はてなキーワード: ボコとは
「コロナだから我慢しろ」「式が終わった後みんなで街に繰り出すからクラスターになる」「そもそも成人式なんて大した儀式じゃない」
まぁどれも一理あるんだけどさ、成人式自体はともかく昔の友人と再会するというイベントがそんなにくだらないのか?
もし仮に自治体が成人式を延期したとして必ず開催してくれるわけじゃないし、先行きが不透明な以上、行政も延期日程を早急に決めることは出来んだろ
それだったら式の一つくらいは許してやってもいいじゃないかというのが個人的な感想なんだけど(これ直接ブコメに書くとボッコボコにされそう)
ブクマなんかやってる奴らだからと言えばそれまでだけど、余りにも人と人の繋がりに関しての意識が希薄すぎるのが気に入らない。
事件当時ロマン・ポランスキー監督は不在で(映画でもその通り)、犯人たちに襲われていない。
現在も存命で去年も作品を出している。(少し昔の作品だが、戦場のピアニストはかなり話題になった作品)
しかも殺人犯とは何ら関わりがなく、以前に引っ越した住人と勘違いされて彼女らは殺された。監督らの素性は事件に関係がない。
この映画が救ってみせたのは監督ではなくその妻、シャロン・テートだ。
劇中でも説明される通り、当時売り出し中の女優で、監督との子供を妊娠中だった。
この映画ではシャロン・テートの魅力的な姿が何度も描かれ、しかし最終的にディカプリオが彼女の家に招かれる場面ではインターホン越しでのみ会話し、ディカプリオと同じフレームには映らない。
とても誠実な描写だと思う。
実行犯に殺害を指示したチャールズ・マンソンは額に鉤十字のタトゥーを入れているが、タランティーノは過去のイングロリアス・バスターズで憎きナチの額に鉤十字を刻んだ。(ちなみにこのナチ将校役の俳優がポランスキー監督の映画おとなのけんかで主演してる)
そしてイングロリアスバスターズでは「映画を使って」ナチどもを焼き殺したように、この映画でもマンソンの手下を「映画の小道具を使って」焼き殺す。
1969年は「ロックが死んだ年」ともいわれ、アメリカにとって大きな節目だったことには違いがない。
しかし監督のタランティーノは「ハリウッド監督」ではないし(アメリカ映画=ハリウッド映画ではないのがややこしい)、彼はハリウッドやアメリカなどメインストリーム以外の映画も浴びるほど見ていて、それこそ中国や香港や日本などアジアの映画に多大な影響を受けた人間である。
キルビルが急遽テイストの違う二本立てになったのも、チャイニーズ・オデッセイという香港映画の影響である。(チャイニーズ~は一作目がコメディで、二作目が恋愛もの)
(タラがオールタイムベスト一位に挙げている続・夕陽のガンマンもイタリア産のマカロニウェスタンでアメリカ映画ではない。ちなみに監督のセルジオ・レオーネが撮ったワンスアポンアタイムインアメリカも長いけど大変な名作。セルジオ・レオーネ監督の大ファンでもあるし、タイトルからもわかる通りタランティーノはかなり影響を受けている。~インアメリカについては、ラストのデニーロの微笑みの解説を見ると、また味わいが増す)
ブルース・リーの話が出てきたが、タラはキル・ビルでは死亡遊戯の衣装を真似し(何の説明もなく出てくる「カトーマスク」も、グリーンホーネットでブルース・リー演じるカトーがつけていたマスクのこと)、主人公ブライドの使う技はブルース・リーのワンインチパンチで、必殺技は(ブルース・リーに影響を受けた)北斗の拳の技のようだ。オーレン石井へ敬意を示す闘いは、ドラゴンへの道のチャック・ノリス戦を思い起こさせる。
キルビルで描かれる復讐や暴力の虚しさは、燃えよドラゴンでブルース・リーが奇妙な泣き顔で表現したのと同じものだ。
そして敵役のビルには、ブルース・リーのドラマ企画を奪った俳優デヴィッド・キャラダインを配している。
