はてなキーワード: 1970年とは
さて、このエッセイについて
作家の森下くるみさんが過去に出演したアダルトビデオの二次利用としての配信販売の停止の依頼をしたという内容です。
これについて、以下のようなブコメがあり、スターを多く集めていました。
b:id:aramaaaa これは微妙な問題を含んでいて、通常の映画作品で出演者の誰かが販売を停止したいと考えた場合できるのかってこと。AVとはもちろん若干違うのだが、法律上は同じ「映画の著作物」ではないかと思うので
b:id:unfettered アダルトだけに、この行為は理解できるものの、今後あらゆる表現物が、出演者の「忘れられる権利」によって廃盤にされたり本人出演シーンにぼかしが入れられたりすることにはならないか、が心配。
確かに、こういう点は気になるかと思います。ですが、結論から言うとそのご心配は「杞憂」です。アダルトビデオを含む「映画の著作物」は、通常は出演者の意向によって廃盤になることはありません。
アダルトビデオといえども、著作権法上における「映画の著作物」であることは基本的に否定され得ないですが、その出演者であるAV女優には、出演したアダルトビデオの著作権は別途契約上の定めがない限り与えられません。
しかし、このような「映画の著作物の出演者」を含む「実演家」に対しては、著作権法は「実演家の権利」を与えています。
例えば、著作権法91条1項は、実演家の有する「録音権及び録画権」について次のように定めます。
これによって、AV女優は、アダルトビデオのメーカーに対して、自らの演技を録画させることを許諾することができるわけです。同様に著作権法は実演家に対して「放送権及び有線放送権(テレビ・ラジオに限りネットは含まない)」「送信可能化権(平たく言うと、ネット配信のためにデータをサーバにアップする権利)」「譲渡権(録音物録画物の頒布の権利)」「貸与権(音楽のみ。映画は含まない)」を与えています。
そうすると「なんだ、実演家の権利で簡単に出演作の販売差し止めできるじゃん」と思うかもしれませんが、話はそう簡単ではありません。
「映画の著作物」に出演した実演家の権利は、著作権法は非常に厳しい制限をかけているのです。
先ほど上げた実演家の録音権録画権に関する著作権法92条2項は以下のように定めます。
前項の規定は、同項に規定する権利を有する者の許諾を得て映画の著作物において録音され、又は録画された実演については、これを録音物(音を専ら影像とともに再生することを目的とするものを除く。)に録音する場合を除き、適用しない。
どういうことかというと、映画のサントラに映画の音を録音する場合を除き、「一回出演OKって言ったら、その後あんたの録音権録画権を行使する機会はないからね」という意味です。つまり、昔だったら録った映画のフィルムを複製するのは映画会社の自由だし、いわゆる二次利用のためにビデオテープやDVDを作りまくるのも許諾なしにしていい。加えて、先程挙げた「放送権及び有線放送権」「送信可能化権」「譲渡権」全部そうです。つまり、撮影時のギャラだけ払って撮影OKと言ったら後は著作権者は二次利用し放題、再放送も映画専門チャンネルでの配信もパッケージソフトの販売もダウンロード販売も自由ということです。
なんでこうなっているかというと、まあ、映画産業においてこれを俳優に与えていたらとてもじゃないけど産業が成立しない、ってことなんですけどね。もちろん契約で上書きすることは可能ですけど、そんな面倒くさい俳優使う理由もないですし(大物になれば別かもしれませんけど)。
#ちなみにワンチャンス主義の適用のない音楽業界はどうかというと、これは録音時にレコード会社が「実演家の権利」を買い取ってしまうのが通例です。こっちはこれでなんで問題にならないかと言うと、まあ、そういうもんだで通っているからですかね。
というわけで、「映画の著作物」は、「通常の場合」出演者の意向によって廃盤になることはないのです。
とはいえ、もちろんこれは「出演に同意があった」場合の話です。昨今問題になった「出演強要」あるいは「台本と異なる強制性交」これらはもちろんのこと「出演の合意」など仮にあったとしても無効ですから、二次利用についても同様に消すことができます。そういう意味で言えば、アダルトビデオメーカー側も、女優と契約書を交わして「何がOKで何がNG」と女優の意思を残しておくことが、メーカーを守ることにもつながるのですけどね。これについては毎日新聞がいい記事を書いていてくれました。
森下くるみさんの場合は、契約書なんてなかったとはいえ、御本人の執筆活動などを通して「出演への同意はあった」ことは「黙示の同意」として明らか(なんか変な表現だな)ですから、ここは問題に成りえません。
また、アダルトビデオは通常の映画の著作物と異なり、一旦出演者が出演に合意したとしても、その後になって出演者の人権を著しく侵害するおそれを持ちうる性質のものです。こういうものに関しては、個別の事情ごとに考慮することで、人権と著作権のバランスに考慮するような裁判所の判断が下ることもありうるでしょう。
