はてなキーワード: あの世とは
いやさあ、猫ちゃんかわいすぎでしょ。
耳としっぽがある、人間に比べて早く成長する、おなかふみふみする、SASUKE優勝間違いなしの華麗なステップで屋根の上も走れる。
でも、それって人間じゃないのと。
作中の世界では電車が走り、人型をした猫には鈴を付けて自由がない。
そうすると、人間と極めて人間に近い動物がいる世界では倫理的ジレンマがないのか?
猫ちゃんは家事労働したり、アルバイトしたり、労働基準法はどうなっているのかな。
人間より早く成長するということは、人間より寿命も短いということなのだろうか。あの世界では猫との別れはどうなっているのかも気になる。
かわいくて、優しい世界だけれど、だからこそ気になってしかたがない!
それはそれとして、とにかくめちゃくちゃかわいいから、ネコぱら見て。
ニコニコでもう一度見た。
コメントに猫にチョコレートはダメとかニンニクはダメとかツッコミがされていて確かにと思った。
二足歩行の猫を生み出したマッドサイエンティストの生涯が気になる。
(とりあえず年内中に吐き出したかったので、すべて記憶に頼って書いてる。間違いがあったらすまない。)
(ネタバレ注意。)
そもそも、ep6の続きを作るなんて、本質的に無理だと思っていた。
スター・ウォーズの世界は、その全てがルーク・スカイウォーカーを活躍させるために構築されている。
ep6でルークが「あがり」をむかえ、わだかまりが解消された以上、もう「めでたしめでたし」で終わった話なのである。その先には、もう何も残されていない。
だから、正史の続きの映画シリーズが作られると聞いたとき、大丈夫なのかと心配になった。プリクエル(前日譚)でもスピンオフでもなくep6の続きを、ドラマシリーズでもアニメでもビデオゲームでもなく実写映画でなんて、完璧にやったとしても二番煎じにしかならなそうなのに、どうすんだと。
何か勝算があるのかと思った。正史の隙間を埋める二次創作しかできない部外者と違って、公式ならばどんな飛び道具でも使える。これならいけるぞというアイデアが何かあるのかなと。
そしてep9が終わってみてわかった。結局、何もなかったのだ。
全てがルーク・スカイウォーカーを活躍させるために構築されている、というのは、たとえば血統によってジェダイになったこと。
スターウォーズの世界設定では、ジェダイは世襲ではない。ジェダイの掟は恋愛や結婚を禁じている。ep1~ep3では、たくさんのジェダイがワチャワチャ出てきたが、誰の血縁だなんて話は特になかった。作品世界の歴史においてはep4~ep6の出来事が例外的なのである。
また、親父が一代にしてレジェンドになった傑物、というのも重要だ。考えてみてほしいが、ルークの家系が代々続くジェダイの家系だった、なんて設定だったら楽しくないのだ。幼いころから厳しい修行を強いられ、偉大な先祖を比較されて品定めされ……ウンザリするだけだろう。堅苦しい伝統とは無縁でありながら、血の繋がりによってスゴい能力を授かっている、というのが心地よいのだ。
ジェダイが滅ぼされたというのも重要である。同世代のライバルと競わされ選別されることはない。「あいつがいるから、おまえいらない」と言われる心配が無い。
ルークはただジェダイなのではない。歴史的にも特別なジェダイなのである。
ジェダイだのフォースだのも、ルークの活躍を支援するために存在する。
ジェダイの思想? そんなもんクソどうでもいい。ep5で、ルークは師匠の言うことに逆らってハンを助けに行く。頭の固い年寄りの言うことを従順に聞く主人公なんて魅力的ではないのだ。ジェダイの掟なんぞは、友情を引き立てるダシにしとけばいい。(余談だが、あのあとヨーダとオビワンはわりと辛辣に「あいつはダメだ」って批判してた気がする。)
ストームトルーパーも、顔が見えないので、人を殺している感じがしない。(スターウォーズを初めて見た幼少期の私は、ロボットだと思っていた。ep4のデススター侵入でアーマーを奪って着たりとか、叫び声がドロイドとは違う感じになってるとかで、「推理」することはできたが、あまり実感はなかった。直接的な描写は避けられていたように記憶している。)
反乱軍の兵士は顔出ししていて、その死は人の死として弔われるが、帝国兵はそうではない。
ライトセイバーやビームブラスターも、鉄の刃や弾丸による戦闘と違って、血が出ない。生々しい人死にの感触はいらないのだ。
このように、ルークの活躍をストレスフリーで鑑賞するための仕掛けに満ちている。
そんな、ルーク・スカイウォーカーのための世界は、ep6の後どうなるだろう。
ジェダイは、子供たちに嫌われる習い事みたいになるだろう。健康診断で素質ありとなったら、ジェダイスクールに通わされる。遊ぶ時間も奪われる。
そんな退屈な平和。映画の観客にとっては退屈だが、そこの世界で暮らす人々にとっては尊い平和。
ep6の続きが作られることになったため、平和は訪れなかった。
観客は退屈な平和なんて見たくないのだ。
カイロ・レンが生まれたのも、観客を退屈させないためだ。レイアとハンの子供が順風満帆でジェダイになるなんて話が見たいか?
