はてなキーワード: 単身赴任とは
世の中、どちらを選んでもババという2択はあります。
自分自身夢を追って、親兄弟親戚を全部捨てる判断をした身だから何とも言えません。ただ、どこかできれいにスパッと切らないと、延々と苦しむことになります。
親兄弟親戚を全部捨てる判断をした理由は、どうも僕が不幸になるが、母親が満足する形にように揺さぶりをかけてるように見えるからです。
今縁があって遠方に来ているのですが、母親が地元にいてほしいということ、それに母親が入っている霊感商法が加担してるのか?それとも母親の願いを基に親類が動いてるのか?
と、どうもこちらが失敗するように色々揺さぶりをかけているように見受けられるからです。
こちらにくる直前にも、妹が遠方に結婚するということで散々騒ぎました。なお、僕が聞きつけて騒いだら、〇〇年に一度の不幸だということで、霊感商法は母親の気持ちをそらそうとして、逃げ出しましたがね。妹は結婚できました。
霊感商法に入ったのも元をただせば、僕自身の問題もありますが、家族にいろいろ面倒が起き、その時父が単身赴任をしていたのもあったのです。
その時、父親に家族全員がついていったら別の形だったのかな?という気はします。まあ、僕も今の道を選ぶことはなかったでしょうが。
承認欲求が強いんだよ。
ちやほやされて当たり前だから。金持ちということは周りみんなちやほやしてくれる。
悪そうなやつというのは、実はある意味勉強ができない分人間関係周りの意識がめちゃくちゃ高いから、お嬢様なんか簡単に籠絡できる。
逆に、一般ピーポーなんかじゃお嬢様が足りるぐらいの承認欲求は与えられない。例えば俺の親父とかな。
ホスト、と考えたらいい。
ソースは俺の母親。金持ちの娘で、資産であれば多分1億円はある。親類の会社の株だがな。
最近、親父と付き合う前に、やっぱりそういうホスト系のやつに紐とわかりつつも付き合ってたということを知った。
しかもそれをオヤジの前で言ってその人と結婚してればみたいなことを言う神経にも呆れてる。妹が遠方に結婚するということでいやいやわがまま言ってるときだったとのもあるが。
父親はガチ大手企業エンジニア+単身赴任で遠方ぐらしだった。そしていろいろ揉め事があって、今は母親はガッツリ霊感商法はまって不幸だ不幸だいってる。
そして、俺が遠方でいろいろやってたら首を絞めるようなことばかりしてきてる。
家事なんかしてやらねーよと思いながら打ってる。私は学生。両親は離婚している。
なんで離婚しているのに不倫か、といえば相手の男に妻子があるから。なんで知ってるかといえば、会ったこともあるし、酔っ払った男に名刺をもらって、住所・電話番号・勤め先を知ってるから。いえーい。
母も男も母体は同じ組織でお堅めの職業。最近、男がこちらに単身赴任している。母の外泊は3倍になった。でもまあ、母はもうババアと気軽に呼べる年齢なのと、年度末が重なって体力が持たないらしい。家事とかをしてると大きなため息をついている。それで私の方みていいわねーとか言ってる、ザマァ。自分の年齢考えろって。
それで何が言いたいかっていうと、親の恋愛を認める子供=偉いみたいにならないでほしい。うちの親は特殊だけど、再婚の連れ子とかね、会わなくなった親の記憶があればあるほど嫌な気持ちになるし、大人ぶらなきゃいけないこともあると思うんだ。なんかテレビとかだと理解し合う親子!みたいになってんのが腹立つ。
家事とか全然手伝わなくていいし、親にお前らの都合でこっちに負担押し付けないでくださーいwwwくらいのスタンスでいいんだって。もちろん、離婚したり、親子で離れて暮らしたほうがいい場合もあるとは思うけど、わがままでいいんだよ。どうにもならない理不尽は親に言ってくださーいって叫んでほしい。
父親の単身赴任で母子家庭状態の共働き家庭で育ったので、専業主婦がいる家の余裕を結婚してから知った。
子供の頃、いろんな事で困って母に相談すると、やっかいごとを持ち込むなと露骨に嫌がられた。
相談をしても文句を言われたり、怒られたりとやっかいごとを持ち込んだことへの怒りをぶつけられるだけで解決はしなかったので、「この人に聞くだけ時間の無駄」と思うようになった。「何でも自分でやる手間がかからないいい子」なのではなく、人間不審なだけだった。
ちょっと気に入らないことをすると、それだけで手が飛んできた。子供心にも感情で殴ってるというのがわかっていた。
学生時代に帰省して家でゴロゴロしていたら、家事をするように怒られた。「こんなだから恋人の一人もできないんだ」となじられた。
いとこが先に結婚した時は「いとこは大人だ。自動車ローンだって組めるし。それに比べておまえはなんて子供なんだ」となじられた。