タランティーノは、そういう監督なのである。ちなみにブルース・リーの主演が叶わなかったドラマ企画が、ちょうどワンス~の時代の頃の出来事でもある。
ちなみに、キルビルが前後編になった元ネタのチャイニーズ・オデッセイの主演はチャウ・シンチー(少林サッカーが有名)であるが、彼もまたブルース・リーマニアだったりする。(ドラゴン怒りの鉄拳のパロディや、少林サッカーやカンフーハッスル等、ブルース・リーネタ多し)
少し脱線するが死亡遊戯という映画もまた、「ブルース・リーという俳優の死後に、彼が生きているかのように撮られた」特別な作品で、その点がワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドと共通している。
(すでに香港ではスターだったが)ブルース・リーもハリウッドでの売り出し中にこの世を去った人なのだ。(ワンス~劇中でシャロン・テートが自分の映画を見るシーンがあるが、ブルース・リーは燃えよドラゴンの公開やそのヒットを目にすることがなかった)
ちなみに作中で喧嘩していたブラピ本人もブルース・リーおたくである。楽しかっただろうなあ。(ファイトクラブでの物真似が彼のアイデアというのは有名)
あとワンス~作中のブルース・リーが調子こいてるのは、実際の彼がああいうキャラだったためでむしろファンとしては大喜びするポイント。(ブルース・リーの物真似をするときは、顎をしゃくって半目で相手を文字通り見下したように眺める。服のセンスも、実際にああいうチンピラのようなダサいファッション)
何より、タランティーノは「超」がつく映画狂で、大げさではなく映画から人生のすべてを学んだような人間だ。
あらゆる映画を吸収し、現実にはモテないスーパーボンクラだったくせに、(映画からの知識だけで)玄人好みの渋い「中年の恋愛映画」すら物にしてしまう監督である。
落ち目だった俳優を「自分が好きだから」という理由で起用し、劇的にカムバックさせたりと、フィクションの力で現実を変えたこともある。
(※ネタバレ注意:この俳優とはジョン・トラボルタのことだが、タランティーノの好きな某映画ではヒロインを救えず、せめて「映画の中だけで生かす」ことを選ぶ。言うまでもなく、ワンス~を思い起こす)
(というよりもともと映画そのものが、亡くなった俳優の生きている姿を見られるタイムマシンのような装置なのだろう。そういう評論はよく見る)
そして、前述のイングロリアスバスターズではユダヤ系の、ジャンゴではアフリカ系の観客の心を、荒唐無稽なフィクションで熱く揺さぶった。
ヘイトフル・エイトでは差別主義者と黒人の和解をそれこそ「フィクション」という小道具を介し、素晴らしい形で描いてみせた。
日本ではネタにされがちなキルビルも実に真面目な女性映画である。「五点掌爆心拳」などという冗談のような技で、男女の歪な恋愛関係を誠実に描いたのだ。この映画では男はみな弱くて使えず、女性は強く逞しい。
(タランティーノは「強い女性」を描く監督としても有名だ。殺人鬼の変態スタントマンが、女性スタントマンたちにボコボコにされる映画デス・プルーフも撮っている)
タランティーノはフィクションの虚しさも当然知っているだろうが、同時にフィクションの力を強く信じている人間でもあるのだ。
(ちなみにデス・プルーフの主演であるゾーイ・ベルはキルビルでユマ・サーマンの「スタント」をしていた女性で、ワンス~にも出演。例の「ブルース・リーとの喧嘩」で車を壊されたひと。死亡遊戯→キルビル→ワンス~と考えてみても面白い)
(ディカプリオについては、ある種かなり本人に近い役。若手時代から演技力が高かったのに、レヴェナントで受賞するまでアカデミー賞からは長年ずっと無視され、色んな人に揶揄されてきた。アカデミーに無視されてきたのはタランティーノも同じ)
もちろんワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドは、ハリウッドやその他の「アメリカ黄金時代」への郷愁が詰まったお伽噺ではある。
