はてなキーワード: 領域とは
今宵は確立過程の闇に心を奪われておりました。広がる闇に、数学の実応用が果たす役割を疑念の火で照らしました。
数学が現実に繋がることこそが、私にとっての心の闇でございます。確率論を学ぶ度に、それが金融に用いられるという言葉に、リーマンショックの影を見るのです。金融市場は決してブラウン運動ではなく、その不確かさゆえに、勝利の果てに待つ利益は、危険と釣り合うほどのものでなければなりません。
不透明な情報の中で、隠れた策略を巡らせる者たちが利益を築く、これが現代経済の真実かと、私は疑念を募らせております。信用創造の背後には、貨幣の価値が他者の債務に裏付けられている事実が潜むのです。
私は虚構のギャンブルを想像し、コンピュータによって模擬することに魅力を感じており、それは数学の研究の一部であると思っておりました。しかしながら、その虚構が実際の金融の舞台に持ち込まれる瞬間、危険なるゲームの渦に巻き込まれることへの不安が、私を襲い立てるのです。
数学は、基本的な法則を美しさの中に見出すことが可能な芸術でありながら、金銭的利益の最大化という領域に足を踏み入れると、その美しさは消え失せてしまいます。私はプログラマーがアルゴリズムを創出する世界ではなく、発見の魔法に心魅かれているのです。
そう、私が追求したいのは、発明の道ではなく、探求の途であります。この日、私の中で、やりたいことへの純度が高まった気がしました。私は発明者ではなく、探求者であることを選びました。
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深夜の翳りに身を晒し、今やっと眼を覚ました。これは魂の夜ふかし、そう呼ぶべきでしょう。
さて、私は時折、American Mathematical Society(以下、AMS)の書籍を求める運命にある。特にStudent Mathematical Libraryというシリーズは、その薄っぺらい体裁ながら、研究の奥深さを体感できるとても理想的なものであり、よく手に取ることとなる。しかし、その紙一重の薄さの背後に隠された内容は、従って、大学院の学生にのみ耐えうるものとなっている。昔、あまりの熱意から何冊か買い求め、積読の山を築いたこともあるが。
その山に埋もれる中、一つの書を読み尽くしたことがある。それは、数理モデリングの書であった。数理モデリング、これは往々にして、ラグランジュの未定乗数法などのよく知られた方法論に頼る傾向がある。しかしながら、AMSの書籍はそのくだらない枠組みにとらわれず、多彩な事例を探求していた。とはいえ、フレンケル教授が言うように、数理モデリングと言っても、ついには「ペンキ塗りの数学」である。
私は数学の最前線を垣間見るようになり、調和解析と数論の奇跡的な交差、フェルマーの最終定理、ガロア群、保型関数など、その深遠さに驚嘆する日々である。最近は、経済学に数学を結びつけることに強い興味を抱いており、mean fieldのような奥深い謎が私を惹きつける。
学びたいことが山ほどあり、私の能力と時間には限りがある。何を学ぶべきか、と悩むのはやむを得ない。しかし、コスパを重視し過ぎると、ついにはペンキ塗りの典型に陥ってしまうだろう。複数の数学の領域を結びつけることは、即座に実用性が見えるものと、その応用が果たしてどこに行くのか見当もつかないものがある。伊藤清が指摘するように、「実用を考慮しなければ、数学で遊ぶことは限りない」。この観点から見れば、私が探求すべき分野は、確率論の領域にあるのは明らかだろう。確率微分方程式とゲーム理論の交わる地点は、実用性との調和によって成り立つ、その方向へと進む決意を固める。
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丁寧wwwwwどこがwwww
はい嘘
何をしてくるかも、そうなる条件も、エスカレートの上限も、誤爆の補償もない、コントロールできない社会的暴力を恣意的にふるってくることの恐怖の話ってわかってるか
批判のうち妥当性がなさすぎるようなものは誹謗中傷や業務妨害です日本では批判が無制限に許容されていません
本当に社会人か?