子供ができた時、名付けを親にさせなかったことで、「子供が子供を育てている」となじられた。
大人になってから、「うちの子には反抗期がなかった」などと外でうそぶいているらしいが、反抗期がなかったのではなく、信頼関係が無かったのだと思う。
結婚して、相手の家にしばらく逗留した時、圧倒的な余裕のようなものを感じた。
せかされるようなギスギスした感じはなく、全般的にゆったりした時間が流れていると感じた。
全般的に何もしないで自分のことをしている時間があるという印象で、時間に追われるように生活していた自分とは大違いだと思った。
ヨーロッパの人は長期休暇で避暑地に行って、朝から晩まで何もしないで椅子に座って寝ているらしいけれど、まさにそれを見ている感覚。
相手からは昔おねしょをした時に親に「大丈夫だよー」と慰められて落ち着いたという話を聞いたけれど、うちだったら「この眠い時に何してくれとるんじゃ」という顔で事務的に粗相を処理されたのだろうなと思った。いや、自分はその方法しか知らないので、自分もそうしてしまう気がする。
今の日本は相手の家のような家を無くして、うちの実家のような家を増やそうとしているように思う。
保育園の時間があるからと嫌がるなか無理矢理乗り物に押し込められる子供を見ると、デジャビュを感じてしまう。
二人目妊娠中。
今の職場は、小さい会社なせいもあるが一人目の時も社長が制度の整備や育児仕事両立応援してくれていてそれを会社で取り組もうと社員へ率先してアナウンスしている。会社の誰からも嫌な態度を取られた事がない。とても恵まれた環境だと思う。社内に働き者の女性が多いおかげもあると思う。
今回も応援ムード全開だし、普通だったら安心して産休を取るところだけど、今から復帰が不安だ。
会社が心から応援してくれているのだが、実態にそぐわないのだ。私も働き方が分かっていないし会社も働かせ方がわからないんだろう。
具体的には、仕事量が合ってない。
私は時短勤務させてもらっているし、時間になれば上司からは「早く帰りな」と言ってもらえる。
でも仕事が終わらない。
残業も保育園の迎えがあるから出来ない。というかこれ以上遅くなったら家のことが全くできない。一日中あれもしなきゃこれもしなきゃと考えて、子供にご飯をあげながら上の空、スケジュール詰め込み、頭は仕事の事ばかり。そして増えるミス。落ちるクオリティ。
私の部署は私と更に忙しい上司や経営幹部などなど、みんな忙しい揃いだ。でも私以外は、手のかかる子供がいない、専業主婦の奥さんがいる、単身赴任…といくらでも働ける環境の人だけだ。
そんな人たちと私がどんなやり取りをするかと言うと
新たな仕事が生まれる。一週間下さいと言う。なんでそんなに時間がかかるの?と言われる。そりゃ他にも仕事があるからなんだけど…。
じゃあ間に合わないからこれをやってほしいとお願いすると、じゃあ手伝うよと言ってくれるが、結局時間のかかる調べ物や事務作業などは、やらされる。時間が足りませんと言うと「こんなの10分でできるでしょ?」。
いややったことないのになんで10分でできると思うんだ?そもそもその10分を捻出するのが難しいんだよ…。
社外の人にもオーバーワークなのでは?と言われた。でも上司はたまたま仕事が重なっただけで一時的なものだと言う。
一人でやらなくていい、誰かに助けてもらえばいい、と言われる。じゃあ誰に?手伝ってと言っても誰も手伝ってくれないけど。
いや、仕事が大変なのと育児が大変なのは別問題だ。私は時短で短くなった分給与が減った。でも仕事はそれに合わない。管理職が仕事を管理していないから大変なんだ。
いつかネット記事で見た「みんな育休をとり意欲を持って職場復帰する。でも続けられない人が多い」という文言をみにしみて実感している。
実際他部署で仕事が大変過ぎてやめた人がいる。その人は特殊な資格を持っていた為辞められたら困るんだけど、それまで何度もヘルプを出していて辞めると言って初めて対策を取り始めたみたい。もう遅いのに。ベテラン層は次の選択肢が少ないからそれでも留まる人が多いが、若い人はいつもこのパターンで辞める。そして若い人は根性が無いと言う。いや、若さの価値を理解しているから早く見切る必要があるんだ。
そんな状況を見ているから、ああ私の仕事環境は辞めるまで改善されないんだなと諦めている。
上司も経営幹部もとても育児両立を応援してくれていると思う。でも働きやすさを感じない。次に復帰してもこんな状況なんだろうかと思うと、暗い気持ちになる。
私はたまたま育児出産という事情があるが、男性や独身者だってみんなそれぞれ色々な事情を抱えていて「いくらでも働ける人」だけではない。
家は兄兄妹(私)の三兄妹だ。
次男とはテレビを見ながら一言二言会話ができる程度には良好な関係だ(私自身あまり口数が多い方ではない)