試合後にオーカーン選手の反則攻撃を受け動かなくなり担架で運ばれた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b61b98c3b91f0ecac88f261981bf9a31fb1cbe5d
https://news.yahoo.co.jp/articles/5881655fdf17b0680956467fa39355da7dac112b
これらを見ると良いニュースに見える。
それにも関わらず一部のプロレスファンは批判の声を挙げている。
何故か。
それは首の負傷という生命に関わる負傷をギミックとして採用したのでは無いかと言われているからだ。
まず現在のプロレスファンはプロレスには台本がある事を知っている。
それを知った上で試合やその後のコメントなどを含めてドラマのように楽しんでいる。
しかしプロレスはその名の通りプロのレスリングであり、1歩間違えると死に至る危険な競技だ。
実際に2代目タイガーマスクでありプロレス四天王として活躍した三沢光晴選手は、バックドロップというプロレスの基本技で受け身を取り損ね死亡した。
プロレス界の帝王として知られる高山善廣選手は、前方回転エビ固めという危険性の低い技で受け身を失敗し半身不随となった。
だからこそ天山選手がTTDという頭から落ちる技を受けて動かなくなった時、三沢選手や高山選手の件が頭に浮かんだファンは少なくなかったと思う。
実際に自分もそれを見ていて心配になりその後の試合が頭に入らなかった。
だが実際は上記の負傷があった翌日には大事には至ってないという報道が出た。
その後、天山選手とオーカーン選手の特別マッチが組まれることが発表された。
これが本当にアクシデントであれば天山選手の無事が本当に嬉しいし、天山選手にはオーカーン選手の壁となりボコボコにしてやって欲しい。
こういうのは本当にやめて欲しい(首の負傷にも関わらず救急車などが呼ばれたとも聞かないので台本だった可能性はある)。
プロレスファンはプロレスを見たいのであって相手を負傷させるような危険な技を見たいわけではない。
確かに反則攻撃により負傷した場合、ここから因縁が生まれ抗争に発展していくのはプロレスではよくあることだ。
しかし、このような死の危険を感じさせる負傷を因縁のきっかけにするのはやめて欲しい。
たぶんこのような意見は新日本プロレスのファンの中では少数派だろうし、プロレスの台本がどうとか言ったら村八分に会いかねないので匿名で書かせてもらった。
政治家とかってボコボコに叩かれてる時は死ななくて、表舞台から消えて注目を浴びなくなった時に死ぬイメージある
なんだかんだで注目されてる間はすげーアドレナリンでてるんだろうなーと思う
増田父家は商売をやっていて戦争中も安泰で儲けていた。増田祖父は徴兵される年齢だったが戦地に送られることはなく訓練場でお茶を濁していたら終戦した。祖母は優雅に田舎で疎開して使用人に世話をされながら過ごしていた。
一方増田母系の祖父はそこそこ裕福だったが満州で終戦を迎え少年と言っていい歳でシベリアに抑留されまあまあヒドイ目にあっていた。
増田父系の親戚はみんなおっとりとして世間に疎く、人柄はいいがとろくさい。増田母系の親戚は殺伐としていてすぐ喧嘩をしている。
お前は「正しい」存在になりたいんじゃなくて、「美しく優れた」存在になりたいだけだ。
『善悪(正誤)』の評価軸と『優劣』もしくは『美醜』の評価軸をごちゃごちゃにして語るな。
お前は自分の経験から「醜く劣る」存在 ≒ 「悪いこと(誤っている)」だと思い込んでいるようだが、かなり危険な思想に陥りやすい思考の癖がついてるから今すぐ自覚しろ。
話を読む限り想像を絶するブサイクなんだろうが(逞しい思い込み力が産んだ被害妄想のような気もするが)、極めて劣った容姿というカードが配られたというだけだ。
