はてなキーワード: 管理費とは
まぁ観光路線なんてシーズンや人数が限られるから、無理に公共交通機関でやらなくても旅行会社のツアーバスやレンタカーにお任せするのも選択肢かも知れん。
結局生活に必要な路線や時間帯を研究してニーズの多いところにバスを走らせる(マイクロバスでも可)のが一番安上がりじゃないのかな。電車は線路を引いて車両を整備して駅や信号を設置しなくてはいけないので不経済ではないかと思う。
一時期JR北海道の整備手抜き問題が騒がれたけど、いくら国鉄時代に作った線路や駅があるとはいえ、ただでさえ冬季の管理費用がかさむエリアですべての路線を維持するのは無理ではないかと思う。
どっちかというとJR北海道は「残すべき路線は何か」を考えて、採算の合うエリア以外どんどん廃止していかないと持たないんじゃないかな。路線を廃止することで不便をこうむる人をどうするかは、替わりにバスを走らせるなどして対策を考えないといけないけど。
勝手に話広げちゃったけど、こういうの考えるの面白いね。ただ、最大公約数の人に合わせて公共交通機関を作っても、それに合わせて動く人ばかりじゃないから、地方の車社会は簡単に変えられないと思う。
親は団塊世代で当時は給料も右肩上がりの時代で、それなりの中流家庭だったと思う。
兄が通っていた地元の塾に自分も行かせてもらい、兄は一足先に中学受験をして某私立中高一貫校へ進学した。
自分は最初の塾(兄と同じ)で、『御三家も狙える』と言われ、有名な大手進学塾へ通うようになった。
毎週土日のどちらかには親に連れて行ってもらって都内へテストを受けに行き、自分は純粋に楽しんでいたが、それに付きあう親は大変だったろうと思う。
そしてその頃から、どうやら兄は道を徐々に踏み外していったらしい。
具体的に中学生の兄の身に何があってそうなったのかは今でも知らない。
兄は万引きなど軽犯罪を繰り返すようになり、親が警察に行くこともたびたびあった(当時、自分にはそれらの事実は知らされなかった)。
自分と兄はひとつ屋根の下に暮らしていたが、部屋は別々で元々仲の良い兄妹でもなかったし、
自分は中学高校(御三家の一つに受かった)で良い友人に恵まれ学生生活を楽しんでいて、兄のことはほぼ眼中になかった。
ただ、それでも兄や両親を見ていて、『兄が道を踏み外しつつある』こと、『親が兄の対応で大変らしいこと』は雰囲気でわかった。
だから、自分まで親に負担をかけてはいけないな、と子供ながらに思っていた。
別に親のためにいい子でいようと思ったわけではない。
道を踏み外していく兄を尊敬できなかった、いや、心から軽蔑していた。ああはなりたくない、と思っていただけだ。
学校の友人の兄弟はみな出来が良くて、どこに出しても恥ずかしくない「まっとうな」人達で、比べると自分の兄が恥ずかしかった。
学歴なんかの問題じゃない、今でもそれで兄を差別する気はない。
犯罪を犯すこと(万引き以外にも路駐やら何かでしょっちゅう警察から電話があった。警察をバカにし、遵法精神などまるでなかった)、
それで親に多大なる迷惑と心労をかけていたこと、それを反省もせずにまた繰り返すこと。
兄の心理など知る由もないし、なにか彼の思春期に問題があったのかもしれない。
だがだからといって兄の行為が正当化される訳もない。繰り返すならなおさら弁護の余地もない。
私は心の底から兄を嫌い、軽蔑し、しかし表にはそれを出さずに、ただ兄とは接触しないようにしていた。
(なぜなら、兄は短気で暴力に訴える人間だったからだ。一度自分がそういった態度を見せた時、夜中に枕元に金属バッドを持ってすごんできたのは忘れられない。
そしてそういった基質もまた、私の兄への侮蔑をより強める結果になった)
そして兄は高校を(なんとか)卒業し、大学へは行かずにフリーターになった。
親はどこでもいいから大学へ行かせたかったようだが、兄本人が『大学でやりたいことがない』と進学しなかった(ここは兄が正しいと思う)。
ありがちな話だが、兄は音楽の道を進もうとしたらしい。バンドを組んで、いわゆるバンドマンになった。
音楽活動の実態は何をしてるのかさっぱりわからなかったが、さほど身を入れてやっている様子もなく、芽も出なかった。だが諦めきれないのか、フリーターをしながらだらだらと続けていた。
自分が高校を卒業し大学へ進学した後も、兄はその生活をしばらく続けていた。
そのうち、兄は一人の女性(Aさん)と知り合った。そして二人は結婚を考える仲になった。
Aさんはとても良い女性だった。自分や両親とも仲良くしてくれて、兄は大嫌いだがこんな姉ができるなんてほんとに嬉しい、ようやく兄が自分にとって良い行いをしてくれたと思った。
しかしここで、両親は最大の過ちを犯した。
何を思ったのか、兄にマンションを買い与えたのだ。親の名義でローンを組んで、兄と彼女の新居にしろと兄に与えた。
フリーターの兄に月々のマンションに係る支払が払えるはずもない。それはすべて親が払っていたのだ。しかも結婚も確定しないうちに買って与えた。
呆気に取られた。納得できないが親の気持ちになって考えてみれば、『Aさんに逃げられないように、住居が確定していれば結婚生活も楽になるだろう』ということだったのかもしれない。
『妹は大学へ行かせてやったのだから、兄にも何か与えねば』と思ったのかもしれない(しかし自分は国立大で、学費をトータルしてもマンション費用の20%にもならないのだが)。
兄は別に特段の感謝をする様子でもなく、当たり前のようにそれを受け取った。
そしてその後、結婚が決まっても一向に定職につこうとせずに自堕落な生活を続ける兄は、Aさんに愛想をつかされて結婚前に出ていかれた。
(兄はAさんに入れ込んでいたらしく相当なショックを受けていたが、自分から見れば当たり前だばーかとしか思えなかった)
この頃からだろうか、自分が『親は兄を贔屓している』と思うようになったのは。正確には、『親は兄を甘やかしている(自分には厳しいのに)』と感じ始めたのは。
