はてなキーワード: 合唱とは
アニメや映画に少しでもネガティブなことを言うと、「おまえが作ってみろよ!」の大合唱。
はぁ?クリエイターが作ったものをどう言おうとこっちの勝手でしょ。昔はこんなダサいこと言うやついなかったんだけどな。年取って怒りっぽくなってんのかな。
女ってひとくくりにすると「私なんもやってないもん!」な人が出てくると思う。
そうだね。でも傍観してたよね。
たしなめてる人見たことないよ。
もっともそんなことしてもキモオタ認定されて取り合ってもらえなかったかな。
なに不自由なく伸び伸びできてた人達には私が感じた屈辱はわからないだろう。
糞ジャニーズや感動ポルノは垂れ流されるのに、ラノベやアニメへの称賛は罵られる。
本の表紙がが少しでもアニメっぽいと「オタクだろw」「キモ」とまるでそれが悪いことかのように嘲られる。
実写アイドルが飽和してるなかで、アニメっぽい絵がでると「ロリコンかよ」「オタクに媚びてる」「二次元に侵食された」と非難囂々。
女はオタクに差別にされた! 腐女子はオタクに駄目にされた! オタクはなんでも女叩き!って主張を真に受けて悲しくなってたけど、調べるまでもなくオタクは当初から女に叩かれ甚振られてきた。
差別者はどっちなんだか。
(中略)
ずーっとずーっと理不尽な思いはしてきた。
直接女に罵倒されたり虐められた人に比べたら私はまだ被害がないほうだけどね。
なんで同じ人間のはずなのに趣味が違うだけでこんな馬鹿にされなくちゃいけないの?って悔しかった。
それでもオタク文化が好きだったし、最近はオタクがお金だすって企業がわかってきたからほんの少し扱いがましになった。
たださぁ、「男オタクは女叩きが激しい」「腐女子はオタクに一方的にやられてきたから表現規制に加担します」とか言われると、「てめぇどの面下げて」って修羅の顔になっちゃうよね。
あいにくオタクは隠れろ隠れろと言われ続けてきたのでこれ以上のゾーニングを求めてがたがた言う人の気持ちはわかりかねます。
だって私、「嫌いな人がいるから隠そう、但しオタクコンテンツに限る」っていうフェミ様の理屈に納得したことこれっぽっちもないもの。
腹が立ったのは、どうということはない絵、酷いときは完全着衣の絵に対し「オタク向けキモイ」「女性差別」って大合唱する奴らと、
そんなこと言っときながら半裸の男性アイドルやらBL本は全年齢ではがんがん出してきて喜んでる奴ら。
苛めてた方は覚えてないけど苛められてた方は覚えてるってよく言うよね。
正直私がオタクになり始めた頃もオタクはガンガン迫害される存在だったたんだわ。
今となってはすっかり市民権を得てるとかっていうけど、相変わらず女性様やフェミにガンガン叩かれて、そのくせ女への配慮ばっかり求めれられ続けてる。
差別解消なんて世迷いごとはクソみたいな女性の風潮自浄してから言え。
そして二度と女は被害者なんて抜かすな。
・たしなめてきたわ の人
そりゃ中にはまともな人もいるよね。
できれば私もそういう人は傷つけたくない。
でもヤバい奴が多すぎてそれが当たり前の界隈になってるんだよ。
フェミが表現規制を訴えるとき、それを掣肘するフェミは少数派ってかほぼいなかった。同じオタク界のはずのフェミですらあの様だ。
残念ながらまともな女は少数派だ。
そうだね。
大人しくしてるとつけあがるよね。
でも当時のオタクはカルチャーを堂々と楽しむことは悪いことだと思わされてたし、表でアニメイラスト扱うのは白い目で見られがち(さもなくば差別扱いされがち)だから、
オタクは女性の評価気にするし、自分が好きな作品が自分のせいで貶されるの辛いし。
反撃すれば良かった?
