はてなキーワード: うつとは
ここ最近SNSや友人で俗にいう「眠剤」「抗うつ剤」を使用する人が本当に増えてる
朝からルネスタ飲んだり、だるいからとデパスや、サイレース、嫌なことがあったら飲むというスタンスが増えてきた
辛さは人にとってそれぞれだから辛いだろうし飲むなやめるな立ち上がれとかは全く思わない。
私もメンクリには昔お世話になった身なのでどんな人でも抗うつ剤や眠剤を飲むことは悪いとは思わないけど、
ここ数年見ていてあの薬たちの効果と副作用を理解した上で責任を持って飲んでる人が少ないと思う。まるで合法なだけで違法薬物とおんなじ扱いみたい。
いかんせん約十年ぐらい前に眠剤ラリラリだった経験がある私からしたらの価値観なので見方を変えれば「古い人間乙、昔と今じゃ医学が違う」と言ったらおしまいではあるけど。。
だから昔は鬱や病んでる人に寄り添うような考え方をしていたのだけれど、「うつだ、辛い、動けない」とか言ってる人が深夜までゴロゴロして酒を飲んでsnsをやり眠剤を飲んで酒を飲んで切れ目で「鬱だから」と病んでる様を見ると心からイラつく時がある
でもそれってsnsでしか本人をみてないだけなんだと思う、、、でも
「自分は躁鬱」とかを言っているのは大変だなと思うけど、
そういう人たちが必要以上にODをしたり酒と飲んだり健忘しているのを危ないと思ってない人たちを見ていると「本当に治す気あるのかな?そういう病気なのかな?」と思ってしまう
そうして、周りのリア友やTwitterのフォロワーたちが飲んでいく中、信用している友人もメンタルを仕事でやられて飲み始めていた
だけどその子だけはしっかりしていて「ずっと飲むわけにはいかないから」と最初から「一時的な助け舟」として使っていてすごく安心した気持ちになった
・飲んだあとは携帯を一切いじらない、
・寝る直前に飲む
の三つなんだけど、これって「当たり前」だと思うしそれらができない人たちorやらない人が多いから抗うつ剤の乱用が目につく
本当に本当に体に悪いし頭おかしくなっちゃうのにそれに気づかないで飲んでる人たちが多い
他の人なんか「ヤブ医者に欲しいって言ったらいくらでも貰えるw」とか言ってる人もいる。本当に危険
だけど「危険」って思う言葉にも目を向けないあの人たち。ずっと飲んでる。
眠剤や抗うつ剤を飲んでいた期間の自分の頭がおかしくなってたと思っているのは私だけかもしれないけど、当時は「少しでも」ネガティブに感じたら頓服に頼ってた。
世の中、あまりにも下手に飲んでる人が多すぎる
鬱になって薬をもらっても、ちゃんと飲んで、近い将来に「飲まない」ように夜に寝て朝起きて朝ご飯しっかり食べるのを意識した方がいいのに
いやいやいやいやいや
「夜寝た?」と聞くと「寝れなくて。。。深夜」と言われる
じゃあその前日は???となる
やらなきゃいけないことをあと回しにしてやりたいことだけやってる、そうなるのは鬱のせいかもしれない、でもその鬱を加速させてる原因を考えてほしい
ないとやっていけないという段階まできたらもう戻れないということをもっと理解してほしい
薬や酒やタバコばっかり摂取してそれで「鬱が治る、マシになる」って言ってる人たちが本当にイライラする
鬱を治すのには
本人の努力と周りの助けが必要になるはわかってるけど、その努力を怠ってるようにしか思えないことが多い
なんでそこまで自分に甘くなれるのか、なんでそこまで病気が進行しているのか、何も考えないで考えたら病むからと「薬」を飲んで別のことを考える
そのずっと「考え続けること」が大事なのではないのか
思考が止まっているのであれば「薬を飲む」という思考にも至らないと考えているが、、
なんで鬱でなんも出ないのに「薬」だけは飲めるんだよ
薬飲んで「切れた後のこと」を考えてほしい
「オリジナルチキン」と「骨なしチキン」とあって「オリジナル」がドラムスティックの画像「骨なし」が胸肉の画像だったから、手に持って食べやすいドラムスティックが指定できるのか!ヤッターとおもい「オリジナル」を2本タッチしてワクワクして待っていたら、出て来たものは2枚とも胸肉だった…
1人で来たし1人で食べるのに珍しくウェットティッシュナプキンが2つ(ケンタッキーはマクドナルドよりもケチな過去のイメージ)となんでかストローも2本…