お前は悪ではない。「ただ醜く劣る」だけだ。本質をすり替えて逃げようとするな。
では悪くないのであればなぜこれまで散々苦しい目に遭わされてきたのか。
理由は2つある。
お前を絶対的な弱者たらしめる主な原因は社会の持つ性質だ。そしてこの性質に合わせて人間の持つ本能的な部分が少なからず関係している。
端的にいうと、この世の中が容姿に優れた人間が比較的評価されやすい傾向があり(社会的性質)、それを知ってる我々大衆は容姿の優れた人間こそが経済的恩恵を受けるとともに、社会的に成功しやすいと思い込んで「優れた」存在だと認識し、彼らに迎合することを生存戦略の一つとしているからだ(本能的な部分)。
これらは社会的地位に明確な差異がない学生時代に特に顕著に見られる。
お前は想像を絶するブサイク故に「優れた」存在から最も離れた絶対的な弱者と認識されているからいじめられたのだ。
しかし何度も言う。お前は悪くない。
仕事や勉強で真っ当に結果を残して正当に評価され、家庭でも問題を抱えていない人間は自己肯定感が十分に満たされており、そもそも自分より「劣る」存在を揶揄する必要性がないのだ。(サイコパスなど一部例外はあるが)
お前をいじめていじめてぬいてきた奴らは、お前から見れば他人が苦しむ様を眺め愉悦に浸ってるように見えたかもしれないが、彼らは学校をはじめとするあらゆる場面(家庭、部活、理想の自分像との乖離など)で自分が認められている感覚を得られずと不満を募らせていた。だから手近にいる絶対的弱者であるお前を自分の下に据えることで空いた穴を満たしていたのだ。
(例えばこれはお前がフェミニストなどと安易に一括りにしてる存在の中の一部の奴らにもそれは見られる。そいつらは自分たちを正当化するための活動を通しても一向に獲得することのできない自己肯定感の穴を埋めるために、自分よりも社会的に劣ると決めつけている存在にフォーカスして(目指す活動とは一切関係ないにも関わらず)こき下ろしているのだ。でなければアニメの絵だけをボコボコに叩くなんて非合理的なことはしない。)
もう一度言う。お前は悪くない。
『まだ』誤ってない。
お前は絶対的弱者で、周囲の自己肯定感を埋めるためだけの立場に甘んじていただけだ。
だから「正しい」存在なんて意味不明な造語を作って、ルサンチマン全開にして、これ見よがしにリベラルだのフェミニストだのどっかで聞き齧った言葉クッソ適当に並べてそいつらを下げるようなこと言って自分を正当化し、精神的安定を獲得しようとするなよ。
問題の本質から目を逸らしてレイシストに片足突っ込んでるようじゃ、お前をいじめぬいてきた奴らにも劣る「精神的に醜い」存在に成り下がるぞ。
自分の文章をもう一度読み返してみろ。どれだけ女を侮蔑すれば気が済むんだ? 女に対するその異常なまでの固執の原因は何だ?
もちろん「正しい女性像」なんてこの世のどこにも無いぞ。
いい加減気づけよ。
想像を絶するブサイクで、絶対的弱者で、かつレイシストで女性蔑視の傾向が強いとか、いよいよ終わりが見えてるぞ。
お前は今のところマジで性犯罪者の素質しかねぇから、ちゃんと自制心をもって行動しろよ。
そのマジ危険な癖が治らないうちは生活保護もらってでも自分に無期限外出制限をかけろ。
想像を絶するブサイクなら心の診断書持って役所で『働げな゛い゛よ゛ぉ゛〜〜!』って泣き喚き続ければたぶん通るから。
何度でも言う。お前は悪くない。
「正しい」存在なんて無い。
先日大学院の修論発表会があって、先生方にボコボコに問題を指摘されていた学生がいた。
(学生とはいっても、社会人の割合の多い大学院で、彼は会社員をしつつの研究だった模様)
どのような内容でボコられていたかというと、おおよそ以下の通りだ。
いずれも、基本的な指摘だとは思う。※基本的だけど、必ずしも容易だと言うつもりは無いです
・貴方の提出した修士論文には参考文献の記述が全く無いが、関連研究に関する調査はしたのですか?