確かにね。非オタク女の好きなアイドル晒して馬鹿馬鹿しい誇張表現あげつらってクスクスやればよかったかもね。うわ全然楽しくなさそう。
理論的に反論? 「顔真っ赤w」「キモオタ」ってやられるのが落ちだよ。
ただまぁ私のように若い頃は悲しい思いを圧し殺してオタクやってたけど段々成長して「あれやっぱおかしかったよね!」ってなるオタクは一定数います。
そういう人たちがツイッターとかで今変なことを指摘しているわけ。
男性オタクってひとくくりにすると「俺なんもやってないもん!」な人が出てくると思う。
そうだね。でも傍観してたよね。
たしなめてる人見たことないよ。
もっともそんなことしても女認定されて取り合ってもらえなかったかな。
なに不自由なく伸び伸びできてた人達には私が感じた屈辱はわからないだろう。
美少女の乳揺れやロリエロネタは垂れ流されるのに、イケメン男キャラへの称賛は罵られる。
書き込みが少しでも女っぽいと「女だろw」「くっさ」とまるでそれが悪いことかのように嘲られる。
美少女アニメが飽和してるなかで、ただ男キャラが二人並んでるだけの絵がでると「腐向けかよ」「女に媚びてる」「腐女子に侵食された」と非難囂々。
少年漫画は腐女子に駄目にされた! オタク文化は腐女子に駄目にされた! 女はなんでも男の後追い!って主張を真に受けて悲しくなってたけど、調べたらコミケは当初九割が女で、今もサークル側は女が多いらしいじゃん。
後追いはどっちなんだか。
男性声優が出てるときに「かっこいい」「かわいい」「○○さん」などのコメがあったが、「腐女子わきまえろ」「腐コメするな」と言われコメが減り謝罪する人もいた。
ところが女性声優が出たら「くぎゅゅゅゅゅゅゆう!」が画面を埋めつくし、誰も文句言わない。
個人サイトを漁ったりpixivでゾーニングされてる作品を持ってきて笑い物にしたりもしてたよね。
BLだけじゃなくて女体化とか男体化とかのお遊びもキモイってこきおろしてたね。自分達がやってたクッパ姫とかは自画自賛してたのにね。
基本的に女は乙女ゲ好きだろうと腐女子だろうと攻撃されたけど、腐女子は特に人間扱いされなかったから夢女子の人が「腐女子と一緒にしないで」って必死で言ってるのもよく見たな。
あと「この作品は確かに腐女子に人気があるけどあいつらイナゴだから! ちゃんと熱い内容だから!」とか。
その一方で男オタクはどれだけ中身の薄い美少女アニメに熱狂しててもいいし、ロボットものなのにロボットそっちのけで女キャラの乳揺れに騒いでても文句言われない。
女オタクはアニメ映画の試写会で監督に「硬派な作品にしたかったのに女性がこんなに多いなんて残念」って言われたのに。
ずーっとずーっと理不尽な思いはしてきた。
直接男オタクに粘着されたり痴漢されたりした人に比べたら私はまだ被害がないほうだけどね。
なんで同じオタクのはずなのに性別が違うだけでこんな馬鹿にされなくちゃいけないの?って悔しかった。
それでもオタク文化が好きだったし、最近は女がお金だすって起業がわかってきたからほんの少し扱いがましになった。
たださぁ、「男オタクは優しいのにモテない。女はわかってない」「腐女子も他人事じゃないんだから表現規制に一緒に対抗しろ、仲間だろ?」とか言われると、「てめぇどの面下げて」って修羅の顔になっちゃうよね。
あいにく腐女子は隠れろ隠れろと言われ続けてきたのでゾーニングごときでがたがた言う人の気持ちはわかりかねます。
だって私、「原作好きな人が捏造カプや18禁エロ見たら不快になるから隠そう」っていう腐女子界隈の理屈はまぁ納得してたもの。
腹が立ったのは、男キャラ同士のハグ絵や笑いあってる絵、酷いときは男一人しか描かれてない絵に対し「腐向けキモイ」って大合唱する奴らと、そんなこと言っときながら美少女エロ絵はがんがん出してきて乳袋だのスジだのを喜んでる奴ら。
苛めてた方は覚えてないけど苛められてた方は覚えてるってよく言うよね。
君ら男性オタクは何故か自分が迫害されてる立ち位置で言うけどね。
正直私がオタクになり始めた頃はもうオタクはそんな忌避される存在じゃなかったんだわ。
今となってはすっかり市民権を得てるのに相変わらず被害者ぶって、そのくせ女への性器呼びも配慮なしエロ絵も女オタクはミーハーっていう見下しも続けてる。
連帯なんて世迷いごとはクソみたいな界隈の風潮自浄してから言え。
そして二度とオタクは優しいなんて抜かすな。
>たしなめてきたわ の人
そりゃ中にはまともな人もいるよね。
できれば私もそういう人は傷つけたくない。
でもヤバい奴が多すぎてそれが当たり前の界隈になってるんだよ。
漫画家が児童ボルノ所持で書類送検された時、ネタツイ大喜利ツイは万リツイートされてたけど苦言を呈した男性オタクのツイートは300リツイートぐらいだった。
残念ながらまともな人は少数派だ。
そうだね。
大人しくしてるとつけあがるよね。
でも当時の腐女子は男同士でカップリングするのは悪いことだと思わされてたし、女がエロ扱うのは白い目で見られがち(さもなくば痴女扱いされがち)だから、後ろ暗い気持ちがあって反論できなかったんだろうね。女の方が外聞気にするし、自分が好きな作品が自分のせいで貶されるの辛いし。
反撃すれば良かった?
