はてなキーワード: 自由主義とは
ポリコレを宗教にたとえてるのに乗っかるなら、それに代わる心の支え・正しさの後ろ盾になる新教が必要なわけで、それがないのに棄教しろって言われても無理だよ。
別に棄教する必要はなくて、趣味を捨てれば信仰の一貫性が取れるよね。
趣味も捨てられないし棄教もできない? はあ、どうぞ、異端審問所があなたを待ってますよ。
腐女子がBL趣味を謳歌したままポリコレ聖戦士になれる道なんてどこにもないんですよ。信仰に殉じて趣味を捨てるか、棄教して反ポリコレ軍に加わるか、不信心者として異端審問にかけられるか、そのどれかしかないんです。
どうぞ、好きなのを選びなよ。
あなたの責任で、あなたの趣味と信仰のどっちを取るか選びましょうよ。
ネットの愚痴は単なる愚痴で済まずに、そう受け取らなかった同意見の人々により迫害世論を形成する(=自由を脅かす)一端となりえるので個人的には「その愚痴(?)、ネットで言う必要ある?」と思うね。まあ増田は他のSNSと比べたらバズ力が弱いとはいえだよ。デマを流す自由の是非と本質的は同じよ。悪意をもって大衆を扇動する発言の自由を認めるなら、大衆が十分に賢い高リテラシー社会でないと、自由は自滅する。だから自由主義国家といえども、本当にヤバい扇動の類は犯罪として規定されるし、ネットの他愛ないように見える書き込みも、グラデーションであるだけで十分危険な域に達する場合もあるだろう。個々人の節度に委ねられているわけよ。慎みをもたないと。
増田のテーマが深く、ブコメ100文字では返答しきれないと思ったのでこちらに書く
基本的に自分の意見を垂れ流すのだが、増田の苦悩を解消する一助になれば幸いだ。
まず一見して気になった部分がここ
「人をカテゴリで捉えるな」というコメントも多かった。それから、「リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ」という文章を書いてくれた増田もあった。
正しいとは思う。ただ、実際に遣るとなると、難しい、というか、無理な気がしている。
社会問題を考える上でよく知らない人間について考える必要があるのはわかる。
ただ、それは情報の質と量にどうしても限界があるからそうなってるんであって、
人をカテゴリで捉えることは偏見・差別に繋がるためあるべき姿ではない
例えば入れ墨入れてる人間を銭湯に入れないのは入れ墨がヤクザのマークなので安心して入浴できないからだがこれは差別だ
しかし普段の生活でそこまで吟味する時間もないので、あるべき姿ではないものの一律風呂出入り禁止にしてる
これが「入れ墨の人」ではなく「俺の良く知ってる山田」が「俺と山田以外いない野湯」に入るなら問題ないはずだ
こういう高い解像度の情報が手に入る状況で人をカテゴリで捉えるのはよくない
そういう前提の中で増田は社会問題を前に自分を内省しているわけだが、増田自身については増田が一番解像度が高いのに
なぜか増田は「男」「リベラル」「ミソジニー」など見知らぬ他人を探るための仮面を被って喋るのだ。そこが一番の違和感だ
ゾーニング、しかし「公」とはどこまで?ネットも?民間の組織である赤十字も?コンビニも?どこまでがアウトなのか基準は?私刑では?BLは免罪されるのか、男性を消費する場合は、3次元は?ジャニーズは?objectificationをモノ化と訳すのは誤解を生まないか?元の論文ではobjectificationが全て悪いという話では無かったはずだが、では悪さの基準は?本当に巨乳の女性を叩いていないのか、実際に居ると本人がスクショを上げていたが、ルッキズムはアニメだけじゃなくジャニーズやBLやドラマや俳優やほぼ全てのテレビ番組や女性の好きなかなり色んなモノが該当するのでは?