みんな大好き「血統の物語」だが、前述の通り「親はポッと出」「他と比較されない」といった要素と組み合わさった場合にだけ楽しいのだ。ep4~ep6でそれは消費されてしまったため、ep7~ep9では使えない。そのせいでベン・ソロは歪んでしまった。
ベン・ソロがダークサイドに堕ちるに足る理由なんぞ、結局、何もなかった。意外性を出すためにダークサイドにしよう、と、それだけ。
無理やり悪をやらされてる感があって気の毒なのであった。だが、そのどっちつかずな感じが「何かある」という錯覚を生み、それらしい苦悩の描写と、アダム・ドライバーの熱演もあって、妙な奥深さを感じさせていた。ep8までは。
ep9で痛感した、「やっぱり無理だったか」。
マスクの扱いが象徴的である。ダースベイダーにとって、マスクは生命維持装置でもあり、必要があってかぶっていた。カイロ・レンにとっては、マスクは特に必要ない。ダースベイダーの表層的なモノマネに過ぎない。これが、「必要ないのにマスクをつけてるワナビー(なりたがりの未熟者)である」という意味をなしていた。
ep8でスノークはこれを看破して、マスクをボロクソに貶したのだろう。マスクを捨て、カイロ・レンは悪として成長を見せた。劇場で見た当時の私は、期待を込めて「ep9では完成した悪としてついに大成するであろう。ただ、その後すぐ死んでしまうだろう」などと書いていた。
ep9でカイロ・レンは再びマスクをつけた。ep8での成長を経て一体どういう心境なのだろうかと注目していたが、特に意味はなかった。
みんなep4~ep6が楽しすぎたせいで目が眩んでるのだろうが、血統の物語のオイシイところはもう使い切っちゃったし、スターウォーズは血統の物語じゃなくてもいいんだよ。
ep8で、レイは「何者でもない」としたのは、慧眼だと思った。ep1~ep3の頃のノリに戻るだけだし。だが一部のファンには不評だったようである。ep9で台無しにされた。
ep9は、ep8の良かったところを台無しにした。
ep8は野心的だがガタついてる印象がある。ベン・ソロがダークサイドに転向したきっかけとか、ワープ特攻とか、無茶すぎる。だが、フィンとローズのバディムービーっぷりとか、カイロ・レンの成長とか、レイの出自とか、レイロ(レイ/カイロ・レンのカップリング)とかは良かった。
特にレイロ。ep9の意趣返しについては、べつに好きにやったらええよアンタの映画だし、という気分だが、レイロだけは違う。ep8は最高のバトンを渡して来たんだから、他のなにもかも台無しにしてでも、そこだけはちゃんと引き継いでほしかった。
なんであの程度でカイロ・レンからベン・ソロに戻るのかと。ep7で父殺し、ep8で師匠殺しを達成して、これは過去の正史映画で誰も成しえなかったことなのに(ep6のは、ベイダーからアナキンに戻ってるので何か違うじゃないすか)。
みんな小物だとバカにしていて、実際小物な面もあるんだけど、それでもやることやってんだなあ、というところが、見るからに威圧的で尊大なふるまい一辺倒の悪役よりも「新しい」気がして感心していたのに。
ep9で大成すると期待してたのに、なんだか小さくまとまって終わっちゃって。ああ、ワナビーのままだったな、と。
カイロ・レンが締まらなかったせいで、レイもなんだか微妙な感じになってしまった。悪い意味で揺るぎねえから、自分ダークサイドに堕ちるかもしれないッス、ってシーンでも「ふーん」って感じで。ep7,ep8のカイロ・レンの方がまだ、こいつライトサイドに戻っちゃうんじゃねえのとハラハラした。
レイはシリーズを通して成長しているが、カイロ・レンもまた成長していた。極まった二人の力がぶつかり合う瞬間を楽しみにしていた。だが、二人の対決は、なんか普通のライトセイバー戦で終わってしまった。