自分は親に言われた。『私立大に行かせる金はないし仕送りをする余裕もないから、家から通える国立大にしろ』と。
親の言うことに従おうとしたわけではなかったが、自分の行きたい大学はその条件を満たしていたので、結果として親ののぞみを叶えた形になった。
しかし心のどこかに、『親ののぞみを叶えたい』という気持ちがなかったとは言えない。兄で苦労させられている親を見てきて、自分だけは親が誇れる子供でいようとしたのかもしれない。
通おうと思えば通えたが、一人暮らしに憧れていたこともあり、親の援助は一切受けずに一人暮らしを始めた。貯金とバイトでなんとかまかない、4年間それを続けた。
親が兄にマンションを買い与えるまではそれも納得していた。だが、親がそれをした時、自分の中で不公平だという気持ちが生じた。
根底に『「親に迷惑ばかりかける穀潰しでろくでなしの」兄に、なぜそんなに金をかけて甘やかすのか?』という考えも当然あった。
自分にとって兄は「いないほうがマシ」で、存在する事で何もいいことがない、迷惑なだけの存在だった。
グレてようがフリーターだろうが、優しい兄なら愛せたろう。だが、兄としての優しさを見せてくれたことなど数える程もない(その数回も小学生以下の時だけ)。
家庭を持って子を為し、親に孫の顔を見せて安心させてくれたなら、「普通」で「まっとう」な人間になってくれたなら、それで兄を見直すこともできただろう。
しかし兄は正真正銘のクズなので、逆の道にしか行かなかったのだ(それについては後述)。自分が兄を見直す機会はおそらく死ぬまで来ないだろう。
(余談だが、なかにし礼氏の小説の再現ドラマ(兄との関係を描いたもの)を見た時、心からなかにし礼氏に共感した。自堕落でお調子者で弟にとって迷惑な兄。
なかにし礼氏が兄の葬式後につぶやく、『兄さん、死んでくれてありがとう』がわかりすぎて辛かった。
何年先かわからないが、おそらく自分も兄が死んだ時、『死んでくれてありがとう』と心から思うだろう。自分が先に死ぬかもしれないが)
Aさんに逃げられた後、しばらく兄は自堕落な生活をしていた(親が金を払っているマンションで一人ぐらし)。
自分は何度も親に『マンションから出て行かせろ、でなければ兄は自立できない』と言ったが、親は『そんなこと実際にできるわけがない』『目の届かないところに行かせるほうが不安だ』と言って聞かなかった。
この頃から、自分の中で『兄が駄目になったのは親の(甘やかしの)せいではないのか』『親は己の見栄しか考えてないのではないか』という疑念が湧いてきた。
やがて自分は大学を卒業して、氷河期の中なんとか上場企業に就職を決めた。
希望の会社からは内定が出ず、文系でプログラムなど全くわからないのにSEになることになったが、就職できただけでよしとするしかなかった。
親の反応は『とりあえず上場企業だから、外への体裁が整った』というものだった。親にとって自分は見栄のための存在なのだなということが、徐々にわかってきていた。
同じ頃、兄もようやく某リフォーム会社で営業として働きはじめた。
兄の営業成績は良かった(もともと外面だけは良い)ので、いっときは小金持ちになれたらしい。外車を買ったが、マンションの金を親に返す気はさらさら無いようだった。
その外車がポンコツなのかあるいは外車とはそういうものなのか、しょっちゅう壊れて修理代がかかった。あまり乗らないせいもあっただろう。
乗らないのなら売ればいいのに『売っても二束三文にしかならない』と兄は言い張り、親はなぜか修理代を肩代わりして払ってやっていた。
(散々修理代を払って直して、最後にはやはり壊れ、ろくに乗りもしないままに結局二束三文で売ったようだった)
マンションの支払いは親が続けていた。このころようやく、月々の管理費や積立金などの維持費だけは兄が支払うようになったようだった。
そのうち、バツイチ子持ちの女性Bさんと知り合い、今度は結婚した。Bさんについては自分はほとんど知らない。
その頃自分は向いていない仕事かつ長時間労働で心身を病みかけており、朝焼けの街を徹夜明けで泣きながら一人家路についたりしていたので、兄のことなど構う暇もなかった。
結婚式には一応出た。ストレスで過食気味になりむくんだ顔の自分が愛想笑いを浮かべて写っている写真は見返したくもない。
兄の結婚になんの感慨もなく、『これで普通の人間になってくれれば』と願っただけだった。兄に望むただ一つのことは『普通の家庭を築いてくれ』で、それ以上は望まなかった。
営業成績が良いのに浮かれ、独立すると言って仕事を辞めた兄だったが、ろくなノウハウもない個人のリフォーム営業がそうそう上手く行くわけもない。
あっという間に生活は行き詰まり、さっさとBさんに逃げられた(どうやら浮気されていたようだが、それを追い詰める気力もなかったようだった)。
そしてまた、マンションで自堕落な生活に戻った(もちろんマンション維持費は親払いに戻った)。
自分はずっと『兄を甘やかしすぎだ、マンションから追い出せ、マンションを売ってしまえ、でなければ兄は自立しない』と親に言い続けていたが、ずっとでもでもだってで聞き流された。
『(万引きなどの)前科があるから、追い出したら何をするかわからない。もっと悪いことになるかもしれない』『どれだけ言ってもあいつはこちらの言うことを聞かない』。これが親の言い分だった。
しみじみ、親も兄も情けなく、どうしようもないと思った。『お前は冷たい』と言われた。
『そもそも最初にあれが道を踏み外した時、お前の中学受験にかかりきりで、親としてろくに関わってやれなかったのが悪かったから』と。
そう言われて自分にどうしろと? 責任を感じろというのだろうか? もうとっくに成人していい年になった兄を憐れめと? 親でもない自分がなぜ親と同じ感情を共有せねばならないのか?
