はてなキーワード: 飛鳥とは
なんだか今回の杏botに関して色々な反響が起こっていますね。少し遅れてですが、ちょっと今回思ったことを書き殴ってみようと思います。
様々な意見を聞きます。「陰湿!」「清美ちゃん可哀想」という意見や「なんか問題あんの?」「ただ仲良くしてるだけやん」という意見も見ます。
どちらが正しいかなんてどうだっていいのですが、私はどちらかと言うと前者です。その上で言います。
杏を除いた満開スマイル組4人(島村卯月、佐久間まゆ、小日向美穂、櫻井桃華)のああもCuに全振りした子たちにやらせるその手腕!敬意に値する!
今回の問題点と私が感銘を受けた要素を一つずつ語っていこうと思います。
素晴らしく陰湿です。"皆に見えるところで話すが直接本人には言わない"ここポイント高いです。
当然本人は知ることができます。そして全てのアイドルもそれを見れます。そんな場でネチネチというその性根…尊い。星輝子ちゃんも驚きの湿りっぷり。
外堀を埋めるやり方。典型的なモラハラのそれです。清島さんのポジションに自分が立つことを想像するとぞっとしますね。
5対1の構図を無自覚に作っている。ここに怖さを感じた人も多いでしょう。
最初期に二宮飛鳥ちゃんを一之瀬志希ちゃんと宮本フレデリカちゃんがからかう書き込みがありました。しかしそれは彼女らの関係あってできることだし、理解も得ている、何よりからかう行為に意思があり、そしてヒートアップしないところで切る、距離の取り方をわかっているいい人間関係です。
それに比べて今回の4人は清美ちゃんとは殆どと言っていいほど交流がなく、距離を近づけようともせず、直接では決してなく言いたい放題です。後述しますがこの4人は最後まで清美ちゃんに対してコミュニケーションを取らなかったのが無駄にリアル。
ここで特に邪悪さを感じたのは小日向美穂ちゃんと佐久間まゆちゃんですね。わざわざ名指しで清美ちゃんの名前を出しつつ擁護するように見えて仲良しな杏ちゃん側に立っている論調。
これだけ取ってみるとまるで清美ちゃんが責められているよう。難しくも正しく使うもありません、杏ちゃんが朝自分で元気に書き込めばいいだけの話。
悪いのは不真面目にbot使ってた杏ちゃんなのにね。でも当然仲良しグループの方が大事だし、杏ちゃんを責めるようなことは一切言わないよ!
自分は小日向美穂ちゃんは正統派な可愛いアイドルだと思ってたし、佐久間まゆちゃんはヤンデレっぽくやってるけど普通に可愛い女の子だと思ってたので、今回のような陰湿で姑息なやり口を行えるような性悪さを兼ね備えているなんて知らなかったです。彼女たちをより一層好きになれました。
今回の書き込みを自覚があってやったなら拍子抜けだけど、もし自覚なく行えるなら、この子たちは間違いなく日常の学校生活でも同じ女子生徒を同じやり方で追い詰めていると思います。そうでなければあんな無神経な書き込みできないです。
今なら まゆすき って言ってもいいですよね!この子たちをもっと輝かせたい!
この状況下で謝らずに突き通せる子なんていません。5対1です。絶対勝てない。
一貫してみても思う事だろうけど「これ清美ちゃんが謝る意味ってあったの?杏ちゃんは何も謝ってないのに?」なのに悪者になったのは清美ちゃんだけ。
簡単に言うと数の暴力に屈したんですよ。そういうやり方をあの満開スマイル組は知っているんです。ジャイアニズムです。これも尊い。素晴らしい。
前述の通り最後まで4人は清美ちゃんとコミュニケーションを取りませんでした。自分の知る限りこの4人と清美ちゃんの絡みは過去にほとんどないし、あっても杏ちゃんに比べれば極僅かでしょうね。特に仲がいいわけでもないから絡むわけでもない。
結局相談内容は一切見えず、残ったのは杏+仲良しグループ4人対清美一人という構図と、清美が反省して終わる結末、そして清美に一切絡まない4人という、後味の悪い(自分にとっては大好物な)結果だけが残りました。
島村卯月ちゃんが最後まで清美ちゃんを視界に入れず「よかったですね。杏ちゃん!」で〆るその姿はシュール。
実にスクールカースト的な格差とそれによる圧力で終わった感のある一連の流れだったと思います。
今回、思った人もいるだろうけど
と
という目には見えないが実に格差が広く広く感じる構図になってますね。この要因も間違いなく今回の件を大事にしていると思います。
杏botですが、これbotとばれた今稼働させる意味があるんですか?という疑問も残ったまんまになりました。
これだけ荒れた要因がこのまま恒常的に存在し続けるって物凄く皮肉の効いた終わり方な気がします。もう誰も触れたくないでしょうね。
後今回の件で関係ないのですが、PCSのお泊り会のデレぽがあった時、自分は違和感を覚えたことがあります。
「君ら同じ部屋にいるはずなのに何でデレぽで喋ってんの???」あれは一体誰に向けて言ってたんだろう…
今回の件も含めて正統派なCuは何か底知れない悍ましさを感じるようになりました。
素晴らしいです。普段からは想像もできない陰湿さと邪悪さを感じさせる今回のデレぽは尊さしかありません。
デレぽはとても良いコンテンツです。アイドルの知らない顔や絡みを見せてくれます。
上でも上げた小日向美穂ちゃんと佐久間まゆちゃんの邪悪さ、姑息さは普段じゃ絶対見れない。いい機会を得たと思います。
今日更新されたKBYD+周子ちゃんの過去のデレぽを見てもそういった邪悪さが感じにくいんですよね。幸子ちゃんや紗枝ちゃんではそういう邪悪さが出ない。