・そもそも参考文献の記載も無いような体裁では、修論として受理しかねる場合もありますよ
・先行研究の課題などを明確にして、どう改善していくかとか、新しい視点や貴方の考えを提言していくとか、そういうのが大事ですよ
それらの指摘に対する件の学生の反応は下記のような感じだった。
(2) そもそも勉強と研究は違うものであり、先行研究を提示したところでそれらは所詮他人の真似事であり、本なり文献の紹介にしかならない
「あー、基本的な考え方が出来ていないのにプライドは高いタイプだ・・・(私のような人間が指摘するのも何だが)正直、
卒論ならまだしも修論でこのレベルはまずい」というのが率直な第一印象だが、何故この人が(1),(2)のような発想を
まず(1)についてだが、件の人は、フォーカスしている視野が狭いなと感じた。
(おぼろげな記憶だが)ドラえもんの話で、「宿題くらい百科事典で調べなさい!」と怒られたのび太が、
「いくら調べても、どこにも"今日の宿題"なんて載ってないよ~」と嘆くシーンがあったように思えるが、
それに近い現象が発生していたかなと(宇宙完全大百科の話だったかな、確か)。
(2)についてだが、よく言われるように「勉強と研究は違う」のは確かだが、自分の研究の位置付けが適切に
なされていないために発生している考え方のように思えた。
あとは「巨人の肩の上に立つ」ことが腹落ちしていないのかなとも思う。
ただ、それらの問題を差し置いて、彼の最大の難点は「何か指摘されると真っ先に口答えをしてしまう」ところかなと。
結局、他のゼミの学生が見かねて「こういう調べ方をすると良いですよ。関連研究を提示しないと、せっかくの研究が
教師って人格者が辿り着けるんじゃなくて、組織に媚び売って辿り着くものだろ。
そんなもんに人格なんて求めてるのも、他人に教育任せてんのに人格まで求めてるのもアホだよ。
先生ってそんなこともわかんないんですか!って事を学校から出てきたばっかやつが言われまくるんだし、それで真っ直ぐ育てるやつが居るならそれは貴重でしかないわな。
多くは捻れるか折れるかして教師らしき行動に熱意なんて持てなくなるんだから、それがプライベートでクソだカスだ趣味はスカトロだ言ってようが仕事に影響ないならご自由にしてくださいなって感じだよ。
逆に思うんだけど、テメーが親だとしてなんで自分のガキの発育にそこにもう一人聖人がいるのが当たり前だと勘違いしている訳だ?
いるわけねーじゃん、聖人君子。多少ガキと仲良く会話出来てもそこに何かしらの難癖を付ける他の大人が居るんだぜ。存在出来るはずもねえし、キリストだって現役時代はボコスカに叩かれてるし死んでからも嘲笑われてんのよ。
頼れる大人が欲しいとかいう聖人君子を求めるのやめようや、アイツら教育っていう仕事しか出来ないのよ。そんで教科書通りやらないとお前以外の他の難癖つけてぇ暇な大人が噛み付いていくわけ。
ここまで聞いてわかったろ?やってることお前のクソみてえな仕事と一緒なのよ。
クソみてえなマニュアルに従ってやってるのにその仕様の裏をついてギャーギャー言う同僚やら上司やら客やらがうるせえワケ
んで改善しても理解してくれる訳でもなくグッダグダしょうもねえ話しかしねえ訳
んなカスみたいな生活強要されてんだからクソだとかカスだとか言いたくなるわな。
元が付くから教師生活から逃げたカスが悪態ついてらでも、こういう悪態が出てしまうんだでもアリなのよ。
大体昨今のブラック体質に対してのバッシングを見てて聖職者がどうこうとか言ってる奴の方がセンスがない訳
気を狂わせたのはお前なの、お前みたいな奴が気を狂わせてんの。
「こんなこと言ってるのどうなんですかね?」じゃないの
お前はどうせ寝るしか仕事がねえんだから現役毎時スリーパーとでもプロフィールに書いとけって話なの。
で、現役スリーパーさんがこんなしょうもない日記を匿名で書いてるなんてどうなんですかね、って話してあげるよ。
その程度の話なんだよ
「逃げ恥」心理学を学んだことがある人たちは内容がリアルでいかにも…と思っているという話(togetterより)
「心理の院生がやりそうなダメっぽい研究」という指摘があったので、少し情報を整理して感想を述べる
原作冒頭において、こんなやりとりがある
黒●徹子(妄想)「あなた 大学では心理学をお勉強なさってたんですって?」
みくり「はい それで」
徹子「それで就職は人事部や企画 商品開発なんかを志望していたと」
徹子「だけどあなた ウフ ごめんなさい 全滅だったんですって?」
みくり「そうなんです 今思えば もっと業種を広く」
徹子「それで就職職浪人するよりも と大学院進学をしたけど 文系大学院は就職がさらに大変だったらしいじゃない」