自主的な取り組みとして、AV人権倫理機構による配信停止申し込みの代行とそれに応じるメーカー、プロダクションの動きも重要です。これについては、AV人権倫理機構が自ら書いている通り、「当機構に賛同する枠組み内のAVメーカーやプロダクションを対象としております。それ以外のメーカーや無修正などのAV作品の場合、当機構では対応が出来ません」という限界はありますが、逆に言えばこれらのメーカーやプロダクションをユーザー側が支持することで、市場原理により賛同しないメーカーを市場から退場させることもできるでしょう(闇市場については完全に刑事機構に委ねるしかないため、そこは本稿では触れられません)。
アダルトビデオ専門チャンネルでAV大賞のようなイベントやAV女優のトーク番組を除く「放送するためだけのアダルトビデオ」を制作することがあるかどうかわかりませんがそれがないという前提で本論から外れるので補足としましたが、上記の「ワンチャンス主義」はあくまで「映画の著作物」に適用されるもので、TVドラマやTVアニメには適用がありません。
つまり、かつては「録音録画」の概念がなかった生放送は言うに及ばず、一旦収録した後編集等を加えてから放送するドラマやアニメにしても、こちらの二次利用(映像ソフト化やネット配信など)は、収録の契約とは別途の契約が必要になるのです。なお、放送の許諾を出演者から得た場合、放送のために一旦収録することや、それを系列局に送ったり他の局に放映権を売って放送することはできますが、その場合は出演者に「相当な額の報酬」を払わなければなりません。ブコメでid: shigak19 さんが書いていたのはこれに基づくものです。また、映像ソフト化やネット配信は当然できません。
なんで映画(含むパッケージソフト産業)とTV番組でこうも違うんだと言うと、まあ立法された1970年のメディア産業構造の違いによるとしか言えないでしょうね。その後で産業側の方が構造固定化されたために、実務上も問題になっていないということで。
ただ、この違いがとんでもない問題になっているのが「昔のTV番組のWEBアーカイブ化」で、映画(含むセルビデオ)は文化遺産としてのウェブアーカイブ化は著作権者の同意があればできるのに対し、TV番組は著作権者だけではなくエキストラの一人にいたるまで同意を得ないとWEBアーカイブができないのです。本人が死亡した場合は遺族の発見とか、存命中でも芸能界を引退した人とか、元子役とかだとまず連絡を取ることができません。しかも結構な大物でも、死後や引退後数年で簡単に連絡先不明になります。TV番組にワンチャンス主義が採用されていないのは、この点では問題なのです。
もともと封建主義批判として自由主義が生まれた。自由主義が格差拡大と恐慌と景気低迷を発生させた。それ批判として生まれたのがケインズとマルクス。
国による財政出動と、累進課税などの税制と、金利政策を用いて改善させようとしたのがケインズ。国が全部調整しようとしたのがマルクス。
1940-1980年台の右翼といえばケインズで、左翼といえばマルクス。
ケインズ政策は大成功を収めたが、1970年台のオイルショックに対応できないからとまた批判された。で、かつての自由主義の再来の新自由主義に右は乗っ取られた。
ケインズ政策末期においては、格差も薄れていたため、左翼は経済政策からは完全に目を背けてほそぼそとマイナー弱者や海外の弱者のことに目を向けた。
1900年を1年目と内的処理していた場合、年数が2桁から3桁になる。また、年号を下2桁だけで処理していたシステムの一部で年のエントリで99をエラーコードや例外値として扱っている物があったとされ、そのようなシステムでは1999年になった途端に正当な1999年とエラーとを識別できず不具合をおこすことが懸念された。又、9が5つ並ぶ1999年9月9日にエラーが発生することも懸念された。
GPSは内部処理で週数を10ビットで管理しており、起点である1980年1月6日から1024週後にあふれて0に戻る。
年数を下2桁だけで処理していたシステムや、2000年を平年(閏年ではない)と誤解したシステムに問題が起こる。
1970年1月1日0時からの秒数が十進法で9桁から10桁になる。経過秒数を文字列表現に直してソートしたことで、「1,000,000,000 < 999,999,999」と判断してしまい、項目の新旧が正しく処理されない問題が実際に幾つかのシステムで発生した。
2000年以降も年数を下2桁だけで処理していたシステムで、かつ年を文字列で格納していた場合に、先頭が0の場合には八進数として扱われる処理系があり、その場合2008年の時点で年の処理が不正となる場合がある。ごく一部のperlで作成されたネットゲームで誤作動が発生した事例がある。
潜在的なバグが発覚した。シチズン電波時計やソニーのゲーム機「プレイステーション3」(閏年処理)、オーストラリアのクイーンズランド銀行でのシステム誤動作、ドイツジェムアルト社のICカード使用不能など。シチズンのケースでは、年の内部表現に西暦下2桁のBCDを使っていた。
GPSは内部処理で週数を10ビットで管理しており、起点である1980年1月6日から2048週後にあふれて0に戻る。(10ビットでは2回目)
1930年 - 2029年を下2桁で表現しているシステムに問題が起こる。同様のものに2050年問題や2070年問題などがある。
1900年1月1日0時からの秒数が32ビットからあふれ、NTPに問題が起こる。
