はてなキーワード: 時事問題とは
同じ大学、とかに限って言えば、指標が難しい。
いや、懸念されていたのは確か東大だと思うぞ。一般的に学者の質は東大か京大の、いわゆる国際誌に掲載された論文の数等で測ってみたら、一時期より減少している。それはなぜだ?というニュースが流れていたと思うけど。掲載数だから枠の取り合いの問題で、発明数じゃないから指標としては意味があるだろ。
つまり掲載数で他の大学に競り負けたという事を言ってるんだろうね元のニュースは。(時事問題なので必要であれば自分でぐぐってくれ)
確実なので。
誤差にしかならないでしょう。
んー、なんともな反論にびっくりした。
いや、そりゃぁ。それは意味のない反論ですね。なぜなら意味が無いですから。とかけばそりゃぁ、意味のない反論になるが、
長い科学の歴史の中で、たった10年20年前と今を比べて、有意義な差が出るほど科学が進歩しているかどうかは立証の必要性が有るだろ。
その立証をせずに、意味のない反論と切り捨てるのには、逆にびっくりした。
id:kawapara3 さんへ
無断転載ってなに?ってことですが
著作権法で許可された転載可能条件から外れた転載になると思います。
ウィキペディアによると
転載可能条件とは
日本の著作権法では、出所を明示すれば著作権者の許可なしに自由に転載してよい著作物は、以下3つのみである。
説明の材料として使う場合に限定して「国若しくは地方公共団体の機関、独立行政法人又は地方独立行政法人が一般に周知させることを目的として作成し、その著作の名義の下に公表する広報資料、調査統計資料、報告書その他これらに類する著作物」(著作権法32条2項)
「新聞紙又は雑誌に掲載して発行された政治上、経済上又は社会上の時事問題に関する論説(学術的な性質を有するものを除く)」(著作権法39条1項)
同一の著作者のもののみを編集して利用する場合を除き、公開して行われた政治上の演説又は陳述及び裁判手続(行政庁の行う審判その他裁判に準ずる手続を含む)における公開の陳述(著作権法40条1項
らしいです
自分の定義としてもうちょっとざっくり言えば、は著作権保有者に無断でコンテンツをそのまま使用する行為ということを指しています。
わたしがあの人にはじめて会ったのは13歳の秋だった。
中学の入学祝いに父親からパソコンを送られた私はすぐにインターネットの世界にのめり込んでいった。
友達と放課後にマックに行ったり、クラスの男の子を好きになってすったもんだしてる都会在住の女の子の都会っぽい生活に憧れたり、、
ちょっと不良ちっくな男の子達のリアルな体験談にわくわくした。
わたしは地味で目立たないタイプの中学生で、自分に自信が持てなくてうまく人とコミュニケーションが取れなかったので、今ではよくわからないようなものにまで憧れたりしていた。
というか、クラスに友達がいるっていうだけで、クラスメイトと普通に話せる人だっていうだけで、私にとっては憧れの的だった。
そんな普通に楽しい中学生活を送っている人たちとお話できるのがほんとに楽しかった。
あの人は常連のひとりでいつもロムってるんだけど、
そのくせふとあらわれてなんとなく心に残ることをぐさっと言ってはまたいなくなる、みたいなかんじだった。
毎日入り浸っていたわたしはあの人と自然にあいさつとかするようになった。
あの人はほかの誰とも違う不思議な独特な空気感をまとっていて、
(あとで聞いたらちゃんとキャラ設定があったらしい)
あの人と文字で交わす会話を心地よく感じた。
あの人はいつも真夜中、みんなが落ちていったあとのひと気のないチャットルームに現れた。
いつの間にかあの人と話すことが一日の楽しみになっていた。
あなたはどんな人なんだろう、
どんな生活をしてるんだろう
人望厚く、生徒会長をやってるらしい。
(同じ学校だったら関わることもないだろうなー)
すきなマンガはるろけん。
てゆーかけっこうオタク。
って思っていた。
それは深夜で、チャットルームにはよく顔(?)を合わす女の子二人とあなたとわたしの四人だけで、その話は10代の私にとってはとても重いお話で、
というかまだ恋のなんたるかを知らない私にとっては目の回るような話で、
(確か、好きな女の子がいて両思いだったんだけれど、その女の子につらい思いをさせたまま別れてしまった、みたいな話だったと思う。)
その長いお話が終わる頃にはわたしたちはとてもしんみりしていた。
でもそういう特別なことを共有したことをきっかけに私たち四人はメールアドレスを交換することになった。
私は心の中でその成り行きにガッツポーズを決めていた。
だってずっとアドレスを聞きたかったけど、乙女で内気なわたしにはどうしても言い出せなかったからだ。
そうしてあの人のアドレスをゲットしたわたしは、
使い方が謎すぎて放置していたメーラーの説明書を100万回読んでメールのやり方を会得し、
(メールの画面が夢にまで出てきた)
やっとあの人とのメールのやり取りを開始した。
あの頃の私にとってあの人は遠い(友達いっぱい!楽しい学校生活!リアルではお近づきになれるはずもない人!みたいな笑)夢の世界に住む憧れの人で、
他愛のないお話ばかりをしたと思う。
みたいな見栄もはったきがする。
でもそういうメールのやり取りを繰り返すうちに、
少しずつ少しずつ見えてくるような気がした。
夢の世界に住んでるように思えたあの人にもたくさん悩みや考え事があることを知った。
あの人がどんどん近くなって来るような気がした。
ある日わたしは決心した。
あの人が生活する街を見てみたくなった。
本当は会いたかったけど、言えなかった。
あの人が歩いているだろう道を歩いて、
あの人が買い物をするだろうショッピングセンターに行って映画を観た。
源氏物語みたいなやつ。
今思えば、あの頃のわたしにとってあの人が唯一の友達だったんだと思う。
ではないと思いたい。
そのうちどうしても気持ちを抑えられなくなってわたしはあの人に告白した。
それが本当の好きなのかどうなのかわからなかった。
文字以外のあの人のことを何も知らない、
会ったことも見たこともない。
でも気持ちだけは本当だった。
そしてあの人にはあっさりふられた。
高校生活は最悪だった。
高校生になったわたしはけっこうないじめを受けるようになっていた。
成績もガタ落ちで留年寸前だった。
私は自分の部屋にひとりで閉じこもるようになった。
両親は仕事やまだ小さい兄妹たちの面倒に忙しくて
わたしの苦しさを理解できる余裕はなかったんだと思う。
誰かに理解されたかったんだろうけど、
それをうまく言葉にすることもできなかった。
絶対に来ないと思ってたからかなり驚いた。
どういう話の流れだったのかは思い出せないけど、
たぶん私が言いだしたようなきがする。
心臓が口からまじで飛び出しそうになりながら電話に出たのを覚えてる。
それまでは蒼紫様とゆこ殿、みたいなメルヘンなHNでやりとりしてたの笑
なんか本当に不思議な感じだった。
はじめて聞くあの人の声は上ずったかんじの甘い声でわたしは本当にどきどきした。
なにをあんなに話したんだろう?