ベタついた手で食事中に開けるのは不快なのでナプキンは食べる前に袋を開けて置いておくのがマイルールで、ケンタッキーはベタつくわりにケチだから最後の最後に使うつもりで口も手指もベッチャベッチャで頑張ってたら、なぜか恭(うやうや)しく店員さんが「ど、どうぞ~♪」とナプキンをさらに2枚持って来てくださった、いや、かえって恥ずかしいわ…
なぜなぜ分析をやるということは、あなたかあなたの周りでトラブルがあったという事例がほとんどだと思いますので
それほど苦労することはないでしょう。
・原因を掘り下げる前に、まず「全部私が悪いです」というゴールを決定します。
以降の分析はそのゴールに着地できるよう、常に意識して進めましょう。
・あなたに責任がなかったとしても、それを上司に納得してもらうことはまず無理です。
上司があなたに「なぜなぜ分析をやれ」と指示した場合、それは「お前が悪い。お前が責任を取れ」という意味です。
説明すればするほど、責任逃れととらえられる可能性が高いでしょう。
・あなたが客先に常駐している場合、原因が顧客や顧客先の環境であっても、それを書くのはやめておきましょう。
お金をもらってお仕事をいただいている弱い立場である以上、顧客の業務プロセスや設備に口を出して、変えてもらえる可能性は皆無です。
・1でまとめた経緯と、2の結論をもとに「なぜ?」を記載してみましょう。
最初は流れがつながらなかったり、5つ全部が埋まらなくともよいです。
・「なぜ?」がうまくつながらない場合、うまくつながるように発生までの経緯を見直しましょう。
事実にこだわらず、経緯が複雑だったり、登場人物が多いところは大胆に削って、シンプルなストーリーにしましょう。
もちろん、最初に決めた結論に到達できるようつじつまを合わせる必要があります。
・ほとんどの場合、あなたの上司はあなたの業務内容を全く知らないし、理解できるほどの知識もありません。
そしてあなたはそんな人達とレビューを行い、分析結果にOKをもらう必要があります。
レビュアーが頭を使わず、スムーズに飲み込めるような単純なストーリーを作りましょう。
ややこしくなるので、見直す前の経緯は意識的に忘れるようにしたほうが良いかもしれません。
・再発防止策は、極力実作業を増やさないような、単純な内容にしましょう。
「チェックリストを作る」はあるあるですが、実効性はさておきレビュアーに対するわかりやすさと作業の単純さの点では、決してバカにできません。
マニュアルの修正、前後作業への影響、他の作業者への周知などを考えると、影響が大きくなる場合があります。
それらに不備があった場合、また作業ミスが起き、再びなぜなぜ分析へのループに陥る危険性もあります。
・「簡略化した問題発生までの経緯」「なぜなぜ分析」の2つの資料をもってレビューに挑みましょう。
説明は資料ベースで行いましょう。改ざんしていない本来の経緯を出すと話がややこしくなります。
でもポケモンというゲームが他の追随を許さない良ゲーなのって、
あの、連綿と積み上げられてきたおびただしい量の種族やタイプやとくせいや性格や技やもちものやその他諸々を有していることで、
それによってデザインや立ち居振る舞いの説得力がつよまり魅力となってるわけだが、
それって本質的には「ポケモンバトル(対戦要素)」というコンテンツのために備わっているものじゃん。
だから多彩な戦略、独自の戦術が実現可能で、面白いとされているわけじゃん。
だからポケモンの本質って「ポケモンバトル(対戦要素)」なんだと思うしゲーフリもそういうつもりで開発してるでしょ。
対人用のセッティングをするためのハードルも年々下がってるのは、そういう人口増やしたいから。
【そもそも論】増田で「対戦勢なんてポケモン人口の1%未満w」とか言ってバカにしてる人観測するけど、それってランクマ人口のことでしかないでしょ。
俺もランクマッチは回さないけど、息子甥っ子姪っ子、会社の同僚の子供なんかの接待でも、友人や義兄との遊びでも、オフライン対戦するよ。
身内バトル用のパーティをカジュアルマッチで回すことも有るし。
まあ増田やるような陰キャは放課後にポケモン持ち寄って旅パバトルする友達もいなかったからイメージ湧かないか。
とにかく、ポケモンの本懐は「ポケモンバトル(対戦要素)」なんだってば。
別にポケモンバトルしないやつは下等とは言ってない。図鑑埋めもせずにランクマ回してるやつこそが立派だとも言ってない。
キャラ萌えしていいしストーリーで泣いていいしサンドイッチ作ったりカレー作ったりしてろ。
