2011-03-08

ネット既存メディアについて最近考えてる事

うまくまとまらないので、箇条書きにする。思考メモたいなもんなので、結局何が言いたいのになってるかもしれない。

情報への価値付け

価値付け→目新しさ、ためになる、需要のある事実歴史的に重要事実リスペクトしてる発信者から情報etc、色々な価値があるけど、まとめて「情報の重さ」ということにする。

何が情報を重くするのか

時事問題災害等、事実自体が重いケースは除き、情報の一次発信者によってある程度重さの初期値が左右される。

既存メディアでは、大手マスコミなど、情報を加工し提供している所で重さが操作される。

ネットでは、情報の受け取り手がバズによって重さを加算していく。

情報の重さが簡単に操作されないための仕組み

http://anond.hatelabo.jp/20110307103006 自分の書いたものから一部

TL に出てきたものを RT するとき自分がフォローしている人が回してきた情報→フォローしてるってことは信用や友好や情報価値などがあるということ→情報価値や精査の連鎖がある

 

工作アカウントが RT する→こういうアカウントスパムっぽかったりするのであまりフォローされない(単純につまらん)→フォローするのはフォロワー数が欲しいだけの人や自動フォロー→そういう人のツイートはまたつまらないのであまり有意義なツイートをする人にフォローされて無い→情報価値が上がらない連鎖

 

てな感じで、Twitter場合ツイートが RT されて自分の TL に来るまでに「信用の連鎖」や「情報の精査」がある。だれが RT したか調べなくても TL という経路を伝わってくる以上、それがあるわけ。

 

ところが、はてぶのような仕組みにはそれがない。数字しか意味が無いのがまずい。クソみたい工作員の3ブクマでも、3ブクマなわけよ。これが Twitter なら全然フォロワーいない奴の 3RT には意味ないじゃん。そうはならないのがはてぶ。

人間フィルタだな。

人間フィルタのいきつくところ

情報を重くする。情報メタデータをつける。情報に信用度をつける。または下げる。色々が処理がされて、再発信される。受け取り手は発信者でもある。発信者と受信者の区別がなくなっていく。ゆるやかな情報の共有。

ゆるやかな情報の共有が滑らかに行われるためには

同時性が必要。

情報を重くするには人の判断が必要→判断をするにはリテラシーだけでなく感情もかかわる。同じ瞬間に共有していることで一気に意思や感情がかかわりやすくなる。

リアルタイム中東からの声を聞いた人達が、国内の発信者と同じ距離感でそれを捉えて、革命自体を身近に感じたように。

さらに同時性がどれだけ高いかということ自体が情報に重みを加算する。

シーケンシャルなメディアとそうでないメディア

シーケンシャルなメディアって他に言い方わからないので俺俺用語。

シーケンシャルでないメディア検索エンジン過去ログWikipedia書籍等。いつでもどれでもどこからでも見れるメディア。これらは人の好奇心や知識欲がある限り、ずっと生き残るだろう。

例えば、アニメは初放送の時はシーケンシャルなメディアで、放送後に発売された DVD はシーケンシャルじゃないメディア

問題はシーケンシャルなメディア

最大のシーケンシャルなメディア現実世界現実世界は万人と共有している。

現実世界時間軸とリンクした仮想世界も同等の同時性がある、MMORPG など。

ニコニコ動画は、動画の中にコメント時間軸を入れる事で、仮想的に同時性を演出している。ニコニコ動画のどの動画をいつ見ているかというのは、現実世界時間軸での同時性だし、これにも大きな価値があるが。(世界の新着動画生放送など)

サッカーの放送を見ている、今人気アニメの第何話を見ているという同時性。それと相互に依存する情報の重み付けと共有。

ネットと今のテレビの決定的な違い

今の日本テレビの一番のネックはこの情報の重み付けと共有が外部依存していること。

ネットでは境目がない。内包されている。

テレビでは、分離されている。テレビで発せられた情報ネットで重みを加算されることも多い。

(俺俺メモ。そー考えると、昔ながらのライブイベントというのは、テレビよりむしろネットにずっと性質が近い気がする。いや、もっと昔ながらの口コミや言い伝えにはネットと同じように情報を重くする仕組みが受け取り手自身にあった。テレビというメディアが逆に異質なんじゃないか?)

その差がなにを生むのか

情報の重み付けと共有は、同時性によって加速されるから同時性のないシーケンシャルなメディアは段々価値がなくなっていくか、ウケが悪くなっていくだろう。

海外メディアでは新聞局や通信社テレビ局ネットの利点を生かした発信をしている。ライブブログなど、ほぼリアルタイム更新される情報群。テレビ側では、ネットのゆるやかな共有、重み付け、同時性を放送の中に取り込む動き。

http://wiredvision.jp/news/201103/2011030719.html wiredvision アルジャジーラの「ソーシャルネットTV

この差を解決できないメディアはただのインフラになっていくと考えている。(百年スケールだろうが)

まともな考えなら、それもメディアに取り込もうとするからアルジャジーラのような取り組みはとめられないだろう。(日本国内はしらん)

テレビ価値

この差を解決できないメディアはただのインフラになっていくと上で書いたけど、そのインフラこそがテレビの強さ。同時性、共有、これが巨大になっていくと今のネットワークでは帯域幅が足りない。テレビにはそういう問題がない。

そう考えると、ネットインフラとしてテレビを利用するようなものが今後増えてくる。アルジャジーラの取り組みはまさしくそれ。

俺らが情報価値をつける

ネット情報は信用できない、だからネットはと言われるが、情報に重みをつけるのは俺ら自身だ。そのために出来る事は、リテラシーを育てること。

http://anond.hatelabo.jp/20110307054102 俺の書いたもので申し訳ないけど、伝えたいことは大体書いてある。

記事への反応 -

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん