はてなキーワード: 親心とは
「機動戦士ガンダム00」という作品がある
2007年から放送された、TVガンダムシリーズの中で初めてのハイビジョン制作・一期と二期の分割放送など新たな試みが取り入れられた、完結から10年経つ今でも高い人気を誇る作品である
僕はこの作品を初めて見た時、本当に驚いてしまった。「TVシリーズなのにこの作画の良さはどうなってるんだ!?最近のアニメはクオリティ高いって聞いてたけど劇場版やOVAでもないTV作品でもこんな凄いのか!?」ともう興奮した。
西暦2307年、地球上の国家は大きく三つの超大国家群に別れて終わりの見えない争いを続けていた。そんな不安定の情勢の中、突如機動兵器ガンダムを所有する私設武装組織「ソレスタル・ビーイング」が現れる。彼らは世界から戦争行為を根絶するためにどのような理由があろうとも全ての戦争行為に対して武力による介入を行うと宣言した。何だこの掴みは!?こんなガンダム見た事が無いぞ!世界各地で戦うガンダムから始まる1話はWっぽいかな?
今でこそもうそういう物だ、と認識しているけど主人公の名前が「刹那・F・セイエイ」でその口癖が「俺がガンダムだ…」などともう序盤からインパクトが凄かった。主人公達以外も模擬戦男「パトリック・コーラサワー」、口から名言が飛び出す男「グラハム・エーカー」、ところがぎっちょん「アリー・アル・サーシェス」など、視聴前から存在だけは知っていた愛すべき敵役キャラクターも次々と出てきた。序盤からこんなに印象的な敵役がどんどん出てくるガンダムは中々無いと思う。
また、当時僕は活躍されている声優さんについても疎かったので、出演されている人達も「あ、ガンダム00に出ていた人だ!」という感じで覚えていた。宮野さん、神谷さん、吉野さん、中村さん、浜田さん。皆僕にとっては「00の人」だ。
作画が良い、キャラクターも個性的。これに加えて音楽まで良いんだから堪らない。あの川井憲次氏だ!特徴的なコーラスは一度聴いたら忘れられない。僕が川井さんの曲を聞いたのは00が初めてだったのでやっぱり「00の人」だ。
他にもMSのパイロットがヘルメットを被ると音がこもったり、動力炉から漏れ出る特殊な粒子が慣性や重力に作用するガンダムタイプは同じMSと兵器でも三代国家群の機体と挙動が全く異なるなど、細かい所にも力が入っていた。
トランザムというパワーアップも良かった。機体色が赤く変化し、残像が残るほどの高速戦闘が可能になる機体の性能を三倍に引き上げるド派手なシステムだ。赤くて三倍…シャア専用?3倍界王拳?V-MAX?オマージュですよ。
大分後になってトランザムはスライドで誤魔化してるだけだという意見も聞いたがそれがどうした!動いてカッコイイからそれで良いのだ!それにスライドじゃなく普通に動いてる戦闘シーンも多いのだから問題ない!発想の勝利だ!
ちなみに僕は一期のキャラだと人革連の強化人間こと超兵1号「ソーマ・ピーリス」というキャラが好きだった。ガンダムマイスターアレルヤとの因縁や、上司であるセルゲイ大佐との触れ合いなど、色々と先が気になるキャラクターだった。
一期の物語は三大陣営の連帯に生まれた国連軍によりソレスタルビーイングの実働部隊プトレマイオスチームが壊滅し、その国連が地球連邦政府と名前を変えた数年後の世界を舞台に続編を匂わせる形で一旦終了する。
という訳で一期を見終え二期も見た。UVERworldの 『儚くも永久のカナシ』、良い曲だ…もうOPからこれは凄い!と惹き込まれた。やっぱりこれが僕の初UVERworldだったので、僕にとっては『00の儚くも永久のカナシの人達』だ。
二期では遂に満を持して作品のタイトルを機体名に冠する「ダブルオーガンダム」が登場し、一期でソレスタルビーイングの技術が流出した影響でMSの性能が格段に向上した世界で一期より激しい戦いが繰り広げられる事となった。
僕も実際に見てこのガンダムは凄い!と思ったが、やはりリアルタイムで見ていた人達からの評価もとても高く絶大な人気があったらしい。F91から19年ぶりに“ガンダム”完全新作映画が00の続編として製作され、人気を博した。
スロー再生でも目が追いつかない程超高速でありながらみっちりと描き込まれた戦闘シーンや、映像作品では初となる地球外生命の登場など、19年ぶりの完全新作劇場版というファンの期待にも負けない非常に濃いガンダムだった。
そしてその劇場版から10年経った現在、40年以上続くガンダムシリーズで00は初めて舞台化された作品になり、ガンダムマイスターとしてソレスタルビーイングに加入したグラハムが主演の続編が製作される事も既に決定している。
アナザーガンダムでありながらガンダムシリーズ初のTV版の続編としてOVA作品が作られたWの人気も凄いと思っていたけど、00も凄い。ガンダムWとガンダム00はゲーム作品で共演した時も濃密にクロスオーバーする事が多いらしい。
正直な話、僕はこの作品の欠点があまり思い付かない。強いて言うなら一期で登場した一部のキャラ達が二期で退場する際に「え、そんなあっさり?」と思ったくらいで、全体的に非常にクオリティの高い作品だったと思っている。
主観的に見ても客観的に見ても非常に評価が高い、この「機動戦士ガンダム00」という作品。ここからが本題なんだけど…僕はこの作品が大好きか?と考えると案外そうでもない。嫌いではないし好きな方ではあると思うけど。
