はてなキーワード: 茶々とは
春陽の候、皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。 さて、突然でございますが、貴方に折り入ってご相談したいことがありましてお手紙を差し上げます。
ご存じないかもしれませんが、現在千代田城を根城にしている自称天皇家は帝の地位を詐称する偽物であり、正当な皇位は熊野宮信雅王の直系血脈である我が熊野宮家にあります。
しかし曾祖父・118代大延(熊沢)天皇、そして祖父・119代尊信天皇の二代に渡り、日本国の本当の天皇としての地位を主張し続けてきた熊野宮家ですが、近頃は千代田城に巣食う自称天皇家の圧力に押され日陰で暮らす事を余儀なくされております。
偉大なる曾祖父・大延聖帝がかろうじて残してくださった二億円の遺産で、臣民に紛れた隠遁生活は大きな屈辱ではありますものの、いつの日か千代田城の自称天皇家を排斥し、私たちこそが正当な皇室である事が世に認められる日が来ると信じております。
さて、120代にあたる父・今上陛下は近頃体調が優れず、(これは極秘なのですが)もう長くないとされております。次の正月は迎えられない事でしょう。 しかし父には男子が無く、現在皇太子の座は空位のままとなっているのです。ですが現行の皇室典範の関係上、女子である私が践祚する事は出来ません。
厳密なる調査の結果、貴方様は遠縁ながら熊野宮家の血を継ぐ人物である事が判りました。 そこで熊野宮王朝は貴方こそが皇位継承第一位に値する男子であると断定したのです。
お願いです。
どうか皇室入りし、第121代天皇を受け継ぐ者として立太子の礼をあげてください。 貴方様が傍系である以上、婿養子という形で私と結婚して頂く必要がありますので無理にとは言いません。 私を妻とする事に依存が無ければ、という条件で構いません。
ちなみに私の名前は茶々。まずは私の写真を載せたホームページのアドレスをお送りいたしますので(貴方だけに見せるプライベートページです)、そちらを見て判断して頂けないでしょうか。 もしOKという事であれば、ホームページにある「立太子ボタン」を押してください。
貴方様に断られてしまいますと、神武以来120代に渡って続いてきた天照の血が途絶えてしまうのです。
良いお返事をお待ちしております。
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これで3回目になる。
僕の目の前のオタクがおそらく自作したであろう大光量のライトが5本くらいついてるの
お前が目立ってどうするんだ…
そんなに目立ってどうするんだ…
きっと彼(もしくは彼のような人)は普段から注目あびるようなこともできず、
その性分なら間違いなくネット弁慶だろうし、
その邪魔になるような行為というのは賠償責任があるくらいの迷惑行為だのに、
なぜこうも自己中心的な振る舞いができるのだろう。
それを聞いてどうする?
煽ってるの?
もしこの記事を見て憤りを感じる人がいたら、
「盛り上げてんだよ!」
いや、そういった間違った楽しみ方で他の人の邪魔しちゃいかんし、
盛り下がるんだよね。
というかなんでこんな低レベルなことで悩まなきゃいけないんだろうな。
幼稚園とかで先生の話をちゃんとききましょうね~とか習わなかったのかな。
猿や犬、猫みたいな動物だってある程度空気読めるのに、それに満たないだな。
まずこれだけは絶対に言えることだけど
これだけ。
どれだけ論理性を駆使して、時によっては過去の判例なんか遡って説明しても、
ちゃんとできないんだ。
髪をセットして髭も剃って爪も切って
好きなんじゃないのかよ、くそ。
今リーダやってる人のために書いたが、リーダ目指す人でも十分活用可能だと思う。その場合「活きの良い若手」として可愛がられると思う。
ともかく、これだけやれば必ず出世できる。
是非とも実践して欲しい。
そんなもんに頼らず普段から自分の主張をしっかり持って言うようにすればいいんだよ。
増田諸氏は「誰がなんといおうと○○だ、異論は認めない」くらいの勢いで物を言う癖をつけてみろよ。
