はてなキーワード: あの世とは
【弱者男性の生まれ方】
①少年マンガやアニメだけ見て「女性」を学ぶ
②ひたすら空から少女が降ってくるのを待ち続け、現実女性との関わり方を学ばず育つ
③女性と関わろうとするが当然拒絶され勝手にトラウマ
④心地よい少年マンガやアニメの女性にひたる
⑤以下繰り返し
①でどうにかしないとね。— 弁護士 岸本 学 (@9jtCdbGf3lih8Fe) 2019年11月22日
しかし弁護士なんてあのネットで一騒動なった例の事例以前は弁護士の威光だけでビビる人も多かったのにあの例の炎上事例以降、弁護士と言うものは知識や常識の偏った、金儲けにしか興味の無い人間と言う認識も世間でも生まれたと思う。
そしてこんな自身の意見に反論を言われるからこそ、彼等は必死でプロ責法改正とかしたいんだろうなと思っていたりするよ。
それとこの手の考え方をする人間の多くは多分バブル世代、或いはギリギリ氷河期世代前半だと思うよ。
特にテレビ世代も多く、ドラマを見ており、漫画アニメ自体存在を下に見ているし、マスメディアも80年代後半から10年代前半にかけて、あらゆる事件や法規制を煽って、漫画やアニメ、ゲーム等のバッシングを繰り広げていたからね。
しかし弁護士であり、実名まで晒しながら、良くもまぁ、こんな事を言って、自分からネットの玩具になりに行けるなと思ったりもする。
(退職エントリってIT系の文化らしいけど、書きたいので書いておく)
大卒で文系学部を出た私は、就活当時公務員を志望しており、公務員に「準」ずる商工会は魅力的に思えた。(待遇が)
いや、待遇以外にも業務内容はきちんと魅力的だと思っていた。「地域のための商工会」という大義名分は当時価値があるように思えたのだった。
入職後は、数日間申し訳程度の社会人マナー研修をやり、7人やそこらの小さい職場に配属された。その7人で地域のお店を支えるというのだ。
といってもいざ働くと、7人で500近くの店を支えるなんて難しいわけで、会費の集金の時しか会わないような店もあった。
嫌味臭く「集金の時しか来ないよね」なんて言われることもあった。(そんなに不満だったら今すぐ商工会辞めろよ と思うのが本音)
しかも、経営指導員という経営指導を専門にする職員が居て、それがゴミだった。
けれど商工会組織の中では経営指導員は事務職より偉い という風潮があり、ゴミを尊重しなければならないという変な環境に3年身を置いた。
そして自分もひょんなことから経営指導員になったのが就職4年目。(ゴミを反面教師にコンサルしたいと思っていた)
慰安旅行では酔った勢いでカラオケのマイクで頭を小突いてくるし、少しミスしたくらいで翌日からそれまでの態度が180度変わった。
精神的に参っている、とクソ上司本人に訴えたら急に態度が変わり、何度もメンタルケアと称した気持ち悪い面談を重ねさせられた。
私が精神的に参っているのは上司のせいなのに、上司本人は意図的に?勘違いしてトンチンカンな分析をしていた。
挙げ句の果てに、退職したいと申し出たら、「辞めるなら俺の言う通りに文章を書け」
と言ってきた。
しかもよくわからない文脈で「お前は配属された時からプライドが高い人間だと思っていた」とか意味不明な人格否定までされた。
プライドが高いのは、あんたの方だろ気持ち悪いナルシスト豚ゴミ野郎。
こう書くと辞めた原因が人間関係だと思われてしまうので書いておくと、商工会の存在意義ってものにも疑問を感じた。
経営指導、とはいうものの(自分のいた地域だけかもしれないが)やることは融資の斡旋(要はカネ貸し)、
税務書類の事務的な作成、効率の悪い集金(未だに生命保険とかの掛け金を現金集金している)、
あぐらをかいているゴミ役人どもの代わりに地域イベントの主催…
地域イベントに至っては、祭りに来る客は当たり前のように毎年イベントがあると思い込んでいるし、
田舎の商売人ってやる気ない奴多いし、大抵が数年であの世に逝きそうな後継ぎもいない人。そんなのを顧客にして食ってるのが商工会。
中にはやる気ある商売人もいるよ、という声があるだろう。そんなのごく一部なので例外的なんです。居ても意味ありません。
