はてなキーワード: 教授とは
国際基督教大学(ICU)に2020年9月、「オールジェンダートイレ」が設置されました。
このトイレは、いわゆる「多目的トイレ」や「誰でもトイレ」のように“大きめの個室が1つある”ものではありません。一般的なトイレのように個室が連なっており、ジェンダーに関係なくすべての人が利用できるものになっています。
男女別トイレの「使いづらさ」や「居心地の悪さ」を訴えていたセクシュアルマイノリティの学生たちの声に応えて設置されました。
オールジェンダートイレの設置に携わったICU学生部長の加藤恵津子教授は、「オールジェンダートイレは、人権を大切にするICUのポリシーの体現でありメッセージでもある」と語ります。
国立メディア生理学研究所の調査によれば、天曰ひよちゃんのショート動画を一日に最低でも一回視聴することにより、癌発症率を通常の場合と比べてほぼ100%抑制できることがわかった。
調査は20代~40代の男女1万人を対象に行われた。対象は5千人ずつのA群とB群に分けられ、A群は会社と自宅を往復するだけの無為な生活を続けてもらう一方、B群の生活には天使のようにかわいい天曰ひよちゃんの一分程度のショート動画が彩りを添えた。
数か月後、A群はほぼ全ての人が病気か自殺で亡くなっており、そのうち癌で死亡した人数は500人程度であった。一方、B群における死傷病者は皆無であり、うち数名は人間を超えた高いステージへと昇った。
メディア生理学に詳しい高橋教授(東大)は「天曰ひよちゃんの動画が癌に効くという指摘は以前からあったが、統計的に証明されたのは今回が初めて。また、今回の大規模な調査によって新たに観測された現象もあり、さらなる研究によって天曰ひよちゃんが人類の救世主となる可能性も十分にありうる」と語る。
教授によれば、天曰ひよちゃんのかわいさは他にも、環境問題や紛争の解決にも期待されているという。今後の研究成果次第では、本当に人類を救うことになるかもしれない。(記:増田隆)
この文章は、慶應の湘南自治会が十一月に行われるSFC生総会の議題の一つとしてあげた「ジェンダー平等についての声明文」に関して、それまでの流れを簡単にまとめ、批判することを目的としたものである。多くの人に読んでもらうために煽るようなタイトルにしてしまったことを先に謝っておく。
まず、湘南自治会の始まりに遡って話を始める。SFC(湘南藤沢キャンパス)に自治会ができたのはつい最近のことである。(自治会準備会のほうは長く準備されていたように思うが)
いわゆる本キャンの方にはずっと昔からあったのだが、SFCの自治会は今年の夏あたりに、賛成221票、反対14票で承認され成立した。総合政策と環境情報の学部生だけで4000人近くいるので、SFC生の関心度がどれくらいだったか、という部分に関しては数字で察して欲しい。もちろん、こんな文章を書いているくらいなので増田は投票したのだが、まさかここまでの数字になるとは思っていなかった。世界の未来を語っておきながら自分たちのキャンパスのじちに関してここまで無頓着というのは恥ずかしすぎる。
SFCに対する愚痴はこの辺りにして、今回の「ジェンダー平等についての声明文」を見ていきたいと思う。
https://docs.google.com/document/d/14S5q-AGOPt_Utp4DWpChxTfTrpBA_73rZ08agTzsYK4/edit
これに対して、あるSFC生がnoteで危険性を指摘してくれている。
https://note.com/ya2020sfc/n/nf14ebe8b9113
データの偏りであったり利活用であったりの話はnoteに書いてある指摘の通りかな、と思う。安宅研の方らしいので、その分野に関しては増田よりもよっぽど精通していると思うし。
なので、そこら辺は簡単に触れるだけにしておく。
『本年9月末から10月初頭にかけて弊会が実施した「キャンパスの生理用品設置にかかるアンケート」では、SFC以外の学部生を含めて161名、SFCだけでも155件の回答がありました。本調査は、弊会が取り組む生理用品の設置に向けた実態・需要を調査することを主眼に置いていましたが、回答の分析の結果、SFCにおいて、「ジェンダー平等実現」を念頭においた行動が必要だと結論づけられました。』
