はてなキーワード: 夜一とは
別れたっていうかこれから別れるというか、私の部屋にはまだ彼の荷物(楽器)があるから取りに来てもらわないといけない。
1年くらい付き合っていたけれど結局何も分からなくなってメンタルもやられてボロボロになった。
私は29歳で彼はひとつ歳下。
彼が定職に就いていないことや、私もフリーで仕事していて不安定でふわふわしていて、お互いに将来が見えないという問題もあったけれど、結婚願望が特にない私にとってそれは別に問題じゃなかった。
一緒にいられて楽しければ、とりあえずはそれで良かった。
彼はセックスの時アナルを触るのも触られるのも好きで(ちなみにアナルセックスはしてない)、「オナニーする時何見るの?」ってふざけて聞いても絶対に教えてくれなくて「墓場まで持っていく」って話していたから、何か特殊な性癖があるんだろうとは思っていた。
付き合い始めてから4ヵ月めくらい、彼の部屋にひとりでいる時に調べ物をしたくてPCを借りたくて、それまでにもネット検索するくらいなら貸してくれたから、軽い気持ちでPCを開いた。PWは掛かっていないし。
彼はいつもsafariを使ってるのに、その時はfirefoxが立ち上がっていて、開いてるタブが全部ニューハーフとか女装とか男の娘もののアダルトサイトだった。
結構な衝撃を受けてすぐPCを閉じたと同時に、「なるほど、これか」と納得して、見なかったことにしようと決めた。
それからわりとすぐ後だっと思う、家から近いドンキにふたりで買い物に行った時にアダルトコーナーに入って、彼が私のアナルにディルドを入れたいって言い出したので、私も興味を唆られてアナル用のディルドを購入した。
それを使って何度かセックスしてるうちに、彼が普段からディルドを使って前立腺オナニーしていることが分かった。確かに私用に買ったディルドは彼には余裕で入った。
嫌な予感がしてきていた。
でも、他人の性癖を否定するような人間でありたくないという私自身の理想から、彼の性癖になるべく付き合おうとがんばっていた。
それなりのカップルらしく普通に喧嘩したり、私がもともとメンヘラだから突然死にたいとか言って迷惑掛けたりもしながら、なんとか関係を続けていた。
PCを見たことは言わないままでいた。
ある夜一緒に眠っている時に彼のスマホが鳴って、LINEの通知が出ていたのでチラ見したら、制服を着た女の子のアイコンだった。
なにこれって思って内容を見てしまったところ(その当時はスマホにもPWを掛けていなかった)、出会い系サイトか掲示板か、そういうので連絡先を交換したっぽかった。
会う約束をしていたので、なんでネットで女子高生と知り合って会おうとしているのか問い詰めた。
彼曰く、「性癖は性癖で別、ちゃんと○○(私)が好き。ニューハーフの子と会おうとしたのは、○○との関係が上手くいかないことを相談しやすそうだったから」とのこと。
納得したふりをするしかなかった。
でも私は確実におかしくなっていったと思う。
彼は結局そのニューハーフの子とは会わなかったと思うけれど、私はそこから彼のスマホを覗き見るようになった。
私に悪い部分が多くあるのは認めるけれど、彼はいつも彼の友人に私の悪口を言っていて、でも会うと好きだと言ってくれて、メンヘラ特有の無理な要求にも応えてくれて、何度も別れ話になった。
先々月、一度距離を置こうと彼が言い出して、私も了承したのに、2日足らずで「やっぱり会いたい」と言われたことがあった。
後で彼のスマホを見たら、ゲイ専用掲示板というところで約束をした人と会った後だったみたい。
ゲイの人と会って、何か上手くいかなくて嫌なことがあったから、私のところに戻ってきたんだ、と今も思っている。
先月、彼の部屋で喧嘩になり、彼が私を置いてひとりで出ていった時に、またPCを見た。
「女装 アプリ 出会い」、「掘られたい デビュー」、「性転換したい」、「性転換 28歳」
などに完全にやられた。
そこから記憶が無いのだけれど、彼の愛用ディルドをライターで燃やしたりハサミで切ったり、私がプレゼントしたものを壊したり、グラスを割ったり部屋をぐちゃぐちゃにしていた。
何を思ったのか、閲覧履歴の一部を、自分のスマホカメラで撮っていた。
帰ってきた彼にめちゃくちゃ怒られて、めちゃくちゃ謝って、その時は許してもらった。
でも先週、LINEで彼からイラっとする内容が送られてきた時に、酔っていたのもあって、私は全部知ってるんだからね、という気持ちで、スマホに残していた閲覧履歴の写真を彼に送信してしまった。
そこから数日、お互いに何も連絡しなくて、昨日「荷物を取りに来て」とだけ連絡した。
これを書いている今、返信が来て、2週間後くらいに取りに来るらしい。
この数日でだいぶ気持ちは落ち着いてきている。
お互いにとって、もっと早くに離れていた方が良かったのだと思う。
さっさと別れてしまえば良かったのに、どうしてこんなに執着してしまったのか、よく分からない。
彼は私だけが好きだと言ってくれたけれど信じられなかった。
大事にしてもらっていると感じられることは沢山あった。
本当に好きだったと思うし今も好きだと思う。
でも大切にできなかった。
2週間後に会う時は冷静でいられるだろうか。
最近ではなくてだいぶ前、おそらく幼い頃から自分は価値のない人間なのではないかと思ってきた。
両親が厳しい人で、あまり褒めてもらうという体験をしたことがなかった。習い事や勉強をたくさんやらせてもらったが、(半ば強制だったが)頑張っていたが認めてもらえたことは少なかった。いつもここが出来ていない、もっとこうしろと注意ばかりされ、時に叩かれることもあった。それに対して兄は私と比べて出来が良く、いつも「お兄ちゃんは良い子ね」と親が兄を褒めている光景を横で見ながら育っていた。
父は私のことを甘やかしてくれることもあった。が、私が小学校高学年ほどのとき、父が不倫をしていることを偶然知ってしまった。父と母はあまり仲が良くなくて、私の記憶の中では二人が笑顔で話している光景は数少なかった。なので父の不倫はある意味必然だったのかもしれない。しかし、それまで家庭内では父が心理的に一番近い距離にいたため、そんな存在の父に裏切られたという思いでいっぱいになったことを覚えている。それ以来父に嫌悪感を抱くようになり、だんだんと父との距離も離れていった。
そんな不安定な家庭状況のせいなのか分からないが、成長した今でも、私は「他人に認められたい、褒められたい」という欲求で胸が押しつぶされそうになることがよくある。その気持ちの強さのあまり、夜一人で過ごしていると涙が込み上げてくる日も少なくはない。
そしてまた、私には自分は価値のない人間だと決めつけてしまう癖がある。本当は自分で自分に価値を見出してあげなくてはならないのだろうが、それができずに他人にその役割を求めてしまうのだ。つまり、私の価値を図るバロメーターは他人の自分に対する行動であり、私はそのために、他人の行動の端々に敏感になり、ときに敏感になりすぎて必要以上に心をすり減らすことがままあった。
このままではいけない。何とかして自分を好きになり、自分で自分を認めてあげるようになりたい。そう思いながら、少しずつ私は自分を好きになろうとあがいている最中だ。
この動画でスプリングマオについて説明させていただければと思います
私もいまだに腑に落ちていないことがとても多い状況でございまして、ただ冷静に状況をちょっとお伝えしたいので、言いたいことを今回紙に書いてきました。
その紙を読ませていただければと思います。冷たく感じてしまうかもしれないのですが、ご了承いただければと思います。よろしくお願いします(一礼)
まず彼女ですが2月29日、本日をもってappbankを退職いたしました。本来であれば一か月前、二月の頭には発表したかったのですが、
あまりにも起こった出来事が急で自分達でも消化できなかったのと、本人とも一つ一つ整理して話さないといけないことがありましたので、お伝えすることが遅くなってしまいました。
本日正式に辞表を受理いたしまして、発表できる段階にやっとなりました。ご報告が遅くなったこと本当に申し訳ございません(礼)
1:30
経緯を簡単に説明いたします。1月4日2016年、年明け初日に、ひとことでいいますと彼女から「やりたいことが見つかった」ということでappbankを退職したいという意思を聞きました。
4月分まで発表済みなappbank japanツアー2016であったりとか、2月6日に公開される一か月前ですね、公開した「マックスザムービー」とか、
その段階ですでに発表済みなもの未来のスケジュールがいろいろとありましたので、方向性はOKだと理解したと。
あとは会社としてその彼女が活躍できる環境ではなかったというところを申し訳ないと、いう話をしながら退職時期の調整をしようと相談を始めました。
2:30
私が申し訳ないと彼女に謝ったのは、彼女が子会社の取締役として事業推進するに当たり、計画通りに事業を進められなかったりとか、
マネージメントの問題などでいくつかの躓きがあり悩んでいるというのを2015年去年から本人から聞いていたからです。
ただ本来であれば子会社の社長にまで抜擢した理由として、appbankの次の時代を担うリーダーの一人として強い組織を作ってもらいたい。
組織の柱になってほしい彼女ならなれるという風に大きな期待をしていました。
ですが彼女が責任者として事業を進めるうえでよく起こりうる失敗?にたいして、彼女の口から「私はもうここではやれることはない」「自分のやりたいことをやりたい」「私の時間は大切だ」という風に言われてしまった。
私自身彼女とは約三年以上、主にニコニコ生放送で一緒にいろんなシーンを過ごしてきたわけですけど、とても残念な気持ちです。
これまで事業を一緒にやってきて、演者としての演者としてもたくさんの番組をやってきて、たとえば歌を出したいとか、彼女の夢?私なりにいくつもかなえてきたつもりです。
他にもたとえば彼女を守るべきシーンには私なりに私なりの守り方で彼女を守ってきたつもりです。
4:35
今回のこの退職ということの話に対して、皆様も納得いかないことが多いかと思います。
すでに先日からtwitterでも何件かお問い合わせをいただいておりますが、皆様にも言いたいことがたくさんあるかと思います。
私も納得いきません。私も言いたいことがたくさんあります