こういうことをやっている組織って何なんだろう。(意地でも生き残るんだろうな)
こんなことやって給料が新卒14万、四年経っても18万だったから辞めた。
今はお役所気分みたいな業種から離れて最先端技術に触れる仕事をしている。
将来は自分一人で商工会一つ潰せるくらいのコンサルタント になりたい。
ここに、骨になっても忘れたくない恨みを刻むため記す。
[B! MMORPG] 人は、なぜオンラインゲーム(MMORPG)をプレイしないのか | 朝日新聞デジタル&M(アンド・エム)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/and_M/20191120/7323398/
この記事が「人」「MMORPG」とかいうクソ釣り単語を使っているFF14のただの広告記事ということは前提として、FF14をやってる身からしたらブコメの反応がなんか古臭すぎるので(当たり前だけど)なんか…釣られて反応してみようと思った
別にFF14そこまで好きなわけじゃないが、なんとなくしゃくなので書いておく
→かわいそうすぎる。高難易度以外のふつーのボス戦は怒るヤツのほうがおかしい。
→「何をするにも」そんなことはない。いっぱいしたいことがあって、それを短期間でこなそうとしたいから「時間がかかりすぎる」と感じるだけだ。FF14はもっとのんびりできるゲームだ
→やらない以外の対策はない
→できる。やったことはないけど
→怒るヤツのほうがおかしい。誰だよこんなこと言ってるやつは。匿名でどっかに晒すかFF14の日記で「悲しいことがありました…」みたいな日記を書けば超燃えるぞ
→やりたいことを短期間でやろうとするから。そういうゲームじゃない。FF14はあの世界で生きるゲームだよ
→これはその通り。延々ダラダラ何でもできるのでそういうダラダラが無理なら無理
→FF14はストーリー進行上絶対にダンジョンを(いくつも)攻略しなきゃならんのだが、このダンジョンは基本的には誰かとマッチングしないとできない
→ダンジョンに入ったとき・クリアしたときの「よろおつ」だろうか。これ以外はチャットしなくていいゲームなんだが、これが疲れるなら無理だな
→まだFF11終わってないもんな…
→FF14を今から始めるならゲームの前半、「新生」と呼ばれる部分はこれなので始めないほうがいい。俺もマジできつかった。なんかここもテコ入れして面白くするらしいよ。ゲーム後半からはマジで面白いよ。マジで。
→無くても遊べる。モンハンみたいに野良でパーティ組んでダンジョン行く人が圧倒的に多数だ
→全然そんなことはない。仕事が忙しくなったら1,2時間しかINしない人とか平日はINしない人とか腐るほどいる。結局何を目的にするかで話は変わる
→昔のMMOそんな感じだったよな。今思うとなんであんなにつらい思いして狩ってたんだろう。FF14はレベルを上げたくなくても上がる
→わかる。わけわからなさすぎる。今からやる人はスターターパックってやつ買えばいいよ
→これにたくさんスターついてる意味を教えて下さい。FF14にはミニゲーム程度しか対人要素がありません。というかRPGって対人ゲーって意味だっけ
→できるよ
→だいたいのダンジョン一周20分くらい。長くても30分くらい。これを長いと感じるのなら長い
→ストーリー上のやつは全然そんなことない。超カジュアルにプレイできる
→まあそうだよな。ある程度快適に遊ぶなら一番安くてもPS4だし
「それを牽強付会して自分の思想を補強するために使うこと」だと思う。
その点で怒りのデス・ロードの「フェミニズム的な読解」は確かに不快だった。
あの映画は実力主義の世界だから「実力のある女(いろんな意味で)」が活躍するのが自然なのであって、その世界を構築するという実利的な理由で「フェミニズム」のアドバイザーがついたわけである。
それをさも「フェミニズムによってもたらされた傑作」かのように、「人様の手柄を横取りして」良い気になっているバカには腹がたって仕方がない。
ああいう奴らは、イモータンジョーが魔法の呪文「性的搾取!」で倒され、その後世界にはフェミ的幸福社会(女だけの世界)が訪れたとでも思っているのだろうか?