「キャンパスの生理用品設置にかかるアンケート」は、主にツイッター上で行われたものである。そもそも、この161人という回答者グループには大きな偏りがあると考えられる。なぜなら、このアンケートのリンクが貼られた湘南自治会のツイートは、現時点(10/18 13時)で81のいいねと57RT程度のインプレッションにとどまっており、SFC生に広く届いているとは言えないからである。それ以前に、このようなアンケートに時間を割いて回答する層というだけでもバイアスが大きい。というかもう確認できないのだが、アンケートの設計自体が適切だったのか、という問いもある。
そういった問題を孕んだアンケートのみを根拠としたこの声明文が、あたかもSFC生の総意であるかのように執行部に提出されることは危険、としか言いようがないのである。
【現状批判 Criticism】
わたしたちは、現在のSFCにおいて、次に掲げるジェンダーに関する問題があると評価する。
これらの不平等に対し、多くのSFC生は関心が無いか、あるいは気づいていない。またこのことから、学生以外のSFC関係者においても同様の状況であると推定できる。
世界共通の課題という重要性にも関わらず、ジェンダーを主題とする授業及び研究会が無い。
性にまつわる理解、受容、共存共栄、人権意識について知る機会が不足している。
上記のようなSFCの諸問題について、専門に検証し改善を施す公式の仕組みが存在せず、それゆえにSFCにおける潜在的なジェンダーの問題発見ができていない。
以上の諸問題が連鎖し、SFCの現状を作り出していると考察する。
【要望 Demands】
わたしたちは、この目標を実現するべく、慶應義塾大学総合政策学部・環境情報学部に対し、次に掲げる事柄を要望する。
ジェンダーに関する学問的知見を生み出し、社会に還元することを目的に、SFCにおいてジェンダーを研究する場を創設すること。
前項に掲げる研究の場を主導することを目的に、相応しい研究者を配置又は雇用すること。
ジェンダーに関する教養を提供することを目的に、ジェンダーを主題とする授業を開講すること。
ジェンダーを含む人権に関する基礎教養を提供することを目的に、心身ウェルネス、総合政策学・環境情報学その他の適切な必修科目において、同内容の授業を組み込むこと。
SFCにおけるジェンダー平等の実現状況を検証し改善することを目的に、同内容を所管する委員会を指定または設置し、毎年SFCのジェンダー平等の現状を資料化したうえで改善を施すこと。
上記の要望を実現するため、湘南自治会ジェンダー平等特別委員会と共同で取り組むことを歓迎する。同内容は、学生と教職員との対話のもとに順次実現されることを企図するものである。
なお、看護医療学部、政策メディア研究科、健康マネジメント研究科においても、各学部・研究科の事情を勘案しながら同様の目的に適う措置を講ずることを希望する。
①SFCのジェンダー問題に関する無理解・無関心の要因を無知であると断定している点
②執行部に対する要望が、ジェンダー問題を解決するための施策として適切とは言えない点
①について
根拠となるデータの公平性が不確かであるにもかかわらず、ジェンダー不平等が存在し、解決に向けた取り組みが行われていないことを断定しているだけでなく、その要因を、SFC生がジェンダー問題に関して無理解・無関心であると言う推論で片付けてしまっている。少なくとも、SFC全体のデータとして適切である量のサンプルを集め、十分な分析を行なってから提言を進めていくべきだと考える。必要であれば、専門知識を持った教授なり学外の専門家なりに教えを乞うことも検討すべきである。
②について
ジェンダー問題に関して学ぶ場所がSFCにないから作れ、と言う簡潔かつ横暴な要望である。SFCに問題が存在していて、それを解決するためにはその問題について学ぶ必要があるから、新しい先生を呼んで授業や研究会を作ってくれないと困る!と言う話が成り立つのならば、今後大変なことになるだろう。行動計画にあったような自主勉強会をまずは発足すること。そこから少しずつ、ジェンダー平等への取り組みを学生主体で行っていく。こういう地道な活動を続けていくことでしか、今までずっと持っていた考え方を変えることはできないし、キャンパス全体の意識を変えてくことはできないと思う。
