はてなキーワード: 中学校とは
なんか酷いことになっているので、学校の調査発表と元顧問の公開したYouTube動画を見て、簡単にまとめてみました。
本件の本質的な問題として、「技術工作部」の顧問(退職済)が所属する学生に借金を背負わせて卒業させていたという点があります。
返済は「部への寄付」という形を取るため、元顧問に言わせれば借金ではないそうですが、将来の寄付を約束させている時点で借金と変わらんのです。
ではなぜそんな事になったのか。
学校から支給される予算だけでは足りず、それ以外の活動資金は、元々は高校2年生の部員が負担する制度だったそうです。
中高一貫校なので中高生が入り混じって活動しているわけですが、最大6年間の活動の中で、高2の時だけ負担するということです。
赤字になれば高2の部員で頭割りして追加徴収し、余った場合は残金を頭割りで返却したそうです。
この時点でまあまあ意味不明な制度ですが、これに保護者から負担が大きいとクレームが入りました。
そこで、元顧問がポケットマネーから100万円を部に貸し付ける形に変更したそうです(学校には報告していません)。
そして学校から下りる予算やイベントの物販の売上等でそれを相殺し、年度末に元顧問に返済するというお金の動きになりました。
足りなかった分は後述するようにその代の2年生が借金として背負うので、現役生の時に払う形から、卒業後に払う形にスライドさせたということです。
学校側のチェックがガバガバだったのもあるのですが、せっかく複式簿記にしたのに、結果として会計がブラックボックスのやりたい放題になりました。
それが退職、引き継ぎの準備の最中に発覚し、部の活動停止処分にまで至ったわけです。
詳しい事情は分からないのであれなんですが、高校の部活なんてサッカー部や野球部でも諸々あって年間十万~数十万はかかるものじゃないですか。
芝中・高校は中高一貫、かつ高校からの募集がない特殊な私学です。
そこに通わせる程度には余裕のある家庭の子息しかいないはずですが、保護者からのクレームで部員から活動費の徴収ができなくなるってのは、年間どのくらいかかってたんですかね…。
高校3年の1年間を大学受験対策に使うという事情から、おそらく部内の最高学年が高2なのだと思いますが、2年生に全部負担させるというのはよく分からないですね。
素直に全部員から徴収すれば1回あたり、一人あたりの負担が減ってクレームも出なかったのでは、と思います。
貸借対照表にある「貸付金」。
これは、その年度の会計が赤字だった場合に、部員に課される「寄付の予定額」の合計だそうです。
何を言ってるのか分からないと思うのですが、つまりこういうことです。
その年度の会計が赤字になった場合、足りなかったお金の出処も当然元顧問です。
元顧問は、この赤字分をその年度の2年生の責任とし、負担するよう要請していました。
しかしそこは教育者としての良心なのか分かりませんが、出世払いとしました。
それが「部への寄付の約束」で、予定された金額が「貸付金」に加算されることになります。
この「貸付金」の金額はそのまま「短期借入金」の100万円に加算されます。
報道で公開された貸借対照表では「短期借入金」が175万円あったので、その内訳は元顧問の「元入金」が100万円、寄付の予定が75万円分あったということです。
「貸付金」とは「誰かにお金を貸しました」という項目であって、要するに債権です。
そもそも貸していないのであればそのお金はどこから来たんだという話になりますし、元顧問のポケットマネーなのであればこれも「短期借入金」の方に入れ、「元入金」の金額を変更すべきでしょう。
借金だと認めるのであれば「貸付金」でOKかもしれないですが、すると今度は部活の顧問が部員に借金を背負わせて卒業させていたという倫理上の問題があります。
いずれの場合でも問題なのですが、帳簿に「貸付金」と記載したことからも分かるように、実態として借金であることは疑いようがないと思います。
また、現役部員に特定の代のOBを狙い撃ちして寄付を求めるという借金取り紛いなことまでさせていた点は悪質と言って良いと思います。
さて、元顧問はしきりに複式簿記であることを強調し、「簿記が分からない人には理解しにくいかもしれないが」と話していましたが、失礼ですが馬鹿なのかなと思いました。
記載内容が独自ルールの塊なので、簿記が分かっても理解できるはずがないんです。
ご自身でも話していましたが、不適切会計の解消にむけて、公認会計士が見ても分からないから会計担当をしていた元部員と協力して確認作業をしているそうです。
公認会計士が読んで理解できないような帳簿は、帳簿とは呼べません。
ところが帳簿上の実態は元顧問が補填した赤字額のことであり、元顧問本人は「金を貸したわけではない」と説明しています。
元顧問の動画では「基本金(資本金)」についても説明していました。