こうした論点が思いつくにもかかわらずそこから考えないのは増田が「男」というカテゴリに入ってしまっているからだろうか
もし増田が女であればこれらの問題の議論に参加できるというのなら、内省の間だけでもそのカテゴリは外した方がいい。そこは誰もいない野湯なんだし
「もし増田が女であれば」の仮定を考える上で補助線となる別の増田が、最近ホッテントリに上ってきた
https://anond.hatelabo.jp/20151204005556
こっちの増田(以降女増田)ははてブに出会うまでなぜか女叩きのまとめサイトを自傷行為のように読みあさっていた
自分からするとなぜわざわざ自ら選んでそんなところを見に行く?と疑問に思うだろうけど、俺から見ると増田も同じに見える
理屈としてわかるのは内面を吐露して反省するといいフィードバックを得るなどの経験を積んだのだろうと思う。
増田のブコメにも増田の苦悩した状態を好意的に見る者も散見された
ところでこれを女増田に置きかえて見てほしいのだが、
女叩きに苦しみ、自分は叩かれるような対象なのだろうかと苦悩する姿を誠実な態度だと賞賛する人間をどう思うか
人だから悩む時期もあるだろうが、それが正しい状態だと言う意見は残酷だと俺は思う
脱するヒントも女増田の方に書いてある。はてブでバランスを取ったそうだ。
はてブもいい加減治安の悪い場所だが、マサカリが飛び交う分偏った意見に固まらないっていういい特性は持ってると思う。
ネトウヨやミソジニーに偏らず、増田が言うところのリベラルやフェミニズムの間違った部分に異を唱えるようなアカウントもいっぱいある
俺は知らないけど他のサービスにもそういうクラスタはあるんだろう。探してみてくれ
「リベラルならラディカルフェミニズムじゃなくリベラルフェミニズムの方に向くべきでは?」というコメントに対する返答も先程とほぼ同様、
このコメントを書いたのは俺だからこのブコメで言いたかったことを補足させてほしい
増田は「現実」というキーワードを用いて「表現の自由 vs 弱者の保護」のような対立構造を肯定してるけど
でも、現実にそうなのだ。そりゃ、リベラル自身がリベラルの問題点に言及できるようになればいい、それが理想だ、でも現実は違う、そんな事は出来ない、そんな事をすれば利敵行為すなわち「ネトウヨ」と言う事に成るからだ。
実際にはそれらは対立構造になく、ちゃんと自由主義を標榜しながら女性や弱者の保護を訴える思想もあるということを示したかった。
こうした男性の悩みにも射程範囲を広げるフェミニズムは、よく「男性も男性の役割を降りて自由になるべき」という意見を出す
役割から降りた後の責任を取らない意見だと否定されがちだけど、俺はこの意見は好きだ。自由主義の精神をよく現わしていると思う
性役割は結局男性も女性も幸せにしないという思想から発生してるのだけど、この思想は増田も共有できるはずだ
ところで増田を見ると、「男」の役割に完全に嵌りこんでいるように見える。
それは結局のところ増田が初心に思っていた男女の平等の精神に反しているのではないだろうか
「リベラリズム」は最初はジョン・ロックやアダム・スミスを元にする(消極的な)経済的自由と個人的自由をともに重視する思想だった。
20世紀になり、積極的自由のために市場への公的介入や財の分配を許容する福祉国家的、社会市場主義的な「ニューリベラリズム」が派生し、
次第に優勢になるにつれて名前から"ニュー"が外れて「リベラリズム」と呼ばれるようになった。
その後、「リベラリズム(ニューリベラリズム)」に対して個人の自由や市場原理を再評価し、経済的自由の制限を緩和する方向として「ネオリベラリズム」が派生した。
1930年代〜戦後期に「リベラリズム」という言葉が指すものが今で言う古典的自由主義から社会自由主義へと変化した後で、
1960~70年代に古典的自由主義を基礎とする消極的自由を尊ぶ思想が再興した際に、積極的自由を尊ぶ社会自由主義(現代のリベラリズム)との混同を避けるためにリバタリアニズムと呼ばれるようになった。
つまり、今の言葉で歴史を書くと、リバタリアニズム(古典的自由主義)→リベラリズム(社会自由主義)→ネオリベラリズム(新自由主義)という流れで同じ系統の思想。
(ただし、現状のリバタリアニズムは古典的自由主義に加えて最小国家主義と無政府資本主義の大きく3つの派閥に分けられて、後ろの2つは社会自由主義よりも年代的には新しい)
もっとも、消極的自由を尊ぶ古典的自由主義と積極的自由を尊ぶ社会自由主義は、同じ"自由"という言葉を使っていても思想の根拠が全然違うから、
「リベラリズム」の中で古典的自由主義が社会自由主義に変化したのではなく、
社会自由主義という全く別系統の思想が古典的自由主義から「リベラリズム」という名前を奪ったという認識であれば、
