はてなキーワード: 法則とは
誰よりもめんどくさいオタクの自覚がある私だが、その最初のきっかけがクレヨンしんちゃんであるせいで、ぼくは「これ、オタク文化知らん人が読んだらどうなるかな?」「これ、性癖こじらせてない人が読んでもこの子好きになるかな?」みたいなのはすっごい考えるわけです。はい
結果として、エロマンガ読む時も「これオタクはわかるけど…」みたいなのを考えて読んでるし書いてるわけです。「オタクでもわからん」という分野を発見した時とかでもなんとか間口を広げて語ろうと頑張るわけです。…どれだけ伝わってるかは謎だけども、オタの間でさえ他分野はわからんからね
この件に限らず、そもそもが「16歳の俺が読んで面白いかな」みたいなのをそれこそワンピースの作者みたいに考えてるわけです。だから、ややこしいテーマでも語彙を難解にしたり、わかって当たり前みたいな書き方をしない。だからこそ、それができてない作品や感想にはちょっと眉唾なんだよなぁ
文系学問で「わかんない人置いてきぼりでいいや」をやるのあんま賛同できないんですよね…科学と違って正しさが証明できない時に煮詰まっていくのが目に見えてるから。科学はその点、高校生がわかる書き方しなくていいんです。正しさが証明できない科学は仮説ではあってもまだ法則でも定理でもないし私が哲学者好きじゃないのは哲学なんて数理的なもんで正しさを証明できないくせに、「高校生どころか大人でもわからん書き方したってわかんないやつが悪い」に陥るから好きじゃないんですよね。そんなもん、やる前から本人の間で煮詰まるか劣化してしか伝わらんの目に見えるやん…アホやなって
データや統計は参考になるけど、そんなモノは自分の中の「高校生」「異性」が正確な人にはデータも統計もなくてもバランスの取れた意見や伝えた方ってできるんです。
このメソッドで逆算すると「自分の中の上司像・おじさん像」がない人は世渡り下手だと思います。…まぁ、私はないですけどね
この辺も「自分のこの人物像が偏向してるな」とかそういうことは色々なケースを見てるうちに気づいたりするもんだけど…それ以前にそうやってバランスを取ろうとしない人や、取ろうにも思ってた答えの中に正解がなくてドツボにはまるケースがけっこうあるんだけど
なんでこの話ししたかって言うと、僕のことを「君の話はわかる人じゃないとわからない」みたいにいう人が過去にいたのをふと思い出したから。
その人の意見が正しいかどうかは別にしても、誰に話すかと誰に話してもわかるかはバランスとる必要あるよね。って思っただけ。知らんけど
わいもおなじツッコミしたい。
植物ってグルタミン酸多め(MSGもサトウキビ絞りカスから取れる)なんで、
出しの「ちょっと違う由来の出し混ぜると旨味が掛け算になってものすごくふえる」法則のためには
肉のイノシン酸
貝のコハク酸
アラフィフおじさんだが台本付きチケット80枚の彼のnoteでの独白が他人事に思えない。
私はいわゆる「マジメ系クズ」「意識だけ高い系クズ」と言われる属性の人間だ。
彼と同じく承認欲求からの不安で、35歳から会社の外のネットワークづくりにハマり、さまざまなコミュニティに出入りした。
人と会ってる俺すごい!人脈すごい!自己承認爆上がり!みたいな感じになった。麻薬だった。ワークショップ中毒になった。
やってる感しか無い事実に気がつかず、全能感が上がり、すごい(ような気がする)周囲の人たちに囲まれている中で「俺すごい!自己承認満たされた!」と感じるも、オフ会後に自分は何もしていない・できない・単なるワナビーでモブキャラに過ぎないことを感じて落ち込んでいた。
彼とまったく同じだ。そして私と似たようなマジメ系クズ属性の人達も、たくさんいた。みな一様に自己評価が低く、去勢を張る勇気もないので意識高い系のコミュニティに属して自分の評価を高めよいともがいていたように思う。
そしてみんなコミュニティからいなくなった。というかマジメ系クズ属性の人間は自分でも周囲からも場違いを感じとり自己消滅していった。コミュニティジプシーになった挙句、お金の法則にも引きづられそうになった(入口で立ち止まって引き返したが)
私はどのコミュニティにも居続けることができずひとり孤独になった。
意識高い系クズとして挫折して、挫折し続けて約10年が経った。友人はいない。やりたいことも見つからない。いかなるコミュニティにも属していない。
