はてなキーワード: 良心とは
気がする。
http://anond.hatelabo.jp/20161015123802
中には「広告が終わる時間を明記すべき」って無知の意見にもスターがたくさん。馬鹿か。
そもそも広告てのは見てもらってなんぼ。
無理矢理にでも挿入して観客の目に留まるという保証を担保に、企業が高額の予算で製作したコンテンツを、シネコンに高額な金を払って上映してもらっている。映画の途中で挿入されないだけ相当良心的だ。
「あの映画は見る価値なし」「オワコン」といった個人の主観レビューがマスコミと同じ波及率でネットに陳列される昨今、全国の、特に地方の映画館は興行以外の収入を欲している。
今年は「シン・ゴジラ」「君の名は」などの特大のヒットこそあれど、基本的に映画館はキャパに比べて集客が少ない。
個人の感想では、自分の近所のシネコンが過去3年で2件潰れた。地方の意見で申し訳ないけど。
そのうち一つは俺の住まいの最寄りだった。そこそこ市街地で、そこそこ人気だと思ってた。
潰れた時は正直「経営何やってたんだ」と憤慨してたが、しばらくしてから「ちょっと危なくなったらすぐ潰すとしても、きっと頻繁に危なくなってるんだな」と思った。
「高い金払ってわざわざ外出して、分かりにくい映画を観るはめになるのは避けたい」と思う馬鹿が増えるのは仕方ない。みんな忙しいし分かり易いのが好きだ。
偏屈特撮趣味を美しき結晶として昇華した「シン・ゴジラ」も、薄っぺらい恋愛SFを最高の美術でアニメ新境地に押し上げた「君の名は。」も、そんな馬鹿たちの心を潤し、「映画」の可能性をわずかでも感じさせたのではないか。
一応書いとくが、俺もそんなクソ馬鹿のひとりだ。まあ「分かり易かった」のは否定しない。あと「怒り」も良かった。
ゴジラも新海も、広告収入が無ければ多くの目に止まらなかった。と思う。
そんな当たり前なことを前提に、「広告が不要」とかいうのって、何なの?
脳味噌が腐っているとしか思えない。もしくは親の教育が相当糞だったんだろうな。
あらゆるものには金がかかっている。金をかけて、金を得て、サービスが提供されている。
企業が大きければ大きいほど、自分が払ってる分で得られる全てが賄われていることなんて、まずありえない。
成人なら誰でも知ってることを改めて書くのは恥ずかしいけど。ちょっとは察する脳味噌を持ってくれ。
広告出てきたら「頑張ってるな、見てあげてるぞ」くらい思ってやれよ猿。
もう辞めてからだいぶ経って身バレする可能性が低くなったので昔勤めていた会社のことを書いてみようと思う。
以前勤めていた会社は約50人規模の地方中核都市の中小企業だった。
社長はバブル期の後半に30歳そこそこで起業をした人間で、色々途中ありつつ約20年でかなりの売上の会社にしたやり手だ。
時代もあったしたまたま始めた事業がその後世間的なニーズの波に乗れたという運もあったが、認めたくないものの仕事はできる起業家だったと思う。
私は比較的社長に近い位置に採用されており、その社長が他の社員や取引先と会合をしている様子を見てきた。
サイコパス的性格というのは他者への共感性が薄く、モラルが低く、自尊心が高く、また口が達者で一見魅力的という特徴があると言われるがこれが完全に当てはまる。
本人を目の前にしているときにはさんざん相手からの信頼を得るための美辞麗句を並べ立てておいて、相手から受けられる利益の当てがなくなるとあっさりと切る。
切って周囲から何か悪評が立ちそうになると「断腸の思いで切った」「時には経営者は嫌われ者になる覚悟が必要」とこれまた周囲をうまい具合に丸め込む。
あまりのすさまじい二枚舌に精神のバランスは大丈夫なんだろうかと最初は思ったが、何年も一緒に仕事をしているうち、二枚舌で相手を騙したり陥れたりすることにむしろ快感を覚えるタイプなんだということがわかった。