で、キスしちゃうのな。レイロ勢に媚びた安易な燃料投下だと感じたが、まあ、対決が不発だったうえに燃料投下も無かったらマジで残念な感じになるので、ダメージコントロールとしてアリだったのかもしれない。(少なくとも、「ローグ・ワン」やep8の無意味なキスシーンよりはマシだったし。)
レイは自分のことを「レイ・スカイウォーカー」と名乗ったが、なんだか釈然としない。
ep8の頃の「何者でもない」レイだったら、納得できたかもしれない。スカイウォーカーの魂は血縁を超えて継承されていくんだなあ的な。だが、シディアスの孫とかやっちゃったのにそれは。
かといって、レイ・パルパティーンとか名乗られても、銀河に悪名高いシスの名前だからちょっと不穏すぎる。
このシーンで私は、「ハン・ソロ」でソロのファミリーネームが成り行きで決まってしまうシーンを思い出した。だがレイ・ソロって名乗るも、やっぱり違う。
書いてて気付いたのだが、母方の姓を名乗るのが無難な気がしてきた。でもそんなん名乗っても、観客としては「何?」だろう。
まあ、ぶっちゃけスターウォーズに人間ドラマにはそれほど期待してないので、レイロが微妙でもメカの出来さえよければ満足だった。私の原体験がそれだから。スターウォーズを初めて見たのは幼少期の頃で、ストーリーとかまったくわからなかったのだが、それでもメカ活劇に夢中になった。光る剣。宇宙を疾走する戦闘機や艦船。月のように大きな要塞。
ep7で、レイがスターデストロイヤーの残骸を漁ってるシーンと、カイロ・レンが焼けただれたダース・ベイダーのマスクを拝むシーンには、制作陣の「我々はこうやって偉大なる旧作の遺産を食いつぶして細々とやっていくしかないのだ」という諦めの入ったメッセージを言葉ではなく映像で叩きつけられたような気がして、ちょっとビビった。新しいものを作るんだっていう虚勢を張るもんだと思ってたら、こんな赤裸々に弱音を吐くんだ、って。
ep7~ep9のメカを振り返ってみて、旧作から続投しているものを省けば、記憶に残ったのはbb-8とカイロレンのマスクくらいだ。
ep9は特に低調だった。なんだファイナル・オーダーって。あの世界の乗り物は、製造されてるわけじゃないですか。「ローグワン」とep4でデススターの設計者・設計図を巡るドラマがあった。「ソロ」では、製造中のスターデストロイヤーを望むシーンとか、ファルコン号を巡るドラマがあった。それが、念力を込めたら地中からボコボコ出てくるとか。ただでさえスターデストロイヤーをたくさん並べただけという芸の無さがキツいのに、もうちょっと真面目にやってほしかった。
ep1では、ep4~ep6とは明らかに違ったデザイン体系のメカがでてくる(アールヌーヴォーって言うの?)。ep2,ep3と話が進むにつれてep4の体系に近づいていくというのが、帝国の勃興とメカデザインが連動していておもしろかった。
帝国という魅力的な装置はep6で使い切っちゃったので、ep7~ep9ではなんの変化もなかった。
面白い新作メカを作る余地はあったと思う。現在、「トポロジー最適化」「ジェネレーティブデザイン」といったものが登場したので、それを取り入れるとか。
あと、バトルドロイドの可能性は掘りつくしてない気がする。ep5で少し登場しただけの賞金稼ぎドロイドには妙な存在感があった。ep1でドロイデカの登場には、なるほどこれはep4~ep6制作当時のVFX技術じゃ作れなかっただろうと興奮した。ep1より後に作られた「ローグ・ワン」のk-2soといい「ハン・ソロ」のl3-37といい、キャラが濃くて面白かった。ep7~ep9で、改めてバトルドロイドを登場させたら良かったかもしれない。