角が立たないようにとか配慮してるつもりなのか知らんが、それは単に他人に茶々を入れられるのが怖いだけだ。
日本人は他人の変わった所をあら捜しして人格否定するのが大好きで、異なる価値観の共存を認めない。
だからちょっと強い主張をすると、「そうとも限らない面もあるでしょ思い込みすぎ偏りすぎ」みたいな感じでつっかかる。
そんな毒にも薬にもならないどっちつかずなスタンスで、物事を決められるかっていうんだ。
みんなの意見を総合して中途半端な灰色のコンセンサスを形成することに満足感を覚えるような人間になるなよ。
そうじゃなくてビビッドレッドだとかパステルグリーンだとか何かに特化したものを提示しろ。
そうすれば、空いた色域の部分はその色を出すのが得意な誰かが埋めてくれる。
自分たちだけで「あれも分かってますよ、それも分かりますよ」みたいに常識人ぶってなんでも対応しようとするから、
機能ゴテゴテのガラパゴス製品ができたり、なんの魅力もない製品になったり、後追いでいいとこ取りみたいな姿勢の開発しかできないんだ。
まあ別に製品開発の話をしてる訳じゃないが、とにかく普段から主体性をもってはっきり意見を持て、言え。
そうしないと他人や他組織に価値観を操られるだけの人間とは呼べない存在に成り果てるぞ。
90年代にTBS系列で世界ウルルン滞在記という番組があった。
芸能人が海外のまちや村でショートステイを行い、日本の常識とは異なる世界各国の文化と触れ合うことで、そのまちに滞在した芸能人の中にも変化が生まれ、最後には感動的な別れのシーンとなる番組であった。
真面目なノリの番組であったが、後期ではそのワンパターンさによるお涙頂戴感が前に出過ぎてしまい、いつのまにか番組は終わっていた。
昨日のイッテQはチャラい代名詞である手越がカンボジアで無一文で数日間生活をさせることでチャラさを改善させるという企画があった。
この企画の中には、「芸能人が、貧しいが故に純粋である(とテレビ的にされている)まちや村で滞在することで、うるるん的な変化が起こる」という前提をもとに、
手越がそのような素振りを見せるたびにナレーションで茶々を入れるというスタイルである。
わいも家庭問題があって、それをぼやきたいがためにここに書いてる。
書いてスッキリしたらそれでいいやというも一つある。
いらん茶々入れるやつもおるけど、助けを書くやつもいる。
それと、やっぱりめんどくさいやつは法的に取り扱う&切るしかないよ。
相続も、それなりの財産があるなら弁護士に任せたほうがいい。そんなのないのなら放棄してしまったほうがいい。
親に対する未練?まあ、わからんでもない。でも、やっぱり切ると幸せな人間関係ってのはあるんだよ。たとえ親族でも。
アル中で、親が可哀想でも、むしろ深入りするとあなたも傷つく。
僕もまだ親親戚兄弟がうっとおしいなあと思って、縁を切り気味にしたら情に訴えるとか、みんな心配していってるんだよとか言ってきたりとか、
ただ、かつて、変に情をかけたがためにさらに事態を悪化させて、周りの評価も悪くなっていったこともある。うん。お人好しすぎたかなとは思う。
一時評価落ちても、めんどくさいのと縁を切ったら幸せになれることもある。
助けになるのといえば、禅系とかマインドフルネスあたりの本だよね。禅は心の認識について色々考えさせてくれる。マインドフルネスは頭の休息。
小池龍之介「平常心のレッスン」
最近はわたしくしの所にも、色々とテレビや新聞、ラジオのお仕事が舞い込んで参ります。大変にありがたいことです。しかしなかなかに難しい注文をされるところもあって、申し訳ありませんがそれはわたくしの力量を越えておりますとご遠慮させていただくこともございます。難しいというのは風刺です。とくに政治の風刺は大変に難しい。10年前20年前も難しかったが、最近はもっともっと難しくなった。これはもういわば怪物です。わたくしのような年寄りには到底かなうものではございません。そう言うと、テレビ局の方、新聞記者の方は目を丸くされるんですな。