Unixなど。1970年1月1日0時(Unix epoch)からの秒数が31ビットからあふれ、32ビット符号付きで処理しているシステムに問題が起こる。
GPSは内部処理で週数を10ビットで管理しており、起点である1980年1月6日から3072週後にあふれて0に戻る。(10ビットでは3回目)
HFSのタイムスタンプは2040年2月6日までしか取り扱えない。
System zのSTCK命令で取得する64ビットのTODクロックは2042年9月17日中にオーバーフローする。
2038年問題の1980年起点版。FATファイルシステムのタイムスタンプなどが1980年起点である。
1950年 - 2049年を下2桁で表現しているシステムに問題が起こる。同様のものに2030年問題や2070年問題などがある。
1970年 - 2069年を下2桁で表現しているシステムに問題が起こる。同様のものに2030年問題や2050年問題などがある。
FATファイルシステムのタイムスタンプの起点の1980年1月1日を基点として、年数を下2桁だけで処理するソフトウェアなどは、その起点の99年後(2079年12月31日)までしか正常動作しない。
2000年以降に作られた年数を2桁で表すシステムや、2100年を閏年と誤解したシステムに問題が起こる。
FATファイルシステムのタイムスタンプは2107年12月31日までしか取り扱えない。
更新されたGPSは内部処理で週数を13ビットで管理しており、この頃にあふれて0に戻る(正確な日時は未定)。
2286年問題-2286年11月20日17時46分40秒に起こる。原因は、2001年問題と同じ。
Visual C++において、3000年1月1日以降の日付処理に不具合が生じる。
自分のブログにでも書こうかなと思ったけど、だいたい https://www.metacritic.com/pictures/oscar-best-picture-contenders-for-2019?ref=hp からのパクリだしそんなに力いれて調べてないので増田に放流します。
本命は『スター誕生』、『BlacKkKlansman』、『グリーンブック』あたりか。ノミネーションだけなら『ファースト・マン』や『女王陛下のお気に入り』も。
今年のカンヌで『万引き家族』の次点でグランプリを獲得した、黒人映画永遠のトップランナーの最新作。
黒人なのにKKKにもぐりこんでしまった潜入捜査官の実話を描く。
スパイク・リー監督作のなかでは『ドゥ・ザ・ライトシング』や『マルコムX』をも凌ぐ評価を獲得している(そして興行的にもここ十年で自己最高)。
公開時期が夏季であることと、ややコメディよりのタッチがノミネーションに不利に働くかもしれないが、トランプ政権下において「ブラック・リブス・マター」運動はまだまだ意気軒昂。「黒人映画」枠競争を勝ち抜くポテンシャルは十分だ。
ブラックパンサー(ライアン・クーグラー監督)
解説は不要だろう。今年米国内で最高興収をあげた作品にして、マーベル映画史上でも最も支持された傑作ヒーロー映画。
アメリカ国内外の黒人問題や歴史的視点にめくばせしてオスカー好みの社会性もばっちり備えているものの、やはり「アメコミ映画」のレッテルがネック。
まだまだ白人・男性・おじいちゃんが大勢を占めるオスカー会員にあっては弱い。ギリギリノミネーションがあるかどうか、といったポジションだろう。
余談だが一時期新設されそうだった「ポピュラー映画賞」部門はブラックパンサーを受賞させるために作られるのだという噂だった。裏返せば、作品賞本選に選ばれる格ではない、と会員からみなされているのだろう。
Can You Ever Forgive Me?(マリエル・ヘラー監督)
落ち目のライターが有名人の手紙や文章を捏造して高値で売る詐欺に手を出し、それが嵩じて博物館から実物を盗みだそうと企む実録犯罪コメディ。
日本ではあまり知られていないけれど主演のメリッサ・マッカーシーはアメリカで今いちばんアツいコメディアンのひとり。
夫のポール・フェイグと組んで『ブライズメイズ』、『SPY』、『ゴースト・バスターズ(リメイク版)』などの陽性の笑いでヒット作を飛ばしてきた。
そんなマッカーシーが一転してシリアスでブラックなコメディに挑戦し、見事大成功。本年度の主演女優賞ノミネートが確実されている。
演出したヘラー監督の手腕も高く評価されており、初の監督賞ノミネート、さらには作品賞も夢ではない。
とある気難しい現代っ子少女の中学生活最後の一週間を描いた青春コメディ。
中学生版『レディ・バード』にもたとえられる(中二病的な意味で)痛々しくも切ない、みずみずしくもどんよりとしたフレッシュなローティーンライフの描写が広範な支持を集めている。
監督は若干28歳のコメディアンで、なんとユーチューバー出身。アメリカ映画界における新世代の台頭を予感させる一本。すでに数多くの映画祭や映画賞にピックアップされている
オスカーはコメディを敬遠する一方で、サプライズ的なインディー作品を好む傾向にあるが、はたしてこの作品の出目は吉とでるか凶と出るか。最悪でも脚本賞ノミネートは固いか。
『ロブスター』、『聖なる鹿殺し』と強烈かつキテレツな作風で知られるランティモス監督最新作にして初の時代劇。