確かにね。男性オタクの好きな同人誌晒して馬鹿馬鹿しい誇張表現あげつらってクスクスやればよかったかもね。うわ全然楽しくなさそう。
理論的に反論? 「顔真っ赤w」「ま~ん」ってやられるのが落ちだよ。
ただまぁ私のように若い頃は悲しい思いを圧し殺してオタクやってたけど段々成長して「あれやっぱおかしかったよね!」ってなる女オタクは一定数います。
そういう人たちがツイッターとかで今変なことを指摘しているわけ。
以下の記事を受けて。
「けものフレンズ2」9話は過去最高に”優しすぎる世界”だった。 - けものつれづれ
https://ironyart.hatenablog.com/entry/2019/03/14/090915
3%のフレンズが愉快犯ではなく実在していたことに驚きつつ、その感想視点がイエイヌの扱いという一面からでしかなかったので、より多方面にわたる、わたしの9話に対するツッコミを書き記したいと思います。
いつ壊れたの?何が起きたの?ピエール瀧がやってきて壊してくれたの?2話でも同じ過ちを犯してたよね?
最初からそうしろよwww・・・という当然のツッコミに、どうあらがおうというのか。
「キュルルー!」とか言ってる時点で見えてるだろ。遠目に発見しろよ。足元だったらせめて「あっ!」って言ってから見つけろ。
もうちょっと遅さを強調するカメラアングルと「間」を入れてから言わせたほうがおもしろかったのでは。
なんで「イエイヌ」って直接言わないのか、恐そうに紹介しちゃうのか、さらにはこれまで暴力的な手段も辞さなかったのか。せめて「視聴者のドキドキを高めるため」以外の、あとですっきり納得できる理由を用意しておくのが脚本の仕事では?
ご主人様をけなげに待つイエイヌとしては、強そうなオッドな黒縁おめめは合わないのでは?このデザインのイエイヌがアプリ時代からいたのだとしたら、この外観のキャラにこのエピソードがそぐわないのでは?
唐突やろ・・・。手に取ってすぐ退場しちゃうから余計視聴者が置いてけぼりになる。せめてその場ですぐ開けて食べてくれ。
天真爛漫なサーバルちゃんの割に、わかりやすいきっかけや手がかりもなしに、深い推測が走りすぎてない・・・?
電池アイコンにバッテンとかならまだ「お子様」視聴者にもわかりやすかったのでは・・・?お子様を無視するにしても、オトナ目線からもそもそもユニバーサルデザインにしとけよと思う。
遅い。でも食べるシーンがあって本当によかった。唐突なものを登場させたら、すぐ説明!
センちゃんたちは、なんで意味もなく敵対的なんですかね・・・?自分たちにも依頼主にも悪気はないのに、敵対する意味なくない・・・?
かわいい(´ω`)
「口にくわえて持ってくるのは不自然だから・・・かな・・・違和感あるけど・・・まあしょうがないのかな・・・」と、いうような妥協感を読者に与えないような工夫はできなかったのかな?
個人的には「カラカルは小学生の道徳教材に出てくるような(後に改心する)子なんだ」と理解したけど、顧客が求めていたものとは違うよね。そこは善意に解釈すれば、監督は承知の上のようだけど。
「ボクのほうこそ心配かけこそごめんね」だろそこは。しかももっと早いタイミングで。このあたり、とにかく登場人物たちの感情の流れがめちゃくちゃ。誰にも感情移入できない。
完全に道徳教材やNHK教育のちびっ子番組の流れ。でもな、オレらが求めているものとは違うんだ。
大胆すぎない?そういう提案はもうちょっと状況を飲み込んでからにしたら・・・?