良心の呵責なんて全くなく、「バレなきゃ違法じゃない」を地で行くタイプだった。
先に精神が参ってしまったのはそんな様子を間近で見続けてきた私の方で、こればかりは匿名とはいえここに書くことはできないような事件があり「これ以上ここにいたら自分の良心も麻痺してしまう」と思い離職を決意した。
私は勤務をしていたときには社長に極力逆らわず、言われたことは言われたとおりに遂行し、従順すぎるくらいに従順だったのでかなり気に入られていたようだ。
なので私が辞めると告げた時にはもしかしたらひどい罵詈雑言を浴びせられたり離職の日まで嫌がらせを受けるようなことがあるのではないかと心配していた。
しかし予想に反してサイコパス社長は何年も勤めてきた自分に初めて涙を見せた。
いわく「お前がいたから俺はここまで会社を大きくできた」ということで、行かないでくれとまるで恋人にすがるかのような態度をとってきた。
ちなみに長年仕事をしてきたが私は社長のことが信用できなかったのでプライベートなことは出来る限り口にしてこなかったし、架空の恋人を作ったり別れたりしてきた。
私が絶対に辞める意志は覆さないと言ったところ、「せめて次の仕事を世話させてくれ」や「辞めている間何か助けをさせてくれ」とこちらが不気味に思うほどのことを提案してきた。
もうこれ以上この人とかかわり合いを持ちたくないと思っていたのでそうした提案も全部退け、逃げるようにして退職した。
退職したあと夜道を誰かにつけられているような気配がしたり、家の玄関先に社長が吸っていた銘柄のタバコの空き箱が置いてあったりということがあったが多分気にしすぎだと思う。
それも数ヶ月したらなくなった。
今考えるとサイコパスというのは悪気がないからサイコパスなのであって、良心の呵責なくバッサリ長年勤務してきた従業員を切ったり、取引先との契約を反故にしたりするのは本人の価値観からすれば全く問題ない素直なことなんだろう。
周囲から嫌われそうになったら全力で好かれようとするし、裏切られそうになったら何をしてでも関係を取り戻そうとする。
実に素直な性格だ。
直情的で自分に正直だ。
だから私を引き留めようとした涙も芝居ではなく、その瞬間は本気でそう思っていたんだろうなと思う。
あの人は会社を起こしてそれがたまたま成功したから良かったけど、人生における興味がもし殺傷とかに向かったら歴史に残る犯罪者になっていたかもしれない。
江川達也氏、爆発的ヒット「君の名は。」に「プロから見ると全然面白くない」 - SANSPO.COM http://www.sanspo.com/geino/news/20161006/geo16100616140026-n1.html
〉同作が興業プロから見ると全然面白くないんですよ。作家性が薄くて、売れる要素ばっかりぶちこんでるちょっと軽い作品」と“作り手”の立場から意見を述べた。
まずタルるートくんの第1話(読み切り版)についてお話をしたいと思うんですけど、本当に面白いんですよ。タルるートくんの心がとてもブラックで、女の子が攫われても主人公が悪い奴に殴られてても「いいぞ、もっとやれ!」としか言わず、良心というものを1ミリも持ち合わせていないんですね。最後悪い奴にやられている主人公に加勢してくれる理由は、主人公が殴られても殴られても立ち上がる立派な「戦士」だから。「戦士(ジャンディ)!」とか叫んで手助けしてくれるのが最高にクールなんです。
ところが第2話以降(ここから先は連載版になる)。突然タルるートくんは丸くなり、良心に従って行動するようになり、可愛いだけの人畜無害なキャラクターに成り果てます。主人公に加勢してくれる理由も「友達だから」。あのブラックなタルるートくんは消えてしまいました。