アン女王を演じるオリヴィア・コールマンを巡る二人の家臣(レイチェル・ワイツとエマ・ストーン)のバトルを描く百合時代劇……たぶん百合だとおもう。
すでに巨匠の地位を確立したランティモス監督の過去作のなかでも群を抜いて評価が高く、今年のベネツィア国際映画祭でも第二位にあたる審査員賞を勝ち取った。オスカー前哨戦となる各種賞レースにももちろん名前を連ねている。
今年の本命作のひとつとも目されるが、ランティモス特有の変態さ加減が(今回は脚本までは書いてないとはいえ)どこまでお上品なオスカー会員たちに受け入れられるか……。
『ラ・ラ・ランド』で幻の作品賞受賞というなんともかわいそうな結果に終わった(それでも本人は史上最年少で監督賞を獲っているが)デイミアン・チャゼルとライアン・ゴズリング。
そんな彼らのリベンジマッチが実録宇宙開発物語『ファースト・マン』だ。人類で初めて月面に降り立ったニール・アームストロング船長にスポットライトを当て、彼の視点からドラマを描く。
企画段階から作品賞ノミネートは当然、という空気のなかでプレッシャーを跳ねのけて見事高評価を集めた。ノミネーションはほぼ確実といっていいのではないだろうか。反面、今度こそ受賞なるかというと、今ひとつパンチがきいてないようで不安が残る。
オスカー前哨戦の最も重要とされるトロント国際映画祭で観客賞に輝いた作品。ここ十年で同賞を得た作品でオスカー本選にノミネートされなかった例はたった一回しかないのだ。
黒人差別が法的に是認されていた時代のアメリカで、自分もちょっとレイシスト入っている用心棒の白人男が南部へコンサートを開きに来た黒人ピアニストを送迎する仕事を命じられる。最初は「黒人のくせに上等なスーツを着てお上品にピアノなんぞひきやがって……」と反感を抱く用心棒だったが、行く先々で差別待遇を受けるピアニストに対してだんだんシンパシーが湧いてきて……という内容。
ほろ苦くもユーモアとメッセージ性に満ちた内容はまさしくオスカー好み。「分断されたアメリカ」というテーマのタイムリーさもある。ちなみに監督は『メリーに首ったけ』などのロマコメで知られるファレリー兄弟の兄。このところは過去のヒットコメディのリメイクなどで仕事に恵まれなかったが、もともと潜在的に持っていた社会派なセンスが一挙に花開いた。
If Beale Street Could Talk(バリー・ジェンキンス監督)
『ムーンライト』で一昨年の作品賞を獲得したジェンキンスの最新長編。今度こそはチャゼルにかっさらわれた監督賞もいただいて完全制覇を目論む。
原作は今年日本でもドキュメンタリー映画『私はあなたのニグロではない』が公開された、黒人小説家ジェームズ・ボールドウィンによる短篇。濡れ衣をきせられて収監された夫を助け出すために奮闘する若き妊婦のお話。
テーマの重厚さも話題性も十分だが、公開が当初予定していた11月から12月にのびたことが若干きがかり。クリスマス狙いのブロックバスター大作のなかで埋もれてしまう恐れがある。
Mary Queen of Scots(ジョージィ・ルーク監督)
互いにイングランド王位をかけてあらそったスコットランド女王メアリーとイングランド女王エリザベス一世を、それぞれシアーシャ・ローナンとマーゴット・ロビーという旬な女優が演じる。
脚本を担当したのは『ハウス・オブ・カード』や『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』などの現代政治劇の名手、ボー・ウィリモン。
いずれもオスカーノミネーション歴を有した名前ぞろいでクオリティも保証されている。同じくイギリスを舞台にした時代劇である『女王陛下のお気に入り』がライバルか。
ROMA(アルフォンソ・キュアロン監督)
世界的に見れば今年最も評価の高い映画といっても過言ではない。ベネツィア国際映画祭の最高賞。
1970年のメキシコ・シティで家政婦として働く女性とその一家のドラマをモノクロで撮る。
評価の高さと『ゼロ・グラビティ』でオスカーを獲ったキュアロンの知名度があれば当然作品賞も……となりそうなものだが、障害は多い。
まずスペイン語映画であること。長いオスカーの歴史のなかでこれまで十作品の外国語映画が作品賞にノミネートされてきたが、受賞にいたったものは一つとしてない。
次に Netflix 映画であること。カンヌみたいに公に締め出すことはしないにしても、アカデミー会員のなかでも動画配信サービス勢に対する反感は根強い。一昨年の『最後の追跡』やドキュメンタリー作品を例外として、『ビースト・オブ・ノー・ネーション』『マッドバウンド』といった作品たちもその年最高クラスの称賛を受けながらもオスカーノミネートには至らなかった。
いちおうネトフリも『ROMA』については配信に先駆けて劇場公開を行うなどの「オスカー対策」をやっているが、はたしてどうなることやら。
ちなみに Netflix でも来月に配信される。驚くべき時代になったものだ。
アリ― スター誕生(ブラッドリー・クーパー監督)
ショービズ映画の古典のリメイク。この八十年で三回目の映画化です。