今回の問題の4人はそういった知らなかった面も見れて実に感無量でした。彼女たちが前より好きになれたと思えます。
最後に一つ、ライターは適当に書いてやがる!という声も聞きましたがそれはあり得ません。
あの4人のアイドルの邪悪さ、最後まで清美ちゃんにフォローを入れない徹底ぶり、適当に書いて出来るものでは決してないです。どう見ても計算されています。
これでいいです
1位 高垣楓
2位 島村卯月
3位 渋谷凛
4位 佐藤心
5位 鷺沢文香
6位 神谷奈緒
7位 神崎蘭子
8位 北条加蓮
9位 佐久間まゆ
13位 橘ありす
14位 輿水幸子
15位 大槻唯
16位 前川みく
18位 乙倉悠貴
21位 新田美波
23位 三船美優
24位 依田芳乃
25位 宮本フレデリカ
26位 星輝子
27位 本田未央
29位 アナスタシア
30位 双葉杏
じゃあ単純に数絞っていこう。
安部菜々、輿水幸子、島村卯月、一ノ瀬志希、前川みく、佐久間まゆ (6名)
乙倉悠貴、小早川紗枝、三村かな子、櫻井桃華、宮本フレデリカ (5名)
道明寺歌鈴、椎名法子、中野有香、早坂美玲、水本ゆかり (5名)
神谷奈緒 、橘ありす、速水楓、森久保乃々、二宮飛鳥 (5名)
アナスタシア、多田李衣菜、新田美波、塩見周子、白坂小梅(5名)
鷹富士茄子、川島瑞樹、三船美優、佐々木千枝、上条春菜 (5名)
赤城みりあ、城ヶ崎莉嘉、堀裕子、日野茜、諸星きらり (5名)
どーも、デレステやってる志希Pです
フェス限志希、出たのでそのセリフ確認少しするよ。ヒマな人はどうぞ。
まず、私が注目したセリフでも挙げておこうか
ルーム特訓前
「ヒューマンエラー。人間の揺らぎが、実験研究の最大の敵なんだよね」
ルーム特訓後
「達観するのにも飽きたからさー。人生、楽しまなきゃソンだよ」
ホーム特訓前
「この街並みを見てるとさー、もしかして、全部夢なのかなーって」
「思いだすな―、あの頃。あの頃は…どんな頃だったっけ。どうでもいっか」
良いセリフもいっぱいあった。特に、今回の志希は非常に落ち着いている。
誰かとの反応ではない、”一ノ瀬志希”そのままの輝き。彼女が個人で持っている魅力…
…話がそれた。
とりあえず気になったのは、ここら辺。
で、まずは
「ヒューマンエラー。人間の揺らぎが、実験研究の最大の敵なんだよね」
まず、この発言は事実を述べたもの。「人間の揺らぎは実験研究の敵」という事実。
でも、事実を語るのは少ない。なくはないけど。
幾つかの要因が積み重なって徐々に興味が薄れて、何かのきっかけで完全にやめる、という事が多いと思う。私は。
幾つかの要因の一つか決定的な何かかは知らないけど、志希はおそらく「人間の揺らぎ」で苦い思いをして、そして研究をやめた。
「似たもの同士で反発」「父親はぶっ飛んでいる」との事なので、私が言いたい事はこうなる。
「非常に合理的な考えを持っていて、当時の志希にはあり得ない冷酷な答えを出す事もある大人」→「人間の揺らぎ」を起こしたのは志希
「俗物的で金や名誉を大事にするような考えで、志希にとってはあり得ないくらい子供」→「人間の揺らぎ」を起こしたのは志希の父親
よし、一つ終わり。
それでは次、「達観するのにも飽きたからさー。人生、楽しまなきゃソンだよ」やろうか。
この文章から、志希は「達観していた」「人生は楽しくなかった」とわかる。
私の思う達観は、言い換えれば「妥協を覚える」「諦める」が近いかな?そこまで悲観的じゃないけど。これ補足ね。
かるーくまとめる。
以前の志希は明るく無くて、いつもつまらなそうな顔をしていた。
そして、「達観していた」。周囲の大学の研究者からみたらどう見える?
”此方を見下した、頭は妙に回るガキ”だと思われるんじゃないかな?
ついでに、二宮飛鳥と長くお喋りしてた件。この話が正しければ、飛鳥を気に入るのも簡単にスジが通るよ。
以前の志希と飛鳥は、「対人」が共に死んでいる。
「コイツ馬鹿だ」と思えばもう、相手に敬意どころか気遣いも無し。
つまり二人は似た者同士!
あ、私は志希も飛鳥も好きだよ?なんだかんだ二人は前向いて歩いてるから。
じゃ、ここまでで「志希は飛鳥に過去の自分を見て、それで気に掛けている」説終わり。
よし、次。
「この街並みを見てるとさー、もしかして、全部夢なのかなーって」
「思いだすな―、あの頃。あの頃は…どんな頃だったっけ。どうでもいっか」
内容が一緒だから、纏めていこう。
まず、上。「全部夢なのかも知れない」
※真剣にコレを考え”続ける”ことは難しく、志希なら一瞬で終わります。詳しくは「胡蝶の夢」でググって
街並みを見た時の「楽しそう」「五月蠅い」といった感想とは違うね。
続けて、下。「あの頃の事は、別にどうでも良い」※見栄を張っている可能性は少ないです、自分に語るような声音だったので
なら、その高い能力から多くの経験を積んできたはず。印象的なこともたくさんあった。
なのに「どうでもいい」?
この二つから、分かった。
志希はもう、現世に未練が殆どない。引き留める人がいなければ世間一般で言う”失踪”をするだろうし、少し生きづらくなれば「面倒なことはゴメンだね」と簡単に自殺もあり得る。
Twitterで誰か志希Pさんが「志希は気がついたら幻のように消えてしまいそう」と言っていて、私も結構共感していた。
その危うさが、志希の魅力を引き立てていたから。
…これで「幻のよう」が一気に加速した。いやー凄い。私正直、公式にここまで出来るとは思ってなかった。
この魅力を出すなんて。
なーんか中途半端な気がするけど、ここまでかな?