嘘でフェミニストを中傷するお前のやってることはヘイトスピーチや誹謗中傷ではないのですか?
自分の好きなコンテンツや、創作者、表現者の方々がキャンセルされたり傷付けられるのが怖いです。特にその中で理不尽な場合が怖いです。
批判を理不尽でなくするための方法論は「事前に論理的に整合性を確認する」「事後に検証する」等ありますが、実際にそれが正常に運用される事は悲しい事にほぼありません。
それこそお前の不知領域であり、フェミがお前の不知ゆえに怖いというのが結論ならばお前の不知な考え方に基づいた予測不可能なものとして振る舞う点については警察もフェミも法もそれに従う実社会も全て同じだ、と言っているんだがw
お前の話のどこが丁寧なんだよ気持ち悪い
わかるかな?
これは関連性なし。
それは問題だと全く思ってなくて警察はどんどん誤認逮捕して代用監獄に放り込むべきだと思っているならその反論でもいいだろうが
かくして、このような光景を眺めておりますると、我が胸に浮かび上がるのは、果たして世界とはいかなる領域に及ぶものであるのか、という深遠な問いでござります。電子の軌跡を鋭い眼差しで観察し、その状態が確定する刹那、多世界解釈に従えば、無限の可能性が広がる瞬間、宇宙は未知なる道を辿り、さまざまな定まりを選択し、分かれゆくのでございます。
然るに、その際に私が関心を寄せねばならぬのは、己が辿るべき分かれの道のみでありましょう。では、同じ道を歩む地上の諸生命は、いかがでしょうか。彼らは我が仲間であり、同じ宇宙に棲む存在と語れるのか。ここにおいて、私が誕生から終焉までの間、幸福な生を楽しむために「この範囲にのみ心を注げば良い」と言える境界があるかもしれません。そして、私にとっての「世界」とは、その限られた領域に他ならないのでしょうか。外の世界に対して、私が心配し続けなければならなかったのかもしれません。
しかし、恩徳は円環の如く巡り巡るものでございます。外の世界の人々を助ければ、必ずやその恩恵が帰ってくることでしょう。同様に、差別や攻撃を行えば、それもまた必ず返り討ちとなるであろうことを忘れてはなりません。
私は全く行きたくないのだが嫁の強い希望で行くことに決まってしまった。
最初は「面倒だなー」という感情しかなかったが、徐々になぜ自分が面倒なのか気になってきた。
ぜひ他の人の意見も聞いてみたい。
簡単に言えば私にとってディズニーは「デフォルメされすぎている」ということだと思っている。
どのように決まるかはわからないが、多分日常的に触れているコンテンツの
例えば私が好きなバイオRE4は結構リアルなのでデフォルメ度合い1、
ディズニーは結構デフォルメされているので5、みたいな具合だ。
式にすると以下だろう。
デフォルメ度合い = ( Σ 個々のコンテンツのデフォルメ度合い ) / コンテンツ総数
生き物の性質なのかなと思う。
つまり帯域外のものは自分の身の回りのものとはあまりに様子が違いすぎて、
本能的に「得体の知れない怪しいもの」という風に捉えてしまうのだと思う。
暗いトンネルが怖いのと同じようなもので、人間は得体の知れないものが基本的に怖い。
なぜなら得体が知れないので次の予測ができず、もしかすると自分の生命が
とはいえディズニーに行くことは決定事項なので行かないという選択肢はない。
(実は一度私マターの理由でディズニーがキャンセルになり嫁を怒らせたことがある)
このままだときついなーと思っていたのだが、上記の理屈が正しければそんなに心配することはないのである。
というのも、一度行ってしまうと自分の中のデフォルメ度合いが一気に変化する。
ディズニーなんてデフォルメの塊みたいなものなので、一日でかなり耐性ができることが期待できる。
「行ってみたら意外と楽しかった」という現象はこの理屈で説明できる。
なので対策というほどでもないが、要はどうしても行かなければいけない場合は