リベラリズム、ネオリベラリズムがリバタリアニズムとは別系統という言い方も出来なくはない。
【参考】
http://tanemura.la.coocan.jp/re3_index/3S/si_neo_liberalism.html
自由主義 https://ja.wikipedia.org/?curid=1889353
権力「からの」リベラル(自由)……ヨーロッパの自由主義、「小さな政府」論、リバタリアンやネオリベ
権力「による」リベラル(自由)……アメリカ民主党など、社会自由主義とも
前者は、原則として規制の反対側におるけど、後者は「ワシらが安心して『自由』に暮らせるように、権力は●●を規制すべし」と主張するんやで。一緒にするから混乱するんやわ。経済学で言えばハイエクvsケインズ。水と油の関係なんよ。
それにしても、公教育やら福祉やら税金やらについては何も言及していないのに何で新自由主義やリバタリアニズムを感じ取れるんだろう。俺は教育の機会均等も福祉の充実も累進課税も支持してるんだけど。
ひょっとして改憲とかカジノとかのあたりかな? でも自衛隊を憲法に明記して文面と実態を合わせようというのは別に自由主義に反する考え方だとは思えないし、友達どうしでカネを賭けて麻雀をするという誰にも迷惑をかけていないお遊びが違法とされる現状はリベラル派としては許しがたいけどね(ジャーナリズムの倫理とか公務員の守秘義務とかは別の問題)。
単純賭博罪と常習賭博罪を廃止し、賭博開帳図利罪を改正して無許可の賭博場のみを取り締まるようにした上で、特区では許可されるレートを引き上げるという形にすればスッキリと筋の通った立法になるはずなのに、なぜか人権侵害の悪法である単純賭博罪を温存した上でカジノ特区を作った安倍政権のやり口はクソ。
当然、本来廃止されるべき悪法である単純賭博罪を持ち出して政争の具にしている野党のやり口もクソ。友人どうしでの賭け麻雀が犯罪になるような法律は間違っているので変えるべきなのに、それが犯罪であるという前提の下で賭博行為そのものを叩くのは許しがたい(悪法もまた法なりという話ならまだ理解できるんだけど、マジで賭博を悪事だと思ってるよねあの人ら)。
派閥に従うから疲れるんだよ。リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ。自分の思想に、信念に従えよ。
懊悩を掘り下げろよ。性差別主義者や性犯罪者は差別主義者や犯罪者であるがゆえに叩かれるべきだけど、男全体みたいに性別でくくって罪悪感を抱かせるのは違うし、小児性愛者みたいな生まれついてのセクシュアリティに基づいて叩くのは差別だろ。リベラリズムの理念に反するだろ。行動に対する非難はしてもよいが生得的な属性に対する非難は単なる差別だというリベラリズムの根本的な理念を思い出せよ。リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ。
私は考えない様にする、ゾーニング、しかし「公」とはどこまで?ネットも?民間の組織である赤十字も?コンビニも?どこまでがアウトなのか基準は?私刑では?BLは免罪されるのか、男性を消費する場合は、3次元は?ジャニーズは?objectificationをモノ化と訳すのは誤解を生まないか?元の論文ではobjectificationが全て悪いという話では無かったはずだが、では悪さの基準は?本当に巨乳の女性を叩いていないのか、実際に居ると本人がスクショを上げていたが、ルッキズムはアニメだけじゃなくジャニーズやBLやドラマや俳優やほぼ全てのテレビ番組や女性の好きなかなり色んなモノが該当するのでは?
・・・・そういう事は考えない様にする。
考えろよ。そもそも表現の自由はリベラリズムの根幹だろうが。公共空間では最大限の自由が実現されるべきだという立場を貫いて宇崎ちゃんもあいちトリエンナーレも擁護するのがリベラリズムだろ(批判も表現の自由の一部なので、文句があるなら好きに言えばいいんだけど)。もっと言うと男女の立場は平等であるべきなのだから、もしも女性アイドルの消費が性的消費でケシカランなら男性アイドルの消費もそのように非難されるべきだし、ジャニーズが幅を利かせてるならAKBだって堂々と楽しんでいいんだよ。リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ。
そんな彼が、最近、シスヘテロ女性やフェミニストによるトランス女性差別を厳しく批判している。
彼の態度は一貫している。私等及びもつかないほどリベラルな価値観をきちんと内面化している彼が何であろうと差別に厳しい態度を取るのは当然だろう、でも、
ふと、考えてしまう。彼もまた、フェミニズムによる男性批判に納得がいっていなくて、トランス女性差別はそんな彼の鬱憤を晴らすのに格好の機会だったんじゃないか?