後は、前回のコメント返し。まともな人だけ。(約一名)
一応ね、度々セリフ集の確認とかはしてるよ。最近のドラマチックシナジーも。
だけどね…あれは考察には挟めないや。
だって志希がにゃはにゃは笑ってる以外、何もない。可愛かったけど。
島村卯月が「頑張ります!」と笑顔で言っていた頃、私は卯月がどのくらいの情熱を持っていたか知らなかったよ。
彼女のアイドルへの憧れ、彼女自身の在り方への悩みなんて知らなかった。
ぶつかり傷つき、その壁から逃げ出すのも良い。
一旦壁から逃げて見れば視界が広がる。壁と会うことが無い道もあるだろうし、壁を超える方法が見つかるかもしれない。
傷つかなかったら? その姿はとても格好良い。それもまた個性。
ただし、より高い壁とぶつかった時どうなるのかは神のみぞ知る。
まあつまり、そういう理由でモバマスは使わないよ。少なくとも今は。
終わり
見てくれた人ありがとう
彼氏が出来ない理由はなんとなく分かる。まず理想が高い(実際に好きになった人は全然当てはまっていなかった、ということはある)。
それに、そもそも友達と遊んだり一人で趣味に没頭したりする方が楽しいので、真剣に彼氏を作ろうとしたことが一度もない。
告白されたことは何度かあるが、どの人も付き合うことは考えたこともなかった人だったので、断った。
結婚願望はあるので最近少し焦った方がいいのだろうかと思いつつも、未だに積極的に動いてはいない。合コンも行ったことがない。
でも、たまに友達の彼氏の話を聞くと「いいなぁ」と思う。その瞬間だけめっちゃ彼氏が欲しくなる。
なので、そういう時はいつもイマジナリーボーイフレンドとイチャイチャしている。
イマジナリーボーイフレンドの名は大野流星。私よりひとつ年上。性格は若干ヘタレだが男前。顔は上の下レベル。関西弁で、人気お笑いコンビのツッコミ担当。私のことはちゃん付けで呼ぶ。
私は声優を目指していて、フリーターをしながらレッスンを受けている。未来はどうなるか分からないが、才能があると言われたことはあるので、とりあえず30歳くらいまでは諦めずに続けたいと思っている。
そんな私は、流星とイチャイチャしている時は、声優としてデビューし時々バラエティ番組にも呼ばれる売れっ子(という設定)になる。
想像力が豊かなので、最近は流星の相方である遠藤飛鳥の設定にも凝り始めた。飛鳥は流星ほどイケメンではないけど別にブサイクなわけではなく、温厚そうな顔をしており、実際とても優しいので流星よりモテる。流星と飛鳥は高校生の時からの親友で、コンビ名は「犬と猿」。
流星と十分くらいイチャイチャすればもう満足するので、結局彼氏は要らないやという結論に至る。
なので、第六回シンデレラガールズ総選挙の一位から四十位までを、
そのアイドルが処女の場合はいつものハピハピな感じで「うっきゃー!」と言った後「ちゃん付け」で呼び、
自分が処女を頂いていた場合には愛情を込めて「きらりの」をつけて「呼び捨て」で紹介し、
渋谷凛が処女を頂いていた場合には「愛に包まれて気づいたいつもたくさんの笑顔ありがとう」と歌った後「渋谷凛の」をつけ、
森久保乃々が処女を頂いていた場合には「夜のデートは危険すぎるからなんて」と歌った後「森久保乃々の」をつけて紹介しますが、
ただし、森久保乃々とそのアイドルがもう別れている場合には「いつだってその笑顔をより輝いてるものはない、どんなに強がっても一人じゃ何もできない、交わす言葉も凍りつくいじけた都会でも、二人ならうまくやれるさ、きっとやれる、今全ての思い出投げ捨てて、今全ての夢に勇気を込めて、今全てをこの愛にかけてみる、ほどけた靴紐を結んで」と歌いアイドルの名前は言わない、
高垣楓さん
うっきゃー! 本田未央ちゃん!
うっきゃー! 藤原肇ちゃん!
うっきゃー! 喜多見柚ちゃん!
うっきゃー! 村上巴ちゃん!
うっきゃー! 北条加蓮ちゃん!
関裕美さん
うっきゃー! 鷺沢文香ちゃん!
うっきゃー! 緒方智絵里ちゃん!
安部菜々さん
うっきゃー! 輿水幸子ちゃん!
うっきゃー! 神谷奈緒ちゃん!
うっきゃー! 喜多日菜子ちゃん!
うっきゃー! 高森藍子ちゃん!
うっきゃー! 前川みくちゃん!
うっきゃー! 速水奏ちゃん!
うっきゃー! 島村卯月ちゃん!
三船美優さん
うっきゃー! 小日向美穂ちゃん!
愛に包まれて気づいたいつもたくさんの笑顔ありがとう、渋谷凛の森久保乃々
双葉杏さん
きらりのナターリア
いつだってその笑顔をより輝いてるものはない、どんなに強がっても一人じゃ何もできない、交わす言葉も凍りつくいじけた都会でも、二人ならうまくやれるさ、きっとやれる、今全ての思い出投げ捨てて、今全ての夢に勇気を込めて、今全てをこの愛にかけてみる、ほどけた靴紐を結んで
おもろーーー!
半年ぶりくらいに女性に触りたいななんて思ってデリヘルをよんだんだけど超かわいい子がきた
19歳で斉藤飛鳥に似てる子だったけど、なんかもうかわいすぎて頭がパニックになるほどだった
しっかし最近の風俗といいAV女優もそうだけどこれだけかわいい子が性産業で働いてるなら金を稼ぐのが最もストレートに性欲を満たす方法に直結するけどそれでいいのかね・・・昔のといっても10数年前、がくせいの時に見てたAVなんかは美人を探すのが大変だったけどいまやAVどころかそこらへんの風俗にまで美人がいる
女性を誘って付き合ってとかは精神的な充足があるから別だけどかつて恋愛だけがかなえていた美人とのセックスがなくなってると思うんだよな
七つの大罪でエリザベスが無意味にごっつい甲冑を着て登場してたのみて「ああこういうのあるよね」て思った。
ああいう登場のギャップで「実は美女が入ってるんだよ!」て驚かせるの、なんかのロマンなのか?