『ずっとそう言い続けて兄を甘やかして、それで状況が好転したか? 好転する見込みがあるというのか? 兄の自立を妨げているだけではないのか?』
そう言っても、親は同じ言い訳を繰り返して兄への甘やかし(マンション与え)をやめようとしなかった。
自分の中で、兄への嫌悪と親への嫌悪の比率は徐々に逆転していった。兄がどれほどのクズだろうが、どんな人生を送ろうがもはやどうでもいい。
自分と同じ親のもとで、恵まれた環境で育ったにも関わらず、兄は自ら堕ちていったのだ。兄の人生は兄のもの、好きに生きればいいしどこでのたれ死のうが勝手にすればいい。
兄よりも、そんな兄を甘やかし続ける親のほうに不信と不満が募っていった。なるほど、親がこうして甘やかすから兄は更生できないのだと納得した。
そして『兄が自分よりも甘やかされてる事実』にどうしても納得できなかった。自分を特別扱いしろというのではない、兄を特別扱いするのが耐えられなかったのだ。同じ子供として平等に扱ってほしかった。
自分の大学時代、兄は親が与えたマンションでゆうゆうと一人暮らしして、自分は仕送りを一切受けられずに生活費のすべてを自力で稼いだ。
就職してから、兄は親が与えたマンションで好き勝手に暮らして、自分は親に金を入れていた。家に金を入れるのは当然だと思う気持ちもあったが、理不尽だと思う気持ちはどうしても拭えなかった。
その気持ちに耐えられず、『兄と比べてあまりにも不平等だ、兄にも金を支払わせろ、兄を甘やかすのもいい加減にしろ』と泣いて言ったら、『じゃあこれからお前も金は入れなくていい』と言われた(そうじゃないだろ)。
家庭のことや仕事のことなど色々あり、結局自分は新卒で入った会社を3年ほどで辞めてしまった。親に『30までにやりたい道(フリーランス)で食っていく目処をたてる』と誓い、宣言どおりに28で目処を立てた。
兄は親が見つけてきた非正規パートの仕事をなんとかこなし、その頃にはそこそこ年季も入って板についてきていた。新しい彼女(Cさん)もできたようで、マンションで一緒に暮らし始めた。
だが、そんな矢先。兄が、クスリで捕まった。
最初に一報を聞いた時、親はともかく、自分は『まあ、あるだろうな。やっぱりな』としか思わなかった(基本的に兄の人格を信頼していないので、何を起こしたと聞いても『やりかねない』としか思わない)。
もちろん家族の誰も気づいていなかった。家族の目の届かないマンションでずっとやってきたものらしい。
自分は『言わんこっちゃない、だからマンションから追い出せとあれほど言ったのに、甘やかし続けた結果がこれだ』と親に言った。親は『そんなこと今更言っても仕方ない』としか言わなかった。
そこからの詳細は省くが、兄は執行猶予がついて戻ってきて、兄を見捨てなかったCさん(菩薩かよ)と今でも親の与えたマンションで暮らしている。Cさんが見張っているので再犯はないと思いたい。
Cさんには敬意と感謝しかない。彼女がいなかったら兄はもっとだめになっただろう。
しばらくCさんに食わせてもらっていた兄だが、今はまた派遣で職について、そこでの仕事も軌道にのってきたようだ。今度こそは歳も歳なので落ち着いたと思いたい。
(ちなみに、また維持費だけは払うようになったが、購入費は一切払っておらず、名義は父のまま。毎年実家よりも高い固定資産税を払っているのも父)
兄はもうどうでもよく、二度と犯罪を犯すなCさんにだけは迷惑をかけるなCさんだけは大切にしろとしか思っていない。
残念なことに、自分の中で兄の見方が変わることはこの先死ぬまでない。今の兄と表面上でも付き合えるのはCさんあってこそだ。Cさんを姉と慕っても、兄を兄と慕うことは生涯ない。
きょうだいは他人の始まりとはよく言ったもので、兄への気持ちはもうこれでいいと落ち着いている。
だが、「未だに」なのか、「今だからこそ今まで積もり積もったものが」なのか、自分の中で親へのわだかまりだけはどうしても消えない。考えると落ち着かず、心がざわつく。
もう親も老い、自分もいい年だ。親も人間であり、それも見栄っぱりで子供を平等に扱わず贔屓するようなできの悪い人間だったんだと納得するしかないとわかっているのに、
自分はどうしても、親に『自分たちが間違っていた』と言ってほしい。子育ての過ちを認め、自分がどれほど辛い思いをしたかを理解し、悪かったと謝ってほしい。
だが、過去に喧嘩した時の経験から、親は絶対に自分の過ちを認めない、ましてや子供から言われる言葉を決して正面から受け止めないとわかっている。
『それが親に対して言う言葉か』『何様のつもりだ』『はいはい、全部こっちのせいだって言いたいんでしょう』…そう言って絶対に絶対に自分の過ちを認めない。老いた今、なおさら頑なになり認めないだろう。
自分は自分なりに、親の期待には応えてきたと思う。教育で親に金をかけてもらった事は感謝しているが、それだけの成果をちゃんと出し、結果をだした。
なのになぜ、自分は兄と同じに扱われなかったのだろう。自分だけが要求され、応え続けねばならず、それなのにそれを評価もされなかったのだろう。
これを言うと嫌な人間だと思われるだろうが、客観的に見て自分のほうが親に貢献しているしまともな人間として育った(少なくとも前科ものでなく、親に迷惑をかけていない)という自負があるだけに、やるせない思いがある。
