はてなキーワード: 特定とは
これもマジで言ってるんだろうな
キミがポルノ同人屋のフォロワーならマジでお口開かないようにしようね
→ キャラクターそのもの(名前や性格などの構成要素):著作権なし
→ キャラクターを具体的に表現したもの(絵・造形など):著作権あり
https://anond.hatelabo.jp/20210716092542#
漫画の「キャラクター」は,一般的には,漫画の具体的表現から昇華した登場人物の人格ともいうべき抽象的概念であって,具体的表現そのものではなく,それ自体が思想又は感情を創作的に表現したものとはいえないから,著作物に当たらない
(最高裁判所 平成4年(オ)第1443号,同9年7月17日第一小法廷判決)
仮に原著作物のシーンが特定されたとしても、本件各漫 画につき著作権侵害が問題となり得るのは、主人公等の容姿や 服装など基本的設定に関わる部分(複製権侵害)に限られるもの であり、本件各漫画の内容に照らしてみれば、主人公等の容姿 や服装など基本的設定に関わる部分以外の部分については、 本件各漫画に二次的著作権が成立し得るものというべきである。
(知的財産高等裁判所東京地方裁判所 令和2年(ネ)第10018号,令和2年10月6日知的財産高等裁判所第3部判決)
俺が「schizoposting(以下糖質投稿)」と呼ばれる文化に惹かれたのは、陰謀論的な投稿を信じて投稿するときに生じる一種の混沌とした論理を認識したときだ
糖質投稿は、患者や医師が「ワードサラダ」、パラノイア、無秩序な思考として知っている症状に関連して「統合失調症」という用語を借りて、精神状態を模倣するSNS投稿のパターンを説明するサブカルである
これは世界中で人気があり、Facebookグループ「schizophrenic order of the piss of dawn」には現在50 万人以上のフォロワーがいる
この投稿行為は、Redditや4chanなどで始まり、ユーザーが自分の投稿を通じて、軽度の感情を示唆するミームや会話を投稿することで、実際に統合失調症であるかどうかについてオンラインの仲間から疑問を投げかけていたらしい
陰謀、劇的な結論、そしてほとんど読めない単語のサラダを好んでいる
投稿の多くは銃乱射事件(統合失調症と誤って結び付けられている)に関するジョークや、視聴者から笑いを誘う品位を傷つけるミームについて詳述している
最初は無害に見えるかもしれない
これらのグループは、人々が犯罪化や検閲を受けることなく、奇妙で曖昧な行動や思考を探求できる安全な場所を提供しているという考えに共感できる
しかしそれは重要な点を提起している「糖質投稿は根本的に受け入れられているのか、そして神経発散的な癖を称賛しているのか?それとも、病気の症状であると主張することが、精神異常行動についての知識に悪影響を及ぼしている可能性はあるのか?」
大衆文化は、精神疾患には特定の有益な、そしておそらく望ましい性格特性が伴うと信じ込ませてくる
なぜなら、それらは思いやりや忍耐の特性を「教えてくれる」からだ
精神疾患とポジティブな性格特性が結びついているため、業界全体が精神疾患と創造性の関連性の分析に注力している
つまり、病気がなければ、創造的な天才は存在しないだろうということである
しかし、その考えは、私たちが行動を病気として分類する理由そのものの本質を損なうことになる
医師が古典的に「障害」と定義するものについて、精神疾患として定義されるためには、その症状が罹患者の日常生活に重大な障害や苦痛を引き起こす必要がある
実際、患者が人生を十分に楽しむためには、この障害に伴う認知障害に対処するための的を絞ったプログラムが必要であり、多くの科学者や臨床医が開発に時間を費やす
努力にもかかわらず、統合失調症の研究者が模倣しようとしている認知的な欠陥のせいで、ホームレス、労働力からの孤立、または失職などの苦悩から精神病患者を更生させることができる状況には、望んでいるほど近づいていない