仕事をなんとか誤魔化してやり過ごして、ご飯を食べてネット見て寝る。10年前の私でじゃは考えられない意識の低い生活。
アラフィフでコレだ。取り返しのつかないところに来てしまった。その一方で無理しない自分に心地良さを感じることもある。
マジメ系クズというと酷いゴミクソ人間のように思えるが、マジメ系クズだと思わなければ、普通の生活ではないか。
身の丈や置かれている環境に沿ってひっそりと生きるのも、否定も肯定もしなければ、生きてはいける。比較や競争、承認欲求から距離を置ければ、目をつむって生きることはできる。
続きまで含めて全部読んだ
何というか、やるせないな
もうそこには断絶があるんだと思う
時々、この社会には共通のプロトコル(つまり常識)が設定されていないんじゃないかと思う事がある
それぞれが別々の法則で動いていて、それを統一したりすることはできないんじゃないかなと
レヴィナスという人が「他者論」ということを考え、「他者」とは自分のあらゆる規範や想像力から外れたものであるとしたように
「他者」は常に、自分が捉えている世界とは常にまったく違う原理で動いているような気がしてならない
自分にとってまったく許容できないことが、「他者」のいる世界では起こる
逆に言えば、自分の世界では起き得ないことが「他者」のいる世界では起こる
それはそれで救いなのかもしれない
ある漫画で「心やからね。通じる事も繋がることもないけど。それでも、何か一つ伝われば、それで生きていかれるのかも知らへんね」というセリフがあったが、まさにそれで
東京都(新型コロナウイルス感染症対策本部)が、その日の感染者数等の発表の際に、参考値として3日前の検査実施件数を掲載していることから、しばしば、①陽性判明数÷3日前検査実施件数を「検査陽性率」と捉える人がいる。
そのような捉え方をした者からは、たとえば12/30は陽性判明数944人に対して3日前(12/27)検査実施件数が2084人だったことから、「検査陽性率」が45.3%であった、というようなコメントがなされる。
他方、これに対して、②東京都新型コロナウイルス感染症対策サイトの「モニタリング項目(4)検査の陽性率」を引き合いに、12/30の検査陽性率が10.1%であるなどと主張する者がいる。(2021-01-15追記:なお、モニタリング指標(4)の12/30の値は当記事投稿時である1/4更新時点では10.1%だったが、1/14更新時点では10.0%である。)
どちらも誤りである。
1/4更新時点のデータによれば、同日のPCR陽性798, 抗原検査陽性164, PCR陰性5262, 抗原検査陰性1062より、陽性962÷検査件数7286 = 13.2% であるから、検査陽性率は13.2%となる。
【2021-01-09追記】 1/8更新時点のデータによれば、同日のPCR陽性873, 抗原検査陽性177, PCR陰性5970, 抗原検査陰性1191より、陽性1050÷検査件数8211 = 12.9% である。(追記ここまで)
検査しても必ずしも当日中に結果が出るわけではない。3日前検査実施件数の注釈に※2 検査から結果が出るまでは3日程度要する。なお、この検査結果と本日の報告数が一致するものではない。(陰性確認を含む)
と書かれているとおりである。
もっとも、実は都の注釈にいう「検査から結果が出るまでは3日程度要する」という記載が、どうやらあまり正確ではないようだ。
この検査実施件数はPCR検査と抗原検査の件数の合計らしい。しかし、PCR検査は検査機関に検体を送る等の都合から結果が出るまで数日かかるのに対し、抗原検査は簡易検査キットがありその場で数十分程度で結果が出る。
そこで、3日前のPCR検査件数と当日の抗原検査件数の和を分母にすると、当日の陽性判明数を分子としたときに、もう少し現実的な値が出る。
たとえば12/30の陽性判明数944人に対し、(12/27のPCR検査2761)+(12/30の抗原検査1226人)=3987人を分母にすると、陽性率的なものは23.7%になる。なお、ここでの「12/27のPCR検査」や「12/30の抗原検査」の人数は、都のモニタリング項目(4)の「テーブルを表示」すると出てくる、12/27のPCR検査陽性者数326・同陰性者数2435、12/30抗原検査陽性者数164・同陰性者数1062をそれぞれ足した数である。
ただし、このような修正を加えてもなお、後日確定する検査陽性率とは乖離がある。