もしもトランス女性が女性でありトランス男性が男性であることを受け入れるのなら、リベラリズムの観点からはトランス差別に反対する以外の答えは出てこないだろうが。一部の自称リベラル女が差別主義に走ってトランスを排斥しているとしたら、それはその自称リベラル女が間違ってるんだよ。人を見てものごとの善悪を決めるんじゃなくて原理原則に従ってものごとの善し悪しを量れよ。リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ。
こんな事はツイッターには書けない。こんな考えを持っている事は周囲の人は知らない。迂闊ないいねは絶対にしない様にしているし、懊悩もおくびにも出さない様にしている。完璧にリベラルだと思われているだろう。
お前が周囲からリベラル派だと思われてるかどうかなんてのは心底どうでもいいんだよ。俺は改憲派で、カジノ設置に反対せず(安倍内閣の作ったカジノ法はクソだけど)、フェミニストでもないけど、俺が思うリベラリズムの原則に従っているから自分のことをリベラリストだと思っているよ。たとえ周囲のリベラル派と意見が違ったとしても、もしも周囲がリベラリズムの原則に背いているなら、それはそいつらが本当のリベラル派じゃないだけであって俺がリベラル派であることは揺るがねーよ。リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ。
リベラリズムはまずもって自律の思想だよ。自由を重んじ、自由をどのように実現させるのかを考えるのがリベラリズムだろ。女性差別の撤廃は自由で公正な社会のための前提条件であって最終目標ではなく、もしも女性側の要求が自由や公正を脅かすのなら両性の平等の観点に立った上でそれに抗うのが真のリベラリズムだろ。リベラル派の言ってることを支持するのがリベラリストなんじゃなくてリベラリズムを信奉する個人の集まりがリベラル派なんだよ。
元増田が党派への帰属を優先して自分の主張を押し殺しているから逆だろと指摘したまでだよ。所属する党派に合わせて自分の主張を選ぶんじゃなくて、自分の主張に合う党派に帰属するべきなのに。
リベラリズムの解釈は色々分かれててリベラリズムの中にもいくつも派閥があるけど、ある解釈を支持するからある派閥の一員だというのが本来の姿であって、ある派閥の一員でありたいからある解釈を支持するなんてのは本末転倒でしょ。まず自分の信念があって、派閥への帰属はその帰結に過ぎないわけで。
各論はああそうね感じはあれど、私は「イズム」も「従う」のも苦手…「イズムに従え」って割と怖い言葉だ/元増田は杭打ってない建物って感じだったけど、この増田はhammer and sickle感がつおい…
外部にあるありがたい教典に従えって言ってるんじゃなくて自分の持っている信念に従えって言ってるだけやで。自分が従うべきリベラリズムは自分の外じゃなくて内側にあるんやで。それ以外の何者にも拝跪しないのがリベラリズムやで。
仮に俺がネオリベや古典的自由主義者だったとして、新自由主義も古典的自由主義も自由主義すなわちリベラリズムの一部である以上、リベラルと名乗っても何もおかしくはないのでは。
いやリバタリアニズムとリベラリズムは区別せんとリベラリストは元よりリバタリアンからも相手にしてもらえんぞ。政治学政治思想学的には両者は全く別物で定着してるし俺定義は通用せんて。
それ、誰に向かって言ってる? 俺をリバタリアン呼ばわりしているブコメに向かって言ってるならいいけど、俺に向かって言ってるのなら、俺は一度も自分をリバタリアンと言ってないし(anond:20200625140552でも書いたけど、公教育の充実や累進課税を支持してるのにリバタリアンなわけないじゃん)、リベラルとリバタリアンをごっちゃにもしていないよね。
表現の自由を絶対最高至高とみなすのって馬鹿自慢だよな。物事は複雑にからみあうのが当然なのに「表現のジユウガー」で解決との脊髄反射こそ思考停止。複雑な問題を考える脳がないと自慢する馬鹿は多いな。
私は、この増田が言ってること全然理解できない。Twitterで散見されるような言説の継ぎ合わせに見える。自分の頭で考えるのが大事だというなら、元増田の方がよっぽど自分の頭で考えてる人だと思う。
So what? 自分の信念に従った結果twitterでよく見かける言説とよく似た意見が出力されてくるなら、それは俺と同じ信念の持ち主が大勢いるってだけの話でしょ(派閥って本来そういうプロセスで生まれるもんだよね。自分と同じ意見の持ち主を寄せ集めて○○派って自称したり呼ばれたりするわけで)。
もっと言えば、他人の意見が自分の信念と合致するならどんどん他人の意見を支持すればいい。俺もネットでしょっちゅう他人の意見を読んで「俺はここまで考えてなかったけど、確かに俺の信念からいえばこの主張は正しいな……この主張を支持する!」みたいな感じで他人の意見に影響されまくってるけど、それで何も問題ない。支持するべき他人の意見を取捨選択しているのは俺の信念で、取り入れた他人の意見は俺の血肉になるのだから。
あと、「理解できない」ってどゆこと? 「言わんとすることを理解はできるが、支持も納得もできない」ということ? それとも本当に理解できない?
