はてなキーワード: 証人とは
【はじめに】
俺は高卒(偏差値30)で頭が悪いので物覚えも悪いし忍耐力もない。顔もブサイクだし身長も160しかないし、人が言ってることも理解しづらいし、人に言いたいことも上手くまとめられない。たぶん弱者男性の中でも最底辺にいる。再来月で30歳になる。
今はデータ入力の派遣社員をしていて、このプロジェクトが終わったら無職になる。生きることが地獄のように辛くて人生が詰んでいる俺だが、他人を恨まずインセルにも傾倒せずにここまで来れたのは、自分が感じる幸福のハードルを最低限おろすことができたことに由来すると考える。三十路になる前に幸福のハードルを最低限に下ろす秘訣を棚卸ししておく。
【食事は一日一食にする】
朝と昼は食事を取らず水だけで過ごしている。空腹は意外と慣れるもので、会食恐怖を患い始めた高校時代から今に至るまで晩飯一食の生活を送ってきたので、かれこれ15年近く経った。その間体を壊したことはない。同世代の連中が腹が出てくる中、健康診断の数値も良好だ。BMIも18を前後している。空腹は最高の調味料と言うが、俺は夜に白米を口にするだけで多幸感に襲われる。脳から高揚感と幸福物質が分泌されてるのがわかる。毎日3食流し込むのはただの餌だが、1食に絞ることで体が震えるほどの上手さの食事を毎日味わえるのだ。俺たちのような弱者男性は自分の世界の中で自己完結した幸福を見出さなければならない。何故なら他者との交わりは惨めな気持ちになることが経験上あまりにも多すぎたからだ。野菜は一晩で350gとること。
【運動をする】
体を動かしていないと、人間は気持ちが塞ぎこむし意欲も低下してくる。気分が塞ぎこむと、ただでさえ低い一日の行動リソースが縮小し、さらに気分が塞ぎ込むという負のループに陥る。有酸素運動をするの脳細胞のシナプスの結びつきを強めるBDNFが分泌されるので、体動かすにしても何からやればいいのかわからない人はジョギングがおすすめ。俺は運動音痴で階段登るだけで息切れする雑魚だったが30分以内に5KM走りきれるようになった。運動習慣がなかった頃に比べて陰鬱とした気分になることが明らかに減ったので今も続いている。
まず最初に、俺はオナ禁を3年続けた経験があるが、イケメンになったりモテるようにかる巷のオナ禁効果はあれは嘘だ。俺が生き証人だ。そして種の保存として性欲があるのは仕方がない。自分の性欲は素直に受け入れるべきだ。その上でオナ禁とエロ禁をする。理由は何個かあって、オナニーをすると意欲がひどく低下する。朝抜いたらその日は何もしたくなくなる事が多かったので、オナ禁してから一日の行動可能ターン数が増えるようになった。あとはエロ禁することによって、オナ禁の成功率と条件反射で女性の服の上から膨らむ胸の膨らみに視線がいかなくなった。長期オナ禁をすると性欲が減退してくるので、リアル女性を視姦しなくなったのはどれの効果なのかはハッキリとはしていない。胸を見る視線というのは女性は比較的敏感だそうなので、波風建てずに生きたい弱者男性の必須スキルである。
オナ禁には生殖能力が衰えるデメリットがあるが、弱者男性に限って言えばはそもそも自然淘汰されるべき遺伝子なので、デメリットにはならない。予定調和なのだ。
ムラムラとしたらその性エネルギーを運動にぶつけるといい。ナポレオンヒルが提唱している性欲昇華法という昔からある手法だ。
俺たちに必要なのは画面の向こうの手に届かない女の裸体ではなく、手の届く範囲の小さな幸せなのだ。
甘いものは好きか?俺は好きだ。コーヒーも好きだ。しかし、一人で甘いものをバクバク食べれる環境は幸せすぎて、一人の世界で満足してしまう。すると、他人との関わりが辛い俺たちは、一人の世界に充足していると、もっともっと他人との折り合いがつかなくなってくる。そこで、誰かと一緒に飲み食いするときだけ、甘いものとカフェインは取ろう。そうすると、他人といる時に幸せを感じることが出来る脳の回路が形成される上に、他人と関われるきっかけになる。職場の人と自分のためにお菓子を用意して配って他愛もない話をしながら食べよう。その時だけコーヒーを飲んでもいい。俺はこうやって他人と静かに無理なく関わる方法を模索していった。それでも一人でいることが一番の安らぎなのはかわらないが、仕事でやらかした時に笑って許してもらえることが多くなった。そしてカフェインに頼らないで済む体質になると頭痛頻度が少なくなったので、頭痛持ちは一考の価値あり。