企業ではないのに「資本金」とは?という疑問への答えらしいのですが、これは「寄付金収入」のことなのだそうです。
「寄付金収入」はその年度の収入として計上するのが普通の会計処理なのですが、「OBが部へ寄付しているのだから、収入として扱うのはそぐわない」という意味不明な理屈で「基本金」に繰り入れていたそうです。
要するに、「基本金」という名前を付けた「謎のプール金」だったということですね。
そもそも会計上の「基本金」とは学校法人が学校の運営のために確保してあるお金の事なので、部活の会計勘定に「基本金」なんてものは存在しないのです。
存在してはいけないものがある以上、見た瞬間におかしいと気付きそうなものですが、学校側は本当に何も確認していなかったのでしょうね。
動画では「お祭りの寄付金みたいなもの」なんて言い方もしていましたが、それこそ「寄付金収入」として扱うに決まってんだろバーカと思いました。
(きちんとした話をするなら「基本金」と「資本金」は別物ですが、それは別のお話。)
複式の帳簿は単式帳簿よりお金の出納を詳しく追えるのがメリットなのですが、
「これはな、学生に借金背負わせてるなんて言えないから貸してないことになってるけど、実質的に貸してるから貸付金なんやで」
とかやってたら台無しなんですよ。
「この貸付金は誰に貸したんですか?」
「いえ、誰にも貸してないですよ」
「えっ?」
「えっ?」
みたいな会話があったんでしょうか。
・借用書を交わした一般的な形式ではなく、返済期限も特に定められていたわけではないものの、将来の寄付を約束させている時点で実質的な借金である
・帳簿には「誰(何回生)にいくら貸し付けたか」が記録されており、卒業生の借金は部によって管理されていた
・卒業生への寄付の要求は現役部員が行っていた(高校生に借金の取り立てをやらせていた)
・借金の返済を「寄付」という形にしたことは、借金であることを隠蔽する目的があったとしか考えられない
・そもそも、元顧問が自身のお金で部の活動資金をまるごと建て替えた事自体が、活動費の管理・運用の観点から間違っている
簿記やってる人からすると吐き気がするレベルの内容だと思うんですが、企業がこんなことしたら、ほぼほぼ間違いなく粉飾決算です。
会計担当をしていた部員は会計系の企業に就職した人もいるそうなんですが、恩師のクソ会計を今どんな気持ちで見ているんでしょう。
気の毒です。
元顧問については、技術系に関しては能力があり、熱意もある優れた指導者だったのかもしれませんが、その代わりお金の管理に関する倫理観がバグっていたのでしょう。
あるいは、お金が原因で学生の活動の幅が狭められてしまう事に歯がゆさを感じていたのかもしれません。
お金の管理方法を使いやすい形に捻じ曲げてでも、その思いを果たしたかったのかもしれません。
指導者が自ら率先してルールを逸脱し、その姿を教え子に見せることに何の葛藤も抱かなかったのでしょうか。
なあ・・・。
この方も、あの方も、えーっ マジかよ!? ってなる人ばっかり。
学校で信頼関係の確立されてない他人の女に声をかけるな、って話もあったけどさ。
学ぶために金払ってる学校で、恋愛するのはおかしいって理屈は分かる。
俺だって食うために通ってるサイゼリアで下心ある他人に声かけられたくないもん。
だけど、現実のヤバさに今更気付いたんだよ。
クラスメイトは全員すっぴんだったけど、ハッキリ言って、女としての魅力が違った。
彼女らのような、いい女が、どこに消えたんだか、さっぱり分からねえ。
あの頃の俺に教えてあげたい。
モラルなんて、かなぐり捨てて恋に走れ。
理解するのなんて中学程度の読解力があれば余裕だし、実践に年齢は関係ない。
30代後半になると使う相手が居なくなる。
小学校の頃、裁縫の授業で糸に針を通すのが専用の器具の使い方を覚えるまでできなかった
俺は自転車に乗れない
小学校5年生の頃からずっとパソコンを使っているのにタイピング速度は秒速3keyで精度も95%程度だ
小学校の頃の合奏会で同じリズムを繰り返すだけの打楽器ができなくてチームから外されたことがある
中学校で3年間バレーボールをやっていたのに 高校の球技大会で笑われるほど下手くそだ
中学校から高校まで5年間 絵を書いていたのに妄想龍とか有名なヤバい絵師よりマシな程度のレベルで絵が下手だ
結局才能が全てなんじゃないか?俺はそう思うのだがこういうことを言うと だいたいやり方が悪いとか努力が足りないなど怒る人が出てくる
他にも俺も最初は下手だったとか
俺は嘘だと思う
田舎生まれで塾にも行かなかったが YouTubeで適当に見たおすすめの参考書を見るだけで旧帝大に合格した
実のところほとんどしていない
親に絵の道をあきらめるように言われた高校3年生の夏まで 俺はほとんど勉強をしていない
それまではよく授業中寝ていたし 数学や古典でよく赤点 を取っていた