本年度大本命に数えられる一本。批評家・観客からの圧倒的な支持率もさることながら、商業面でも大ヒット(現時点で世界興収三億ドルを突破)を飛ばした。主演のブラッドリー・クーパーとレディ・ガガの演技もさることながら、これがイーストウッド降板を受けての初監督となったブラッドリー・クーパーの演出にも嬉しい驚きが満ちているとかなんとか。
だが、一昨年の『ラ・ラ・ランド』、昨年の『スリー・ビルボード』と「早すぎる大本命」はかならずバックラッシュに晒されるのがオスカーという場。12月以降に猛然と差してくるであろう後続期待作たちを振り切れるかどうか。
Widows(スティーブ・マックイーン監督)
2013年にアカデミー作品賞を獲得した『それでも夜はあける』のスティーブ・マックイーン最新作。オスカー獲得後の第一作でもある。
シカゴでヘマをやらかして死んでしまった強盗たちの四人の未亡人(ヴィオラ・デイヴィス、エリザベス・デビッキ、ミシェル・ロドリゲス、シンシア・エリヴォ)が亡夫の後を継ぎ女だけの強盗団を結成するちょっと変わった犯罪映画。
マックイーンとヴィオラ・デイヴィスというアカデミー賞受賞コンビで鉄板の出来。
そのパワーでジャンルムービーを嫌うオスカーでノミネーションを勝ち取れるかが見どころだ。
Boy Erased(ジョエル・エドガートン監督)
厳格なキリスト教である両親のもとで育ったゲイの少年(ルーカス・ヘッジス)が教会の同性愛矯正プログラム(いわゆるコンバージョン・セラピー)に放り込まれ、セラピストとバトルする青春ドラマ。
近年では『ダラス・バイヤーズ・クラブ』のジャレド・レトがそうだったように、LGBTものは俳優にとってオスカー像への近道だ(スカーレット・ヨハンソンみたいに非LGBTの俳優がLGBTの役を演じることに倫理的な非難が高まりつつあるにしても)。
批評家筋からの評価的には作品賞には届かないかもしれないが、演技賞ではノミネートが有望視されている。
トランプ政権下でLGBTに対する抑圧が増しつつあるだけに、時事性も捉えているかもしれない。
GWブッシュ政権下で「史上最悪の副大統領」とも呼ばれたディック・チェイニー元副大統領をクリスチャン・ベールが激太り(何度目だ)+ハゲという負の肉体改造で演じたブラックコメディ政治劇。
他にも妻リン・チェイニー役にエイミー・アダムス、ラムズフェルド国防長官役にスティーヴ・カレル、GWブッシュ役にサム・ロックウェルなどアカデミー賞級の芸達者がずらりと並んでいる。
題材としてはなかなかトリッキーだがマッケイ監督の前作『マネー・ショート』がそうだったように、ツボにはまれば一挙にアカデミー賞ノミネートまで行ける。
同じく政治ネタでライバルだった『フロント・ランナー』(ジェイソン・ライトマン監督)の評判がいまひとつ芳しくないのも本作にとっては好材料。
The Old Man and the Gun Now(デイヴィッド・ロウリー監督)
名優にして名監督ロバート・レッドフォードの引退作。15才で逮捕されたときから人生を通じて強盗を繰り返してきた70才の犯罪者(レッドフォード)と彼を追う刑事(ケイシー・アフレック)、そして彼に惹かれていく女性(シシー・スペイセク)を描く実話犯罪コメディ。
作品賞ノミネートは微妙なところだが、レッドフォードはまず間違いなく主演男優賞候補入りするだろう。
ちなみにデイヴィッド・ロウリーの前作であるゴースト・ラブストーリー『A GHOST STORY』は今日から封切り。観に行け。
一方で、実話犯罪・老人・名監督にして名俳優と共通する要素の多い作品としてクリント・イーストウッド監督の『The Mule』にも注目しておきたい。こちらは80才の麻薬の運び屋をイーストウッドが演じる。映画祭などでもまだ未公開なため、どう転ぶかはまだわからないが、近年のイーストウッド作品に対するアメリカ人の冷め方からすると賞レース的な意味での期待はあまりできなさそう。
その他有望そうな作品
『シカゴ』でアカデミー賞作品賞をさらったミュージカルの名手ロブ・マーシャルがディズニーの伝説的名作の続編を制作。
エミリー・ブラント、ベン・ウィショー、こりん・ファース、ジュリー・ウォルターズといった英国の名優たちでがっちり固めつつ、リン=マニュエル・ミランダやメリル・ストリープといったミュージカルで定評のある俳優陣をフィーチャーし、万全の Permalink | 記事への反応(3) | 16:07
アメリカの影
エルマー・ガントリー
G・I・ブルース
ワン・ツー・スリー
荒馬と女
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101匹わんちゃん大行進
樹々の大砲
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ラブド・ワン
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キャット・バルー
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銃撃
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ある戦慄
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甘い抱擁
明日に向って撃て!