いや、そういう優しさ持ってるなら、カラカルの話をもっと聞いてあげなよ・・・
イエイヌのセリフとの繋がりがご都合過ぎてひどい。「中にはその逆もいますけど」まではもっと普通のテンションで話した上で、遠吠えを聞いてから「あっ、噂をすれば!」と驚くべき。
侵入してくるんじゃないかと心配する視聴者をよそに平然としている。だったらもっともっと遠くの方で聞こえる程度の遠吠えにしてほしかった。
近くにいるならサーバルたちにも聞こえるやろ。サーバルに聞こえてないなら、少なくともいま家を出ちゃうキュルルのほうが危険やろ。せめてそういう疑問や不安について納得できる材料を視聴者にくれよ。せめて、遠吠えが複数回聞こえた上で、「サーバルたちが歩いて行った方向に移動しているようだ!」とか。そして、(とっても強いという話の)イエイヌをいっしょに来るように連れ出す、とか。
BGMも相まって、直前の緊張感がいったん解きほぐれてしまう。このシーンは、遠吠えよりも前に挟むべきだったのでは?
いや、善意に解釈すれば、サーバルが「カラカルがキュルルと仲直りするきっかけはないかなぁ・・・」と考えていたら思い出したと解釈できるけど、単純にトラクターまでたどり着いてから目で見て発見するほうが自然じゃろ?意味のない不自然さは罪やぞ。
イエイヌ擁護派多いけどワイはこのセリフは許さんよ。そして「キュルルの身の安全のために、敢えて思ってもないことを言っただけ」という擁護は通じない。逆に、そこまで言わせるなら、もっともっとせっぱ詰まった極限状況まで緊迫感を作っておかないとダメだ。
もっと警告らしい音出せ。
一撃でダメージ受けすぎやろ・・・。あそこまでボロボロにするならもっと格闘させろ。作画がしんどいならせめて「激しい格闘の末に・・・」と伝わるシーンを挟め。
あのさあ・・・。これまでのシリアス感はなんだったわけ?コミカルにしたいの?まさかずっとコミカルのつもりだったの?
強敵感の無さよ。ゴリラなどの精鋭揃いだった5話でもみんなで逃げ出したビーストなのに、カラカルとサーバルだけであっさり追い払えるの?少なくともセルリアンよりはるかに強い、ひょっとするとラスボス級かもという認識だったけど、今後ビーストの怖さをどう捉えたらいいの?
さっき起きてたやん。倒すなら倒れるシーン挟めよ。
急すぎる。子供はもちろんふつうのオトナでも共感が追いつかない。(高尚な3%のオトナにしか刺さらない)
イエイヌちゃんのこれからが不憫すぎない・・・?せめて、せめて、イエイヌの心情変化やキュルル側の心情ももっと描いてあげて、「心にしみる別れ」をもっともっと演出してあげないと、急すぎるイエイヌの涙だけじゃ、とても報われない。
冷たすぎる。そりゃ大切なものだし失望するのはわかるけど、届けようとしてくれた善意に対する感謝の気持ちがあれば、そんな第一声は出てこないやろ・・・。ましてそっからギスギスし始めるなんて論外オブザ論外。せめてせめて、語尾や言い回しを少し変えるだけで、コミカルなケンカに仕上げることもできていた気もするが、そうはなっていない。
以上です。
anond:20190315022042 の続き。
本当にTV版からガラッと変わった。途中まで、ギャラクシーの侵入作戦が始まるところまではだいたい同じだった。しかし正直なところ名前と髪型でクーデターに失敗する噛ませ犬だと舐めていたレオン三島がまさかここまで有能であったとは。TV版から反省会を繰り返したのか三島よ。本作におけるTV版との分岐点はできる三島とついに人の心をインストールしたグレースである。まあ最終的にやっぱり三島は死ぬけど。
そして何より本質的な違いは二つ。オズマによる自分を演じることへの肯定と終盤のランカとシェリルの役割の裏返り。この二つの変更点により驚くほどすんなりとシェリルがメインヒロインに固定された。
劇場版で役割と設定が整理されストーリーが単純化したことで、TV版の中盤までの流れ(病に弱るシェリル、シェリルに惹かれるアルト、スターダムを駆け上がるランカ)から終盤への流れ(シェリルが行方不明、ランカからアルトへの告白)が一気にスムーズになった。というかTV版でも密かに思っていたけど、明らかにアルトくんシェリルのこと好きだよね!そうじゃないといくらなんでも終盤のあの展開はないよね!!つまりあの矢三郎めがいなければ(主にシェリルが)あそこまで苦しむことはなかったのだよ!!!