反精神医学運動は、実際に苦しんでいる人々からこの区別を奪い、適応戦略や風変わりな性格特性の形として症状を流用することは、伝統的な定義では声をあげることができない人々のグループを消去することに寄与している
統合失調投稿の場合、明確に考えたり、一貫した文章を作ったりしないという特性が称賛され、「オンライン」な人々に特有のユーモアブランドが奨励されている
そのユーモアは風刺として分類されることもあるが、実際には、文化があまりにもとんでもないものになってしまい、陰謀を信じたり統合失調症のように見えることが一部の人々が選んだ道であるとからかっていることがある
病気の実例となることを選択することは、ユーザーが気づいているかどうかにかかわらず、障害に対するある種の倒錯した嗜好を示しており、真の精神疾患患者の場合、患者は統合失調症のポスターとまったく同じ症状を回避しようと最善を尽くしているように見えるだろう
表現の自由が称賛される社会において、文化がアイデアの意味を探求し、あいまいな人口統計を日常の語彙に組み込んでいるのを見るのは素晴らしいことだ
しかし、糖質投稿という行為は不正確に使用されている可能性があり、ハロウィーンで老人の仮装をしたり、同じ休日にネイティブアメリカンやブラックフェイスの衣装を着たりすることに近いかもしれない
つまり、これらの流用の対象者は明確な生計を立てている(しかし、ほとんどの場合、生計手段が欠如している)が、大衆文化によってさらに誤解されている
糖質投稿は、表面的には楽しくて無害なことのように見えるかもしれないが、実際には退行の兆候であり、精神異常者になること、または「正気を失う」ことが何を意味するのかを実際には理解していない可能性があり、その結果、苦しみをさらに孤立させることになる
かと言ってどうせろくでもない理由(しかもかなり使い道を特定した)で散財したんだろwって決めつけた内容のブコメの多発にはかなり面食らったのだが……
さすがに予断が過ぎると思うし書き込む前に一呼吸置いた方がいいのではくらいの決めつけであれここヤフコメだったっけ?と思った
めちゃくちゃ見下し感情強くない?
そもそも給与が安くない=件の保育士が私の想像したとおりの散財をした証拠であるとはならないだろ……
ブクマカって元々こんな感じ?初めてここへ来た時にはもう少し冷静な人が多いと感じていたけど錯覚だったのかな……
現実の事例を知っていたとしても、ニュースの件がそれらとは違う個別の件であるから常に同様ではないというのは単なる事実と思うのだが……
セクシー田中さんの件で「炎上に加担したネット民のせいで原作者が自殺した」という論調があるけど、炎上状態って(最初から悪意を持って扇動した場合を除いて)「各々が何かに対し個人的な不満を表明する」→「不満を持った人の数が多い場合結果的に炎上する」わけで、投稿した時点では自分が炎上に加担することになるか予測できないよね?
特定の話題にネガティブな言及をするユーザーがどのくらい増えるか、どの言葉がトレンドワード入りするか、最終的に自分の投稿にどれくらいインプレッションがつくかは投稿する時点ではわからない。
インフルエンサーならある程度大きな反響を予測できるかもしれないけど、自殺報道が出る前に脚本家を批判して4ケタRPや5ケタRPされたユーザーの中にはフォロワー2ケタのアカウントもあったし。
そもそもX(Twitter)なんてバズだろうが炎上だろうが目に入った投稿を呼び水に自分語りする場所じゃん、何が発端で盛り上がっているのか知らないまま「あの実写化酷かったよな~」って投稿した人もいたと思う。
「死亡の報を受けて『脚本家のせい』がトレンド入りするのは最悪の流れ」ってタイトルのヤフーニュース記事があったけど実際「脚本家のせい」で検索したら自殺報道前の投稿の方が多かったし、「脚本家」「の」「せ」「い」が含まれる投稿がインプレッションに応じて表示されるから本件と関連した投稿ですらない可能性もあるし、もちろん「脚本家のせいではない」という趣旨の投稿も含まれる。今ならインプレゾンビのコピペもかなり多いのでは?
批判も擁護も無意味な文字列も炎上に含まれるのならもう「炎上に加担するな」=「インターネットやめろ」にならない?