「ジェンダー」というテーマは、どこまでもデリケートに扱うべきものであるし、謙虚に勉強を続けていかなければいけないものでもある。
声明文を読む限り、自治会のメンバーも性にまつわる理解、受容、共存共栄、人権意識についての勉強が不足しているように思える。
ジェンダーに関する活動が話題になりやすいのはわかるが、プロセスを軽視しているし、目的と手段が入れ替わっている感じが否めない。
湘南自治会は、一定の権利を持つ大学の公式な団体であり、適切な知識を持つ第三者を介入させながら、慎重かつ適切に議論を重ねていくべきであると思う。
増田もまだまだ知識が不足しているとは思うが、ジェンダーを勉強しているひとりとして、自治会のジェンダーモラルについて散々批判にもならないようなお気持ち表明をしてしまった。
総会での質疑や請願等で、今後意見は直接伝えていくつもりである。長くなったが、放っておけばいい話題に喜んで首を突っ込み、壮大に騒いで物事を大きくしたがるのはSFC生の悪い癖なので許して欲しい。
京都大は15日、霊長類研究所の正高信男・元教授(66)が、2014年から19年に発表した論文4本で、実際に実験をしていなかった捏造(ねつぞう)の研究不正があったと発表した。正高元教授は20年3月に定年退職している。京大は退職金支払いを止めており、今後、処分を検討する。
調査委員会の報告書 https://www.kyoto-u.ac.jp/sites/default/files/inline-files/211015-kaikensiryo-d825afb27efaa25500ea68b226f58ea1.pdf によると、対象の論文は以下。
なんか、どれも教育・コミュニケーション関係の限定的な界隈が喜んで言及しそうなテーマよね。「大麻オイルがコミュ障・ひきこもり改善に役立つの!」とか「自閉症はダイバーシティのひとつ!美的判断能力が高いの!」とか「デジタル絵本のほうが紙より教育効果が高いの!」とか。周囲にそういうのがいて、感化されたのか、コメンテーターか広告塔になるつもりだったのか。...と思ったら、2003年頃からの著書が、なんかおかしなタイトルばかりだね。この頃に悪い編集者にでも捕まったのか。
(゚∀゚)キタコレ!!
これってつまり、動力源を完全に石油フリー・カーボンフリーで作れるってことよな
水素エンジンのMT車を買えるようになるのは10年以内の公算が高くなってきた
太陽の光を当てることで水を水素と酸素に分解する「光触媒」の働きを活用し、100平方メートルの規模で純度の高い水素を安全に取り出す実験に、東京大学などの研究チームが成功しました。広範囲での実験は過去に例がないということで、次世代のエネルギーとして注目される水素を大量かつ低コストで作る技術につながる成果として期待されます。
実験に成功したのは、NEDO=新エネルギー・産業技術総合開発機構と東京大学・信州大学などの研究チームで、ことし8月、国際的な科学雑誌「ネイチャー」で発表しました。
研究チームは、太陽の光を吸収して物質の化学反応を促進させる「光触媒」の働きを活用して水を水素と酸素に分解する物質を使った技術開発に取り組んでいます。
今回試したのは、この物質を付着させたパネルを屋外に設けて水を注ぎ、太陽の光を受けて発生した水素と酸素が混ざった気体から穴の空いた膜を通すことで水素だけを抽出する実験で、おととしから2年ほど実施してきました。
水素は、酸素と結びついて火に触れると燃焼したり爆発したりするため、取り扱いが難しい気体ですが、実験の結果、発生した水素の7割以上をおよそ94%という高い純度で安全に取り出せたということです。
研究チームによりますと、100平方メートルの規模で水素の取り出しに成功したのは世界で初めてだとしていて、水素を大量かつ低コストで作る技術につながると期待できる一方、さらに効率よく取り出すための新たな物質の開発が実用化への課題だとしています。