【何も欲さず周りの人を許容し感謝しながら生きる】
人に与えない者はいずれ人から何も貰えなくなる。 欲しがるばかりの奴は結局何も持ってないのと同じ。 自分では何も生み出せないから。 独りで死ぬのは惨めだな。
俺たちは一人で死ぬことになる。しかし、死ぬなら欲しがる生き方をして惨めに死ぬより、生み出せる生き方をしながら静かに死のう。
俺たちは低い能力や不遇な容姿により、さんざん嫌な思いをしてきた。これから先も嫌な思いをすることがたくさんある。しかしその中でも、俺達のことを人として別け隔てなく扱ってくれる人がいる。老若男女問わず多からず居るそういう人たちに、心の底から感謝し、一人の人間として敬おう。感謝の心は忘れないようにしよう。そういう感謝や敬いの心が欠けた場合、距離感がバグりつきまといやストーカー化する困ったちゃんに変貌する弱者男性が観測される。俺たちはそうならず、一人で生きる覚悟を決めよう。それが俺たちにとっての最善の道だ。自分に対して良くしてくれる女性がいても、女性の好意に対してのみ感謝するべきで、間違っても女性に対して淡い期待は辞めよう。そういったストイックさが信用に繋がることがあり、社会生活が少しだけ楽になったりする。
【おわりに】
生きてても良い事が全くなかったので、俺はこうやって自分が幸せに感じる方法を生み出していった。お互い辛いことばかりかもしれないけど、誰かに傷つけられてもせめて自分だけは他人を傷つけないようにお互い生きていきましょう。
「被害者らに石を投げて反応を見て楽しんでいた」
「待って、石がない」
「俺らいけるよ」
「3、2、1でいくで」
「いくよー。3、2、1。ライト、ライト、ライト」といった事件当時のスマホの通話アプリの会話が裁判員に公開
第2回以降公判
事件当時まで犠牲者の男性と共に生活していた女性が証人として出廷。
女性は、「昨年(2020年)3月に入ってから、深夜になると毎日のように被告らが現れ、石を投げられた。殺されるかもしれないという恐怖から、夜も眠れない状況だった」
4回ほど110番通報したのにも関わらず、状況が改善されるどころか日に日に激しさを増していった
男性が死亡した2020年3月25日には「今日は逃がさんぞ」という言葉とともに、執拗に追いかけられ、逃げるために使おうとした女性の自転車の車輪あたりを何度も蹴って転倒させられた
https://tomo333.exblog.jp/30911931/
被告は3人きょうだいの長男で、熊本県で育った。親からは「手のかからない素直な子」、周りからは「ひょうひょうとした孤高の秀才」と見られていた。同県天草市の高校を卒業後、九州大文学部に進学。順調な人生と思われた。
だが、歯車が狂い出す。きっかけは大学の卒業論文だった。参考文献の英文が難解で、読み込みが一向に進まない。被告は「ハードルが高かった」と振り返る。卒業できず、大学を除籍処分となった。福岡県内の製麺工場で8年間アルバイトを続け、上司に誘われ正社員になったが、上司からの評価が原因で、30代半ばで退職した。
その後3年は貯金を切り崩す生活。インターネットオークションでゲームソフトやCDを売り、生活費を工面した。売る物がなくなると、両親からの仕送りに頼り始めた。13日の公判で証人として証言した被告の父親は、被告が無職になったとわかって以降、折に触れて「生活できないなら帰ってこい」と呼びかけたが、「無視されていた」と話した。
一方、ゲーム、アニメのほか、多くの時間をインターネットに費やすようになった。さらに、ネット上に書き込めるサービス「はてなブックマーク」や「はてな匿名ダイアリー」で、他人の記事にコメントを付け始めた。被告を鑑定した精神科医は「現実の会話を苦手としていた被告にとって、コメントを読んでから考えた上で返信できるインターネット上のコミュニケーションは、楽しみやすかった」と分析している。
【岐阜・ホームレス襲撃事件】どこにも報道されていない「生き証人」の証言《後編》
https://www.jprime.jp/articles/-/18074
リアルの事件の時にも素早く対応してほしいねネット犯罪だけでなくて
>>渡邉さんが命を落とす5日前、3度目の襲撃の夜も、二人は必死でコンビニまで走り110番通報していた。