何より、人の尻馬に乗って自分の思想で上書きし喧伝するなど、それこそとんでもない「搾取」である。
あの映画を見て何を学んだんだ。都合よく利用することか。
そんな奴らが「社会」を語るだなんて、おこがましいにも程がある。
そういう意味では自ら前線にたつイモータンジョーとは比べ物にならないほど卑劣な連中で、あの映画に出てきたどの人物よりもクズである。
中国にいる聖人で聖女、ゴミ捨て場に捨てられる赤ちゃんを40人以上拾って育て上げた人の記事を偶然読んだり、ナントカのマザーテレサと呼ばれるような人の記事を見たりして精神的に癒されて助かった。
病気などでもう死ぬからと思い、あの世の渡し賃にハトとかスズメに餌でも撒くと救われることもある。
勝手な宗教観で、人間全部この地獄で煉獄に落とされてきた罪人で、ほかの罪人助けても許されない。
でも畜生道とかに落ちてる生き物に食い物をやるとか助けると、罪が許されることもある、らしい。
お施餓鬼だの施餓鬼恵だの、紙切れに念仏書いて、何の徳もない生臭坊主が念仏唱えても寝言以外の何でもないが、飢えた鬼に現物支給で食い物をやると結構効いた、かも知れない。
親の死亡保険金とか身に付かないお金が入ると、急に親戚面してくるクズとか友人とか、金を取り上げようとするクズばかりだから、全部鳥のえさとしてクズ米とかニワトリのエサとか撒いて、カラスにもハトを食いに来る野良猫にも食い物をやり続けると、罪人の印でも取れるのか助かるときもある、らしい。
病気で苦しんで苦しんで、その治療をすると別の病気だの椎間板ヘルニアだのうつ病や糖尿病だの一生さいなまれ続ける運命の奴でも、真冬の食い物のないスズメが数千羽単位で感謝の歌を歌ったり聞かされると、前世でどんな悪行を行ったとしても差し引きされて病原だけでもなくなったりする。
NNN(ネコネコネットワーク?)にも通報されるのか、物置に猫が入り込んで、その雌が子供を産む場所にして毎年5匹づつ子猫が見られたり、そいつらを追い出さずに食い物でもやっていると、ネコと和解したことになるのかネコ的なスピリチュアルステージが上がって、56憶8千万年後には来世で未来仏MIROKUとしてクンダリーニ覚醒して、一切衆生が救済されたりする、かも知れない。
コンビニみたいなものもあるし明らかに現代ぽい世界観なわりに野生動物に悩まされすぎだろ
最初の町を出ようとしたら「ポケモンをもたずに外に出るなんて危ない!」みたいなこと言われるくだりあるじゃん(少なくともRSにはあった) あれヤバすぎる 野生動物が危ないから自衛手段を持たないと町の外に出られない世界観なのかよ なのになんであんなに牧歌的なんだ
空飛んで口から炎とかビームとか出すヤバい生き物をそのへんのガキが所有できるのも怖すぎる このへんの問題って説明ある?あの世界って戦争とか犯罪とかないのかな 悪の組織とかいるし全然ありそうだけどな あの世界観でゲリラ的に暴れられたら社会ムチャクチャにならない?すでにムチャクチャだからいいのか?