ちなみに好きなシーンは、アルトに会えなくなってもいいのかと優しく問うグレースと答えに詰まるシェリル、アルトの病室での包丁を巡る不器用な二人のやりとり(イチャイチャ)、放課後オーバーフロウのイントロに合わせて閉まっていくマクロスクォーターの外装。
ところで劇場版ではオミットされたTV版終盤でのランカとシェリル:バジュラと交感できる声をしているせいでミンメイの再来と政治的に担ぎ上げられ生体兵器としての運用に疲れていくランカ、病に犯されながらも自分にできる最大のこと(ランカの代わりに死を覚悟して歌う)を選ぶシェリル、という無駄に重い展開も増田はかなり好き。特に歌ったら死ぬことに気づいているから最終決戦の前にアルトに恋人ごっこは終わりと告げる(= 強がる)シェリルとそれを聞くアルトのシーンがとても好き。そういえば劇場版はこの「今は答えないで。歌えなくなってしまうから」部分はランカのセリフになっていたな。どっちのシチュエーションでも振られる流れだよなあ。
冒頭のバジュラの巣の攻略や大気圏内でのマクロスクォーターのサーフィンマニューバ、やたらと陽気で軽そうだがシリーズファンからするとこれ以上ない安心感が得られるYF-19からの声、S.M.S大隊によるマクロスキャノン斉射、そしてアンタレス1との熾烈なドッグファイトなどなど見所だらけだった。増田が一番グッときたのは、実はバジュラの巣攻略戦での隧道内のブレラの操縦テク。このシーンは狭い隧道を先行するブレラをアルトが追いすがるという形なのだが、驚くべきことに狭い上にバジュラも向かってくるのに、ブレラは一度も変形を行っていない。可変戦闘機バルキリーのセオリー(様式美ともいう)通り、垂直方向への移動や複数体のバジュラの掃討にガウォーク変形で対処し即座にファイターへの変形で高速移動を行うアルトに対して、ブレラはファイター形態のままインプラント特有の反応速度をもって、機首の向きをわずかに調整することでノンストップでバジュラの殲滅と移動を行うのだ。マクロスの様式美を否定するような非常に地味ないぶし銀の描写がよかった。
TV版の不満点であった超時空二股エンド。アルトくんはっきりせいやと前の感想に書いたが、劇場版ではズバッとアルトくんの男らしい告白で三角関係に決着がついた……ついたのだけど……ついたのだけど、だけど、
思いが通じ合って両思いになった恋人たちが次の瞬間に離ればなれになるなんて、そんなことは望んでなかった!
ただ思い合う二人がイチャイチャしているところを見たかっただけなのに……
初見のときはこのエンディングで完全に固まった。そしてエンドロールの「dシュディスタb」(願いは叶うとヒロインズが歌う)を聞いてすわビターエンドの先のハッピーエンドかと沸き立ったのだが、生命維持装置に繋がれて昏睡しているシェリルの脳内想像ライブという可能性に思い当たりより消沈した。しばらくアルトがシェリルのことを愛している設定でTV版世界に戻ろうかと考えていたのだが、絶対に救いはあるはずだと考えて二週目へ。そしてなんとか一つのこじつけに思い当たった。
そう、眠り続けるシェリルは眠り姫のモーチフであり、王子様(アルト)のキスで目を覚ますのが必然であるのだ。TV版ではシェリルとランカの両方から唇(一部R18)を奪われていたアルトであるが、運命付けられたように劇場版ではシェリルにされた頬へのキスしかない。これはもうそういうことだろう。運命だよ。よって増田の中では、アルトくんが(アイくんとかで)なんとかしてフロンティアのシェリルのもとへ戻ってきてシェリルの目を覚ましたあと、二人で幸せになることが確定しました。多分アルトの病室での一幕のように互いにからかいあってイチャイチャするのだろう。よかった……。
サヨナラノツバサでも「禁断のエクシリア」から始まり、二人の掛け合いと会場のバタバタ具合が楽しい「Get it on〜光速クライmax」、めちゃめちゃイントロが格好よく演出もパーフェクトな「放課後オーバーフロウ」、そしてエンディングのお祭り「dシュディスタb」と素晴らしい曲ばかりである。ただ、劇場版を代表する曲となると「ダイアモンドクレバス」だろう。イツワリノウタヒメでのバジュラを呼び寄せてしまったことや、ギャラクシー軍のミッション開始の合図だったこと、墜落したフロンティの教会跡など劇中の要所で美しくも悲しいこの歌が効果的に使われていた。