これは作品の美点欠点の話じゃなくてあくまで僕の好き嫌いの話だけど、僕はこのガンダム00という作品でソレスタルビーイングという組織は最後に壊滅してしまう物だと思っていた。武力介入の際に、目の前の武装勢力の駆逐より人命救助を優先してしまう心優しきガンダムマイスター「アレルヤ・ハプティズム」というキャラクターが居た。彼はガンダムマイスターとして初めて民族紛争には武力介入し人革連の基地へ爆撃した際自分を指し「稀代の殺人者」という言葉を使った。家族を自爆テロで失った過去を持つガンダムマイスター「ロックオン・ストラトス」はその自爆テロの計画犯である傭兵サーシェスにお前も同類のテロリストだ、と煽られた際に「咎は受けるさ」と言い、戦いの果てに亡くなった。
ソレスタルビーイングのメカニック「イアン・ヴァスティ」は自分達は犯罪者であり、戦争をなくしてから罰を受けると言った。これは最終的にソレスタルビーイングは今度こそ本当に壊滅してしまうのだろうな…と薄々僕は思っていた。
二期のラストでかつて憧れた存在であり、自分を拾ってくれたある意味恩人でもある相手を激戦の末倒した刹那は、「自分達は武力を行使してでも抑止力となって生きる」「存在し続けなければいけない。未来のために」と決意する。
僕がこの最終話を見た時には「00は劇場版もやる」という話は既に出ていたので「そうか、今度こそそっちで完結するんだな」と思った。というか逆に「00というガンダムの劇場版が今度公開される」と聞いてTV版を見ていたんだろうか?
劇場版00が公開されてから1年以上経ってようやく僕は視聴出来た。新型主役機クアンタや金属生命体ELSの話は事前に聞いていたのでとてもワクワクしていた。もう凄かった!ただでさえ高品質だった作画の劇場版クオリティだ!
最後はELSとの最終決戦から50年後、離れ離れだった刹那と作品のヒロイン「マリナ・イスマイール姫」がイッツタイムナウしてやっと出逢えたところで終わる。若イオリアとE・A・レイはおまけというか00の前日譚みたいな物だから置いておく。
…ソレスタルビーイングは特に壊滅しなかった。劇場版00の公式ガイドブックに収録されている水島監督と脚本の黒田さんの対談によると「劇場版が決まらなかったらTV版には別のルートもあった」「劇場版は監督が目指したAルートでBルートもあった。どちらも描いている事に大きな差はないけど、死ぬ人がいた」「25話を見直したけど、冷静になってみると、マイスターが死んでもきれいに収まる」との事なので、本来ならマイスターが死亡する筈だったのかな?と思った。
TV版の一期から劇場版まで3年以上作品を応援し続けた作品のファンの事を思うとそれはあんまりな気もする。ただ僕個人の好みからすると、00は作中で匂わされていたソレスタルビーイング壊滅オチの方が好みだったかもしれない。
ここまで書いて、僕は「00の事が大好きではない」と言いながらやっぱりそれはそれで好きなような気がしてきた。「大好き」でないだけで、実は結構気に入っているんだろうか。色々と言いたい事はあっても、やっぱり好きなのかもしれない。
最近公式に配信される機会があったのでまた一期を少し見返した。今のアニメに慣れた目線から見ると作画に関しては思い出補正がかかっていたな、と思ったがキャラクターや音楽の魅力は変わらなかった。何と13年も前の作品だ。
機動戦士ガンダムが40年以上愛されたように、機動戦士ガンダム00もこれから長い間愛される作品になると思う。これからも僕は「00の事がそれなりに好きなつもり」のファンとして00が好きな人達と関わって行けたら良いな、と思った。
【追記】
勢いで書き上げたけど、00が好きな理由は書いても00の事が大好きではない理由は殆ど書いていない事が分かった。壊滅すると思っていたソレスタルビーイングが物語のラストまで普通に健在だった、というのは間違いなくあると思う。
僕がこの作品の中で好きになったキャラクター達があまり良い結末を迎えられなかったり、僕が思っていたのと違う方向に行ってしまった事が「それなりに好き」でも「大好き」ではない大きな理由だと思う。メカニックや戦闘は文句無し。
アンドレイ・スミルノフというキャラクターが居た。ソーマの上官セルゲイ大佐の実の息子であり、幼い頃に軍人であった父セルゲイが作戦中に母を戦死させてしまった事で父を恨み、また父であるセルゲイもアンドレイと向き合う事を恐れたため10年以上父と疎遠であったという、一体どこの富野主人公だ?という青年である。声優さんもブレンパワードで伊佐未勇を演じた白鳥哲さんだし、00の中でも富野チックなキャラクターだと思う。グラハムも台詞は富野っぽいかな。
幼い頃に母を亡くし、また父ともろくに顔も合わせないという親をやってくれる人が居ない環境でアンドレイは育った。彼が父であるセルゲイ・スミルノフと顔を合わせたのは、両親と同じ軍人としての道を歩み、現在父が暮らす士官用宿舎に超兵ソーマ・ピーリス中尉の招聘に訪れた時だった。そこで彼が見たのは、自分と近い年頃の女相手にまるで父親のように振る舞う実父の姿で…これ、ブレンパワードの勇なら「父親ごっこはやめろー!」って叫んでいたと思う。
セルゲイ大佐は軍人として素晴らしい人物で、ソーマにとっても良き上官であり、身寄りのない少女の身元を引き取り人間らしい生活を取り戻させてあげた本当に良い人だと思う。実際視聴者からの人気も高かったし、僕も好きだ。
ただ実の息子とは言葉も交わさず何も父親らしい事をしなかったのに、赤の他人にまるで本当の父親のように愛情を注いだのは…実子に親らしい事をしてあげられなかった代償行為だと思うんだけど…貴方は何をやってんです!?