他にもそういうのってある?
お、たくさん挙がっていて驚いた!
やっぱりロマンなんだなー
そういやドロヘドロの能井もそうだな。
甲冑は性別をも隠してて、んで甲冑を脱いだときに髪がふぁさっ…そして美女…みたいな演出を兼ねてるんだ、とか思った。
ああいったSF系のパワードスーツ、アーマードスーツの中に美女…ってのもこのパターンになるんかな。
あまり思いつかないけどオール・ユー・ニード・イズ・キルのリタとか?
覚悟のススメの散?あれは変身系かなー
アイドルマスター シンデレラガールズ CM メンバー発表時の選挙順位
3弾
小日向美穂 9位
多田李衣菜 7位
十時愛梨 1位
本田未央 圏外
4弾
日野茜 5位
赤城みりあ 圏外
安部菜々 15位
新田美波 13位
輿水幸子 14位
5弾
佐久間まゆ 圏外→6位
緒方智絵里 6位→7位
アナスタシア なし→2位
6弾
北条加蓮 圏外→8位
小早川紗枝 圏外→圏外
堀裕子 なし→47位
7弾
鷺沢文香 なし→なし→6位
宮本フレデリカ 圏外→圏外→40位
速水奏 なし→25位→26位
市原仁奈 4位→39位→48位
8弾
片桐早苗 なし→41位→圏外→圏外
一ノ瀬志希 なし→なし→44位→5位 ボイス6位
櫻井桃華 圏外→32位→50位→32位 ボイス18位
9弾
大槻唯 22位→46位→49位→19位 ボイス13位
中野有香 圏外→圏外→圏外→圏外
10弾
乙倉悠貴 なし→なし→なし→31位→36位
松永涼 圏外→圏外→圏外→圏外→圏外
依田芳乃 なし→なし→なし→22位→5位 ボイス14位
普段出しづらいネガティブな話題をこの機会に吐き出そうと思う。
僕は神崎蘭子の担当なのだが、二宮飛鳥には興味がない。蘭子の後追いアイドルか?と思ったくらいだ。中二病といってもタイプはまったく違うが。
ただ、中二病つながりで嫌でも蘭子と関わりができるだろうと覚悟していた。そして案の定、ダークイルミネイトというユニットが登場した。そうなると後は落ちていくだけで、二宮飛鳥は蘭子の相方という認識が広まっていった。
愚痴尽くしで申し訳ないが、僕はダークイルミネイトというユニットが嫌いである。デレステで双翼の独奏歌が実装されたことでその嫌悪感はもはや憎悪と呼べるほどになってしまった。同時に、興味がなかった二宮飛鳥が目に入れたくないレベルで苦手になった。イベントコミュを見た他のPたちに一部であすらんだの夫婦だの呼ばれているのを見ると虚しくなった。
神崎蘭子は、二宮飛鳥そしてダークイルミネイトありきのキャラではない。二宮飛鳥が登場する前も総選挙でシンデレラガールになるくらい人気もあるし、モバマスの中でも唯一無二のキャラだったと思う。それなのに、二宮飛鳥が登場してからは、このコンビばかりだ。双翼の独奏歌イベントのせいで、デレステから蘭子を知った人にも相方は二宮飛鳥と認識される。二宮飛鳥という存在を通さなくても、蘭子には数え切れないほどの魅力があるのに。
こういうことを吐き出すと人気だから推されるのは当たり前だろ!などと言われるが、僕はダークイルミネイトの人気が蘭子にプラスになっていないことを愚痴りたいのだ。知っての通り、第6回シンデレラガール総選挙での蘭子の順位は42位。中間だとCo15位にも入れてない。正直ショックだったしそれを見たとき僕は思った。
ダークイルミネイトの人気とやらは果たして蘭子に貢献しているのか?蘭子単体を好きだと思い、金を出して応援しようと思う人は増えているのか?と。
僕はもっと、蘭子を活躍させたい。そのためには、総選挙でできるだけ上位に入ることが大事だ。ダークイルミネイトが人気なら落ち込む蘭子の順位も少しは良くなるんじゃないかと思っていたが、結果はこの通り。二宮飛鳥の順位を見ても39位とそれほど上がっていない。
要するに、順位は上がらないのにダークイルミネイトの印象が強くなるせいで蘭子の活躍が狭まっているのだ。双翼の独奏歌のコミュのように、デレステでの最近の蘭子の出番は二宮飛鳥と一緒のものばかりである。しかも双翼コミュはクソガキ極まる二宮飛鳥と喧嘩するという内容で、これは二人の魅力を表現できているのか?と疑問に思うできだった。実際、二宮飛鳥Pの中にも不満を覚えた人もいるようだ。
「蘭子と一緒だと飛鳥がガキっぽくなりすぎる」などと愚痴っている人も見かけた。
なんだか収拾がつかなくなりそうなのでこの辺で終わりにするが、ダークイルミネイトが嫌いな理由はこんなところだ。僕は蘭子が好きだが、二宮飛鳥は見たくもない。蘭子の足を引っ張っているとすら感じてしまう。蘭子Pなら二宮飛鳥もダークイルミネイトも肯定しなければいけない、というのも好きじゃない。
ダークイルミネイトがなかったとしても蘭子は魅力的なアイドルだ。一ノ瀬志希の記事と似たことを言うが、一人のアイドルとしての神崎蘭子を応援する人が増えることを祈る。
まず初めに、拝金主義は悪い事ではない。何故なら、コンテンツを継続させていくためには、お金こそが何より必要だからだ。
↓ここから本文。
唐突ながら申し上げよう!石原が辞めてしまってから、シンデレラガールズは変わってしまった!と、私は思う!
かつてなら「ありえない!」と叫びたくなるような事を、平然と行うようになってしまった!
具体的にどの辺が、と聞かれれば、例ならたくさんある!