総論賛成。で、自由・公正の定義は人によって違うから常に自分のスケールを疑うべき。スケールは本人の欲求を正当化(または当然視)した形や、抑圧感情の変形発露の場合が多々あるし、本人が無自覚なケースも多い。
自分の欲求を正当化してくれる主義主張を奉じるのは普通のことだと思う。俺が自由主義を信奉するのも、誰にも迷惑をかけていない俺の行動を制約されるのはめちゃくちゃ腹が立つからであって、自分の感情が主義主張のベースになってるっていう点では女性差別に憤るフェミの人たちと変わらないわけで。
ただ、そこで欲求に忠実になりすぎて主義主張の普遍性を放棄するのはよくない。これは何派であっても同じ。自分の主義主張と欲求がぶつかったときに「原理原則論からいえばこの欲求は間違ってるな」と言えるかどうかが分かれ目。そこで欲求に忠実なあまり普遍性を投げ捨てると、TERFとか、エロの自由は大事だけどあいちトリエンナーレはけしからんから潰せと主張する一部の残念なオタクみたいな醜悪な存在に成り下がるのだと思う。
これは余談だけど、ガチガチの自由主義者って多分chaoticな性格の人が多くて、lawfulな人との相性は絶望的に悪いと思うんだよね(いや、そういうのは俺だけかもしれないけど)。日常生活で俺みたいなchaoticな人間が衝突することが多いのは圧倒的にlawful goodなので(evilな人はそうそういるもんじゃないけど、lawful goodはそこらじゅうにいるから衝突する頻度が高い)。だから元増田が心の底ではリベラリズムを支持しているのにlawfulな界隈に所属していたら神経が削られるだろうなと思う。
人間に向いてないんじゃなくてlawfulな性格の人に向いてないんだと思うよ。chaoticな性格の持ち主にとってはこれほど快適で生きやすい思想はない。
元増田の「リベラルを演じること」に共感できる点が一つも無い。多分lawful goodな環境での順応を目指してるのだろうけど、肌に合わない環境になぜ執着するのか理解不能
chaoticな人間にとってlawfulの集まりってめちゃくちゃストレスフルだから(逆もまた然りだったりするのかな?)、「この派閥自分には向いてないわ」と思ったらさっさと逃げればいいのにね。
同意(笑)カオス属性じゃない、規範大好きな人達がリベラル名乗ってるのがマジで謎なんだよな。トランス女性やエロポスターに不安と不快を感じる人達の受け皿はちゃんとある(保守主義)のでそっちに行って欲しい
ほんとこれ。lawfulな人が無理してリベラル名乗らなくてもいいのにね。保守主義とかフェミニズムとか共産主義とか別のイズムを名乗ればいいのになぜかリベラリズムを名乗りたがる謎。
それはそれとして宇崎ちゃんポスターはR-18ではない一般漫画の表紙を使ったものであり、「エロポスター」という言い方は誤解を招くので反対(「エロビデオ」「エロゲー」「エロ漫画」といったらちょっぴり性的とかじゃなくてモロにR-18っていう意味になるんだから、「エロポスター」と言ったらR-18のポスターという意味になるだろう。しかし実際にはあのポスターはそうではなかったわけで)。
いやいや、財政均衡だ―政府の借金だ―財政破綻だ―構造改革だーなんて言ってるのがしぶとくいるじゃろ?