大佐がそうやってソーマと疑似的に親子関係を築く事で親心を満たしていた数年間も実の子供は親の愛情に飢えていた訳で…セルゲイ大佐の事は好きだけどアンドレイに恨まれても仕方がない、と思う。大半の人は恨むと思う。
その後、セルゲイ大佐は長年の親友が地球連邦政府に対しクーデターを起こし、大佐自身もそのクーデターに関与していたと思われた事から実の息子であるアンドレイに殺害された。大佐自身はクーデターを肯定しなかったが、連邦の軍人として食い止めようと友人へ何かをした訳では無い中立的な立ち位置だったので、人によっては消極的に肯定していたと思われても仕方がない状況だったと思う。アンドレイはセルゲイ大佐がクーデターに関与していたと判断した。
その後、アンドレイは二期の最終決戦でソレスタルビーイングと対峙し、宙域に撒かれたGN粒子の作用もありセルゲイ大佐と疑似的な親子関係を築いていたソーマ・ピーリス(本名マリー・パーファシー)と対話する。そこで彼は「父は何も言ってくれなかった、言い訳も、謝罪も、僕の気持ちなんて知ろうともしなかった」と悲痛な胸の内を明かした。父親が本当は自分を思っていたと聞いて「言ってくれなきゃ何も分からないじゃないか」と彼は子供のように泣いた。
…声は伊佐未勇だけどエピソードは同じ作品に出てくるジョナサン・グレーンみたいだ。間違いなく00で僕の一番好きなキャラクターだと断言出来る。富野風作品なら主人公かライバルかどっちにしてもメインキャラクターになれてたかも。
そんな彼だけど、昔は00のファンから嫌われていた…ような気がする。人気キャラであるセルゲイ大佐を殺したのもそうだけど、その動機が一方的な逆恨みだと思われたのかな。僕は擦れ違いの原因は親である大佐側だと思っている。
それと一期からメインキャラである沙慈・クロスロードの婚約者であったルイス・ハレヴィに横恋慕していたのもあると思う。沙慈とルイスは何年も離れ離れなのに、アンドレイは上官と部下の関係でルイスと近い距離に居たからかな…。
そんな彼も劇場版00で行われた地球外生命体「ELS」との最終決戦で戦死を遂げる。その彼の最期を見て「号泣した」「二期では嫌いだったけど劇場版で好きになった」「何度見ても涙腺が緩む」という人も大勢居たらしい。
僕はアンドレイが好きなので出来れば彼には生きていてほしかった、と思った。劇場版で死んだのも00ファンに嫌われていたから…と考えるのは邪推だとも思う。00ファンに高い人気を誇ったグラハムだって劇場版で一度死んだんだから。
余談ではあるけど、グラハムもELSとの最終決戦において肉体的には完全に死亡したけど、続編では疑似的な蘇生を果たしている。ならアンドレイも…と思わないではないけど無理だろうな、と分かっている。そこまでの人気が無いから。
ここまでアンドレイについて書いていて思ったけど、やっぱり僕は00の事が好きなんじゃないだろうか…?アンドレイというキャラが好みのドストライクなので、そのアンドレイを生み出してくれた00という作品の事もやっぱり好きなんだろうな。
【追記2】も書きたかったんですが、文字数制限に引っかかってしまいました。こんなにこの作品について語りたい事があるとは思わなかった…ような気もしているけど、ひょっとして人間が普段考えている事を文章にするとそれくらいの文字数になってしまうのかな…と思った。機動戦士ガンダムシリーズはとても好きな作品なので、00についてもまた機会があれば日記に書きたいです。4クールと劇場版に加えて外伝や裏設定など、本当に幾らでも語る事があるなあ、00。
機動戦士ガンダム00について書いていて改めて思ったんですが、やっぱりこの作品はとても面白いです。面白いと思うし、「かなり好きだ」とも思うから、どうしても引っかかる所があるのかな…。書き出す内に好きになってきた気がする…。
とはいえ、これは去年の夏にも通過した道。増田はできるだけ冷静に「臭いと言われると、正論であったとしても傷つく」旨を、増田母に伝えた。しかし、あくまで「あんたのためを思って言っている」というスタンスを崩さない増田母。
1.臭かったとしても、臭いということを言わずもうほっといて欲しかったのか?