長男は、兄妹の中で唯一わかりやすく典型的な思春期、反抗期を経験している。
彼が中高生の時には母親と毎日のように口喧嘩をしていた。(父親は単身赴任のためほぼ不在)
直接母親に手を上げることは無かったが、彼の部屋の壁や本棚の側面には未だにいくつかの穴が空いているし、母親が泣きながら家を出て行くところも何度も見た。
両親が家にいない時、兄はよく私に命令をした。
覚えてるのは「カップラーメン作れ」とかそんな程度のものだったが、私はそれが凄く嫌だった。
反抗すると「殴るぞ」と脅され、「やってみれば」と挑発すると本当に腕を振り上げるのだ。
当然私はびびって構えるのだが実際に彼が私を殴ることは無かった。
けれど私にとっては腕を振り上げられた時点でもうそのショックは殴られた事と同じだった。
違いは肉体的な痛みの有無だけだった。
そんな事が何度もあり、兄と二人で家にいるのが怖くて家を出てマンションの階段にずっと座り込んでいたこともある。
そして大学生になると同時に家を出ていった。
時々帰省して来ると顔を合わせることになるのだが、流石に成人して数年が経つ彼が私に何かを命令して来る事は当然無い。
そもそもここ数年私と彼の間には会話らしい会話というものが無い。
私は彼の事が苦手だし興味も無いので話しかけることは無いし、彼も私に話しかけてくることは無い。
私の事をどう思っているのかなど会話が無いのだから分かるはずもない。
それだけなら文句はないのだが、私は彼の吸うタバコの匂いや自室で流している大音量の音楽にとても迷惑している。
母親にどうにかして欲しいと話すと何度かは注意してくれるのだが数回目からは「自分で言いなさい」と言われる。
その通りなのだが、何故か私にはそれが出来ない。
何故なんだろうと考えて、気がついた。
私は彼の事が怖いのだ。
私の中の長男の記憶は彼の反抗期真っ盛りの頃が最も多くを占めている。
きっと今の彼はもう私にムカついたとしても殴ろうとすることは無いだろう。
母親からも「実際に殴られた事はないんでしょ?向こうも別に嫌ってる訳じゃ無いんだから大丈夫でしょ」と言われる。
そんなことは分かっている。
けれどどうしてもあの時の恐怖がチラついて直接彼に立ち向かう事ができないのだ。
私と兄は3歳違いの兄妹です。あれです、入学式とか卒業式被って困る年齢差のやつです。
題名の通りなんですけど、兄の反抗期だった時について今でも消化しきれてないことがたくさんあるのでつらつらと書いておこうと思います。推敲もしてないので乱文長文です。
兄の反抗期は大体中1から高3くらいまででした。これが長いのか普通なのかはわかりませんが、この期間私は地獄でした。
もともと兄妹とても仲良し!という訳でもなかったので、まぁどこにでもいる仲が良くも悪くもない兄妹でした。
色々なことがわかり始めた年齢ですね。
兄は壁や扉を蹴りはじめ、家は穴だらけ。窓ガラスを割るという行為をし始めました。
私はなんでそんなことをするのかわからなく「やめてよ!」と言ったところ殴られて首を絞められました。
兄が家を蹴るのに飽き始めた(?)ころは言葉での攻撃にハマりだしました。
リビングにいるだけで、「死ね」「消えろ」「クズ」「ゴミ」「ブス」と言われ続けました。
私の方が先にリビングにいて、兄が入ってきたときは舌打ちされるのが普通、たまに皿やリモコンなどそこそこ硬いものを投げつけられました。
私が後からリビングに行くと「出いてけゴミ」と暴言を吐かれました。
休日母親が早朝から仕事のときは大体兄がリビングを占領していたので朝食を食べずに部活に行き、昼に帰ってきても兄が怖くて昼食もとることが出来ず体重がガンガン減っていってました。それで母親に「なんでご飯食べないの!」と怒られました。懐かしいなぁ。
そのころ私は、兄よりも頭の出来が良く兄が入れなかった高校に私が入れたのとかも反抗期がヒートアップした原因なんでしょうかね。知らんけど。
そんな感じが6年続いていたのでほとんどまともに会話したことはありません。
母に「なんで怒ってくれないの、」と泣きついても「お兄ちゃんは反抗期だから仕方ない。ほっといたら収まるから。」の一点張りでした。
父親は私が6歳の頃から県外へ単身赴任に行っていて年に2、3回会うか会わないかだったので頼りになりません。もともと仕事人間で家庭にあまり関わらず一緒に遊んだ記憶はありません。なんていうか私の感覚では「父親」という肩書きの知らない人です。
ちなみに家族旅行は小3のときの一回きり。それ以前も以降も一度も、日帰りすらありません。
話が逸れましたね。
兄に暴言を吐かれるたびに「いつか絶対にやり返してやる」と思っていましたが、母親には「人にやられて嫌なことはするな」と何度も何度も繰り返し言われたので、結局一度もやり返したことはありませんでした。