そもそも右派左派というのは強者より、弱者寄りぐらいの意味でしかない。
現時点では経済右派=新自由主義、経済左派=ケインズ社会主義、マルクス社会主義だろう。
1980年以前は自由主義が世界中から放逐されていたため、経済右派=ケインズ社会主義、経済左派=マルクス社会主義だったが。
mmtで「自国通貨建て国債で自国は破綻しない」という命題が投げ込まれて新自由主義は大混乱に陥っているが。実際通貨発行権は政府にあるんだから、自国通貨建て国債自身では政府は破綻しないもの。
ただし外貨借金では財政破綻をする。けどもそこで必要なのは経常黒字を維持するために海外に物を売れる力を作ることであり、必要なのは企業の設備研究投資と、国の萌芽・基礎研究投資。
新自由主義は企業はとにかく自由にさせるのが良いため政策誘導はしてはならないし、政府が何もしないのが望ましいから萌芽・基礎研究は無駄以外の何物でもないという前提になるがね。
むしろ右派バリバリの小泉自民党政権を生み出したからこそその後日本は苦しんでるんですが?
あそこで抵抗勢力といわれた連中が勝っていればもう日本は復活してただろう。
右から順に
自由主義(新自由主義)、ケインズ社会主義、マルクス社会主義。
だ。
1940-1980年の社会で右派でうまくいったってのは、一番右の自由主義が1930年世界恐慌で世界から放逐されていたから。
急に起業やベンチャーを増やすためにリスクマネーを増やせばいいんだみたいな言説が増えまくってる。
それにしても痴呆患者の資産をリスクマネーに使えっていうのは頭くるってるとしか言いようがない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ebdd2f6378d0df9b9e8f3de7a5d9b5e4fea8c968
リスクマネーなんか余裕資金と、本当に案件の吟味と、たずなをもっての制御なしにやったところで詐欺師の温床にしかならない。
そもそも詐欺師をどう取り扱うか?の制御ができないからこそ、たまたまちょっと運が良くて事業がうまくいった小金持ちが真っ当なエンジェルになろうとしても、闇に失望し辞めるのがリスクマネーの世界だろう。
そんな状態で痴呆患者の資産を、いったい誰が、どこに投資するのか決めんの?痴呆になるのは自己責任だからそんな奴の財産は守る必要ないし、世界を救うために使いつぶせってか?
そもそも新自由主義はリスクを完全に評価できるという幻想を基に成り立っている。だけども実際は新自由主義は一度大規模経済危機を迎えたら企業が保身に入り、金をため込み設備研究投資をしなくなる。
金をため込むから経済が落ち、設備研究投資をしないから競争力が落ちていく。例として1930年世界恐慌、1990年日本バブル崩壊、2008年リーマンショック、そして2020年コロナショックも起きるだろう。
バブル崩壊は日本単独の大規模経済危機だったため、日本一国だけが競争力が駄々下がりで、IT半導体の大敗北につながった。
それから本当に萌芽に過ぎるもののリスク評価なんてものもできない。難しい数学を使えばできるみたいな幻想を基に難しい数学でオブラートに包むことはする。だけど数字の一番底は思い付きと鉛筆舐めなめだから難しい数学を使ったって無意味な結果しか得られない。
大規模経済危機後の新自由主義はただずるずると敗北を連なるだけだ。だが起業やベンチャーはまあアホ一人が歩みだせば一応創業率として数字にはできるから煽る。ましてや奴隷や、ただ同然での事業の種が生まれれば万歳だからなおさら煽る。
種を作ったやつは報われない。絶望的に弱い存在だから奪いにかかったり嵌め込みにかかわるから。
そのように実際は芽が出る前に土足で荒らしまわり、せいぜい他の起業やベンチャーを増やすための餌としてメディアだけには出させ、そして捨てるだけだろう。
もともと新自由主義はケインズ主義が政府の肥大化に伴い硬直化とイノベーションが起きない。財サービスの供給が細りインフレになるということの批判として生まれた。
だが実際を見れば新自由主義社会の1990年以降の現代の方がはるかにイノベーションは起きていない。1990年以前の日本はソニーや京セラなどメガベンチャーが生まれている社会だった。
なぜなら弱い奴をそのまま萌芽の段階でほかのすでに金を持ってるやつのいけにえに供するだけだから。解決案がないから、情や使命感を煽り、麻痺させて突撃させることしかできないから。