この乖離の原因は、「3日前の検査実施人数」が、発表時点までに報告された未確定の数であることにある。3日前だった日の検査実施件数は、後日、増える。
たとえば1/2の報道発表における「検査実施件数12月30日」は3816人だが、現在の都サイト(4)のテーブルにある12/30の(PCR|抗原)検査(陽性|陰性)者数の総和は、1/4更新時点で7286人である。おそらく1/3以降も検査報告が届いたためだろう。
検査が陽性だったものから優先的に報告されているのであろうか、検査数の伸びに比べると、陽性判明数の伸びは少し緩やかな傾向がある。そのため、ある日の検査陽性率は徐々に下がる傾向がある。
結局のところ、たとえ検査日と判明数の日付を対応させたとしても、速報値ベースでの陽性率的なものは、後日確定する真実の検査陽性率と比べると高いものとなる。
モニタリング項目(4)は7日移動平均であって、「その日の検査」における陽性率ではない。このことは、都のサイトに陽性率:陽性判明数(PCR・抗原)の移動平均/検査人数(=陽性判明数(PCR・抗原)+陰性判明数(PCR・抗原))の移動平均
と書かれているとおりである。
実際の12/30の検査陽性率は前述の通り13.2%であるから、移動平均を用いたモニタリング指標(4)の10.1%より高い値である。
たまに誤解している人がいるが、「検査陽性率」について移動平均を用いなければならないという決まりは無く、むしろ、統計を取る目的に応じて任意の期間について計算するものである。都が7日移動平均を用いているのは、「モニタリング」という目的に照らして、集団感染発生や曜日による数値のばらつきにより、日々の結果が変動するため、こうしたばらつきを平準化し全体の傾向を見る趣旨から、過去7日間の移動平均値をもとに算出
しているのである(via 都サイト)。
(したがって、「7日移動平均にしないと誤り」という意見は誤りである。)(さらに細かいことを言えば、「当日検査陽性率の7日分の平均」ではなく、「7日分の検査数に対する7日分の陽性数の割合」なので、「検査陽性率の7日移動平均」という言い方は不正確だろう。)
曜日によるばらつきについて実際に、(移動平均では無く)当日の検査数と陽性判明数検査数をもとに当日の検査陽性率を計算すると、日曜日のたびに検査陽性率が前後の日の1〜2割増の値となっている。おそらく、日曜日は検査数が少ないため、事前確率が高い患者(新型コロナ感染の疑いがより強い患者)を優先的に検査しているのであろう 。
都のモニタリング項目(4)は、7日間移動平均を用いているがゆえに変動がそれまでの動きで打ち消され遅行指標となる。
加えて、前述のとおり検査数・陽性判明数は数日かけて報告が上がるにつれて増えるため、近い日ほど小さな数となり、平均をとった際のウェイトが小さくなる。より古い日の検査結果に引き摺られる。
そして、計算期間内の陽性判明数・検査件数は未確定なので、同じ「1月3日」のモニタリング項目(4)の値であっても、1/4時点の値と1/10時点の値は異なる。
このように「当日の」モニタリング項目(4)の値は現実の検査陽性率の変化に対して数日遅れる鈍い指標なので、陽性判明数が急増した特定の日の当日にモニタリング項目(4)の値を持ってきて何かを語るのは、賢明とは言えない。
速報値と真の検査陽性率との乖離は概ね一定の法則に従って生じるため、速報値の変化は真の検査陽性率の変化を反映している。
また、検査陽性率は、水が溢れたり沸騰したりするのとは異なり、何か劇的な変化をもたらす閾値に関わるものではない。そのため0.1%単位の正確な数値は不要であるし、1日単位の変化も重要ではない。
したがって、7日間移動平均を用いた速報値をモニタリングすることで、真の検査陽性率や、感染の蔓延状況・検査体制の充足性の参考とすることができる。
神話とか故事の由来をみてると謎の動きした結果、痛い目みたりしてて、「いや、そんなことしたら そりゃそうなるでしょ……」って事例が多いなと思った。
以下みたいな謎の動きをしてしまったせいで失敗する話があればもっと知りたい。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%9D%E3%83%B3/]
崩れるに決まってるだろうに。。。
臼を積み上げる建築技術はあるのに、1番下の臼を抜いたら崩れるという物理法則を知らないのはなんなの?アホなの?
