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2023-06-25

エディンバラ公加藤和鎮西探題として漢人総督府派遣されており、清に仮習していたと「島津斉彬本買帳」にある地図には記されており、これを見る限り、島津斉彬の年も正確であるようだ。つまり、このとき李鴻章の「九州巡撫」は忠烈王福岡派遣していたのだ。 とある夜の話。ある酒宴で隣の席だった人が酔った勢い記憶が飛んだんだけど、女も酔いが回ったら忘れちゃうんだよな、という経験

Anond AI作成

2022-09-09

イギリス政府は『マーガレット・サッチャー葬儀4月17日セントポール寺院で、エリザベス2世女王エディンバラ公フィリップ王配の参列を賜る準国葬にする』と発表した。その一方で、イギリス各地では首相在任中のいわゆる『サッチャリズム政策によって圧迫された、労働者階級や元教員の間で『彼女の死を祝賀するパーティ』が見られた。

多くのロンドン市民が沿道に詰めかけ、『鉄の女』の最後の別れを見送る一方で、『サッチャー葬儀のために我々の血税を使うな』という大規模抗議デモロンドンで起きた。

マーガレット・サッチャー - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC

エリザベス女王が出席する国葬に準じた扱いで、国内外要人ら約2300人が参列。女王が英元首相の葬儀に参列するのは1965年チャーチル氏の国葬以来となる。

葬儀にはキャメロン首相英国政界要人をはじめ、米国のチェイニー前副大統領キッシンジャー国務長官日本森喜朗元首相らが参加。

鉄の女サッチャー葬儀要人2300人 英女王参列で国葬に準ず: 日本経済新聞

https://www.nikkei.com/article/DGXNASGM17069_X10C13A4FF1000/

このへんが先行事例としてちょうどいいんちゃうかな。

2021-10-15

[]乙骨太郎乙

1842年生まれ父親幕臣儒学者

太郎乙も漢語英語蘭語を使えたので、幕府洋学校教授外国奉行などを歴任した。

維新後には徳川家について静岡移住した。

1869年明治2年)、イギリスヴィクトリア女王次男であるエディンバラ公アルフレッド来日が決まったとき

各藩から英語が出来る人物が呼ばれて接待係に任じられたが、静岡から太郎乙が選ばれた。

その折、薩摩藩軍楽隊指導するために来日していた軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントンから

「歓迎の式典では国歌を流さなければならないが日本国歌は何か」との問い合わせがあった。

接待係たちは国歌などというものを聞いたことがなかったので、どうすべきか政府上層部に問い合わせたところ、

「その程度のことでいちいち問い合わせてくるな、そういう問題を何とかするためにおまえらを呼んだんだろ」

と怒られてしまったので、接待係たちは困り果ててしまった。

そのとき太郎乙が「もう古歌のなかから適当に選定すればいいんじゃね」と、

徳川将軍家が毎年の正月に行っていた「おさざれ石儀式」で歌う、

君が代千代八千代さざれ石の巌となりて苔のむすまで」

という古歌を推薦した。

これが採用されて、そこにフェントンが作曲したメロディが付けられた。

まり骨太郎乙は国歌君が代」の生みの親と言っても過言ではないのである

ただし諸説あり。

1922年大正11年)、太郎乙は80歳で亡くなった。

晩年は旧幕臣の仲間と集まって漢詩を作るなど悠々自適生活だったという。

 
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