たぶんとてもしょーもないことばかり話してたんだろうと思う。
気づくと朝日が昇って、朝になってた。
そしたらあの人は恥ずかしそうに言ったんだよ。
「俺の言いたいことわかる?わかって、テレパシーで。」
「・・・わかんないよ笑」
「・・・すき。」
どういう気持ちの流れがあの人にあってそうなったのかは今でもよくわからない。
たぶんあの人も覚えてないんじゃないかな?笑
でもわたしたちはこの電話をきっかけに付き合いはじめることになった。
携帯の請求がすごいことになってお母さんに何回も怒られた(笑)
会ったこともない人と付き合うなんて浅はかなことだと思うけど、
どうしてもあの人と毎晩長電話するのが辞められなかった。
あの女の子の化粧が濃くてキモイ、とか、モデルの女の子がいてなぜかその子が俺のこと好きっぽい、とか他愛のない話しを!(笑)
それは、仲のいい友達がいたんだけど、その子が亡くなってしまってとてもつらい、それはたぶん自分のせいなんだっていう話し。
それがあったから今は誰かと深く関わるのが怖いんだって話してくれた。
当時のわたしは自分のことを客観的に見る余裕なんか皆無だったからどうして自分がそんな気持ちになるのかわからなかったんだけど、その話を聞いてものすごく悲しくなった。
今考えるとわかるんだけど、わたしはあの人と深く関わることを望んでたからだと思う。
自分でも訳のわかんない私をあのひとなら理解してくれて助けてくれるような気がしてた。
でもお互いに問題をかかえたままお互いを理解しあえるわけもなく、私たちはすぐに別れてしまったんだ。
本当なら私があの人の傷を癒してあげられたらよかったんだと思うけど、当時のわたしには無理だった。
それを説明することともできなくて、
たぶん相当意味のわかんない理由で別れたと思う。
実はほかの人とのあいだに子供ができて、もうあなたとは一緒に居られません、みたいな出鱈目を言った気がする。
変だよね。(笑)支離滅裂だ。
よくわかんないけどそういう心理だったんじゃないかなーって思う。
やめる前後はピークに荒んでいたけど、
いざ辞めてしまえば私の心は徐々に落ち着きを取り戻していった。
15歳にして社会の外に放り出されてしまったことは恐怖だったけど、
それは逆にこれからのことを真剣に考える原動力だったような気がする。
それから3カ月。
今度こそ連絡が来ることは2度とないだろうと思っていたところに
冬、連絡をくれたのはあの人の方だった。
ちょうど寮制の定時制高校への受験を決めて一念発起を心に誓った頃だった。
厳しい環境に身を置くことで私は最低な自分から脱出できると思った。
家族とも、育った街とも、この街の人とも、全てに距離をおいて新しい自分を始めるつもりだった。
付き合っていた頃みたいにまた明け方まで電話することも何回かあった。
でもそういう自分の状況をあの人にうまくせる自信がなくて黙っていた。
相変わらずどうでもいいような話しを何時間もしていた。
というか今気づいたけど、わたしどれだけ素直じゃないんだw
わたしは本当はあの人ともう一度お付き合いがしたかった。
あの人が今でも私を好きでいてくれればなって思った。
朝6時に起きて掃除、点呼、先輩の洗濯や食器洗いをすませてから仕事に行って、夕方から学校。
はげしいルーティン。
ここに来たことを後悔してないと言ったら嘘になるけれど、
もちろん携帯電話は禁止。
というわけであの人への連絡手段を失ったわけだけど、
どうしてもくじけそうな時は負けじと寮の公衆電話から10円片手にあの人に電話した。
この公衆電話がまたすっごいの!
長蛇の列に並んでやっとたどり着けるの!
でも時間が決まっていてやっと順番が来たと思ったら1分とかしか話せないこともあるの!!(笑)
そんなわけで満足にあの人ともお話できないし、忙しくて3ヶ月に1回とかしか電話できない時もあったんだけど、
あの人の声を聞くと本当に元気が出たもんでした(笑)
あの人は相も変わらずずっと私の支えだった。
それでも。
地元に帰った時は便利な便利な(笑)家電で思う存分長話をした。
そうだ、手紙も何通か交換したんだ。
今でも大事にとってある。
あの人は字が下手だからってとても恥ずかしがったけど。
(確かにあの人は字がへただった(笑)
あの人と実際に会おうかって話になった。
あの人は大学生になっていて、
せっかくだからついでに会おうよってことになった。
その少し前にわたしたちは小さな喧嘩みたいなことになっていた。
あの人が私のことを何も考えていないただふらふら生きてる奴、
みたいなことを冗談で言ってきて、わたしがそれに反論のメールを送ったんだ。
わたしはわたしなりに色々考えていて、考えた答えには従って生きてる、みたいなメール。
でもあの人が私についてそう思うのは仕方ないことだった。
だって私はあの人に自分についてなんにも話したことがなかったんだから。
と、いうより私は誰にも自分について話したことなんかなかった。
いつも自分が何を考えているのかわかんなかったし、
誰かが自分を理解しようとしてくれるなんて考えたこともなかった。
だから私の気持ちはずっと迷宮をさまよってるみたいな感じだった。
ずっと悩んできた自分の心の暗い淵みたいなものに対する葛藤にも、
なんにも向き合えてなかった。
実際に待ち合わせの場所に着いても私はあの人と会うことをまだ悩んでいた。
会うのが怖かった。
実際に会って本当の自分を見せるのがとっても。
あの時、わたしはもう本当に緊張していた。
心臓爆発だった。
わたしの人生で一番綺麗なあの初夏の日を
わたしは一生忘れないと思う。
あの人は細くて折れそうな体で
外人みたいに彫の深い顔立ちをしてた。
あの人は私に一言、
「でかっ!」
って言ったんだ笑
不思議な感じだった。
はじめて見たあの人は知らない人だったけど、
声はずっと馴染んできてわたしを支てくれたあの声だった。
人見知りな私はあの人をやっぱり人見知ってたけど、
それなのにあの人はずっと昔から一番よく知っている人だった。
綺麗な新緑のさわやかな感じも、
あの人の横顔も
今もあの日のように思い出せるよ。
よく歩いて、よくしゃべった。
わたしは寮生活の話を。
帰りはわたしの近くの駅まであの人が送ってくれた。
手をふりながら猛烈な離れ難さがおそってきたけど、
寮に帰ってからもなんだか夢の中にいるような気分だった。
「楽しかった。また会いたい」って。
私もおなじ気持ちだった。
数日後の5月22日に私たちは付き合いはじめた。
いま考えれば不思議なことはなんにもない。
必然だったと思う。
もう人と深く関わるのが怖いって。
ずっと一人で生きてきたし、これからもそれは変わらないと思うってあの人は言った。
私になにかできることはないのか?って思った。
少しでもあの人の心が軽くなるようになればいいと思った。
あの人が誰にも心を開けなくなってしまったことを、
怖くないって言いたかった。
あの人が本当にわたしを理解しようとしてくれていることが分かって言葉が不思議とすらすら出てきた。
そういうことをちゃんと言葉にするのは生まれて初めてだった。
混沌としていた頭の中が言葉によって整理されていくのがわかった。
私たちはできる限りの言葉をつくして自分たちについて話し合った。
それは数年前の私たちにはできなかったことだ。
今までどうしても踏み込むことができなかった、
でもとても知りたかった、
知って欲しかったことだった。
話しても話しても話したりなかった。
やっとわかりあえた喜びを私は一生忘れない。
ずっとそうしたかったんだと思う。
一生懸命耳を傾けてくれたあの人には感謝してもし尽くせないよ。
あの人が私に言葉をくれたんだ。
本当はわたしは不安だった。
戸惑ってたんだ。
でも私たちはまだ一回しか会ったことがないのにこの気持ちは本物なのか?って。
そのあとに丁寧にロイヤルミルクティーを入れてくれた。
帰る前の日にあの海で撮った写真は今でも宝物だ。
あの日、ホームであの人の手を握りながら本当に離れたくない、
離れたくないってこういう気持ちのことだったのかって思った。
あの人はあなたになら心をひらけるって言ってくれた。
わたしも同じだった。
メールや電話でやりとりをしていた頃はまったく気づかなかったんだけど、
いつもわがままばかり失敗ばかりまぬけばかりの私にきちんと向き合ってくれて、
私に悩み事があれば一緒になって考えてくれた。
私にさえわかんなかったわたしを教えてくれた。
ちゃんとはなしてごらん、ってあの人だけが私に言ってくれたんだ。
お父さんみたいだった。
肉親以上の愛情を注いでくれた。
あの人と一緒にいた数年間は信じられないくらい幸せだった。
思い出が綺麗な綺麗なおとぎ話しみたいだよ。
わたしたちはなにもかもがぴったりだったように思う。
わたしが持っていないものをあの人はちゃんと持っていてあの人が持っていないものをわたしが持っていて嘘みたいだった。
なにもかもが上手く噛み合っていて、あんな風に出会えたことも、こうして一緒にいることも、全部が起こり得ないような奇跡だとおもった。
それはあの人が優しくそう感じさせてくれていただけだったのかもしれないと今になったら思うんだけど、それでも。
真夜中の長電話、一緒に観た何本もの映画、あの人の小さなアパートの部屋、まっすぐに続く海岸沿いの道、
会いたくて我慢できずに何回も最終電車に飛び乗ったこと、旅行に行ったのは神戸と栃木、クリスマスに買いすぎたモスチキン、
大学のピアノがある小さい部屋、高速バスに乗って一緒に出かけたこと、
別れる時に悲しかったぶん会えた時はほんとに嬉しかったこと、あの海辺の夕日、あの人を残してホームから走り出す電車、あの人のかなしそうな顔。
ねえ、わたしはおかしいのかな?