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雨のなかの女
ジョンとメリー
アメリカを斬る
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真夜中のパーティ
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フリッツ・ザ・キャット
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ロング・ライダース
アルタード・ステーツ/未知への挑戦
レイダース/失われた聖櫃
評決
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再会の時
ラヴ・ストリームス
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ミシマ
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ダイ・ハード
ヘア・スプレー
ドラッグストア・カウボーイ
ヘザース
ゴッドファーザーPARTIII
グリフターズ
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ボブ★ロバーツ
アメリカンレガシー
摩天楼を夢みて
エル・マリアッチ
ショート・カッツ
ナイトメアー・ビフォア・クリスマス
リトル・オデッサ
クラークス
リービング・ラスベガス
デッドマン
誘う女
真実の囁き
スターシップ・トゥルーパーズ
クンドゥン
プライベート・ライアン
バッファロー'66
マーシャル・ロー
メリーに首ったけ
π
スリー・キングス
映画でも中国や韓国含めて世界中で大ヒットの洋画が、日本ではそこそこくらいの結果しか出せていないことが多い。
昔はみんな洋画を観ていたのに今の若い人は邦画やアニメ映画の方が人気だ。
それが良いとか悪いとかではなくて、戦後に急激にアメリカや欧米への憧れを強めて文化を取り入れまくった日本が、また文化的な鎖国傾向にあるのが不思議。
海外からの文化で今の日本の若者に影響を与えているのは韓国のアイドルや音楽くらいだと思う。
資料ありがとう。これを見ると確かに明確に洋画が邦画を上回ってるのは1990年~2005年なんだな。
ただ、公開本数は圧倒的に邦画の数が多かった1970年から1985年までの配給収入が邦画と洋画はほぼ変わらないことも留意したい。
実はそうじゃなくて、さすがの高野連でも背後のコンテクストを読み解かなきゃいけない複雑な面もあったことに腹を立てているのか、それとも非明文なコンテクストすべてが条文化されないと許せないはてならしい高度機能障害っぽさが爆発してるのか。明文化されてない「その分野で共有される文化」なんて高校野球以外にも山ほどあるだろうに。
まぁ、高野連的コンテクストが社会において優位性の高いコンセンサスになってるのが気に入らない、ということなら同意できる。高校野球みたいなもん宗教儀式に近い興業ををやってるのだから、もっと「高校野球らしい儀礼」にこだわってくれた方がいっそのことすっきりする。世界に通用するプロ野球選手を育てる、という目線で見るならあんなに意味のないスポーツ大会もなけりゃ、あんなに貢献しないスポーツ団体もない。
個人的には、野球にも高校野球にもそれほど思い入れがあるわけでも熱心なわけでもないが、最近の野球界隈が一部にサッカーぽさ(今回のパフォーマンス系投手もその流れの中にあるのではと思う)を融合させているのは、なんとなく引っかかりがないこともない。プロ野球もいつの間にか、レプリカユニフォーム着て応援が当たり前になっている。自分が子供のころはそんなの外野席のクレイジーな一部の人だけだったが、今は若い女の子なんかがユニフォーム着てて可愛い。そういえばネーム入りのタオルマフラーなんかもサッカーから輸入されたのではないだろうか。
タオルマフラーの起源は、Jリーグ由来説(欧州は寒いからクラブカラーのマフラーは応援の必須アイテムだった→日本は暑いからウールのマフラーとか無理、そうだタオル地にしたらよくね?)が主流なのだが、タオルメーカー大手の内野のサイトを見ると1983年に日本で初めてマフラー型のタオルを発売、とある(http://www.uchino.co.jp/tips/history/towel-history/)から、Jリーグ開幕(1991年)よりも10年以上前であり、Jリーグ由来説はちょっと怪しい気がする。内野のサイトを見ると1964東京オリンピック記念タオル発売、とある。これの現物が見たいな。その後1970年に日本で初めてスポーツタオル発売とあるし。タオルの歴史、浅いけど奥深いな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180816-00000024-nkgendai-base
あれか、一球ごとにガッツポはテニスの影響もあるかね。まぁなんにせよ、宗教(高校野球)やってるなら教義には従えと思うし、その宗教自体が不要だという意見にはまったくもって同意する。
サマータイムは開始時と終了時が大きなトラブルが発生すると考えられています。
例え話にします。ある製造業の会社があります。オフィスには社員が見える位置に壁掛け時計がついています。この時計は少し特殊で、秒数しか表示されません。具体的に言うと、ロンドンで1970年1月1日0:00から経過した秒数です。例えば、日本時間の2018年8月11日午前0時は、1533913200となります。