CINDERELLA MASTERシリーズ(ソロ曲シリーズ)そっちのけでSTARLIGHT MASTERシリーズ(デレステシリーズ)やSEASONS MASTERシリーズ(季節曲シリーズ)が始まったのも、CINDERELLA MASTERシリーズが1弾3枚に減らされたのも!
デレステの二宮飛鳥の筋書きがボイス実装以降ムカつくガキの更生ストーリーに変わったのも、佐久間まゆという筋書きが例の"壁ドン"以降ポンコツ少女のふれあい日和見成長()物語に変わった事も!
4thライブで、今まで一度だって我々の前に姿を見せなかったアイドル2人の""初""ステージを予告も無く繰り広げた事も!
運営が手前勝手に決めた順番のせいでまだデレステに実装されていないから、というワケの分からない理由で数名のアイドルを除け者にした新宿プロムナードの広告も!
シンデレラガールズは、かつての「こだわりぬいた至極の一品」を提供するスタイルを捨て、「大衆向けの誰でも食べやすい品」を提供するスタイルに方向転換してしまった!
こってり系で癖のある風味だが常連で賑わうラーメン店だったのが、ある日「流行りだから」の一言であっさり系ラーメン店に方針を変え、それが多くの人に受けたのであっさり系で全国チェーン展開し始めたようなものだ!
全国チェーンになる前の常連が多少愚痴をこぼしたくなるのも、やむなしというところである!ただ、まあ、勿論、愚痴をこぼしたからと言って、全国のチェーン店が店じまいをして元のこだわり店に戻る事が出来るかと言われると、難しいのだろうが。
えー、結局のところ、なんという事はない。つまりは、シンデレラガールズが「方針転換」を行なったというだけの事である。
石原政権が大事にしてきた物と、現行政権が大事にしている物。これら2つが別物であるという、ただそれだけの事なのだ。
未だ声を手に入れられていないアイドル達は、ユニットを組まなければ人気を獲得する事も出来ない、可能性の芽の無い雑魚というだけの事なのだ。
シンデレラガールズが「大事にする物」は、政権の交代を以って変わってしまった。そして、その前提の上で、我々は再び選択を迫られている。
これは、2016年1月31日までにシンデレラガールズを愛した者に突きつけられた、地獄の命題だ。
このコンテンツに、『ついて行く』か?『ついて行かない』か?
http://japanese.engadget.com/2017/08/04/mixi-hatena/
http://b.hatena.ne.jp/entry/japanese.engadget.com/2017/08/04/mixi-hatena/
はてブについては、炎上体質のわりにはてな民の辛辣な言葉を受け止めたがる編集長がいちいち凹むという問題があり、というのは40%ぐらい冗談ですが、外したところに別のボタンを試せたらと思っていますw
「津田啓夢氏は UPQ 擁護記事で炎上したからはてブボタンを外そうとする」て意見は少し短絡的で、↑のように今年頭から AOL 鷹木創氏にかわり編集長をして tweet 引用にも出ている ACCN a.k.a 矢崎飛鳥氏がはてブ的な気質を気持ち悪く思っているのはそれこそ 60% は本当なんでしょうね。
※はてブからのアクセスが低いのもあるだろうけど( https://twitter.com/boobyn/status/893356421353533440 )
https://twitter.com/ACCN/status/857174043413409792
ACCN @EngadgetJP
@ACCN
津田さんの記事に対し、いろんな意見があると思います。編集部内でもいろいろありましたから。ただ、いちいち汚ない言葉を使う必要はないと思います。品位云々以前に、病んでると思う
twitter.com/ACCN/status/863408578056474624
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はてブのコメントが荒れるのはまぁいつものこととして。どんな意見を書き込むのも自由だと思いますが、わざわざ汚いコトバで書き込む人は匿名であろうとホント恥晒しでしかないですし、はてブの品位を損ねているから、はてなさんはちゃんとフィルタリングとかで対処したほうがいいと思いますよそろそろ
twitter.com/ACCN/status/893314471719870465
ACCN @EngadgetJP
@ACCN
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凹んでないよ!w でも、コトバの汚い人がはてブに多いのは事実。そういうの見ない人生を送っていただきたいと願っています。|アンケート実施中:mixi配信必要ですか? はてブボタン必要ですか?
https://togetter.com/li/332698 週刊アスキーの人に本の面白さを決めるのはお前じゃないと言われちゃった - Togetterまとめ
その他
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ストーカーな人と、まめーに発言や表現チェックして炎上起こそうとする人は同類ね。実態は自分自身が構ってちゃんであり、双方に思うのは、その果てしなきパワーをどうか平和利用できないものか
http://getnews.jp/archives/609275
●お詫びと訂正:初出時、一部iPad touchと記した箇所がありましたが、正しくはもちろん、iPod touchですよ、わざわざご指摘くださいました方ありがとうございます、ホント、お暇ですね。なお、間違えたのはヒロのほうで、ASUKAこと私ACCNは一度もこのようなミスをしたことはございません。しかし相方の不祥事はパートナーが徹底して頭を下げる風潮ですから、ここにお詫びして訂正いたします。どうもたいへん失礼いたしました。
twitter.com/ACCN/status/689293212977106945
ACCN @EngadgetJP