みくり「文系の院全てがそうとは言い切れないとは思いますが 院で臨床心理士の資格を取ったのでそれを生かせる仕事ができればと」
徹子「でも 心理カウンセラーとかスクールカウンセラーは中々就職がなかったと」
――海野つなみ「逃げるは恥だが役に立つ 第1巻」より
臨床心理士は指定された大学院修士課程を修了後に「受験資格」が得られる
そして、臨床心理士資格認定試験は毎年10月に開催され合格発表は12月となる
修了後の4月は無資格なので、資格取得見込みでも受け入れてくれる仕事を探さないとならない
同じ大学院・研究室の先輩や指導教官に紹介して貰ったり、非常勤で週2~3日の仕事を自力で見つけて応募することが多い
作者である海野つなみがどこまで知っているかは不明だが、みくりは大学院修了後にそうした仕事にもつけず、資格取得後も就職先が見つからなかったことになる
ストレートで卒業・修了・資格取得をしたとすると、この時点で24歳である
心理学部・学科卒業で人事部や企画・商品開発を志望すること自体には問題がないが
「仕事がない」という理由だけで、より狭き門であるはずの心理職に進む所に見通しの甘さが感じられる
専門職である心理職は、何かの代わりに選んで成れるような進路ではない
(正直、指導教官や周りは大学院進学を止めなかったのか。それと、こんなにふわっとした見通しの甘い人間に、臨床心理士試験の面接官はよく合格を出したな)
「甘く見てましたね。まさか文系の大学院卒がこんなに就職できないとは」
「大学院では心理臨床コースを選択、卒業後に臨床心理士の資格を取得した上で再び就職活動に臨んだ(ナレーター)」
「2013年度 青明大学大学院入学式(大学院時代の写真より)」
2.2履歴書(一部抜粋および組換え)(出典はhttps://twitter.com/i/events/868751617960443908:title=こちらから)
【提出先(※推測)】
【提出日】
2014年12月15日(※大学院2年(最終学年)の12月に提出したものであると思われる。つまり、物語開始より1年前ほどのものになるか)
【生年月日】
【住所】
神奈川県横浜市都筑区黒沢5-5-6(※黒沢は架空の地名とのこと)
【学歴】
【資格】
2012年6月 実力英語検定2級(※いわゆる英検は、正式名称が「実用英語技能検定」であるので誤記の可能性がある)
2014年12月 臨床心理資格(取得予定)(※ナレーションでは「臨床心理士」と言っているため、誤記の可能性がある)
趣味はカフェ巡りです。特技は整理整頓です。サークルはお散歩サークルに入っていました。
具体的な内容:上記のテーマを「幼少期の両親の養育態度」と「甘え」の観点から分析しています。この研究で青年期になっても対人関係にコンプレックスを強く持つ者は、幼少期に両親から否定的なイメージを受けており、「甘え」という行為が成立していなかった場合に多く見られた。これによって「甘え」の形成は対人関係を育てることが分かったが「甘え」の感覚を得るには両親との幼い時の関係性が重要であることが学びとれた。
真面目なところと思いたったらすぐに行動するところです。
私の長所は真面目な所です。頼まれた仕事はきっちりこなす性格です。短所でもありますが、突拍子もないことを考え、思い切り突っ走ってしまい、びっくりされてしまうことも多いですが、その新しい発想のおかげで上手く運んだこともあったので、長所としてとらえています。
【学生時代に打ち込んだこと】
心理学の研究です。私は人の役に立つことが好きで、人が何を求めているか察知できる人間になりたいと思い、心理学を専攻しました。心理学で学んだことをアルバイトでの接客でも発揮され、お客様が求めていることを先回りして提供することができるようになりました。今後も、会社というチームの一員として自分に何ができるのか、お客様には何を提供できるのか、心理学を生かして察知していきたいです。
【志望理由】
私は貴社で、新商品の開発や企画に携わりたいです。貴社はもぐもぐ蕎麦という今までこの世になかった新しい商品で、世界の食文化を変えた会社であり、私ももぐもぐ蕎麦のように世界の文化にインパクトを与えるような商品を開発したいと思っています。大学では色彩心理学や希少性の原理などを学び、消費者心理についても研究してきました。大学院まで心理学を勉強してきたことを生かして、消費者がついつい買ってしまいたくなるようなアイデアを提案したいです。