さっさと経験してデフォルメ度合いをチューニングした方が結局は自分が楽ということである。
まだチューニング前なので凄く面倒。
30歳目前になって、同じような年齢の集団に溶け込みきれなくなってきた。
昨今LGBTが浸透してはきたけど、その外枠で知名度も低いA、しかも追加でXに生まれてしまった。身体こそ完璧な女だけど、恋愛感情はない、性欲もない、心の性別は男女どちらでもない。
まあでも正直、今までは普通っぽく生きてきた。でも歳をとって世間一般の人間の指す大人と乖離を自覚し始めた。趣味命!でふわふわ生きていることが許容されない地帯。
この歳になると通常回りで飛び交い始める結婚、子育て、みたいな大人の単語に現実感が無さすぎるせいで、そういう意識のある相手とすぐ縁が切れてしまう。その領域に入ると突然会話をつまらなくしてしまう。聞くこととなんとなく反応をすることは出来るけど全然理解してないことが伝わるんだと思う。趣味や仕事の話はできるのに、大人を上流へ進みゆく人間の立ち位置だとコミュニケーションが適切に取れない。違う世界に生きているような気がする。周囲が何を認識してるか、何を求められてるか、何を返したらいいかわからない。
10代から人格は成長したけど、何かが絶対的に止まっていて宙に浮いているような。やばいもう30歳になっちゃう、と、なんとなく刷り込まれた価値観で言ったりするのだけどそれすら深刻に感じきれてない。現代人間社会に馴染めてない変な生き物のような。でも、それでいて何故か人と違うこと自体に悩んだことはない。AかつXである自分に不足を感じることも、マジョリティになりたいと思ったこともない。矛盾しているけど、多分自他の違いを明確に認識して答えられるほど他人のビジョンを想像できない。周りが本当の大人になり始めて、大人のふりとの差が広がった。
普通の男か女に生まれてたら世界がどう見えてたんだろう。なりたいかと言われたらなりたくないけど、普通の同世代に馴染んだふりができるようにはなりたい。元気に使える寿命が300年くらい欲しい。恐らく、自分が経験豊富な大人のふりを適切にできるようになるまでそのくらいかかると思う。
重箱の隅をつつくような話しするんだけど
ほろほろチキンの乗っかったほろほろチキン親子重が充実して充分に美味しいわ!
それで私思ったんだけど
あれさー
カヒミカリィさんがカレー屋さんやってかは知らないけれどそれじゃない方のチキンカリーで
今回はほろほろチキン親子重で
ほろほろチキン界隈の業界に突如現れて舞い降りて詳しいわけではないんだけど
ほろほろチキンカリーがカヒミカリィさんじゃない方のほろほろチキンカレーで
たくさんほろほろチキンを使う予定だったけど
え?これ余ったほろほろチキンどうすんの?って
その行き先が
新たな本当に重箱の隅をつつくような
あれどうみても同じほろほろチキン工場のファクトリーオートメーションで炭火焼きされてるんじゃないの?って言うほどペキカンな備長炭アンドターキー!
一旦はほろほろチキン親子重で消費でき売り上がるからいいかー!って節操もなく
完全独占供給かと思っていたほろほろチキンの門戸を開いてもはや同業者にも卸しちゃったのかよく分からないぐらいなそんな世の中重箱の隅をつつくようなことなんて言えないけれど。
私にとっては
ほろほろチキンがご機嫌にパーリーしている陽気な弾けるプリズム級の美味しさ!
コンロで炙ってポップコーンを作るパーリー感あふれるやつの出来立てが食べられる作れる弾けるポップコーンあるじゃない、
文字通りあのポップコーン級に弾ける美味さのほろほろチキンで私はにっこりご機嫌さんなのよ。
うーん、
名探偵コナン君がペロってして
これは薬だ!って
やくみつるさんのそっくりさんがどのぐらいやくみつるさんに似ているか問われたら
ほぼやくみつるさんですね!って言うのは審査員としてはダウト!