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アテクシも会社にムリヤリ謝らされたことありますが、勝手に群がって来た人たちに「この度は不快な思いをさせて」とかやっぱおかしいやろ、どう考えても。というわけで数年越しなりますが撤回します。「極上のエンターテイメントをありがとう」さぁお言い
twitter.com/ACCN/status/700483436717469700
ACCN @EngadgetJP
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不倫、失言、撤回、謝罪… 日本てホント、low level なディスカッションで世論が形成されてますね。当事者よりメディアに引く。ほかに重要なこといくらでもあるように思える。たとえば次のXperiaのSoCは何かとか。というわけで、MWC取材でバルセロナまで行ってまいります
twitter.com/ACCN/status/762619948749484032
ACCN @EngadgetJP
@ACCN
炎上に対し、「お騒がせしました」と謝罪するのはどう考えてもおかしい。勝手に騒いでいるのだから(私も以前、謝らせられましたが後日、撤回しました)。「お楽しみいただけましたか?」 「ホントお暇ですね」が正解。
https://twitter.com/ACCN/status/817355657695236097
ACCN @EngadgetJP
@ACCN
2017年より、Engadget 日本版スタッフの一員となりました。複雑な経緯がありましたが、ひとつお約束できるのは、私自身のデジタル・ガジェットやIT業界に対する想いと姿勢、表現に対し、その信念は「何も変わらない」ということです。
編集長という重たい役回りですが、やれると信じてます。理由は、得意分野だからです。業界の移りゆく様を最前線で見続け、紙とウェブ双方に全力でアウトプットしてきました。頼もしい仲間と共にEngadgetを最強のテック系メディアにすべく、全身全霊を注いで取り組んでまいります。
ASCIIでは波に乗れたり飲まれたりの20年でしたが、実にいい旅でした。すべてが今日の私の礎となっております。支えてくれた方々と応援してくださった皆さまに、感謝申し上げます。
以上です。
三一権実諍論(さんいちごんじつ の そうろん)は、平安時代初期の弘仁年(817年)前後から同12年(821年)頃にかけて行われた、法相宗の僧侶・徳一(生没年不明)と日本天台宗の祖・最澄(767年 - 822年)との間で行われた仏教宗論である。「一三権実論争」「三乗一乗権実諍論」「法華権実論争」などとも。
目次 [非表示]
1 概要
2 平安初期の仏教界
2.1 法相宗と徳一
3 論争の経緯
3.1 論争の発端について
4.2 南都教団への対抗
4.3 中傷者徳一に対する怒り
4.4 蝦夷征討との関係
5 その後
6 注・出典
7 関連項目
8 参考文献
「三一権実諍論」の「三一」とは、三乗と一乗の教えのことであり、「権実」の諍論とは、どちらが「権」(方便。真実を理解させるための手がかりとなる仮の考え)で、どちらが「実」(真実の考え)であるかを争ったことを言う。一乗・三乗の「乗」とは衆生を乗せて仏の悟りに導く乗り物であり、天台宗の根本経典である『法華経』では、一切衆生の悉皆成仏(どのような人も最終的には仏果(悟り)を得られる)を説く一乗説に立ち、それまでの経典にあった三乗は一乗を導くための方便と称した。それに対し法相宗では、小乗(声聞乗・縁覚乗)・大乗(菩薩乗)の区別を重んじ、それぞれ悟りの境地が違うとする三乗説を説く。徳一は法相宗の五性すなわち声聞定性・縁覚定性・菩薩定性・不定性・無性の各別論と結びつけ、『法華経』にただ一乗のみありと説くのは、成仏の可能性のある不定性の二乗を導入するための方便であるとし、定性の二乗と仏性の無い無性の衆生は、仏果を悟ることは絶対出来ないのであり、三乗の考えこそ真実であると主張した。このように三乗・一乗のいずれが真かをめぐり真っ向から対立する意見の衝突が行われた。
ただし、徳一と最澄の論争は三乗と一乗の争いのみに留まらず、教判論(数ある経典の中で釈尊の考え方に最も近いものを問う)における法華経の正統性を問うたものでもあるから「法華権実論争」と呼ぶべきとの考えもある[1]。この論争の間、最澄は『守護国界章』『法華秀句』など大部の著作を執筆しており、これは徳一からの批判への反論の書として書かれたものである。一方の徳一側の著書は、真言宗の空海(774年 - 835年)への論難である『真言宗未決文』以外現存していないため、詳細は不明である。しかし、徳一の主張は最澄側の批判書に引用される形で部分的に残存しており、ある程度の復元が可能である。
いずれにしろ論争は著作の応酬という形式で行われ、実際に両者が顔を合わせて激論を交わしたということではない。
奈良時代に興隆したのは、法相宗や華厳宗・律宗などの南都六宗である。本来、南都六宗は教学を論ずる宗派で、飛鳥時代後期から奈良時代にかけて日本に伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成立した宗派であった。天台宗は後述の如く最澄によって平安時代初期に伝えられたため、日本への伝来順は逆となったわけである。
この時代の日本における仏教は中国と同様、鎮護国家の思想の下、国家の管理下で統制されており、年ごとに一定数の得度を許可する年分度者の制度が施行され、原則として私度僧は認められていなかった。このことは逆に仏僧と国家権力が容易に結びつく原因ともなる。実際、奈良時代には玄昉(? - 746年)や道鏡(700年 - 772年)など、天皇の側近として政治分野に介入する僧侶も現れていた。桓武天皇(737年 - 806年)が平城京から長岡京・平安京に遷都した背景には、政治への介入著しい南都仏教寺院の影響を避ける目的もあったとされる。新王朝の建設を意識していた桓武天皇にとって、新たな鎮護国家の宗教として最澄の天台宗に注目・支援することで従前の南都仏教を牽制する意図もあった。