海外、特に欧米では政治の風刺というのは盛んだと言われています。一国の大統領や王様がコケにされる。それを喝采する人々というものがいる。しかし日本ではなかなかそれがうまくいきません。誰を虚仮にしても目を血走らせて食ってかかる人が現れる。てめえの噺はつまらねえんだよ!とお客さんに叱られるのはわたくしども日常茶飯事ではございますが、そういうのとは次元の違う感情をぶつけられる。しかも一人や二人ではございません。何百人なら少ない方、へたすりゃ何万人なんてことにもなりかねません。これをわたくしは怪物と呼んでおります。これにかなう者はこの世にはおらんでしょう。
さて、ではなぜ欧米と我々日本人は違うのでしょう。これもまた生半に語れることでもございません。ここにも怪物が潜んでおります。いやはや恐ろしいことです。おそるおそる怪物の尻尾をまたいでみたいと思います。
誰しも自分が虚仮にされて嬉しいものではございません。虚仮にされてうれしがるのは噺家のような奇人変人選りすぐりのエリート集団くらいなものです。では自分じゃなければ虚仮にされても平気でいられるのか、そんなことはございませんね。我が子、親兄弟、恋人、妻、夫、友人、恩師、ペット、愛人、などなど。…愛人は余計か。これらは場合によっては自分を虚仮にされるよりも腹が立つという人もいることでしょう。いま申し上げたのは自分の身近にいる自分にとって大事な人達です。それだけではございませんな。贔屓にしているアイドル、ミュージシャン、テレビタレント、スポーツ選手、こういう遠い存在も、やっぱり虚仮にされるとむかっ腹が立ってくるのが人情というものです。政治家というものも、この中に入ってくる。これが今の日本人というものなのかなと、噺家風情が考えてみたりするところであります。
虚仮にされて腹が立つのは、名前や顔を知っている人だけとも限りません。何かに一生懸命に打ち込んでいる人を虚仮にするというのも、やはりいい気持ちがしないというのが人情というものです。甲子園に出るために一生懸命練習する高校球児達を、何が面白くて汗まみれ泥まみれになりながら球を投げたり転がしたりしてやがるんだ馬鹿馬鹿しい、などと言おうものなら、明日からわたくし朝日新聞と毎日新聞から出入り禁止でございます。今日のお客様の中に関係者の方がいない事を祈るばかりです。いやあそれにしても、うちの○○と××を出入り禁止にしないNHK様の懐の広いこと広いこと!よっ、日本一!来月から受信料ちょっと多めに払っちゃう!
(注:○○と××…この噺家の一門に属するコメディアン。最近相方をビール瓶で殴る時事ネタを披露した)
まあそれはさておき、政治の風刺が難しい理由もこの辺にあるのでしょうな。誰もが応援している議員さんが一生懸命やっている事を知っている。知っているから虚仮にされるとムカッとくる。これは別に恥じることでも何でもないと思いますな。日本人は政治に関心がない、などといったことを言うお人もいらっしゃいますが、本当に関心がないのなら、政治の風刺も他人事と思って笑って流せるんです。今は政治は笑い事じゃないんですな。それの善し悪しは今は分かりません。昔からよく言いますな。政治・宗教・野球は飲み屋で話しちゃいけないよ、と。真剣になってる人に茶々を入れることほど無粋なものではございません。どうしても茶々を入れたくなったら、是非とも寄席へお越しいただいてわたくしどもに野次の一つでもいただければと思います。本日はどうもありがとうございました。
ADHDでもアスペでもいいけど、こういう発達障害の人間は、普通の人とは生きてる世界が違いすぎるため、相互理解には正しい知識が必要であることは、多分専門家の間では常識だろう。
これは普通の人が発達障害の知識を得るだけでなく、発達障害当事者が普通の人の知識を得ることも必要だと思う。
即ち、意志の力や情熱、経験則に基づく「ちょっとした工夫」だけでうまくやれる可能性は、かなり低い。
普通、人間理解というのは生まれてから蓄積してきた対人経験に基づいて相手を観察し、その場の現物合わせ、いわゆる「ちょっとした工夫」でこなすものである。