だが、「こんなのスターウォーズじゃない」と不評に終わる可能性が高いだろう。それが予想できたから、きっと冒険しなかったのだろう。
https://anond.hatelabo.jp/20191220190854
アンダーテールがわからない
アンダーテールって本来は「結構感想を伝えづらい」部類のゲームなんだと思う。
まあ、言ってみたら、ゲームって「プレイ体験」を通しての感想だから、どんな作品だってそうなんだけど。
このゲームはわかりやすく目立つゲームシステムとかシナリオがあるから皆そこに言及しがちだけど、
それが一番のウリでは決してないと思う。
ネタバレ注意系なので、あのゲームを好きな人ほど「説明できないけど最高だから!」というウザ気なテンションになってしまうのも勘弁してほしい。
ああいう系統のゲームをやったことがなくて、初めて体験する若い人たちだっている(素晴らしいことやで)わけだし。
ぶっちゃけ、アンダーテールはゲームシステムに特徴があるが、それ単体でどうこう言うほどではないと思う。
一応シナリオにどんでん返しはあるが、それだけで画期的なレベルかといえば、別にそういうわけではない。
曲は、普通にめちゃくちゃいい。
じゃあ何がすごいかというと、
「あのゲームシステムとあのシナリオとあの世界観とあの曲が完璧に合体していること。特にクライマックスやばい」
みたいな、すごーく普通の、何も言ってないようなペラペラな感想になると思う。
でも、これが一番正しい気がする。
やってない人にこの興奮を伝えようとすると、「システムが..」とか「シナリオが..」とか「とにかく曲がいい」になるんだと思う。
個人的に、ゲームをやる前から曲は知ってて単体で聞いたりしてたけど、実際に「プレイし終わって」みると受ける情報が10倍も20倍も違った。
曲がちゃんとストーリーを語ってて、ほんと、普通にいいゲームなのよ。
似たゲームとして「MOTHER」シリーズの名前が挙がるけど、MOTHERも「ここがこうで、こんな風に良くてさ!」と他人に口で説明したところで伝わりづらいと思う。
どんでん返し系の作品でも、実際に味わうのと、他人に聞かされるのでは受ける衝撃が違う。
アンダーテールは、やっぱりゲームはつくづく「体験」なんだ、と思わせてくれる作品だったんだと思う。
「ゲームを通して物語を味わう快感」がちゃんとあるからこそ、若い人だけじゃなくて、古参のゲーマーからも評判がよかった。
素直にドキドキしてるにしろ、斜に構えてプレイしてるにしろ、終盤の流れからの戦闘で「Hopes And Dreams」のイントロが流れたら、やっぱり相当数の人が感情を揺さぶられると思う。
最弱ルートなのに100%負ける気がしなくて、いろいろこみ上げてきて「弾、避けられるかな?」なんて余計なことを考える余裕もなくなる。
個人的な話で申し訳ないが、例に漏れずウルウルしながら弾避けしてました。
ただ、「このゲーム本当に面白いのか..?」と懐疑的になってる人を巻き込めるほど、
そこに行くまでのRPG部分がめちゃくちゃに面白いかといえば、それは違うと思う。
元々サンズのキャラデザが嫌いだったのだが、ガイコツ兄弟は予想以上に寒くて若干引いた。
そこはやはりインディーゲームというか、クライマックスにステータスを全振りな感じ。
でも、それでよかったと思う。
2周目終わってみると、やっぱりなんだかんだでキャラや世界をもう少し味わっていたくなってる。
寒いギャグばっかだし結構マジでイライラするし、でもなんか愛着がわいて離れがたい。