いや、良いんですけどね。後者の方が好きな人も多いでしょう。アニメ化しやすいし、売れるだろうし、商売としては完璧。これはこれでいい。でも、僕がその2話以降のタルるートくんに感じたことって、上記の江川達也先生の「君の名は。」評と全く同じなんですよね。よー棚上げしましたね、という感じ。
〉また「(作品を)絶賛している人が、面白くなかったと言う人を凄くディスるんですよ。『見なきゃダメだよ』とか言って」と指摘。「ある種、『君の名は。』はファシズム映画なんですよね」と語った。
これに関してはまあまったく同意ですね。「否定するのやめようよ! 平和に行こうよ!」と言っている人たちほど攻撃的ですよね。
「他人の自意識をからかうような意地悪はやめようよ!」などと言っておきながら「物事を否定する連中は他人より優位に立ちたいだけなんだろ!」と他人の自意識をからかっているような人も見たことがあります。
否定が無けりゃろくなもんは生まれんですよ。否定せずにやっていこうなんてのは近代以前の考え方です。
別に攻撃的なのはそこまで悪いことだとは思わないんですけどね、「平和に行こうよ!」などとのたまっておきながら他人を殴るの、最悪じゃないですか? もっと自分に正直に生きた方がいいですよ。綺麗事を吐きながら他人を殴るのをやめろ。以上です。
見知らぬ者同士の親切のやり取りが好きだ。
例えば、電車の中で席を譲るとか。すれ違った瞬間落としたものを声をかけて渡すとか。道を聞かれて教えるとか。
その関係、お互いに面識はない。その分、そこで行われる親切はシンプルな良心から生まれた純粋な優しさが詰まっている。ように思う。
そのようなやり取りをする人を見るのもいい。自分がどちらかの役割をするのもいい。
それらは刹那的なやり取りで、お互いに分かれた瞬間には忘れて、自分がかかわる世界に意識が戻っていく。
泡のように消える日常の1ページにすぎずとも、そこで優しさに触れて一瞬でも心洗われることで、
その日がとても満たされたように感じられる。
しかもこういう情報って、知り合いがつながってるとかで、ブログに書きづらいんだよ!
クソだな結婚式ってのは!
てことで、もらって嫌な引出物を4つチョイスしたぞ!
だいたい3,000~4,000円くらいのカタログにろくな商品が載っていない。しかも普通に買えば絶対に3,000円しないからな!
いや、普通に買った方が安いなんて分かるよ?カタログ会社の手数料とか色々乗っかるからな!そんなんは理解してるんだよ!
だけどな、クソみたいな商品しか載ってないカタログをもらったところで、嬉しくないんだよ!
商品選んで応募するのもめんどくせーしな!
だから俺は結婚式でカタログをもらって一度も商品を頼んだことがないんだぞ!
もっと引出物に頭使え!結婚式に参加してくれる人は、決して安くないお金を支払っているし、時間を割いてくれているって分かってんのか?
何も考えずにカタログで済まそうってのは、参加者を舐めてるとしか思えないんだよ!ハゲが!
どいつもこいつも微妙な皿を入れるんじゃねぇ!置き場がないんだよ置き場が。
しかもたまにハートの形をした皿とか、微妙なデザインをした皿とかなんなんだよ。ゴミを増やすな!
だいたい家に帰ったら速攻で捨てるが、少し良心が傷むんだよ!
出席者に余計な気を使わせるな!ハゲ!
あ、でも唯一ボダムのグラスは良かったぞ!
氷をグラスに入れてもしばらく溶けないんだよボダムのグラスは。持ってなかったから嬉しかったぞ。
何に使えばいいんだよ!見た目のかわいらしさで適当なもん選んでんじゃねぇ!
美味しいパスタをつくったお前に一目ぼれしねぇよ!つくるの俺じゃねーか!
パスタだったら、スーパーで普通に売ってる「バリラ」のパスタの方が何万倍も嬉しいんだよ!
だいたい台所の奥で眠ってるんだよ!いつか使うかもしれねいとか考えてな!
でも大掃除のタイミングとかで見つけて、やっぱ使わねーわ。捨てよ。ってなるんだよ!
しね!