会社でいろんなことがある中で、組織として力をつけていこうという矢先に、取締役という立場にもかかわらず「他にやりたいことが見つかったので」と個人の都合を優先されたのがとても残念です。
5:25
ここでこの動画に関する捕捉を一点させていただきます。ちなみに今回私がいま話している内容は、この動画で初めて話した内容ではございません。
本人にも直接何度も話をしています。たまに本人のいないところで攻撃的な話をしてるとか言われたりすることがあるんですけども、私は基本的にこういう話は本人にもします。
なのでこの動画で伝えてきた内容は本人にも直接伝えてあります。その、変な誤解なきように一応捕捉をさせていただきました。
話を戻します。
6:05
今後の話をしたいと思います。彼女の今後ニコ生への出演予定はありません。またすでに発表させていただいているappbank japan ツアー福岡・熊本、彼女は欠席いたします。
退職に伴いまして、appbankにおいて活動していたスプリングマオは終了となること、発表が遅くなり皆様にご心配とご迷惑をおかけしましたこと、本当に申し訳ございません。本当に申し訳ございません(礼)
6:54
いままでappbankのスプリングマオを応援してくれた皆様にとって、退職の知らせは辛い出来事だと思います。私も本当につらいです。
ここ最近appbankにもいろんな変化がありまして、昔から最近からでもいいんですけれどもappbankを応援してくださってる皆様、日々楽しみに見てくださってる皆様に関しましてはその心配をいろいろおかけしているかと思います。
たとえば「もうマックス村井はだめなんじゃないか」とか、そういう風にねつぶやかれたりとかするのもたまにお見かけします。
ですが私たちはいま全員で一丸となって前を向いています。見てくださっている応援してくださっている皆様に向けて一直線で向き合うとしています。
2016年になって始まったappbank japanツアー2016。これまでにはここ数年はなかった形のイベント、私たちがステージに立ってただ一方的に、なにかいつもニコニコとかyoutubeでやっていることをお見せするというイベントではなく、
もうステージを降りて一緒に乾杯して一緒にお酒を飲んで一緒に日々のいろんな話をしようというコンセプトのappbank japanツアー2016。
今年だけで全国で十都市以上回ろうと考えてるんですけども、そういうものを企画したのも、私たちの意志と言いますか、
皆様とのそのコミュニケーションの形?距離、どういう風に私たち?を持ってもらいながら見てもらえるかというところに関して
私たちなりに日々のお礼ではないですけども出来ることをやろうと言う形の現れです。
9:10
まだここに到達できればもうなにもかもが、その安心できて、ただただばか騒ぎただただ面白いみたいなものが見せれると言うところまでいろいろあったので、
その明日明後日何かできるとは私も思っていないんですけど、その私も楽しいことを動画を通じて皆様に伝えたいと、それが出来ると信じて3年前これだけ自分の時間を動画に裂こうって思って、
実際にそれだけ多くの方に楽しんでいただけて「マックス村井最高だな」って言っていただけて、私も「よっしゃ、今夜一緒に行こうぜ」というのもまぁやってきたわけです3年間。
その気持ちは何も変わらないですし、この3年間本当にあまりにも速いスピードでいろんなことがおこったので、いろんなほころびちいさなほころび、もちろん発生していない0だとはいえない状況ですけれども、
それに対して私たちはやっぱり認識しておりますので、そういうこと一つ一つを解決しながら、もちろん日々の動画の更新とかで
「わ、今日もマックス村井元気にやってるな」とかまぁ「最近ちょっとやつれてるんじゃねぇか」とか、いろんなお声をいただきながら私たちも楽しませていただきながら、今後もやっていきたいと。
願わくばもう私も全力で日々やってますので、っていうかもう今マミルトンを含めみんな全力で向かっておりますので、本当に楽しんでいただきたいと言うところに早く到達したいというのが今の私たちの気持ちです。
11:02
あのこんな動画で宣伝するのもちょっと意味がわからないと思うんですけど、ぜひともあのappbank japanツアー2016とかはこれまで行かなかった県とかにも回りますので、
私たちの「お、元気にやってるな」「やっぱりappbank変わってねぇな」というところを見ていただければと思ってますので、来ていただければと思っております。
これからも皆様に楽しんでいただけるようなappbankでありたいと、全力で前を向いて一直線に頑張っていきたいと思っておりますので、何卒よろしくお願いします(礼)
11:39
最後にこれまでappbankのスプリングマオを応援してくださった皆様には、改めまして厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました(礼)
チャゲアスといえば、ダブルミリオンを達成した「SAY YES」と「YAH YAH YAH」がやはり圧倒的に有名ですが、「PRIDE」はそのどちらと並べても決して劣ることのないどころか、全J-POP史上においても比類のない、赫奕たる地位を占める壮大なバラードです。そしてPRIDEは幸運なことに録音に恵まれています。1989年に発表されたその曲は、何度もライヴで歌われており、様々なバージョンを聞き比べることができるのです。ASKAは年代によって声質や歌唱法がかなり異なっているので、それぞれ別のしかたで楽しめます。今回はややマニアックですが、PRIDEの様々なバージョンをレビューしてみようと思います。
評価=8
CD音源にかなり近いですね。他の音源に比べて特徴となっているところは、サビの「駆け抜けていく」(1:48-50)の歌唱ですね。とくに「く」の母音の処理です。「ウ」と「ア」の中間で発声することで、単に「ウ」と発声するよりもパワフルに聞こえます。ASKA独特の母音の処理方法です。声も若さが満ち溢れていて爽快感を覚えます。
評価=9
声のフットワークが軽くて、とくに高音となるサビのメロディーをなめらかにすべっていく様子はあたかもサーカスの軽業師のようです。曲をより「自分のもの」にできている気がします。
ちょっとマニアックというかフェティッシュなことを言うと、「涙の跡」(3:33)という部分の「だ」の発声が他のものよりも情感豊かで、素晴らしいです。この録音はもっともエモーショナルなものかもしれません。
評価=9
あまり時間の間隔を置いていません。最高のパフォーマンスです。②ほどの情念はありませんが、全体の均整ということで言えば一番優れているものでしょう。
評価=10
ややASKAの声が太くなっていますね。じつは私が一番好きな音源はこれです。
声質が太くなり重量感を覚えさせるけれどもパワフルに突き進むさまは、重戦車が高速移動をする様子さえ思い浮かべます。
この録音では「駆け抜けてく」の「く」の音が、しっかりと「ウ」で発声されていますが、私はこちらのほうが好きです。かように苦悶の表情を浮かべた「ウ」はなかなか聞けません。
評価=7
アンプラグド、さらに欧米でのパフォーマンスということもあってか、アレンジがかなり変わっています。
やや大人しめですね。テンポも少し早くなってあっさりとしています。お洒落な気分でPRIDEを聞きたいという時にはよいでしょう。
評価=6
この頃からASKAの喉の調子に翳りが見えてきます。ポップス歌唱法にはご存じ「ミックス」というものがありますね。地声と裏声を混ぜるってやつです。
艶のある地声成分で高音が出ないのか、裏声成分多めで叫ぶ手法(オペラ歌唱に近い発声)が所々で見受けられます。後半になると多くなりますね。
評価=6
コンサート途中に感極まって歌えなくなったことで有名な韓国ライブです(なおその映像はこちらhttps://www.youtube.com/watch?v=sFi5qExw_pM)。2000年。
やはり前と同じで、高音が苦しそうですが、この曲ではその苦しげな姿すら一種のパフォーマンスに転化しうるものをもっており、胸を打つものがあると思います。②とはまた違ったおもむきで情感があります。
評価=5
2003年から2004年にかけての年越しライヴです。⑥の3年後ですね。
この頃になると、90年代と声は明らかに違ってきます。目に見えて声が太くなってきます。
喉の調子が治らず、どの歌唱法がいいのか模索している感じがします。
評価=9
声はさらに太くなっていくのですが、そうした自分の声にあった歌唱法が見つけられたのがこのLIVEだと思います。2007年。
90年代のASKAを軽快なトランペットだとすると、これは炸裂するトロンボーンとでもいったところでしょうか。CHAGEの超高音はさらに金属質なものとなって、硬質なハーモニーを聞くことができます。
しかしこのLIVEで注目しなければいけないのはASKAよりもむしろCHAGEです。大サビのCHAGEの超高音のハモリはこれまでのどの録音にもなかった凄みを与えてくれています。
あと、またフェティッシュなことを言いますと、3:25あたりの「傷ついて知ること」の「と」の音は、大地の奥底からやってくるような雄渾な響きで痺れます。
やっぱり90年代は黄金期で、どれを聞いても圧倒的ですが、その中でも台北ライヴはワーグナー「神々の黄昏」のような、崩壊しそうなまでに過剰な絢爛さがあって、私はそれを愛してやみません。
00年代になると喉の不調が目立ちますが、それでもDOUBLEのライブは全盛期を取り戻すかのような圧倒的なパフォーマンスを見せてくれます。しかしそれは90年代前半の軽業とは異なり、敬虔なカトリック教徒の盤石堅固な信仰の凄みにも似たものを思わせます。
俺のフレンチレビュー(笑)がプチ炎上してるのを見て、はてなブログとブクマはやっぱり基本的に相性悪いんだろうなと
私もTVで特集やってるの見たことあるけど、散々「コストを落としてるから安い」って連呼してた
立ち席、時間も区切って回転良くする、食材もレベルを下げて、味のインパクトを、とか紹介してたよ
TVで取り上げられてるのを見て、いわゆるフレンチらしさを期待していくところじゃないなと理解できてなかったというのは…
それでレビューとか言ったら、そりゃ「おまえ人の店にどうこう言えるほどの脳みその持ち主かよ」ぐらい言いたくなる
さすがに頭悪いじゃね?クレマーじゃね?