「人にやられて嫌なことはするな」
いい言葉ですね。心無い言葉、暴言、傷など私の受けてきたもの、傷付いた感情、それら全て私は一度もやり返したことが無いので、兄は一生それを感じることなく生きていくんでしょうね。羨ましいなぁ。
母親の教え「人にやられて嫌なことはするな」を遵守した結果、私の中の劣等感は未だ消えずに心の奥深くで、真っ黒で、ドロドロと粘着質に、そして確実に今も増殖しています。
なんていうか、この兄の行動、言動を「反抗期」って言葉だけで片付けてもいいんだなって思うと虚しいですね。
私は6年もの間精神的に傷つきへとへとになっていたのに、反抗期だから仕方ないんですね。私は兄から受けたこれらをいじめだと認識してたけれど、世間がこれは反抗期というなら多分ただの反抗期なんでしょうね。
それなら、兄の反抗期に振り回された、私のこの状況にも名前が欲しいです。なんだろうなぁ。「とばっちり」かな?「しょうがない」かな?それとも「みんなが通る道」とかかなぁ?
全国の妹や弟、みんなが通る道だから傷つかないとでも思ってるんでしょうかね。私は19にもなっていまだあの頃のこと思い出しては怖くて不安で惨めでぼろぼろ涙がでてくるんですけれど。これがみんなの通る道ならそんな道はやくなって欲しいです。それか全国の反抗期の奴らの道に続いて欲しいです。
でもそんな兄も大学に合格し、家を出て行きました。もうハッピーでした。兄が家にいない高校生活ほんとうにとっても楽しかったです。
まぁでも兄も全く帰ってこない訳じゃありません。長期休みになると帰ってきます。
帰ってきてびっくりしました。反抗期終わってるんです。暴言も吐かないし殴らないし私の大事にしていたものを勝手に捨てたりとか、とにかくそういうの全くしなくなったんです。漫画などでみる優しい兄でした。
とても気持ち悪かったです。私に死ねと言っていた人間が数ヶ月で「高校生活楽しい?」と笑顔で聞いてくるんです。どういう風の吹き回しなんでしょうか。あんなに暴言いってきたのに、今更普通の兄妹関係に戻れるとでも思ってるんでしょうか。
無理です。私は兄にやり返さないことだけに全力を尽くしたので、兄を許すだけの心の空きがありません。でもせっかく兄が笑顔で話しかけてくるので、機嫌を損ねないように私もなんとか笑顔で話を合わせています。殴られるのは痛いので。
もしかしたら大学でよほどいい巡り会いがあったのか、もしくは心境の変化でもあったのか、反抗期のことを悪いと思ったのかもしれません。だからせめて今からでも妹と仲良くしようなどと思ったのかもしれません。
でもそれなら、一言だけでいいから、あの頃は悪かった、と謝って欲しかった。謝ってくれたら、許せたかもしれなかったのに。
謝るのが恥ずかしいのか、それとも謝るまでもないと思ってるのか、わたしにはわからないけれど、もし後者なら、やっぱり兄とは一生分かり合えないと思います。
私は母親と折り合いがつかずに望まない進学先で精神面を壊しそこから身体も崩し短大を辞めました。精神内科の先生からは「うつ状態」と言われ薬を飲んでいましたが、精神的な薬に良い印象を持っていない母親に薬を捨てられました。ウケる。今はだいぶ回復はしましたが、それでも外に出る気力もなく、こんな意味のない文章を書き連ねています。
好き勝手に生きてきた兄は大学に進学し就職しているのに、兄の裏で沢山のことを我慢して自分の気持ちを抑圧してきた私はうつで学校を辞め今や引きこもりですよ。笑っちゃいます。
なるべくたくさんの人に見てほしいのでこのようなタイトルにしました。
助けて!知恵を貸してください。
わたくしは不登校児です。
まずは私の懺悔を聞いてください。イタくてクサい犯行記録をよんでください。
新学期が始まって2日経った。まだ一度も学校には行っていない。
行ってきます、と家をでて、電車に乗る。乗り換えの駅で降りる。ベンチに座る。電車から降りた人たちが群れをつくって階段へ向かうのを眺める。平日朝の駅には美しい秩序がある。目当ての群れに入りさえすれば、あとは無思考でも乗り換えのホームへ人が運んでくれる。ちょうど目当ての群れはベンチの前を濁流のように動いている。私はただ立ち上がればいい。しかし立ち上がらない。人びとをじっと見つめる。カナダグースが多いなあと思う。
やがて体が凍えてくる。始業時刻をとっくに過ぎてしまったことを知る。そこでやっと立ち上がることができて、私はよろよろと改札を抜け、すぐそばのスターバックスに入ることができる。
あとは授業が終わる時間までカフェを3軒くらいハシゴする。大きな図書館に行くこともある。それらの中で私は本を読んで、リブログして、あるいはじっと考える。なるべく現実とかけ離れていることを、虚空を見つめて考え続ける。