、
◇消費の2極化が進んでいることは確かで、日常消費に関しては特徴がない、良心的でもわかりにくい店は淘汰されていく傾向にある。
通好みの「あそこは材料もよくて腕も確かなんだけど、わかる人だけわかる」店はつぶれていってる。
一方SNSに対応してて情報発信リーダーみたいな人が「あたしここのカレーパン好きなんだよねー」「あたしもあたしも!今日売り切れだった涙」
みたいなことになっているところは残ってる。
◇外食なんかは流通の進歩なんかで昔より良くなっていると感じることもある。
たぶん大阪市内だと世界中でも類をみないくらいの和食・中華・フレンチ・スイーツなど美食めぐりがまあまあお手頃な価格でできる。
靱公園の周辺とか中津界隈とか空堀界隈とか天満とか裏なんばとか泉佐野とか箕面とかそこそこの値段で楽しいとこ沢山ある。
これは女子がグルメ業界に一定のお金を落としているから維持されているのだと思う。
◇紳士服に関していえば困り感が少なくなった。つまり、ワイシャツ・ネクタイに関してはいまでも定期的にそれなりにお金を使う人がいて中級市場が維持されてる。最近ベトナム縫製なんかの品質も上がったし、阪急のヒトヨシとか価格縫製生地デザインがまあまあなのも出てきたし。
ただ、ネクタイに関しては最近買いやすくなったのが危険な香りがする。定価で売れ残るからセール時期でも簡単に買えてしまうのだ。
◇いま困ってるのが靴。ABCマートとジョンロブとかエドワードグリーンとかの間がリーガルとスコッチグレインくらいしかない。
リーガルは名前が通っているが値段の割に品質感がない。コールハーンなんかも最近価格対品質感で釣り合わないなと思うことが増えた。
○朝食:なし
○夕食:月見バーガー
○調子
はややー。
○お便り返信
そこのお店のワンタンラーメンは、ワンタンよりチャーシューが多くて微妙でした。
「出なければ出ないほど儲かるソシャゲ」(可能なら永遠に遊んで欲しい)と「出ようが出まいが儲けは変わらない買い切りゲーム」(それなりにプレイしたら終わって、次のゲームを買って欲しい)では、確率の考え方が違うのは当然かもしれませんね。
むしろ買い切りゲームでは、それなりのパーセントでそのキャラクタを使ってもらう事で、キャラクタを知ってもらい、ファンになってもらい、
ゆくゆくは続編やグッズを買ってもらってこそなので「それなりに誰でもクリアできるハードル」じゃないと、意味がないのかも知れませんね。
もちろん、本当に誰でもだと、自分なりの思い入れなどが生まれないので、「それなり」の考え方は難しいんだろうなあ。
○ReCore
楽しみにしていた新作ゲームを早速発売日に購入してきた。
が、最近のゲームは、初日にウンGBのバッチと、ディスクのインストールが必要なので、今日はインストールを眺めていただけ。
明日が終われば、土日月と三連休の予定なので、じっくり楽しもうと思う。
ただ、念のため起動確認だけしたんだけど、起動だけでメチャクチャ時間がかかって、早くもロードが長いという噂を体感して、少しだけうんざりしてる。
ノー課金。
○ポケとる
ログボのみ。
五章。
合成のチュートリアルが終わって、街を探索してたら
これもう絶対合成させたら強い妖怪になるだろ、と思い友達になるため試行を繰り返した。
繰り返したんだけど、これしっんどいわ……
実は、昨日の日記を書いてから、少しプレイして気付いて、熱中して深夜の二時ぐらいまでプレイして、
さらに、今日の通勤時間と、フリーな時間をほぼほぼ全てつぎ込んで、
ようやく二匹の妖怪と友達になれた。(その間に、コマじろうが二匹も友達になった……)