天空神であるオニャンコポンは、昔は人間たちに近い位置に居た。しかしあるとき、一人の老女がヤムイモを臼と杵で搗いていた拍子に、杵をオニャンコポンにぶつけてしまった。それ以来、オニャンコポンは遠く離れてしまったという[1][8](天地分離神話)。老女はオニャンコポンに到達しようと、多くの人に臼を集めさせ、高く積み上げさせた。しかしすべて積み上げても、一つ足りなかった。そこで老女は、積んだ臼の一番下の一つを抜いて上に積むように言った。そのようにしたところ、臼の塔は崩れ、多くの人が死んでしまったという
刻舟求剣(こくしゅうきゅうけん)の意味・使い方 - 四字熟語一覧 - goo辞書
見つかるわけないだろうに。。。
落とした瞬間はとても焦っていて舟に傷をつけて判断できると思ってしまったところまでは1億歩譲って理解しよう。だがなぜ向こう岸に着くまでにいったん一息付いてるはずなのに水中に入るの?アホなの?
「舟ふねに刻きざみて剣けんを求もとむ」と読み下す。中国春秋時代、楚その人が舟で川を渡ったとき、剣を水中に落としてしまった。そこで後で探すために剣が落ちたところの船べりに印を刻み、向こう岸に着いてから、その印を刻んだところから水中に入って剣を探したが、見つからなかったという説話から。
エジプトとかの壁画に書いてある太陽と今出てる太陽が同じものなのすごすぎる
昔のことイメージするのって難しくて、どうしても当時の絵とか写真にイメージが引っ張られてしまう 今と同じカラーリング・質感でイメージしにくい
でも月の光とか太陽なんかは間違いなく同じものでほとんど同じように見えてたんだよなと思うとすごい
狩猟採集生活やってた頃にも月は出ていた なんだったら昼間にボンヤリ見えるあの月なんかも出ていた 木があるなら木漏れ日も同じような感じだっただろうし、水辺で反射光がユラユラしてるのも目撃できただろうな
マジすげー 平安時代の大奥とかでもおんなじ物理法則のもと生きてたんだよな 十二単着た人も息吐いておっ白くなった!なんて思ってたんか すごすぎる
SAVE THE CAT の法則?