まあ、何が言いたいかというと、ゲーマーなら特によくわかると思うけど、プレイし終わらないうちは作品を評価はできないっていう、すごく普通の話。
でもゲーマーなら、動画で見たら「プレイすればよかった」ってなりそうなんだよね、大して長くないし。
だからみんな「プレイして」って言いたくなっちゃう、押し付けがましくて嫌がられるのも重々わかるけど。
とりあえず、ゲーム初心者も含めあれだけの人数が楽しんでるんだから、やってみる価値はそれなりにあると思う。
3面の不死身のアンダイン戦くらいまではやってほしい、というのがクリアした人間の感想です。
シューティングが得意じゃなくても、回復アイテム持ちまくって攻略情報や避け方の動画を見れば絶対クリアはできるし。
あとあえて書いておくと、アンダーテールは2周が前提です。
1週終わってみればわかるけど、ボリュームはだいぶ少ないので。
WORKING!!といえば伊波まひる。当時からなんで人気があるのか分からなかったが、理不尽暴力ヒロインが苦手/嫌いという考えが主流の今じゃ絶対考えられんキャラだな。
男主人公も問題を抱えているがそれでも登場人物内ではまだ常識的な方。ゲスさスケベさの薄い家事が得意な草食系。
それを「男だから」「近づいたから」「照れ隠しで」で殴るとかどうなん?男性恐怖症という過去を差し引いても恐ろしすぎる。
これがラッキースケベに対する反撃なら昭和的ギャグとして理解もできるが、そのラッキースケベもない。因果関係の無い、一方的な、納得のいかない暴力が「我々の業界ではご褒美です」とか本気で言ってるんだろうか。
そして「男は女を殴ってはいけない」という昭和的フェミニズムにより反撃も許されない。では女が男を理由も無く殴るのは許されるのか?蛸壺屋が書いてた男主人公が思いっきり殴り返す同人誌は最高だった。
武器を持たない相手に刀を振るう女も、ただの怠惰女な店長も、可愛さをを感じないうざいだけの山田もやべーよ。
まあこれは高津カリノ作品に限ったことじゃないけどな。昔に流行った理不尽暴力ヒロイン全般(ルイズ、ハルヒ、ISの女キャラ全般というかあの世界観、俺妹、禁書目録、フルメタ、ラブひな含む赤松健作品全般、ニセコイ、とらドラ等)はもう現代では受けないでしょ。
作る側だって分かっているからそういうヒロインは絶滅寸前。少し前に流行った「主人公を無条件に愛するチョロイン」は古くなり、今の主流は一緒に夢を追いかけたりあるいは戦うような男女平等系。
「強い女」とか書くと急に臭くなるが、ギャーギャー騒ぐだけで全く何の役にも立たない昔のハリウッド映画のヒロインみたいなのは男視点でも嫌悪の対象になる。
まあそういうトレンドの変化に追いつけず古い価値観のままアップデートできていない例もあるけど。一部のなろうとか、戦×恋とか
まぁ一生許すことないだろう。
一番上の兄貴とはまぁお互い干渉しないということで何とかなった。仕事の仲の悪い同僚と同様の間柄。
問題は真ん中の兄貴。とにかくずる賢く大人に気に入られることに関しては特級品だった。
母親もこのクソをお気に入りのようで、 このクソには何を言っても私が悪いということになった。例えば、「悪口に反応するほうが悪い」「悪口を言われても先に手を出したほうが悪い」「殴られても殴られるようなことをしたほうが悪い」「殴り返したらお前が悪い」など。
ダブルスタンダードを指摘すると「社会で通用しない」などの決め台詞か、「お前の被害妄想」か、始めっから「ああ、また息子の癇癪ね。私が耐えればすべて丸く収まるの。私かわいそう」みたいな顔で無視。
許さないという決意を決めたのはこの前の帰省。私の配偶者をひどく侮辱した兄に対して、私は兄がそういうことを平気で言うクソだと知っていたので「そういうことは言うもんじゃないよ」と軽く流した。それに対して「今のは悪意があって言ったんじゃないよ」と私を諌めた母親。