そういうわけでもない
私の出身校では受験期にそれぞれが行った勉強時間を1日毎に記入していく表のようなものが張り出されていた
であるのにたった数ヶ月でメキメキと実力を伸ばし(実際、模試などの校内順位がドンドン上がっていった)大学に合格したのである
結局誰でも始めた時は下手の当然で
普通のレベルが上がれば脱落する奴も増えるって当たり前のことがなんで分からないんだろう
中学校でクラストップの成績でも東大に入れない奴の方が多いのが現実だ
そして何より適齢期の普通の男女は婚活なんてせずとも普通に相手を見つけて普通に結婚しているんだよ
それが年齢に合った完成品ってことだろう
昨日、妻から聞いた話。
学校から帰ってきた小学校4年生の娘、妻が玄関ドアを開けると、ドアの前で半べそをかいている。
何があったのかと尋ねてみると、
「私、人と違うみたい...植物と話ができるの...」
予想の斜め上をいく返答に戸惑い、それでもいきなり否定するのもどうかと思って、とりあえず話を聞く妻。
「その植物にとまっている虫とも話ができた」
等と話を始める娘。
「...そう。ママは、植物がどんな気持ちでいるのか聞いてみたいものだわ。」
反応してもらったので調子に乗ったのか、
その話は誰かにしたの?と妻が聞くと、
「うん。そしたらね、私の他に3人も、『◯◯ちゃんと植物の会話が聞こえた!』って子がいたの」
妻は戸惑いつつ
「あまり人には言わない方がいいのでは」
とコメントした、とのこと。
昨日、Huluで『SPEC』を見たからでしょうか、でも、もう4年生ですよ、と虚ろな目で呟く妻。
子供の頃から常に現実を意識しているタイプの妻に比べ、私は想像や妄想の中で遊ぶことの多い子供だった。
だから、娘がそのような想像をして遊ぶ事には、特に驚きはしない。
-------------
仕事帰り、駅から家に歩いて向かう途中で、近所の歯科医院から出てきた妻と娘と偶然一緒になった。
3人で並んで家まで歩く。
妻が道端に咲いている花を指して
「きれいだね」
と言ったところ、娘、その場では
「そうだね( ^ω^ )」
と言う。
まだそのキャラで行くつもりか、と思い、自宅マンションのすぐ手前までやってきたところで近くの木を指して、
「この木は随分と昔からここにあると思うんだけど、このマンションが昔はどんな感じだったか、知っているんだろうか...」
と言ってみたところ、娘は少し立ち止まって神妙な顔をしてから、
「...あのね、昔はタイルじゃなくて、もっと赤い色のレンガだったんだって」
と教えてくれた。
「へぇ」
と返事したけど、お前、その木に騙されてるよ。
--------------
寝室でゴロゴロしている私のところにやって来て、
「あのね、これはまだママには言ってないんだけどさ、」
と話し始める。
「超能力で、植物と、それから植物にとまっている虫と話ができる、って言ったでしょ?」
そこまで聞いた私は、その少し前に娘が妻から別件で
「間違いを犯したことは良くないけど、それを隠そうと誤魔化したり嘘をつくのはもっと良くないことですよ」
と諭されていたことを思い出し、そうか、ついに「実はあれは作り話なの」と告白する気になったか、と期待しながら続きを聞く。
「あのね、動物の声も聞こえるようになっちゃったみたい...」
不意打ち。
今度は動物か。
「通学路の十字路のところに、犬を連れたおじさんが座ってるのね。その犬がね、『私の名前は○○だよ』って教えてくれた。そのおじさんがつけた名前とは違うのかもしれないけどね。」
それを言いにきたのか。
「ママが買い物から帰ってきてカステラ出してくれたら、ママにも言うつもりだから、先に言っちゃわないでね。」
--------------
と聞いてみる。
妻が、
という表情をしている。
しまった、と思っている私に、娘は「何をおかしな事を言ってるのこの人は」とでも言いたげな表情で、
と教えてくれた。
--------------
3週間ほど前に受けた『全国統一小学生テスト』の結果が返送されてきた。
中学校は受験はせずに地元公立に進学の予定だが、無料だということで一年前に試しに受けさせてみて、それ以来受け続けている。
一回目を受ける時に3DSを欲しがっていた娘は、
「上位○○までに入ったら買ってもらう」
テストの案内がくる度に「今度こそ3DSを!」というつもりでいるらしい。
そのくせ、そのために勉強する様子もないので、親の側も娘本人も、正直なところあまり真剣味はない。
今回も妻が「上位15%に入ったらね」という、どう考えても無理な条件を出したのだが、
「よし、15%ね!がんばるぞ!いける!」
と根拠のない自信をアピールしながら、前日はYouTubeでラーメンズを見ていたので、テストの採点はルーレットで決めているとでも思っているのかもしれない。