そもそも、東京の街中で、飲んで食って夜一人4千円じゃ、「そういう良い店」を初めから知らなきゃ,まともなもんは食べれないんだよね
算数できないのか世間知らずすぎるだけなのか分からないけど、なんか、ずーずーしいなと思った
私は22歳、いまだに処女です。
先日素敵な小父様と出会いました。そして今夜一夜をともにします…
「小父様!私を大人の女にしてください」
「でも小父様…」
「そうか。素直な子だ。よろしい。それではまずキスから始めようか」
目を閉じて唇を上向ける
「何をしている」
「私はそのようなキスはしない」
「まずお尻を突き出すんだ」
「キスじゃないんですか」
「黙って言うことを聞きなさい」
「よし、いい子だ。そのまま自分の肛門を広げなさい。両手でね」
「小父様、恥ずかしいです」
「うむ、綺麗な肛門だ。まるで熟れた唇のように」
「さて、それでは私の方も脱ぐとするか」
「小父様!?何をなさるのです!!」
「小父様~、小父様のお尻の穴が私のお尻の穴に!」
「それでいいんだよ。もっと激しく馬鍬ろうか」
「はうんッ、小父様!お尻が!お尻が熱いの!」
「小父様!?何をなさるのです!」
「何とは?私はただ排便をしただけだが」
「君はそれを受け入れるんだ。自分のお尻でね」
「さあ、肛門をもっと広げて。もう一度いくよ」ブリッ!!ブリッ!!ブリッ!!
「あは~ん、うんこが小父様のうんこが私の中に入っていくの~~!!」
「気分はどうだい?これで私の一部が君の体の中に入ったわけだが」
「気持ちいいです」
「しばらくそうしていなさい」
1時間後
「小父様!!もう!もう漏れそうです!!小父様のうんこが出そう…ウっ」プリッ!
「仕方のない奴だ。ではこの皿の上にしなさい」
「こんなところに…ナイフとフォークがあるのはどうしてですか?」
「それはね、君が食べるためだよ」
「うむ、こんもりと山盛りになったな。ん?少し多くないか?」
「どうやら君は自分の分まで出したようだね。厭らしい女だ」
「私は厭らしい女です…」
「ではその厭らしいところをもっと見せてもらおうか。ほら、食べなさい」
「た、食べるんですか!?」
「さっきも言ったろう。何を聞いていたのかね。ほら、口を開けなさい」
「おいしいです。小父様」
「それではもう一度しようか」
「嫌なら私との関係はこれまでだな」
「待って下さい!私受けます。小父様のうんこを私の体で受け止めさせて下さい」
また同じことを繰り返す。ブリブリブリ!!
「さあ、この状態で1週間我慢して、お腹の中で熟成させるんだ」
「そして今度は一緒に食べよう。もちろん君の分と混ぜてね」
今日私は処女を失いました。お尻の方の処女です。しかも殿方のうんこで。
もう私には普通のSEXはできません。好きな男性の一部を体の中に入れておくことができるなんて。
あ~、毎日が愛おしい…早く熟成されないかな。そしてあの方ともう一度…
あの聞いた直後の反応は非常に奇妙な感じでして、これはもうなあんだといわれるかもしれんけど、まっ先には、ああ、これでもう戦争に行かなくて済んだ、死なずに済んだというエゴそのものの感情でしたね。ということは、あの当時のある年齢から上の男、働いているサラリーマンなんかはだれでも持っていたと思うんだけれども、いつまた赤紙がくるかわからない。こんど来たらもうおしまいだという感じがあるわけです。
「今夜はオレの家がやられるか」
「帰ったらオレに赤紙が来てるか」
といいあうのですね。これが「今夜一パイ飲みに行くか」「いや、きょうはやめておく」「じゃ、また」の感じで、ふだんの会話だったのですね。
これだけでどこのことだかわかってしまう飲食店があるとすれば、店側からすれば実に不名誉なことである。が、実際あるので仕方がない。聡明な読者の皆様におかれましては、俗世の情報を全てシャットアウトした寡黙な山の修行僧でもない限り、あるいは大地を踏みしめ草木を愛し日々必要な分だけの命を頂き神に感謝して暮らすトラディショナルな生き様が美しい異国の民族でもない限り、もうこれが何を指しているのかはスイッチを入れれば電球に明かりが灯るが如くおわかりかと思う。
半径200m以内に競合する三つの同業他社の店舗があるとしよう。今回話に出している、仮にA丼屋としよう、A丼屋という店は、同じ日の同じ時間に働いている従業員の数が他二店より必ず一人少ないのである。そしてこれは働いている側の実感からすると、「最低限の人数」ではなく、「最低限の人数-1人」なのだ。やってみると、これ結構大変である。
しかしながら、店舗に在中する人間の数を減らす、というだけならまだマシ。そう、それくらいならまだよかった。
真の問題はそのシステムにある。まずは営業報告書についての話をしよう。
A丼屋の営業報告書では、1日を4つの時間帯に分け、各時間帯ごとに営業報告書を記入し、本社へファックスを送るという仕組みだ。次の時間帯に切り替わるまでに売上データの集計、売上を計算し金庫に保管、ほぼすべての食材の在庫量をチェック、その時間帯に働いた従業員の労働時間、などを記入する。ちなみにここ、出勤はタイムカードではなくこちらの営業報告書への記入で申請する。他に勤怠報告書というのもあり出勤の度に2種類書かなければならないのだがこの話はここでは割愛する。
忙しくて営業報告書のファックスが間に合わないと、本社から催促の電話がかかってくる。毎度この本社電話口と店舗の温度差やべえな、とは思うがまあそれも本旨から外れるのでカット。慣れているアルバイトは催促の電話を無視して終わり次第送ったりすることもあるし、そもそも忙しすぎて電話を取れないこともある。(余談だがA丼屋の電話は顧客へ番号を公表していないため、本社や社員、ならびに業者からしかかかってこない)
この営業報告書には「労時売上」という項目がある。これがA丼屋のブラックたる由縁であると言って間違いはない。では、なんぞこれ。
先ほど営業報告書の記入項目に「その時間帯に働いた従業員の労働時間」を挙げた。これは、例えば昼帯の営業報告書に記入する際、「7時から12時まで3人働いた」ということであれば、5時間×3で「15時間」と記入する。全員の時間を足すとかちょっと何を言っているのかよくわからない。公式を覚えず数学の試験に臨んだエキセントリックな学生が、意味も根拠もないのに「とりあえず足してみるか…」と奇行に走る、なんかあの感じを彷彿とさせる。
そして件の「労時売上」というのは、総売上から消費税を除いた額を先の労働時間(例で言えば15時間)で割ったものである。つまるところ「1時間あたり従業員1人がどれだけ売り上げたか」の額であるらしい。へー。 なんか寒気が。
問題はここから。この労時売上が目標額(最初は5,000円と聞いていたが、エリアを管理する社員によって増減されることもあった)に満たない場合、なんと架空の休憩を取らされるのである。営業報告書に記入する労働時間を減らすのだ。そんなことを研修の段階から指導される。
熟練アルバイターは「もう今日は暇だな」と察すると、シューティングゲームで言うところの「置き」のように見越し休憩を回したりもする。その後混んだりすると悲惨だが。
僕らはこんなアコギな経営の片棒担ぐために義務教育で算数を習ったのだろうか?いや違う。隔月で高級ソープに通うためには毎月の生活費をいくらにすればいいか、ということを計算するためだ。と、童貞が申しております。筆者は素人童貞ですらないのだ。
いやらしい話にそれたが、それ以上にいやらしいのは売上目標とアルバイトのシフトを達成できるかできないかというギリギリのラインで組むというやり口だ。自分のいた店舗では、土日の昼、いわゆる稼ぎどきの店舗を高校生3人だけで回し、毎度どう時間を削るかの相談をしていたこともある。
その上、忙しすぎて残業をせざるを得ない状況においても、売上目標の達成だけが優先された。サービス残業の強要である。進んでサービス残業をするアルバイトまで現れる始末。「ほったらかしにして帰ることもできるが、この後に入る同僚のため、そして何より食べに来るお客様のため」と残業をし、しっかりとその時間分残業を申請したところ、「お前のせいで目標クリアできなかった」と長期間シフトを削られた。削られた分は別の社員からの他店舗ヘルプ要請に応じることで稼いでいたが、このときやっと何かがおかしいことに気付く。
ご存じの方も多いかもしれないが、このA丼屋には店長も社員も常駐しない。夕方の暇時は女子高生一人しか店にいないなんてこともある。もうこの時点で労働法の皆さんが握り拳をバキバキ鳴らす音が聞こえてくる。あ、目が赤く光ってる!