父親は単身赴任、母親も働いて日中は家にいない。帰ったほうが節約になるし、テレビ見れるしあったかいし寝れるし絶対そっちの方がいいけれど、大学を中退した四つ上の兄が一日中いるのでそうもいかない。
サボっても、家に連絡が来ることはない。電話線を抜いたから、きてるかどうかもわからない。
初めてサボったのは中学一年生の時である。その頃は今と家庭状況が違ったので、昼前には家に帰ることができたが、家に連絡が入ってバレてしまった。
中学二年生からは真面目に通っていたのだが、高校一年生の夏の終わりから、私のこの悪癖はまた顔を覗かせ始めた。
バレるたびに私の信用はゼロになる。
バレなくても、学校に行かないことで学校の友達や仲間に迷惑をかけまくる。「ばり休む子」という色眼鏡で見られる。
中1で失くしたものをせっかく取り戻したというのに(うちは中高でほとんど生徒のメンバーが変わらない。99%同じ160人)、また自分でそれをぶち壊してしまった。
困ったことに、サボるときはLINEのアプリを開くのが苦痛になるため、友達の心配するメッセージに返すこともできない。電話もでれない。みんな優しいので通知3,000とかいっちゃう。ごめんね。
未読無視したままでも、それでも久しぶりに学校に行くとみんなはすごく嬉しそうにしたり、ほっとした顔をしてくれる。笑ってイジってくれるし(また鎖国〜?と言われる)、一緒にLINEを返してくれる子もいる。
幸せだなーと思う。
自分はクソ人間だが、何故か私は縁に恵まれている。私の周りは良いやつばっかり。みんな善良で、ユーモアがあり、親切で、努力家で、芸術が好きで、頭がいい。
でも私はまた休んでしまう。その度に友達は手を差し伸べてくれる。私は甘んじてその手を握り、そしてまた強い力で振りほどいてしまう。
ほんとうに申し訳ない。
中1の頃も高1の頃も、学校をサボった朝、私は自殺しようとしていた。
朝起きて、自分の一番好きな服(母校がガチで好きなので制服のことです)に着替える。何事もないよう装う。さもいまから学校にいくんですよ、昨日の続きの人生を送りますよ、という風な態度をとる。ここでちょっとでも変なことをしたら、死ぬ自由を奪われてしまう。
自殺を決意したとき特有の見え方で輝いている母親の優しい眼差しなんかを目に焼き付けて、いつもよりも良い匂いの空気を吸い込む。
駅のホームで、さあ死ぬぞ、と靴を半分脱ぐ。そういえば、滞りなく通学していた時期に、人身事故で困ったことがあったなあ。線路に飛び込んで死んだら、損害賠償がヤバイってマジなのかな…。そんなことを考えていると、通過列車のアナウンスが流れる(死ぬならやっぱ通過じゃない?止まるやつより速いから確実そう)。
入ってくる電車がやけにゆっくりに感じて、運転手さんの顔をじっくりと見てしまって、見てしまうと、もうダメで、私はまた靴をはくのです。
それの繰り返し。
電車ではムリだとわかったので、今度は家で首を吊ることにする。初めてつくった縄はぐちゃぐちゃだったなあ。つくるのにすごく手間取ってしまった。今ではだいぶ上手くなった。私のロフトベッドの桟には、試行錯誤の縄の跡がついている。
しかし、首吊りというのも難しい。首に縄をかけるのは能動的なものなのである。よほど強固な意志があるか錯乱していないと、ブレーキがかかってしまう。好きな音楽をかけてなんとか自分を励ます。首に縄をかけたとき、本当に優しい気持ちが溢れてくる。人類すべてに対する、焦がれるような愛情がほとばしる。世界がはちゃめちゃに美しいと感じる。えいと椅子を蹴ったけど、結局縄はするすると解けてしまった。そして私は明日のために、明日の自殺の自由を奪われないために、急いで証拠隠滅をはかる。
他にも二つくらいの方法を試したけどダメだった。準備の最中にお母さんから「今日の、晩ごはんは肉じゃが(*^_^*)高いお肉を、買ったよ♪お出汁をとっておいてね!」などとLINEがはいると、(私にとって)自殺直前特有の激しい愛情もあいまってもうダメになっちゃう。
他の二つのことは(というか実は飛び込みと首吊りのこともなんですけどね)主題に全く関係ないので書きません。
しかし私は死ななくてはならない。前はただ自意識から逃げたくて死のうとしてたし、今もそうなのだけど、私はもうわかっちゃったのだ。
私に伸び代はない。
せっかく中学受験して、一生の誇りになるような学校に入ったのに残念だけど、私は17歳になっても怠惰が治らなかった。そもそも自殺が成功しないのも怠惰が原因ですよね。
はあ…。
すみません、時間がないのに、なんでこんなにたくさん書いてるんだろう、焦ってるから考えられないのだと思います。
どうしたらいいですか?