>>通報を受けて、パトカーでやって来た岐阜県警中署、北署の警官たちは、どやどやと近づくなり、
>>護身用の鉄の棒を持っていた渡邉さんに向かって大声で「(棒を)おろせ!おろせ!」と、怒鳴るばかりで、「大丈夫ですか」と被害を案じる言葉もなかったという。
今回の選挙で自民党は全体の議席で15減だが、比例は6増だった。小選挙区は死票が多いし個人の人柄も重視されるし今回は野党共闘があるから小選挙区は国民の意思を綺麗には反映しないが、比例はそうではなくかなり国民の意思が綺麗に反映されていると思って良いだろう。
つまり、自民党が比例で6増というのは以前よりも自民党を支持する人が増えたと見て良いだろう。
自分の選挙前の結果予想では自民党は比例で微減だろうと思っていた。この数年間で自民党の議員の不祥事はかなり多かったと思っている。なので流石に「自民党はちょっと…」と思う人が増えたはずだ。別にそれが立憲民主党やら共産党やらに行くとは限らないが少なくとも自民党以外、今回で言えば維新に行くのが多いのだろうと思っていた。
しかし現実は微増とも言いづらい6増である。多くの国民はこの数年間の自民党の不祥事は特に投票行動に結びつかない些細な事柄であるとの判断の結果であろう。
これがとにかくつらい。
モリカケ桜は(自分は完全に黒だと思ってるが)まあ一応不起訴だし、納得いっていない国民の方が多いもののそこまで気にしないってのも(個人としては不満ではあるが)判る。なのでこの辺はとりあえず置いておいても、
この2件は「実刑判決」だぞ。大臣クラスの人間が国の運営システムに対する違反行為をかまして、それがバレて裁判して実刑判決が確定したんだぞ。買収の金だって自民党が1億5000万円出してるんだぞ。どう考えたって組織的な犯行だろ。
これで正直言って、自民党は30議席ぐらい減らして欲しい所だけどこの国の国民の考えからしてまあ微減ぐらいに収まるんだろうなーってガチで思ってたよ。いやー流石に選挙で買収して捕まって裁判して実刑判決が確定してるんだぞ。流石に流石に。
なんというかだいぶね、自分の立っている場所がフラフラと揺れて安定しない感じですよ。えーマジで買収しても OK なの?と。そりゃ暴れたくなるよそんなん。犯罪犯して裁判して実刑判決が確定したのに別に自民党がビクともしないとか自分の価値観に対する揺さぶりがモノスゴイですわよ。
医学生物学論文の70%以上が、再現できない! | Vol. 10 No. 11 | Nature ダイジェスト | Nature Publishing Group
心理学の研究結果、6割以上が再現不可能 検証調査 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
[B!] 足利事件菅家さんが刑事補償請求 再審無罪で8千万円 - 47NEWS(よんななニュース)
福島章教授が足利事件の精神鑑定録音テープを破棄した心理 : 少年犯罪データベースドア
松木 洋人
大貫 挙学
「所謂変質状態ノ基礎状態テアル生来性神経衰弱症」「表面柔和ニ見イナカラ内心即チ無意識界ニハ残忍性『サディスムス』的傾向ヲ包蔵シテ居リ両極性相反性ナル性格的傾向ヲ顕著ニ示ス」と鑑定した
1952年 5月31日 控訴審終了。Nに懲役15年の有罪判決。
1981年 4月27日 青森地裁弘前支部で一審終了。Nが部分勝訴。
事件あるところに法医学ありと、東大法医学教室の歴史の中で、数え切れないほどの鑑定書が作成され、法廷で証言がなされた。
松山事件、下山事件、財田川事件…。戦後の再審、無罪事件を中心に、東大法医学教室の事件簿から"恐るべき証人"の声を聞く。
第3章 下山事件
第7章 DNA鑑定
千葉県警がVTuberとコラボした件だけど、フェミニストならモリカケ問題みたいにすればいいのにね。
フェミニスト議員連盟は、こういう萌え絵と公共機関のコラボに対して国会や百条委員会で証人喚問を起こせばいいじゃない?税金を使って女性差別と性犯罪を助長したと訴えれば、余裕で可決するはずだ。
証人喚問の証人になった者は、出頭命令を拒否したり、嘘をついたりすれば罰則を受ける。
「女性差別や性犯罪を助長するという認識がなかったのか」という質問に対して「いいえ」と答えたら、偽証の罪で逮捕して牢屋にぶち込むことができるはずだ。
近年だと厚生労働省とゆるキャンのコラボとかあるけど、フェミニストたちはこういう萌え絵と公共機関のコラボ関係者を片っ端から制裁を加えたいはずだ。証人喚問は、そういうことをするのに丁度いいはずだ。