まあ、苦労した分、きっと強い妖怪だろう、きっと、多分、おそらく。
アイドリッシュセブン、アイナナというコンテンツを知ったのは、好きなキャラにとてもよく似ている子がいる、という周りの声からでした。
それは決して「パクリ」と断罪するものではなく、むしろ好意的な喜びの声だったんです。好きなキャラに似ている他の作品のキャラに惹かれる、これは最近あまり珍しいことではないように思います。自分の好みを「性癖」「属性」などの言葉で括り、そこに当てはまるキャラクターに出会ったら「好きになれるかも!」と新しい作品に飛び込んでいく。好きになった歴代のキャラクターを並べて自分の好みって分かりやすいな〜と思ってみたりする。私も覚えがあるし、オタクならほとんどの人がそうだと思います。
どこかなにかがいつかのあの子に似ている。それがきっかけで、キャラや作品を好きになること自体はとてもありふれている。今。
アイドリッシュセブンは、それを肯定していた。
今糾弾されている(もう一応の区切りは見えつつあるのか?)アイナナに対する疑惑は複合的です。
2.カードの構図が他作品のそれと酷似している(関連してトレス疑惑も浮上した)
この二つを、コンテンツ全体のオリジナリティへの疑問に集約してしまうのは少し雑じゃないかって思っています。
つまり、男性アイドルものという飽和しかかった市場で、アイドリッシュセブンはそもそもオリジナリティで勝負しようとしてなんかいなかった。それぞれの好みや性癖に沿って流動するオタクの甘えを当たり前のものとして受け入れた結果、出来たものが今私たちの目の前にある「なんか見たことある誰か」なんだと思います。
アイドリッシュセブンの目指すものがどのレベルなのか。世に出た瞬間からそれはあまりにも分かりやすかった。はっきり言うとオリジナリティを捨てている時点で、最近流行りの音ゲーアプリで一山当てよう!程度のコンテンツに見えました。誰かに似ていることをむしろ興味を持つきっかけにしてくれるような、ハッピーな消費者を対象にしたお気楽なコンテンツ、それで良かったんです。
シナリオがいい、プレイしてみるとオリジナリティを感じるようになる、そんな声は実際周りから聞こえます。…いや分かる。アイドルっていいよね。キラキラして一生懸命でドラマがあって、見ていると本当に生きる活力が湧いてくる。アイナナのキャラクターにもそれぞれのドラマがあって、尊さを感じずにはいられないのでしょう。分かる。やってないけど。分かる。だってそれがアイドルだもん。分かる。ほんとそれ。
ただどうして私がプレイしてもいないくせにこんなダラダラと面白くもない文章を書き綴っているのかというと、先に書いた疑惑2を、疑惑1を論ずる材料にされることに怒っているからです。そうなんですもうめちゃくちゃ怒ってる。アイナナが大なり小なり先人のコンセプトを模倣して作られた作品であることを熟考せずアイナナに飛び込んでおきながら、疑惑が出た途端に手のひらを返してナイフと火炎瓶を持ち出した「元」アイナナファン、お前だよお前、そこのお前ら。アイナナが誰にでも分かるくらい他作品切貼りのその場しのぎB級コンテンツだということに気づかずプレイしていたことをまず恥じろそして黙れお前のセンスが悪かったんだ御愁傷様誰にでも失敗はあるんだから好きでいたいとかほざいてないでさっさとお前を甘やかしてくれるコンテンツに流れればいい。
だから、お願いだから、うちのアイドルをこれ以上切り刻まないでください。
765プロの、315プロの、シンデレラガールズの、私の大切なアイドルたちを、被害者扱いするのをやめてください。