約みつるさんですね!って言うのが正解!
また何食わぬ顔してお重の蓋を閉めてよそのお客さんに提供されちゃっても
ペロ行為かも知れないわ。
でも実際のコナン君は同等のほろほろチキンかどうかなんと言うか分からないけど、
画面の右下に針すなお先生の似顔絵がテレビの画面の端に載っているとき
みなやくみつるさんだとしても、
今演じている人はやくみつるさんです!って画面の右下に針すなお先生のお描きになったやくみつるさんのイラストが映るのよ。
で私に、
演目後出来栄えの途中審査の感想をどのぐらいやくみつるさんに似ているかMCの司会の人に問われたら
約みつるですね!って
完全なやくみつるさんではないけれど全然違うやくみつるさんなわけでもない
完全に理解し分かっているような審査員の雰囲気を醸し出す顔が出来るのよ!
見た目の似ている度合いを測るのではなく
そのぐらい多分やくみつるさんそっくりさん選手権の審査員になったら
そう言う「約みつるですね」って言い放つことにかけては創業50年の実績と信頼と自信があるわ。
篠原涼子さんで言うところの愛しさと切なさと心強さとってところかしら。
そのぐらい
どちらも約ほろほろチキン!って田村でも金!谷でも金!級な最終審査結果だと思うわ。
非なる似ているものなのか?
でも約ほろほろチキンって言うことにはマジ間違いないマジチキンと思うから
そのほろほろチキンの供給先のメーカーは同じと言っても言い過ぎではない過言中の過言だわ。
ちなみにやくみつるさんの似ている度合いがリアプノフ時間の限界の上限の100パーセントを超えたらどうなるか。
私では知り得ることではない、
いや人類では知り得ることのできないのよ。
たとえそれが100パーセントを超えるとしても2種類の分類には分けられると思うわ。
とても難しい問題だけど
シンプルに考えて!
そう簡単でしょ?
山アートの油絵を超絶技巧アンド超絶技法で描くボブロス先生もきっとそう言うぐらい簡単でしょ!って言っちゃうし
バクザン発言!でお馴染み世間を賑わしているのは榊莫山先生なのよね。
バンバンにビリーなのかバンバンに坂本冬美さんなのか歌えバンバンなのか、
でも思ったんだけど
そのやくみつるさんそっくりさん選手権の出場者が今誰を演じているかイラストで分かりやすく描いている針すなお先生のやくみつるさんのイラストを
出場者が全員やくみつるさんをやるからって1パターンのやくみつるさんのイラストで賄うんじゃなく、
出場者人数分のバリエーションのやくみつるさんのイラストをお描きになっていたらそれこそ針すなお先生たる所以だわ!って枕を北にして寝れないし頭が上がらないわ。
もうさ、
そうなるとやくみつるさんそっくりさん選手権の出場者のテレビ画面右下のイラストのやくみつるさんイラスト大喜利になっちゃって
いろいろなパターンのバリエーションの針すなお先生がお描きになるやくみつるさんのイラストだけで笑わせられちゃうわ!
面白くない?
すなおになりなさい!
もう鈴木杏樹さんばりに
もりもり食べやさい!って言うぐらいな素直さよ。
うふふ。
そのおにぎりを扱っているコーナー自体がなにもないままの陳列棚で
まだ陳列されていないのか?