結果は、まぁこんなもんだろう、というものだったが、理科は平均点に届いていない。
本人、当日帰宅してからは「理科はバッチリできた!」と言っていたはずなのだが。
詳細な採点結果や解説を見ると、特にできていないのが「植物」と「昆虫」の項目だった。
超能力がちっとも活かされていない。
--------------
SNSの仕様で、親切に「◯年前の今日の日記です」と教えてくれる。
子育ての過程で悩むことも多かったのだが、日記には主に楽しかった事を書いていたようで、過去のこれらの日記に励まされた事もあったように思う。
『◯◯ちゃんと植物の会話が聞こえた!』と言ってくれた同級生とは、今でもLINEのやり取りがあるらしい。
理科の点数はずっと低調だった娘だが、今は理系の学校に通っている。
超能力は、もう無いとのこと。
それについて調べると小学校、中学校、高校もどうやら同じらしくて
つまり小中高で新人教師というのは毎年1人しかいないというのが通常らしい。たぶん私立も同じだろうと思うが。
ずいぶんカツカツでやってるんだなと思う。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8ad2010ecaa0c279e014640d39b6c33bda3e8adf?page=4
5月9日朝、埼玉県久喜市立鷲宮中学校の1年3組では、家庭科の授業が始まっていた。生徒31人の手首には、脈拍を測るリストバンド型の端末が巻かれている。「集中度」をほぼリアルタイムで把握できる日本初のシステムがこの日、初めて本格稼働した。保護者には概要を伝え、個人情報への配慮も説明。了解を得ているという。
…
今回のシステムを提供しているのは元国立健康・栄養研究所協力研究員の高山光尚さんと、ヘルスケアIT企業のバイタルDX(東京)。高山さんに聞いたところ、脈拍に着目するのは、身体の機能を調整する自律神経との関係が深いためだ。
生徒の評価には使わないって、それも実際はどうなるのかと思うが、
まずは教員の準備の時間を確保するとか、全国一律な質を提供できるようにするとか、やることあんじゃねーの。
あと生徒が思春期の時期ってのも気になるわ。
小学校までは男女隔てなく仲良く遊んでいた同級生達が中学に上がると、学ランに黒ズボンを履いた男子と、ブレザーにスカートを履いた女子に別れ、以前と全く違う人物かの様に急に振る舞い、お互いの間に透明で重厚な壁を立てた事がまず一つの原因だったと思う。
そしてまた別の理由は初めての恋。
仲の良かった女子の恋愛相談に乗っていて、彼女が好きな男子に振られると急に手の平を返して僕に好意を打ち明けてきた。その心変りの早さに僕は内心軽蔑した。
しかし、その頃物事を深く考えていなかった僕は、彼女の好意にロマンティックにも応える事にした。
放課後誰も居ない教室に二人きり、夕陽が窓から強烈に差し込む真っ赤に染まった教室の中で彼女に「付き合おう」と応えた。
顔は太陽と同じ様に真っ赤に染まっていたのに、その時の心情はただただ寂寥であった。
それは多分、自分自身でも心の内の声に気付いていたからかもしれない。
初めての彼女ができたものの、僕は具体的には一体何をすれば良いのか分からなかった。
恥ずかしさと面倒臭さで彼女と一緒にする登下校も拒否していた。
すると、どうしてそうなったのか直接的な原因は知らないが、彼女は一度告白をして断られた以前の男子といつのまにか付き合っていた。僕はその事を周りの同級生から人伝手に聞いた。
彼女と付き合う事を口言したわりに具体的な行動を示さなかったのは自分だ。
だから振られてしまっても仕方が無いのに、僕は自分でも驚くほどその事実にショックを受けていた。
気が付いたら学校に行くのが嫌になり不登校をし、家に居るのも何なので近所の空き地で身を隠して一日の大半を過ごしていた。
どうして自分は彼女に振られてショックを受けたのかをその時にじっくり考えた。
自分でも気付かない内に彼女の事をとても好きだったのだろうか。
彼女と付き合ってから変に意識し過ぎてよそよそしい関係にしかならなかった。
彼女の好きな男子の話しを聞いて軽く意見を述べたり二人で盛り上がったり。
彼女の話を聞く為に交換日記まで使って日々やり取りをするほど異様な時間を共に過ごした。
どうして僕はあんなにも心が躍っていたのだろうか。
そんな事を考えたり、空き地で飽きたら周りの人にバレない様に近所を散歩していた。
そしてある日いつも通り空き地で漫画本を読んでいる時に気付いた。
その時持っていた漫画は女友達に借りた少女漫画だったが、その中の主人公の女子と同じ様な感覚が、初彼女と共有していた感情にとても似ていた。
カッコイイ男の子を見てドキドキして、彼と話したくてでも話せなくてそんな状態にハラハラする。
漫画の登場人物に感情移入をする様に、彼女を通して僕は恋をしていたのだ。
そこまで考えて愕然とした。
僕はあの男子が好き?