「動かぬ証拠」が用意出来る裁判なんてほとんど存在しないし、実際には沢山の状況証拠の積み重ねで事実が認定される。
フィクションじゃないんだから、「動かぬ証拠」が運良く残ってくれることなんてほとんどない。
「動かぬ証拠」がなければ無罪、となるなら、犯罪を取り締まることなんてまずできない。
もちろん、片手で数えられる程の状況証拠では認められない。だからできるだけ多くの、できるだけ信憑性の高い状況証拠が必要になる。それを集めるのが検察の仕事。
工藤会の件では検察は88人もの証人を用意している。これは異例とも言える数。ここまで徹底的に捜査した結果が今回の判決だとすれば、「検察の努力が実った」と評価しても差し支えないと思う。
阪神淡路大震災とオウム真理教をめぐる事件で騒がしかった1995年に起きた、文藝春秋の雑誌『マルコポーロ』を廃刊にしてしまった事件の、そのホロコースト否定の記事の著者である西岡昌紀氏がその記事でも使った文章がこれである。
「なんと驚くべきことに、ガス殺の遺体は一体も見つかっていないのです」
西岡はそれ以来、繰り返しこのセリフを語った。今回はこれについて考えてみよう。
上の西岡が使う常套句は、実は微妙に嘘なのであるが、ほんとでもあるというややこしい話でもある。嘘であるというのは、見つかっていたという報告自体は存在するからだ。知られているのは二つあり、一つはマイダネク収容所のソ連犯罪調査委員会による報告書であり、1944年10月頃という早い時期にまとめられた報告書の中に、ガス殺遺体の発見の事実がさらっと書かれている。マイダネクはソ連赤軍の急襲にあって終戦前年の1944年7月にさっさとソ連に解放されてしまったので、ガス室やその遺体の処理が間に合わなかった、とされている。もう一つはロシア南西部の黒海に面するクラスノダールでもガス殺遺体が発見されたと報告されている。こちらの方は1943年初頭にさっさとソ連に占領されてしまっているので報告(裁判)の時期も1943年7月と最も早い。ガス殺遺体の写真まである。
このように実際には見つかっていたという話を知らないネットの否定派は多いようだが(西岡も1995年当時には知らなかっただろう)、見つけたのがソ連であるという理由で信じないのが否定派である。実は個人的にもマイダネクの報告書はちょっと怪しいと思っているが細かい話になるのでそれはここでは言わない。クラスノダールの方は写真まであり、その写真自体に「一酸化炭素中毒の死体」とまではっきりコメントが書いてあって、信頼性はあるように思うのだが、ソ連の裁判という理由で否定派は認めようとしない。当時ソ連は見せしめ的な裁判をやっていたらしく、それが信じない理由とされているようだが私は詳しくは知らない。
しかしこれが、否定派が主たる攻撃対象としている絶滅収容所、中でもアウシュヴィッツ収容所の話になってくると、確かに解放後に連合国によって一体も発見されていないのは事実である。定説では、それらのガス殺による遺体は全部焼却処分してしまったからである。が、ここでは少し否定派側の視点に立って考えてみよう。
確かに、そう言われると奇妙な気もしてくる。一般的に言って、死体なき殺人は肝心の殺された死体が存在しないため、その立証は困難である。かつて日本で起きた北九州一家連続殺人事件では家族七人が殺されたが、その死体は一体も見つからなかったどころか、犯行現場とされたアパートからも血痕の一つも見つからず物的証拠は何一つ存在しなかった。その為、主犯格の共犯者である愛人と逃げて助かった生存者の証言で事件を立証する以外になかったのである。
しかし、アウシュヴィッツは七人どころではなく、約百万人がガス室で殺されたとされている。ニュルンベルク裁判時点では250万人〜400万人という膨大な犠牲者数が述べられた。なのに、ガス殺死体は一体も見つかっていないというのは極めて異常な話ではないのか? ガス室による殺人は全く立証されていないじゃないか、と言いたくもなるのだろう。特に、青酸ガスという毒ガスで殺されたという類例のない事実を立証するには、遺体の検死解剖の一つくらいあっていいはずなのにそれすらないのだから、疑惑を持つ人がいても不思議ではない、とは思う。
では一体どうやって毒ガスによる大量虐殺を立証したのであろうか?