突然メールが来たり送ったりして、そこから一か月くらいめちゃくちゃ仲良くなって遊んだりして、その後しばらくフェードアウトしてまたやり取り始まって復活、みたいな状態を何年も続けてた女友達
LINEしても連絡つかなくなったなーブロックされたかーと思って普段見ないtwitterの垢見たら結構前に自殺してたの知って、整理ついたので書いた
高2の終わりに知り合った当時、こっちは進路と親との不仲でとにかく最悪な精神状態だった時期で、向こうも色々荒んでたみたいで同い年、しかも誕生日も近くて謎に意気投合した
ネットからの繋がりだから気兼ねなく言えないことを暴露して相談に乗ってもらってた。相談だけじゃなく、普通の高校生みたくゲーセンやショッピングモール、海岸で遊んだりもあって。
向こうの方が先に浪人終わらせて遠方に進学してからも泊まりに行ったりしてたんだけど、こっちが逆側の遠方に進学してからはLINEで定期的に「今どうよ」みたいな連絡とる感じ。
情緒不安定の思春期を共に戦った戦友みたいな?そんな存在だった
死んだこと知った時も悲しいとか寂しいとかより、喪失感?「あー、お前の方が先だったか」って感じだったけど、国際通りのカラオケで一緒に歌った曲聴いた時はちょっと泣きそうになった。今は無き夜の首里城とか行ったら涙腺崩壊しそう
自殺未遂がどうとか人生はクソとかも沢山愚痴ってたけど、最後に会った時は大学生活も順調そうで「メンタルも安定した!」って言ってて、当時宅浪ニートで社会不適合まっしぐらの自分と比較したらとてもキラキラして見えた。お前めっちゃ女子大生してんじゃねえか!とか煽った記憶がある。
彼女が自殺した夏は何してたっけと思って過去の写真を見たら飲み会海水浴遊園地デート、完全にキャンパスライフと夏休みを謳歌してた。
何故死んだか、首吊りか飛び降りかも知らないし正確に何月何日か、そんなことも知ることが無い希薄な関係性だった。
でも当時相談に乗ってもらったからこそ、アドバイスで背中押してもらったからこそ、今は自殺という同じ選択肢を遠ざけられていると思う。
例えば実家出た方がいいとアドバイスされた通り、北海道の学校に進学してから本当に精神が安定するようになった。
同い年なのにいつ会っても話しても常に自分の先を行かれてるような感覚で、型にはまらないような自由さは、色々な"すべき論"で凝り固まっていた自分にはとても新鮮で、憧れであり、目標でもあった。
実際その目標は達成できたかはわからないけど、昔よりはだいぶ自由になれたんじゃないかな
お礼は言いたかったのに言えずじまいだしということで一応、漫画みたいに夜の海に向かってありがとうございましたと叫んでおいた
ていうか沖縄行った時借りてた二万返したいんだけど、北洋銀行からあの世には送金できねえんだわ
少し長くなるが議論を聞く余地がありそうな書きぶりだったのでよかったら読んでほしい。
私は高校生までこの方と同じような状況と考えだった。
何時間もやる連中の気が知れない。
映画が好き。
私の兄は子供の頃からゲームが大好きな人だった。兄弟のお年玉を共有財産として使ってしまう人で、私が無欲だったのをいいことに私のお年玉を自分のお年玉と合算してゲームを買ってしまう人だった。
(いま思えば兄への不信感はこの時から始まり以後数十年続いているのだけどそれはまた別の話)
自分はそれこそゲームなんてまるでなんの興味も関心もなかったし、シューティングゲームだのRPGだの、そういったゲームを兄が夢中になってやるのを、冷めた目で見ていた。
ためしにやってみなよと言われていくつかやってみたものの、ぷよぷよはどうしても半魚人に勝てないし、星のカービィはかわいいキャラクターの動きを見るのは楽しいが見てるとボタンがうまく押せないし、
ファイナルファンタジーはお話があったので兄がプレイしているのを後ろで読むのは好きだったが戦闘やレベル上げが始まるとくそ面白くなくて見なくなり、そうなるといつの間にかシナリオが進んでいて結局話についていけなかった。やるにはやるが面白いと思ったことがなく、ゲームをクリアする達成感なんて得られたことはなかった。