だからこそ、いわゆるコミュ強者と言われる人ほど、なまじ経験則でオールオッケーだったが故に、発達障害への理解に正しい知識が必要という所に辿り着きにくい気がするのだが、どうだろうか。
何より普通の人から見て、発達障害当事者の言動はしばしば不快感を催すため、そういう感情的反応も、一層理解を難しくする気がしている。
実際、今まで自分が見てきて「今思うと、コイツ絶対そうだろう」という人間が何人もいたのだが、彼らに対し、今だったら一体何が出来るのか、結構疑問である。
もし既に対処法が確立しているならトラバに書いてもらって構わない。
勿論、これらのケースで最も困っているのは本人であることは間違いない。
しかし、周囲だって大変な迷惑を被っているわけで、そういう意味では、彼らも加害者なのである。
確かに殴られたりキレられたりと、かなり暴力的な対応をされているが、これは明らかに彼らがしでかしたことへの「帳尻合わせ」なわけで、こういう対応をするから悪い奴とは言い切れない。
それを踏まえた上で、どういう対応をすべきなのか、かなり難しいと思う。
学年主任っていうのは、その学年を取り仕切るリーダーの先生のことね。
学年主任のベテラン、自分、後輩の三人で学年組んでるけどもうすでにしんどい。
何がしんどいかというと
校外学習とか学年での発表の時に基本全体指導をやらない。「若い人がやったら~」と言う。それは別にいい。やれと言われればやる。しかしこちらが指導していると、茶々を入れてくるのがうっとうしい
俺「〜を気をつけてね」
俺「(# ゜Д゜)イライラ」
やめろ
主任「俺くん、あれでok出したの、うーん、あれでokかあー、やっぱりどのラインでokか基準を学年で揃えておかないといけないよね」
俺(だから何かありますか、って聞いたがな。その時何も言わないくせに、後になって言うなよ!)
③誰がえらいとかいう
俺「コンコン、失礼します」
主任「俺大先生じゃないですか、おはようございます(大げさな礼)」
俺「…。連絡です」
教室でも「俺先生はえらい先生」とか言ってる。だから主任のクラスの子が、「誰が一番えらいの?」とか聞いてくる。
だまれ。
他にもいろいろあってしんどい。
4月に所属決める時に、俺とその後輩以外の若手は「主任と組むのだけはやめてくれ」と言ったらしい。それでこちらにお鉢が回ってきた。「俺くんも、主任と組みたくない、って校長に言っといたら」と言われたけど、ここまでとは思わなかったので言わなかった。後悔している。
それで結局主任のクラスは現在半崩壊状態。同じ学年だからこちらでフォローしないといけないことになった。
子どもで悩むことはあっても、同僚で悩むことがあるとは思わなかったな。
てめぇらが一生体験、体感することができないありがたい話をしてやるから
その腐った耳と目を使ってよく聞け、できねえならそのまま死ね
はてぶ、増田だけじゃねえ。
インターネットに運びいる有象無象の陰キャのカスオタク共。お前らもだ。
まずな、インターネットに運びいる可愛そうな陰キャのお前らに教えてやるよ。
お前ステージにあがってんの?
上がってないよな、毎日毎日観客席の下からうんこ垂れ流してご苦労さん。
お前らはな、一生「ありきたり」で終わるんだよ。
お手軽に毎日毎日やってんな。引用して、話して、コメントつけて。
は、、、、、、
毎日毎日ありがたい他人の作ったものを食ってうんこしてるだけ。
ゴミ。手のひらの上で踊ってる。
「お前ら、誰の人生を生きてんの?」
クソつまらんな、お前。
お前がひところ偉そうに言ってるそれ、「お前が作れるの?」
作ってる。書いてる。ブログ書いてるもーーん!!
じゃ、ねえんだよカス。
他人の作ったモンにクソを塗りたくってるだけだろ?
お前らは、なーーーーーんにも、何一つ生み出せてない。
偉そうに、ステージの下で騒いで、ステージの下で馴れ合ってるだけだ。
作れねえじゃん。
welqだかなんだかキュレーションだか、それ、お前自身の話じゃねえじゃん。
いつまで他人の話してんの?地位も名誉も肩書きもキャリアも全て奪ったとき、残るお前ってなに?