だとすると肝心の、ほっといて欲しい、ということが伝わってないので、臭いということを知らないと結局本人が辛い思いをする...という親心は止められないし、母親が、親心で...と言い募る理由もそれだ。
or
2. 臭いことを指摘してくれたこと自体は仕方ないし改善できたのでよかった。ただ傷付いたので謝罪して欲しい、あるいは言い方に気を遣って欲しい。
これも、謝罪or言い方の改善という要求が伝わってないので、増田が望んだリアクションは得られない。
個人的には家族が臭いこと、臭いことを伝えること、それに対して逆ギレされることは全部ストレスなので、母親がかわいそうだなと思った。早く家を出よう。
13話。
まさか「好き」とは自覚してなかったのか。そういう概念が無いのか。
付き合いとしては「ゲーセンで出会うツレ」と同レベルに毛が生えた程度なんだがね。
こういう「素性の悪い人間が絡んでくるのは迷惑」って言い方は現実でもあることだよな。
子供時代に「あの子と絡んじゃいけません」と言われた人間も居るだろう。
親心があるとどうしても筋の悪い言い方になっちゃうこともあるんだろうね。
それに対してママつええ。ババァだからこそ言い返せるんだよねwww
クソガキには無理だよな。
…というか本格的に飽きてきた。視聴中止するか…。
気が向いたらまた見るかな。
なんかこう、一気に見れる面白いやつか、ほのぼのしっぱなし(ちょっとだけ切ない)みたいな作品じゃないと日々のストレスを解消出来ない…。
彼は私に無言で一枚の絵を手渡しました。
渦中の絵
→ https://d.kuku.lu/8276af3257
苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
(絵をテーブルに広げつつ、、)
渦中の絵
→ https://d.kuku.lu/8276af3257
私「あのさあ、今日幼稚園で描いたこの絵について教えてくれないかなあ」
娘「あ、その絵お気に入りなんだ!パパはその絵好き?」
私「うん、好きだよ! これどうしたんだい?」
私「へえー! そうなんだ! で、何を描いたの?」
驚いた妻は両眉を釣り上げ、
私は眉間にシワをよせながらも必死に平静を装い、
注意深く絵を鑑賞しているふりをします。
私「そりゃ楽しそうだね。で、ここに描いた大好きなものって、何だい?」
娘「もうパパったら! わかってるくせに! テーブルに置いてるマフィンに決まってんじゃん!」
(妻、爆笑)
私「もちろんわかってるさ!すっごく上手に描いたよなあ!」
(ふぅ~)
酔っ払っている。
映像研。
今、アニメ6話まで見たところ。
設定を作り、動画を割り、資金や環境をかき集めて、なんとか作品を形にしようとする。
で、その作品は、原作作中いくつか「その時点での最善」に過ぎないながら完成する。
しかし悲しいかな漫画作品。完成した作品を、読者は「アニメとして」鑑賞することができない。
完成したアニメを、アニメとして、そしてアニメならではの感受性表現(ex.予算審議委員会)をもって魅せてくれる。
それだけじゃない。
アニメを制作する過程の部分も、「現実ならこうだぜ」「俺らならこうするぜ」と、実際の現場の感覚をアニメの作り手自身が持ち込んで足している。
強いて言うなら、現れているのは「おじさんをナメるなよ」というプロとしての矜持だ。
映像研の3人の少女は、歓迎を以てアニメのプロのおじさんたちに受け入れられたのだ。
「実際作るならこうだろ」「この方が画としていいぜ」「あーそこで苦労するよな。わかるわかる」
粗削りで、未熟で、それでも熱意だけはある3人娘は、アニメを作るおじさんたちにとってほっておけない存在なのだ。
祝福をもって、受け入れられたのだ。
そして、アニメのプロたちに笑顔で迎えられた人がもうひとりいる。
エンディングにアニメーターとして参加したことがその証左だろう。
原作映像研は、アニメーターに憧れて挫折した大童澄瞳による、アニメ業界へのファンレター…というかラブレターだと思う。特濃の。
で、このアニメは、アニメ界からの、湯浅政明監督からの愛に溢れたアンサーだと思う。
エンディングの動画を見ると、大童澄瞳は現時点ではやっぱりアニメーターとしては並以下だと思う。
それでも、毎回必ず流れるエンディングで、メインアニメーターとしてクレジットされている。
これが、業界の先輩の愛でなくて何なのか。
原作映像研という「アニメって/アニメーターってすげえんだぜ!」というラブレターに、
「お前が思ってるよりもっとすごいぜ!」あるいは「そうまで言われちゃやるしかあんめぇ」と粋な回答を示す。
それでいて、そのラブレターに勇気づけられたことに感謝も示す。
偶然かもしれないけど、サイエンスSARU(制作会社)と映像研のロゴの重ねっぷりなんか、愛と愛の応酬でしかないでしょ。
お互い元気をもらい、お互い感謝しあって、お互い認めあって。
それが傑作に、ならないわけがない。
余談