とにかく、ゲームは男の子が好きなもの。女子によさはわからない。そういう割りきりをしていた。
初めて自主的にゲームを買ったのは高校生の頃だった。新聞の一面広告。
クーロンズゲートというゲームだった。主人公らしきサラリーマンの実写の顔部分がライターかなにかであぶってあり、焼けて穴が開いている。
1997年2月27日の新聞。クーロンズゲートが明日発売されるという全面広告がある pic.twitter.com/hDwVHpxADp— ぴざろぼ (@pizarobot) June 2, 2013
写真の背景になっている香港、特に九龍城塞のこともこのとき初めて知った。
それまで自分は新しくてきれいな場所やモノが好きだった。おさがりのカバンや勉強机は嫌いだったし小汚い祖母の家は嫌いだった。
建物も街も新しいほうがいい。
だけどそのゲームのデザインは「臭くて異臭を放つグロテスクで暗く汚い街」を全面に見せていた。いわゆるデカダンスとかそういう美学と初めて会ったのがこのゲームだった。
汚い街でもゲームなら歩ける。
今思えば、サラリーマンの顔が焼け落ちていたのも主人公はあくまでプレイヤーといいたくてそう言ったデザインだったんだろう。実際ゲームは主人公の姿かたちの明言は一切なく、始終一人称視点で進むものだった。
ぞわぞわした気持ちで、気が付いたら予約購入していた。よくわからないものに高校生が一万円弱の出費(初回特装版)。どんな話なんだろう、これはどこだろう、とにかくこれが何なのか知りたかった。
どうやらこのゲームをするのにプレイステーションが必要らしかった。
当時は人気商品でなかなか入荷しなかった。
ゲームソフトはその後たしかすぐ手元に届いた気がするが、プレステ本体を手に入れるのにはそれから半年前後かかった気がする。
この値段ですといわれたものを言い値で買うのは初めての経験だった。
本は中古屋で買っていたし、映画はなるべく安くなる日を選んでいた、バイトもしていない高校生が万単位のものをポンポンと。今思えばケチの私が、異常だった。あれはなんだったんだろう?
今思えば妙な突き動かされ方だった。
実際初めてプレイしたゲームにはいろいろ苦労したが、私はそのゲームを何とか一年半かけてクリアした。
世の中ではこのゲームを香港返還前にプレイし終わるのが目標みたいに騒がれていたが、コントローラーを握るのがほとんど始めてみたいな私には無理な相談だ。とにかく自分のペースでやった。
なぜこんなに時間がかかったのかというと、それは主に敵の出るダンジョンが怖かったからだ。
よくyoutubeにホラーゲーム実況チャンネルが軒を連ねているが、見るのとやるのでは怖さが違う。自分でやりたくない人が実況動画を見るのだなと思った。
ひたすら人気のないダンジョンをたった一人だけで、進む怖さ。
私はその時はゲームをプレイしているわけではなく、そこに、本当に、自分が風水師として香港を歩き回っていたように感じた。
クエストをこなすと人に感謝された。たまには、「余計なことを」と感謝されなかった。
高校生が実感したことのない大義と任務と達成感がそこにあった。中毒になった。
新しい街に踏み込むと、探索にわくわくした。
やり始めて数時間は町並みに圧倒されつづけ、その後数時間は不気味なキャラクターたちのセリフに魅了され、シナリオが半分も進んだころには再びぞわぞわした得体の知れなさに震えた。
これはもしかしてマスターピースともいえるとんでもない名作を手にしたのではないか?という興奮だった。
実際には、世間の評価は厳しく、「一部のマニアックなものが好きな人にカルト的人気を誇った」作品という扱いだったが。
あとから調べれば調べるほど、台詞や要素がすべてオカルト的、文学的、歴史的な裏打ちがあり、ゲームの攻略本には荒俣宏が何ページもコメンタリーを載せていた。
今のゲーム業界で当たり前になっているオープンワールド(自分で自由に散策できる世界)がはやるのはこういうことなんだろうと思う。
画面の向こうの世界へは肉体の隔たりがあるはずなのだが、脳は単純で勘違いをする、ここにいると。
ゲームをクリアした後も、あの世界、あの自分の立場や仲間たちが恋しくて「香港に帰りたい」と何度か思った。