本来なら自分のほうが親に贔屓されて然るべきではないのかという思いがあることは否定しないが、贔屓してほしいとは言わないしするべきでもない。
ただ自分に求めるものは兄にも求め、兄に与えたものは自分にも与えてほしい、子供の間に差をつけないで平等に接してほしかっただけだ。
男女の差だというのならばなおさら、兄には『長男』としての役割と責務を求めるべきだったろうに、なぜ私が長男の役割も果たさねばならないのだろう。
兄が結婚した時、自分は『兄が孫を作ってくれたらそれだけが兄の親孝行だ、自分にも兄がいた意味がある。せめてそれくらい孝行しやがれ』とわずかに期待したが、兄は子供を作る間もなく離婚した(そもそも作る気もない)。
母は自分にだけ言う、兄には絶対に言わないのに、『老後の楽しみがほしい、孫が見たい』と。
子供はジジババの楽しみのために産むもんじゃねえし産んでおしまいじゃない、何ならあなたがたが育ててくれんの? 育てる金あるの? と応えたら沈黙した。
そんなに孫が見たいなら兄に言ってくれ、男なんだから自分よりよほど確率が高いだろうと言ったら、『あの子に育てられるわけがない』。『何を言っても無駄』と言って、兄には20年以上何も要求しない。
『精子バンクとかあるでしょう』『50歳で産んだって例もあるし』とまで言われた日には本当に失望した。
50歳で産んだ女性はほぼ卵子提供で母方の遺伝子は入らないし、養子じゃ嫌だってんならそれ(母方の遺伝子が入らない)も嫌なんだろうに。
そもそも出産までにどれだけ苦労したか(流産だって何度も経験してるはず)、不妊治療にどれだけお金がかかったかわかってて言っているのか、そして不妊治療と高齢出産がどれだけ母体に負担がかかると思っているのか。
娘の体など、自分の楽しみのためにはどうなってもいいのだろう。
孫の立場にしたって、父親がいない家庭に生まれることになるのだが、そういったことを考えてもいないのだろう。ただ、自分が欲しいから、だ。
私の結婚も、自分の見栄だけのためにしてほしかったらしい。大切なのは見栄と体裁で、娘の幸福などどうでもよかった。
『結婚しない女はなにか問題があると思われる』なんて言われても、それはあなただけの醜い価値観だろう、未婚率が三割の時代にそんな事思うほうが少数派だ。
図らずも未婚女性への「己の偏見」を曝け出したことにも気づかずに、『あなたのために言っている、それが世間だ』などと諭してくる醜さ。兄にも同じことを言えばいいのに。
『結婚しろ』と言われるのが嫌で、それを避けるために誰でもいい、一回結婚さえすれば文句を言われまいと思って結婚したけれど、上手く行くわけもなく2年も経たずに破綻。
(付き合っていた人とは、兄の事件で別れざるを得なかった。結婚した人には家族ぐるみで兄のことを隠した。そんな結婚うまくいくわけもなかったし相手には申し訳ないことをしたと思う)
その時の言葉も『せめて2年は持たせろ、外聞が悪い』『相手の親に私(母)の顔が立たない』『どうせお前のわがままだろう』…出てくるのは己の見栄と体裁のための言葉だけで、一度も娘の心情を慮る言葉は出てこなかった。
兄が同じように2年程度で破綻した時、兄に同じ言葉を突きつけたなら、そういう人なのだと納得もできたかもしれない。だが、兄の離婚に関して親は兄に何も言わなかったのだ。
依頼された仕事が終わって以降、どうにも落ち着きが悪く、未だに引きずってしまっているので文字にでも起こしてなんとかこの気持ちを整理して供養したいと思います。
私はグラフィックの専攻生ではありませんでしたが、デザイン学生時代に授業でイラストレーター・フォトショップの使い方を一通り学び、WEBデザイナー・コーダーとしての実務を1年ほど積んだ経験があります。
実務経験が浅く、あまり難しいことはできませんが、簡単なDTPデータ作成や、簡単なWEBサイトのデザインやコーディングなら行えます。
今はほとんどデザインの仕事はせず、平日週5でOLをやってます。
新規開拓のベンチャー企業で、開業に付随する印刷物デザイン・ウェブサイトデザイン構築全てを任されました。
制作物は以下の通り。
・フライヤー片面A4
・パンフレットA5 8P
・イラスト 2点
・名刺 片面
制作期間は全てを1ヶ月半で。
「お金がないから5万円で!」とお願いをされ、そんなに沢山作るしあんまり時間もないのに5万か…とは思うものの、自分の技術は素人だし、頑張る友人を応援していたので、「本当はもっともらいところだけれど、出世払いでよろしくね!」と引き受けることにした。
もちろん、日中はOLとして働いているので平日昼間の作業はできないことも伝えてあります。
友人なので、お互い思ったことは何でも言い合い、まずはイラストの作成からでしたが、何度も修正しながら作り上げました。
はじめこそ、友人として、彼の新規事業を応援したい気持ちが強く、やる気満々で作業に取り組めていた私ですが、こだわり気質の友人からのOKはなかなか出ない。
友人には完成イメージがあるので、それに近づけてゆく作業でしたが、彼の完成イメージも最初からある訳ではないので、そこへたどり着くまでがほとほと長い。