思い出を美化しているだけなのかな?
もしそうだとしても懐かしくて叫び出しそうになるよ。
だからはじめて会ったあの日からずっと離れるのが本当に嫌だったんだ
あの人がいればなんだってできるような気がした
あの人に話してないことがひとつだけある。
わたしはそれでも迷っていたんだ
私は若くて無知だった
本物がどれなのか判別がつかない程に。
奇跡だと思ってた
完璧だと思ってた
わたしは自分があの人を段々大切にできなくなっていってるのを知ってた
いつか自分の未熟さが原因で壊れて終わってしまうだろうと思った
むしろそうなるべきとも思った
そうしたらあの人の本当の大切さがわかるから
早くあの人を大切にできる自分になりたい
いつの間にかあの人にめぐり合うことができた奇跡を当たり前に思い、
あの人がわたしにかけてくれる愛情を当たり前に思い、
あの人に求めてばかりでいつも苛立っているのが苦しかった
わたしはわたしたちの幸せをめちゃくちゃにした
あの人を失ったわたしは
かたずっぽになって
うまく立つことができなくなった
うまく声も出せなった
うまく笑えなくなった
うまく人と話せなくなった
怖くてわたしを押しつぶしてくるの
何時の間にかわたしはあなたに
荷物を預けて楽してたみたいだ
全部がのしかかってきて
息ができなくなった
笑顔は今でも引きつってる気がしてる
それでも
わたしは受け入れていった
考えることをはじめた
どうしてこうなってしまったのか、
ここはどこなのか、
これからどう生きていくべきなのか 、
あの人のことを何度も思った
ずっと考えていて
分かったことはふたつだった。
ひとつめは、
今自分が感謝できることを必死で探してありがとうって思えるように絶対にならなきゃ同じことを繰り返してしまうってこと
どんな幸せを持っていたってそれをわかってなくちゃそれは不幸と一緒だ
ふたつめは、
本当に愛し合える人を見つけられずに死んでしまう人も多いこの世界で、わたしはあなたと出会えたこと、そしてあんな時間を持てたことがすでに奇跡だってこと。
出会えたことがすべてってこと。
http://yuma-z.com/blog/2013/06/shinsho-10/ のまねをして、今度は新書の紹介をしてみる。(それにしても新書の紹介なのに、女性が手に持っているのが新書でないのが納得いかない)いままで紹介した本の紹介は以下のリンク先からどうぞ。以下のリンクはいままでに自分が読んで面白かった本の紹介です。
自分が紹介する新書のリストは以下の5冊。10冊並べようかと思ったけど、数学入門や理科系の作文技術、日本人の英語あたりは元のブログに取り上げられているし、それらを除くと以下の4冊が残ったので。
英語→日本語に限らず、様々な言語の翻訳家の人たちのエッセイ集。「なぜ翻訳家になったか」というテーマのエッセイが多い。翻訳家といっても文芸翻訳の話で、技術翻訳の人は登場していないはず。だいたいが学者系の人たちで、日本に紹介したい本があるからやっているという人が多い。(逆に外国に日本の本を紹介したいという人もいる)
日本の文学を海外に紹介する人の話が楽しかった。日本に限らず、世界各地にはその地に根ざした習慣や文化があるわけだが、そういう習慣や文化をどうやって翻訳するのか。知らない人にわかるように説明すると、地の文よりも訳注が長くなってしまうとか、そういう問題点がある。そういったことを配慮しつつ翻訳するのは並大抵のことではないようだ。
加えて、英語→日本語と翻訳する人と、日本語→英語と翻訳する人では、前者が日本人ならば圧倒的に楽なのだそうだ。該当する言葉のイメージを母語の中から探すというのはできるけれど、逆はとても難しいそうだ。
翻訳というとどちらもできそうな感じがあるけれど、他の人が読むに耐えるレベルの翻訳はどうやらそうではないらしい。
宮崎駿さんが著者。前半は岩波少年文庫の中で自分が読んだ本を挙げつつ、その本を紹介するという内容。後半は宮崎さんの思い出話だ。本の紹介が上手で、読んでみたくなる。
紹介する本は岩波少年文庫のものに限られるので、ほかの書店の本は一切載っていないのが残念だ。しかし後半は宮崎さんがなぜ児童書を読み始めたのかということや、映画作りに与えている影響にも話が及んでいて、とりたてて宮崎さんのファンではない自分のような人にも楽しめる。最近のジブリの映画はつまらない、と感じている人は、この本を読んで興味を持った児童書を読むと楽しい時間を過ごせると思う。
村山斉さんが著者。最新の研究成果を元にして、宇宙はどうなっているかについて説明した本。最新の宇宙論を大まかに説明する本だ。なので、「どうしてそうなっているのか」ということよりも「今こんなことがわかり始めている」という説明が多い。
村山斉さんは最近多くの本を出していて、ほかの本と似た内容になっている(=かぶっている)という指摘がAmazonにある。自分はほかの村山斉の本を読んだことがないので、判断できないが、最新の宇宙論に興味のある人が手に取ってみると楽しい一冊であると思う。
もともとこの本は村山斉さんの講演が元になっているようで、各章の終わりには講演での質問が載っていて、それに対して村山斉さんが答えるというところがある。この質問に対して答えるところが良い。質問の内容をくみ取って的確に答えるのは難しいことだが、村山斉さんはしっかり答えているし、まだよくわかっていないところはよくわかっていないと曖昧にしないで答えている。質問も基礎的な話から、宇宙論のかなり専門的な質問もあって、それぞれに解答している。
築山節さんが著者。生活習慣を改善することで、なんとなく調子がでない状態から脱却する方法を説明する。タイトルはありきたりだし、書いてある内容もそんなに真新しいものはないのだが、読むと納得する。
大事なことは寝る時間を削らないとか、運動する時間を設ける、などだ。大変なときにはこういう基礎的な習慣が崩れやすく、そういう点を疎かにすると、短期的にはうまくいく。かもしれないが、それが長引いて長期にわたるとだんだんといまいち調子が出ない…という状態にはまりがちだ。その状態になったり、ならないようにするためには習慣を見直すことが第一で、習慣を改善するだけでうまくいくことも多いというような話が載っている。
ときどきこの本を見直して、うまくいっているときのタイムスケジュールや生活習慣と今の状態を比べてみるということをすることが良いだろう。その具体的なチェックポイントを挙げてある点が本書の良いところ。
ここからは余談。
新書というカテゴリーは、文庫でもないしハードカバーでもないというちょっと特殊なジャンルだと思っている。
昔読んだ高村薫さんのインタビューにこんなことが書いてあった。かなり昔には、
というすみ分けがあった。しかしこれは何十年も前から崩壊してしまったようだ。文庫はハードカバーで出版された書籍が何年か経った後に、再び出版社が同じ書籍を売り出したいがための「文庫化」される本が多数を占めるようになったためだ。(そうではない本もあるが、全体の傾向としてそうなってきた)
くわえて、
というような区分けがあったように思う。新書は、上の新聞と雑誌の間を縫うような「新聞のような時事的な問題を、雑誌と同じくらい詳しく、かつできるだけわかりやすく」というニーズがあって発展してきたものだと思う。要するに、今の池上彰さん的な立場を新書は担っていた。
新書には、もう一方で「学問の初歩を紹介する」という役割もある。これらは新書が出はじめた当時は多かったが、最近はそんなに多くない。(元のブログでは数学入門はこの手の新書だ)○○学と呼べるような大きな学問領域を一手に扱えるほど権威のある書き手が少なくなってきて、各学問領域内でも細分化された結果、一概に「こうだ」と言えるようなことが難しくなりつつあるからだと思う。加えてそれらを説明しようとすると、新書では紙面が足りないからだと思う。
そのためなのかどうかは知らないが、最近は特に、何か一つのテーマをなんとなく紹介する新書が多くなってきた。こういう新書は読むとそのときは何となくわかったような気がするけれど、時が経つと忘れてしまったり、素人目にはその紹介にはつじつまが合わないような時事問題が現れたりする。で、その結果として、その時々で「今」をなんとなくわかりたいときには役に立つ。けれども、全体としてみると、(特に経済問題や時事的な社会問題系は)役に立たないものが多い。陳腐化する。
の方が良い気がする。というか普通大学生ならば、新入生の手引きとかにレポートの書き方の説明や参考文献が載っているのではないか?大学の講義にそういうものがあるはずだ。なので、「理科系の作文技術」は名著だけれど講義に出て練習を積めばいいように思う。もちろん一気に上手くなるわけではないけれど、ノウハウ本を一冊読むよりも、一度学んだも講義資料を読む方がはるかにわかりやすいと思うのだが。講義の教授が木下是雄氏で、「理科系の作文技術」が指定教科書ならばともかく。