ちょっと思い出してみてほしい。もしくは現物を取り出して見てほしい。飲食店のアルバイト募集を見ると、ほとんどホールとキッチンで分かれていないだろうか。しかしこの店は分かれてない。一人勤務となれば、たった一人のアルバイトが「いらっしゃいませー!」と言ってお冷を出し注文を取り、調理をしてそれを提供し、お会計とお膳下げにテーブル拭き、食器洗浄からの食材仕込み、までやっているというわけだ。法的にアウトらしい、これ。能力的なできる・できないの話ではない。
最近アルバイトが辞め過ぎて閉店を強いられる店舗が多いと聞く。固形燃料で火をつける鍋物新メニューの提供があまりにエグい、というのが今まで我慢してきた従業員がプッツンした理由だ。
丼を二つ乗せたトレーを両手でバランスよく持ちダッシュで安全にお客様の元へ運ぶことを強いられる環境下にあって、このメニューの登場は致命的である。ファミレスなどとは違ってゆっくり歩いての接客はマニュアル違反となる。とにかくスピードを求められるのだ。
準備に時間がかかり火を使い危険、だというのにこの業界の客というのは5分待たされただけでキレるときたもんだからたまったものではない。一人勤務にされる深夜などは立地により終電後に大量の来客があるため、一人で仕事をしている中この鍋物メニューの注文が相次いだとなればまさに地獄絵図である。(ただでさえ深夜は清掃や配送された食材の受け取りなどこの時間帯限定の業務が多い)
基本的に人手が足りなかったり、退職者も多いため近隣他店舗へのヘルプ要請は多い。まあこれについてはどこでもあることだと思うのだが、そこはA丼屋。ヘルプで入ったら勝手のわからないその店を高校生が一人で営業していた、なんてこともある。
ヘルプで行ったまた別の店舗、こちらはエリア内でもかなりの大型店舗で、熟練者も多いところ。ここでは税金対策のため、多くの従業員が仮名を使い籍を二つ有していた。え?いいの?それ。。とにもかくにも滅茶苦茶に忙しい店舗であり、だいたいみんな働き過ぎである。
他にも別店舗に彼女を作った店長が会う時間を作るために深夜勤務をしなくなり必ず週1~2日の休みを取る中、副店長に深夜~午後などのハードワークで50連勤を押し付けるなど個人のパワハラなんかもあり、15名ほどいたアルバイトは12、3名ほどがごっそり辞めた。まあなんかこれは企業というより個人の悪質性によるものなので趣旨からは外れるのだが…。
疲れ果てた末に、労働法とか、人的資源管理とかっていうものを調べてみたりすると、頭の中の岡村靖幸が歌い出す。
いつだったか、近所に店舗のある別企業の従業員が自殺したという話を聞き、大手の飲食チェーンでは働くべきではないと胸に刻んだのだった。
納品は弁当だけなら一日三回だな。チルドや菓子、タバコ、本、新聞を入れたら合計何回になるかは知らん。昼間は入ってなかったからな。
品出しに決まった時間はない。入れるだけいれて、あとは少なくなっていたら足していくだけだ。陳列棚がスカスカじゃなけりゃいい。
発注は俺の居た時間帯では1回しかしてないが、追加発注なんかを考えると店長が合計何回やってたかは知らん。
清掃は昼間はポリッシャー無理なので深夜一回だろう。業者頼んでる所は月1、2回できっちりやってもらってる。
掃き掃除等の軽い清掃なら、時間が空いてる時に軽くやってたが、それも決まった時間はない。
時間帯で区切ってちゃ回らないよ。客が少ない時に全部やるだけだ。つーか回数とかもう昔すぎてそんな覚えてない
そもそもこんなん聞いても経験してるかわかんねーだろwwwググれば全部出てくるわwww
実際にやってないと分からないのはどういう細かい業務があるかだ。
本の処理(検品、返本処理)、お菓子やジュース、雑貨、本等の陳列棚作り・配置替え・前出し。
期間限定のポップの貼り付け、期限切れポップの除去、トイレ・駐車場の清掃、灰皿・ゴミ箱の回収、
宅配・郵便の処理、マルチコピー機の使い方を全部覚えて説明出来るようにする、レジのシステムが変わればすぐ覚える。
カードの発行、予約商品の受付、売れ行きを予測してホットスナックや肉まん・おでんの調理、深夜に調理器・住器の清掃を毎日行う。
スタンプラリー等があれば子供の相手もするし、あまり売れない商品棚には埃がかぶりやすいから羽で飛ばして清潔さを保つ。
夏場であればガラスに虫が大量について、クソを塗りつけていくからそれを深夜のうちに剥ぎ取る。冬場であれば雪の凍結等を考えての雪かきを行う。
発注する時には、売れ行きや天気、店の特性を考えて発注するし、よく来るお客さんには決まって買っていくものを用意しておいてやるとか(タバコとか)
キャバ嬢が泣きながら保護求めてきたら警察呼ぶとか、急性アル中の患者が来たら救急車呼ぶとか、色々あるだろ。
こういう事プラス普通の接客がコンビニ店員に求められてるだけだ。量も少ないしどれも単純だろ。
これで満足ですかね^^?
最近話題のコミュ障だけど、増田記事でコメントしてる人たちの多くは場数を踏む回数が少なかっただけで治そうと思えばどうにかなるタイプが多いと思う
「どうにもならないタイプ」というのはもう存在自体が外見態度口ぶりからして不快指数高い
昨日の晩そんなタイプが来て怖かった。臭くて髪ぼさぼさで肌も汚く目が逝っちゃってるし、仕事の用事が終わっても帰らず世間話をしたいらしく何の脈略もなくネトウヨしかしないような話題
を振って来たので「お願いだから一生引きこもっててくれ」と酷いことを考えてしまった
その人にも事情はあるんだろうけどその身だしなみと態度で嫌な顔されない異性としゃべりたいならキャバクラに金払って行って欲しい
丁度夜一人で居た時だから怖かった。今度から別の会社に頼もうっと 思い出すだけで吐き気が来そうなほど気分悪いので増田に書き捨てて記憶から削除したい
ちょうどその時洗濯物をしていたので、後で見ようと放置していた。
なんてちょっぴりドキドキしながらメールを見た。
差出人:母
本文:左側が痺れてろれつがまわらなくて、軽い脳梗塞です。心臓にペースメーカーを入れているので、MRIは使用できないので詳しい所まで検査が出来ないようです。〇〇病院の8階8H6に入院してます。あんたが来てくれたら元気になるかも(笑)
は?