アイドルマスターのアイドルたちを、ユーザー以上に愛し、作ってくれている運営に「お問い合わせ」するのをやめてください。彼らクリエイターの愛をアイナナへの糾弾に利用するのをやめてください。
アイマスPの課金はアイナナファンのお問い合わせ対応に割く人件費ではありません。
アイドルが好きです。
アイドルマスターが好きです。
どこかの誰かが同じポーズを取っていたってアイドルマスターのアイドルたちの輝きは彼女ら彼らのものでしかなかった。
だからこそ、元アイナナファンが運営を責め立てる材料に「ラレ元」や「ラレ元のファン」を使うときに一番怒りが湧きます。
他人を気遣うふりをして、自分は良識のある人間だと言い張るために他人を被害者呼ばわりしないでほしい。私と、私の事務所にいるあの子達は何も失ってなんかいない。
「ラレ元」?そんな言葉でオリジナリティを尊重してる気になっているなら、オタクなんかやめてしまえ。
この件で実際に悲しんでいるPがいるのは分かります。それは否定しません。
でもその悲しみをこれ見よがしに火炎瓶に投入するやつがいるなら、その悲しみに意味はないと私は思います。
自業自得でありながらアイナナに失望したと嘆くチンピラは、同情するふりをしてアイドルマスターを素材扱いし、切り刻み、他人の良心でナイフを研ぐんです。
「ナマモノ」とは、実在の人物(3次元)を題材にした二次創作物の総称です。
簡単に言うと、タレントや俳優、アイドル、お笑い芸人などを登場人物として使ったフィクション(虚偽)です。
そして、この「ナマモノ」の取扱は慎重に行わなければならない、とされています。
①題材とされている本人、及び関係者の目に触れられるような環境に置かない
②そういった嗜好を持たないファン、また一般の方の交流とは区別する
などがあります。
それは、題材とされた本人やそれを取り巻く環境にいる人の感情を尊重し、また、肖像権を守るためです。著名人と言えどもひとりの人間です。自分の人格や行動に脚色やフィクションが加えられたものを見て、どういう感情を抱くかは人それぞれです。もちろん「何とも思わない」方もいるかもしれませんが、不快に思う方もいるかもしれません。いわばこれは、グレーゾーンです。そんなグレーゾーンなことなら、わざわざ公にしてやる必要は全くないのです。
さて、本題に入らせていただきますが、先日このようなナマモノ界隈のルールに対し、真っ向から異論を唱える性差別反対派、表現規制反対派の方々を幾度かお見かけしました。
その方々の主張することには、
「本人から嫌悪感を持たれるかもしれないという危惧自体が性差別で不快、よってナマモノルールなど不要」
「表現の自由が保障されている日本で、ナマモノルールを遵守することは表現の自由の侵害にあたり、出版妨害と同等」
だそうです。
日本では表現と言論の自由が保障されているので、今から私が伝える主張も保障されます。もちろん表現規制反対派の方はこの但し書きをすんなり受け入れられますよね?
論 点 が お か し い 。
じゃあ表現の自由掲げてあんたらのフィクション妄想小説書かれても文句言わないのか。あんたらの子供や親や親戚や恋人や配偶者や親友や上司や部下も題材にされて、他人の公衆オナニーのオカズにされてるの見かけてもなんとも思わないのか。例えそれがあんたらの性的嗜好とは著しくかけ離れていても?これは感情論じゃない、人権問題の提起だ。
それとも著名人には有名税があるから、その対象にされることは当たり前でしょうがないって言うのか?それこそ今度は職業差別じゃないのか?