日本での法相宗は、南都六宗の一つとして、入唐求法僧により数次にわたって伝えられている。白雉4年(653年)道昭(629年 - 700年)が入唐留学して玄奘三蔵(602年 - 664年)に師事し、帰国後飛鳥法興寺でこれを広めた。
徳一は一説には藤原仲麻呂(恵美押勝とも。706年 - 764年)の子といわれるが疑わしい[2]。はじめ興福寺および東大寺で修円に学び、20歳代の頃に東国へ下った。東国で布教に努め、筑波山中禅寺(茨城県つくば市)・会津恵日寺(福島県耶麻郡磐梯町)などを創建したという。
前述のごとく、徳一の著作はほとんど現存していないため、その生涯は不明な点が多い。
天台宗は法華円宗、天台法華宗などとも呼ばれ、隋の智顗(538年 - 597年)を開祖とする大乗仏教の宗派である。智顗は『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』の天台三大部を著して、『法華経』を根本経典とし、五時八教(仏教の理解度の5段階に合わせて記された経典のうち、法華経を到達点とする)の教相判釈(経典成立論)を説く。
最澄ははじめ東大寺で具足戒を受けたが、比叡山に籠もり、12年間山林修業を行った。さらにそれまで日本に招来された大量の仏典を書写し研究する中で、南都六宗の背景にある天台教義の真髄を学ぶ必要を感じ始め、親交のあった和気氏を通じて桓武天皇に天台宗の学習ならびに経典の招来のための唐へ留学僧の派遣を願い出た。これを受け、桓武天皇は最澄本人が還学僧(短期留学の僧)として渡唐するように命じた。こうして延暦24年(805年)の遣唐使船で最澄は入唐を果たす。予定通り天台山にのぼり、台州龍興寺において道邃(天台宗第七祖。生没年不明)より天台教学を学び、円教(天台宗)の菩薩戒を受けて、翌年(806年)帰国した。
帰国後、最澄は桓武天皇に対し従来の六宗に加え、新たに法華宗を独立した宗派として公認されるよう奏請、天皇没後には年分度者の新しい割当を申請し、南都六宗と並んで天台宗の2名(遮那業・止観業各1名)を加えることを要請した。これらが朝廷に認められ、天台宗は正式に宗派として確立。これが日本における天台宗のはじまりである。最澄はさらに同じく入唐した空海に師事して、密教への理解を深める一方、六所宝塔院(比叡山寺(後の延暦寺)を中心とする)の造立計画を立て、弘仁5年(814年)には九州へ、同8年には東国へ赴くなど精力的に活動する。最澄の悲願は大乗戒壇の設立であり、大乗戒を授けた者を天台宗の菩薩僧と認め、12年間比叡山に籠って修行させるという構想によって、律宗の鑑真(688年 - 763年)がもたらした小乗戒の戒壇院を独占する南都仏教の既得権益との対立を深めていた。
論争の発端となったのは徳一が著した『仏性抄』であるとされる[3]。この書における一乗批判・法華経批判に対して最澄が著したのが『照権実鏡』であり、ここから両者の論争が始まった。
ただし、そもそも徳一が『仏性抄』で論難したのは中央仏教界の最澄ではなく、東国で活動していた道忠(生没年不明)とその教団であったとする説がある[4]。道忠は最澄が入唐前の延暦16年以降、あらゆる経典の写経を行った際、東国からはるばる駆けつけて2000巻もの助写をしたほど親交があり、東国における最澄の盟友的存在であった。道忠自身は鑑真の弟子で、律宗の僧侶であったが、戒壇が設けられた下野薬師寺との関連か[5]東国に住し、広く弟子を持つ僧侶であった。最澄が東国へ下った際には、すでに道忠は没した後で教団は広智(生没年不明)が率いる状態であったが、後に天台座主となった円澄(771年 - 836年)や円仁(794年 - 864年)・安慧(794年 - 868年)らは、もともと道忠の弟子もしくは孫弟子(広智の弟子)であり、道忠との縁から最澄に入門したなど、道忠は初期の天台教団の中で、非常に重要な役割を果たしていた存在であった[6]。
筑波山を開山し、会津を拠点とした徳一が標的としたのは、むしろ地理的に東国において布教を行っていた道忠教団であった可能性が高い。徳一の『仏性抄』の存在を最澄に知らせたのも道忠教団であったと見られる[7]が、異論もある[8]。
三一権実諍論に関する著作としては、
≪徳一側著作≫
『法華肝心』2巻
『法華権文』1巻
『中辺義鏡』20巻
『慧日羽足』3巻
『遮異見章』3巻
『義鏡要略』7巻?
『法相了義灯』11巻
『通破四教章』1巻
『照権実鏡』1巻
『依憑天台集』1巻
『守護国界章』9巻
『決権実論』1巻
『通六九証破比量文』1巻
『法華秀句』5巻
などが挙げられる[9]。論争の主要な流れとしては、
徳一の『仏性抄』(成立年不詳)に対し、最澄が『照権実鏡』(弘仁8年(817年)成立)で反論。
徳一の『中辺義鏡』『慧日羽足』に対し、最澄が『守護国界章』(弘仁9年(818年)成立)で反論。
最終的な結論として、最澄が『法華秀句』(弘仁12年(821年)成立)を著す。
となっている。なお諍論の前期において、最澄が『照権実鏡』で徳一の『仏性抄』を批判したのに対し、徳一の『中辺義鏡』では最澄の反論に全く答えていない。そのため『中辺義鏡』の批判対象としては、書名のみ残っている最澄の著書『一乗義集』ではないかとする説[10]、もしくは道忠教団によって書かれたと思われる『天台法華義』とでも称すべき書であったとする説がある[11]。続いて『守護国界章』下巻における三一権実論に対する徳一の反論として『遮異見章』『慧日羽足』が書かれたと思われ、それに対して最澄が『決権実論』で反論、結論の書として『法華秀句』を撰述したと見られる[12]。
一連の論争の内容は難解で、一乗・三乗の権実のみならず、教判論における法華経や天台三大部の正当性、天竺・震旦の先哲による教義解釈の是非など広範囲に及ぶ。しかし一方では、最澄の教法に対する価値論に対し徳一は仏法理解の先天的素質論を述べており、両者の論争の焦点があまり噛み合っておらず、議論そのものも詳細というよりは瑣末的であり、時折相手側への罵倒に近い表現も見られる(後述)など、すれ違いの印象も与えている。