脳梗塞?
倒れたの?
いつ?
なんで?
心筋梗塞??
疑問で頭がいっぱいになった。
親父からは何の連絡も無い。
いくら仲良くない親子だったとしても。
現在22時。
こういう時に限って間の悪いメールが来る。
よし、面会に行こう、すぐに。
そう思って病院の面会の時間を調べてみると、面会時間は20時迄。
今はもう23時。
今日はどうやら無理だ。
胸がざわつく。
軽く動揺してる?
でもそれほど慌てていない自分を少し冷たいと思った。
明日の朝行くよ。
と、メールして寝ることにした。
布団に入ってからもしばらく色々な思いが走馬灯の様に思い出されて眠れなかった。
まぶたのうらに母の麻痺して歪んだ顔がちらついた。
他に怪我はしてないかな?
親父はとても一人じゃやっていけないんじゃないか。
また手伝わなきゃならないのかな?
早く結婚しておけばよかった。
こんな時に家族がいたらきっと心強かっただろう。
朝になった。
時刻はすでに8時を回っていた。
寒さで布団から出られないが、起きなきゃ。
でも、眠気に負ける。
ごめん、おかん、親不孝な俺を許して。
まどろみの中で問答を繰り返す。
仕事の支度を済ませる。
いつもは慌ただしい朝だけど、今日はずっと落ち着いていた。
道中様々なことを考えた。
思えば、ここのところ立て続けに悪いことばかり起こってる。
その2ヵ月後祖母が突然倒れ他界。
継いでからちょうど1年後、自分は親父と喧嘩して家を飛び出し、今は運送業で働いている。
母の負担は一気に倍増したはずだ、辛労が祟ったのかもしれない。
俺も加害者だな。
すまない。
母方の親戚には結婚の事、仕事の事で色々言われていたので、また言われるかと思うと気分が重くなった。
そのS病院では祖母の姉も亡くなっていた。
医者も足りず、ほとんど助からない…S病院のいい噂は聞かなかった。
きっと母はそこだけは避けたのだろうと思った。
病院の駐車場へ止め、エンジンを切ってドアノブに手をかけた時だった。
昨日よりもずっと強く、悲しみが胸を貫き、涙がこみ上げてきた。
ここに来てようやく実感が湧いてきたらしい。
胸が苦しくなって嗚咽が出た。
しっかりしなきゃ。
母の前ではせめて笑おう。
足取りを確実に、メールに書いてあった8階8H6を目指し院内を奥へ進む。
途中エレベーターに乗り換える。
8階について、一際大きくなる不安と悲しみ。
ここに、変わり果てたおかんの姿が…。
そう思うと足取りがずっと重くなった。
そこから先はE8F8G8H8と4方向に分かれていた。
どこにもH6なんて無い、間違えたのだろうか。
ちょうどそばにいた掃除のおばさんに尋ねてみると、H6は6階だと返答が返ってきた。
メールに書いてあったのは8階。
階は間違ってないだろう…もしかしたら8HとH8を間違えたのかも。
そう思ったら涙が出た。
ナースや掃除の人が忙しそうに働いている間を抜けて、部屋の上の番号を確認して一歩一歩進んでいく。
誰も自分に興味を示さない。
1…2…
途中目に入る病室の中は、
お歳をめしたご老人ばかりが目についた。
3…4…
近づいてきた。
心臓の鼓動がはっきりと響いてきた。
5…
次だ。
6。
ここだ。
部屋の入口に貼られた名札を確認する。
6人べやで上から順に名札を見ていく。
果たしてそこにあったのは
増田…
公造
…それは爺さんの名前だった。
精神病であるのならばどれだけ理不尽な主張であっても許されるのだろうか。扶養家族はそれを受け止めなくてはならないのだろうか。
姉の話です。姉は高校を中退してからというもの、もう十年以上も精神科に通っている精神病患者です。重度の欝と統合失調症とを抱えているのだそうです。詳しくは知りません。もうかれこれ何度か入院も経験しています。癇癪持ちでもあるようで、今なお家庭内暴力を振るいます。
お陰で、愛犬からも怖がられている始末です。以前は暴走(感情が昂ぶって、家族と口論したり自殺未遂をしたりする状態)が始まると心配そうに間に入ってくれたそうですが、今やそそくさと部屋から逃げ出してしまうのです。
私も含め、家族にはもう諦めしかありません。姉の過去にどのような問題があったのか、具体的に把握できない上に、過ぎ去ってしまったこと故に施しようがないからです。にも関わらず姉は過去のことを持ち出し、家族に、とりわけ母にあたります。どれほど謝ったところで意味など無いのに。姉自身が謝罪を受け入れようとしないのです。
姉は、謝罪を拒絶し徹底的に信じないことによって、かえって母を脅迫し返してくるのです。自分など居なければいいのだろう、死んでしまえばいいのだろう、そう思ってるんだとだけ繰り返し、否定は一切受け付けない。それどころか、ますますひどい猜疑心に陥っていくばかりなのです。
例えば、母の体を抓ったり手に噛み付いたりしていてその行為を拒まれた場合や、恥ずかしい話ですが頭を撫でて貰えなかったりすると、暴走への種火が付いてしまうのです。そもそもにおいて姉は、自意識と自己愛、プライドといったものが極端に高い人なのです。そういったものが高すぎるがゆえに、絶えず他者に対して劣等感を抱いているのです。姉自身が一番嫌っている他者との比較を、意識的にか無意識のうちにか、率先して行なっているのです。
その苦しみなり憤りが内側で爆発しないのが姉なのです。自身の存在意義を徹底的に見限っているくせに、他者には、とりわけ最後の砦としての母だけには認めてもらいたいのです。しかしながら、存在意義を全肯定してくれる母の言葉を信じることができない。結局、堂々巡りなのです。
姉は自らの価値観を傷つけられることに敏感である割に、平気な顔して他者のことを貶してしまえる人間です。無論それは家族の前での面なのでしょうが、性根が悪いと言わざるを得ないこともまた事実であろうと思うのです。家族として、こんな分析をし憶測までしてしまうことはひどい行為なのかもしれませんが、過去の問題もまた然るべきして生じた出来事であったのではないかと思ってしまうのです。
正直なところ、私は姉が大嫌いです。この世の中で唯一具体的な嫌悪感を覚えることのできる相手であるのです。
とは言え、このまま放置することもできない。姉がどうこうと言うよりも、母の精神が心配なのです。
昼過ぎまで寝ていて、ネットとゲームだけして、食ってまた寝る姉の歪んだ生活サイクルに、母は振り回っされぱなしなのです。昼過ぎまで寝ているので夜眠りにつきにくい姉は、睡眠導入剤を呑んではいるものの、深夜になると暴走への兆しがぽつぽつ見られるようになります。気持ち悪いくらいに母に甘えたり、ろくに運動もしていないのにマッサージを強制するのです。拒めば暴走が始まって、死んでやるからと家を飛び出す始末です。
母には母の生活があり、仕事があるのです。にも関わらず、毎日夜一時ぐらいに寝て、六時には起床しなくてはならないのです。姉のご機嫌を取りながらです。疲れなどとれるはずがありません。ここ数年で白髪がめっきり増えたように思います。
母だけではなくて、私もまた姉という負担を負わなければならないのだとは思います。姉が母に要求をすることがないよう気を配ったり、意識を逸らしたりするべきなのかもしれません。暴走が始まった時も、上手く立ちまわることが出来ればいいのです。首に包丁を当てて自殺をほのめかす姉を、どうにか押さえ込むことができたらいいのかもしれません。
私は卑怯者なのです。臆病で面倒くさがり屋で、家族とさえもそれほど距離を縮めようとは思わない、またそう思うことで責任逃れをはかっている最低な人間なのです。
ただ、私にはもうどうすることもできないし、どうすることもしたくないのです。無視してしまいたい。姉なんて、いなくなってしまえばいいと思うのです。
それでも、現実問題として姉は依然として母に寄生しているし、お陰で母が苦しんでいる。私はどうにかするべきなんです。でも、どうすればいいのかわからない。
行動を起こすことが怖いのです。大嫌いな姉だけど傷つけることが怖いのです。私は責任を負いたくない。誰かと真っ向からぶつかって、何かが決まってしまうことが嫌なのです。
反面、もう傷つけられ続けることだけには我慢ならない。自分でも我侭なことを言っていると思います。どっちつかずのまま愚痴ばかり言うしか脳のない人間なんです。