それから見ていて気になったのがライブの演出。演出といってもすごく手のかかったCGの方ではなくて(これもすごかった)客席の後ろからステージを映すカメラワーク。カメラが歌手を追うPV型ではなく観客との一体感を深めるライブ型の演出を選択したのは興味深い。ミュージックシーンがPV中心からライブ興行中心へ転換しつつあったことと関係しているのかもと考えた。なお増田はPCモニターで見たからそこまで臨場感はなかったのだけど、当時劇場で見た人は自分がライブに参加している感覚を味わえたのだろうか。またサイリウムなどを持ち込んで応援上映のようなことができたのだろうか。
そしてもう一つ気になったライブがアルカトラズ刑務所での「星間飛行」からの流れ。何と言っても慰問ライブに参加していた/できなかった囚人たちが声を合わせてこの歌を合唱するのだ。正直はじめはなぜランカ中島リーさん以外の声を入れてせっかくの星間飛行を邪魔するのかと思った。ただ、よく考えるとランカ・リーの星間飛行を聞きたいのならばCDやPVなりを聞けば良いことに気がつき、そこでようやくこのシーンがマクロスの伝統である歌の力を素朴な形で描写していることに気がついた。
増田の理解としてはマクロスのメカニズムというのは武力と歌の相互補完にある。武力では暴力は防ぐことができても心(世界)を変えることはできない。歌は心(世界)を変えることができるけど暴力に対しては無力。しかしその二つが合わさることで等身大の人間が奇跡を起こすことができる。そのリアリティがSFをコアに持つマクロスのメカニズムであり、非対称なこの関係性に三角関係が加わることで豊かなドラマが生まれてくるのだと思う。
この歌の力という面からフロンティアという作品を見ると、二つの場面が思い浮かぶ。TV版の星間飛行ライブと先ほど挙げたライブ@アルカトラズだ。前者は言わずと知れた、ゼントラーディー部隊の反乱を歌とキラッ☆のみで熱狂の海に沈めた伝説のライブである。このライブの演出は、最初は戸惑っていた兵士たちが曲が進むにつれ武器を投げ出し鼻血を噴きそして最終的にクァドランが肩を組んで踊るという実にアホなものだが、歌が心を変える様子をこの上なく描いていた。アルカトラズのライブはというと、先に書いた通りランカを知っていた知らなかったに関わらず荒くれ揃いの囚人たちが自ら歌を口ずさみ心を一つにする。これが星間飛行のすごさであり歌の力であるのだ。なおこのライブ、この後のクランのアジテーションから囚人たちと看守たちの大乱闘がGet it onに乗せて始まるというやっぱりアホな展開になるのだけど、やっていることは単なるテロである。そして最後の「ランカちゃん〜」と「ジェリ゛ル゛さ゛〜〜ん゛」のコールに吹き出すのである(何度見てもこの部分で笑ってしまうのだけどエキストラなのかな?)
増田がマクロス7のサウンドブースター演出に違和感を持ったのは、サウンドブースターにより視覚化・数値化された歌が武器(ビーム兵器、バリア兵器)のように使われていたから。それと力と歌をバサラ一人が担当するのにも関わらず王道のマクロスフォーマットでストーリーが作られていたため、最終的にバサラ一人で世界を平和へ導くという一人の人間を超越した行いをさせてしまったことも同様。作品テーマとして武力を否定しラブアンドピースを狙っていたのは理解できるのだが、武力の代わりとしてサウンドブースターというまた別の武力を持ち出し、バサラ一人に全てを背負わせたため普通の若者の織りなす物語というセオリーを壊してしまったように見えた。洗脳されたバロータ兵を初めから出すのではなく、初めは市民トラブルを歌で解決するというような入りかたでもよかったのかなと思う。
最後になぜ増田がシェリル派なのかというとプロフェッショナルであることの誇りと責任さらにケー鯛(口からアンコ出る)を愛用するセンスを持ち、泥水をすすっても生き抜く根性があり、たとえ死を迎えることになっても自らの役割を全うする覚悟をまとい、でも支えを失うと心が折れそうになる繊細な所があり、そしてアルトくんをからかう姿がとても楽しそうなシェリルが好きだからです。
次はIIかデルタを見る予定。アイドルものと聞いてあまりデルタには興味が湧かなかったのだけど、たまたまワルキューレの歌を聞く機会があり、メインボーカルの声にぶっ飛んだので俄然興味が湧いた。アイドルものであのガチ音圧の人がメインを張るってかなり攻めてると思うのだが、どういう狙いがあるんだろ。