今回のことで周囲に反省を促している人って例えば転売屋のせいで欲しい商品が買えなくても「転売ヤー死すべし」とか書き込こまないんだよね?たまたまトレンド入りしてそれを見た転売屋が気を病んで自殺する可能性も当然あるしね。
自殺報道が出てなおも脚本家やプロデューサーの個人叩きをしている人はちょっとどうかと思うけどそれも
・面白半分に薪を焚べたい層
・セクシー田中さんとは関係なく同脚本家作品or同プロデューサー作品を批判している層
・好きな漫画家が失意のうちに亡くなって正常な判断力を失った層
・日テレに契約不履行の具体的な流れを説明してほしくて確信犯的に個人を標的にしている層
とかいろんなパターンがあるだろうし、それを「ドラマ関係者への攻撃を望まなかった故人の遺志を汲まない馬鹿」「正義の暴走」とひとまとめにするのもなんかなあ…。
Hatelabo::AnonymousDiaryのトップページで表示されるエントリたち、ページの下にある人気エントリや注目エントリとなったものたち、はてなのトップページで表示されてしまったエントリなどを表としている
当たり前だが規定されている禁止行為はそれ自体がNGなのでやらないこと
エントリ作成時はひとこと増田などによる有象無象なエントリとして登録し、そこから1週間~1ヵ月程度放置する
有象無象なエントリを作るのは逆に難しいと思われがちだが、どうでもいいような一言は見向きもしないのでそれをやってしまえばよいだけである
ヒントの1つとしては、一度増田のトップを見て、その話題とは全く違う内容であればスルーされる可能性は高くなるぞ
言及0ブクマ0のエントリをコピペったり改変したとしても、再投稿警察が黙っちゃいないのでそれは非推奨
表からは最短でも1時間ぐらいで1ページどころか3ページからも居なくなることがあるが、検索エンジンなどのbotも考慮すると1週間放置が無難、話題になりそうなものについては1ヵ月程度放置した方が安全だ
(実際デカ文字のエントリーで1週間程度のものとかをやってみたら簡単に見つかってしまった)
期間後はそのエントリを編集してお気持ち表明をすれば表には現れずに静かに目標を達成できるが、その後に削除したら本当に誰も見れなくなるはずだ
一応、削除せずに放置していると数年後にブクマする世界でもあるので、発見されるリスクを考慮するなら1ヵ月程度を目途に削除すると安全だろう(2024年4月1日に増田の検索が使い物になってしまっているため、このリスクが高まっている)
とはいえエントリ編集しても、本文中に出てくる特定のキーワードによって見つかる可能性はあるため、これらのキーワードをマスキングする必要がある
増田の場合はキーワードマスキングの機能が弱いのだが、腐女子がやっている検索避けみたいに「 ミ ニ 四 駆 」とスペースを開けるだけでもキーワードから外れるので確認してキーワードを削除していけば見つかる可能性は減る
なおこのワードは増田によってはNGワード指定しているのも居るため、逆にどこかにねじ込んで表示させないという、爆弾の中に爆弾を仕込むという手段も取れなくもない
スクショ対策でfontタグを利用して白文字にしてしまうのもありだが、真っ白に見えるものだと逆に怪しいため白文字は一部とすべき
コメントは使えない可能性はあるのと、あんまり隠しすぎるとそれはそれで問題になるだろうから注意
当たり前だがこれは悪用厳禁で、ここに書いているということは運営にもこの手法が見えているということでもある
つまり使えないエクスプロイトコードということで開示しておいたので、以下のことを気を付けて人生を送りたまえ
ねえ。
炎上のターゲットにされたならネット切断してSNSから距離を置け、って言われてるけどさ。
逆に。
自分がキッカケで、ネットの大衆が特定の誰かに突進し始めたとき。
自分を擁護するために、顔の見えない無数の人々が、足並み揃えて誰かを攻撃しだしたとき。
どうすれば正解なの?
でも正直に言えば、「大変だったねぇ、ひどいめにあったねぇ」って同情してもらいたかったんだろ。
もっと言えば、「ひでぇクライアントだなぁ」って自分以外の誰かに叩いてもらいたかったんでしょ?