ただ精神病患者だから、過去の出来事の被害者だから、弱者だからといって、泣き叫び喚き散らかし、依存できる環境に浸りきったまま我欲を他者に押し付けることは、被害者であったはずの人物が加害者の側に立ち変わっていると言っていいのではないでしょうか。姉の言動を病気なのだからと受け入れ、容認することは、加害者に優しくしているのも同然なのではないでしょうか。
母を筆頭に、私たち家族は姉のお陰で随分と傷つき苦しんでいるというのに、あんまりじゃありませんか。
私たち家族にできることなどたかが知れています。そんなことはわかっているのです。私たちは耐えなければならないのだし、待たなければならないのです。いつになるともわからない姉の快方を、息を潜めたままじっと待ち続けなければならないのです。そうするしかないじゃないですか。誰の言葉も届かないのですから。
母が姉の甘えをやんわりと拒むことができたらいいのかもしれない。あるいはいっそ、家族のことなんて見捨てて考えないようにしてしまえばいいのかもしれない。もちろん、私自身がうまい仲裁役を買って出るのが一番なのかもしれません。及び腰の癖に問題意識は一著前、なんていかにも卑怯で格好悪いですから。
今年の春に上京して、少し経った頃に彼女ができた。もともとツイッターで話をしていて、東京に来たのをきっかけに会うことに。すぐに意気投合して、会った次の日には付き合うことになっていた。
笑いのツボも、価値観もとても近くて、お互いの趣味が一緒なのも嬉しかった。彼女が何かを話して、自分が同意をすると、こどものような顔をして喜んで甘えてくれて、それがとても幸せだった。
自分にとって初めての彼女だったから、変だと気づくのが遅かったというのはあったと思う。
半月が経った頃、彼女から「元カレにDVされて、怒られるのがトラウマ」「家族が重度の障害を持っている」「DVの影響でこどもが授かれず、もしも授かっても遺伝的に障害がある可能性が高い」との告白を受けた。今の父は実の父ではないだとか、他にもそういう話はどんどん出ていたので、彼女のことが好きで好きで舞い上がっていた自分は「なんて不幸な生い立ちなんだろう。いや、不幸っていう言い方はよくない。そういうのが幸せだと思っていたんだ。じゃあ、自分が本当の幸せを与えてあげよう」としか考えられなくなっていった。10年20年を考えた付き合いをしようと改めて伝えると彼女はとても幸せな顔をしてから、「あなたが今までの人の中で一番です」と泣いた。
彼女はほんとに些細なことで不機嫌になって、数時間で上機嫌に戻る。不機嫌になると(今思えば都合よく)眠くなったり疲れたり頭痛になったり、でも仲直りするとそんなことなかったかのようにはしゃぎまくる。ジェットコースターみたいな毎日で、刺激的ではあった。JRでお互いの住む地域まで1時間以上かかるのに、一月の7割近くは会っていたと思う。
トラウマに触れないように、自分は徹底して、彼女のわがままな言動に一度も怒らないように接していた。「他の女性とツイッターで会話されるのは嫌だ」「多人数でも他の女性と会われるのがいやだ」と言われたのでやめるようにしたし、「男友達と会った時も浮気だと考えてしまう」と言われたから毎回会っている人の写メールを送った。それでも疑われるのでなるべく会わないようにしていった。夜の十時に「今から(終電まで)会いたい」と言われたら一時間かけて駆けつけたし(無理だとかメールにしようと言うと「会いたくないんでしょ」と怒る)待ち合わせ場所についてから2時間経ってからキャンセルの連絡が来ても怒らなかった。ほぼ毎日深夜に電話を2時間以上したり(たいてい向こうは途中で寝るので切ろうとすると怒ったり、10分出るのが遅れると浮気を疑われたりした)、メールを一日最低30通したり(5分返信がないと「嫌われたかなあ」だとか「メールする気ないならやめる?」と怒られる)。急に激怒されても、嫌な気持ちにさせてしまった自分が悪いと謝った。向こうが元カレとツイッターで会話していたり、自分に課してくる注文と同じようなことを彼女が守らなくても、何も言わないようにした。我慢はできたし、指摘したら「じゃあもういい、ツイッターやめる!」みたいにありえないほど怒るから。怒っていない彼女はとても甘えてくれて好きだったから、怒らせないように必死になっていた。
でも、数ヶ月が経ったある日、彼女に好意を持っている男(彼女はそのことを知っている)と、彼女の友達と、彼女の3人が飲みに行った。ちょうど前日に彼女が不機嫌になっていたこともあり、あてつけとは言えど、好意を持たれているとわかっている人と少人数で会われるのはさすがに嫌だったので「あまりそういうのは行かないでほしい」と諌めると、彼女は「怖い」と言った。次の日、再びその男と一昼夜一緒に過ごした彼女は音信不通になった。数日後にメールで連絡を促すと手の平を返したような態度しか見せず、結果別れるということになった。今は彼女は、その男と付き合っている。
彼女がいなくなった頃、見計らったように境界性人格障害(ボーダー)のことを知って衝撃を受けた。ほぼ全ての項目が彼女に該当していたから。
・見捨てられる不安や恐怖心が強い
・他者を過大に評価し理想視していたかと思うと、急にこきおろしたり激しい攻撃性を向ける
・人と適度な距離感を保てずグレーゾーンのない好きか嫌いかの両極端で不安定な対人関係しか持てない
・感情の起伏が激しく自分で感情をコントロールすることができない
・虚言が多い
・キレやすい
・自己主張する割に甘えが強い
・ダッコなど3、4歳のような愛情を求める
・最も身近な相手を振り回し、相手が自分を見捨てないかを試し続ける
・嫌われたり捨てられるのではないかという恐怖心や猜疑心から攻撃行動をとりやすい
・時に自ら嫌がられるようなことをわざと行ない「ほらやっぱり私を見捨てた」などと相手を困惑させる
あのあてつけは「試し行為」であることを知った。愛されていることを確認するために、相手の嫌がる無理難題を持ちかけて許してもらおうとする。でも、例えそれをクリアしても要求はどんどんエスカレートするから、結局いつか破綻する。ボーダーに「そういう愛情表現は間違っている」と言っても通用しない。彼女はまともな愛情表現を知らない人だから。
一度だけ、音信不通の時に彼女のバイト先の駅まで行った。別れるにしても直接話したかったし、前にこっそりバイト先に訪れた時は喜んでくれたし、不機嫌から上機嫌になるのもこちらから水を向ければ今まではあっという間だったから。でもその日は会ってくれなかった。
後に彼女の共通フォロワー伝いに聞いた話だと、自分は「"毎日"最寄り駅で"待ち伏せ"している怖い人」という扱いになっていた。彼女の頭の中の罪悪感が、嘘にならない程度に誇張され、彼女が悪くない方向に正当化されて、それが絶対の考えとなる。こちらから訂正を求めたくても、ストーカー同然の扱いをされているため、無理に近寄ったら「怖い」と言われる。彼女の周囲の取り巻きには彼女しか近寄れないし、心情的に彼女の味方をするから、当然自分が悪者になった話を真に受ける。元カレが一番距離的に遠くなるのを、無自覚でわかっているのだと思う。浮気や大量のわがままをしてきたのは彼女なのに、全ての罪を自分に転嫁されて、「元カレはひどかった」「わたしは男運が悪い」と周りの男にアプローチ。そういう言葉につられてやってくる男を捕まえて、付き合い始めの楽しく甘い部分だけを吸って、ボーダーの症状が出る頃に次のターゲットを見つけて乗り換えてここまでやって来ていたということを、別れてからようやく気づいた。
詐欺とは違うのだと思う。詐欺は初めから相手を騙すことを考えているけれど、ボーダーは騙す気はなく、好きでいる瞬間は真剣に好きなのだろう。彼女も自身のことを「わがまま」「ツンデレ」「やきもちやき」という風に捉えていた。彼女の中では、恋愛下手なわたし、なのだ。
だけど彼女は反省と学習をできない。反省は自分が悪いと思わないとできないから。彼女は自分に都合の悪いことを全部相手が悪いと正当化してしまう。新しい恋人とも今は楽しいだろうけれど、絶対に自分のような流れで失敗するし、次も、その次も同じことの繰り返しになる。
最近、新しくできた彼氏のツイッターをのぞいてみると、「あなたが今までの人の中で一番です」というようなことを言われた、と舞い上がっていた。時期から何まで、まったく同じパターン。ちなみに、この人が彼女にとって20人目の彼氏。彼女は20代前半。