分からないけど、
買い損ねちゃったわ。
ピンクグレープフルーツとレモンとを1つずつ搾りマジ果汁を炭酸で割った
良い季節になってきたので
本格的なまたデトックスウォーラーにも再挑戦しまくらなくちゃ!とも思うわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
どういうことかというと、走って障害物を乗り越える感じがジャズと似てる。やったことないけど。
(どうでもいいがパルクールは能動的でジャズは受動的な記述になってる。多分まだ初心者だから、コードが向こうから流れてくるという感覚を覚えるのだろう)
つまりパフォーミング競技の楽しさはジャズに通ずるところがある、と思う。
ジャズギターを初めて、まぁリックとか、コピーとか、アヴェイラブルノートスケールとか、IIm7はドリアンで〜とか、よくある感じでやってたんだけど、全然おもしろくなかった。
楽しくなってきたのは、コードを処理する感覚、コードとコードをうまくつなげたり転調に対応したりする感覚が掴めるようになってきてからだ。
コードとコードを滑らかに繋ぐためには、現在のコードと次のコードの両方を認識できていなければならない。
(納浩一氏は「ベーシストは2拍目で既に次の小節に進んでる」みたいなことを言っていて、気づきのきっかけになった)
コードのトライアドをひたすら色んなポジションで弾くという練習をやってたらいつの間にかこの感覚が掴めるようになってた。
で、コードのトライアドを弾くために、まずルート(指板の音名を覚える)、次に五度、次に三度とスモールステップで指板を認識できるようにしていった。
(ちなみにこの過程で、ポジションプレイ、5フレット以内でルートと5度を弾いてたらCAGEDが出てきて感動した、そしてCAGEDが繋がっている感覚も掴めた)
で、ここまできて冒頭の練習が自分の中で意味をもつようになってきた。
自分は無軌道にスケールを垂れ流すのはつまらんかったし、コードが変わる瞬間に頑張ってスケールを切り替えるのは全然違ってた。そしてつまらんかった。
と、こんな感じでようやく楽しくなってきたけど、ここがスタートラインなんだと思う。
喜多川一族は地獄に落ちるべきだし、ジャニーズの社名は変更した上で現役タレントには今後も頑張ってほしいし、望月衣塑子記者の質問は長くてうっとうしいし。
DJ SODAさんへの触れ方は性加害だし裁かれるべきだし安心して日本に来てもらえたほうが良いと思うけどあの服装を街で見かけたら刺激的だなと思うしそれは当人が魅力的だからだしとやかく言うことではないけど妻や娘ならとやかく言っちゃうだろうなとも思う。
インボイスはやめといたほうが良いと思うし、岸田はメガネだし、10年限定で消費税撤廃してとにかく経済の回転数をあげろよと思うし共産党なんかも消費税の再開については必ず約束するなどしてから期間限定の減税等提案したほうが現実的だしそういうことを期待しつついつも共産党に投票しているんだよ僕は。なぜなら田舎では自民候補の対抗馬が共産しかいないのもあるのだが。強い野党はいてほしいがあの党内粛清っぷりはやっぱり怖いし気持ち悪いぜっていうのが一般的な感覚だよなあ。
アニメもマンガも人並み以上には好きだから、いろんな不幸な事態の原因をなんでもフィクションに追及の矛先を向けることには我慢がならないけど萌え絵炎上案件のうちいくつかは「そりゃさすがに場所選びなよ」と感じるものもあったよ。
授乳室は段ボール製でも無いよりはいいんじゃない?って最初は思ったし、低コストで導入しやすいなら運用しながらブラッシュアップしていけばいいと思うしでも男だし現役の乳児親などの意見が尊重されるべきだけど嫌だったら使わなきゃいいし便利に使う人が思ったより多かったらもっと普及すればいいんだしと思うし。
行き場のない未成年女性のための逃げ場を用意する活動は素晴らしいと思っていたが自治体予算への経理報告がずさんなのは論外だしほんとに救いたいなら矛先はコンカフェやホストクラブに向けてほしいというのは当然と思うのだがそういう意見は届いていないふりをされるのが悲しい。