ただ、トイレで手洗ったり身だしなみ整えても鼻の油拭いてもハゲ隠しても化粧してもいいけど、トイレの本懐はおしっこするところなんだから、トイレでおしっこしてる人をくさすな。って言いたい。
トイレでおしっこしてる人をノイジーマイノリティとか言うな。寝室で寝てるお前の枕元に2人以上で立ってカラオケしてやろうか。うるさいと文句垂れるお前をノイジーマイノリティ扱いしてやるからな。
てか、アンチランクマの人に限ってランクマの外にあるタイトル叩いてるイメージ笑
そんなに1%のランクマ勢が嫌いなら、ランクマのためにロムの容量食われてバグだらけになってるタイトルなんかやらずに、ピカブイやってなよ。
いろんなゲームから露骨にパクってごった煮にしたゲームことパルワールドだけど、ゲームパスに入ってたからちょっと遊んでみたら掲題の通りに感じた。
アイデアは面白いが、細かいポイントが悉く「こんな露骨なパクりをして恥ずかしくないのか」と感じる。
大ヒットしているようだけど、スタジオの次に繋がるのか不安だ。
露骨なパクりが一切無いパルワールドがもしリリースされてたとしてここまで盛り上がったかというと微妙だったろうな、というのが個人的な予想。
アイデアは面白いけど、このレベルの面白アイデア実現しながら露骨なパクリしてないゲームなんか普通にあるし普通に売れてない。
結局今の爆発的な人気も「ポケモンやゼルダで出来ないことが出来る」から関心を集められてるだけだ。
このバズりで得た資金で次のゲームを作るとなったとき、後ろめたくない真っ当なゲームが彼らに作れるのだろうか?
二匹目のドジョウを狙ってまた別のヒット作を露骨にパクるのだろうか?
今なら出来るとパクりをやめて独自性を打ち出したゲームを作るのだろうか?
模倣が一切ダメだと言うつもりはないが、はっきり言って次に繋がる模倣はほぼ無いというのがオレの感想。
高級パン屋やタピオカ屋のようにサクッと稼いで風向きが悪くなったらすぐ会社を畳む、という戦略ならなんとかなるだろうけど、長くゲーム作りをしたいと思っているなら今回のバズり方は時間が経つにつれ強い呪いになっていくだろう。
こういう成功体験は忘れられないが同じことを何度もやったら飽きられる。
他社の成功に便乗した成功はどれだけ彼らを成長させてくれるだろうか?
「これで稼いだ金で今度こそ露骨なパクリ無しで成功したい」となるのか「二匹目のドジョウを狙って次のパクリ元を探す」となるのか、どっちだろうね。
別に山上は民主主義をトリモロスとかそう言うつもりはなく、ただ純粋な個人的な復讐でゲリゾーを殺したんだがな。それが結果的に日本の民主主義を正常化して、売国奴を排除したから評価されてるだけで。選挙の結果を暴力でひっくり返そうとしたトランプとは違うんだわ。
凄い嫉妬心を感じる。
今までにない嫉妬心を。
俺の人生はなんだったんだろう。
どこでこんなに差がついたんだろう。
出社するのが苦しくてしょうがない中で、休日出勤もして、それでも社会の何処にも居場所を感じないクソのような仕事。
でも世の中には大卒3年で世界的な偉業に巻き込まれ、その中でちゃんと結果を出している人がいる。
飛び込んでいった勇気と、それを実現する実力、自分を信じられるだけの積み上げの結果があったんだろう。
大学卒業すぐの段階でクラフトピアに関わっていたらしいが、その時どんな気持ちだったんだろう。
ゼルダとフォートナイトのグチャグチャのキメラみたいな代物を必死に耕す日々にどんな意味を感じていたのか。
でも間違いなくその段階でも既に世界的な知名度を持った作品のインフラ部分に深く関わっていた。
ベンチャーに飛び込みその中で生き残れるだけの力を持っていた。
一方で大卒直後の俺には何もなかった。
大学の講義の内容でちゃんと学べてるのは2回生まで、3回生からは誤魔化しの連続で何とか単位を取り、ゴミのような卒業論文を出して逃げるように学士を取った。
社会に出て役に立つ技能なんて全然なく、趣味でやっていたことは仕事に全く繋がらず、消極的な減点減らしのために敬語やマナーの勉強ばかりしてた気がする。
俺には何もない。
そういえば高校時代の知り合いがサークルの中から在学中に漫画家になった人が出てきたと言ってたな。
悔しい……才能のある人間が羽ばたく年齢になるまで結果を出せなかった奴らは恐らくずっと社会の底辺をのたうつんだ。
基礎構造の中を這いずり回ってメンテナンスをして回っているとでも言い張れば少しはマシに思えるのか?