もし僕が彼を好きだったら、僕は同性愛者なのかもしれない。
そういった行為が異常だという事は子供の頃からテレビや周りの人の反応で何となく認識していた。
なのに自分が異常と呼ばれる人間になるのかと思うと正直戸惑ってしまいよく分からない。
考えれば考えるほど自分は同性愛者なのでは無いかと疑問が湧いてくる。
それを確かめる術も同性愛という世界に対する知識を得る手段も何も無い。
男は女を好きになるものだ。それが当たり前とされてきた。
中学校の体育教師も「男は男らしくあれ、女は女らしくあれ」と、それがお前の遺言であれと思うほどに皆んなの前で説教していた。
周りの同級生達はアホ面を下げて遊んでいる。
その中の一人がすれ違いざまに「どうしたん?学校嫌になったん?」と声をかけて来た。
そして教室に入ると振ってきた彼女が何か言いたそうに暗い顔をして僕を見ていた。
その彼氏は僕と目を合わせない様にしているのが分かる。
僕が学校に来なくなったのは二人が原因だと彼等や周囲に意識されるのが癪で、負けず嫌いな僕は意地でも学校に行く様になった。
学校には行くし授業は真面目に受けるし周りの同級生とも普通に話していた。
でも心に虚無感を抱かない日は無かった。
同級生と下らない話の笑いに付き合えば付き合うほど、作り笑顔が上達すればするほど、心に抱えた虚しさは膨らみを増し、日に日に腹の中で闇が深まるのを感じた。
一連の出来事があった彼氏彼女とは学年が変わりクラス替えの為すぐに離れ離れになった。
彼と毎日クラスで会わなくて済む事に僕は心底救われた。彼もまた彼女に振られたようだ。
そんな彼に意外な言葉をかけられたのは冬のある日だった。
教室にあるストーブで温まっていた僕の隣に静かに彼が腰を下ろした。
その頃には挨拶程度は交わすものの会話という会話は避けていたので僕は気が気では無かった。
僕は何を言われたのか一瞬分からなくて答えに窮した。
それから彼は部活の話とか、教室で流行っているカードゲームの話を僕に振ってきた。
何となくどもらずに答えられた気がするが細かい会話の内容はハッキリとは覚えていない。
話している内に変にテンションが上がった僕達は他愛も無い話でバカみたいに盛り上がった。
彼の好きな女子の話は聞きたくないし、誰が誰を好きとか興味も無かったので僕は急に静かになった。少しの沈黙があって彼が小さな声で、でもハッキリとこう言った。
「お前が女だったらな」
…一瞬、頭が真っ白になった。
しばらくの沈黙の後、僕の頭の中に浮かんできた言葉はこうだった。
(俺は女じゃ無いし)
何故か怒りの様な感情が湧いた様な気もする。
それから僕達がどういう会話をして、その後どういう行動に移ったのかよくは覚えていない。
ストーブの熱のせいで頭がボーとしていた。
暖かくて明るい教室の雰囲気の中で僕の心だけが冷え冷えとしていた様な気がする。
そして自分の感情に蓋をして深く考え無い様にするしか術は無かった。
クラス替えをしてからは仲の良いクラスメイトに恵まれて楽しく過ごしていたし、1年生の頃の苦い思い出も自分に芽生えた小さな疑問も一先ず考え無い様に努めた。
こうやって自分を少しずつ殺していく日々が始まった。
自分を少しずつ取り戻していく日々の話はまた別の機会に。
#PRIDE月間
入ってすぐの奴らに銃撃たせるなーゆうのは正解やと思うわ。
まあここに居ても未来ない癖に潰し効かんなーで辞めたくち。
口が悪いっつ―か「こういう喋り方したら相手の神経逆撫でするだけだよな―」って普通は飲み込むような表現平気で使うんな。
特に年食ってる癖に曹長にも准尉にもならんで1曹2曹で楽しよ企んどる奴らがほんま常識ないんよ。
あーまー年食って3曹続けてる奴らは論外なんで。
意図的に出世嫌がってるような奴らだいたい世の中舐め取るかんな。
いい年こいて正社員断り続けてる飲食バイトみたいな精神性の連中や。
あー話逸れたし一回行開けるで。
自衛官なー、アイツラなー「とりあえず罵倒しておけば相手は言う事聞く」みたいなノリやねん。
実際には「指導しなきゃいけないのは頭でわかってるけど、どういう指示出せばいいのかさっと思いつかんから、とりあえず『注意だけは頑張ってしましたよ』っていう言質作りのためにひとまず強い言葉使っとけ」って感じやね。
マジクソー。
本気で指導したいんじゃなくて単に「僕は頑張って指導したんだけどな―」って言い訳作っときたいだけ―。
マジクソー。
マジ舐めとんよな。
そんな「僕は注意したんだけどな―」が通るのなんて一般社会じゃせいぜい高校の委員会までちゃう?
インカレでそんなんやったら「なんやコイツ……こんなこすっからいカスやったんか……」でムラハチされるよな。
地元の高校に会ったやろ中学校で世界止まった奴らを収容してる高校とは名ばかりの中学4~6年生が通ってるガッコ。
あれなーあれの延長で中学40年生やってる奴らがいる世界なー。
本気で問題解決したいんやなくて単に「僕ちゃんセンセーに怒られたくないよぉ」で終わりなんよなアイツら。
マジでアイツら二言目には「怒られるのは私なんですよ」言うかんな。
「書類がちゃんとしてないとあとで問題が起きるので」やないんよ自衛隊の世界は。
「偉い人に怒られたくないから言われたことは守らなきゃ」なんだよ。
マジか?