自分自身100パーセントでお前が生み出せるものなんて、なんにもねえじゃん。
そのくせ偉そーーーに、「つまんない」だの、ジェンダーだの、クソみたいな事を撒き散らす。
語らない価値を知らない。
そうやって、誰にもなれずに、クソみたいな小金だけを得て
誰かの作った料理を食って
誰かの作った音楽に踊って
誰かの作った物語に感動して
そうして、金を得て上質な何かに触れて、消費して、その上質な何かに触れている自分に価値があると錯覚する。
誰でもできることを、一生繰り返して、他人のものを食ってうんこを吐き出すだけの、クソ生産機だ。
お前らは「みんなの誰か」にはなれない。
予防線を張って、偉そうにまとめて、お前らはステージの下から、下から、全てが見えると思っている。
誰の話をしてんの?お前の話は?
消費したところで、レビューしたところでお前の価値はあがらねえよ。
お前は、カラッポでありきたりで、クソなんだよ。はげば何も残らない。
お前らは知らない。
注目を集める人間の苦悩を。唯一性をもって自分自身で勝負している人間の苦悩を。
才能を信じていいのかわからず、不安になりながら、自分自身だけで戦う人間の苦悩を知らず、
何も生み出せないまま、他人の作ったものを食ってクソをはきだすだけだ。
探せばgoogleにあると思っている。
お手軽にお前が批判する人間が、なぜ「反論しないか」知っているか?
クソダサイって知ってるからだよ。
お前らみたいなカスの一言にいちいち反応して反論するのがダサいって、知ってるんだよ。
その代わりに作り出して、それを無言で叩きつけるのが一番かっこいいって知ってるからだよ。
googleにないものを、そいつらは自分自身で勝負してるから知ってるんだよ。
まぁ、わからないだろうな。ステージに上がらなきゃ、わかんねえよ。
引用して引用して論理性を求めて、その分自分の人生から一生剥離して、
他人の上で踊れ。
他人の上に成り立っているお前の上位互換は、腐るほどいるからな。
お前らはわからない。
ステージに上にあがれない。
上がったことが無い。
会社や仕事やネットじゃない、多くの人間にその場の現実でみつめられて、
パフォーマンスをしたことがない。何かを盾にしている。
自分は何もできないくせに。
誰もお前のことを認知できない。
肩書きも年収もキャリアも学歴も他人の話も奪われたとき、お前は存在しない。
せいぜい誰かにとっての誰かで終わる。
みんなの誰かにはなれない。
よかったな。
そのまま、一生やってろ。
何もできないまま。
一生論理性を追い求めて、予防線を張って、他人の話をして、検索してろ。
ステージの上に立つことがいかに恐ろしいか。それでも全てを捨ててでも。
そして、そのまま死ね。
ーーーーーーーーー追記ーーーーーーーーーーーー
よぉチンカス共。
あがると思ってたよ、ホットエントリーに入ると思ってたよ。
お前らカスは、真実を突かれるとギャーギャー騒いで、誤魔化して、煙に巻いて、笑いものにしてなかったことにしようとする。
コンプレックス丸出しの、結局俺の言葉に、揚げ足取り繕って、そして下でギャーギャーやるだけのカス。
お前らみたいなカスは、どうでもいい。
そういうカスだ。
目に見えている物が全てじゃない。
コメントをつけないだけで、黙ってみているお前。
お前。「しゃべらなかった。コメントをつけなかった。つける気にならなかった」お前。
お前に向けて話をしたい。
これにギャーギャー言って騒いでるゴミはもう手遅れだ。
お前はまだ間に合う。
ケツの穴を俺に差し出せ。
お前は、熱量を信じるか。
論理性を捨てることができる、自分自身の話ができる熱量を、持っているか。
何をしたいのか、ステージにあがりたいのが、それとも、別に望んでいないのかは知らない。
「こんな風になりたくない」と思ったのなら、自分の熱量を信じろ。
方法論が知りたくなる。
ステージの上での、認められ方は、googleには乗っていない。
他人の話をするのでもなく、瞑想や方法論に頼るのではなく、自分自身の道を切り開くとき、お前の話は始まっていく。
そして、結果を残さなければ、目立たなければ、わかせられなければ、そのまま、降りて、またステージの下に還ることになる。
お前は、どれだけボコボコに殴られても、それでもビッグマウスでいられるか。
観客は忘れっぽい。動かなければ、すぐに忘れ去られるぞ。
お前が何かを叶えようとしたとき、googleに頼るのを、辞めろ。
遠回りでも、遠回りでも、その道を選べ。
自己啓発書を読むな。
読んだところで、お前はそいつには、なれない。
お前の道は、その本の先に乗っていない。
ステージに上がる前の、どこにも答えが書いてないものを探すとき、そのとき、己自身に答えがある。
血が冷えていく前の一瞬を信じろ。
無理をするな、休めといわれたときにこそ、手足が引きちぎられても、もがけ。
その先に見た答えが、お前の唯一性だ。
甘えるな。
熱量を信じるか。熱量を信じるか。熱量を、信じることができるか?