でも俺がしているブルシットなジョブが社会の役に立っているとは思えない。
業界ごと消えてなくなれは言い過ぎだが、半分の規模に縮小して丁度いいぐらいだろう。
そしたら消える半分の側にきっと俺はいる。
だから俺はもうとっととここから逃げ出すべきなんだが、なにもないから怖くてそこに居座っている。
なんだったんだこの人生は。
人生を主役として生きている人間がいるのを見ると、悔しくてしょうがない。
今は脇役でさえない。
本当に単なる名も無いモブなんだ。
それでも苦しみがなく生きられるなら良かった。
今が苦しいから、それに何の見返りも感じないことがこんなにも悔しい。
そんな中で結果を出している若者がいる。
苦しい。
アンチになりそうだ。
タイトルの通りの身分です。学生です。自分の書いている文章を客観的に見れず、もうどうしたら良いのか分からなくなってきました。文章遍歴です。長ったらしいです。
まともに文章を書き始めて一年ほどの若輩者です。二次小説を書き始めた動機は絵が下手だからというとても不純なもの。本が好きで、作品が好きで、なおかつ小さい頃から人並みよりさくさくと文章を書けるタイプだったので軽い気持ちで書き始めてしまいました。
普段は旧Twitterと支部で短編を上げています。人気ジャンルのCPで書いたものが400ブクマ付いて喜んでいる程度の薄っぺらな書き手です。
衝動で書いた一作品目に評価がついたとき、初めて文章の質というものを意識しました。そういえばこれって他人に読ませる文章じゃん、と。慌てて自分の書いた文章と、自分が大好きな作家さんの文章を比べました。適切な比喩、ちょうど良い一文の長さ、形容詞の位置、描写の順番……などなど、素人でも分かる違いが山ほどありました。それはもうバスタオルと羽毛布団くらい違いました。要するに幼稚な文章なんです。色がありません。温度もありません。パッサパサの乾パンでした。
次に文章を太らせようと思いました。もうちょっと情報量を増やそうと。そしたら今度はすごく冗長でつまらないものが出来上がりました。文字の量を増やすだけでは10Lに薄めたカルピスみたいな読むのが苦痛な作品になるだけでした。
ここまでもし読んでくださった方がいたらこいつど素人にもほどがあるだろうとお思いになると思います。字書き経験のある先輩方でしたら尚更です。ごめんなさい。
語彙を増やそうと思いました。毎日通学時に周囲の写真を撮って、匂いや気温を書き取って、その時に見た景色をメモ帳に描写しました。Web辞典と、プロの一次作家様の文章を横に並べながら。なんだかちゃんと文章を書いてる気がしてだんだん楽しくなってきました。「春はあけぼの、やうやう白くなりゆく山際、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる……」また比喩を使っちゃいますが、枕草子みたいな感じです。
よっしゃやるぞーと思ってまた二次創作を書き始めました。今度はプロットなるものが立ちはだかりました。起承転結というやつです。この辺りで私は、あれ、小説書くのって想像以上に難しいのでは……と気づいてしまいました。二〜三千字くらいのワンシーン切り取り型の書き方ならともかく、私は数万字に及ぶ長編に憧れてしまったのです。プロット無しの見切り発車で書くのはあまりに危険でした。しかし、見様見真似で書き起こしてみるものの全然上手くいきません。浮かぶのはつまらない展開ばかりでした。そんなこんなで今は三千から五千字のものをちまりちまりと書きながらいつか長いもの書きてぇとぼやいています。
冒頭に戻ります。本当に良い描写は脳みそにスッと入ってくるんです。たった一文で全部を分からせてくるアレです。難しい言葉も要らないし、何度も言い換えて重ねる必要もない。あれって天賦の才なんですかね。最近、解像度の高いものを書こうと思って気合を入れて書いた作品が、2週間後に読み返してみたら装飾過多、結局何が言いたいの?と思われそうな駄文になっている、ということを繰り返しています。カッコいい文章に憧れます。