犬系彼女は眼前にいたら鬱陶しいだろうなと思うし。
LGBTは可能な限り豊かに生きていけるためのさまざまなシスジェンダーと同じ権利を獲得したほうが良いと思うがトランスジェンダー男性が女性の領域に立つことについては内面的に女性であるトランスの人自身が慎重な姿勢でいたほうが円滑なのではと思うし。
ジョニーソマリはぶっ飛ばしてやりたいと思うしネットニュースにへずまりゅうとかシバターとか出てこないでほしいと思っている。
とまあこんなぐらいが極論あふれるネットの海をぼんやり眺めている氷河期世代の平均的なかんそうだとおもうんだが。
「わかる~」って共感が欲しくていっぱい書いたのに「同意できない部分」ばかりやり玉にあがるのとても普通って感じがして楽しい。
同意してくれたのもうれしい。人は自分の読みたいようにしか読まないってのも実感できる返しが一部あってそれも楽しい。
反応したくなったやつにだけ
・共産党に投票~ そらたしかに。割と自民支持なんだけどまじで強すぎるのよ地元。改善してほしいところがいっぱいあるから対抗馬に迫力を出してほしいんだもっと。国民民主がいたらそっちいれたい。立憲だといれない。
・みたまんまの順番で信じてなんも考えてないひと~ そうなの。判断材料が時間差で入ってくるんだから初手で火力全開でポジショントーク炸裂させるのって分断をうむだけだからやめとこうよって思うんだわ。まあ分断をこそ目的にしているんだろうけど。
・自分を普通だと思ってるやつって~ 「変わってるね」って言われたら「そう?へへへ」ってうれしくなる程度には凡人ですよ。凡人と普通はイコールではないか。
・薬物依存の人らを支援する団体にも売人やカルテルに矛先向けろって思ってるかな? ←薬物を買う金のために性を売る人がいたとして、買春する人ばかりを躍起になって支援団体がたたいてたら「ほかに糾弾する対象があるのでは…?」って思うのも不思議じゃないでしょ。非人道的な管理売春を行っている組織やらSEXをドラッグの入り口にしてはめようとしてる人とかを「問題視するそぶりもない」のは「ふつうじゃない」よ。ちなみにぼくは風営法に従った風俗店をたまに普通に利用する。
・ネトウヨ暇アノン確定 ←共産党に投票してても確定されるなんてネトウヨ暇アノンの門戸広すぎワロタ
・汚染水マンなの? ←そんなことないよ。なんなら収入の一部は原発マネーと言ってもいいような立地地域民だしね。いっそ放射性廃棄物の最終処分場に立候補すればいいんじゃね?って思っている。これが普通じゃない自覚はある。
・自治体予算への経理報告がずさんなのではない。大元の法的枠組みが決まってなかったのを活動側のせいにしただけ。←そうなの?勉強不足なのかもしれない。しらべてみるね
増田自身が書いてるとおり、糖を加熱してアミノ酸と結びついて茶色になると香ばしく美味しくなるメイラード反応が起こる。
ただ、糖もアミノ酸も炭素主体なので火をずっと入れてたら炭化して苦くなって不味くなる。増田自身が「真っ黒にならない限り」と断っているように真っ黒になって炭化したら不味いよね。
焦げを作る過程でメイラード反応と炭化がグラデーションになってる範囲があって人によって個人差はあれどそのエリアのどこかで美味しいからマズいに変わる。さらにその黒寄りには食べられる食べられないの境界線がある。境界線の幅は広い料理と狭い料理があって狭い料理のほうが難しい。狭い料理の典型的な例はプリンに使うカラメルシロップで、高温で熱するのでグラデーションの幅が狭く、色が変わってからあたふたしてるとすぐ焦げて不味くなる。逆に広い例は飴色玉ねぎで濃いのから薄いのまでいろんな味が生まれる。
増田が挙げたポトフや水炊きや親子丼は加熱中に触らない料理なので鍋底で加熱されて底で焦げるんだけど水の壁に阻まれて匂いが外に出にくい。その結果、気づくのが遅れて嗅覚で気づいたときには焦げの濃い黒に近いグレーで発見されがち。不味い領域に入っちゃう。これが一番目の理由。なお、鍋で炊いててもお米の場合水がなくなってから焦げるのですぐに気づけて匂いを感じてから火を止めても間に合うことが多い。