イラスト2枚の作成に休日丸3日、ウェブサイトのデザインとコーディングには1週間ほどかけた、と思うが実際どの程度時間がかかったかは覚えていない。日中OLの仕事が終わっても、毎日3〜4時間ほど打ち合わせや作業をしていた。
ウェブサイトは今後私が管理するにしても、管理費は出ないので、できるだけ私が管理しなくても良いよう、wordpressを使って、簡単に更新ができるような構築に。
通販もしたいが、アマゾンや楽天での委託では手数料が多く取られ赤字になってしまうと言うので、作成したサイトにウェブショップのシステム導入を提案し、通販できるような仕組みを作成した。
はっきり言ってもうこの辺りで完全にやる気が出ない。もう5万円の作業量はとっくに超えたんじゃなかろうか。
そんな気持ちが日々頭の中を巡るようになっていました。
まず中身の文章データや、グラフや写真の画像データが一向に届かない。どんどん締め切りは迫っていくし、それらのデータがどんなものなのかも知らされていないのでなかなかデザインも進まない。私が知っているのは大雑把に各ページの概要だけ。
本来であれば事前にしっかりと全体イメージを把握し、そういった素材が全て完成した状態でデザインラフをあげ、作成していくのが順序だとは思うのですが、彼はオペレーション意外にも仕事が忙しく、しっかりとしたイメージ共有など、そのような手段は取れませんでした。
写真データを使える画像にするために加工をするところから始め、レイアウトを考え、やっと見せられるデータになるまで3日。
修正を加え、納得してもらえるデータになるまで4〜5日。「今日絶対入稿して」と言われ、データを変換し、入稿用データを送る。
日中、入稿後のデータチェックで変換ミスの連絡があり、帰宅後修正し、再入稿。
同じようにフライヤーも作ったが、フライヤーに関しては「2日で入稿して」と言われた。おおよその情報はもらっていたが、細かな文言などは自分で考えてと言われた。
とにかく急かされ確認用データを送ると、スペルミスがあり、修正。
更に追加でウェブ用の画像も作成し、セミナー告知のためのページを作れとのこと。今日中に必要なのですぐ作ってくれとのことなので、平日帰宅後すぐ作った。
完全に私は疲弊していた。
どれだけやっても、急いで作業をしても、もらえるお金は変わらず5万円。
不満は溜まるばかりだった。
プロのデザイナーをしている友達が忙しそうだね、と声をかけてくれたので相談したところ、 「ありえないよ、最低50万の仕事量だよ!?ちゃんと値段交渉しなよ!1人でこなすの大変だし、いつでも手伝うから言ってね」と言われた。
手伝いを依頼したいのはやまやまだったが、そもそも5万円しかデザイン料に割けないと言われているところで、プロのデザイナーである彼女へお給料を払える余裕は無いと判断。本当にありがたかったが、手伝ってもらうのは諦めました。
それと同時に、プロだったら50万円ももらえる仕事だったのか…と思い、相場を調べ、自分の技術が無いことを加味しても、おおよそ15万円ほどならもらっても良いのではないかと思った。せめてそれぐらいの働きをしている、と私は思っていた。
給与に関しては、聞いていた日に入金が無かったので、友人の会社の事務の方へ直接連絡したところ、翌月の振込になるとの回答だった。
制作代で必要な分があれば別途請求を立てるようにも言われたので、もう少しお金をもらっても良いものなのかな、と少し希望がわいた。
彼の言い分はこうだ。
・給与の不満が多く、やる気が見られない
・やってあげているような傲慢な気持ちで作っているように感じる
・本当に応援してくれているのか疑わしい
・自分達はプロとして仕事をしている 私の犯したミスはプロではあり得ないものばかり
・私が日中仕事をしているので修正依頼しても、結局夜にした入稿できず、一箇所修正に丸日かかることが不満
・社長がフライヤーのデザインに満足していない 期限もないので印刷したものはこのまま使用するが、作り直しをする
・プロに依頼するのであれば、それ相応の額を支払っていたが、私への依頼だったため5万円だった
・依頼したので5万円は払うが、もう5万円払うのも不本意である
・友人関係は今後も続けたいので、お互いにリスペクトの精神を忘れないようにしよう
私はもう反論する気力もなかった。この後私が何を言ったかもう覚えていない。
それほどまでに疲弊していました。
よくわからないままその日は眠り、翌日友人に言われたことを考え始めると、悔しくて悲しくて涙が止まりませんでした。
たしかに私はプロではないし、クオリティが低かったのだろうと思う。
それでも全てのデータを逐一友人にも社長にも送り、確認してもらい、OKが出るまで修正していた。
コピーも自分で考えて入れてと言われたので、私が入力した。誤字脱字が不安だったし、誤入力があってはいけないので確認をお願いしたが、その際に発見された誤字脱字もプロだったらありえないミスだ、とのこと。
そりゃ私みたいな素人がプロクオリティのデザインをできるなら良かったんでしょう。でも私はプロじゃない。自分の技術不足なんてわかってはいるけれど、素人だからという理由で依頼をしておいて、あんまりな言われようだと思った。