ネット上の二次創作においては、流麗な描写よりもオタクに刺さる台詞のある作品のほうがたぶんウケます。自分もそういう作品は好きでした。自分自身、以前は難解な地の文なんかポイポイっと読み飛ばしてキャラ読み(?)していたわけですから。でも書き始めてから、読み手にウケるかどうか以前に自分が「こんな適当な文章で推しを表現したくない!」という執着に取り憑かれてしまったんです。もう自己満足の部分もあると思います。推しの眺めている花はただの花じゃなくて、真っ白で、透けるくらい薄くて、とても良い匂いがして……
文学オタクの扉が見えてきました。もう戻れません。知れば知るほど、私の小説はつまらない。どうつまらないのか分からないけどとにかくつまらない。引き込まれる表現が足りない。たぶん内面描写も浅いし、そもそも二次創作として、公式設定資料を読み込むのを怠っていました。なんてことだ。しっかりとした長編で評価されている方々は本当に凄いです。
自分が心底納得のいく小説が書ければきっとある程度の評価はついてきます。でも、その「自分が納得のいく小説」までにどれだけの差があるのか、具体的にどこがダメなのか、分かりません。あぁ、誰か私の小説に適切に文句をつけてくれる人居ないかな。雑魚メンタルですが最近批評が欲しいと思えるようになりました。
長々と書き連ねましたが、要するに良い作品が全然書けなくて、目標までが遠すぎて死にそうです。文章の指南書をこの前注文しました。でも本当にあんな凄いものが書けるのか……?神字書きの皆様へ尊敬と羨望と、諸々の気持ちが溜まっていきます。
文章うまいね、そんな言葉1ミリも要らないんです。いや嬉しいは嬉しいんですけど、要らないです。正直やっぱ欲しいです。でも上手くなるほうが大事です。批判が欲しい。
そういえば触れてませんでした。一次創作書けばいいじゃんっていう話についてです。私の今のモチベーションの核は、ひとえに好きなキャラを最強の文章と構成で表現したいという衝動で成り立っています。つよつよな文章で推しが喋ってる……うおお……という感動を味わいたいです。それだけです。
世の中、腹が立つ作品には批判が飛んできます。でもつまらない作品には何も言ってもらえません。ありふれた話ですが、それをとても実感しています。
海外サイトとかで見れるモザイクレスの日本人のAVってそういうのと比べるとやっぱり負けてるんだよな。
もちろん中には突出していいものもあるんだけど平均的に見ると劣っている。
基本的に個人撮影規模のスタッフでやってるからそれは当然で当たり前で文句を言うつもりはないしいつもありがとうございますと思いながら見てる。
でもさ、もしも日本のAVプロダクションが作るAVがモザイクレスなら、これを俺は見てるかな?とも思う。
多分、見てないだろうな、と。
これ、何が言いたいかと言うと結局日本人のお金が何らかの形で海外に流れてしまっているということだと思うんだよね。
https://play.google.com/store/apps/details?id=net.address_search.app
Address Search
これは実際はメールサーバーにpingか何か送っているのでしょうが
素人なのでわかりません。
できない事をしているんでしょうか?
誰か素人にもわかる手掛かり教えてくれない?
押し入れは在宅勤務用のスペースにしている
押し入れは微妙な高さの2段になっていて椅子に座って向かうと膝が当たるので使いづらい
そこでテレビ台やらローテーブルやらを設置して完全にスタンディングデスクにする
足元に厚手のキッチンマット敷けば多少は楽になった
思えば美大に通って絵を描いているときも、私は自己表現をしたいなんて思いはなかった。
それっぽい、かっこいい、かわいい、誰かに褒められる絵を描きたかった。自分がないから、どこかで見たような絵ばかり描いていた。
好きな世界観を突き詰めてそれが否定されるくらいなら、最初から全力で向き合わずに傷つかない道を選んだのかもしれない。
何を言われても、4年間自分のしたいことを貫いて描き続けた人たちは強かった。
私は意味の分からない、理解のできない、粗削りの絵を心の中で冷たい目で見ていた。
でもそれを続けた人たちはどんどん強くなって、冷笑して逃げていた私はどんどんしょぼくなる。