俺が本物の科学的で合理的で健康的な食事ってもんを見せてやりますよ
大学に進学して一人暮らしを始めた19歳(一浪)の俺は貧乏学生で、外食しようにも金がねンだわだった。
しかし家庭科では非実用的なおままごとしか習っておらず、米を炊くことすらできない。
図書館で栄養学についての本を読み、古今東西の人間がどのような食事を行っていたかを文化人類学から学んだ。
遠回りすぎるかもしれないが、なにか調べたい際には、地球の常識や文化について何も知らない宇宙人が一から調査するようにロールプレイングすると楽しい。
これまではその場の気分でなんとなくウマそうなものを食うという猿畜生のようなことをしていたが、この調査のおかげで一日の栄養素から逆算して何を食べるか考えるようになった。
そこで基準値として参考にするのが厚生労働省が5年ごとに改定する「日本人の食事摂取基準」だ。
日本中の専門家が集まり、喧々囂々と議論して作られた叡智の結晶がなんとタダで読める。正確には我々の税金で作られている。読まなければ損である。
食事摂取基準は学校の給食、病院で実施される栄養指導の根拠となる科学的データであり、今年2020年はちょうど改定される年だったため一部界隈では4年ごとの祭典オリンピックのように盛り上がった。
我々のような非専門家の凡夫どもはテレビで流れる「〇〇が身体に良い!」だとか本屋で並ぶクソみたいな「〇〇は絶対食べてはいけない!」といった情報に右往左往せず、これに基づいて食事を行えば良い。
専門家が無償で公開してくれる科学的データに基づいた食事はしないのに、やれ農薬が、添加物が、化学調味料が、と言うやつ。まずは毎日野菜350gを摂ってくれ。
俺はさらなる情報を得るべくインターネットで検索した。しかしその時代のインターネットはすでに書き散らされたゴミで汚染されていたため、英語で食事に関する疫学研究を漁った。
さらに住んでいた寮の部屋にはキッチンがなく、火を使うにはいちいち材料を持ってエレベーターで降りて共用部に行かなければならなかった。そのため、料理の工程を極力少なくする必要性があった。
そのような中で生み出され、適時改良されてきたコスト(お金、手間)が極力かからずパフォーマンス(味、栄養素)が高い最強の食事を教えよう。
精製されていない炭水化物:オートミール 100g コスパと手軽さ
炭水化物:パスタ100~180g GI値を考慮したkcal/¥当たりのコスパでは最強
肉:鶏肉 調理が面倒な場合はプロテインで代替可 牛肉豚肉などの赤身肉は月一程度に控える
果物:バナナ1本 キウイ1個 冷凍ブルーベリー20g等 一日の果物摂取量200g推奨
その他:無塩ミックスナッツ28g ヨーグルト100g キムチ30g 納豆一パック オリーブオイル15g 焼海苔1枚 オートミール用に乾燥ワカメ、乾燥シイタケ、卵
まるで栄養を摂取するためだけのエサのようだと思ったかもしれない。
その通りだ。
しかし、人間が毎日ごちそうを食っていた時代なんてここ数十年だけだ。残りの数千年は毎日同じような質素な食事を生きるために食い、行事のようなハレの日にだけ特別なものを食べていた。
良妻賢母教育を受けた専業主婦が料理する近代の都市部上級国民限定の文化に過ぎない。
しかも、厚労省の食事摂取基準や世界保健機関が定める一日の塩分摂取推奨量5gを満たす食事は、プロの栄養士が設計し、給食のおばちゃん部隊が大量生産を実行してようやく実現可能な代物であり、一般の家庭料理では到底不可能だ。
だいたい、普段は質素な食事をして、たまに力を入れて作るごちそうやジャンクフードが身に染みて美味いのであって、毎日それらを食っていたら限界効用逓減の法則しかり、快楽は段々と小さくなっていくのに、デメリットだけは増えていくのでコスパが悪い。
こういうドケチ人間でも、旅行では外食や中食をするが、最初は快楽が大きくても長期の旅行の場合はどんどん小さくなって最終的に残るのは胃もたれと脂肪だけだった。
そんな状態で我が家に帰ってきて食うゲロみたいなオートミールの安心感。
学生時代は毎日この食事で月1万円台後半、就職してからは白米を食べたり野菜の種類を増やしたり週一のごちそうを自炊、月一の外食をしたりしても月2万円前半でまかなえた。
毎日酒池肉林をしている富豪から見たら一般国民の食事は惨めでとても耐えきれないものに見えるだろう。
しかし、あなたは毎日惨めで耐えきれないと思いながら食事をしているだろうか?