研究チームのメンバーで、東京大学の堂免一成特別教授は「こうした大規模な実験は爆発の危険性があるため世界でも例がなかったが、安全に取り扱える方法を考え、装置を開発した。早く実用化して、安い水素を大量に世の中に提供したい」と話しています。
光触媒とは
「光触媒」とは、光を当てると周りの物質の化学反応を促進させる物質です。
代表的な物質としては、白い塗料や化粧品などに使われる「酸化チタン」がよく知られています。
紫外線が当たると、水を水素と酸素に分解するメカニズムが発見されて以降、「酸化チタン」は有機物の分解にも応用され、汚れや臭いの除去のほか、抗菌作用などを得られることから「光触媒」の技術は日常の生活にも幅広く活用されています。
水素の特徴は
水素は化石燃料と異なり、燃やしても二酸化炭素を排出しません。
また、水を「電気分解」することで水素を取り出すことができます。
こうした特徴から「脱炭素化」につながるほか、余剰の電力が生じた場合にも、「電気分解」によって水から水素を取り出す技術が確立されれば、余った電力を水素に変換して蓄えることも可能になります。
一方で、水素は天然ガスなどと比べて生産コストが高いのが課題で、経済産業省では「脱炭素社会」の実現を目指す2050年までに水素の価格を技術革新などによって現在の5分の1以下にする目標を掲げています。
世界で供給される水素の大半は天然ガスなどの化石燃料から取り出す方法で製造されています。
ただ、この方法では製造過程で二酸化炭素も発生するため、「脱炭素化」に向けては、回収して地中に埋める技術などと組み合わせる必要があります。
このため、将来的には、再生可能エネルギーを使って二酸化炭素を出さずに水素を製造する技術が重要です。
現在、有力視されているのが水を「電気分解」して水素を取り出す「水電解装置」の開発で、国内外で技術開発が進められています。
これどうすんの?
https://webronza.asahi.com/science/articles/2021052700002.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%88%E8%97%A4%E9%9D%96
須藤 靖 (すとう やすし、1958年 - )は、日本の物理学者。専門は理論宇宙物理学。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻教授。理学博士。
>2021年5月29日、菅総理大臣が新型コロナウイルスのワクチン接種について「1日100万人の接種を行う」と述べたことに対して、朝日新聞のWebメディア論座にてフェルミ推定を用いて「実現しない」と断じた[3]。実際には10日で実現した。
太郎乙も漢語・英語・蘭語を使えたので、幕府の洋学校教授や外国奉行などを歴任した。
1869年(明治2年)、イギリスのヴィクトリア女王の次男であるエディンバラ公アルフレッドの来日が決まったとき、
各藩から英語が出来る人物が呼ばれて接待係に任じられたが、静岡藩からは太郎乙が選ばれた。
その折、薩摩藩の軍楽隊を指導するために来日していた軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントンから、
「歓迎の式典では国歌を流さなければならないが日本の国歌は何か」との問い合わせがあった。
接待係たちは国歌などというものを聞いたことがなかったので、どうすべきか政府上層部に問い合わせたところ、
「その程度のことでいちいち問い合わせてくるな、そういう問題を何とかするためにおまえらを呼んだんだろ」
そのときに太郎乙が「もう古歌のなかから適当に選定すればいいんじゃね」と、
徳川将軍家が毎年の正月に行っていた「おさざれ石の儀式」で歌う、
という古歌を推薦した。
これが採用されて、そこにフェントンが作曲したメロディが付けられた。
つまり乙骨太郎乙は国歌「君が代」の生みの親と言っても過言ではないのである。
ただし諸説あり。
秦の始皇帝の命を受けた徐福は、不老不死の薬を求めて日本にわたり、