パパママ先生ガミガミおじさんが神様の世界から卒業しないままアラサーアラフォーアラフィフやっとんか?
マジビビルやろ。
「これやっとくと怒られないらしいな」っていう虫ケラの条件反射、エターナル・パブロフ・ドッグスやからな。
んでまあそんな奴らにありがたーいご指導ご鞭撻を頂く期間が自衛隊にはあってな、その時はマジで理不尽よ。
何が理不尽って「理不尽への耐久力を高める」というお題目の元テッキトーに罵詈雑言飛ばしてるだけの指導と言う名のシゴキという名のごっこのおべんちゃらの茶番のイビリを延々受けることやね。
これで何が学べるって「あー自衛官の言語能力ってカスやなー」っていうことだけよほんま。
言う事コロコロ変わるの当たり前やけど半分ぐらいは伝言ゲーム下手くそすぎるのが原因なのに「どうだ!これが理不尽だ!ガッハッハッ!」だからな。
授業中に先生の書き間違い指摘して「試したんだよ」って返ってくる定番のボケあるやろ?
あれ延々聞かされるんよしかも逆ギレ気味に毎日毎日んでもってずーっと正当化されるんだわ。
ムカツくでアレわ~~~。
まあこれも社会勉強やなーってもう途中から完全に辞めるつもりやったから耐えられたけど、あれ本気で相手してたら脳みそバグるで。
そんな日頃「理不尽の訓練!」って右向け左言い続けてる奴ら相手してたらそりゃまあ真面目くんは本当にムカつくやろね。
いやマジで思い出したら腹たってきたな~。
お前、そんな態度で人に接したらそのうち撃たれるぞ、って奴らめっちゃ多かったな。
まともな人もおるで?
でもクズも沢山おるねん。
いや本当クズの巻き添え食った人はご愁傷様。
いい加減クビのシステム入れたほうがええで。
40歳ぐらいの「もう僕クビとかないから好き放題だな~~~」って調子乗っ取る奴らマジで人間として終わってるからな。
アレの相手させられる他の隊員が可愛そうやわ。
1年するとまあ慣れるんよ。
慣れちゃいかんのでワシは辞めた。
どんだけメンタルガキンチョならあそこに骨埋める気になるんやろな。
それとも学校の先生やりたいけど教員免許取れんかった人や保母さんやりたかった人がやるんかね。
小学校の頃が一番楽しかったーって連中には楽園やと思うわマジで。
自分で考えんでええかんな。
まあ小学校に入ればごくたまに1日休むくらいはできるようになるんじゃないか。中学校に上がればもう少しその頻度は増えるだろう。
これは真面目にそう
日本の公立は『日本語の読み書き』と『四則演算』と『ローマ字』が身につく、『(小中学校は)給食が食べれる』
これ以外は保証しない
(滅私奉公で、オンライン教育に尽力されたり、学業不振者をフォローされたり、限られた予算で障がいを持った子の可能性を広げようとしている先生方もいることは認識している)
保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校、先生と呼ばれる職業の人は外出先でいつ生徒と出会すかわからないから、自分の地元ではめを外せない
中学校の授業で英語の先生(外国人)に向けて生徒が英語でスピーチをすることになったのだが、私(生徒)の母親が「(外国人の)先生がコンビニで彼女がデートするところを見ちゃったの!そのことをスピーチしたら」と私にいってきて、私はそのときは素直に母親から言われた通り、「私の母親が、先生がコンビニでガールフレンドとデートしているのを見ました」と英語でスピーチをした。
その場にいた日本人の英語の先生は「なんか意外な目撃談があったね!」とはやしたてた
外国人の先生は後から私の席にわざわざ来て、日本語で「ドコ?ドコノコンビニ?」と聞いてきた
今思うと先生かわいそう
大人になった今の私なら母親に「コンビニで先生が彼女と一緒にいるところを見たって言ったら?」と言われてもそんなことスピーチしない
わたしの同級生で教師になった友達は自分の職場の学校の生徒がおおぜい集まりそうなところでは遊ばない
先生という職業は学校の外にでるとどこで誰が自分のことを見ているかわからないという恐怖がある
私も教育免許を持っていて、(教師として働いてないのだが)教育実習のあとで、実習先の学校の生徒に外で話しかけられてどきっとしたことがある
一日中ずっとわけもわからない授業をお経のように聞かされるといっても、授業内容そのものより、同じ地域の子どもたちと一緒に過ごすことこそが大事なんじゃないかな。