全ての作業が終わるまで、2ヶ月ほどかかった。私の日給は1000円にも満たないのだと思うと、また泣けてきた。パンフレットやウェブサイト、名刺はこれからも使い続けるそうだ。彼らは日給1000円にも満たないお給料で私に作らせた商品でこれからお金を稼ぐらしい。
何より「デザインにお金をかけられない」という理由で私以外には頼めないものだと言われて引き受けた仕事だったけれど、本当のところは「プロに依頼するならそれなりのデザイン料は出せるが、私だから5万円以上は出さない」という方針だったことがショックだった。
私の仕事には日給1000円、時給にしてしまえば125円の価値しかないと、最初から思われていたのだ。
時給125円の価値しかない私に「やってあげている」ような態度を取られるのは、さぞ癪にさわることだったろう。
その程度の私が「お給料をあげてほしい」などと言うのは、身の程知らずだったのだろう。
彼は「仕事をさせてあげている」私が、不満を持って仕事をしていることが許さなかったのだろう。
私は彼から事業の話を聞いた時、絶対に成功してほしいと思った。だからこそ、5万円で仕事を請け負ったし、彼の要望には出来る限り応えられるよう対応してきたつもりだった。
大したクオリティは無いが何でも言うことを聞いてくれる、時給125円で仕事をさせてあげている便利なやつだったんだろう。
そんなことにも気付かず、自分の時間を削って仕事をしていた私は本当に馬鹿だ。
傲慢な態度が嫌だと言われたが、最近から最後まで傲慢だったのは彼のほうではないか。
互いにリスペクトし合って友人関係を続けようと言われたが、ずっとリスペクトなんかされていなかった私がどうやって彼をリスペクトすれば良いのかわからない。
彼はとても良い友人だった。
どんな悩みも打ち明けることのできる唯一無二の友人だった。
彼は「言いにくいこと全部言うけど」と前置きしてこれらを私に言ったが、彼には「言いにくくても言うべきこと」と「言ってはいけないこと」の区別がついていないのだろうと思う。
昔の私ならきちんと指摘できたと思うが、もう私は彼と関わりたくない。
彼は私に「友達だから」思ったことを素直に言ったのだろうと思います。彼は私を「時給125円以下の女」扱いしていることに、たぶん気付いていません。
誤解の無いよう書き留めておきますが、彼は悪気のある言い方を一切しませんでした。しっかりと言葉を選んで、本当にただ、私の悪いところを指摘して改善してもらいたかったんだと思います。
ただ素直に私への評価を伝えてくれました。「大した技術もなく時給125円以下の価値しかないくせに傲慢で偉そうで金の話ばかりしてくる女」だと。
私は彼の進めているプロジェクトを高く評価していました。だから安い金額でも、こんなむちゃくちゃな仕事をなんとか頑張ることができました。
私を選んで依頼してくれた彼に、私が彼に対して思うように、私を評価して欲しかっただけでした。それが傲慢だったということなのでしょう。
彼らは今後も夢に向かってひたむきに走り続けるのだろう。
是非がんばってほしい。
今後何か困ったことや酷いことがあったとしても、全て私のせいにして生きていってほしい。そう思うことで彼らが楽に生きられるのなら。
これからもし、「ただ安く済ませたいから」という理由で人をこき使おうと思っている方に知っておいて欲しいのは、「人間は評価された分しか返せない」ということです。
やる気の問題ではありません。根性論なんて糞食らえです。あなたが傲慢にも「使ってやっている」という気持ちで雇った誰かは、あなたに「使ってもらっている」なんて有難がることは一生ありません。
仕事を受けようと思っている人はきちんと自分の価値を見定めてください。自分が満足するだけの評価をもらわない限り、自分の満足する仕事なんて一生できません。ただし、自分への評価を傲慢にしてはいけません。冷静に力量を見極めた上で、価値を探してください。
「評価=お金」ではありません。人間は不思議なもので、きちんと評価を受けていると感じられるのであれば、希望のお給料より少し安かったとしても力を発揮できます。そこにきちんとリスペクトがあれば、です。
私は「尊敬する友人に時給125円以下だと思われていた」という事実を一生抱えながら生きていかなければなりません。冒頭「この気持ちを供養する」と言いましたが、恐らく一生供養なんてできません。
本当につらいです。私には最低賃金の価値はおろか、1時間働いたって自販機で缶ジュースを買うこともできない程度の技量しかない人間なんだと言われたのです。
死にたいと思いました。死んでやろうかとも思いましたが、同情してくれる恋人や友人が僅かばかりいたのでなんとか生き延びてしまいました。
それでも今こうしてこんな長文ブログを書いてしまうぐらいに悔しくて悲しい気持ちは一生忘れません。
かと言ってもう「技術を磨いてすごいデザイナーになっていつか見下してやる!」なんて上昇志向も持てません。
時給125円以下の技量しかない私は、今後デザインなんて一生しません。
管理費・修繕積立金滞納する住人が多くて組合で弁護士雇ったり、
ヘンな住人が多くて数年で売却した。
しかも↑こういうコトって売却時にある程度申告しなくちゃいけなくて、
売主見つけるのに苦労したわ。
月6000だとして年72000円か
ってアパートで分譲ってあるんか…?