天台宗側では『法華秀句』の成立をもって論争の終結とする(翌年に最澄は入寂)。論争の歴史を天竺や中国の仏教史まで遡って述べたもので、『法華秀句』の書名は、智顗による天台三大部の『法華文句』を意識したものと思われ、最澄の論争決着への決意が現れている。ただし、これは最澄側の一方的な論争打ち切りであり、徳一側からは決着がついていないとも言える[13]。なお徳一は天台宗のみならず密教に対しても問題視していたと見られ、真言宗の空海に対しても『真言宗未決文』で批判している(なお、これが徳一の著作として現存する唯一の史料である)。
下記は、取り立てて、最澄の書き物に怒りは表明されていないが、法相宗派の学者の何人かは、そのようにとらえているようである。その理由をあえて挙げるとすれば、次の事柄をあげられるが、これも、特にここに特記すべきほどのことではない。参考までに、法相宗派側の意見を以下に述べる。 最澄は、しばしば非常に激烈な表現を用いて論敵を攻撃しており、たとえば『守護国界章』において最澄は、非難の対象である徳一のことを「麁食者(そじきしゃ。粗末な食べ方をする者、半可通のこと)」「謗法者(ほうぼうしゃ。賢しらに法を曲げる者)」「北轅者(ほくえんしゃ。南に行こうとして牛車・馬車の轅(ながえ)を北に向ける者。方角もわきまえぬ者)」などの蔑称で呼び、本名の徳一で呼ぶことは一切ない。どちらかといえば秀才肌で生真面目な感のある[14]最澄が、これほどまでに攻撃的な姿勢で論争に臨んだ背景として、いくつかの原因が考えられる。
最澄は入唐求法から帰国する直前、越州に寄り、密教を龍興寺の順暁(密教の法灯においては傍流に属する。生没年不明)に学び、灌頂を受けている。帰国後も最澄の密教への関心は高く、自身より年少で僧としての地位も低いながら、正統的な密教を学んで帰国した空海に師事することになる。
最澄と同じく804年の遣唐使で入唐した空海は、真言八祖の一人恵果(746年 - 806年)から正統的な密教を学び、大量の経典・法具を携え、最澄よりやや遅れて大同元年(806年)に帰国していた。最澄は空海の招来した仏典を借り受けて密教を本格的に学びはじめ、弘仁3年(812年)には弟子の泰範(778年 - ?)らとともに空海の高雄山寺において灌頂を受け、正式に空海の弟子となっている。さらに泰範らを空海の下に派遣して密教の奥義を学ばせようとしていた。
しかし、弘仁4年(813年)最澄が『理趣釈経』(『理趣経』の解釈書)の借用を空海に申し出たところ、空海が密教の真髄は文章修行ではなく実践によってのみ得られるとして拒絶したため、両者の仲は悪化する。さらに最愛の弟子であった泰範が、最澄の再三の求めにもかかわらず比叡山への帰還を拒み、空海の下での修行を望んだことなどが重なり、両者は義絶するに至った。真言宗側では、これをさかんに吹聴するが、『理趣釈経』は、いわば、後世、淫靡宗教と結びついたものであり、空海がそれを見せたがらなかったのは、故あることであったようである。つまり、密輸入書物とも言えるものであり、かえって、見ないほうがよかったのではないかと思われている。
天台宗に密教の要素を取り入れ、新たな宗派としての地位を高めようとしていた最澄にとって、泰範・空海との訣別により孤立感が深まったことで、南都諸宗に対してより敵対的な姿勢に駆り立てられたともいわれる[15]。なお天台宗は最澄の死後、本格的に密教化することになる(→台密)。
最澄が論争相手とした徳一自身は、若年から東国に拠点を移して活動していた地方僧であったものの、彼が所属する法相宗自体は、当時の仏教界においては主流である南都六宗の中心であった。後世に天台宗の方が興隆していったため、三一権実諍論全体としては、新興宗派の総帥である最澄が、古い法相宗を代表する徳一を退けたという印象が残るが、実際には当時においては法相宗の方が主流派に属していたのであり、最澄はむしろ挑戦者であった[16]。前述のごとく年分度者の割当を勝ち取り、大乗戒壇の設立など、天台宗を確立して南都仏教に対抗しようとする最澄にとって、法相宗の理論家である徳一を説き伏せることは、天台宗の南都六宗への優位を示すことにも繋がるため、より攻撃的になったと、現代法相宗派の学者は考えている。
徳一の『仏性抄』は最澄にとって看過しがたい法華経批判の書であり、この法敵に猛反論しなければ自宗の存在意義そのものが危うくなる。しかしまた徳一にとっても、天台法華宗や密教の擡頭は、彼自身の属する法相宗にとっても、また従前の仏教体制秩序にとっても、異端なのであって、これを徹底的に論破しておく必要があった。徳一は『中辺義鏡』において法華教説や最澄に対して「凡人臆説」「顛狂人」「愚夫」などと悪し様に罵倒している[17]。最澄が『守護国界章』で徳一を「麁食者」「北轅者」と呼んだのはこれに呼応するものであり、互いに自宗派の存在意義をかけた真剣な論争であったがゆえに、ともに中傷めいた表現までもが用いられたともいえる。
宮原武夫(1933年-)は最澄と徳一の論争がここまで大きくなったのは、最澄が当時の朝廷が進めていた蝦夷征討に徳一が「非協力」的とみなしていた政治的問題にあったとする説を唱えている。
最澄が東国に下った際に活動の拠点としていたのは亡き道忠が活動の拠点としていた下野国と隣の上野国であったが、両国は当時朝廷が推奨していた蝦夷征討の兵站基地となっており、更に下野・上野両国から陸奥・出羽両国に対しては国司からの課役を逃れるための逃亡や朝廷による移住政策によって多くの人々が移り住んでいた[18]。蝦夷討伐には徳一の法相宗を含めた南都六宗や東国の鹿島神宮・香取神宮も征討の成功を祈願したり、寺院や神社を建立するなどの積極的な協力を行ってきた[19]。朝廷から天台宗の公認を得たばかりの最澄も東国における蝦夷征討を巡る様々な動きに直面して関心をもったと考えられ、この時の最澄の東国行きに随行した弟子の円仁(下野出身)も立石寺など東北から北関東にかけて多数の天台宗寺院が建立したと伝えられており、最澄とその門人は下野・上野両国を足掛かりに奥羽の人々に対する教化を進めようとしたとみられる[20]。
これに対して徳一の方は会津地方から越後方面への布教活動を進めており、蝦夷征討への協力や蝦夷がいる会津以北の奥羽への布教を示す史料は残されていない。宮原は最澄は『決権実論』の中で「北轅者常に迷ひて、分明の文を指さしめ、南、越の方に向はしむ」と記しているが、これは自分達や南都六宗と違い、蝦夷征討に対して祈祷<