中1のときと高1のときは、ヒリヒリするほど自殺への欲求がありました。おかしな話ですけど、私は生きるために、自殺しないように、学校をサボって自分を休ませる方法を編み出しました。
そのときは、そうしないとマジで気が狂うと思ったし死ぬと思ったから、罪悪感とかは後々になってでてくるものだった。
でも、今はどうなのかわからない。
でも、あの頃ほどじゃない。
というかたぶんそれで間違いはない。宿題終わってないから、嫌やねんな。そう。
罪悪感がすごい。いつかバレるのではないかという恐怖もすごい。みんなそうだと思うけどうちの母親は怒ると人格が変わって、マジでなんでもする。風呂に沈めてくる。
兄貴は今は肩身がせまいから大人しくしているけれど、去年の4月まで私は生傷が絶えなかった。顔と耳に血豆ができた状態で学校に行って、ウケると思って「兄貴にやられた!」と言ったら、みんないいとこの子なのでガチマジのドン引きをされた。私の立場が悪くなったらすぐまたあの頃に戻ると思う。ホントに関係ない話だけど、「君の名は。」でみつはちゃんにはいった瀧くんが胸を揉むシーンが、マジで無理いろいろ思い出すから。アニキにされたこと、思い出したくないし文章にしたくないけど伝えたいので、↑で察してほしい。毎日だった。
とにかくサボってることをバレるのが怖い。
今日母親に「増田が新学期の始業式から学校に行ってて嬉しい!」と言われた。行ってない!!!ごめんお母さん。
もういっそ全部バレてほしい。もう嫌だなにもかも。
私はこれから「大丈夫ー?」という友達のLINEの通知をオフにして、電気を消して、明日の段取りを考える。いつも通りの顔で、いってきますと言わなくちゃいけない。
みなさん、私はどうしたらいいですか?今から何をすべき?明日はどうすべき?
知恵を貸してください。
読んだらわかると思うけど、かなり焦っているし取り乱しています。文頭と文末がしっかりしていないし、言葉も間違いまくってるとと思う。わかりにくいでしょう。
助けて。
仕事でクソ忙しい最中の時間帯にクソみたいな団塊じじいに絡まれ、やるかたない殺意をどうしても今夜中に解消したくて家から徒歩2分の居酒屋で一人で飲んでる。
旦那は遠方に単身赴任中でわたしなどよりずっと過酷な環境で歯を食いしばって頑張っていて、彼には愚痴りたくない。
弱いとこはお互いに見せ合い癒し合う関係ではあるけども、今は彼も本当にしんどい時期なのを知っているので、彼には今は愚痴らない。もう少ししてから、笑い話にしてやるんだ。
でもだからって22時から「今から飲みに行こうぜ!」と友人を誘うわけにもいかないし、近所の小さな個人経営の店で一人で飲んでる。
オーナーのおっちゃんとは数回通って世間話をしたぐらいなのだが、何しろこの居酒屋、いつも客が少なくて。
だからだと思うが、おっちゃんはわたしのことをしっかり覚えてくれていた。
笑顔で出迎えてくれて、いつもわたしが好んで座っている隅の席に案内してくれた。
くさくさしながら生ビールを流し込んでいたら、おっちゃんがニコニコしながらこちらを見てる。
目を合わせると
「頭使ったあとだからですね」
と、労ってくれた。
なんかその一言で、すごい楽になった。
「もー、疲れました。今日は本当疲れましたー!」
と思わず吐き出すと、おっちゃんは笑いながら、ちょうど呼ばれて他の客の注文を取りに行った(今日はわたしの他に1組だけいた)。
それだけ。
あとはひたすらわたしはこうして増田書いてるだけだし、おっちゃんは放っておいてくれてる。
味もいいし、雰囲気もいいし、もっと流行っていい店だと思うんだが、いつ来ても客は少ない。
ずっとずっと、ここにこの店があればいいのになー。
そしてわたしが今日みたいに、凹んで腐っているのだけど話し相手がいなくて余計に煮詰まってるときに、一言、なんてことない言葉をかけてくれたらいいのに。
余計なお世話だがもし苦しいならめっちゃ友達連れて来るよ。旦那と一緒にディープな常連になっちゃうよ。だから、ずっとここにいてよ。なくならないでよ。
追記
つまみは、お通しの白魚しょうが醤油和え(プリプリでうまい)、豚キムチ鉄板焼(キムチが旨辛でうまい)、砂ズリネギまつくね(ほくほくカリカリでうまい)です。
以前勤めていた某役所に、1人で3人分の仕事をこなす事務のおばちゃんがいた。
