普通、人は何かを批判するときに、それが単なる中傷とか視野狭窄な偏見でないというエクスキューズをつけたがるものだ。
例えば「人」について批判する場合は、普通それが「人格攻撃」や「属性への差別」でないという念を押すものだ。
必然、その説得力を持たせるために、際立って被差別的立場になりがちな属性を持つ対象への批判はそれ自体敬遠される。
もちろんそれが良い事だと言ってるわけじゃあない。それはそれで公正な批評とは言えない。
翻ってこんにちの本邦はどうであろうか。
この国では、韓国についての「批判」となると、それがどんなに度を超した中傷でもまるでアンタッチャブルになる。
逆なのだ。
韓国に差別的な意識を持って「いない」というエクスキューズをする必要が全くないどころか、逆に韓国に対する差別意識を「批判しない」という立場表明すら必要になる有様である。
「自分も韓国が嫌いだが」と前置きをしないと差別発言ぐらいを叱責することすら許されない。
日本のアニメスタッフの仕事には全肯定で「アンチは出て行けよ」などと紛糾するアニメコミュニティが、韓国スタッフへの中傷には「実際に出来が悪いから仕方ない」と何故か逆に批判への批判がゆるくなる始末。
正常な人間の心理が差別と「とられかねない」発言を忌避するのと対照的に、現代日本人の心理は「正当な韓国への批判(これを差別と見なす事はそもそもNG)」に対する反論と「とられかねない」発言を忌避しなければならない強迫観念に取り憑かれているのである。
こんなに狂った状況があるだろうか。
ある時期、やましい下心や悪感情を抑えられないことを「健全」ではないが「健康」な精神状態だと呼ぶような論調が流行った事がある。
このような緩い人間観から見てもなお、現代日本人の精神状態は「健全」でないのはもとより「健康」とすらまったく呼びがたい。
まったく善良でひとかけらの悪心もない精神が不健康であるのと同様、まったくひとかけらの良心も抱かずにこのような悪感情を滾らせ続けられる精神もまた不健康であることは言うまでもない。
ホント日本人って馬鹿ばっかり よくのうのうと生きてられるな