にきび跡、肌荒れ酷い、不細工、発達障害(ADHD)、腎臓疾患(ネフローゼ)持ち、身長170cmどまり中学受験で入った自称進学校で進級すら危うかった超低スペック高校2年生だ。
新宿の紀伊国屋書店に行ったのだけれども、全く読みたい本がない。
本の売れ筋ランキングを見ると 新興宗教の教祖の薄い内容の本や、タレントが書いた自己啓発っぽい新書、病気の新書、月9でドラマ化でもしてほしそうな文芸本がランクインしている。
なんて言うか読みたいと思わない。
だからって興味のある分野があるわけでもないので、専門書を読もうとは思わない。
僕の自称進学校の図書館では よくわかる時事問題みたいな本とか とか 大学入試によく出てくる評論の本とかばっかりだ。
今年は糞老人の理事長が「グローバル化」という言葉が大好きなので英語の簡単な物語を増やしてくれたそうだ。
どれもそそらない。
ニーチェとかデカルトとかそれまた小難しいインテリ気取りの名著と言われる本を読もうとも思わない。読んでも面白くないし。
読まなきゃいいだけだ 死ね 勉強してろ って言われればその通りなんだろうけど最近の無気力感を打破するためにも素晴らしい本を探している。
私は嫌儲ではないんだけど、腹立つアフィ野郎を見てて共通点を見つけたので書いとく。
↓
確かに(ry
↓
この本を読んで、僕も(ry
これに、たまに刺激的なタイトル付けて思いの丈ブチ撒けてみたり、炎上案件に首突っ込んでたりすると役満な。現実に会ったら殴りかかりたいレベル。さらに自分の職業に関しての経験とか混ぜてドヤ顔してたら満貫。これからの御不幸をお祈りするレベル。
立派なご職業に就かれててお子さんまで居るのに、こういうゲスが出来るのにたまげるわ。2chまとめ引っ張ってくるまでもなく、ネットではゲスの方が蔓延るのが良く分かるよ。何言われても、やったもん勝ち・儲けたもん勝ち・他人はコンテンツwだもんな。こういうのに限って電池がなかなか切れない氏ね。頭の線はとっくに切れてるのに。他人を不快にさせる事でも、お金を得られるんだから糞だよなあ。なんでも肥料になるアフィカス恐ろしいです^p^
なんで、こういう奴を見ると腹立つのかと自分ごとながら思ってたけど、
この辺だった。
他人のフンドシで云々はよく批判されるの見るけど、私からしたら同レベルだし。お前の糞レビューにマージン受け取れるだけの価値があると思ってんの?っていつも思うし、たまに偉そうに時事問題とかについてご高説ブチかましてるの見るたびに、どんな正しいこと言ってても「うん。いいからさっさと滅しろよクズが」って思うんだよね。
とはいっても、結論としては「一銭でもコイツに金が入っているのかと思うと腹立つ」という書き手の人間性の問題に帰結するのが大半だが。顔も本名も知らなくても、こんなに他人を嫌いになれるとは思わなかったくらいに嫌いなのも居る。流石に名前は書かんけど、そいつをネットで見かけるたびに、そいつの家族にすら良い感情を持てないだろうなあという確信があるくらいに不愉快になる。
家庭てのは、本来生産の場じゃじゃないんだよ。
国の規模でみたら子供を作って教育して世に送り出すという役割があるけど、
だから残業だの転勤だの休日出勤なんて、家庭の事情を潰す業務命令が平気で出せるんであって。
で、家庭の側も、自分たち家族で生活するためのお金が稼げることもできないから、その地位に甘んじるしかないわけだよ。
だから家を守る者は働いている者を立てる、アシストする役目を負っていて、基本的に妻が夫を支えるわけだ。
ところが最近は、支える者が働く者に意見を言うようになってきたわけだ。
家庭を維持するための、メンテナンスの意見とか、出費の相談とか、子どもの教育についてとか、
そういうことから逸脱する価値観が飛び交うようになったら、家庭の価値は下がると思う。
テレビ番組が人気を失ったのは、役者や芸人が時事問題なんかで意見を言うようになったからだと思うよ。
何か言いたいことがあったら芸で表現すればいいのに、コメンテーターになったらお終いだと思う。
それも最近は、自分の意見ではなくディレクターとかスタジオの流れに迎合していると思われる発言ばかりだし。
役者や芸人の、まぁ才能が、スタジオ全体の“作り”に荷担するためのものになっているからねー。
そんなことも解らない連中の作る「ドラマ」が、魅力を失っていて。
うまくまとまらないので、箇条書きにする。思考メモみたいなもんなので、結局何が言いたいのになってるかもしれない。
価値付け→目新しさ、ためになる、需要のある事実、歴史的に重要な事実、リスペクトしてる発信者からの情報、etc、色々な価値があるけど、まとめて「情報の重さ」ということにする。
時事問題や災害等、事実自体が重いケースは除き、情報の一次発信者によってある程度重さの初期値が左右される。
既存メディアでは、大手マスコミなど、情報を加工し提供している所で重さが操作される。
ネットでは、情報の受け取り手がバズによって重さを加算していく。
http://anond.hatelabo.jp/20110307103006 自分の書いたものから一部
TL に出てきたものを RT するとき→自分がフォローしている人が回してきた情報→フォローしてるってことは信用や友好や情報価値などがあるということ→情報の価値や精査の連鎖がある
工作アカウントが RT する→こういうアカウントはスパムっぽかったりするのであまりフォローされない(単純につまらん)→フォローするのはフォロワー数が欲しいだけの人や自動フォロー→そういう人のツイートはまたつまらないのであまり有意義なツイートをする人にフォローされて無い→情報価値が上がらない連鎖
てな感じで、Twitter の場合、ツイートが RT されて自分の TL に来るまでに「信用の連鎖」や「情報の精査」がある。だれが RT したか調べなくても TL という経路を伝わってくる以上、それがあるわけ。
ところが、はてぶのような仕組みにはそれがない。数字にしか意味が無いのがまずい。クソみたいな工作員の3ブクマでも、3ブクマなわけよ。これが Twitter なら全然フォロワーいない奴の 3RT には意味ないじゃん。そうはならないのがはてぶ。
情報を重くする。情報にメタデータをつける。情報に信用度をつける。または下げる。色々が処理がされて、再発信される。受け取り手は発信者でもある。発信者と受信者の区別がなくなっていく。ゆるやかな情報の共有。
同時性が必要。
情報を重くするには人の判断が必要→判断をするにはリテラシーだけでなく感情もかかわる。同じ瞬間に共有していることで一気に意思や感情がかかわりやすくなる。
リアルタイムで中東からの声を聞いた人達が、国内の発信者と同じ距離感でそれを捉えて、革命自体を身近に感じたように。
さらに同時性がどれだけ高いかということ自体が情報に重みを加算する。
シーケンシャルなメディアって他に言い方わからないので俺俺用語。
シーケンシャルでないメディア。検索エンジンや過去のログや Wikipedia や書籍等。いつでもどれでもどこからでも見れるメディア。これらは人の好奇心や知識欲がある限り、ずっと生き残るだろう。
例えば、アニメは初放送の時はシーケンシャルなメディアで、放送後に発売された DVD はシーケンシャルじゃないメディア。
最大のシーケンシャルなメディアは現実世界。現実世界は万人と共有している。
現実世界の時間軸とリンクした仮想世界も同等の同時性がある、MMORPG など。
ニコニコ動画は、動画の中にコメントの時間軸を入れる事で、仮想的に同時性を演出している。ニコニコ動画のどの動画をいつ見ているかというのは、現実世界の時間軸での同時性だし、これにも大きな価値があるが。(世界の新着動画や生放送など)
今サッカーの放送を見ている、今人気アニメの第何話を見ているという同時性。それと相互に依存する情報の重み付けと共有。
今の日本のテレビの一番のネックはこの情報の重み付けと共有が外部に依存していること。
ネットでは境目がない。内包されている。
テレビでは、分離されている。テレビで発せられた情報がネットで重みを加算されることも多い。
(俺俺メモ。そー考えると、昔ながらのライブやイベントというのは、テレビよりむしろネットにずっと性質が近い気がする。いや、もっと昔ながらの口コミや言い伝えにはネットと同じように情報を重くする仕組みが受け取り手自身にあった。テレビというメディアが逆に異質なんじゃないか?)