なのに、役所がその部署の人員を一向に拡充しないうえに、彼女の異動も見送りまくった。
今や彼女がその役職に就いてから、実に15年が経過しようとしている。
結果、昔でも2人分の仕事量だったのが、彼女が自身の仕事をしやすくするよう徐々に権限を強化していったため、気がついたら3人分の仕事量になっていた。
でも旦那が単身赴任かつ3児の親ということもあり、仕事はめっちゃ速い。15年の積み重ねが仕事の速さをブーストしていることは言うまでもない。
ほぼ必ず定時で上がっている。
そんな彼女には自慢の息子が3人いるわけだが、そのうちの1人、末っ子が高校生にして超絶リア充なのだ。
…まあとにかく「凄い」の一言に尽きる。
この母親あってこの息子ありと言っていい。
勿論「誰にでも優しい」ことが引っかかる人(特に一部の女子)はいると思うが、そういう手合でさえ「憎めないやつ」くらいの位置を確立してそうな勢いである。
しかし、教師の中にはそんな彼を快く思わず、目をつけている教師もいるのだから世の中分からない。
しかも彼が一番苦手な「自分を嫌っている人間がいる」ことをハッキリ示す叱責で責めてくるとか、指導者失格というか人でなしじゃね?
今の御時世「仕事の問題≒人の問題」なのだから、それを率先して解決できる素質を持っている、彼のような若者を潰そうとするとか、どういう了見なのか。
悪くないよね。ただ、これは私が男性だからそう思うのかもだけど、sexしたくなったらできる距離にいたいなぁ。女性観点で考えても、寂しい時には側にいてほしいとか、単純に重いもの持ってくれると助かる、みたいな人が一定数いるんではないかな。
逆にお互いが独立した人間なら別居でもうまくやれるよね。遠洋漁業の奥さんなんかはそのパターンだし。単身赴任は昔からあった。昔の方が割合おおかったのか?
思ってみると、皆さんドラマなんかで『男女の関係はこうあるべきだ』みたいな刷り込みがあるんじゃないかな。ロマンティックな恋愛して結婚みたいなパターン。
http://b.hatena.ne.jp/entry/nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1711/15/news001.html
けっこう叩かれてるので正直驚いている。でもそんなに悪いもんじゃないよ。
実際、そのような生活を20年続けている人間だが、逆にそのような生活だから20年安定した関係が築けている。と言える人間じゃないと続かないんだろうなあとも思う。お互い離れたところで仕事を持っている状態で付き合っていてそのまま結婚したので、ようするに結婚する前から単身赴任している状態だったと言えばわかってもらえるだろうか。電車で1-2時間ほど離れた場所に住んでいるので、月に数回、週末をお互いの拠点で過ごすようなことを続けているのだが、それぞれの場所が適度に都会と田舎なのでそれぞれリゾート気分を味わえている。もちろん知人からは変わった人扱いされてますし、実際結婚している意味あんの?とはよく聞かれるけど、気楽でいいですよと答えておけばだいたいみなさんに満足してもらえてその場は収まります。
で、実際結婚する意味があるのか?というと結構あって、私の場合は結婚という制度に乗っかることで関係を維持するのに必要なエネルギーが減る。ということがとても助かった。付き合っているだけの状態だとちょっとした感情のぶれですぐお互いの関係がぎくしゃくして、それを修復することにいつも消耗していたように記憶しているが、結婚という制度の重み、つまり別れるためのハードルが上がることがいいあんばいで効いてくれているように思う。あと、特に肉親にたいして一緒にいることについてわざわざ説明しなくてもいい理由になるのは助かっている。まあ、一緒に暮らしている人たちからすると取るに足らない理由なんだろうけど、そもそもが他人に対してあまり興味のもてない自分にとって、それでも共に過ごしてもいいと思える人と安定した関係を保てているだけで十分満足しています。旅行とかは(とくに海外だと)やっぱり二人で行った方がなにかと楽しいなと思うし。