さらに、ポトフや水炊きはメイラード反応による香ばしさの付加をそもそも狙ってないよね。親子丼も鶏肉にはつけても卵は半熟で焼いた香ばしさを期待していない。期待しない味は少量でも邪魔になってくるのでグラデーションの白に近いグレーのところに不味いとの境界線がある料理と言える。同様に食べられる食べられないの境界線も焼き肉なんかよりもずっと白寄りにある料理だと思う。それなのに黒に近いグレーで発見されるとその境界すら超えてしまう。これが第二の理由。
先に書いた通り境界線には個人差があるし、料理によっても違うから炭でも気にならない人はいる。ただ、増田の場合、うまい焦げと違ってさして違わないってことなのでその境界線は黒寄りではなさそう。つまり第二の理由が優勢っぽい。標準もしくはそれ以上に繊細ないい舌と鼻をもっているのもあると思う。
キャベツなんかは焼き肉でもポトフでも使うから食材ではないし、フロンではないホーローやステンレスの鍋でも同じことは起こるのでフッ素樹脂が溶ける影響も主因ではない。
凹んでるってことなんだけど、原因を真剣に考えてるなら失敗は成功の素なので、むしろレベルアップするために通るべき道を通ってるだけと思う。ポトフやおでんの場合、沸騰直前に炊飯器にぶち込んで保温調理するか弱火キープやろね。水炊きで焦がすのは強火の時間が長すぎるか強火が強すぎるかだろね。
あと焦がした鍋はスチールウールで磨くと思うので、磨いていい素材なら鍋の外側もついでにピカピカにするとモチベーション上がるよ。
追記:
ごめん、嘘書いた。カラメルシロップは原料砂糖(ショ糖)と水なのでメイラード反応しないわ。反応の種類が違ってカラメル反応だけど言いたいことは同じなのでそこ読み替えて読んで欲しい。
「根本の問題」ってなに?俺の態度?ちがうよね。同人誌界隈の話だよね。とくに問題なく9月の同人即売会も開催されたけどそれがなに?
「無視して」るのはおまえでは?なんだろうね、冷凍食品と車のオイルの話そんなに好きなんだなー。全く関係ない話しだすもん無視してるよね。まあ暇だからつきあってやんよ。
法律の話するのに法学の知識は必要でしょ?不必要なんかではないのでは?
法学が専門知識だったのは常識だしおまえが不用意に専門領域にふみこんだ発言をしただけでは?
反省はないの?
「元増田の疑念が成り立たないごく限定的な例」?なにいってんの?めちゃくちゃ同人栄えてるよ?
はい、もちろん俺は反論した気になったし事実、的を射た反論してるよ。
自信がなきゃここまでからまねえわ
で?ド素人おまえはどうすんの?謝れば?って前もいったけど。
これを書いた増田は「WEB屋」ではなくてSIやSESを主戦場にしている末端の会社員なのだけど、会社の強みとしてWEBの領域を上げている都合、そういう環境を多く見ることが多いので限りなくそれに近しいかもしれない。
ニコラウーッス
本日は日本においてスターリングシルバーの日、藤ノ木古墳記念日、主婦休みの日となっております。
割合というのは大事ですね、色の種類にもどれだけの割合赤を入れるか青を入れるかで見えてくるものが変わってきます。
仕事なんかは特にそうです、働きすぎれば潰れて、働かなさすぎればそれはそれで調子が崩れます。
私も働いてないみたいなふうに書きながら実は働いてるように見えて、年柄年中暇な日を過ごしております。
スターリングシルバーの日も去年書いてたなぁと思い出したのですが、その日何をやっていたのかをすぐに思い出せるぐらいには呑気な時間を過ごしていたような気がします。
でもまぁ、多少覚えてるぐらいがちょうどいいのかもしれませんね。
これから先きっと忘れてしまうのだろうな、とは考えたりするのですが、それはそれとして脳みその予期しない領域の方に保存出来てたりするんだろうなぁと思ったりもするのです。
どうゆうこっちゃ。