情報の重み付けと共有は、同時性によって加速されるから、同時性のないシーケンシャルなメディアは段々価値がなくなっていくか、ウケが悪くなっていくだろう。
海外メディアでは新聞局や通信社やテレビ局がネットの利点を生かした発信をしている。ライブブログなど、ほぼリアルタイムで更新される情報群。テレビ側では、ネットのゆるやかな共有、重み付け、同時性を放送の中に取り込む動き。
http://wiredvision.jp/news/201103/2011030719.html wiredvision アルジャジーラの「ソーシャル・ネットTV」
この差を解決できないメディアはただのインフラになっていくと考えている。(百年スケールだろうが)
まともな考えなら、それもメディアに取り込もうとするから、アルジャジーラのような取り組みはとめられないだろう。(日本国内はしらん)
この差を解決できないメディアはただのインフラになっていくと上で書いたけど、そのインフラこそがテレビの強さ。同時性、共有、これが巨大になっていくと今のネットワークでは帯域幅が足りない。テレビにはそういう問題がない。
そう考えると、ネットがインフラとしてテレビを利用するようなものが今後増えてくる。アルジャジーラの取り組みはまさしくそれ。
ネットの情報は信用できない、だからネットはと言われるが、情報に重みをつけるのは俺ら自身だ。そのために出来る事は、リテラシーを育てること。
http://anond.hatelabo.jp/20110307054102 俺の書いたもので申し訳ないけど、伝えたいことは大体書いてある。
元増田だけど、俺は愛国心を「自分の家庭を守り、地元を守り、同胞を守り、祖国を守り、同胞になろうとする人達を守ろうとする普通の気持ち」だと考えてる。その定義なら自分には愛国心はある。
だから同胞になろうともしないで、差別を盾に主張を通そうとするような輩は批判されて当然だと思ってる。
でも、行き過ぎたネトウヨは国粋主義というか…自分と違う文化の出身者というだけで、こっちの文化にあわせてやっていこうとしてる人まで過剰な攻撃対象にし排他的になる。実際に仕事仲間を時事問題にひっくるめて乱暴に言葉で攻撃されてイラっときてしまった。今回に始まったことじゃなくて前にも何度か似たような陰湿な言動があったんだ。今回我慢できなかった。彼が言うには俺には愛国心がないらしい。彼の言う愛国心は少しファシスト的なんだよ。もし、愛国心の基準がそんなものだったら、俺には愛国心がないことになるし、それが愛国心なんだ!と主張するネトウヨが愛国心というものを気軽にいえない雰囲気を少なからず作ってると思う。
本当にネット上の日本人の愛国心に対するイメージが「家族を守り、地元を守り、同胞を守り、祖国を守り、同胞になろうとする人達を守ろうとする普通の気持ち」だったら、もっとあたりまえに愛国心を語れて褒め言葉なんじゃないか。そうではなく「他者を攻撃し、排他的になる」が愛国心だと言いたげな連中の言動が愛国心という言葉のイメージ自体を曲げてるのは否定できない。
長年、大学生を見続けてきたが、大学生というのはいつの時代も社会の常識、いわゆる一般常識というものを知らない。
まわりが、皆知らなければ、まともに知識をもっているだけで、かなり有利になることがわかるだろう。
にもかかわらず、なぜ、大学生に常識がない、つけようとしていないのかを考えてみた。
まず、一つに世の中一般に関しての一般教養を身につけるのは高校生までで殆ど完了してしまい、
その後に関しては、自らの努力で教養を身につけていくしかないこと。
また、社会に出ておらず、大学内で生活を送るぶんには、一般常識は必要とされないこと。
要するに、身につける機会も無く、必要となる機会も無い。
しかし、社会へでる、就職活動をする際に、一般常識というものは確実に必要になってくる。
この就職難の時代に1年生から出来る、もっとも基本的な就活対策だと思うのだが。
就活生の多くが、スマートフォンを説明会の予約の為に、持つようになったといわれているからか、
そういった、一般常識、時事問題、SPIといった基本的な力を身につけるアプリがリリースされているようだ。
実際これらにどれほどのニーズがあるかはわからないが、就職活動にはきっと役立つことだろう。
日本の将来を背負って立つ、大学生達よ。常識を身につけ、その上で常識を壊すようなinnovationをおこしてくれ!!
http://itunes.apple.com/jp/app/id414806241?mt=8&ign-mpt=uo%3D4
や
http://itunes.apple.com/jp/app/id298592032?mt=8&ign-mpt=uo%3D4
で基礎的な知識を吸収し、
けど、今まで政治に興味を持ったことがないんです。
面接とか試験の時に時事問題として少し新聞読んだぐらいです。ホントに。
それで、正直どこの政党が勝とうが、誰が当選しようがそんなに変わらんだろって思ってます。どこがやっても、誰がやっても、そこそこ上手く(あるいはそこそこ下手に)やってくだけなんじゃねえの?みたいな。
実際に政策のせいで痛い目を見た経験/実感がないからなんですかね?勉強不足も多分あるでしょうがよくわかりません。とにかくこれが正直な所です。
で、選挙権貰っても選挙に積極的に参加するつもりは無くて、白紙で出すのもつまらんからネタ投票でもするか、あるいは面倒だったら行かなくていいや。ぐらいに考えてました。
ところが、ここ数日のはてブやらツイッターやらを見てると、無投票と白紙投票について熱い議論がされていて、前述の通り政治に興味の無い自分には何が本当の話なのか分かりませんでしたが、とにかく白紙でも無投票でも結構怒る人がいるんだなあ、というか、怒られるような事なんだなあってのが分かりまして、どうすりゃいいのか途方に暮れてここに吐き出させてもらった次第です。
まず、政治に興味がないのはおかしい事なんでしょうか?現状、周りの友人を見ていると別におかしい事じゃないと思えてしまうのですが、皆自然と政治に興味を持っていくものなんでしょうか?また、自然に興味が持てなかった人間は努力してでも興味を持つべきなんでしょうか?