それを於いても、特に浅草氏のイメージ段階の画は、コンテのまま見せる、動画を割らなくていい、等作り手として楽できるポイントでもある。
そういうところを衒いなく取り込んで悪びれないのはやはりプロだと思うし、鑑賞者もスケルトン的に楽しい。図解というか。「アニメのできるまで」みたいな。
アニメを作るおじさんたちの「親心」「兄貴ヅラ」「若者を見守る目」。
そういったものが、何より愛おしく可愛く見える。
酔っ払っている。
映像研。
今、アニメ6話まで見たところ。
設定を作り、動画を割り、資金や環境をかき集めて、なんとか作品を形にしようとする。
で、その作品は、原作作中いくつか「その時点での最善」に過ぎないながら完成する。
しかし悲しいかな漫画作品。完成した作品を、読者は「アニメとして」鑑賞することができない。
完成したアニメを、アニメとして、そしてアニメならではの感受性表現(ex.予算審議委員会)をもって魅せてくれる。
それだけじゃない。
アニメを制作する過程の部分も、「現実ならこうだぜ」「俺らならこうするぜ」と、実際の現場の感覚をアニメの作り手自身が持ち込んで足している。
強いて言うなら、現れているのは「おじさんをナメるなよ」というプロとしての矜持だ。
映像研の3人の少女は、歓迎を以てアニメのプロのおじさんたちに受け入れられたのだ。
「実際作るならこうだろ」「この方が画としていいぜ」「あーそこで苦労するよな。わかるわかる」
粗削りで、未熟で、それでも熱意だけはある3人娘は、アニメを作るおじさんたちにとってほっておけない存在なのだ。
祝福をもって、受け入れられたのだ。
そして、アニメのプロたちに笑顔で迎えられた人がもうひとりいる。
エンディングにアニメーターとして参加したことがその証左だろう。
原作映像研は、アニメーターに憧れて挫折した大童澄瞳による、アニメ業界へのファンレター…というかラブレターだと思う。特濃の。
で、このアニメは、アニメ界からの、湯浅政明監督からの愛に溢れたアンサーだと思う。
エンディングの動画を見ると、大童澄瞳は現時点ではやっぱりアニメーターとしては並以下だと思う。
それでも、毎回必ず流れるエンディングで、メインアニメーターとしてクレジットされている。
これが、業界の先輩の愛でなくて何なのか。
原作映像研という「アニメって/アニメーターってすげえんだぜ!」というラブレターに、
「お前が思ってるよりもっとすごいぜ!」あるいは「そうまで言われちゃやるしかあんめぇ」と粋な回答を示す。
それでいて、そのラブレターに勇気づけられたことに感謝も示す。
偶然かもしれないけど、サイエンスSARU(制作会社)と映像研のロゴの重ねっぷりなんか、愛と愛の応酬でしかないでしょ。
お互い元気をもらい、お互い感謝しあって、お互い認めあって。
それが傑作に、ならないわけがない。
余談
それを於いても、特に浅草氏のイメージ段階の画は、コンテのまま見せる、動画を割らなくていい、等作り手として楽できるポイントでもある。
そういうところを衒いなく取り込んで悪びれないのはやはりプロだと思うし、鑑賞者もスケルトン的に楽しい。図解というか。「アニメのできるまで」みたいな。
アニメを作るおじさんたちの「親心」「兄貴ヅラ」「若者を見守る目」。
そういったものが、何より愛おしく可愛く見える。
俺にはひとり姉がいる。
姉は今年34歳になるのだが、無職で、親から仕送りをもらっている。
姉は1年前まで働いていた。
私大の文学部に一浪で入学。在学中、母親から「なんでもいいから資格を取れ」という言葉を無視して遊んでいた。
文学部というのは、就活で苦労する。母も文学部出身だったので心配だったのだろう、在学中に「資格を取ったら一時金をやる」と宣言。金で釣ろうとした。その言葉でやっと動いた姉は、なにを考えているのか色彩検定を受けてきた。曰く「これも資格だ」と。母は就活でプラスになる資格を取ってこい、というつもりで言ったのだと思うが、親心は何も伝わっていなかった。母は一時金を渡して、それきり資格資格と言わなくなった。
姉の就活は難航した。しかし、最後の最後で1社だけ受かった。そこそこお堅い企業の事務職。ほっとしたのも束の間、3年で辞めた。お局に虐められたらしい。母は「せっかく入ったお堅い企業なのに…」とガッカリしていたが、なんだかんだサッサと次の職場を見つけて、転々としながらも働いていた。
母はやたらと姉の進路に口出しするが、口出しせずとも姉は自分で自分の人生を歩める力を持っていた。ガンコで親の言うことは聞かないが、頭は回るし、口が立つし、仕事はできる。
何も心配することはないのだ。
そんな姉が、1年前、また仕事を辞めた。
その時はいつもと様子が違った。いつになっても、転職活動を始めないのだ。
無職中に結婚をした(!)。人の良さそうな旦那を見つけて、幸せそうにしている。
無職中にウサギを飼い出した。ウサギはすぐ死ぬ弱い生き物らしく、様子がおかしい時は深夜にタクシーを飛ばして動物病院に行く必要があるらしい。大変だ。
最近はゲームにハマっているらしく、デスストランディングの豪華版(2万円くらいする)を予約していた。
