はてなキーワード: 差別者とは
http://anond.hatelabo.jp/20140328104628
私女なんだけど、
22歳までに少なくとも一度は彼氏が出来たことのある程度の顔とコミュ力で
身長165cm未満で余裕でBMI22以下で、ハゲてなくて、肌が荒れて無くて
LGBT差別者や国籍・人種差別者じゃなくて、左翼でも右翼でもなくて、反知性主義でもなくて
ナンパしたりセフレ作ったり風俗通いしたり二股したり堕胎した経験が無くて
ロリコンに痴漢されたことがあるが、痴漢が発生したのは相手が「ロリコンだったから」じゃない。
ロリコンでも痴漢しない人は居るし、ロリコンじゃなくてもロリは人生経験値が低くて通報しにくいからロリばかり狙うという人も居るのだろう。
だからロリコンに痴漢されたからロリコンを差別する、っていうのはなんか違う。
ロリとされるような年齢じゃなくなっても、私は何回か痴漢された。
美人でも美乳美尻でもない、女性として特別に魅力的な容姿をしているわけでは決して無い。
露出の多い格好をして性をアピールしていたわけでもない。
それなのになぜ私は痴漢されたのか?
なぜ私以外にも、お世辞にもかわいいとは言いがたいような容姿の女性が痴漢をされるのか?
通報された痴漢の第一声は「お前みたいなブス、誰が触るか!」なのだという。
(冤罪の場合、おろおろして、通報した女を罵倒するどころではないらしい)
そして痴漢同士が集まる掲示板などのコミュニティでは「痴漢OK子」という概念があるらしい。
その辺にヒントがあるのではないかと思った。
痴漢掲示板にウソの書き込みがされて逮捕者が出た事件があったが、それもヒントになった。
私は「あらゆる行為は本人にとっては善行だ」と思って人の行為を見ることにしている。
痴漢にとって、痴漢されることを必要としていない痴漢NG子と、痴漢されることを必要としている痴漢OK子の、二種類の女が居るのではないかと思った。
痴漢をするということは、痴漢にとって「恥ずかしくて言い出せない痴漢OK子を見つけてあげる善行」なのではないかと思う。
私は「痴漢は魅力的な子を狙って痴漢しているわけではない」と感じていたので、痴漢された経験を話すのは恥だと思って言わなかったが、
痴漢は魅力的な子を狙って痴漢すると思っている子にとっては、痴漢に遭うということは「女性としての価値が評価された」ということになる。
そういう子にとって痴漢に遭うことはプラスになる。それが「痴漢OK子」ってやつなのだと思う。
ようするに私は、見た目で「自分の女性としての価値への自信が無さそうな女」だと判断されていて、
自信をつけてやろうとした痴漢から痴漢されていたのだろう…と思う。
もっと痴漢されたいのなら、もっと自信が無さそうに見られる工夫をすればいい(皮肉ではないです)。
私は痴漢されたくなかったので、自信が無さそうに見られる理由は何だ?と考えて、姿勢を良くしたり、女性らしいコンサバな服を着るようにした。
姿勢が悪く、「失敗した森ガール」みたいな格好をしていた頃は痴漢にあっていたが、現在は遭わない。
加齢によっても痴漢には狙われにくくなるものだけど、見た目を意図的に変えてからくっきりと遭わなくなったので、効果はあるんじゃないかと思う。
現実として私は可愛くないし、モテるほうでは全くない。でも彼氏は欲しかった。なんか不安だし、居ないと彼氏持ちの女友達に下に見られるような気がした。
生まれつきの女性としてのスペックが低い以上、自信の無さそうな態度をとるしか、男性に興味を持たれる方法は無いと思った。
ブスに迫られても男性からしたら迷惑だろうし、自分から行くなんてことは選択肢のうちに無かった。
結果としては、「彼女持ちの男性や既婚者の男性からアドバイスを受ける」ということしか得られず、フリーの男性からはガン無視された。
アドバイスっていうのは「男は女のこういう髪型が好きなものだ」とか「男は女のこういう仕草が好きなものだ」みたいな感じ。
かわいそうな生き物として下に見られているのをひしひしと感じて、不快だったので素直にアドバイスを実行することは出来なかった。
