最近の麻生首相叩きや、はてブやtwitterでの言動叩きに至るまで、「1行数十文字程度の文言に極端に依存し勝手な理解で暴走する」という風潮が目につく。
文字活字にはむしろ触れているはずのネット世代が、しかしじっくりと磨き上げられた論説をゆっくりと精読する機会を逸しているのではないか? また、そのような論説が供される場所として、マスコミはもはや機能していないのではないか?新聞の例は言うに及ばず、例えばホットエントリには(どういう訳かIT屋界隈が多い)時事問題評論家のエントリが数ばかりを賑わしてはいるが、IT勉強会に現われない大企業社員のように、ネット言論に現われない論客も世の中には多数いて、社会は実はそういうネットに出てこない人たちの議論で回っている、という構造と似ていなくもない。まあ大企業社員がすべて一流とは限らんのだが、そこは言いたいことの本意ではない。
つまり本来まっとうに引きずり出されなければいけない議論や問題が棚上げされて、キャッチコピーとしてまとめられた扇情的な文に踊らされてやしないか? と、昼休みにネット界隈の議論を見ていて思うのである。
と、昼休みに雑談のネタとしてこんなような話をしたらば同僚から一言「社会の脇役しか集まらないようなとこばっかり見てるとそう思うようになるんだよ」と一笑に付された。おのれリア充め。
何でもズバっと要点のみ!わかりやすく!効率的に!インパクト重視! というのが社会全体の流れだろ。みんな頭使いたがらないんだよ。最近の人は。昔は知らんけど。 『財務諸表を1秒...
それが似非科学発達の要因だとも言われている。 つか、ニセ科学の話でもう一山でないかな。 あれ、紛糾しておもろい。
社会の脇役しか集まらないようなとこ 増田のことかーーーっっ! …と思ったけど、ネットの世界なんてどこもそんな風にしか見られてないんでしょうね。多分。 まあアカデミー賞...