そういうところだぞ
なんか自分の住んでいるエリアだけ、特定のコンビニとかチェーン店が無い、みたいなことってあるよな。
うちのエリアにはローソンが無い。Googleマップで見ると、大きめの道路で囲われたかなり広い一帯に、ローソンだけが存在していない。
本来なら社長とか開発とかプログラマーとかデザイナーとかのアカウントを特定して自殺するまで延々と叩かれるべきだったのに、漫画家の自殺のおかげで話題が霧散してしまった。わがままメンヘラ繊細ヤクザのおかげで、討たれるべき悪が野放しになってしまった。死ぬなら迷惑かけずに死ねよクソマンコが。
予め言っておくが、自分は「安楽死反対派」である。それもかなり強く反対している。
ネット上ではたびたび安楽死に関する法整備を求める意見が見られる。
経済的な理由による安楽死は論外として、病気による耐えがたい苦痛を避けるための安楽死を求める意見は一定の支持があるようだ。
だが、主張は結構なことだが「国家によって安楽死を認める」ことがどれほど重大なことか理解していない意見が多いように見受けられる。
あくまで自分の意見だが、「安楽死を認める要件」として最低限以下のようなものがあってしかるべきだと思う。
安楽死とは、要するに医師などにより生命活動を停止させること、即ち「殺人」に他ならないのは疑いなく事実である。
即ち、「安楽死を法的に認める」ということは「国家によって殺人を承認する」ことに他ならない。
国家によって認められた殺人と言えば、「死刑」もそれに相当する。死刑の判決を言い渡すのは言うまでもなく裁判所だ。
当然殺人を法的に認める以上、安楽死についても裁判所による手続きがなければならないと考える。
医師によって、患者がもはや死を避けられない状態であることの証明が必要だ。
主治医はもちろんだが、感情的な選択を避けるためには利害関係のない複数の医師による中立的な判断がなければならないと考える。
当然、安楽死を「行う」医師がどれほどいるかという問題もある。
これが難題である。
その意志が、短期的な抑うつ状態や、周囲や「世間」の圧力に左右された一時的なものでないかの証明が非常に難しい。
2019年の透析中止死事件では、透析を続ける苦痛のあまり透析中止を決断したとされるが、終末期に至って透析中止を撤回したいと言いながらも助からなかったとされる。
本人の意志とはこのように揺らぐものであり、かなり長期間の意志確認は必須である。中立の公証人による証明があってもいいかもしれない。
同様に、安楽死を決めたものの直前になって「生きたい」と意志表示したならば即座に安楽死を中止しなければならないだろう。
また、周囲や世間の圧力でないことを証明するためにも、「安楽死」を美談にしないようにマスコミやSNSには厳重な自制と規制が求められるだろう。
特定の病気になったら安楽死するべき、なんて世論が広がることはあってはならない。
なまじハラキリ文化の日本であり、「潔い死」が受け入れられやすい社会的素地があるのはかなり危うい。
「安楽死を法的に認める」ためには、「安易な安楽死は認めない」という国民の意識改革がなければならないという矛盾がある。
これらの議論を進められるだけの十分な社会的な理解が日本にあるかというと、正直言って「ない」と言わざるを得ないのではないかというのが自分の意見である。
特にマスコミやSNSに関しては、現状ではほぼ絶望的なのではないかと思われる。
なお、昨今の安楽死議論の中には「終末期患者を生かし続ける社会的コスト」に言及するものがあるがこれは論外で、
憲法25条の生存権を見れば明らかなように、国民には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」し、
国には「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とされている。
国民が生存を望むならば国は生存を保障しなければならない憲法上の義務が存在する。どれほどのコストを支払ってもだ。
つまり、一番手っ取り早い方法は憲法25条の改正と言うことになる。
当然自分はこのような憲法改正には賛成しないし、国際人権A規約にも反する。ハードルは極めて高いと言わざるを得ない。
いくつかコメントが来ていたので補足。
繰り返すが、自分は「安楽死反対」の立場からこれを書いている。
これくらい厳しく要件を掛けなければ、恣意的に運用されかねないという強い懸念があってのことである。
コメントにあるように「経営者が労働者に家族の安楽死を要求する」なんてことが起こりかねない。
裁判所の決定を要するとしているのも、時勢に強く左右されかねない行政ではなく、常に法の番人たるべき裁判所が決定すべきと言う考えからである。
実際、裁判によって決定した死刑囚の署名を時の法務大臣の意志で停止した過去の例もある。
そしてこの程度の要件をクリアできないのであれば、そもそも安楽死を法制化するべきではないというのが主旨だ。