そんなの強姦致傷で逮捕された某俳優が好意持ってたセクシー女優に関して「あの女が一発やらしときゃ」って言い放った某女形コメンテーターと同じだろ。
表現する場所を区別することが表現規制?渋谷のスクランブル交差点のド真ん中で「性差別反対!」ってセックスしてるカップルを見かけてもそれが言えるのか。
島が違う。論点が違う。こっちにはこっちの意義を持ったルールがあるんだ。自分たちの信念と主張を通すために、よく内情を知りもしない界隈にズケズケと入り込んでくるな。
ナマモノ界隈では常に「最悪の事態」を想定してルールが定められています。こっちにはこっちの複雑な事情があってそういうルールがあるんです。明文化されたものだけがルールじゃないことは、もう皆さん大人ですからわかりますよね。
アニメの二次創作や、表現規制反対派の方々が守ろうとしている表現の対象と違い、こちらの表現の対象は、いち個人として生きています。感情を持っています。だからこそ、表現の自由や性差別問題以前に、「人権」と「公序良俗を守ろうとする人としての良心」が最優先になってくるのです。本人が気分を害する、あるいは法に基づき対処するという「最悪の事態」を未然に防ぐためにある程度の規制線を張っているのです。
しかしそれは「公共の福祉に害を及ぼさない限り」です。自由だからといって、公共の場で何を表現してもいいとは限らないのです。レストランで「うんち」と発言した小学生が叱られるのと同じ道理です。
ナマモノ界隈において、「このジャンルも規制されて閉鎖的になってしまってる!新しい表現者がかわいそうだ!私たちが開拓させてあげなければ!」という正義心は本当にいらないです。ましてやそこに差別問題や違憲問題を絡ませるなどもってのほかです。お門違いも甚だしいです。
表現規制反対派の皆さん、性差別反対派の皆さん。お願いですからナマモノ同人界隈に関しては放っておいてください。何事にも例外はあるものです。私たちは私たちで意義があり独自のルールを守っています。今の状態で安定しつつある田畑に、勝手に肥やしを与えないでください。お願いします。
普通、人は何かを批判するときに、それが単なる中傷とか視野狭窄な偏見でないというエクスキューズをつけたがるものだ。
例えば「人」について批判する場合は、普通それが「人格攻撃」や「属性への差別」でないという念を押すものだ。
必然、その説得力を持たせるために、際立って被差別的立場になりがちな属性を持つ対象への批判はそれ自体敬遠される。
もちろんそれが良い事だと言ってるわけじゃあない。それはそれで公正な批評とは言えない。
翻ってこんにちの本邦はどうであろうか。
この国では、韓国についての「批判」となると、それがどんなに度を超した中傷でもまるでアンタッチャブルになる。
逆なのだ。
韓国に差別的な意識を持って「いない」というエクスキューズをする必要が全くないどころか、逆に韓国に対する差別意識を「批判しない」という立場表明すら必要になる有様である。
「自分も韓国が嫌いだが」と前置きをしないと差別発言ぐらいを叱責することすら許されない。
日本のアニメスタッフの仕事には全肯定で「アンチは出て行けよ」などと紛糾するアニメコミュニティが、韓国スタッフへの中傷には「実際に出来が悪いから仕方ない」と何故か逆に批判への批判がゆるくなる始末。
正常な人間の心理が差別と「とられかねない」発言を忌避するのと対照的に、現代日本人の心理は「正当な韓国への批判(これを差別と見なす事はそもそもNG)」に対する反論と「とられかねない」発言を忌避しなければならない強迫観念に取り憑かれているのである。
こんなに狂った状況があるだろうか。
ある時期、やましい下心や悪感情を抑えられないことを「健全」ではないが「健康」な精神状態だと呼ぶような論調が流行った事がある。
このような緩い人間観から見てもなお、現代日本人の精神状態は「健全」でないのはもとより「健康」とすらまったく呼びがたい。
まったく善良でひとかけらの悪心もない精神が不健康であるのと同様、まったくひとかけらの良心も抱かずにこのような悪感情を滾らせ続けられる精神もまた不健康であることは言うまでもない。
私は悩んだことはありませんが。
小さな差異を言えば私はあんまり痛みや苦しみには興味ないです。実際の事件よりイラストや小説のような創作の方が詳細な妄想を反映するので好みです。