後、実際に投票に行くとなった場合の話なんですが、まず前提として、大多数の人は消去法的に投票先を決めているという考えでいいんでしょうか?
その際に、どの程度情報を仕入れて投票先を決めているんでしょうか?候補者の人となり、実現したい政策、その政策が実現される事でどの様な影響があるか、ブログやツイッターをやっていたらそこからどんな考えを持っているか読み取ったり、街頭演説をしていたらそれも聴いたり、とかでしょうか。その人が属する政党についても同様に調べる必要があるのでしょうか?自分が投票し得る候補者全員について調べる必要があるのでしょうか?また、自分が重要だと思う事について、情報が見つからない場合にはどう判断すべきなのでしょうか。
それから、選挙後の事も心配です。自分が投票した候補者がもし当選した場合には、その人の動向をチェックし続けるべきでしょうか?落選した場合には、代わりに当選した人の動向をチェックし続けるべきでしょうか?自分が投票した政党についてはどうでしょうか?
学校や親から、たまにですが、選挙権貰ったらちゃんと選挙に行くように言われていたのを思い出して、ちゃんと選挙に行く為に知りたい点を書いてみたのですが、どう思われますでしょうか。
自分は書いていて、気にしなきゃいけない事が多すぎると思ってしまいました。一般的な基準が分からないので、もしかしたらまだまだ気にしなきゃいけない所があるのかも知れません。普通の人はそんなに色々気にして無いよって言って欲しい所ですが、だとしても、それならばどこで、どの程度手を抜いているのでしょうか。「選挙でちゃんと投票する為にやっておかなければならないn個の事」みたいな情報はどこかにないでしょうか。
さっきNHKの国会中継を見ていたんだが、民主党の財政法違反問題なるものがあるらしい。11:45あたりから見始めたので、はじめから見ていないのだけれども、どうやら予算の箇所付けと思われるものを予算可決前に地方自治体などに通知したことが問題らしい。「予算の箇所付け」とは
http://74.125.153.132/search?q=cache:GdLghv11prsJ:news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4347556.html+%E7%AE%87%E6%89%80%E4%BB%98%E3%81%91&cd=6&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&lr=lang_ja&client=firefox-a
だそうだ。審議を見る限りこの「予算の箇所付け」を予算の可決前に誰かに教えることは財政法違反らしい。途中から見たので、具体的に財政法の何条違反なのかは知らないが。で、今回「予算の箇所付け」らしきものを地方自治体に教えたことが、問題となっているようだ。
この「問題」に関する国会中継を見ていて思ったのだが、これって本質的に何が問題なんだろうか?政府も「予算の箇所付けではなく、財政法違反でない」って主張していることは、予算の箇所付けを通知していれば形式的には法律違反でよくはないんだろう。しかしむしろ今までこんなことができなかった財政法の方が悪いんじゃないかと思うのだが。国の事業といっても、地方にも負担があるはず。
直轄事業(ちょっかつじぎょう)とは、国が決定し、実行する事業のこと。費用のすべてを国が負担することは意味しない。道路、河川・ダム、港湾などの事業に分かれる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E8%BD%84%E4%BA%8B%E6%A5%AD
この地元負担がどれだけとられるかというのは、多分地方自治体にとっては問題だろう。地元負担がとられればとられるだけ自由に使える予算が減るのだから。だからある程度見通しを教えるのがいいと思うのだが。というか今まで教えてなかった方が問題じゃないのだろうか?地元負担が決定しない限り、理論的には地方自治体の予算は組めないからだ。政府が地方自治体にある程度見通しを教えることは必要だと思うのだが。ネットではあまり話題になっていなくて、
ぐらいしか、見つからなかったもので、実質的に何が問題かさっぱりわからない。重要な情報だというのはわかったのだが、「重要だから公表しちゃだめ」という思考回路が理解できない。「重要だから早く見通し等を公表するべき」だろう。
しかも「予算 箇所付け」で検索していたら、こんなブログを発見した。
まもなく予算の箇所付けが発表される。中選挙区制の時は、同じ選挙区から同じ党の議員がいるために一分一秒を争っていち早く地元に予算の内訳を報告していた。今や小選挙区に変わり、選挙区に与党議員は1人なので(比例議員を除く)以前ほど時間を競うこともなく地元に予算の箇所付けを報告している。。。。しかし翌日には公に発表されるのに、なぜ?と思われるでしょうが「おれんらの先生は役所からおれんらの地域にこんな公共事業を運んできてくれた」と思わせるため、だとか。
・・・って無駄な公共事業をやめるのが今の政治に求められてるのでは?と不可解な出来事の一つである。
http://blog.livedoor.jp/nagatachou/archives/10465814.html
ブログの説明にはこうある。「元公設大臣秘書であり自民党元秘書が舞台に国内外の時事問題を厳しく斬っていきます。」と。
きれいになって、私を振ったあの人を見返してやる!
byスイーツ(笑)
というわけなので、きれいになる作戦を実施します。
人の嫁になって、早1年。
美容院には行かないわ、洋服は買わないわ、マニキュアは塗らないわ、毛は生え放題だわ。
まぁ、デートにも誘えない、嫁も抱けない甲斐性なしの旦那のせいといえなくもないのだが、
離婚することを決心した私は、これからきれいになって素敵な男性をゲットしたいと思うのです。
1.美容院に行こう!
ロングの黒髪ゆるふわカールは好評でしたが、その後1年放置してます。
まずは、黒髪からダークブラウンへ。
いろいろ厳しく言われる職場なので、色を抜いたとばれないほどのダークブラウン。
なおかつ、少しは軽く見える色合いへ。
そのバランスが難しそう。
また、デジタルパーマも当て直そう。
2.毛を剃ろう!
でもね。抜くの痛いのよ。面倒なのよ。
とりあえず、足と腕と脇。
あとは、まゆげと顔の産毛。
あ。指もね。
顔の産毛を抜くやつ、買ってこないとな。
もみあげもかーっ!!
3.ジムに行こう!
ジムの契約をしつつ、月に平均3回くらいしか行ってないんじゃないかな。
垂れたお尻をアップするのだ。
ゆるんだ足を、キュッとするのだ。
4.顔のマッサージをしよう!
皺が入ってくるお年頃。
余計なたるみを一切無くした、モデルばりのシュッとした顔へ!
笑顔大事よねー。
見た目ちょっと怖そうな顔をしているので、できるだけ笑顔に。
外歩くときは難しいよね。電車の中とか。
でも、いつも笑っていれば、素の顔も自然と笑顔になるんだろうな。
笑顔!!
6.マニキュアを塗ろう!
マニキュアが男性人にはあまり好評じゃないことは知っているんだけど、
最低限のお手入れはしたいと思うのよ。
というか、気合を入れるためね。
きれいになろうという、心がけの第一歩として、最低限のマニキュアを塗ろう。
女の子であることを忘れてはいけません。
7.ちゃんとお手入れしよう!
肌がそんなに弱くないので、洗顔後にそのまま化粧水とかつけずに放っておくことも。
でも、ちゃんとお手入れすれば、ほんとにすべすべになるのよね。
これから冬だし。足とか放っておいたら、がさがさしちゃうし。
まずは、ちゃんと顔を洗う。
洗顔後は、化粧水やらをつける。
足や手にもクリームを塗ろう。
8.新聞を読もう!
せっかく日経を取っているのに、旦那しか読んでいない状況。
最近、物事への興味が減ってきて困ったものだけど(年の問題か?)
そこで歯止めをかけなきゃ。
早く、ぽっぽ礼賛運動が終わってくれないかな。
ニュースも見る気しなくなってるし。
ぽっぽ礼賛も含めて、ちゃんと新聞読もう。時事問題に強くなろう。
支持率70%越えって…うっそくさ!!
9.勉強をしよう!