流石にニュルンベルク裁判やその他の裁判で具体的にどのように立証していったのかという全貌は知らない。よほどの研究者でもない限り、膨大な裁判資料に精通している人は限られると思う。ニュルンベルク裁判資料ですら素人には手に負えない。
しかし、物証の一つである文書資料もそこそこ裁判で採用されているようである。ナチス親衛隊は徹底的に大量虐殺の事実を隠蔽しており、例えば直接「毒ガスで殺した」などと文書に記述したりしなかった。ガス室についても、残されている図面には「死体安置所」としか書かれていないし、アウシュヴィッツの火葬場に関する使用データも一切残さなかった。収容所解放前にガス室のあったビルケナウのクレマトリウムは全て解体撤去・爆破処分しており、火葬炉の一つも残っていない。それでも、ある文書の中には「ガス室」とついうっかり書いてしまったのであろう記述があったりもしたし、クレマトリウムの残存パーツからシアン成分も検出している。
さらに、裁判で採用された証言者は何百人にも上り、その多くは非常に具体的にガス室のことを証言しており、詳細な証言もいくつもあった。ガス室での殺害の目撃証言も多数存在したし、ともかく大勢の元囚人がガス室に関する証言を行なった。中でも、遺体処理を担当したゾンダーコマンドの生存者の証言は極めて詳細であった。最も衝撃的だったのはアウシュヴィッツ収容所司令官を最も長く務めたルドルフ・ヘスのニュルンベルク裁判での証言であった。彼は、他の多くの加害者側の人間とは異なり、無罪を主張しなかった。それどころか、自分から進んで積極的にそのおぞましい犯罪の全貌を裁判で語ったのである。さらに彼は、拘置所において自らの意思で回想録を執筆し、裁判時の証言よりもさらに詳細な内容であった(この自伝は日本でも普通に売ってる)。
細かい話をすれば、例えばナチス親衛隊による大量虐殺の隠蔽に関する証言でさえも、囚人は証言している。「ガス室での殺害については、「特別処理」という表現を記載していました」などの証言も何人もしている。これは事務的な部署でも囚人が働いていたからである。さらにそうした証言をしている法廷で裁かれていた加害者側の被告であった親衛隊員たちは、ガス室を全く否定しなかった。それら親衛隊員が裁判で反論したのは、自らの意思に基づく非道な行い等についてのみであり、指示・命令で行っていた任務であるガス室に関しては否定しなかったのである。
結局、後々のナチ犯罪裁判を含めそれら戦犯裁判では誰一人、ガスによる大量虐殺を否定しなかった。少数の「知らなかった」と語った証人や被告が存在しただけである。果たして、こうした証言状況で、「ガス殺死体が一体も見つかっていない以上、それらの証言は全て疑わしい」と言えるのであろうか?