例えば性的に誇張された体型の魅力的な女性が体のラインがわかる服や下着や全裸で淡々と絞首刑にされていくイラストとかで自慰をするのが好みです。痛みや苦しみより、女性の人格も命も含めて物のように扱かったり辱めたりするのが自分の性的に興奮するポイントなのだと思います。
私があなたと違いこのことについて悩まないのは、変態性指向の根源や責任を自分と言う一個の人格に帰するつもりが全然なく、動物の機能の一つとして説明されるべきに違いないと確信しているからです。
なので私は悩むかわりに、これがなんなのかは考えます。
私は普通の女性の写真(死んでたり吊られてたり苦しんでたりしない)のポルノで自慰をすることも有ります。
けれども前述のような、人格を無視されモノのように扱われる女性の身体や死が描かれたポルノでする時のほうがずっと強い快感があります。
出すものもより腰の深いところから出てくる感じがして、液の質の違いがわかるほどべったりと粘度の濃いものが出ます。色も濃く真っ白になります。
私はあなたと同じで良心や他者への共感能力がありますし、犯罪も殺人もただただ恐ろしいとしか感じませんし、リスクを冒すほどこの欲望に執着は無いですが、もし法も善悪も神もなんにもない荒れ果てた中世みたいな現実に放り込まれて「欲望を実現してみろ」と言われたら、なんかの理由で処刑された直後の女性の死体を盗んできて性交するキモい村人になると思います。それが現実と理想の折衷のイメージです(全く現実離れしてますが)。
それでいつものべったりとした精液を女性の死体の中に注ぐと思うのですが、そのべったりして真っ白な、含有生殖細胞の多い液体は何の為に出てくるのでしょうか。生殖可能性ゼロの活動の時だけ出る生殖能力がすごく高くなっていそうな体液。全然悩んでないですが究明はしたいと思っています。
ところでネット見た印象ですが、我々のような趣味は白人に多いです。
絞首刑イラストも白人が、決して上手くない画力でパッションはじけさせながら大量に描いてアップしていました。(そんなサイトでプロフィールと顔写真載せる感覚はさっぱり分かりませんが。)
この趣味が連続殺人や破滅にいたるのも犯罪記録嬢は圧倒的に白人が多いですね。
人種がそうなのか、社会や宗教のプレッシャーなのか、そこもわかりません。
追記
ほら、こんな風に書かれるとなんか人格の問題みたいじゃないですか。
私オレTUEEEEE創作とか嫌いですよ。幼稚だし、やられる側が気の毒になるし。
私はそういうなんか人間関係や内面に不満や葛藤を抱えてる人ではなく、
NEW GAME! という、美少女しかいないゲーム会社を描く作品がある。
放映開始当初から「働くおっさんたちが過労のあまり幻視している理想の会社」という言説がありまして。
この仮説を裏打ちする根拠は作品全体を通して随所に見られるが、ここでは第七話を例に論証してみるぞい。
何かが待っているのかな?(納期)
強くなれる(圧倒的成長環境)
そう君は1人じゃないよ(失踪するなよ)
Stand up★(朝礼)
何気ないような朝がきた(絶望)
おふとんが いとしいな(出社拒否)
走りだそう(通勤ダッシュ)
……すべて。
楽になりたい。
夢。
おっさんが現実を思い出さないように、肝臓や胃腸検査の話が全く出てこない。
元気が出るお薬。
沖縄出身者の性『阿波根(あはごん)』を笑いのネタにするのはどうかと。
オッサン、ならびにアニメーター(やはりおっさん)はPCを気にする余裕さえなかったのか。
入社して間もないと言っても、いきなり3Dキャラが作れて初任給ももらってる青葉(主人公)が、エラー警告の存在すら知らないというのは考えられない。
おっさんたちは疲れているのだ。
こういう娘をリクルートしてくれ人事。頼むぞい。
女の子と漫画やアニメの話をして楽しいと思った記憶があまりない。
まず好きな作品が違う。自分が好きな作品というとエヴァ、ゴジラ、ガンダム。この辺でやっぱりズレてくる。
辛うじて観たことがある作品(最近だったら進撃、東京グール、ヤングブラックジャックとか)がかぶったとする。けれどその中でも関心の在り処が違う。俺の場合作品のテーマに興味があるわけだが、周囲の女性はキャラクターの魅力や関係に関心を持つことが多い。話が合わない。
そうなると、女の子と漫画やアニメの話をすると自然と聞き役に徹することになる。相手は楽しいだろうが自分は疲れる。良心的な女の子になると、自分の関心の在り処(つまり俺にとって関心のない点)についてべらべら喋ったりしないので、結局漫画やアニメの話はすぐ終わる。