思い返すと私の行動の理由も、そこに居続ける理由も、傷つきたくないから。
傷ついたり、自分が無価値であると思い知らされるのが怖くて、それならない方がいいと思って全てを回避していた。
友達に野菜を食べなきゃだめだよと言われて泣く、幼稚園の時の私。
自分のことかわいいと思っていて、「あっちゃんかわいい!」が口癖だった。
繊細ではあったけど人見知りというレベルで、3学期になれば皆と仲良いし、基本人は好きだった。
親の喧嘩が嫌で泣く私。
池田大作の本に、子供の前で夫婦は喧嘩してはいけないと書いていたのに、何でお母さんは大好きな池田先生の言いつけを守らないのかがわからなかった。
小学生、中学生の頃までは必死に空気を読んで、喧嘩する親を和ませようとしてた。自分の発言で親が笑って、喧嘩が止まるとほっとした。
中2の正月に、全部終わった。
何とかしようとするのをやめて、ずっとイヤホンをして聞かないようにした。
クラスの全員と仲良くすることもなくなった。
色んなことに向き合うのをやめた。
どんなに悲しくてもつらくても、生きなきゃいけない。
生きようとする力と、生きづらさがせめぎ合った結果、回避するという術を身につけた。
それが今の人生に影響を与えていて、スムーズに進むことを妨げているけど、でもそうしないとあの時の私は生きてこれなかったなら仕方ないか、と最近ふと思った。
子供は環境を選べないので、どうにかその場に自分を適応させたのだと思うと泣ける。
自分の心を守った私のことを、今の私が否定して、こんな自分嫌いだなんて言ったらあの頃の私は悲しむかもしれない。
認めようぜ自分を。
経済力がないと、文句しか湧いてこない相手と別れられないと学んだから、自立心が強くなった。
貧しさがいかに人を荒ませるか、清貧なんて嘘だと幼くして知ったから、お金の大切さがわかる。
自分の存在意義がわからなくて、あやふやだったからこそ、一労働力だとしても人に必要とされて感謝されるバイトが楽しかったし、仕事も好き。
白黒思考は恋愛との相性は最悪だけど、仕事では役に立つこともある。
人の顔色声色を伺って機嫌を取ってきた経験は、接客に活かされている。
自分一人でずっと暮らしていけるお金と、メンタルを保てる仕事を追い求めてたら、20代は終わってしまった。
大金持ちは目指してない。日々、ケチケチとお金で心が荒まない程度に、自分へのご褒美を難なく買える収入があればいい。
たぶん優先順位の問題で、私が一番欲していたのは経済力と安定した仕事で、そのためにもがいた結果、社会人10年目にしてやっと着地できた。
もし私が心から欲していたのが、パートナーとか温かい家族で、この10年めちゃくちゃ恋愛を頑張っていたらそれなりに形になっていたのかもしれない。
両立出来たらよかったのにな。
これから10年がんばったら、恋愛もどうにか着地できるのだろうか。
我慢を続けて抑圧しながら生きていると、40代や50代になっていきなり鬱になったりするらしい。
姉は20代で体もメンタルも壊して、通院することもあったけど今は健康に過ごしている。自分を大切にできているし、私の自己肯定感のなさに引いているくらい。羨ましい。
私は大きく調子を壊すことなくここまで来たけど、どこかのタイミングで病名がついて適切な治療を受けられたら良かったのに。
嫌になるくらい健康だから、このまま何事もなく一生何となく不調なまま、終わる気がする。
でも最近強い意志で変わりたいと思ってるので、健康な心を目指すべく片っ端から色んなことやっている。
ドツボにハマらない程度に心理学の勉強をするべく、4月から通信大学に通うつもり。
何も変わらなかったとしても、心の仕組みを知りたい。
とにかくとにかくとにかく恋愛が上手くいかないので、日記を書きました。
でもそんな自分も愛そう。
増田を書くとき、大抵「なぜこの文章がこの世に存在する運びになったか」という言い訳から書き始める。
今回もやはり例に漏れない。アノニマスでのダイアリーでご丁寧に言い訳。難儀な性格だと我ながら思う。
うつとは付き合い始めてもう五年近くになるが、未だに自分のうつについては何も分からないままでいる。
私の場合は、気候に加えて何種類かの不安や悲しみが同時期に積み重なり、トリガーとなるパターンが多い。