ネットに多い素人否定派程度では、まさかガス室・大量虐殺を認めることになる証言が何百件もある(裁判以外も含めれば何千件になるのか見当もつかない)だなんて知らないと思うし、それらの証言の一つもまともに読んだことすらないだろう。例えばその一つを任意に選び出してみよう。
証人:アウシュヴィッツで絶滅された子供たちの移送に関しては、ゾンダーコマンド(特別部隊)で働いていた同僚から聞いたことを繰り返すことができます。この子供たちはガスで殺されました。ビルケナウの最初の火葬場で行われたテストガスの犠牲者でした。
私は3週間の検疫を経て、クレマトリウム建設班に配属されましたが、そこで初めてグラブナーと出会いました。ある時、私の仲間が50キロのセメント袋を運んでいたのですが、その重さに耐えられず、グラブナーは私のカポーに向かってこう言いました。「あの犬にとどめを刺せ」と。カポーはシャベルの柄を折って、それと自分の足を使って囚人を激しく殴り、彼は本当に死んでしまいました。これはグラブナーの指示で行われました。
その後、私は火葬場から「カナダ」という兵舎に移されました。そこでグラブナーと再会しました。グラブナーは政治部の部長で、ガス処刑される人たちの書類をモルに渡していました。グラブナーはほとんどすべての輸送列車の到着に立ち会っていました。
ポーランドの戦争犯罪証言記録サイトに見る殺人ガスの証言証拠(2)|蜻蛉|noteより
人間の証言には、しばしば誤りが存在する。記憶間違いであったり認識間違いであったり誤解であったり、場合によっては意図的な嘘であったりもする。個人的に、こうした証言をたくさん海外のサイトから翻訳したので、そこそこ誤った内容を含む証言があるのも知っている。しかしだからと言って「ガス室」に関する証言のその全てが嘘になることなどあり得るのだろうか? 知っている裁判証言だけで数百件に上るのだが。
しかもそれらの証言に含まれる「ガス室」に関する内容は、ただ単に「ガス室があった」と言っているだけでなく、上にあげたたった一つの例ですらも具体的な内容を持つ証言の中で示されているのである。しかもそれらは裁判の中での証言であり、被告が法廷に存在しており、被告には証言者への質問の機会も与えられていたのに、誰一人被告はガス室を否定しなかった。
でも否定派は、それら証言をどんな難癖をつけてでも否定する。上の例では、「連合国の陰謀者によって、ガス室の証言をするように脅迫されている可能性がある」等。また、否定派が最も証言に対して使うセリフは「矛盾があるものばかりである」である。ルドルフ・ヘスに至っては、ほんの些細な記憶間違いとしか考えられない証言上の矛盾を元に、証言の全て(もちろんガス室・大量虐殺に関することだけ、であるが)が連合国によって強制的に嘘を言わされていることにされた。私はそれをいうネット否定派に対して、「ではあなたは数年前の出来事について一つの誤りもなく証言できるのですか?」と質問したがまともに答えが返ってきたことは一度もない。ひどい場合には、単なる翻訳上の間違いを元にして「この証言には矛盾がある」と難癖をつけられていたことさえある。
少なくとも、マルコポーロ事件の西岡昌紀は真面目とは言い難い。その理由は、絶対にただの一つとしてもホロコースト否定説には欠陥があることを認めようとはしないからである。実は、稀にこの「否定説の欠陥」に気付く否定派がいる。中でも否定説の最大の欠陥は、では「一体、数百万人に上るユダヤ人はどこへ消えたのか?」に答えられないことである。ユダヤ人がナチスドイツの手によって大量移送されたこと自体を否定する人はいないので(それすら知らない人は別だが)、殺されていないのなら数百万人の消えたユダヤ人はどこかに生存していなければならない。古くは、ソ連だった。ソ連のスターリンが収容所に収容しただとか、移住させたのだとか、色々言っていたらしい。だが、冷戦が終わってなお、そんなユダヤ人は全く確認することは出来ない。旧ソ連に関するそうした情報も公開されているのだが、どこにも出てこない。
ほんの僅かだけど、ネットで議論しているとそこに気づいた否定派もいた。確かにその質問には否定派は答えられない、と。欧米では、著名な否定派が、さらに高名な否定派の誰にそのことを聞いても「知らない」と返答されるだけだったので、否定派を辞めてしまった人さえいる。この重大な欠陥を認めるか否かが、ある種の分水嶺になっているとは思われる。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO26266890Z20C18A1000000/
訴えによると、県警警備部は、市民運動を抑圧する目的で反対派4人の個人情報を収集し、2013~14年に少なくとも4回、シーテック社員に氏名や学歴などの個人情報を漏えいしたとしている。警察庁警備局も公安活動のため県警から個人情報の提供を受けたとしている。
原告側は問題発覚後、県警に個人情報の開示請求をしたが、「存在の有無も答えない」とする非開示の決定がなされたため、県警が収集、保有している情報は不明としている。
4人は16年12月、収集した情報を県警がシーテック社員に伝えたのはプライバシー侵害だとして、岐阜地裁に提訴。昨年3月の第1回口頭弁論で、県は請求棄却を求めた。〔共同〕
「警察は情報欲しかったか」 漏えい訴訟、当時の中電子会社社員証言2021年5月18日 05時00分 (5月18日 11時07分更新)
西濃地方での風力発電施設の建設を巡り、反対する住民の個人情報を大垣署員が中部電力の子会社シーテック(名古屋市)に伝えたとされる問題で、大垣市の男女四人が国と県を訴えた裁判の証人尋問が十七日、岐阜地裁で開かれた。当時シーテックの社員だった二人が出廷。うち一人は、署への訪問は個人情報の交換ではなく事業の進捗(しんちょく)状況の報告が目的だったとする一方、「(警察は)個人情報が欲しかったのかなとも思った」と述べた。...