旅行も行く。ネットで知り合ったオタク友達と、脱出ゲームだコラボカフェだと、楽しそうにTwitterに写真をあげている。
俺は、姉貴は間違っていると思う。
しかし姉の遊ぶ金は、60を超えた親父がシニア枠でせっせと働いて稼いだ金なのだ。
うちは資産家なんかじゃない。父はただのサラリーマンだ。父は必死に働いていた。平日は残業のない日は無い。土日も電話一本で職場に戻る。腰を壊し、鬱になった。それでも働き続けて、早期退職を促されることもなく、今もシニアでせっせと働いている。
俺は、姉貴は間違っていると思う。
母は言う。姉の旦那はそこまで高給取りじゃない。姉の収入がないと家賃が払えないだろう、と。
なぁ母さん、それは、姉の人生なんだよ。
お堅い企業を辞めたのも、姉。
転職を繰り返したのも、姉。
働かないで、生活が苦しくなるのは、姉が選んだ道なんだよ。
そう電話で言ったが、「かわいそうだから」の一言があったのみで、母の考えを変えることは出来なかった。
最近ようやく「そういえばアンタ、休職続きだけどお金は大丈夫?」と聞いてきた(姉には辞めた月から仕送りしているのに)。
母は言う「そうね、アンタはしっかりしてるから」。
そうして数日後、セミナーがまた開かれる時がきた。
「前は話をマトモに聞いていなかったから、今日はちゃんと聞いてみようと思う」
もはや弟は本を返品するかどうかという段階ではなく、なんならサインでも書いてもらおうって勢いだ。
「それにしても、兄貴までセミナーに来るとは思わなかったよ。あんまり良く思ってなかったのに」
「まあ、目につく部分だけで決め打ちするのもどうかと思ってな。実際にちゃんと咀嚼してから批判することにした」
「批判前提かよ」
そうは言ってみたものの、自分がどう立ち回るかは決めかねたままだった。
弟が何を拠り所にして物事を考え、生きていけばいいのかなんて俺が決められることじゃない。
そう頭では理解しつつも、今の弟に対する不安感は漠然と胸に残り続けていた。
しかし、この感覚を公正に言語化できない内は、俺が弟に忠告できることはないに等しい。
この場に来ていない両親も口には出さないが、たぶん似た感じだろう。
弟に何かを言おうとして、結局は何も言わないという仕草を数回ほど見たことがある。
自分の子供が、たまたま遭遇した自己啓発にのめり込んでいるんだ。
それでも理性と親心の狭間で揺れ動き、自分の子供に下手な忠告が言えない、といったところか。
セミナーを確認しに来なかったのも、場合によっては耐えられる自信がなかったからかもしれない。
会場に来てから10分ほど経ったとき、壇上に一人の男が現れた。
「みなさん、こんにちは。はじめましての方は、はじめまして。セイコウです」
あれがあの本の筆者か。
俺のクラスメートにはタイナイっていう意識の高い奴がいるが、それの進化系みたいな物腰だ。
格好は無地の服を着ているだけでシンプルだが、色合いが強くて、しかも上下を揃えているから逆に目立つ。
「今回も様々な話をしていきたいと思いますが、その前にまず思考をクリアにするため、みんなで頭の体操をしましょう」
書いている奴が同じだから当たり前だろうに、なぜか弟はそのことが嬉しそうだ。
「目を瞑って、呼吸を整えましょう。リラックスして、精神統一」
弟含め、会場にいる人間たちは言われたとおりに実行した。
俺は気乗りしなかったが、一人だけ目を開けたままじゃ目立ってしまう。
仕方なく細目にして、こっそり周りを観察することにした。
「さあ、自分自身をイメージして、喋らせてみましょう。そして耳を傾けて」
男の言ってることは、意味が分かるようで、イマイチ分からない。
だが周りの反応を見る限り、そう思っているのは俺だけらしい。
「自分を変えるために必要なのは、まず今の自分を知ることです。そして今の自分が何を求め、何が不満なのか洗い出していきましょう」
自問自答しろって言いたいのだろうか。
「それが自分にとってどれほど負担であるかを、ひとつひとつ数値化してみましょう。それで高いと思ったのならば、それはあなた方にとって必要のないものです」
そんな調子で、男はゆったりとした口調で色々と語っていく。
「お腹が空けば食べ物が必要ですよね。その食べ物は、できれば美味しいもののほうがいいでしょう? そして美味しいものとは、あなたにとって好物でもあるはず」
だが、その内実はシンプルだ。
それ自体、あるいはそれを記念したゲーム内キャンペーン、またはプレイヤー達の宣伝の効果なのか
最近新たにメギドを知ったり触れてみようとする方も増えているように感じる。
それそのものは良いことだと思うのだが、それに伴って『一部の』非新規プレイヤー達の言動がとても気になるようになった。
具体的にどのような点を問題視するかを書いておきたい。
もしこれを読んでいるあなたが非新規プレイヤーならば、できることなら読んでちょっと考えて欲しいと思う。
ただしこれはあくまでこちらの考えであり、正論を主張しているというつもりではないことは承知いただきたい。