勉強したいことはいっぱいあって、受ける資格試験もあるのに放置してた。
まぁ、離婚問題と生活に悩んでて…てのもあるけど、それは言い訳。
まずは、応用情報ね。
あとはデザイン系ね。
仕事の依頼も自ら奪いに行かなきゃ。
そこで、出会いがあるかもしれないし!
大学生くらいまでは、芸術にすごく興味があったのに、最近ほんとに物事すべてへの興味が薄れてきた。
まわりには感性豊かで、能動的になにかを創っている人ばかりなのに、自分はどんどん置いてかれている。
まずは、興味を持つこと。
失いつつある感性を取り戻すこと。
なにが変わるかなんてわからないけど、きっと人生楽しくなるでしょ。
絵も描こう。びっくりするほど下手になってるんだもん。びっくりよ。
11.なにかを創りだそう!
物でもいいし、文章でもいいし、絵でもいいし、FLASHでもいい。
なにがつくりたいかな。
文章は書きたい。
世界をつくりだしたい。
物もいいね。
アクセサリーとかが手っ取り早いのかな。
12.人に会おう!人のいるところに行こう!
昔はあんまり人が好きじゃなかったのよね。
今は周りにいる人たちがいい人ばかりで、人付き合いが楽しくなってきた!
周りがいい人ばかりだと、自分自身も浄化されてくる。
人の悪口とか言いたくならなくなってくるもんね。ちょっとは言うけどさ。
なにか趣味の集まりに参加したいな。
なにかって言ってるうちは動き出さないんだろうけど。
人との縁を大切に。
ちっちゃな縁を広げていこう。むしろ奪いに行こう。
男性だけじゃなくてもさ。興味を持った人にはアタック!
自分から誘うくらいじゃないとね。
どこに繋がるかわからないしね。
13.早寝早起きしよう!
これ、一番大事だった!なのにここまで出てこなかった!まずい。
せめて、12時就寝。8時起床!
8時間は寝すぎとか、そんなのどうでもいい!
8時起床!
14.食事をつくろう!
食べてくれる人がいないので、ぜんぜんご飯をつくってない。
買い食い、外食、そんなのばかり。
いやいや、むしろ断食に近いこともある。
いけない、いけない。痩せすぎ警報!
野菜もお肉も適度に食べよう!
まずはご飯を炊くところから。
15.掃除をしよう!
掃除、苦手なのよねー。
自分の押入れなんて、どうなってるのかよくわからない状態だものね。
今週中に押入れの書類をどうにかします。がんばります。
16.洋服を買おう!
自分に似合った洋服を買おう。
と、言いたいところだけど、これも難しいんだよね。
背が高くて、モデル体型らしいんですよ。
クールな服の方が似合うみたいなんですよ。
でもね。となると、モテなさそう。
似合う服を着ると、近づきがたい感じになってしまいそう。
なので、やわらか目な服を着てるんですが…どうも似合わないらしい。
もう、いいかな。わが道を行ってもだれか声かけてくれるかな。
まぁ、わが道っていってもちょっとクール目なだけだけど。
ちょっと友達に相談してみよう。
あ。ギャップってやつになるかな。
うんうん。
あ。でも、ネットで出会うってのもありっちゃありなんだけどね。
とりあえず、17個。
うんうん。
それにしても、女の子独自のものも結構あるなぁ。
毛を抜いたり、肌のお手入れしたり…女の子って大変。
めんどくせぇ。ばからしい。
と、言いたいところだけど、お手入れすることによって、他の部分にも気がまわるようになるんだよね。
なるといいな。
女の子って、結局外見で評価される部分が多い。
絶対否定できない。
だからなのか、綺麗じゃない時って態度や言葉遣いや目線も変わってくる。
目立たないように、目立たないように、自信無い行動をとっちゃう。
だから、やっぱり外見は大事。
男の人の態度、がらっと変わるしねー。
綺麗になろう。
かしこくなろう。
人と出会おう。
人に翻弄されないで、自分で立てる女になろう。
凌辱エロゲ規制派の言説は概ね正しいがだったらもっと早く言えよとも思う。
このタイミングで規制するべきだと言ったところで内容がいかに正しくてもブームに便乗してるだけで
「時事問題なんで扱ってみました、みんな!ブクマよろしくね!」っていうパフォーマンスにしか見えない。
野球チームが優勝したときに「ファンでした」宣言するタレントや4年に一度だけサッカーにやたら詳しいそぶりをする奴とかと同じ。
そんでもって数年後に「あの時の俺はこんなこと言ってたなあ」とか言って美しい思い出としてしみじみするんだろ?
冗談じゃねえ、お前らの思い出作りのために規制されてたまるかよ。
凌辱エロゲなんて少なくとも俺がエロゲをやりだした2004年からあったわけなんだから問題だと思ってたんならその頃から言えたはずだ。
だからもし「5年前から俺は規制するべきと思っていたし、実際に5年前から凌辱エロゲは規制するべきだという趣旨のHPをやってるけど何か?」みたいな
年季の入った規制派がいたら(きっといるんだろうけど)俺は何も言えない、無条件降伏だ。
規制派の言説はどれも正しいが真に正しいのはそういうやつだけじゃないだろうか。
どうせ論破されるなら正しいこと言ってるにわかよりも年季の入った奴にされたい。誰だってそう考えるだろ?
http://anond.hatelabo.jp/20090211023546 への反応。
Twitterをはじめる友人へ送ったプライベートなメールを、大幅に加筆したものだ。
自分のブログに投稿しようと思ったのだが、増田の方が需要が高いと思ったので投げておく。
Twitterをはじめたのはちょうど一年ぐらい前だが、僕も最初は良くわからなかった。
「全くの知人がゼロ」という状態からTwitterジャンキーになった僕がどのようにTwitterを使ってきたか、参考までに。
対象は、「Twitterに登録してみたけど何をしたらいいかわからない。とりあえずフォローを増やしてみよう」という人
あと、かなり感覚的に書いている部分が多いので、突っ込みどころはたくさんあるがご容赦いただきたい。
一番最後に簡単な用語集を付属 わからない単語があったら見てもらえばいい。
□Twitterを楽しむために知っておきたいこと
フォローを増やすほど、たくさんの呟きが自分のTLに流れてくるほどTwitterは楽しい。
しかし、もちろん自分のポストだって見てもらいたいし、他ユーザーと交流をしたいだろう。
そのためにちょっと工夫しなければいけないことがある。
あまり言及はされないが、多くの人が経験的にFollowing / Follower比という考えを持っている。
これは、「どの程度皆に認められているか」という指標に用いる。
0に近いほど有名人。フォロー20、フォロワー数千のようなアカウントだ。@jkondo や@tsuda のような世間的に知られている人。
0.5ぐらいでフォロー数が大きいのがTwitter上の有名人。ここらの人はあまり初心者にフォローを返さない。
1~1.5ぐらいが普通のユーザー。この中でフォロー数が多いのがへヴィユーザー。
統計的な裏づけはなく、かなり感覚的だが、だいたいあってるはず。
□「まず100人フォローしてみろ」
とよく聞く。
たしかに、たくさんフォローしてみなければ楽しさがわからないのだが、最初は100人以上フォローしないほうがいいだろう。
それには理由がある。Following / Follower 比が偏っていると、フォローを返してもらえないからだ。
だから、まずフォローしてみて、活発でないorフォロー返してくれないし趣味もあわない、と思ったアカウントはリムーブし、ある程度比を維持する必要がある。軌道にのってきたら、Following / Follower比は1に近づけておこう。大きくても1.5まで。
まるで戦略的でやらしいことを言っているようだが、たくさんの人と双方向にコミュニケーションを取りたい場合、ここをクリアする必要がある。
最近多いのが、一度に500人近くフォローして、フォロー返されないと嘆いてやめてしまう人だ。
ある程度フォローを返してもらったら、また気になる人を追加してみよう。
突然のフォローを嫌がる人は少ない。アクティブなユーザーほどそれが普通だからだ。
Twitterにハマる人は、ここらへんから楽しくなってくる。