パートナーはどう思ってるのかというと、ある程度同じ感覚を持っているから関係が続けていられるのだとは思うけど、私よりは一緒に住みたいという希望はあるようだ。いろいろと仕事などの状況も変わってきて、近い将来同居することになりそうな雰囲気もあって若干の期待と大きな不安を感じています。これからどうなるのかなあ。
一人暮らしをしているんだけど、料理を作っても一人だと寂しいので、友達を誘ってたまに食べてもらっている
女友達は結婚してる人も多いから、あまりしょっちゅう誘いにくい
会社で一人暮らし独身で、いつも残業ばっかりしている男性職員がいるのだけど、正直ご飯を作ってあげたい
ご飯を食べてくれるなら、単身赴任中の上司の男性でも全然かまわない
だけど、家に誘ってご飯を食べさせると誘ってるとか気があるとか言う風潮になる今のご時世、それができなくてもやもや
けっこうおいしいと思うんだよ
友達に食べさせるとみんな完食してくれるし
ご飯を作ってあげる=その人に気がある
という暗黙ルール滅びて欲しい
赤ちゃんは泣くのが仕事だから、それに文句を言うのは不寛容であるとかっていう意見を見るたびに疑問である。
そういう心理的な話ではなくて、騒音による物理的なストレスがかかるという話なのだ。
あくまで物理的な騒音に起因するものであり、「赤ちゃんの泣き声」でなくても同じことで、
言い換えると、「赤ちゃんの泣き声」だから気にならないともならない。
昼夜問わずランダムに24時間、自宅で毎日騒音にさらされるというのが非常にストレス・迷惑なのである。
騒音に耐えられない理由を、不寛容だとか心理的な何かと思っている人がいるが、恐らく実態はそうではなくて、
同様の意味で騒音に耐えられる人が世の中にはどうやら存在する。
後者の人間は前者の感覚が理解できないため、話が一向に噛み合わないということになる。
そのため、隣人の赤ちゃんの泣き声に文句を言う人を一方的に窘めたり、文句を言うのは、
あまりに他人に対する思いやりや理解がなく、不寛容そのものである。
生活空間での騒音に耐えられる人とそうでない人には、気の持ちようでない違いがあることを理解して下さい。
(尚、騒音問題にリアルに悩まされたこがないのであれば、そもそもそういう人のストレスを理解するのは不可能です)
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(追記)
赤ちゃんの騒音問題は非常にストレスにはなるが、かといって基本的には相手に文句を言うようなことでもないのはその通りである。
なので、私自身が同様の問題に陥った際は、耳栓で対処した(しかしながら、それで快適な睡眠が確保できるかというと、必ずしもそうはならない)
また、私の場合は、単身赴任の独身者向けの場所(オーナーがそういう前提で募集している)に住んでいた際に、
ある日から隣人の部屋に、嫁+赤ちゃん+3歳くらいの子供が引っ越してきた(部屋は6畳程度である)。
この際にはさすがに前提条件からして、文句を言うべきかどうか非常に悩んだが、結果としてはこちらが我慢していた1ヶ月半程度で出て行ってくれた。
直人
現在32才
青森県育ちの横浜市在住。母の親戚の知人の法事中に生まれた。生まれてしばらく父親一人で育てられている。
一人暮らしの2人兄妹の兄
紙の本と電子書籍を書いていた(筆名は不詳)。最近出した本は「卑しさに包まれたなら」
ロードバイクと原付を所持。過去には250ccネイキッドやスクーターにも乗っていた。
成人年齢は22才に引き上げろと連呼している。
妹 31才・・・一人暮らし中。育った場所と母校は兄と同じ(高校と大学)。
名古屋生まれの2人兄妹の妹で東京都渋谷区在住。母が単身赴任中にアパートの浴槽で生まれた。生まれてしばらく母親に育てられた。
以前は横浜在住で、当時と同じ250ccネイキッドを現在も所持している。
小学生時代に不良と共謀していじめを起こし、保護観察を受けていた。
ゲームソフトを何本も所持、購入している。
兄妹が生まれる前からオートバイと自動車を乗り回していた(車種失念)。郵便屋で金融に詳しい(定年退職している可能性あり)。
兄妹の同級生から「不良肌」と恐れられていたらしい。(兄妹を虐待していたこともある)
魔法少女ものとファンタジー小説・漫画、携帯機・PCゲーム好き。
父・・川崎にて母と同居中。
民間人上がりの元正規公務員で現在は嘱託職員で年金生活満喫中のITオタク。