(もしかしたらそもそもあなたとはまったく関係ないかもしれない、その場合は申し訳ない)
もしあなたが新規プレイヤー、あるいはメギドに興味を持っている人間なのであれば、そこまで身構えなくていい。
別にそんな激しいことは書いていないつもりだ。
確かに児童虐待の描写について真摯な姿勢は見受けられると思うが、
このゲームは心理的な面でも社会的な面でも丁寧に描写されている部分は他にも沢山ある。
法や制度の仕組みや人々の動きなど、ミクロでもマクロでも社会がちゃんと存在しているなあと思わされる点は多い。
にも拘わらず、児童虐待というその中のたった一つでしかない要素をわざわざあげつらって
『72』を付けてあたかもこのゲームの代表要素のように表現するのはいかがなものだろうか。
このゲームはそういうんじゃないよ。
そりゃ既プレイヤーからすれば単なるネタなのかもしれないが、外野はそうと分からないこともあると把握して貰いたい。
ゲームを勧めた時に「えっ、あの児童虐待のゲーム…?」と引かれる人間の身にもなって欲しい。
事実として一部の未プレイヤーからはそのように受け止められているのを知っておいてくれ。はっきり言って迷惑である。
2.ガチャのおススメについて
現在受賞記念キャンペーンとして、全てのガチャメギドをランダムで召喚することができるチケットが提供されている。
それを目的として新規に始めた人々から当然上がってくるのが「どのキャラを引けばいいの?」という声。
あろうことかこれに対して「Rバルバトス」と答える人がいる。
ラッシュのバルバトスを軸としたいわゆる『テンプレ協奏パ』は確かに凄まじい強さではあるが、問題が三つある。
まず一つ、必要パーツが多すぎる。
協奏という名の通り、楽器ができるメギドが複数集まらないことにはお話にならないのだ。
しかも残念なことに、そのパーツは全員がガチャでしか手に入れることができないメギド。
ガチャに湯水のように金をつぎ込める人間か、豪運で引きの強い人間か、引けるまで気長に待てる人間でしか『テンプレ協奏パ』は組めないのだ。
いずれにしてもまだハマるかどうかも分からない新規に勧めるようなものではない。
ちなみに『テンプレ協奏パ』に拘らないのなら協奏に組み込めるメギドは一応他にもいる。
中には配布メギドもいたが、既に現時点での新規は3人逃していることになる。
それらの再配布がいつになるかは分からないが、いずれも最近のイベントなのでかなり先になることは覚悟すべきだ。
こんな状況下でどうしてRバルバトスを優先して取らせようと思うのか?彼は協奏以外にほぼ使い道がないというのに。
次に二つ、Rバルバトスは育成が難しい。
進化させるのに必要な素材はゲーム後半に入手するものも多く、強化したければかなりゲームを進めなければならない。
一つ目の理由と合わせて、要するにRバルバトスは基本的に序盤はあまり役に立たないメギドなのだ。
強い強いと期待を持たせて実際はそれとなったら新規もうんざりじゃないのか?
ただでさえ序盤はメギドが少ないのに、そのうちの一つが置物になるのは痛いのではないだろうか。いくらプラスアルファでも。
チケット対象は99人、そのうちの1人を引けという時点で正気の沙汰とは思えない。
確かに現時点で通常の指名チケットでは選べないキャラの一人なので、折角の機会だから是非と思う親心?があるかもしれないが
決して使いやすくないキャラをそんなに苦労して取らせる意味があるとは自分は思わない。
偶然引けたならありがたくとっておけばいいが、あえて狙うとなれば話は別だ。
本気でリセマラをするならばwikiを参考にした方がよほどいいと思う。
メギド72の魅力を語るにあたり、他ゲームを引き合いに出す人がいる。
それだけなら必ずしも悪い行動ではないが、他ゲームをあえてsageるような表現をする場合は流石にどうかと思う。
人気のあるゲームと言うものは程度の差や種類の違いこそあれ、いずれも何か面白がらせる点やユニークな部分を持っているのに
さもメギド72ばかりが洗練されたゲームであるかのように吹聴する人がごく稀にいるのだ。
確かにこのゲームは面白いと思うが、だからと言って他のゲームが陳腐で戦略性が無いかのように表現するのは盲目的だと思う。
また、逆に他ゲームのキャラとの類似性を示すことで引き込もうとしている人も見かける。
他ゲームで〇〇というキャラが引けなかったという人に対し、「メギドにはそれと似た××ってキャラがいるよ」といった具合だ。
その人は〇〇が欲しいのであって類似品ではないと思うのだがどうだろうか。
そんなやり方でに首を突っ込むのはやめておいた方がいいと思う。もしそれが自分なら「メギド信者うっざ!」としかならない。
これは女性向けの話になるかもしれないが、一部女性ユーザーの下品なツイートが目に付く。
このゲームの評価点として「女性メギドの露出が少ない」というものがあるが(個人的にはそうか…?と思うが)
それを称賛したのと同じ口で「男キャラの鼠径部がエロい」だの「男キャラの胸がエロい」だのと