そもそも彼氏持ちの女友達に下に見られたくないから彼氏が欲しい、が原点だったのに、結果的に下に見られているのは何なんだと思った。
彼女持ちや既婚者にしか構われないというのも全く本意ではない。
「自信の無さそうな態度をとる」というのは彼氏を作るという目的に見合った方法ではないと思うようになった。
荒れていた髪や肌をケアするとか、運動不足で太った脚を運動で改善するとか、自分の顔の長所と短所を分析して改善可能な部分を化粧で誤魔化すとか、
とにかく見た目を改善することだろうと思うようになり、実行した。
するとまずアドバイスをされなくなった。そして私が変わったのは、タイプの男性を怖がって避けずに済むようになった。
彼女持ちや既婚者にしか構われないのは、私にとって彼女持ちや既婚者は「彼氏対象外」で、対象外の人からは何を言われても傷つかないので、
萎縮したり避けたりせずに話すことが出来ていたから、こうなっていたのだなと気付いた。
タイプの男性から否定的なことを言われたら傷つくから、まともに会話もできず、露骨に避けてしまうくらい恐れていたのだけど、
傷ついたからといって死ぬわけではないし…と思うようになってから、恐怖感がなくなって、相手を直視することも相手に直視されることにも耐えられるようになった。
見た目が改善されることによって自信がついて、というわけではない。
自信がないころにも「ふられたからって死ぬわけではない」みたいな言説は散々見た。
でも性的魅力における弱者でも「ふられたからって死ぬわけではない」を活用した方が得だと思う。そのほうが生きてて楽だから。
そして彼氏出来た。友達の彼氏の友達を紹介してもらって付き合うことになった。
「彼氏持ちの女友達に下に見られたくないから彼氏が欲しい」とか、「彼氏に愛されることによって自分の価値を確認しないと死んでしまう」みたいな心持ちだと、
せっかく彼氏ができてもふられるのが怖くて、彼氏の顔色をうかがい続けて、付き合う楽しさより不安が上回るときが来てしまったのではないかと思う。
実際、可愛くてモテて当然彼氏が居るけど不幸そうな女性とか、安定収入のある人と結婚して専業主婦になって生活安泰なのに不幸そうな女性とかは居るので、
その原因は何かというと、「ふられるのが怖い」とか「家事を頑張っているのに夫が褒めてくれないのは私が愛されていないからだ」とか
「夫が私を抱く頻度が落ちたから私の価値が下がったように感じて悲しい」とか、そういう理由なのではないかと思う。
せっかく私より若かったり可愛かったりオシャレだったりスタイルが良かったり頭が良かったり収入が良かったり色々と恵まれていても、
評価されないことや、評価が下がることを恐れている限り、何を得てもおそらく不安から逃れられない。
男性でも同じことで、「自分は男としての価値に自信を持てないから女に無条件に愛されないと不安でだめなんだ」みたいに思っている限り、
彼女が欲しいのに出来ない場合、性の対象になる女を攻撃するか、性の対象になる女に無関心になる努力をしなきゃいけないし、
彼女が出来ても「ふられる不安」や「彼女は金が目当てなのではないかという不安」から逃れられない。
だから、金が無くなっても彼女が一緒に居てくれるかどうかを試そうとしたりする。
殴ったり暴言を吐いても彼女が一緒に居てくれるかどうかを試すのがDVやモラルハラスメントなのだと思う。
試すような行為をしない人でも、彼女にふられても大丈夫な精神状態で居るために、わざと彼女以外の人間関係や趣味や仕事などに固執する人も居る。
友達が居ること、仕事にやりがいがあること、趣味が充実していること自体は、良いことだと思う。
ただ彼女に振られたときの精神的な保険としてそういう方向性で動いていたら、彼女との関係で何も得られないと思う。
友達や同僚からバカにされるのが怖くて保険かけながら接していたとしても、友達や同僚との関係で何も得られないと思う。
いや、何も得られないってことは無いか。もっと得られるものは大きいはずなのに勿体無い、と思う。