国民の生存を保障するためにある国家が、それに相反する法制を行うことがどれほど困難なことかということについて、頭の片隅にでも残れば幸いである。
個人的には本人の自由意志が確認できなくなった段階で安楽死を認めるべきではないと考えている。
「本人の自由意志がなければ生存権を行使している」と見なすべきであり、当然国家はそれを保障しなければならない。
この時点で「本末転倒だ」と思われる人は多いかもしれないが、安楽死法制化は終末期医療のコスト削減策「ではない」。
あくまでも本人の自由意志によって死を選択する自由を与えるための法制であるべきであり、
医療コスト削減が目的にすり替わるのであればそもそも法制化の目的を見誤っている。
なお、現行法制でも積極的安楽死ではなく、延命治療終了による消極的安楽死は行われており、この手続きで不備があるとは思えない。
そいつとは元々は数多くいる友だちグループの一人として付き合っていたんだけど
ある時「どうしても好きだという気持ちを抑えきれない、交際出来るとは思わないけど気持ちを打ち明けてスッキリしたい」と言われた。
で、告白されたんだけど、俺自身は普通に同性愛者では無いので断った。
当時交際していた彼女がいたんだけど、俺が浮気してるだのマザコンだの無い事無い事吹き込まれて喧嘩になり別れる羽目になった。
落ち込んでると元友人が寄ってきて寂しいなら一緒に飲もうぜ、みたいな事を言われた時はぞっとした。
いきなり冤罪をかけられて誰が嘘吹き込んだんだって思っていたから、直感的にコイツが犯人だと思った。
あとで元彼女や元彼女友人らから色々話を聞いて元友人が犯人だって分かったんだけど逆ギレされた。
そうなると良くも悪くも人が良い連中揃いだったから、元友人を理解してあげなよとか、仲良くしてあげなよとか余計なお節介。
いや変な嘘ついて貶めた時点で普通の友人としても付き合い無理だろって思ってたから断ったら俺がハブされる様に。
結局それで当時のバイトもサークルもゼミも居心地が悪くなり一気にボッチ化。それで精神病んで大学を退学する羽目になった。
それで終わればおかしな奴に粘着されて散々な目にあった、で済んだけど、それだけでは済まなかった。
数年後、治療を重ねて何とかマシになって退学してから一年後ぐらいにリハビリ兼ねて務め始めたバイト先の正社員登用試験を受けて合格。
人より遅れたし学歴も失ったけどけど何とか正社員に戻って働き始めた矢先に、元友人が俺の眼の前に現れた。
久々に仲が良かった筈の大学時代の友人に誘われていったら、何故かその友人らと元友人がいるんだよね。
元友人がいるなら行かないと思ってたから散々確認はしたんだけど。
その場で断って帰ろうとしたけど空気壊すなって言われて強引に飲み屋に。何故か元友人と隣同士。
元友人と友人らの話によれば、どうしても俺を諦めきれないということで場をセッテイングしたらしい。
「あれから時間も経ったし、お前も就職して落ち着いただろ?付き合えとは言わないけど、いい加減仲直りしてやれよ」
って言われて、激怒してその場は帰った。大学時代の友人含めて全員着拒した。
それから程なくして会社に謎のクレームが入る様になった。やれ俺の接客が最悪とか、詐欺紛いの営業されたとか。
弁解はしたけど、実際にクレームは凄く入る様になって、庇った上司の顔も潰してしまい、俺は会社での立場を無くし退職する羽目になった。
落ち込んでいると、またも元友人からSNSを通じて連絡がきた。
今度会わない?あの時は自分が悪かった、直接謝りたい。せめて一人の友人として向き合って欲しいと。
というか誰にもSNSのアカウントなんて教えてないのに、どうやって特定したかも謎だった。
気持ち悪くなってアカウントは削除したけど、どこから元友人がやってくるか分かったものでは無い。
LGBT法みたいなのが出来ると、こんなでも俺がLGBTのアイツを差別した極悪人の犯罪者で、アイツは守られるべき存在なのだろう。
何故被害者の俺が悪人扱いされて苦しんで、加害者のアイツが大手を振って歩けるのか。
同性愛者だろうがストーカーはストーカーだろ、何故同性愛というだけで一方的に正しくなってしまうのか、本当に理不尽だし理解出来ないし苦しい。
これがゲイ差別なら、俺は差別者でもいいからアイツと一生関わらない人生が送りたかった。
たった一人の特定個人であるクリエイターの心情や考え方を一般化平坦化して想像して同化し(たつもりで)て、
「それが自分にはわかるから、理解できるから」と考えることでまるで自分もクリエイターになったつもりの増田とブクマカが多すぎないか?
はてブも増田も陸の孤島じゃないよ、そう信じてるかもしれないしそう信じたいかもしれないけど
もし今遺族や近しい関係の人間が自分の書いたことを読んだとして、その予断や妄想や勝手な想像にまみれた原作者像をその人たちがどう思うかどう受け止めてしまうか考えて書くかやめるかした方がいいよ
読むわけないよこんなとこそんな立場と状況の人が、とは決して言えないことはさすがにわかってるよね?