伏せも隠しもしないで堂々と騒いでみせるのは正直引く。何言ってんだと思う。
そういうのに釣られる人もいるだろうし全面否定するつもりはないが、もう少し慎ましやかにやることはできないんだろうか。
かと言って男性ユーザーがお上品かと聞かれれば残念ながらそうではなく
ロリだの胸だの〇りたいだの抜けるだのと言うのは日常茶飯事であり
決してこれだから女プレイヤーはとバカにできる状況下にはないにも拘わらず
上記のような有様を見て「これだから女は」「腐女子は出ていけ」と平然と言ってのけるのには辟易する。
お前ら同レベルだぞ。
別にそういう楽しみ方を非難するわけでもないし、それを楽しみにして始める人のことも否定しない。
ただ公共の場で発言するにあたって多少考えて頂きたいと思う。twitterは君のプライベートルームじゃないぞ。せめて鍵かけような。
以上、ご清聴ありがとうございました
先日「二度と我が家の敷居を跨ぐな」とこちらに言い放った母から葉書が届いた。
(子のないおまえにはわからないだろうが)子を思う親心はいつも変わらないもの。
いつでもつきそう。
どうしてこの人はいつも都合よく事実をねじ曲げるのだろう。サイコホラーを見ているようだ。
母の絶縁宣言は先日出張明けの寝不足で母が出した料理を残したことがきっかけだった。
「申し訳ないが寝不足と疲れで食事が入らない」と告げると不摂生を責め立てる勢いで病院へいけとくどくど言う。
母は大の病院嫌いで、昔から自分の身体の不調をしきりにこぼして周りを心配させるが治そうとしない。そして明日にも息を引き取るような話をする。
しかし元来丈夫な質なので、少なくとも我が子よりずっと活発に生きているため、こちらの不調には甚だ鈍感で堪え性がない。
よって我が子の不調は自業自得と考えており、何度言ってもまともな暮らしをせず医者へいかない不摂生者にするような、具にもつかないアドバイスをしたがる。
母が本当にいいたいことは「おまえの不調について聞きたくない」だ。
いわく「ちゃんと食べてよく寝なさい」。
それができれば苦労はない。
この日は食事がはじまるまでにも「手を洗ったのか」と3度も聞かれ、苛立ったこともあり「病院へいけというのをやめてほしい。最近胃のバリウム検査を受けたばかりだし、日頃から病院へはいっている」と強めに苦情をのべた。
すると「どうしてこの程度のことでそこまで怒りを顕にするのか」と逆ギレしはじめ、「体調を壊したら誰が困ると思っているのか。そこまで言うなら倒れてもこちらには一切頼らないでくれ」と激昂した。
そこで「これまでこちらが身体を壊したとき、一度でも病院へ連れて行ってくれたことがあったか」と返した。自分は何度か行政の支援を考えるレベルで身体を壊して働けなくなったことがあったが、母は一度たりとも手を貸してくれたことはなかった。
料理が趣味の母が我が子を気まぐれに呼びつけては食事に招き、こちらの都合を聞かず一方的に惣菜を届けにくるようになったのは、こちらが再び職に就ける程度の健康を回復してからのことだ。
こちらの義務教育期間中に離婚した母は早々に子育てからリタイアしたはずなのに、なぜかいまではこちらが成人してからもずっと子育てを続けてきたような顔をする。
母は質問に答えず、これまでどれだけのことをしてやったかとますます怒りたった。
母はこちらの届け出関連の書類に無断で手をいれて父を騙し、三桁の額を引き出したこともあった。
後年気づいて愕然としたが、今回それを初めて指摘すると後妻の仕業だと大声をあげたので心底辟易とした。
飛行機の距離にいる後妻がなんの目的で先妻の子の届け出を書き換えるのか。
これまでどれほど母はこうして都合よく過去を作り変え、話を捻じ曲げてこちらを責め立ててきただろう。
またこちらの身体が母より大きくなるまで、どれほど手をあげられてきたことか。
こうして母の家をあとにして一週間、本日届いた葉書によって、母の中では頑迷で聞く耳を持たない我が子に情けをかける健気な母親という物語が作られていることがわかった。
「病院へいけというのを止めてくれ」と言われた翌週、切手を貼ってまでそれを繰り返し、謝らない母。
指先が触れているだけでおぞましく思えて、葉書はそのまま立ち寄ったコンビニのゴミ箱に捨てた。
母が父との家庭から去った後、母のもとから何通も何通も書き送られてきた手紙に幼い自分は何度も涙したものだったが、後年読み返すとそれは第二の人生への期待と甘い悲しみに酔った中年女が体裁よく整えた都合のいい注文依頼書だった。
あれを真に受け「母に変わって家事を引き受け、父と家族の面倒を見なければ」と奮起し、挫折し、母に振るわれていた父からの暴力を一身に受けてなお「親を助ける気がない身勝手な子」として責め立てられた子供のことを思う。
来月は仕事ついでに母を旅行に連れて行くはずだった。母のための宿もチケットもすでに取ってあった。今月は母に蛍を見せにいくはずだった。
母にしてやりたいことが沢山あった。母は自分の威信か何かで子を動かしているとでも思っていたようだけれど、そこには親を思う子の気持ちしかなかった。