どれだけ馬鹿にされても、最後にビッグマウスでいろ。それを、貫け。
周りに、だんだんと自分より、「刹那的な誰もが体感できる娯楽を振りかざす連中」が出てくる。
惨めな気分だろう。惨めな気分になるだろう。
そのときこそ、何も語るな。
ビッグマウスでありながら、堅く口を閉ざせ。
その刹那的な娯楽よりも、お前が望んだ道の方が、誰もなすことができない瞬間だ。
インターネットじゃない。
全てを捨ててでも欲しい何かを得るためのの答えは、100億年経っても、googleには乗らないんだ。
自分自身で100回戦え。そして100回負けろ。
0戦0敗よりも、自分自身で戦ったお前は、誰よりも何よりも美しくかっこいい。
50点でも、60点でもいいから、お前の中にある自分自身を出せ。
頭の中じゃ、あらゆるものは傑作なんだ。
そうして、50点で笑われたら、そのことを、誰にも漏らさず小さく誇れ。
いつかの一回が、全てを。全てを。
熱量を信じることが出来るか。
熱量を信じることが出来るか。
論理性を捨て去れ。予防線を張るな。今まで身に着けてきた防具をはずせ。
語らないことの価値を知れ。
熱量を、信じきることができるか?
途中から紹介放送どうのじゃなくて、説の紹介を考えるの楽しくなってしまった。
(レギュラー)
みく。りーなよりは司会力がありそうなので、司会。
りーな。みくより司会力がなさそうなので、茶々を入れるポジション。
(ゲスト:五人ぐらいいるとガヤガヤ感が出るが、あまり尺がとれないのでインパクト強めの人がいいな)
楓。単発ゼリフで存在感を出せるといえば、だじゃれでキャラ立ちできるこの人。
桃華。説の前振りで「〇〇知ってますか?」に「知らない」と答えて「いやいやそれ前提ですやん」の流れをやっても違和感のないアイドルをチョイス。
ふみふみ。「これはありえるかもしれませんね」的なもっともらしいことを、もっともらしい顔でいえそうだから。
(プレゼンターと説)
プレゼンター:日菜子
日菜子が愛海の熱心さを紹介、みくにゃんも同意しゲストに愛海とのエピソードを聞く、
卯月が愛海との軽いエピソードを話す(その際にNGの二人が会話にだけでも出る)
愛海に「100m8秒で走ったら好きなアイドルのお山を自由にしていい」的なことを伝える。
「そこには真剣な瞳のうんぬんかんぬん」的な格好いいナレーション。
BGMに765の真の「フライトゥエブリウェアー」が流れながら、愛海がひたすらに黙々と100mを早く走るためのトレーニングをするシーンがくどいぐらい描かれて。
「棟方愛海の100m走の記録は「18秒45」」
スタジオに戻ってくる。
きらり「うきゃー、頑張る愛海ちゃんハピハピだにぃ」的なきらり語で愛海を褒める。
ふみふみ「そもそも、8秒台は女子の世界記録どころか、男子の世界記録すらも大きく超えてますから無理ですよ」
日菜子「ちなみに、このVTRの収録は一ヶ月前だったんですが、今日も愛海ちゃんはトレーニングしているそうです〜」
日菜子「愛海ちゃんからのメールによると今日のベストタイムは「18秒15」だったそうです」
日菜子「愛海ちゃん曰く「このペースなら十年後には!」だそうです」
みく「あきらめわるすぎだにゃ」
桃華「どう考えても無理ですわ」(ぶっちゃけ、スタジオに八人は多過ぎたわ)
ふみふみ「でも、この不可能に向かって頑張る姿こそ、アイドルがファンのみなさんに見せるべき(うんたらかんたらと正論のような綺麗事を並べる)」