障害のある子供の親御さんたち、教育委員会や先生たちの薦めを無視して無理矢理普通の公立校、普通の学級に入れるのはやめろ。
発達障害やら何やらあるが、全国の支援学校、支援学級に在籍している知的障害の割合が1番多いため、主に知的障害の子供について話す。ただし、他の障害種別でも通用する話ではあると思う。
だいたい、文頭で指摘したような、障害がある子を無理やり他の子と同じ環境に入れたがるような親というのは
・自分の子供に障害があることを頭ではわかっていても認めたくない。
・特別支援学校(学級)やそこに通う子供、あるいは障害者それ自体に対する強い偏見がある
・子供のヤバさ(学力の遅れや集団に馴染めないなど)をきちんと把握できてない
のいずれか、あるいはハイブリッドなのだ。テレビ等でよく美談のように語られる中では「普通の学校で学ぶことの方が様々な経験ができる」みたいな、あたかも子供のためを思っているかのような美辞麗句で誤魔化すが、大体はこのどれかに当てはまる。
そもそも、普通の公立校に通うことが本当に障害のある子供のためになっているのだろうか?中には他の子とお互い刺激しあって力を伸ばす子もいるだろうが、ごくごく一握りだと思う。大半は勉強についていけず、お客さん状態(授業中、発言もできずただ終わりまでぼーっと座ってるだけ)になっているのが関の山だ。仮に学習についていけているとしたら、先生や学校の大変な努力と配慮の末に辛うじて成り立っているものだろうし、おそらく長くは続かず、学年が上がり内容が難しくなっていくごとに真綿で首を絞められるが如く状況は厳しくなっていく。
そもそも、そのように学習に大変な配慮を必要とする子が学級にいることで、先生の負担は遥かに増す。私学ならともかく、公立校の教員に「一部の子は見捨ててでも授業の進度を優先する」という選択肢はないに等しい。つまり、理解に困難を抱える子供への授業作りが主となってしまい、授業内で応用的な内容、ハイレベルな適用問題などに取り組むことが難しくなる。また、授業は普通に進めるが、その分ついて来れなかったところは放課後につきっきりで学習するという手もなくはないが、それをするということで先生の負担が増えているというのは火を見るより明らか。そして先生の負担が増えると困るのは誰か、皺寄せが行くのは誰か。その学級の子供である。無理矢理普通級に障害のある子供を入れることにより、巡り巡って自分たちの首を絞めている。自分だけならまだいいが、影響は大なり小なりそのクラスの子供全員に及ぶ。
障害のある子が特別支援学校や特別支援学級に入るプロセスのことを「就学相談」や「就学指導」などといった呼び方をする。
おおまかなプロセスとしては
①幼児期からの発達の様子を見て、幼稚園や保育園などから声がかかる、あるいは小学校入学前にある就学時検診における知能検査などの結果を見て、もしくは小学校、中学校在学中に随時学校や教育委員会から就学指導を薦められる。
③発達検査の結果から、教育委員会の人などがその子にあった判定を下す。
④次年度以降、③で出た判定の進路へ進む。
といった流れである。だが、保護者はこのプロセス中いつでもキャンセルができる。保護者が嫌がれば就学指導は中止され、自動的に普通の公立校、普通の学級に行くことになる。また、③で特別支援学校判定が出たとしても「普通の公立校の支援学級ならギリ許すけど特別支援学校はお断り」みたいなパターンもある。というかこのパターンは割とよくある。(普通の学校の支援学級在籍者のうち、体感1〜2割はそれ)
ここで曲者なのは「保護者の意向次第でいつでもやめられる」ということ。冒頭で示したように、自分の子が障害があると認めたくない人や偏見を持っている人は、そもそも就学指導の話を持ちかけられた時点でブチギレる。プロセスの途中でも、他所から変な知識を入れ知恵されて突然やめたりする。そうなるともうお手上げである。冒頭の黒ポチ3つめのパターンも厄介といえば厄介だが、子供のヤバさに気づいてくれたら考え直してくれることがよくある気がする。(まあ気づくまでに何年もかかって、結果勉強の理解は同学年の子より遥かに遅れて取り返しがつかなくなっている事が多いのだが。)
もう一度問うが、無理矢理普通の学校、普通の学級に行かせることが子供のためになっているのだろうか?