不安や悲しみは自らの努力で解消可能なものから、不可能なものまでさまざまだ。
今回もそうだし、五年前もそうだった。
うつについては、それ以外理解できていることはない。ないのだが、最近うつに関して感じたことを書き留めておこうと思い、増田を書くことにした。
未来の自分の道標になるかもしれないし、ならないかもしれない。これは、私のための文章だ。
盛りに盛って自己肯定感は低下の一途を辿り、何を言っても、何を考えても面白みに欠ける。独創性もない。何か行動を起こそうにも、冷えて硬くなった脳が軽やかな動きを阻害する。
そうして、「自分はつまらない人間である」という意識から自己肯定感が更に低下する。典型的なうつによる負のスパイラルに陥っている。
おまけに寒い。毎日毎日、体の芯から凍りつくような寒さに文字通り震えている。都心で大雪など降るなアホたれ。
うつ症状が軽い時期は、アイデアがするすると湧き出てくるものだ。
例えるなら柔軟性のある、水をたっぷり含んだスポンジに近い。脳に少しの力を加えてやれば、まとまりのある言葉が簡単にアウトプットされる。情報もサッと染み込み、インプットも楽勝だ。
出てきた言葉やアイデアには、自信が持てる。整然とした美しさや、鮮やかさに自信が持てる。
力が要らず、アウトプットに不満もない。健康的な思考の活動だ。
対して、うつ症状が重い時期の脳は、「凝り固まっている」という表現が適切に思える。
アイデアや言葉は頭の中に堆積しているが、脳がガチガチに硬い。硬い脳を叩こうが押そうが、うんともすんとも言わない。
目から入ってくる絵や文字の情報もろくに整理できず、ドロドロとしていて頭の芯まで染み込まない。
うんと力を込めて、ようやく絞り出された雀の涙ほどのアウトプットは、濁っていて美しくない。
強い力を要し、アウトプットに全く満足できない。これ程不健康で悲しいことはない。
だが、私はこうして文字を書けている。
そして重要なのは、今書いている文章に別段美しさも、鮮やかさも感じないのだが、なぜか心が安らいでいる。
この現象に気がついたのは、ここ数日のことだ。
冒頭からつらつらと書き続けて分かったが、やはり私は難儀な性格だ。
匿名で書く日記ですら書く言い訳が必要だと思っているし、「面白みに欠ける」ことが嫌いだ。たぶん発言に「独創性」も欲しいのだろう。
なぜこのような性格なのか。おそらくそれは私の言葉やアイデアが、基本的に「自分とセットで社会から評価されるもの」という前提にあるからだろう。
仕事でも、趣味で文章を書くときでも、限られた友人同士でしかやり取りしないSNSでも、「自分と、自分の発言がどう見られているか」で常に頭がいっぱいだ。そういうシーンでは自分と、自分が発信する表現は地続きのものなのだ。
別に私が面白くなくても、独創性がなくても、美しくなくても、実は誰も怒ったり責めたりはしないのだが……そのような自分の醜態を、おそらく私自身が一番許していないのだろう。
だからこそ、この苦しみはなかなか解けにくいのだ。
だが、気がついた。
「自分とセットで社会から評価されるもの」ではない文章は、脳からアウトプットするのがあまり苦ではない。例えば、この増田のような文章だ。
匿名で宙に放り投げる文章は、社会で活動している自分からはぷっつりと切り離された存在だ。しがらみや他人の目に囚われない文章をアウトプットする行為は自由で、とても快適だ。
私の場合は、おそらくこの思考の活動がリハビリになるのではないか、と感じている。
この活動を起点として、自分が「面白みに欠ける」ことや、自分のアウトプットに「独創性」がないことを許す。
自分の発言やアイデアは、本来もっと自由で快適だったことを、体と頭に思い出させる。そうすれば、次第に脳は元の柔軟なスポンジに戻るだろう。
希望的観測を含むうつ真っ盛りの時期の所感だ。少し楽観的すぎたか。
しかし、言葉が自由で快適なことを思い出すリハビリなのだから、能天気なくらいでちょうどいいはずだ。楽観的に表現できる、ということが重要にも思える。
失敗したら自分の評価が下がるし、相手は完全にうつむいて時間切れになるのを粘ってきてるのに?
どうする?