すべてが間違っている。悪意をもって言ったのは兄。悪意を軽く流したのが私。 それに対して母親は私に文句を言った。 一生許す気はない。
恐らく、このバカには「兄が何かを言う」→「私が何かを言う」=「私の癇癪」or「私の被害妄想」という反射が有るんだろう。今までの喧嘩に関してもそれですべてが説明できる。こんなバカが私の喧嘩に対して仲裁入ろうとしてたのも気に食わん。そしてもはや還暦を迎えた母親が、それを修正できるほど利口な人間ではないことも知っている。
HUNTER×HUNTER休載以降、ジャンプから離れていたけれど今は鬼滅を楽しみに毎週買ってる。
キャラはみんな魅力的で好きなんだけど、戦う女の子大好きマンとしては、やはり柱の2人は推すよね。特に天真爛漫、ピンク髪の甘露寺ちゃん。他の隊士が極めて露出の少ない格好(不死川除く)なのに対して、彼女は胸元ドーン!太ももばーん!の衣装である。谷間を強調とかいうレベルじゃない。乳首が見えないのが奇跡なレベルの衣装である。
いや、なんかもう、がっかりである。甘露寺蜜璃は、ちょっとおバカで都合の良いお色気要員でしかないのだ。作者だけでなく、あの世界の全員からそういう扱いを受けている。
たしか隊服は、並の鬼の爪程度なら防げる特殊な生地で仕立ててあるはずだ。なるべく丈夫な素材で作るのは、隊士の体を守るためだから当然だ。それなのに、彼女の隊服は急所である胸と足の大部分が露出している。仮に彼女がその格好を望んだとしても、そんな衣服で戦わせていいわけないだろう。お館さまは何やってるんだ?
しかも彼女の隊服は、ゲスな隊員に騙されて仕立てられたのだ。「女子はみんなこれだから」「えっ…本当ですか?」⇨他の女子隊士は着ていませんでした…の流れ。いやあのさ…。本人が「可愛いからアレンジしました!」のが、同じ都合の良さでもだいぶマシだよ……。お色気要員鉄則その1、露出は本人の意志に反していなければならない。自分から「私の体、美しいでしょ!だから見せる!」じゃダメなんだ。恥ずかしがりながら、でも大した抵抗もなく、怒らずに肌を見せねばならない。
周りの隊士はというと、伊黒が「靴下をあげた」だそうだ。優しい。優しいが、あれだけ正義感の強い煉獄さんも、大人な悲鳴嶋さんも、お館さまでさえ、「こんな隊服を着せるなんて何を考えている?危ないじゃないか。彼女は立派な隊士だし、柱だ。馬鹿にするのもいい加減にしろ」と彼女の心と身体を案じて制服の作り直しを命じなかった。彼女が仲間ではなく、そういうエロい人形だからだ。
一方、女子でもうひとりの柱のしのぶは、露出の多い隊服を燃やしたらしい。彼女は露出もほとんどなく、医療をたしなむ昔ながらの回復系女子。蜜璃がバラエティタレントたとしたら、しのぶは清純派女優。過剰な露出は望まれない。
ちょっとおバカで露出過多な女の子と、俺たちの理想の清純派女優(ちょっと毒舌なところもカワイイ!)。結局のところ、柱のふたりはそういう役割だ。戦隊モノのピンクにすぎない。
何度も言うけど鬼滅は本当に面白くて、続きを楽しみにしている。でも進撃の巨人がそうだったように、女子のキャラクターに防御無視した露出の多い服を着せなきゃ、キャラクターって描けないのか?
蜜璃の露出は極めて少年漫画的なラッキースケベの趣があると思う。きちんと最初は恥ずかしがりながら、その後はあっけらかんとエロい衣装で日々を過ごして「露出を強要されて可哀想な女の子」にはならない。ビッチも嫌だし、いつまでも気にして泣いたりガチで怒ったりする女も嫌。罪悪感を与えない、男性に向けて作られた人格。