もし快楽を数値化できるとすれば両者は大して変わらないかもしれない。
それにパターン化は素晴らしい。毎日ゼロからレシピデッキを構築するよりも、構築済みの「型」を基準とし、調味料や材料の一部を季節や気分、体調、割引に応じてカスタマイズしていくことで、献立を考える思考コストが大幅に削減される。お金や時間、体力と同じように脳で計算する力は有限であり、できるだけ日常生活での消耗を減らし、浮いた分を自分にとって重要なタスクに振り分けると良い。
一人暮らしの自炊がめんどくさいという主張において根拠とされるのは、
・そして実際に調理すること
の3つがめんどくさいというものだ。
この合理的食事においては日持ちする材料を一定のペースで食べ続けるので補充も規則的になり、スーパーで何を買うか迷うことなくカゴにいれてすぐに終わる。
レシピも型に基づいて行えば良いので考える必要はなく、調理はタッパーに材料をぶち込んでレンジで蒸すだけだ。調理工程が単純化されたことで、洗い物も僅かしかでない。
焼いたり茹でたりすると過程で栄養が減ってしまう。蒸すのが手間でも栄養でも最強。
欲しくなるようなストレス下の環境に置かれていることが問題なのではないだろうか。
日常的に嗜好品でストレス解消しなければやっていけないというのはもはや依存である。
健全な環境下では月一、自分はクリスマスにケーキを食う程度のイベント毎で十分だ。
カフェインも毎日摂取しているとすぐに耐性がつき、ほとんど効果がなくなるので週一程度で十分だ。
タバコのように、最初は確かに効果があったのかもしれないが常用することで耐性が付きデバフだけは多くなる。ニコチン中毒者がタバコを吸って一時的にデバフがなくなった最高の状態が、健常者の平常の状態となっているようなものだ。
丁度いい機会なので正月休みにはカフェイン断ちすることを勧めたい。数日は離脱症状で頭痛や吐き気で苦しむことになるだろうが、それに耐えきった後に飲む久しぶりのコーヒーの効き目に驚くはずだ。
これは娯楽においても同様で、大金を使ってもドーパミンの耐性が付き、同じものでは満足できなくなる。前回よりもっと高価なもの、刺激的なものを求めるようになるだけとなってしまう。
元増田に対して消費や浪費ができない生活なんてつまらなそうという意見があるが本当にそうだろうか。
人間なんて毎日最低5分から30分朝日を浴びてセロトニンを分泌させ、中強度の有酸素運動をするだけで楽しく過ごせる単純な生き物だ。最近はコロナでステイホームしているのでFitbitで心拍数を計測しながらOculus Quest2でアニソンに乗ってビートセイバーしたり卓球したりして昔の王侯貴族なんかよりよっぽど快適に暮らせてる。地位財を追い求めるのを控え、非地位財を求めるとよい。
一生かかっても図書館の本は読み終わらないし、ネットでは世界中の音楽が聞けるし、アマプラの映画もドラマもアニメもまだまだ見ていないのがたくさんある。
・幸せについて科学的に追求したい場合はWell-being studyを調べると良い。俺みたいな匿名個人の説教や体験談なんかよりよっぽど参考になるだろう。
・有酸素運動の強度については、「今日は頑張ったなー」というような曖昧な感覚ではなく、心拍数に基づいて行うとよい。数値化されることでゲーミフィケーションの仕組みが働き、やる気に繋がる。個人によるが中強度の運動=心拍数120~140程度を中心に、高強度の運動=心拍数140~170程度を全体時間の30%行うとさらに良い。
・このように自己定量化(Quantified Self)し管理することは、RPGゲームのようで楽しい。酒を飲んだ日の睡眠スコアが著しく低くなっていたりすると人体実験のようで面白く、たまに不摂生をしても「まぁよい。貴重なデータが取れたから今回は大目に見てやろう」ゴッコをしてポジティブに受け止められる。
・有酸素運動の時間についてはアメリカ身体活動ガイドラインは一日20分程度推奨、JAMA Internal Medicineの論文によると最大1日64分
https://jamanetwork.com/journals/jamainternalmedicine/fullarticle/2212267
人間の尽きることのない欲望を煽って儲けてる産業にお金を費やしても満たされることはないんよ
元増田を「資本家が考える理想の労働者・奴隷」と評価する意見があるが、本当にそうだろうか。