今考えるとありえない人だったけど、深い仲になった恋人にしか本性を見せないから、周囲の評価はすこぶるいい。真実を知っている恋人はカットアウトして「ひどい人だった」「わたしは断れない性格」とアピール、周囲は「かわいそうに」「あなたは優しすぎる」ともてはやす。本人は悲劇のヒロインとして構ってくれることに喜び、元カレたちだけが割を食う。すごくよくできたシステムだと思う。
DVの元カレも、本当の部分はあれど、それほどひどい人ではなかったのではないか、と思うようになってきた。自分の行動で、ひどいストーカー扱いになるくらいだから。彼女の話もどこまでが本当なのか、今では疑わしい。
ボーダーの人は、初めに恋人を理想化するから、その時の異常なまでの好かれ方がまだ残っていて、たまに思い出すとつらくなる。不機嫌になった時は全人格を否定されるようなことを、彼女なりの正しい論理でとことん突きつけてくるけど、逆に上機嫌の時には、全人格を肯定しても足りない、というほど肯定してくるから、今後あれほど好かれることがあるのだろうかと不安にはなる。
でも、ずっと続いていたら確実に依存になってしまっていたと思うし、友達や仕事も全て悪い方向へ行ってしまったと思う。そして何より、彼女は見切りをつけたらあっさり次へ行く。彼女にとっては構ってくれる人なら誰でもよいから。だから深みにはまる前に別れることになってよかったのかもしれない、と今では思う。覚せい剤みたいなもので、向こうに完全に自分を委ねていたら、いなくなった時に耐えられなかった気がする。自分は彼女を愛していたけど、「ある日いきなり消える可能性を孕んだ二人だけの世界」で生きることは無理だった。一回相手を諌めた程度でなくなってしまう関係は対等ではないことに、ようやく気がついた。
一度彼女が最高潮に怒って(「会いたい」と連絡が来たので、会ったら「疲れてるんだけど」と怒られた)、その時「他人を信じてもどうせ裏切られるだけだから、初めから信じない」「信じているのは自分だけ」と自嘲気味に言ったことがあった。
でもきっと、彼女の中にはちゃんとした自分がないのだと思う。ずっと逃避して生きてきたから精神が途中で止まっていて、それを認めるのがつらいから、正当化するためにカメレオンのように恋人に言動を合わせて、これが自分だと思い込む。指輪をひけらかすように、のろけを強要して、「わたしの彼氏はこんなに愛してくれるのよ」と周囲に見せびらかすことで自己肯定をする。ボーダーの典型的な症例らしい。
「新しい恋人と性格がぴったり」と、まるで懲りていないツイートを見て、そう感じた。自分と彼女の性格が運命的に合っていたのではなくて、実は無意識に向こうが合わせていた、というのが一番悲しかった。
つらいこととかから逃げないで、自分のダメな所と向き合って、じっくり解決していこうと何度も言った。壊れそうな人だから大事にしたい、と思った気持ちに嘘はなかった。
でも相手はもう壊れてしまっていた。
ボーダーであることを教えたい。けれど、今は話を聞いてくれる立場ではないし、他人に戻ってしまった自分の役割ではないのだとも思う。
それにやっぱり、正直もっと不幸な目にあってしまえ、と思っている自分がいる。
やがて来る就職活動国際化時代を生き残るための知恵 http://kaigai-shushoku.blogspot.com/2010/06/blog-post_16.html
企業依存症、日本依存症の人が増えています。企業への依存とは、ある特定の企業でしか通用しないスキルばかりを修得してしまったがために、他の会社で通用しなくなってしまうことです。企業へ依存してしまうと、会社が傾き待遇が悪化しても、つまらない仕事ばかりさせられても、人間関係がもつれても、家族がいるのに転勤を強要されても、会社に行くのが心の底から嫌になっても、「不満を抱えて働き続ける」「路頭に迷う」「やりたくない他の仕事をする」「自殺」の四択を迫られてしまいます。
日本依存でも同様のことが言えます。自分自身が気をつけていても、他の人があほな政治家に投票をしてしまい、おかしな政策を打ち出されることもありえます。例えば、スロバキアのように、子供を手当てを行った結果、貧困層が手当て目当てで子供をたくさん作り、財政が逼迫したから、子供を手当てを打ち切った結果、貧困層が路頭に迷い、犯罪が増加し、富裕層が夜一人で出歩けないようなことになってしまうかもしれません(※1)
また、日本が未曾有の不況に襲われることもありえるし、公教育の質が低下して技術者が育たず、お隣の国に車でも電化製品でも負けてしまい、日本そのものの国際競争力が低下してしまい、大勢の従業員を抱えた車やエレクトロニクス産業が低迷し、関連企業や関連産業の雇用が悪化して、自分がクビをきられるかもしれないし、クビを免れても従業員が減ったしわ寄せが自分に来ることもありえます。
自分がどんなに気をつけていても、こればかりはどうしようもありません。そんな時、日本から脱出できなければ自分はもちろん、自分の家族や子供も、自分と同じ苦しみを背負うことになります。そうならないように、どんな時代でも、どんな場所でも働けるような、普遍性の高いスキルを身に付け、いつでもどこでも働けるように備えておくのが重要です。
スキルは、"soft skill(ソフトスキル)"と"hard skill(ハードスキル)"に分けることが出来ます。この二つの言葉は、まだ日本では耳慣れない人も多いかと思いますが、欧米のビジネスの場では比較的一般的な観念です。(※2)
ソフトスキルとは、人当たりのよさ、コミュニケーション能力、リーダーシップ、振る舞いなど、他社との関わり方を決定するスキルで、EQ(心の知能指数)と深く関わっています。
EQテスト http://www.unnmei.com/eq.html
ハードスキルとは、 特定業界に関する知識、数学や経済学などの学問、会計などの実践的な技能、言語、コンピュータスキルなど、IQと深く関わっているものです。教育機関で教わることも、独学で学ぶことも比較的簡単にできるのが、ハードスキルです。
日本の新卒採用では「コミュニケーション能力」などのソフトスキルが非常に重要視されますが、日本人が世界で働ける普遍的なスキルを持ちたいと思ったなら、ソフトスキルよりもハードスキルを重点的に磨くべきです。
ソフトスキルはハードスキルと比べて、文化に大きく依存します。例えば、はっきりした物言いはアメリカではソフトスキルが高いとみなされますが、日本ではむしろソフトスキルが低いとみなされる傾向があるでしょう。
ただし、ソフトスキルが飛びぬけて高い人なら、話は別です。今まで接したことがない未知の文化を持つ人に対しても、表情や仕草などから、その人の感情を読み取り、瞬時に適応することが出来る人もいます。
しかし、そんな飛びぬけたソフトスキルを習得するのは非常に困難です。表情から心理状態を読み取る方法や、心理学などを勉強し、さらに実践を重ねれば、どの国の誰に対しても、うまく接することが出来るようになるかもしれませんが、膨大な時間を費やすことになるでしょう。
また、欧米では一般的には「専門的な技能を持った即戦力」が求められている人材です。外国人なら、特にそうです。外国人を雇って、現地人より教育にコストがかかってしまうのでは、わざわざ外国人を雇う理由がありません。
以下の条件を満たすハードスキルがより普遍的であり、習得すべてきでしょう。
2. 長期的な需要が見込める
3. 供給が不足している
4. 流用可能
(例、英語、プログラミング、教育学、料理、Windows、Microsoft Office、Supply Chain managementなど経営学、etc)
国や文化に依存せず、一度習得してしまえば多少の応用するだけで、多くの国で使える技術や知識が「世界中で需要がある」スキルです。どの国の経済も好調なときや不調なときがあります。今は経済的に強い国も不調だったことがあります。日本もそうです。わざわざ景気が最悪な国で働く必要はありません。日本の景気が最悪であれば、少しでも景気が良い国で働くことが賢い選択ではないでしょうか?