けど、これでは不便なのでオフィスには変換器が用意されています。その変換器を通してみれば日本時間の日付と時刻を教えてくれます。ですので、多くの社員はこの変換器を利用しますが、たまに、変換器を使わずに仕事をする人や自分で変換器を作る人もいます。また、オフィスの変換器は、サマータイムに対応しています。サマータイムが始まる際は、XX年6月30日23:59:59の1秒後はXX年7月1日の2:00:00です。また、終わる際は、XX年9月1日2:00:00の1秒後はXX年9月1日の0:00:00です
毎日0時になったら仕事を始めるAさんがいます。Aさんは、オフィスの他の人が自分の机に持ってきた書類をファイリングして、日付をつけてキャビネットにしまう仕事をしています。その書類には完成した商品の情報が書いてあります。完成した商品の情報が書いてある書類をキャビネットに入れることで、お客様が商品を受け取りに来た時に、受付の社員がどこに取りに行けばいいのか分かるのです。
XX年6月30日。その日の仕事を終えたAさんは、次の0時を待っています。しかし、変換器を通した時間ではXX年7月1日の0時は存在しません。ですので、次に仕事をしたのは7月2日の0時でした。
7月1日の朝になってオフィスにお客様が品物を受け取りに来ました。受付のBさんはお客様の依頼を受け、キャビネットを探しに行きますが、書類が無いので、「まだ完成していません」と答えます。本当は商品はできているのに…。
XX年8月31日0時。Aさんは、普段通り仕事をはじめました。自分の机の上にある書類をまとめて、「XX年8月30日分」と書いてキャビネットにしまいます。しかし、その2時間後、またXX年8月31日0時がまた来ました。あわてて自分の机の上を見ますが書類はありません。(工場が動いているのは8時〜20時)書類が無かったので空のファイルに「XX年8月30日分」と日付を書いてキャビネットに向かいますが、すでに同じファイルがあります。
キャビネット内に同じ名前のファイルは存在していけない決まりなので、そのファイルは捨てて空のファイルをキャビネットにしまいました。
朝になってオフィスにお客様が品物を受け取りに来ました。受付のBさんはお客様の依頼を受け、キャビネットを探しに行きますが、書類が無いので、「まだ完成していません」と答えます。本当は商品はできているのに…。
さて、これを解決するにはどうしたらいいでしょうか。
そうです、Aさんには◯月◯日には、0時はないので2時に仕事して下さい。さらに、□月□日は0時が2回くるので2回目の0時に仕事して下さい。また、受付のBさんには□月□日の1回目の0時には、キャビネットには書類は来ないので、2回目の0時になるまで待って下さい。と教えればすみます。サマータイムはこうして対応可能なのです。
サマータイムを考慮していないシステムは無数にあると思われますが、考慮したシステムに改修すれば問題ありません。不具合が発生するケースは、例え話以外にも考えられますし、解決方法は他にもあるでしょう。
自社の全てのシステムをチェックして、上記のようなエラーが起きる可能性はないか精査します。多くのシステムは仕様書がなかったりするので、その場合は実際にテストしてみたりしないといけません。さらに、AさんとBさんの連携のように、他のプログラムと連動する場合は、サマータイムの開始・終了の際にどう対応するかを取り決める必要があります。社外のシステムの場合もあるので、そうした会社と調整が必要になります。
精査、改修、そして実際に問題ないかテストするプロセスで、日本全国で対応できるまで、おそらく最低でも数年程度はかかるでしょう。2000年に合併したみずほ銀行のシステム統合は今年完了するようです。18年経って、完成しないのではと言われていましたが、なんとか完成に漕ぎ着けられそうです。
また、改修には予算がかかります。ぽっとその予算を確保できるでしょうか。大企業なら内部留保等で対応できるかもしれませんが、中小企業だと数年かけて積み立てないといけないかもしれません。
いずれにせよ、5年くらいかければサマータイムを導入することは可能です。それでも一部のシステムは間に合わないかもしれませんが、生活に支障が出るレベルではないでしょう。多くの技術者に「無理だ!」と言われて心配していた、オリンピック委員会のみなさん、安心して下さい。
大丈夫です。最短でも2023年にはサマータイムは導入することができます。
現在動いているシステムは、すべてサマータイムを見越して作るべきだったかもしれません。それは確かにそのとおりです。その意味では、IT屋にも責任があるのかもしれません。
しかし、サマータイム対応となると考慮した設計をしなくてはならず、費用が余分にかかります。1億のシステム開発で、サマータイム対応することで2000万余計にかかる、ということも充分考えられます。元号や2000年問題と違って、導入されなければ永遠に使われない機能です。
遺骨と墓
絞首刑後、東條らの遺体は遺族に返還されることなく、いったん川崎市の米軍基地に車を入れた後、午前7時半、横浜市西区久保町の久保山火葬場に到着し、火葬された遺骨は粉砕され遺灰と共に航空機によって太平洋に投棄された。
小磯國昭の弁護士を務めた三文字正平と久保山火葬場の近隣にある興禅寺住職の市川伊雄は遺骨の奪還を計画した。
同年12月26日の深夜、三文字らは火葬場職員の手引きで忍び込み、残灰置場に捨てられた7人分の遺灰と遺骨の小さな欠片を回収した。
回収された遺骨は全部で骨壷一つ分程で、熱海市伊豆山の興亜観音に運ばれ隠された。
1958年(昭和33年)には墳墓の新造計画が持ち上がり、1960年(昭和35年)8月には愛知県旧幡豆郡幡豆町(現西尾市)の三ヶ根山の山頂に改葬された。