確かにオープンソース界隈でも、特定の個人やグループが凄いだけで、全体としては確かにそうやな。
エンジニア系人材が自社にいて内製している割合とか日本ってかなり低いのとかもそういった状況を作り出している原因かと思ってるわ。
バカには分からないんだろうけど増田ってツリー形式になっていて「それ俺の発言じゃない」とか何の意味もないんだよね
どうしてもその所在をハッキリさせたいならとりあえず君の書く全部の増田にid付けて同じidでブクマすればいいんじゃないかな
一応それで特定の言及だけidと紐つけるように見える運用はできるけど
増田の形式はそういう風になってないんだよね、あなたには気の毒な話だけど
あなたが割込む前の人とあなたとが違うことは上のやり方でも証明できないし
だから
だからあなた(別人だと言い張る何者か)が割込む上で意味のある役割は2種類しかない
君は1.の立場を放棄したのだから2.で話を進めるしかないのだけれど
私は投げたボールが返ってくるのを待つだけだからどちらでもいい
さあ返事するといい
どちらにしても君の振舞いはこちらの手の上だ
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SNSでネガティブな投稿をするときに気をつけるべきことを自戒を込めてメモ
他の人は必ずしも批判の経緯や文脈を追い切れるわけではないので、誤解や悪意を招きやすい
そうすれば、他の人が誤解したり、悪意を持ったりすることを防げる
例えば、「私は~と思う」「私にとっては~だ」というように、自分の立場や視点を示す言葉を使う
自分の意見や感情を表現する権利はあるが、それによって他人に迷惑や損害を与えることは避ける
セクシー田中の案件については、増田、テレビ局、出版社とか色々言い分が出てきているけど
一つ言えることは今のままだと漫画原作系ドラマにスポンサーが付かなくなる可能性が出ていることなんだな
今は脚本家に怒りの矛先が集中しているけど、テレビ局が変な対応をしたことで今後はテレビ局もやり玉に上がることは避けられない
そうなると、現代のネットの炎上は確実にスポンサーに向いてくることになるから、スポンサーがリスクヘッジしだすんだな
昔だったらこうはならないテレビはそれでも強いから、今回は特別な案件ですって局が言えばなんとかなってた
だけど今はテレビが弱体化して企業案件だらけになった結果、テレビは視聴者じゃなくてスポンサーだけを見るようになってきている
もうこうなると次に起こることは一つしかないんだわ
そうなると今後、吉本、ジャニーズの案件で特定の団体のごり押しもなくなってくるとなれば、漫画の実写化は相当縮小されるだろうなと
まず、「セクシー田中さん」の作者が自死を選んだ胸の内は分からないし(流石にドラマの件が無関係なわけはないだろうが)、
ドラマ脚本が作者の意に沿わぬ形に改変されるプロセスに、どれほど脚本家が主で携わってるのかという裏事情も分からない。
・・・といった判断を保留すべき要素もあると思うんだけど、
そういう点は抜きにして、外野の各々が「脚本家のせいだ」と判断しちゃったとしても、それを今ネットに書き込むのはマズいと思う。
そもそも今回の騒動、元からネット民に袋叩きされてたのは圧倒的に脚本家側だった。
原作がメディアミックスで改悪されるトラブル話は定番中の定番の火種だし、
しかも「実写化」「テレビ局」という特に敵視されがちな要素が加わり、
おまけに「作者側が事前に、意に沿わぬ改変はしないよう約束を取り付けていた」というストーリーも乗っかれば、物申したい人は溢れるほどいただろうし。
とりわけ矢面に立たされてる脚本家の方、あとはドラマのプロデューサーとか、漫画の担当編集者とか、この件に関わりの深い人達は、きっと物凄いダメージを受けたことだろう。
「人が死んでしまったきっかけが、自分の仕事にあるかもしれない」という思いは絶対によぎるだろうし、それを背負って今後生きていくのは、物凄くキツい事だと思う。
その心情を思えば、流石に今、特定個人を対象にしてこれ以上追い込むべきでは無いと思う。
それでもどうしても何か言いたいなら、せめて日テレとか小学館とか、組織全体の体制を指摘するくらいに止めるべきじゃないかな。
これは人格攻撃する「誹謗中傷」ではなく、プロの仕事に対する「批判」だとか、
そもそも脚本家のインスタ投稿内容が悪かったとか、それぞれ言い分はあるだろうけど。
例えそれがどんなに正当な批判だったとしても、本当に対象にかなり非があるのだとしても、
このセンシティブなタイミングで、皆がこぞってそれを書き込んでしまったら、"叩かれている側"にとっては、四面楚歌のおぞましい状況に感じられることは想像に難くない。
誰かが批判の嵐に押しつぶされて、衝動的にまた、恐ろしいことが起きてしまう。そんな危険もはらんだ状況だと思う。
それでもなお、「脚本家のせいだ」と追い打ちをかける人たちが、どこを見渡しても山のようにいる今のインターネットの状況が、怖くて仕方ない。