いや実際に聞こえるのはハミングどころじゃないんだが。
今私は学位を取るために必死に追加実験と執筆を重ねていて恒常的に多忙である。
畢竟徹夜も続くわけだが、そのせいか最近幻聴が聞こえるようになった。
先日も誰もいない中研究室で作業していると、ふと声が聞こえてくる。
最初はノイズ程度だったのだが、はっきりしてくるにつれて内容が分かるようになった。
混声四部合唱だ。右耳は女性パート、左耳からは男性パート(時々女性も混じる)。
曲目は皆目見当がつかないが、パートごとの追っかけもあるし、ハーモニーもしっかりしている。
このまま譜に起こせば新しく合唱曲として売れるのではないか、と思う程度にはしっかりした構築だった。
幸いというかこの日は二、三時間ほどで幻聴のコンサートは終演となったわけだが。
そこからまた徹夜続きになると度々聴こえてくる。徹夜の数を重ねるほど、声も曲調も深みを増していく。
体の酷使が原因なので、出来ればこの幻聴から早めに脱却したいのだけれど。
ああ、今日もまた。
五歳女児が商品手に取ってじいさんに怒鳴られて父親が逆ギレした事件では「じいさんが正しい!親は泥棒ガキをちゃんと躾けろ!はっ倒せ!」の大合唱だったわけだが
なんでこれが尻触るのだと「子供なんだから不快に思う方がおかしい!痴漢とか言うな!自意識過剰!正常な発達!」ってことになるんだか
葬式BGMを考える増田を眺めていて、BGM遊びでさえ葬式不要論が出てきて、まぁはてならしいと言えばそれまでだが。
確か数年前、業者に頼まず自分で親を見送った増田のレポートがあった記憶があるが、ああいうものはあれでいてかなりシステマティックに世の中の仕組みができていて、業者に依頼しない=仕組みに乗らないで遺体を焼くのは割と面倒そうだった記憶がある。
この頃は葬式業者もお手軽パックもあるみたいだが、何だかんだでそれなりにしようとなるとお得感が無くなる、オプションなしだとかなり質が下がるという話もあるし、それほど簡単ではないかもしれない。まぁ彼らも商売だから阿漕だなとは思うが仕方ないだろう、商売とは基本的に阿漕なものだ。
簡単に死んで簡単に野ざらしになれればさっぱりして良いなと思うが、残念ながら妙なところで現代社会には「ある種の厄介さ」があり、それを良いことだとも思ってはいないが、ことに生き死ににかかる諸々は出来上がってるシステムに乗ると割と楽だし人と違うことをすると悪目立ちしやすいという困ったところがあるのだ。
増田は親を二人見送ったが、多少金がかかっても出来上がっているシステムで楽をする方を選んだ。
親のうちひとりは病気で亡くなったのだが、死ぬ前の1か月はだんだん意思が柔らかく緩くなっていき、元気な時は「葬式無用 戒名不要」とか「その辺に灰を撒いてほしい」とか言っていたが、最期の病床では墓のことなどをぽつりぽつりと言いだすようになった。家庭の事情が若干複雑で、ある墓を引き継がざるを得なかったのだがその引継ぎについて口が煩いだけの親戚から了承を取る必要があり、まだ元気なころは墓はつぶす葬式もいらんお前たちも家を継ぐなんて考えなくていい、など言っていたのが、私に煩い親戚からの墓引継ぎの了承を取ってほしいと頼んできて驚いた。元気なころは生まれや世代からしたら相当アナーキーな考え方をしていた人だったので、本当にいいのか、別の方法(散骨など)も考えられるがと聞き返したが、それでいいんだ、と言っていた。もう死んでしまったので本意は分からないが恐らく「それで(お前たちが楽な方が)いいんだ」ということだったのだろうと思っている。
もう一人の親は自宅での突然死だったので、もう色々(警察が来たりする)大変で、そのまま業者に頼むほうが気持ちも体も楽だった。というか詳しい人が助けてくれるのが金払ってでも有り難かった。検死も必要だし死亡診断書がないと焼き場の手続きが進まないし焼き場の予約も混雑してたこともあり時間が結構かかって、ボディが腐らないかという心配がかなり頭の多くを占めていた記憶がある。先に死んだ親が墓問題を己が死に引き受けたくれたおかげで余計なことを一つ考えずに済んだのがありがたかった。