実際、啓徳空港が閉鎖するとニュースで聞いて、いてもたってもいられなくなり、初めてバイトをして、一人で旅行会社を見つけて香港へ行った。
写真を、フィルムで15本とって帰った。現像に出すと全部で三万はした。
これでしばらくはホームシックにならずに済むかも、とすら思った。
高校生活は退屈で何にも覚えていないが、香港で孤独に活躍し世界を守ったことは覚えている。
少なくとも、私は、ゲームは疑似体験そのものの楽しさだと思っている。
ゲームメイカーが作った世界でもう一つの自分の可能性を体験する。
風水師の自分、どこかの国の王族である自分、アンドロイドの自分、人間以外の何かである自分……。
PS4のCMのコピーが「できないことができるって最高だ」だったんだけど、これを見たときニヤリとしてしまった。
わかるわかる。そういうゲームをやった後って、夢の中でも飛び始めるんだよね。自分がね。
「デトロイト」をすると、何度も人の命を自分が預かるシチュエーションに陥る。
選択肢を求められると、自分がどんな人間なのかを考えさせられる。そしてその結果を見ることができる……。
不思議なのはゲームと分かっていても、人を犠牲にしたり殺す選択肢を選ぶときは心が痛むことだ。
「ファイナルファンタジー15」をしたときは突然できた「昔からの友達」と、一緒にキャンプして初めて訪れる街を散策して、楽しかった。
「CALL of DUTY4:MODERN WARFARE」でうまく敵を倒したとき上官から「beautiful!」と褒められて本気で照れてしまった。
誰かの選択を客観視して、共感したり、理解しようとしたりする。
ゲームが映画と違うとすれば、映画は途中で寝落ちしたとき、しょせん他人の人生だから目が覚めた時にすでに登場人物は決断し、エンドロールが流れているが
ゲームは起きたときまだ問題は目の前にあり、「さあどうする」と選択を迫ってくることだ。
自分が一体どんな決断をしてどんな装備を選んで進んだかを、ほかの人と話したり、ほかの人のプレイ実況動画を見ることで比較して楽しむ遊びも残されている。
「デトロイト」や今度発売される「デス・ストランディング」はCG技術の向上でほとんど実写と見まがうばかりだ。
一本の映画を見ている気分になるし、プレイするとうっかり自己体験と混同しかけるほどだ。
デトロイトをプレイしたときは私はしばらく現実に戻ってくるのに苦労した。
登場人物に実際の俳優がモデルにされることもあるし、シナリオを映画の脚本家が手掛けることも今では珍しくもない。
俳優にとっても映画とゲームの内容は変わらなくなってきているのかもしれない。
『DEATH STRANDING』TGS2019 ノーカット プレイ映像 (9月14日のステージイベントより) https://youtu.be/D10J89jgZHc
シューティングやRPG、アクションその他のジャンルに関しては省かせてもらったが、
そちらが好きな方の意見も読みたいのでぜひ誰か書いてほしい。
モンスターハンターなどヒット作だと、会社で別部署の初対面の人と突然ゲーム仲間になれたこともある。
就業終わり応接室や居酒屋で同じゲームをプレイする共有体験は本や映画以外ではスポーツ位しか思い浮かばない。
eスポーツというくらいだから、スポーツに近いのかもしれない。
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0187779
70歳を超えた父が最近どうも物忘れが激しいのでマインクラフトをプレゼントした。
モノ作りが好きな父には、モンハン(狩り)より、木を切って家を作るようなゲームが好きだろうと踏んだからだ。
予測は大当たりで、父は寝食を忘れてはまってしまい、母が食事で読んでもなかなか来ないといって、ゲームを与えた私が変わりに怒られてしまった。
半年後に実家に戻ったら、父はゲームの中でそれはそれはでかい光輝くピラミッドを作っていて肝が冷えた。
自分の墓かよ。
ヘディングセーブと言う選択肢が無くなるのでゴールを許す確率が上がるのではないか?
