものなのであるということである。
この部分の混同をおこなうとオカしなことになるわけである。中途半端なワルにありがちな暴力ゆえの不幸であるとか。
暴力反対平和主義の人が過剰に暴力を否定して周囲や自身に不幸をもたらすといった茶番劇であるとか。そういうことがあるので
暴力の是非について論じる時には発生と発散、長期と短気にわけるべきなのだ。