「揺るがない証拠があるんだからそれを突きつければいいだろ」なんてのは中身のない空論だよ。
証拠突きつけた相手が逆転裁判みたいに勝手に発狂してくれると思ってるならそれは他人とまともに裁判起こしたことがないぬるま湯人生から出た戯言にしか感じない。
世の中の人間、とりわけ悪事に手を染めることが出来る人間ってのは「黙ってさえいれば事実はどうあれ自分の刑が軽くなる」と考えたらいくらでも黙り込むんだよ。
それが人間として正しいか間違ってるかなんて本人には関係ない。
そういう人間に事実を突きつけたって「知らん顔すればいいだけでしょ?」でノーダメなの。
でもね、プライドを傷つけてやれば「なんか言い返してやるー!」となってようやくボロを出し始めるわけ。
喋らせないことにはなんともならないけど、相手の善意を期待したりまともに話が通じることを期待しちゃ駄目なの。
相手がクズであればあるほど、その口を割るための最後の細い糸が「相手のプライドを如何にして逆撫でして、不利と分かっていても喋るように仕向けられるか」になってくるわけ。
黙秘権を過剰に講師する相手に対してプライドの方面から攻め手を打つ検察ってのは凄く仕事熱心だと思うな。
それこそ腐りきった検察だったら壊れたスピーカーみたいに「あなたはこの日これをしましたね。はいと言ってください。いいえならいいえと言ってください。黙秘ならはいと言う事にしますよ?」をひたすら繰り返すぐらいしかやらなくなるから。
自分の頭を必死に捻って、今手元にある証拠をただ突きつける以上のナニカを探ろうとするってのは、責任感があってこその仕事だと思うな。
税金泥棒として割り切ってるなら相手が黙ったままでいるのをいいことに自分も黙りこくって適当に時間が過ぎるのを待って、そのあと上司から怒られても「だってだって相手が黙ってるんだもん」で済ませようとするだろうさ。
今の司法のシステムの中でちゃんと仕事をしようとしたらね、いつかは相手のプライドをくすぐってやる必要が出てくるんだって。
どうせはてなーは「自分が同じ状況になったらどうするだろう?」なんて考えずに批判してるんでしょ?
正義感からAEDをやった人に対して「おっぱいを見たいからAEDを使ったんだろ!うらやまけしからん!」と安全圏から罵倒するようなもんだよ。
正確には「自分の置かれてる現状に対してロクな根拠もなくプレッシャーを感じないでいられる事」と言うべきだけど
その性質を持って生きるのは悪くないんだと思いたい
自分は高校を卒業した後と大学の学部を卒業した後にそれぞれ2年と1年通ってない期間がある
必要なお金は自分で払うならいいって言われたから入学金+最初の授業料をバイトで稼ぐという事で1年稼いで大学に行く予定だった
でも行く予定の大学に落ちたから1年浪人して2年かかったけど…最初の1年目は受験をやってない場合でも2浪扱いになるのか…?
まぁ親は学費は違うけどお金を払ってくれない物は一つも無かったし
Androidのスマホも2度買ってくれたし通信費も全部払ってくれたし今も通信費を払ってくれてる
今までずっと一人暮らしをしていなくて親に生活費を払ってもいない訳だけど、でも恵まれてる家庭だって言われたら理不尽だと思ってる
授業料免除や半額についての基準まで言わないと駄目なんだろうか?
なんというか大学行くやつは自分が恵まれてる事に感謝しろって意見がムカついて仕方ない
こっからは高校を卒業して2年目の話になるが、多少お金に余裕があると感じたからデリヘルを利用してしまった
本番出来る店の中で何とかお金が大丈夫なラインを探したが結局10回近く利用してしまったと思う
フリータイムの分払わずに済むから家に呼べたらって考えてしまった事がある
一応は東京の国立の大学に入る事は出来たが終わってる人生だと少し思う
そして大学に入った後もなんとか年5回くらいは利用した
それで親には学費払うから!って言って大学院に進む事も決めてしまったからデリヘルを利用し続けられたんだと思う
就職活動してた場合の方がデリヘルに行く余裕は出来なかったと思う
学部4年目もそこまでキツくない発表だったからデリヘルに行けたんだと思う
デリヘルについては知り合いに知られてないとは思う
そして1年またバイトで稼ぐ期間を設けて別の東京の国立の大学院に入る事が出来た
ヘルスで本番無しを1回は利用したけど…何と言うか馬鹿にされるが愛が無いのがキツいと言うかそう思ってきて利用出来なくなった
研究に関しては自分には好きな分野があってそれにずっと熱中するのは好きだし大学院も今の所楽しい
修士の研究テーマも多分これでいいというものを定める事が出来た
ここまで見直してみてやっぱりバイト先だけは恵まれてるかもしれない
何処とは言えないが運輸会社の仕分けのバイトが作業が楽とは言わんがキツくは無い
作業がそこまで難しく無いから作業中に研究の事を考えるのも良かった気がする
深夜や早朝を何度か切り替えたけどでも他の用事とも被らずに出来た
塾講師はそんなに纏まった時間とれなさそうだし覚えなきゃいけない作業がいつまでもありそうだし
仕分けの方が良かった気がする
就職も決めてない、何となく研究者に行けないかって今も思ってる
なのに4月から2年目だけどまだ学振について分かってない事がある