労働ですり減った精神に塩分油分糖分と消費浪費で脳内麻薬キメて、効き目がなくなればもっと稼ぐためにバリバリ労働に励む労働者のほうがよっぽど資本家にとっては理想の存在なのではないか。
イギリスの食文化がマズいと言われているのは、産業革命により都市に移住した労働者たちが、伝統的な食文化から断絶されたせいという説がある。
日本の大学生(私大)への仕送り額は1994年の12万5000円から毎年下がり続け、今では8万3000円。
これからは一人暮らしの貧乏大学生が外食(牛丼屋等)やコンビニ弁当、カップ麺をかっ食らうというステレオタイプも廃れていき、自炊を強いられるようになるだろう。
家庭科が男女必修になってからも未だに良妻賢母教育時代のまま、手間暇かかるコスパの悪い塩分過多の家庭料理の作り方を教えている。おそらく多くの生徒が初めて生きるために料理することになる一人暮らし生活に適合した知識ではなく、使えない。
今ではメタアナリシスを中心としたエビデンスに基づく最適な食事についての情報が簡単に手に入るようになった。昔は食材の栄養素を知りたくなったら辞典を引かなければならなかったが今ではGoogleで検索すればすぐに出てくるし食事摂取基準を目標としてアプリで個々の栄養素別に計算することができる。
現在の社会状況に適合できていない近代的食文化ではなく、これからは上記に類するような”科学的で合理的で健康的な新しい食文化”がゆっくりと普及することになるかもしれない。多くの人たちにとっては食に対する冒涜であり、貧困がもたらした退廃のように見えるだろう。
しかし、少なくとも現代の金銭的時間的知識的に余裕がなくまともな食事を行えない者たちにとっては一つの選択肢として十分に検討価値のあるものであり、精神の安定を助け、健康寿命を伸ばすことに役立ち、高齢化に伴う医療費問題や人手不足の解決にも寄与することになるだろう。
諸事情でこのような食事をする必要に迫られている人間、面白そうだからやってみたいという奇特な人間、日常で得られる快楽やパフォーマンスを最大化したい人間などは、ぜひ実践してその過程の中で見つけた苦痛なところ、改善できるところをアレンジしてほしい。そうした人々の営みを経て”食文化”が洗練されるとよい。
(アドベントカレンダーからのリンク先が思いつかなかったので、ここで生成する。)
はい、そういうわけで、ですね!TUTのちょっと良いところ、言ってみたいんですけど!
東京工科大学だと思った人、残念ながら帰っていいですよ!
今はホットなのはそっちのじゃないほう大学です、ギコ大です!技科大です!
ちょっとあらぬ感じアレだったことを観測したので・・・時を戻そう。
(この記事は12月に23日のアドベントカレンダーからリンクされています、ていうかする予定ですという分かりづらいボケです。
だって26日より先が空いてなかったどころか枠がなかったんだもん。もんじゃねーよ。)
都会度というか、その辺りは
で、私自身技科大から豊橋駅に行くには上京する心づもりでした。
あとこれは200x年頃のお話なので、今は全然違うかもしれません。
◆環境◆
・豊橋のさらに奥の僻地にあり、近場のミニストップを神のライフラインとして崇めていた
・その次に近いのが徒歩10分位の距離にあるすき家(都会のライフステーション
・イオンに初日に行った帰りに迷うほど、目印の少ない牧歌的な風景
・最低でも原付は欲しいところ。なので学内で原付の売買がお盛ん
・それでも鋼の意思でチャリと徒歩で生き抜くならば毎日がエクササイズという特典が
・なのでお出かけの基本は車となり車を運転できる人間はそれだけでデキるやつだった
・車に全員載らない場合は車と単車、原付、場合によってはチャリで編隊されて行軍する
・大学はそれくらいの秘境にあるので、その寮へのネット回線はボッタクリナロードバンド月5000円一択のみ
・貧乏学生のライフライン、業務スーパーは普段生活のみならず学園祭の仕入れにもお役立ち
・なんで飛んで火に入る夏の虫のごとく、緑の看板には生活を求めて日々飛んで行ったよね
・ブレーカーを数部屋で共用する男子寮。ドライヤーひとつで数部屋を道連れにするスリル
・当然クーラーなんてないよね~、あんな貴族の嗜好品。夏の猛暑はアイスノンと扇風機で生き抜くサバイバル
・当然激セマ君ではあるのだが、寮費が光熱費込みで1万も行かなかった(5000円位だったか?