まあマンションの話だとして
例えばネット止まったり、水道止まったら連絡すりゃいいだけだし。
そこそこ高い場合は管理人が常駐だったりして防犯に効果大きいし
逆にこれを金出さずに自分でやるのって
相当余暇が削られるぞ
好きならいいけどな
年収の多寡は置いといて、6年前にマンションを買って良かったと思っている側の意見も書き残しておく。
■購入時の状況
購入前の住居は23区内、駅近(徒歩3分)、築20年くらい、6階建ての4階、2LDK(50m2)で12.5万。
不満は少なかったが、ハザードマップ上は危ない立地。
■購入を決意した理由
子どもが生まれるし、もう少し広くてハザードマップ上安全なところに住みたいという妻の希望。
保育園入園を考えると現住所付近だと少し厳しい。動くなら早めに動きたい。
■購入したマンション
同区内、3LDK(70m2)、築20年、5階建ての3階、2,500万の物件
ハザードマップ上はかなり安全(高台、地盤よし)。保育園も運良く最寄りに入れた。
■購入してよかったと思えるところ。
2,500万を0.7%、変動金利でローン組みました。
返済金額+管理費+修繕積立金+固定資産税で9万/月程度。ローン地獄のリスクはあれど、賃貸時よりも固定費を下げられたのは大きい。
新興住宅地ではなかったので、地元の人多めで心配だったがキチガイには当たらず(これはただのラッキー)。
新築で無かったので、内見で時間を変えて見にいったり、賃貸の場所からも自転車で行けたので夜見に行ったりして安心した。(隣人を確認できるのは中古の良いところ)
物件もたまたま良いのを引けたので大きなトラブルも無く、不満も少ない。
住宅費を下げられたのはやはり大きい。住宅ローンの為に働いている(転職しにくい)感覚も無く、選択肢が広がっていると感じている。
固定費下げられたので貯金も出来、ローンを一括で返せる程度の貯金も出来た。
価値観はそれぞれなので一概に買うのが良いとは言えないが、どこかのだれかの参考になれば。
はてブにあった現在の駅からの距離は書き忘れてましたスイマセン。
お察しの通り、徒歩12分くらいです。(近くも遠くもないギリギリ。)
もしくは別の駅ですが、家から徒歩3分のところのバス停から4-5駅で行けます。
駅近物件では無いですね。
地方の政令指定都市で築44年のマンションに住んでいるわたしが築古マンションで経験したあれこれを書いてみる。(賃貸だけど組合の議事録は郵便受けに投函されるので見られる)
まとめると直近の住心地としては快適だし組合の様子を見ている限りあと10年は住めそう、でも20年後はどうなっているかわからない、という感じ。これだけ古い物件を個人が居住用に買うのはさすがに不安なので、今後は賃貸の住戸が増えていって利益確保のため管理や修繕のコストはじわじわ削られていくような気もする。
そら、40-30万が10万になったり5万になれば妬まれますわな
でも都民面しても都内に昔から住んでないと申し込めないからごめんな?
中堅所得者住宅の一例
家賃:57,600~105,400円
なお近郊の物件
築42年 / 13階建
18.8万円 (管理費 17000円)
築12年 / 地下1地上25階建
30万円 (管理費 20000円)
両親(双方60代)と実家で同居しています。一人暮らしの経験はありません。
職場は車通勤で自宅より20分です。異動の可能性はありません。
貯蓄は預金で約200万円、株で約200万円持っています。また父親から500万円を借りており、株主優待タダ取り用としてプールしています。
父親には年50万円返済しており、それを小遣いとして使っているようです。
昨年私の名義で購入しました。35年ローン、残額は2500万円、管理費と合わせて今は年110万円の支払いをしています。
両親は現在のところ動ける程度には元気で、双方アルバイト中、手取りで2人合計年平均200万円、また年金も手取りで年100万円あります。
貯金はほぼないと聞いていますが、おそらく預金と投資信託などで500万円くらいは持っていると思います。
元気とはいえ2人とも70歳目前、また父親が耳の病気で治療中、年平均50万円程が必要になっています。
また両親はどちらも車を運転できません。
私には趣味があり、休日の半分くらい、平日の就業後も月に2日程度はそれに費やしています。
関西在住ですが、名古屋や東京、各地方に行くこともあり、趣味には年150万円程の出費をしています。
趣味に費やす以外の休日は、親の買い物や墓参りなどの用事の為に動いています。
(徒歩圏内にスーパーはありますので、現状では平日の買い物は可能)
両親とも特に趣味という趣味はないようで、母親は家事の合間にテレビ、父親は仕事から帰ってきてYoutubeやHulu?アマプラ?を見て過ごしています。
強いていうなら、母親は週1〜2程度の外食を楽しみにしています。外食には車で連れて行きます。
転職や一人暮らしをしたい理由と思い当たる懸念点を列挙してみました。
・仕事そのものが以前より自分に合わないと思っておりストレスがかなりある、また同時に仕事に飽きてきていて、違う仕事をしてみたくなっている
・近い将来社長の代替わりがあり、会社の将来に幾分かの不安がある
・違うことがしてみたいと思いつつ、特に何がしたいということはない
・特になにかスキルがあるわけではないので再就職できるのか、また続けることができるのかの不安が強い
・母は今の業種への就職を喜んでくれたので、転職したいと言い出しづらい
・拘束されない/家で自由にひとりで時間を過ごせる休日がほしい
・お付き合いしている女性が東京にいるので、可能であれば東京で住みたい(始まったばかりなので続くかどうかはわからない)
・両親は車の運転ができないので、買い物や墓参り、外食の日常生活に支障が出る
・初めての一人暮らし(これは慣れの要素が大きい気がしますが)