それを実現するためには、世界的に需要があるスキルを身につけることです。例えば、英語はすでに国際語ですので、英語を使えれば世界中どこで働いても、研修を効率的に受けられます。そのため、企業からすればその分コストを低く抑えられるのです。
2、長期的な需要が見込める
何か一つスキルを習得したとしても、そのスキルそのものの価値が下がってしまっては下も子もありません。例えば、ある会社の営業がある製品の特徴について必死に覚えても、その製品が発売されなくなり、類似製品や後継製品なども全て生産終了したら、その製品の知識は全て無価値になり、そのスキルに対する需要は激減します。そうならないように、自分が退職するまでは需要が見込めるようなスキルを習得することが重要です。(※3)
3、供給が不足している
世界的に需要があるスキルでも、すでにそれを習得したライバルがたくさんいて、供給過多になっている状態では就職できるかどうかわかりません。しかし、供給が不足しているスキルを習得していればライバルが少ないので、比較的簡単に仕事が見つかります。
しかし、「どこで」供給が不足しているか見つけるのは困難です。例えば、日本には日本語修得者がたくさんいるため、日本語修得者の供給は足りていますが、スロバキアでは日本語修得者の供給が足りていないか、かろうじて足りている程度です。また、プログラミングやパソコン全般に関する技能に関しても、 IT産業では有り余っていても、例えば服飾産業のA社では「一人か二人いてくれたら非常に助かる」と、供給が不足している可能性もあります。ただし、企業自身も自分に何が必要かを理解できない場合があるので、常にアンテナを広く張っている必要があります。
4、流用可能
2、「長期的な需要が見込める」で記しましたが、需要があったスキルもその価値が失われる可能性があります。しかし、修得したスキルの大半を他のスキルに流用できれば大きな問題にはなりません。例えば、C言語がなくなったとします。そして、新たにD言語というのが生まれて、英語ではなくドイツ語をベースとしたプログラミング言語になったとしても、C言語から得た、「プログラミングの考え方(アルゴリズムなど)」は失われないので、始めてC言語を勉強したときよりは早くD言語を修得できるでしょう。
また、需要が合ったスキルの価値が失われなくても、スキルを流用し、新たなスキルを修得することも出来ます。例えば、英語を勉強し、文法を理解したことによって、文章を構造的に捉える能力を修得すれば、新たな言語を習得しやすくなります。
2chの住人や年配の方など、海外に長期滞在したことがない人の一部が「日本より暮らしやすい国はない」と信じているようですけど、それは間違いです。
まず、大都会に行けば基本的に何でも手に入るし、交通は便利だから、不便は感じません。日本食だって、日本で食べるより美味しい日本食を食べられる場所もあります。
また。日本より天候が穏やかな国もたくさんあります。スロバキアなどは、日本レベルの台風や地震がきたら、恐らく都市が壊滅するレベルです。それだけ、気候が穏やかなのです。また、夏も日本の夏と違い、空気が乾燥しているので、すがすがしい暑さです。クーラーはいりません。蚊も日本ほど多くはありません。蝉もうるさくありません。
治安だって、きちんと安全対策を講じていればまず問題はありません。昨日は11時過ぎに、一人で2km散歩しながら帰りました。全然余裕です。
水ももちろん飲めます。むしろ、スロバキアの水は、確実に東京の水よりは美味しいです。 一部の日本人は体質によって受け付けないそうですが、それでもたまに下痢する程度でしょう。
投資のことわざに、「全ての卵を一つのかごに盛るな」というものがあります。これは、全ての玉蛾を一つのかごに持っていたら、そのかごを落とした時点で全ての卵が台無しになってしまうから、卵を複数のかごに分散させたほうがリスクを回避できるということです。
日本依存、企業依存は、「このかごは脆そうだし、心配だなぁ」と文句を言いながら、自分の人生をひとつのかごに乗せているようなものです。普遍的なスキルを修得して海外移住をすることは、「リスクを伴った挑戦」ではなく「リスク回避のための戦略」なのです。自分と、将来の家族や子供たちのために、少し考えてみる価値はあるのではないでしょうか?
すみません。引用です。というより、ほぼ転載です。URLを忘れていました。
http://kaigai-shushoku.blogspot.com/2010/06/blog-post_16.html
「おもしろいと思ったら転載元のほうもはてぶしてください」
重く圧し掛かってくるようなこの頭痛の原因はなんだろうと麗子は考えた。
ああ、先週訪問販売で安く買ったミネラルウォーターを寝る前に飲みすぎたのが悪かったのかもしれないし、深夜一時から午後十時までぐっすりと寝てしまったのがいけなかったのかもしれない。あるいはいやに肌寒い部屋の温度が血流を滞らせているのかもしれないし、どこかで誰かが麗子のことを思って祈祷をしているからなのかもしれなかった。
とにかく、麗子は頭が痛かった。宵闇に沈んだ寝室のベッドに横たわったまま瞼だけをぱちりと持ち上げて、かれこれ十五分ほど、何をするでもなく天井を睨み続けていた。
手を伸ばして、チェスターのスタンドに明かりを灯す。突き抜けた眩しさに、思わず目を瞬かせてしまった。細く視界を狭めながら、無遠慮に光を放ち始めたスタンドに舌打ちをする。それから、自らが選んで灯したのだということを思い出した。
幼い頃から持ちえていた性質だったが、最近、麗子にはこれと似たようなことがよく起きている。つまりは、自身で望んだことであったはずなのに、現れた変化に対してどうしようもない苛立ちや不快感を抱いてしまうのだった。
その性質自体に対して、よくないことだとは思っていない。ある期間、そういったことが頻発することはままるのだろうし、人格の性質としてどうしようもなく取り込んでしまっているものなのだ、無理に矯正することよりも受け入れることを麗子は好んでいた。
ただ、折に触れて面倒だなと思うだけだった。朝食の時にバターを塗ったトーストを齧ってからジャムにしたらよかったと後悔したり、職場で休憩がてら自販機からコーヒーを買ってしまってからお茶に擦ればよかったと思い直したり、折角の休日を絶望的に寝過ごしてしまってからやっぱり早起きしていればよかったと残念に思うだけのことだったのだ。
あるいは、付き合っていた恋人と別れてしまってから元に戻りたいと思ってしまったりすることも、あげたいくつからの例と同じことなのかもしれない。
ベッドから降りてキッチンへ向かい、お湯を沸かしてコーヒーの準備をする。灯したダイニングの蛍光灯は、やっぱり無遠慮に麗子の目に突き刺さってきて、不快感を募らせる要因となった。小さく舌打ちをして、乱れた髪の毛を更にぐしゃぐしゃと掻き毟る。湯気が音を立てたので、火を止めてインスタントのコーヒーを淹れた。
食器棚にもたれかかりながら暑くなったマグカップを唇に近づける。咽喉が嚥下するのと同時に、不味いなと思った。寝起きにブラックなんぞを口にしてしまったのがよくなかったのかもしれない。砂糖を少し加えるとか、ミルクを足しておけばよかった。ずずずと、再び不味いインスタントコーヒーを飲んで麗子はぼんやりと部屋の中に目を向けた。
沈黙したままの液晶テレビが、まっすぐに顔を向けてきていた。下部に取り付けられたラックには、DVDレコーダーが取り付けられている。それから、それなりに揃った次世代ゲーム機とそのソフト。特等席として設けられたソファに腰かけて、二人並んで映画を見たりゲームをするのが楽しかったなと、失われてしまった日々を思った。
そういえば、陸夫はほとんど何も荷物を持っていかなかったなと考えた。停止しきった沈黙の中に、こつこつと時計の針だけが一定のリズムを刻んでいる。ショルダーバッグに数日分の着替えとお気に入りの文庫本を数冊、CDも詰め込んで麗子の部屋からいなくなったあの男は、いまなにをしているのだろうか。
同棲などしているつもりはなかった。結果的にそれが同棲と呼ばれる生活になっていただけで、陸夫にも陸夫の帰る場所が他にもあったのだし、言うなれば遊びみたいなものであって、共にこの部屋の中で過ごしていた日々というのは一種のエンターテイメントでもあったわけなのだ。
それが、数日前に終わっただけ。娯楽が消失しただけなのだ。麗子の部屋に持ち込んでいた大半のものを残したまま、陸夫はあの日から戻ってきていない。
考えてみれば、飼っていた猫を持っていかれてしまっていた。半分ほどコーヒーを飲んだまま固まっていた麗子はその事実にはたと気が付くや、なにかとんでもない失態を犯したような嫌な気分を胸のうちに混みあがらせることになって焦った。
捨て猫だったわりには理知的で、とてもおとなしく物分りのいい猫だった。外出することを極度に嫌ったが臆病ではなく、麗子や陸夫のことをいつも気にかけてくれている猫だった。
まだ、麗子が陸夫と知り合う前に拾い、三年くらいふたりだけで過ごしていた。その頃の日々を思い出そうとして――麗子は観念したかのように頭を振った。
こんなことして、なんになるというのだろう。結果論として、陸夫がいなくなり、猫を連れて行った。それだけでいいではないか。
まだマグカップに残っていたコーヒーを流しに捨てて、麗子は申し訳程度につけられた小さなベランダにへと続く窓の前に立った。黒く染まったガラスに手を添える。冷たさに、ぞくぞくと肌が粟立ちそうになった。
どうしてこうなったんだろう。
考えてみたものの、ついに麗子には答えを見つけ出すことができなかった。
頭痛はいつの間にか消えていた。思えば、あの頭痛にしてみてもなくなってみると些か物悲しいような気分になるものだなと、麗子は思った。