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その割には、アウシュヴィッツで死んだユダヤ人の数は、600万人から300万人に減らされ、今はドイツ国公式見解は100万人ということになっているが、その実態は10万人である。
なぜ600万という途方もない数字が出たのか回答していただけないだろうか?
強烈に誤解されることの多いホロコーストにおけるユダヤ人虐殺数。
600万人と言う数字にどうしても目が行ってしまうため、その途方もない数字に信じ難いと言う気持ちが起きるのでしょう。ちなみに、「アウシュヴィッツで死んだユダヤ人の数は、600万人から300万人に減らされ」や、「ドイツ国公式見解(何それ?)100万人」だとか実態が「10万」なんてどこから出てきたのか知りたいところですが、まぁそれはいいでしょう。一応全部間違いです、そんなの聞いたことありません。
先に、私は研究家でもなんでもなく、本やら様々なネットの情報(海外サイトが主)を色々と調べ回っただけの知識しかないと断っておきます。
どうやって600万人と言う数字が出てきたのか。
これはまず、ナチスドイツ内でアイヒマンが語っていたとされる数字として、ニュルンベルク裁判である親衛隊将校が語りました。それによると「収容所で400万人、それ以外で200万人」という数です。これが最初に出た600万人ですが、実は別にニュルンベルク裁判では判決で触れられているだけで、別に認定などされていません。また、ニュルンベルク裁判起訴状に「570万人のユダヤ人がヨーロッパから消えそのほとんどがナチスに殺された」なる文言がありますが、これもまた別に認定などされていません。
そして、裁判以外で、1950年頃から人口統計学者によって600万人や550万人以上のユダヤ人人口が失われていると計算されるようになります。で、今度は歴史家ジェラルド・ライトリンガーの方から「反ユダヤ主義を意識して」極力最低限の数字を計算し419〜458万人という数字を弾き出します。以降、有名な『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』の著者であるラウル・ヒルバーグが1961年に510万人という数字を弾き出しました。
以降様々な研究者が発表してきましたが、概ねの間違いない数字としてはユダヤ人600万人説が変わったことは実際一度もありません。以上のように、例えば「ニュルンベルク裁判で勝手に決められた数字」であるとか、「イスラエルの公式数字である」とかは全然違うわけです。おそらく適当な数字は一つも無く、近年は非常に膨大な資料を用いて推計しているようです。
ではあのアウシュビッツは? というところですが、アウシュヴィッツについては最初は基本、二つの数字から始まります。何故二つあるかというと、その出所が違うのです。一つは、よく言われる400万人説です。これはソ連の0018-USSRと呼ばれる戦争犯罪調査委員会の報告書(1945年5月)です。ここに、400万人という数字が登場しますが、この数字は報告書上は火葬能力からの推計値と書かれていますが、それはあり得ないと言われています。火葬能力があり得ないのではなく、火葬能力で推計値を出すということ自体があり得ないわけです。問題は実際に殺した人数だからです。では一体どこから400万人説が実際に出てきたかというと、それはおそらく火葬場で働いていたユダヤ人ゾンダーコマンドの生存者の証言です。その中に400万人説が出てくるのです。おそらくソ連はそれを聞いて、火葬能力など何も調べずそれっぽく推定したかのように書いたのではないかと思われます。しかし、奴隷労働をしていたゾンダーコマンドが正確な数字を知るはずもなく、単に囚人同士で噂話のように推計していただけの数だと思われます。
ところが、1946年3月に、逃亡していたアウシュヴィッツ司令官だったルドルフ・ヘスが逮捕されます。ヘスはニュルンベルク裁判の証人になったときの証言で「250万人を殺害し、50万人は病死や餓死でなくなった」と証言したのです。ところがこの250万人という数字は実際にはヘスが現場で知った数字ではなく、アイヒマンに教えてもらった数字だと答えています。何故なら、犠牲者数の数を記録することを許可されていなかったのです。ただしヘスは司令官なので、それなりに犠牲者数の実感は持っていたようで、250万人は多すぎると自伝に書いています。