ケインズ主義が日本に導入されたのは第二次大戦後のことである。それ以前の日本は自由主義の時代。
例として挙げられるのが資源も時間も与えずに、精神論ばかり煽るだけの牟田口廉也のインパール作戦。新自由主義の連中が起業煽りをするのはインパール作戦の再来にしか見えない。
リスクマネーなどビジネス投資のリターン評価は売上以外ありません。しかし往々にして萌芽であればあるほど投資とリターン評価に係る、期間、費用、想定収益が読めません。むしろ読めないからこそ失敗したときに石が投げやすくて便利♡
リスクマネーに金を出すというのは期間、費用、想定収益が読めないか、あからさまに鉛筆舐めなめだとわかってる案件にどうやって金出すかって話。
ただ一つ言えば、萌芽研究は「科学成果」とは売り上げとは別軸での評価ができる世界。そして受け皿として大学や公的研究所を使えば金の使途ぐらいは制御できる。まああまり細かくやりすぎるのも問題だが。
リスクマネーというのは基礎・萌芽研究投資の金と、運営費交付金としてのアカデミックポスト拡充以外ありません。
むろん政府の関与以外の何物でもないから新自由主義の政府が何もしないのが望ましいという連中は嫌うのだろう。だからアホをはめ込むようなことばかり叫び言い続ける。
まあ緊急事態の時は大事な政策に注力するというのが正しいし、新自由主義的な余計なものを切る、リーダーが仕切るのが正しいように見える。
1980年代ごろからケインズ主義が政府の肥大化や、オイルショックのような供給不足によるインフレに対応できないためにケチがついた。そのために1930年代以前に主流だった自由主義が復活した。
といっても大規模経済危機が起きたら、企業は保身に入り金をため込み、設備研究投資をしなくなる。自由主義の元ではできることはない。
1990年バブル崩壊後はそれ以前のケインズ主義の政府の肥大化や規制こそが悪いのだ。構造を変えればよいのだと石を投げたが全く改善する見込みは見えてこない。
そもそも財政破綻というのは自国通貨建て国債の問題ではない。外貨借金の問題だ。
たぶんれいわ山本も本気で小池知事に勝とうと思ってないだろう。しかし維新が東京知事選に候補者を掲げている以上放置しておけば維新新自由主義の「何か構造を変えれば経済が良くなる」が野党の主題になる。
N国みたいな「声のでかい暴れ者が良い方向に変える」みたいなのもあるだろう。
国民民主の前原もどうも維新に近づいてきな臭いしな。掲げているのは地方分権。
地方分権は構造を変えて規制をなくして政府の関与をなくせば経済が良くなるという新自由主義の亜種。
国民民主の中の馬淵と前原の間の主導権争いという側面も裏であるだろう。そして新自由主義(維新、国民民主前原)VSMMT(れいわ、国民民主馬淵)という側面もある。
だから小池に勝てないまでも、維新に票数で勝てばよいというのではないだろうか。そして国民民主や立憲民主の日和見がれいわMMTの側につくだろうと。
右派左派がケインズVSマルクスだったのは1930年-1980年の間だけだ。
ケインズよりさらに強者よりな物として自由主義/新自由主義(政府が何もしないのが良い)がある。1930年の世界恐慌に自由主義は対応できず世界中から放逐されていたからケインズ(右)VSマルクス(左)だ。
自由主義が復活して主流である以上右にまず自由主義/新自由主義がある。相対的にケインズ、マルクスは左になる。
後ケインズが金を配るというのは一面にすぎない。他にも金利、財政出動、税制を組み合わせる。
ケインズが政府の肥大化を招くという側面はある。そして外貨借金が積み重なっていけば財政破綻懸念もある。
最終的には萌芽・基礎研究をきちんと政府が行い、企業を低貯蓄高設備研究投資に導いて、国内・海外に売れる新しいものを作り続けないとならない。
右派、左派そのものは強者より、弱者寄りぐらいの意味しかない。
もともと封建主義(王様が決めた法律できちんと運用するのが良い)に対して自由主義が生まれた。
自由主義は一度大規模経済危機を迎えたら、企業が保身に入り、金をため込んで設備研究投資をしなくなる。そして金をため込むから経済は悪化し、設備研究投資をしなくなるから、競争力が落ちていくという特性がある。