唯我独尊にやりたいなら、これらのことを気にする必要はない。あなたのポストが面白ければ、自然にフォロワーは増えていく。
□だれをフォローするか
最初はふぁぼったーから気になる発言をしている人をフォローするのをオススメする。
ふぁぼったー
http://favotter.matope.com/
ユーザーのFavoriteを集計するサービス。よく落ちてるのがタマに傷。
http://favotter.matope.com/user.php?user=アカウント名 で自分のどの発言がFavoriteされているか確認できる。
つまりはTwitter上のポストの人気投票みたいなものだ。内輪や変態自慢も多いのだが、そこらへんは自分で取捨する。
最初は自分のFavoriteは集計されていない。Favorite数が一定数を超えるとクロールされるようだ。
それから先は、気になるユーザーとよく絡んでいる(@が飛んでいる)人を中心にフォローするのがいいだろう。
□ポスト数・内容
やりたい分だけ。無理にする必要はない。
ただ、ポスト数が増えれば増えるほど目立ちフォローされる。長期間ポストしないとリムーブされやすい。自分がたくさんポストすることで、相手に自分の人間性を伝えることができる。
何をポストするか、基本的にご自由。なれあいでも、時事問題でも、自分の専門分野でもいいし、ラーメン@3分でもいい。
何も語ることがなくても、タイムラインにはネタが溢れている。そのネタについて言及してみるだけでいい。誰でもいいから、自分と同じネタを語ってくれる人がいるのは楽しいものだ。誰が反応してくれているかはわかりにくいが、TLをちゃんと観察しているとわかる。
ここで、無理に@でリプライする必要はない。@は相手に返信を強いて窮屈だし、ゆるいTwitterでゆるく語りたいなら言いっぱなしでいい。誰かが反応したいなら反応する。140文字の制限があるから議論には向かない。
@の使い方は他ユーザーを観察して学べばいいだろう。
面白い内容をポストすると、ふぁぼったーに載ることになるだろう。そうなるとフォローされやすい。
□ユーザーのフォロー基準
.フォローされたらフォロー返す人
.Following / Follower 比が偏ってない限りフォロー返す人
.リプライされるとフォロー返す人
.ふぁぼられるとフォロー返す人
.基本的に自分からはフォローを返さない人
上から順に多い。たぶん。
フォローが多いユーザー(500以上)は、クライアントで特定ユーザーやキーワードを抽出して読んでいる場合が多い。
.自分への絡みがしつこすぎる
.一定期間ポストがない
.ポストが多すぎてうざったい(Followingが少ないユーザーに多い)
初心者にありがちなのが、フォロー数が少ないせいか話題があまり見えてないこと。
自分と相手のTLは違うし、流速も全然違うので、もうちょっと想像力を働かせる必要がある。
自分にとって彼の発言は1/30かもしれないが、彼にとっては1/1000かもしれない。
まあ、リムーブを恐れて自重するよりは、ハジけていろいろやったほうが面白いと思うんだけども。
プロテクトユーザー(鍵付き)は、フォローの申請をし、相手の許可が得られないと発言を見ることができない。
Followingが50未満のプロテクトユーザーは内輪の傾向が強く、あるいは誰かのサブアカウントだったりで、申請が通ることは稀。
よく話題に上るような、Followingが200を超えたぐらいの人なら(おそらく)大丈夫だろう。
□ブロックの使い方
どうしてもウマがあわない人がいる。これはどうしようもない。相手のホームからBlockしよう。
ただし、ブロックした相手は自分のホームまでなら訪れることはできるので注意が必要。RSSで読まれたりすると手の施しようがない。完全スルー推奨。
実際、そんな用途よりは、面倒臭いBOTに絡まれたときの対処などに使うことが多い。
例えば、@kefir(?に反応してひたすら いいえケフィアです。とリプライを送ってくる)なんかフォローしてしまったら、人によっては面倒に感じることだろう。
積極的に使うと心が殺伐とする。よほど理由がない限りリムーブで。
□ユーザー層
年齢 20~30
性別 男:女=4:1
なにかしらのガジェット充が多い。マカーやiPhoneユーザーの比率が非常に高い。
はてな民は外部から思われてるより少ない。が、ホッテントリや2chまとめは話題の中心になりやすい。
リア充を煙たがってる割には、みな意外とリア充である。リア充は仮想敵。
□オフ会
外部からTwitterがけまらしいけまらしい言われている元凶だが、別に無理して参加する必要はない。
オフだオフだ言ってても、実際は普通の友人関係に近いものが多いからだ。今から新宿でメシ行くぞ!とか。
もし参加してみたいのなら、なんらかのコンセプトがある、10~15人程度のオフが参加しやすいのではないだろうか。
リアルとネットの壁を過剰に意識するのは、あんまり面白くないと思うんだぜ。
Windowsなら、基本的にTween,Twit,P3辺りをつかっておけば間違いない。
他にもいろいろあるので、いろいろと使ってみるといいだろう
□用語
TL タイムライン。フォローした人の発言が流れてくる
リムーブ 相手をフォローするのをやめること
ブロック リムーブし、相手から自分へのフォローを強制的に外す
ふぁぼ 発言をFavoriteすること。本来はブックマークなのだが、ふぁぼったーとの関わりが深い
クラスタ なんらかの傾向を持つ集団。明示的に示されるわけではない。例:深夜アニメクラスタ ~大学クラスタ
R&B Remove & Block 和田明子なんかがやってる音楽とは関係ない
BOT 中の人がいない人工無能。電車の運行情報を教えてくれるものから、文章を自動生成して迷言を繰り返すものまで
挨拶BOT @~おはよう @~おやすみ と、ひたすら挨拶する人間 別に嫌われているわけではないが、やりすぎは注意
外人BOT エッチなアイコンで無差別にフォローして、リンク先に誘導しようとする外国のBOT。あんなのクリックする人いるんだろうか。
~なう 「今~しているよ、~にいるよ」の意味
リムーブ返し 自分をリムーブした人をリムーブし返す。左手は添えるだけ。
Twitter-er Twitterをやっている人を指す言葉の一つ。あまり定まった呼称はない。
リナカフェ 秋葉原にあるカフェ。週末はTwitter-erで賑わう。案外、訪れる人たちのクラスタは偏っているので気にしなくていい。
爆発しろ! ~爆発しろ!とポストすると@bombtterというBOTが「~が爆発しました」とポストする。ネタである。
個人的にオススメしたい人もたくさんいるのだけど、名前を挙げると荒れるので出さない。出せない。
自分好みのタイムラインを作るために試行錯誤するといいだろう。
以上、長文失礼。
最近の麻生首相叩きや、はてブやtwitterでの言動叩きに至るまで、「1行数十文字程度の文言に極端に依存し勝手な理解で暴走する」という風潮が目につく。
文字活字にはむしろ触れているはずのネット世代が、しかしじっくりと磨き上げられた論説をゆっくりと精読する機会を逸しているのではないか? また、そのような論説が供される場所として、マスコミはもはや機能していないのではないか?新聞の例は言うに及ばず、例えばホットエントリには(どういう訳かIT屋界隈が多い)時事問題評論家のエントリが数ばかりを賑わしてはいるが、IT勉強会に現われない大企業社員のように、ネット言論に現われない論客も世の中には多数いて、社会は実はそういうネットに出てこない人たちの議論で回っている、という構造と似ていなくもない。まあ大企業社員がすべて一流とは限らんのだが、そこは言いたいことの本意ではない。
つまり本来まっとうに引きずり出されなければいけない議論や問題が棚上げされて、キャッチコピーとしてまとめられた扇情的な文に踊らされてやしないか? と、昼休みにネット界隈の議論を見ていて思うのである。
と、昼休みに雑談のネタとしてこんなような話をしたらば同僚から一言「社会の脇役しか集まらないようなとこばっかり見てるとそう思うようになるんだよ」と一笑に付された。おのれリア充め。