・貧乏学生をしていたので、食堂はあまり記憶にございませんねぇ
・バカ舌もあって味噌ラーメンとかはそんなに悪くなかったような
⇒そんな感じで、今や絶滅種の「昭和の貧乏学生」生活が送れる素敵な場所です。
◆勉学回り◆
・学生のほとんどは高専病に起因する英語ヨワヨワなんで許してあげてほしい
・というか高専教育が悪い。今は変わってきてるのかもしれないけど
・中学からの受験以降、受験とほぼ無縁で単位取得のサバイバルのみで生き延びた学生が多いイメージ
・なんで、興味範囲以外はいかに取りやすいか、いかに出席や提出物が少ないかが授業選択の最重要ファクターの学生がいたとかいないとか
・自分の居た系のみかもしれないが、大学で割り当てられるアカウントの個人領域のディレクトリに学生番号出来られていて、他からも見ることができた
・そこには過去の学年のレポートとかが眠っていた。なんで、そこから引っ張ってレポート提出する学生もいたとかいないとか
・だがまぁ、それは誰しもが考えるので、過去の有料レポートを提出すると中身同一レポートが教授のもとに集まり、諸共無言で最低点の裁きを受ける
・院試は自分の苗字名前をケアレスミス無く書ければ徹程度の難易度
・先生はダイバーシティの極みの極み、二重の極みで、まともな人、あきらめ系、変人などなんでもござれだった気がする。
・他と比較できてないからわからんけど変人の比率は高かった、と思う
⇒背景、状況から「普通ではない」ふいんき(なぜか変換できない)が醸成されていたのは事実かなぁ
◆サークルとか◆
・そんなわけで、高専からの入学がほとんどの技科大サークルはちょっと関係が難しい
・具体的には3年生新入部員と2年生の先輩部員という時空のひずみ
・とはいえ、3年生新入部員と3年生先輩部員も発生しうることから大概は学年で先輩後輩関係は形作られる
・ただし、そこにさらに時空の法則を破る留年先輩が出てくるがそうなるともう、年齢で判断することになる。
・そもそも、サークル活動的なのはあまり活発ではなかったイメージ
・ほぼ男子校の技科大生のあこがれ「愛知大学」との連携で女子とのキャッキャウフフを夢見る生徒も多かったとか少なかったとか
・あ、そうそう。サークルだけではなくて愛知大学と連携していて、確か愛知大学の図書館も使えたはず
・数式をおかずにして飯を食えと言わんばかりの糞高い技術書しかない技科大の図書館に比べて、文学教養の良書がタダで借りられる裏技があるんですよ!
⇒陽キャは居たにはいたけど、レア種でしたね。居ても、フェードアウトするとか。3年の夏休み前にパチプロになると聞いて以来、音信不通の彼はパチプロマガジンとかに出ているのかな。出ているといいな。
なんだろう、ぱっと思った限りこんな感じ。
うーん、まぁ学生生活にはちょうどいい閉塞感で、自分としてはこの環境を楽しませてもらいました。
なんか思い出して行きたくなるくらいには。