日本の各地には徐福が暮らしたという伝承が残っている。冒頭で述べた新宮市の徐福公園もその一つだ。ここには公園が整備される以前、江戸時代前期に紀州徳川藩初代の徳川頼宣の命でつくられた「秦徐福之墓」の碑が立っている
始皇帝も本気になった。徐福のいう三神山とは、蓬莱・方丈・瀛州(ほうらい・ほうじょう・えいしゅう)のこと。それは渤海の(遼東半島と山東半島に挟まれた内海)の先にある神仙が住むとされた山のことである。さっそく徐福は命を受けて東の海へと出発した。その時には3000人の童男童女(若い男女のこと)と百工(多くの技術者)と財宝に五穀の種子を詰めこんでいた。こうして船出した徐福一行が帰ってくることはなかった。「淮南衡山列伝」では、平原広沢(広い平野と湿地)を得て王となったと記述されている。
この出来事は紀元前219年頃のことと考えられている。日本ではようやく長い縄文時代が終わり弥生時代を迎えた頃である。卑弥呼が登場するのは、ようやくこれから400年ほど後のこと。まだ日本には文字で記録されるような文明はなかった。そのためか『古事記』『日本書紀』には徐福に関する記述はない。
ただ不思議なことに古来より日本の各地には徐福が暮らしたという伝承が残っている。冒頭で述べた新宮市の徐福公園もその一つだ。ここには公園が整備される以前、江戸時代前期に紀州徳川藩初代の徳川頼宣の命でつくられた「秦徐福之墓」の碑が立っている。
あくまで、伝承の人物だったはずの徐福研究が活気づいたのは1990年代初頭からだった。長らく徐福は『史記』に記されながらも、存在が疑問視されてきた。『史記』は歴史書として名高いが、一方で批判的な視点での読解が求められる書物である。なにしろ作者である司馬遷も自分で見たり聞いたりしたことを書いているわけではない。徐福も司馬遷の生きた時代からは100年あまりも前の人物である。
『史記』のほかにも徐福の記述がある史書は多かったが、話の荒唐無稽さもあって、あくまで伝説上の人物という見方が強かった。
その認識が覆されたのは1982年のことである。当時『中華人民共和国地名辞典』編纂に携わっていた徐州師範学院教授の羅其湘は江蘇省の連雲港市郊外に後徐阜村という地名があるのを見つけた。調べてみると、この村は清の初め頃までは徐福村と呼ばれていたのだという。
これを契機に秦・漢代の造船所跡などの遺跡も見つかり、にわかに徐福の実在性は高まったのである。今では、この村は廟も建てられ徐福生誕の地として観光地になっているという。
いいか、よく聞け。書評には三種類ある。逆に言うと三つしかない。
勉強会で輪読するような場合、読んできたやつが読んでいないやつに本の内容を伝えるのは要約が一番だ。
同ジャンルの本を多く読んでいる場合、それらとの比較をして今回読んだ本を評価できるはずだ。
他の本にない特徴や新規性はなにか、他にない独特のストーリー展開や表現はなにか、
他にくらべてどのくらい優れていてどのくらい価値があるか。
ここの部分は何々の引用で、ここは何々の影響がみられるとか。
プロの書評はこういうやつだ。読書量が少なく自分の評価軸を持っていない素人が真似してはいけない。
読んだ本に書いてある内容にむりやりこじつけて自分のエピソードトークをするんだ。
その中に自分語りが出てくると読む方はおっと思う。
そしてレポートを採点する大学教授は、要約や比較はお前よりずっと上手いだろうが
お前自身の物語は世界で唯一お前にしか書けない。その教授にだって書けないんだ。
追記:
トラバついたので補足しておくな。
トラバにもあるようにいわゆる書評は(2)で、むしろ「(2)書評」という見出しにしたかったくらい。
元増田は書評と言いつつ大学のレポートや卒論、書評ブログ、読書感想文なんかを挙げているので、
要は本を読んでそれについて何か語る文章をうまく書きたいのだと解釈した。
仕事や学業の課題ではないみたいだし、読書ブログのようなのを書きたいのかな、と。
大学以上の人間が、特に教授など、小学生の感じた疑問ってのを殊更すごい事のように話すときがある
「1+1=2」系の奴が顕著
普通の人には「自明」で、数学、哲学的に考えると「自明とは言えない」となる奴で
授業の枕で聞いた人、多いのではなかろか?