卯月「ほんとうですね、負けてられません、島村卯月頑張ります!」(頑張ります)
楓「(ダジャレで締め)」
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
今すぐに思いついたのだと、二つあるかな。
一つは、義務でも何でもない、「誰でも出来る簡単なことを『継続する』」こと。
「継続は力なり」なんていう一見すると何てことない言葉が格言足りえるのは、それが一般的に大変なことだからだ。
例えば、君がこの匿名ダイアリーで内容は何でもいいから日記を投稿する。
これを気が向いた時々でいいのならばともかく、ほぼ毎日となると大分ツライだろう。
そういうものは仮に最初は楽しめても、やり続ければ飽きやすい。
義務でもない、自分がやろうと思えばいつでもやれるということは、自分次第でいつでもやめられることだしな。
誰でも出来ることが、誰でもやり続けられるものとは限らないということだ。
私だって一年以上このカテゴリを継続させていて、それなりに楽しんではいるものの、それと同時にいつやめてもおかしくないと思っているからな。
えー、そうだなあ……。
もう一つは義務でも何でもない、「誰でもできる簡単なことを『我慢する』」ことだ。
特に、「外部からの影響によってもたらされる衝動」を我慢する。
まあ、「我慢する」とまではいかなくても、「関心を向けないようにする」だとか、「エネルギーを割かないにようにする」だとかでも構わないが。
例えば私だと、「シン・ゴジラ」だとか流行真っ只中の時期に、そのテーマで一切語らなかったことかな。
センセーショナルなテーマというものは、「何かを語りたくなる衝動に駆られる」ものだろう?
知識や教養がなくても、千差万別の人々が衝動に駆られて色々と語るから、自分もその熱に煽られる。
他には、間抜けな内容が書かれたエントリや、挑発的な文章にブコメも何もせずリアクションをしないようにするだとか。
現に、観に行ってすらいないのに、「シン・ゴジラ」を語る人が多く出没することからも、影響力の高さが窺えるね。
周りを見渡しても「シン・ゴジラ」のテーマを扱ったエントリが目に付いていた。
そんな環境下で茶々の一つも入れない、ふざけてネタにすらしないって、とても困難なことだろう。
仮にそういう状態で語っても、まあそれなりの内容は書けるだろうけれど、衝動的なものだからね。
頭は回っていて、理路整然とした文章だとしても、それは普段の状態で書いたものとは性質が違うわけだ。
それはそれで、或いはそちらの方が面白い内容になる可能性もあるかもしれないが。
だが、そうやって動機に自覚がないまま書くということは、それは自分が好きで書いた文章ではなくなる可能性を持つということだ。
自由意志のもと書いた筈のものが、自分が書きたい文章ではなくなるってのは私からすれば不本意なのでね(もちろん、これは私の言動に後から付け足した理由だが)。
おっと、客観的にみた是非だとか、そういうことは君が考えればいい。
いずれにしろ、「誰でも出来る簡単なことを『継続する』」、「誰でもできる簡単なことを『我慢する』」、これらは間違いなく「言うは易く行うは難し」だろう。
もし両立できる人間がいるとすれば、すさまじい精神力といえよう。
もちろん出来たからいって、その事柄自体が誇れることかどうかなんてこと私は知らんよ。
……そういえば、これもテーマを取り扱ったうちに入るんだろうか。