正直両親は私がいる前提で生活サイクルを構築しているので、私がいない生活は想定していないと思います(私もそうですが)
また両親は今は働いているので収入がありますが、今後働けなくなったときの生活は彼らの貯蓄と私の収入に依存することになり、今の時点で住宅ローンプラス家賃を払わないといけないのが今後に響いてくるような気がします。
そのようなことも含め不安材料が多すぎて今まで躊躇してきたのですが、正直職場の合わなさへのストレスが相当なものになってきました。
自分に合う仕事が何かというのはまったくわからないので、いろいろチャレンジしてみたいとは思っていますが、そんなにうまくいくものなのか?という不安もあります。
両親(双方60代)と実家で同居しています。一人暮らしの経験はありません。
職場は車通勤で自宅より20分です。異動の可能性はありません。
貯蓄は預金で約200万円、株で約200万円持っています。また父親から500万円を借りており、株主優待タダ取り用としてプールしています。
父親には年50万円返済しており、それを小遣いとして使っているようです。
昨年私の名義で購入しました。35年ローン、残額は2500万円、管理費と合わせて今は年110万円の支払いをしています。
両親は現在のところ動ける程度には元気で、双方アルバイト中、手取りで2人合計年平均200万円、また年金も手取りで年100万円あります。
貯金はほぼないと聞いていますが、おそらく預金と投資信託などで500万円くらいは持っていると思います。
元気とはいえ2人とも70歳目前、また父親が耳の病気で治療中、年平均50万円程が必要になっています。
また両親はどちらも車を運転できません。
私には趣味があり、休日の半分くらい、平日の就業後も月に2日程度はそれに費やしています。
関西在住ですが、名古屋や東京、各地方に行くこともあり、趣味には年150万円程の出費をしています。
趣味に費やす以外の休日は、親の買い物や墓参りなどの用事の為に動いています。
(徒歩圏内にスーパーはありますので、現状では平日の買い物は可能)
両親とも特に趣味という趣味はないようで、母親は家事の合間にテレビ、父親は仕事から帰ってきてYoutubeやHulu?アマプラ?を見て過ごしています。
強いていうなら、母親は週1〜2程度の外食を楽しみにしています。外食には車で連れて行きます。
転職や一人暮らしをしたい理由と思い当たる懸念点を列挙してみました。
・仕事そのものが以前より自分に合わないと思っておりストレスがかなりある、また同時に仕事に飽きてきていて、違う仕事をしてみたくなっている
・近い将来社長の代替わりがあり、会社の将来に幾分かの不安がある
・違うことがしてみたいと思いつつ、特に何がしたいということはない
・特になにかスキルがあるわけではないので再就職できるのか、また続けることができるのかの不安が強い
・母は今の業種への就職を喜んでくれたので、転職したいと言い出しづらい
・拘束されない/家で自由にひとりで時間を過ごせる休日がほしい
・お付き合いしている女性が東京にいるので、可能であれば東京で住みたい(始まったばかりなので続くかどうかはわからない)
・両親は車の運転ができないので、買い物や墓参り、外食の日常生活に支障が出る
・初めての一人暮らし(これは慣れの要素が大きい気がしますが)
正直両親は私がいる前提で生活サイクルを構築しているので、私がいない生活は想定していないと思います(私もそうですが)
また両親は今は働いているので収入がありますが、今後働けなくなったときの生活は彼らの貯蓄と私の収入に依存することになり、今の時点で住宅ローンプラス家賃を払わないといけないのが今後に響いてくるような気がします。
そのようなことも含め不安材料が多すぎて今まで躊躇してきたのですが、正直職場の合わなさへのストレスが相当なものになってきました。
自分に合う仕事が何かというのはまったくわからないので、いろいろチャレンジしてみたいとは思っていますが、そんなにうまくいくものなのか?という不安もあります。
悩んでる。
IT系正社員独身増田(30)、ついに会社から家賃補助が出なくなる。あといろいろあって現状の住居を退去する必要がある。
勤務先までマトモな通勤時間、マトモな築年数で引っ越し先を検討すると、1Kでも家賃相場は10万円くらいになる。すごくたかいつらい。ものの試しに2500万円くらいの住宅ローンを組むと、住宅ローン月額10万円くらいで同じような通勤時間、同じような築年数なのになんと間取りだけ2DKになった。3倍くらい広い。
彼女もいないし今後も見通しは暗いし、ちょうど30歳のいま住宅ローンを組めば65歳で完済なのでパーフェクトプランではないかと錯誤しているのだけど世間の独身がだいたいみんな賃貸なのはなんでだろう。趣味(ゲーム)はインドアだし寝室と趣味部屋に分けられるしいいじゃん。料理もするからキッチンも大きいのが嬉しい。
目下最大のネガティブ要素である「今マンションすげー高いじゃん」ってツッコミと、将来結婚するかもしれんじゃんって話はさておいて、そのほかになんかすげーでっかい落とし穴があったりするのか識者たる増田諸兄にぜひ教えてほしい。独身住宅ローン増田が実際にいるなら体験談なんかも聞きたい。
ちなみに聞かれそうなので。貯金は保険とか株とかいろんな形をしていて1000万円くらい。現金300万円くらい。給料は手取りだいたい25万くらいでボーナスも年100万くらい出る。住宅ローンは固定金利前提で、管理費+固定資産税+都市計画税+修繕積立金なんかも込みで合わせて住宅ローン10万ってことで。
地方から数年前に転勤で東京に来たとき、会社から斡旋された豊洲徒歩5分と大井町徒歩5分が両方10万だったから同じ水準だとそれくらいだと思ったんだよね。1K10万は確かに言いすぎだった
>終の棲家にするのには厳しいだろうけど、それまでの間に出口を取れるならいいんじゃないの