聞き手が高校上がりの子供だと、「おっ、深い」とか思ってしまい、それが理由で授業を受けてない人でも知ってることがある
そんな話
でもこれ、くだらないよね
のカッコ部分が省略されてるのが、小学校の問題で、赤と緑のリンゴがあるとか、重さの違うリンゴがあるとか、そういうことを抽象化して1という数にしちゃうのが、まさに小学校の授業でしょう?
それが「数を数える」ってことだし、そう教えるよね
だから「1+1=2」が成立しない場合、問題定義が間違っているか、解釈が間違っているのであって、なにも深い所なんてない
「リンゴが一つの状態を1と呼ぶ」と決める(抽象化する)所から初めて、「二つの状態は2と呼ぶ」と決めて、十になったら桁上がりすると決めていくのが、10進法の考え方で
だから、1個、2個と数えることができて、その抽象化(数の数え方)を式にしたのが「1+1=2」であって
そういう定義を全部忘れて、「1+1=2」にならない事があるかもしれないとか言い出すの、因果が逆転してるよね
特定事象A(液体水の体積と重さの関係)のための立式に、別事象B(気体水素の体積と重さの関係)を当てはめたら成立しない、だから特定事象Aの抽象化は間違っているとかさ
誰も、この式でいかなる物質のいかなる状態も計算できます、とか言ってねぇだろと
水を測りたいんだよ
1(個)+1(個)=2(個)とわざわざ教える算数を、なんだと思ってんのかね
こういう親に教わる子供がかわいそうだよ
③医師、看護師、介護士、保育士らの給与に関わる公的な価格のあり方の抜本的な見直し
④科学技術や重要インフラ整備などの財政の単年度主義の弊害是正
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA04BN60U1A001C2000000/
自民党の中から、こんな主張が生まれる日が来るとは…素晴らしいことなんだが、実現するかどうか
政党政治に詳しい東大の御厨教授も言ってたけど、こういうところが自民党の強さなんだよな
それがいいことかは知らないけど、野党がちっちゃくまとまっているうちは強い
対して左派は共産党が一部を吸収しているが、共産党が大きくなるわけないし…
当然幸福の科学の本がいきなり送り付けられてきたりとか
月に1度は何かを思いついたり会った人に影響されたりTVの情報に食いつく感じである
しかし、よくよく考えると、
自分はソシャゲガチャに20万円ぐらい突っ込むのを筆頭に趣味・飲食・遊興に年に百数十万円を消費してるが、
父はというと外食というとコンビニか牛丼屋ばかり、外で寿司屋には絶対に入りたくないといい酒も紙パック焼酎や発泡酒で満足し、
当然マンガも小説もゲームも買わず、自家用車も手放しタクシーを乗り回すでもなく、
金を使っている額は自分のほうが圧倒的に多いのだった
(なお株でどんぐらい損益を出してるかは聞いてない。というか本人も把握してないで証券会社に適当に電話して「頭の体操なんだ」と言い張ってて教えてくれない。もしかしたら1000万ぐらい蒸発してるのかもしれないがふたを開けてみるまでは謎のままである)
はてなーは所詮素人でどうでもいいけど、専門家がこう指摘している内容は意識した方がいいだろうなあ。
企業などから広報物に助言を求められることが多いという治部准教授は、もし、今回警察から事前に意見を求められたら、「多くの人に関心を持ってもらう工夫は良いが、キャラクターの衣服は変更を加えた方が良い。上半身の服はお腹を隠すべきであり、スカートをもう少し長くした方が良い。このまま出した場合は、抗議を受ける可能性が高い」と答えたのではないかといいます。
中学や高校でも生徒指導の先生が校則に従って生徒の服装をとやかく言うけど、あれも彼ら・彼女らが社会に出たら困らないように指導しているんだよね。
適切な時間、場所、場合を選ばないと、お客さんやたまたま目にした人から苦情が来る。