就学指導で「貴方の子は特別支援学校判定です」と言われたということは「お前の子はバカなガイジなんだ」と言われてるように捉えるかもしれないが、そうではない。その子は特別支援学校で学ぶことが合っているというだけの話である。それによって何ら人格が貶められることはないし、就学相談に携わる人間は誰もそんなこと思ってない。
環境の面でも大きな違いがある。小学校ではクラスの定員は35人だが、支援学級なら8人、支援学校なら6人である。ちょっと考える頭があれば、これだけで雲泥の差とわかるだろう。さらに、支援学校は担任が2名になる場合もある。また、学校の設備面でも、当然普通学校と比べ遥かに充実している。教員免許も特別支援学校用の免許のため、専門的な知識を身につけた教員ばかりなのである。(当たり前だが、普通の小学校には小学校教員の免許しかない人だって当然いるのだ。)どちらで学ぶことが、子供本人のためになるだろうか、子供本人の成長につながるだろうか。
更に言えば、障害のある子供の将来に関してもやはり特別支援学校にはアドバンテージがある。特別支援学校では「作業学習」という時間があり、職業訓練のような事もする。また、特別支援学校であれば、障害のある人でも就職し給料を稼ぐことのできる職場とのコネクションもある。普通校では作業学習の時間はないし、就職支援でだって特別支援学校の専門性には敵わないだろう。
長くツラツラと書いてしまったが、世の保護者に言いたい。自分の子に障害があり、特別支援学校や特別支援学級で学ぶことを薦められたら、どうかその通りにしてあげてほしい。教育や発達に関してある程度知見を持った人が何人も集まってそういった判断を下しているので、それを無視して無理矢理普通のクラスで学ばせることは、本当に子供のためにならない。親のエゴでしかない。親のエゴで普通学級に入り、理解が難しい授業を一日6時間聞き続ける生活を何年も強要しないでやってほしい。その結果(必ずしもこうなるというわけではないが、一例として)小5小6や中学生になっても九九の3の段も言えなかったり、小3になってもひらがなの50音が読めないような子を生み出さないでやってほしい。その子たちは、その子たちにあった環境で勉強していれば、もっと伸びることができたかもしれないのだ。
親のエゴで普通の学校に通わされ、勉強が十分身に付かず年だけくって卒業していく子供のこれからの人生における苦労を考えると、気の毒としか言いようがない。
朝は最寄駅のトイレ、昼休みには職場にほど近い商業施設のトイレ、夕方にはまた最寄駅のトイレで用を足す。だが私が物心ついた時から、トイレを流した記憶はほとんど無い。
親からも小学校に上がるまでは特に何も言われることは無かったのだが、小学校に上がった途端、流していないトイレを見るなり烈火のごとく怒る様になった。小学校でも同級生にトイレを流していないことがバレて、壮絶ないじめを受けた。仕方ないので私は家の裏にある林や、通学路から少し外れた誰にも見られない茂みで用を足すようになった。
トイレを流さなかったり、トイレ以外の場所で用を足すことに私がここまで拘るのは、自分の体の一部だったものを自分の手で消すという行為にとてつもない嫌悪感を抱いているからだと思う。(自分が手を下さなくとも、消えていく光景を見るのが耐えられないので、センサーで自動的に流れるトイレには入れない)
中学校に上がるころに生理が始まると、この気持ちは更に大きくなった。捨てられずに自分の部屋にため込んだ生理用品が親に見つかって怒られたことも何度かあった。(現在、ミレーナで生理は抑えている)
家から歩いてすぐのコンビニはもう出禁になってる。職場近くの商業施設のトイレを使っているのも、自動で流れるトイレではないからなのだが、ここもいつ出禁になるかわからない。
宅間守、母親は宅間守をみごもったとき直感でおろしたいって言ったらしい
母親は宅間が中学校に入学した頃から「お前なんて産まなければよかった」って言ったらしい
ちいさい子供って親の言うこときかなくて善悪の区別もないんだけど
昔だから今みたいに発達障害の子供のための療育なんてなかったんかな
現代人ができることって加藤智大や宅間守みたいな人間を産み出さないように社会と親が努力することだよね
加藤智大や宅間守だって本当の意味でだれかと愛し愛される関係を築けていたらこんな事件は起こさなかったのかも(宅間守は獄中結婚したらしいけども。容姿がイケメンだからか?)
親が虐待してるならすぐに児相が親から子供を取り上げて施設で教育したり
発達障がいで生きづらい子供を療育で人生がうまくいくようにサポートしたり
わたしが今気になってるのは長野の猟銃立てこもり事件の犯人の親がどういう育児をしてきたのかものすごく気になる
ピアノが得意で、バスケ部のPG兼キャプテンで、小学生の頃から服装と髪型がオシャレで、成績もいつもトップ層で、女子ファンが多くて私も密かに憧れていた小中高の同級生がいる。
離婚して、娘が小学校卒業した3月に実家に帰ってきて、役場行った時に町章のついた車から降りてきた彼に声かけられた。
最初気がつかなかった。太ってて髪も薄くなって、昔の面影が殆どなかった。大学を卒業した後親のそばにいるため役場に入りずっと地元で暮らしているらしい。
娘は4月から私も通ってた地元の中学校に入学した。そこで同じクラスの男子に一目惚れしたらしい。ピアノが得意で、一年なのにバスケ部のレギュラーで、成績も良くて、何よりとてもイケメンで優しいとのこと。名前を聞いたら私が憧れていた同級生と同じ苗字。
この前娘が「勉強を教えてもらう」という口実でその子を家に連れてきたんだけど、昔の同級生と完全一致で懐かしさと時の流れの残酷さを感じた。