検死の結果、自然死だったわけだが、病院で死なないというだけでこれだけ手続きが面倒になるのか、そして病院(や誰か看取る人がいる場所)で死なないとこれだけ面倒なのかとかなり身と心を削られた。オフィシャルに死なない(医者などが看取らない)ということは、誰かが疑いの目で見るということだ。警察などからしたら疑うこともなさそうなのが一目瞭然であっても念のため疑わざるを得ないし、遠巻きの第三者はそのような「念のため」をすっ飛ばして、残った我々に色々な憶測を割と無遠慮に投げつけてきたりすることもある。親族などに親の死を連絡をする時はこういうフレーズだと角も立たずこちらも苦しくないです、と教えてくれたのも面白く、ありがたかった。儀礼やコミュニティにおける知恵が企業によりマニュアル化されている面白さ。
身内が死んで1か月ぐらいは、なんていうか、生きている側であるこちらも生死の境にいるようなところがある。頭が回らないし究極の非日常でもある。そういう「境目」にいると体の負担も心の負担もかなり大きい。
業者に頼むと大抵のことは業者がやってくれて、ご遺族様なんて様付で呼ばれて下にも置かない扱いを受ける。参列者がまばらになった通夜ぶるまいの席で親族や親の友人知人たちにお礼を言って回っていて、気が付いたらまる2日たいしたものを食べてないな…とごちそうの名残を眺めていたら、業者が私たち「ご遺族様」用に別に美味しそうにきちんと整えられた食事を用意してくれていたのがありがたかった。まぁそういう気遣いが商売なのだろう。
親ふたりの葬式にはそれぞれ彼らが生きていた時によく聞いていたCDを自宅から持ってきてBGMにしてもらった。
どちらの葬式も業者の葬式会場で行ったが、通夜の日から翌日の夕方に骨壺になって帰ってくるまでの1日半程度は葬式会場がベース基地になる。勝手の分からないベース基地で、言葉は悪いが良い感じの時間つぶしが必要だった。スマホではてブなんかは、やはり見る気にはなかなかなれない。SNSも、動画サイトも、自分たち大人はもちろん、子供たちもあまり見たい感じではない様子だった。休んでいる間の仕事のやり取りでメールや電話をしても、なんていうかしんどい。確認メールを1本入れるにも、気持ちを整えて橋を渡ってまた橋を渡って戻ってくるというような隔絶感があった。
TVも置いてあったがこれもやはり見る気になかなかなれず、そしてクタクタのはずなのだがちっとも眠くならない。通夜番(とはいえ線香も一晩通して火が消えない蚊取り線香のようなぐるぐるした線香があったり(仏式です)と番をするような必要もないのだ)で残ってくれたごく親しい身内親族がいたこともあって、ふと思いついて実家に一度戻って、親が好んで聞いていたCDを何枚か持ってきて、会場の音響設備を使わせてもらって聞いてみたら良かったのだ。
親と趣味を共有していたからということもあるが、この曲好きだったねとか、このCDは家族でドライブに行くときにはいつも持って行ってたよねとか、そういう話ができたのも良かった。そしたら業者がお好きな曲を流せますと言うのでそのまま持ってきたCDを葬式にもかけてもらった。見送られる人も、そして何より見送る人も聞きなれた音楽が流れてたのは思いのほか、久しぶりに肺に空気が入ったような悪くない感じだった。
この辺はただの好みの問題だが、業者が用意しているBGMは、ふやぁ~ん系ニューエイジ風の環境音楽みたいなヤツとか耳に残らないようなクラシックの室内楽とか当たり障りのないもので、ずーっと聞いてると逆に耳に障った。当たり障りのない音の方が良いという人も居るだろうと思うが。無音はかなりしんどいと思う。周囲が虫の声とカエルの合唱みたいなところなら良いのかもしれないが、何らかの街のノイズがいちいち気になった。
これはほとんどの人がそうだろうと思うが、ネットやTVラジオ等もほとんどの「日常情報」はしんどくなると思っておいていいと思う。なんていうかすごくしんどかった、「橋の向こうにある日常」が。
あとは業者にもよるだろうが、業者の言うままにすると、妙に感動的な当たり障りのない美辞麗句の式次第アナウンスとともに当たり障りのない感動音楽を流す感じだった。葬式内容の打合せで試しに聞かせてもらったのだが、こんなん葬式コントみたいだと笑っちゃいそうだったので葬式コント化を免れたのは結果的にすごくよかった。この辺は結婚式をオールお仕着せでやるとギャーってなるのと同じ感じかもしれない。