ということで本日は【適度な運動よいか】でいきたいと思います。
私はブログ筆者ではないです。
https://inthevillege.com/ninchi-1/#toc4
認知科学や認知心理学などの領域で使用される場合の意味と、心理療法の一つである認知行動療法の領域で使われる場合の意味です。どちらも近年注目され、現場で用いられることが増えてきている言葉でありますので、それらの違いについてはしっかりと理解しておかないとかなり混乱してしまうことになるかと思います。
認知心理学などの(広い意味での)認知科学の領域において認知という言葉は、人が五感を用いて外界の情報を取り入れ、保持や処理し、何らかの方法で出力する一連の情報処理プロセスのことを指すことが多いかと思います。つまり、人の知的な能力を構成する情報処理能力全体を指す言葉ですね。
定義①の使用例としてイメージして頂きやすいのは「認知症」という言葉です。この言葉は人が老人期になった時に加齢とともに認知機能が低下してしまい、様々な生活上の困難が発生してしまう現象を指す言葉ですよね。
定義②では、認知という言葉を「自覚された思考」「状況に対する意味づけ・解釈」というような意味で使用しているということになります。日常用語で言うならその人の「考え方や捉え方の癖や傾向、またその捉え方を通じて得られた考え」といったことを意味します。
定義②における認知という言葉の分かりやすい使用例として「認知の歪み」という言葉があります。認知行動療法が知られるようになることで、対人支援や教育の世界に広まった言葉ですので、ご存知の方も多くいらっしゃるかと思います。
例えば「べき思考」なんかは有名な認知の歪みの例かと思います。「◯◯すべきだ」という考え方自体が駄目な訳ではありませんが、それがあまりにも過度で何でもかんでも「これはこうすべき」「あの人はこう振る舞うべき」などという考え方ばかりになってしまうと、やはりストレスフルで生きにくさにつながる可能性が高くなるかと思います。
「この人は認知機能に問題があるため、認知の歪みが大きく非常に残忍な性格になってしまった」などと言う、一見もっともらしい説明をそのまま鵜呑みにしてはいけないのです。この説明がなぜ良くないかというと、定義①と定義②の「認知」という言葉を一つの文章の中で区別せずに使用しているからです。
芸能の世界と風俗の世界というものは一般的に考えられているよりも、
それは、裏で癒着してるとか、芸能人が身体を売って仕事を得ているとかそういう意味ではなくて、
風俗の世界で求められる才能と芸能の世界で求められる才能というのがすごく近いということなんだよ。
風俗で売れる才能がない人間が、芸能の世界で売れるなんてことは絶対にない。
これは基本的な原則だから、例外はあるだろうけれど、わかりやすくいうとそういうことだ。
と書くと、また誤解を受けるだろう。
芸能で売れるルックスがあるなら、風俗で売れるのは当たり前だ、と。
しかし、そこが違うのだ。
どれだけルックスが良くても、才能がないやつは風俗では売れない。
逆にルックスが一番でなくても、風俗の世界でとてつもなく才能を発揮するやつはいる。
そして、芸能の世界で才能を発揮するやつは同じくそういうやつなんだ。
芸能というのは広く風俗を含んだ領域のことを言うのだと思うし、
これは単にセックスとかエロが芸術だという意味ではないのだけれど、
根源的にそのような領域を含まないものは芸術・芸能として花開くことが難しいのだ。
そして、そのような才能を持って芸能の世界に挑もうとする人間にとって、
風俗とかそういう世界はものすごく芸能の世界と同じ世界に見えるのだ。
もっと単純に言うと、他人を魅了する、という意味で芸能も風俗も同じものなのだ。
そして芸能に挑もうとする人間にとって最大の快楽は他人が自分に魅了されているという事実なのだ。
だから、芸能人は夢やぶれて風俗の世界、AVの世界へと扉を開くのだ。
ただ金のためでなく。
そういう一面があることは間違いない。