東條英機は自らが陸軍大臣だった時代、陸軍に対して靖国神社合祀のための上申を、戦死者または戦傷死者など戦役勤務に直接起因して死亡したものに限るという通達を出していたが、彼自身のかつての通達とは関係なく刑死するなどした東京裁判の戦犯14名の合祀は、1966年(昭和41年)、旧厚生省(現厚生労働省)が「祭神名票」を靖国神社側に送り、1970年(昭和45年)の靖国神社崇敬者総代会で決定され、靖国神社は1978年(昭和53年)にこれらを合祀した。
同じことは100年前にも言われました。
いわく、資本家が生産手段を独占するから労働者は搾取されると。更に、恐慌なんてものが起きるのだと。
そこで、ケインズと、マルクスがこういう解決案があると言いまして、世界中の国はその2つの提言のどちらかの側にうつりました。
ケインズは、国が需要対策をきちんとしろと。なので、国による借金や、累進課税で過剰貯蓄を抑え、需給対策をした。
マルクスは、国が生産手段を持ち、そのもと適正な生産をしろと、生産手段をすべて国営化した。
で、結果的に見れば冷戦終結(1980年台)で勝ったのはケインズなんだけども、勝つ直前にオイルショック(1970年台)があった。
オイルショックに対してケインズは対応できないと自由放任資本主義が、新自由主義の名前を借りて復活。
ただし、その後日本は失われた30年に突入。オイルショックの不況なんか目でもない長期不況という流れです。
単にケインズ主義に戻したらいい。もっとも、単純な累進課税や高い法人税だと生産意欲を落とすという側面があし、その批判はある程度真理だろう。
だから、溜め込んだら増税、使ったら減税の方向で、使ったら減税の余地を広く持たせてな。
累進課税にすると金持ちいじめだといい、各種節税オプションつけると金持ち優遇だといい、なかなかこの立場をやるには難しいところがあるけどね。
最近、オカルトブームを振り返る人が多いけど、あまりに言っていることがあやふやなので、とりあえず調べられるだけ調べてみた。
年齢 | 男性 | 女性 |
15(2000年生)~19(1996年生) | 0.28 | 0.4 |
20(1995年生)~24(1991年生) | 2.70 | 5.00 |
25(1990年生)~29(1986年生) | 21.60 | 30.76 |
30(1985年生)~34(1981年生) | 48.60 | 58.34 |
35(1980年生)~39(1976年生) | 61.05 | 68.52 |
40(1975年生)~44(1971年生) | 64.79 | 70.47 |
45(1970年生)~49(1966年生) | 67.75 | 70.93 |
50(1965年生)~54(1961年生) | 70.37 | 71.84 |
55(1960年生)~59(1956年生) | 73.10 | 73.08 |
60(1955年生)~64(1951年生) | 73.51 | 72.33 |
65(1950年生)~69(1946年生) | 75.68 | 68.91 |
70(1945年生)~74(1941年生) | 79.38 | 62.76 |
75(1940年生)~79(1936年生) | 81.17 | 52.63 |
80(1935年生)~84(1931年生) | 80.08 | 37.25 |
85(1930年生)以上 | 69.77 | 15.34 |
http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2015/kekka/pdf/gaiyou1.pdf
※男女の有配偶率は55~59歳で逆転。男性の平均寿命が短く、夫が年上の夫婦が多い傾向が影響していると考えられる。夫より先に逝ける可能性は低いので、女性は死別・離別前提のライフ・マネープランを。
※1977年生まれ2000年卒~1980年生まれ2003年卒の就職率が最低。35(1980年生)~39(1976年生)の年齢階層が氷河期ど真ん中と言える。氷河期×未婚率の高い都民のデータでも6~7割は有配偶。
※高齢になるほど男性有配偶率が上がっていくが、婚姻率が高かった時代の影響が大きい。また、未婚男性は既婚男性と比べて顕著に短命な傾向にあるので、未婚男性の死により男性有配偶率が上がるとも考えられる。未婚男性の短命傾向は、「独身だと死ぬ」ではなく、病気や障害を抱えた宿命的に短命な男性が「子供の父親候補」から漏れがちなことが理由として考えられる。
え、70歳の両親、48年前には東京で会社の昼休みにパスタと釜焼きピザ食ってたって言ってるけど。どっちも東北出でお洒落ではない。
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48年前というと1970年だから、東京の都心部なら既にジローなどのそれなりに本格的なピザハウスが結構あったはずなので、ご両親の話と一致しますね。当時は本当に東京の都心部だけのことだったと思います。
ジロー・フィオーレの展開が始まったのが今から40年前の1978年からだそうで、僕が大学生だった80年代には多摩地区(東八道路沿いの三鷹とか)にもありましたから、その頃には結構いろんなピザやスパゲッティが楽しめる時代になっていたと思います。
30年前というと1988年のバブル期ですし、ジロー・フィオーレの展開が始まって10年たってますから、既に世の中はイタ飯ブームの頃ですよね。(ジロー・フィオーレのピザは結構うまかった。)
巨大な男性器を持っていることで著名。
10歳のときには既に自分で咥えることができ、15歳のときには勃起時25cmに達していた。
25歳までに1500人、29歳までに3000人と関係を持ったという。