1930年世界恐慌で世界中はこの経済悪化の流れに乗りこまれた。1930年代時点では解がなかったためドイツはユダヤ人やジプシーが原因であるとヒトラーを選び、日本でも天皇親政がよいと226事件のようなクーデターを起こした。
それに対して、ケインズが金の回転をきちんと制御するのが良い。マルクスはそもそも大規模経済危機は過剰投資によるものが多いので計画的に生産がするのが良いという立場だった。自由主義は世界中から放逐された。
マルクスの計画経済がうまくいかなかったのはそうなんだが、ケインズも突発的な海外でのオイルショックといった供給不足には対応できないためケチがついた。そこで自由主義が新自由主義として再来した。
しかし自由主義は一度大規模経済危機を迎えたら不況と競争力低下が起きるという特性は変わっていない。1990年バブル崩壊で日本では経済悪化と競争力低下が起きている。
1980年以前は自由主義が放逐されていたため、ケインズ社会主義(右)、マルクス社会主義(左)でよかったが、自由主義が復活して主流を担ってるため、ケインズ社会主義もマルクス社会主義も相対的に左になる。
そもそも右だの左だの言ってる中心の連中は両方経済については自由主義だ。そして中国韓国北朝鮮だの、見たことも無い性的マイノリティ―や動物の権利だの国民経済と遊離した話題に注力している。
フィンランドといえば小国であることを活かした高福祉で有名で、なんでも幸福度が世界一だって話もあるらしい
男女平等が凄い!って話もよく聞く(北欧全体がそうらしいが) こんな記事も出てくる
https://www.google.es/amp/s/www.huffingtonpost.jp/amp/entry/gender-equality_n_17698812/
いまの日本で少子化が進んでるのは男女平等じゃないからだ、社会が不幸せだからだ、閉塞感があるからだ…みたいな主張はわりとよく見かけるし、そう聞くとたしかにそうなのかもなあと思わせられる
ってことは、男女平等先進国で社会の幸福度が高いフィンランドは当然合計特殊出生率2〜3くらいはあるはずだ!
https://data.worldbank.org/indicator/SP.DYN.TFRT.IN?locations=FI
しかしこのへんを見るとここ数年で出生率がガクッと下がってるのがわかるし、実際いまは1.5前後で日本と大して変わらんらしい
正直笑ってしまう
「良い」社会では少子化なんて起こらない、子供が減るのは社会が「悪い」からだ!って主張は結局のところまるっきり嘘なのだ
まあそりゃそうだ 子育てと自由はあきらかに相反するもんだし、妊娠出産して母乳を出せるのが女性だけなところを見ても人間の身体は子育てに関して全然男女平等じゃない
いまの人道主義・自由主義みたいなのと生殖のシステムは食い合わせが悪い だからむしろ今「良い」とされる社会を実現すればするほど少子化は進むって可能性まである
ポリコレに恨みはないが、世間を常に味方につけて常勝してきた側がどうしようもない現実に負けるのを見るのは正直言って痛快だ
どうしても人権侵害が嫌だっていうなら子宮じゃなくて培養槽で人間を育てる!みたいな舵取りしか残ってない気がするが、それはそれでコストはかかるし今度は子供の人権はどうなんだって話になるしで、やっぱどう転んでも詰んでる気がする
人間(というか欧米中心の「先進的」社会)は信条をとって滅びるのか、それともどっかで諦めて先祖返りするのか かなり興味深いけどおれはそこを見届ける前に死ぬだろうな
悲しいぜ
共産主義(マルクス社会主義)とケインズ社会主義を混同するなよ。ニューディーラーというようにニューディール政策を掲げるケインズ社会主義者。
あと資本主義といっても1980年代以前は政府が金の動きの調整をしていたケインズ社会主義であって自由主義ではないからな。1980年代まで自由主義は世界中から放逐されていた。
自由主義/新自由主義は一度大規模経済危機を迎えたら、企業が保身に入る。金をため込んで、景気を落とし、設備研究投資をやめて産業力を劣化させる。
またとにかく政府が何もしないのが望ましいという緊縮主義だ。だが不景気でも緊縮するために景気を激烈に落とす。
また不景気で労働需要が弱いため、労働者の立場が非常に弱くなり、業突く張りブラック経営者がのさばって労働者をひたすら馬鹿にしたり、報いもない努力することを叫ぶ。