またあの世界ではオーバーヘッドやスカイラブハリケーンなど、高いジャンプ力のある選手に上空からシュートされることもある。
ドライブシュートのように高い位置から弧を描き落ちてくるシュートもある。
力が無い
四肢がもげ、濁った色の血を吐き、息も絶え絶えで、でも死ねない不死者だ
半世紀ずっと一人で自分を欲を満たし、どうにかこうにかやってきた
いつか憧れのあの世界に行きたくて
あの世界を知った時、心底憧れた
いつか仲間になりたくて
焦がれて焦れて
何とかかんとかとても小さいニセモノの世界を作れた
疑似餌とインスタントで半世紀何とか自分の飢えを誤魔化して来たけど限界が近いのを悟った
あの世界に行きたい
幾度か掴んだけど蜘蛛の糸は全部ニセモノだった
けど
ようやく本物っぽい糸を攫めた
明る…かった
もう一人で戦わなくていいんだよと声が聞えた気さえがした
幾千もの手を持つ彼らが疲れきって横たわっていた体を持ち上げて、立たせて、綺麗な状態に戻してくれた
涙が止まらない朝
半世紀ぶりに孤独が晴れた
これからが楽しみだ
秋葉原Gated Cityの話をするのに見本市を通年開催して莫大な収入を上げているバーゼル市のホテル税と公共交通機関の関係についてまで説明をしないと話が通じないということはわかった。ハンザ都市の話にしても同じく。都市開発系の人には比較的簡単に伝わる話なだけに驚いた。— 『ヴァティカンの正体』筑摩新書/岩渕潤子 (@tawarayasotatsu) 2019年10月31日
「巨乳は奇形」の青学教授、「6年で960回痴漢された」「絵師は風俗女」「税金は金持ちへの嫉妬」「美少年の光り輝くお尻」「昭和天皇を燃やしたのはあの世との交信のため」等々の名言製造機だった
https://togetter.com/li/1423736
あいトレ検証委員岩渕潤子氏、今度は秋葉原を壁で囲むのはゲットーではなく都市開発だからと言い訳→当然批判がでる
https://togetter.com/li/1424221
そりゃあ、美大芸大でも都市計画とかもあるけど、設計士でも都市計画や建築界隈って、かなり色々な意味でガチな人達が多いから、あの人達の前でこんな話をしたら、それこそ裏で失笑されると思うんだけどね。
普通に現場行ったりするし、それこそ場合によっては生態学辺りの知識もいるしね。
あの手の人達、特に西洋建築の歴史辺りは常識って言う位は詳しいしな。
当時、ネタになったまなざし村なんて、あくまでフェミが言い出していたのをシミュレーションしただけのネタだったんだけど、こいつはゲッt-…じゃなかった、自称ハンザとやらと言う珍妙な代物をガチで言っているからな。
色んな意味で凄いわ。
本当にね。
凄いとしか言いようがないよ。
その人の人間性や発言は一旦置いて被害報告を信じろって無理がある。
信憑性はその人の今までの言動と密接に絡み合ってるし、切り離せないものじゃないの?
「本人の話も聞かずに、根拠なく痴漢を受けた回数を嘘松呼ばわりしてはいけない。ネオリベ思想もまあ個人の意見だ。」shields-pikes
主張する側は根拠を示さないのに、信じないのには根拠が必要なの?
自分はこの人の発言、それも一度や二度の単純な失言ではないものを見て信用できる人とは思えなかった。
あなたがこの発言たちを見てそれでも信用に値する人格だと思ってるならいいけど自分には残念ながらできない。
「巨乳は奇形」の青学教授、「6年で960回痴漢された」「絵師は風俗女」「税金は金持ちへの嫉妬」「美少年の光り輝くお尻」「昭和天皇を燃やしたのはあの世との交信のため」等々の名言製造機だった