なので、アウシュヴィッツの犠牲者数は、最初はこの250〜400万人説からスタートしたのです。が、実際にはすぐにこれは多すぎるとわかっていました。何故ならば、研究者によると、アウシュヴィッツへの囚人移送記録が出発駅や経由駅などにたくさん残っているので、それをもとに計算すると、いくらなんでもそんなに大勢のユダヤ人が移送されたはずがないことが明らかだったそうです。それで、前述したライトリンガーなどは80〜90万人だろうとし、ヒルバーグは100万人とします。で、現在の数字は、アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館の主席研究員であったフランシスゼク・ピーパー博士による研究成果として、110万人(ユダヤ人以外も含めて150万人)の犠牲者が出たとされているのです。
以上の通りなので、例えば「以前はアウシュヴィッツの公式プレートは400万人だったのに今では110万、なのに何故トータル600万人が変わらないのか?」が誤解であることはお分かりいただけるかと思います。そもそも600万人の数字計算の中に400万人説は含まれていないからです。
それ以外の収容所の犠牲者数の細かい計算方法は存じておりませんが、最もわかりにくいのがソ連(ウクライナやバルト三国など)でのいわゆるアインザッツグルッペン、移動虐殺部隊を主体とした現地殺害による虐殺数で、広い範囲でたくさんの場所で細かな殺害が行われたため、いまだによくわかっていないそうです。概ねの数字で言えば100万人から200万人の間だろうとされてはいます。
さて、もちろんこんな数字、修正主義者達は全く否定しております。はっきりした数を言わないのが修正主義者で、ないとも言っていません。修正主義者達は、人口調査すら自分達でした気配もありません。たまに適当なことを言って「600万人などあり得ない!」と主張するに留まります。でも、大勢のユダヤ人が移送されたことは認めているのです。で、どっかに殺されずに消えたんだと。私には修正主義者が何を言っているのか意味がわかりません。修正主義者は、例えばアウシュビッツであるとか、トレブリンカ・ソビボル・ベウジェツなどのいわゆる絶滅収容所を絶滅収容所とは認めず、「通過収容所」と読んでおり、そこまで移送されたことは認めるのに、その通過収容所から先を言いません。言ったとしても「ミンスクへ1000人移送されたことはわかっているから通過収容所であることは間違いない」であるとか、その程度です。実はこのことが、修正主義者の最大の問題であり、修正主義者達はこの件の答えを常に誤魔化していますが、絶対にはっきりしたことはいいません。もちろん一般の歴史家は全員が「虐殺された」です。
ともかく、それら犠牲者数の数字は、色々な人たちが様々な資料を検討した上で推計した数字であって、別に適当な数字を言っているわけではありません。中にはよくわからない計算方法で算出している人もいるかもしれませんが、一般に言われている数字は全て研究者達が推計した数字です。ですから、別に誰も数字を盛ったりしていることもありません。
なお、最新のユダヤ人人口統計でさえも、ユダヤ人人口数は第二次世界大戦中の最大値を回復しておりません。ともあれ、戦後様々な推計結果はあったとはいえ、概ね600万人という数字は一度も変わったことはなく、最近でもそれはありません(リビジョニスト達はしょっちゅう「600万人説は既に信じられていない」だとかのデマをばら撒いていますがね)。実は、ユダヤ人人口を把握している元は、ユダヤ人の教会みたいなシナゴーグなのです。シナゴーグなしにはユダヤ教はあり得ないので、シナゴーグの管理しているユダヤ人数を集計すれば自ずとユダヤ人の数はわかるのです。もちろん近代的には国勢調査で把握される宗教別人口もありますが、昔は主にシナゴーグ集計を使っていたようです。ですから、戦前などの場合は、ユダヤ人協会に聞けばわかったので、ナチスもそれを元に殺すべき人数を知っていたわけです。