先日「二度と我が家の敷居を跨ぐな」とこちらに言い放った母から葉書が届いた。
(子のないおまえにはわからないだろうが)子を思う親心はいつも変わらないもの。
いつでもつきそう。
どうしてこの人はいつも都合よく事実をねじ曲げるのだろう。サイコホラーを見ているようだ。
母の絶縁宣言は先日出張明けの寝不足で母が出した料理を残したことがきっかけだった。
「申し訳ないが寝不足と疲れで食事が入らない」と告げると不摂生を責め立てる勢いで病院へいけとくどくど言う。
母は大の病院嫌いで、昔から自分の身体の不調をしきりにこぼして周りを心配させるが治そうとしない。そして明日にも息を引き取るような話をする。
しかし元来丈夫な質なので、少なくとも我が子よりずっと活発に生きているため、こちらの不調には甚だ鈍感で堪え性がない。
よって我が子の不調は自業自得と考えており、何度言ってもまともな暮らしをせず医者へいかない不摂生者にするような、具にもつかないアドバイスをしたがる。
母が本当にいいたいことは「おまえの不調について聞きたくない」だ。
いわく「ちゃんと食べてよく寝なさい」。
それができれば苦労はない。
この日は食事がはじまるまでにも「手を洗ったのか」と3度も聞かれ、苛立ったこともあり「病院へいけというのをやめてほしい。最近胃のバリウム検査を受けたばかりだし、日頃から病院へはいっている」と強めに苦情をのべた。
すると「どうしてこの程度のことでそこまで怒りを顕にするのか」と逆ギレしはじめ、「体調を壊したら誰が困ると思っているのか。そこまで言うなら倒れてもこちらには一切頼らないでくれ」と激昂した。
そこで「これまでこちらが身体を壊したとき、一度でも病院へ連れて行ってくれたことがあったか」と返した。自分は何度か行政の支援を考えるレベルで身体を壊して働けなくなったことがあったが、母は一度たりとも手を貸してくれたことはなかった。
料理が趣味の母が我が子を気まぐれに呼びつけては食事に招き、こちらの都合を聞かず一方的に惣菜を届けにくるようになったのは、こちらが再び職に就ける程度の健康を回復してからのことだ。
こちらの義務教育期間中に離婚した母は早々に子育てからリタイアしたはずなのに、なぜかいまではこちらが成人してからもずっと子育てを続けてきたような顔をする。
母は質問に答えず、これまでどれだけのことをしてやったかとますます怒りたった。
母はこちらの届け出関連の書類に無断で手をいれて父を騙し、三桁の額を引き出したこともあった。
後年気づいて愕然としたが、今回それを初めて指摘すると後妻の仕業だと大声をあげたので心底辟易とした。
飛行機の距離にいる後妻がなんの目的で先妻の子の届け出を書き換えるのか。
これまでどれほど母はこうして都合よく過去を作り変え、話を捻じ曲げてこちらを責め立ててきただろう。
またこちらの身体が母より大きくなるまで、どれほど手をあげられてきたことか。
こうして母の家をあとにして一週間、本日届いた葉書によって、母の中では頑迷で聞く耳を持たない我が子に情けをかける健気な母親という物語が作られていることがわかった。
「病院へいけというのを止めてくれ」と言われた翌週、切手を貼ってまでそれを繰り返し、謝らない母。
指先が触れているだけでおぞましく思えて、葉書はそのまま立ち寄ったコンビニのゴミ箱に捨てた。
母が父との家庭から去った後、母のもとから何通も何通も書き送られてきた手紙に幼い自分は何度も涙したものだったが、後年読み返すとそれは第二の人生への期待と甘い悲しみに酔った中年女が体裁よく整えた都合のいい注文依頼書だった。
あれを真に受け「母に変わって家事を引き受け、父と家族の面倒を見なければ」と奮起し、挫折し、母に振るわれていた父からの暴力を一身に受けてなお「親を助ける気がない身勝手な子」として責め立てられた子供のことを思う。
来月は仕事ついでに母を旅行に連れて行くはずだった。母のための宿もチケットもすでに取ってあった。今月は母に蛍を見せにいくはずだった。
母にしてやりたいことが沢山あった。母は自分の威信か何かで子を動かしているとでも思っていたようだけれど、そこには親を思う子の気持ちしかなかった。
今 日 も 女 は 毒 親 叩 き
今日も増田は女叩き
捨てないでとっとけよ そのうちなんかの証拠に必要になるかもしれんし よーし娘ちゃん相続放棄しちゃうぞーとか ああはならないぞ~っていい使いみちいっぱいありそうじゃん