世界中の、とくに栄養の不足に悩まされている地域の人々に、自分の開発した商品を伝え、健康を改善してくことが夢です。栄養不良に悩まされている人は8億人以上いるといわれていて、普及するには手軽さ・価格の安さ・おいしさの3つが必要だと私は考えます。そのまま食べられる、あるいは水やお湯などをかけるだけで簡単に作ることができ、安価ながらもおいしい食材で作られた商品を開発し、世界に広めたいです。
「青明大学 舞台」で調べた所によると、ロケ地自体は「日本大学経済学部7号館の前」との情報がみつかった
「青明大学」と同名の大学は勿論ないが、名前の響きからして「青山学院大学」や「明治大学」「明治学院大学」が近いと思われる
何となくこういうリア充的な雰囲気の学生は青学じゃねえのかという偏見がある。というか、青学は児童系の心理に強いイメージがある。なんでそんな大学院を選んだんだこいつ。何も考えないで生きてんのか
この場合、大学院修了後の2015年12月に臨床心理士資格は取得見込みとなる筈である
履歴書には「2014年12月 臨床心理資格(取得予定)」となっているので、資格名もしくは取得時期については現実の制度とは違いがある
ナレーションの説明とも乖離が起きているので、作成したスタッフの誤記や勘違いの可能性がある
他の資格について、大学1年生の11月に漢検2級を、大学4年の6月に英検2級を取得している
全体的に、こんな薄っぺらいやつ採用試験で落ちて然るべし。もっとちゃんと考えて進路決めなさい
漢検や英検くらい高校で取っておけよ。というか、色彩心理を研究したというなら、「色彩検定」とか「カラーコーディネーター検定」とか、色彩計の資格を取っておきなさいよ。
商品開発したいなら、日本商品開発士会の資格でも取りなさい。合格率も低くないみたいですよ
他国に自社の商品を売り出したいと思うなら、TOEICとTOEFLくらい受けておく発想には至らなかったんでしょうかねえ……
履歴書とは関係ないが、人事に行きたいなら産業カウンセラーを取りながら就職活動をしても良かったのでは……
臨床心理コースなので仕方がないが、「青年期の対人恐怖心性と自己愛傾向について」と志望部署の関連が薄い。本気で商品企画・開発したい人の選ぶ心理ではないよねえ
「青年期の対人恐怖心性と自己愛傾向について」は手垢が付いたような薄い研究なんよ。青年期を対象にした研究室でよくある、質問紙を都内大学生に沢山配ってやるような量産型研究なんですよ。土居健郎の「甘えの構造」とかを理論的支柱にして、適当な尺度を組み合わせて因子分析とか重回帰分析掛けるとそれっぽいデータが出るんですよ。そこらの大学の卒論発表会レベルのものを、大学院でやってはいかんのですよ。指導教官何やってんの。きっとこれじゃ、修論審査会でボコボコにされますよ、本当に(ry)
うーん今日で正月休みも終わりだけど裏ダンは抜きにしてツェツェさんラスボスまでは倒したいなあ
でも1回挑んだら第一携帯でボッコボコだったから依頼を埋めがてら育成しなおしが必要かなあ・・・
うーんめんどくなってきた
考えないといけなくなってくると脳筋プレイが好きな自分はいっきにめんどくかんじてしまう
うーもうちょっとなのにい
善悪とか正誤とか。
「白黒つけない」というのは、つけないほうが総体的なメリットが大きいから「あえてつけないでおく」のパターンと、
事情が複雑だったり判然としないから「つけることができない」のパターンがある。
この2つを理解というか受容するためには、話を聞いて「なるほど」の後に「でももしかすると」という自発的な再考が必要となる。
耳触りの良い話だけど、本当にこんなに簡単な話があるだろうかっていうセルフチェックである。
思考することがストレスになる人は多いようで、そういう人は多少ひっかかりをおぼえても正常化バイアスで抑え込んでしまう。
「テレビでやっているのだから」「偉い人が言っているのだから」「本にまで書かれているのだから」とか。
こういう抑え込みも無意識にやっているから結果的にはグレーであっても白だ黒だと盲信している状態になってしまう。
白だ黒だと固執するようになると、自身の心の安寧と引き換えに当然のように対立が生まれる。
ネットではモラルや政治的問題の善悪を巡ってバトルが毎日のように起こっている。
ネットバトルは対立がエンタメになったものなので、いったん火がつくと当事者を差し置いてどんどん肥大していく傾向にある。
対立を煽るうえでは白黒のないグレーでは盛り上がらない。敵をボコボコにするためにはまず敵認定しなければ始まらないからである。
よくもこんな下らないことで炎上が起きるなと思う人は多いと思うが、敵をボコすというエンタメにはそれだけの魅力があるということなのだろう。
逆に「妙にこいつ白黒つけたがってるな」という人間を見かけたら、対立に発展させたり党派性にぬくぬくしたりするのが好きな厄介な人物で、