ようするに差別するのは対象への攻撃で、攻撃してしまうのは恐れているからで、何を恐れているかというと対象からの否定的評価を恐れているのだと思う。
なぜ否定的評価を恐れるかというとその人が自分の欲望の対象で、肯定的評価を求めているから恐れるのだと思う。
でも肯定的評価は、あればより良いのであって、無いと死ぬわけではない。
肯定的評価に依存していると、依存している相手に否定的評価しかされなくなったときにメンヘラになったり、自殺するしかなくなってしまう。
肯定的評価に依存しなくなったら、誰のことも差別したり攻撃したりする必要が無くなる。今の自分には何が出来るかだけ考えて生きられるようになる。
似非科学呼ばわりされているけれど、私には「発達障害は生まれつきの障害なのでどうにもなりません」認定の方が似非科学に思える。
個人的にはそもそも「発達障害」なる概念そのものが疑わしく思う。
脳なんていまだにブラックボックスなのに「生まれつき脳の機能障害で一生治らない」という烙印を押して個人を差別する事が本当に科学的に正しいのか。
「発達障害」というのは本来障害でも何でもない人達を差別して排除するためのレッテルでしかないと思ってる。
あくまで作られた障害でしかないと。作られた障害だから、社会のありようによって増えたり減ったりする。だから教育で減る事だってあるはずだ。
はっきり言って「発達障害」なんていうのは肌が褐色なのが障害だとか、目が細いのが障害だとか言ってるのと変わらないと思う
必要なのは障害者として扱って特別な「支援」により周りに合わせる事ではなく、そのままの個性で素晴らしいと肯定する事ではないか。
「発達障害」教育というと、当事者を矯正して「社会」に適合させる事にばかり熱心だが、本当に必要なのはそれ以外の子に対する教育じゃないか?身体障害にしろ人種や民族にしろ、「差別はいけません」と教育するのが第一だ。「特徴を矯正して、差別者に媚びへつらって気に入られるようになりなさい」と、当事者を「支援」したりはしない。
変わってる子、空気読めない子をハブってはいけません、人は一人一人違うのだから他人の個性を認め合いましょう…そういう教育。昔の日本にあって今の日本にはない教育。
昔、少なくとも二十年くらい前までの日本では、今なら絶対発達障害認定されているような人でも職人芸などを生かしてお金を稼ぐ事が出来ていた。周りも「変わった人」として、結構好意を持って接していたと思う。少なくとも今のように障害者認定されて差別される事はなかった。
虫愛ずる姫君という古典がある。化粧もせず、流行りの衣装を好まず、他の女の子が好まない虫を愛する姫の話。当時として一般的ではなかったんだろうけれど
それでもそういう娘を美しいものとして描いた作品が千年後まで残っている訳だ。
社会人の身だしなみとして暗黙のうちに化粧を強要され、常に気配りと甲斐甲斐しさが求められる現代日本の女性には、虫愛ずる姫のように自由に生きる事は不可能だろう。
昔の全てが楽園だった、なんて言う気はないけれど
少なくとも「発達障害」と見做される特徴を持った人々にとっては昔の日本の方が生きやすかったし
生き方の幅も広かった。
>そういう立場とか心理を楽しむことが目的になってるんじゃないのかな。
(すみません、引用の仕方がわからないのですが誰か教えてください)
仮にそうだして、そういう立場や心理を楽しむのはよくないことかなぁ。
よく差別問題の当事者として槍玉に挙げられる立場だけど、被差別者、差別者両方にとって良い結果が得られれば、問題に関わる人の人格などどうでもいいやと思ってしまうよ。
「掃除」に差別的記号を見出したり、ホース?コード?に奴隷の鎖を連想して「差別的印象を与えるおそれがある」までは言えるよね。
描いた人の差別意識が表出している、とまでは客観的には読み取れないです。
描いた人が女性だったって事実は、ある程度はそれを支持するんじゃないでしょうか。
「差別的印象を与えるおそれがある」とだれも指摘しなかったのかなーとは思います。
というか単純に「ちょいヤバかも?」と思わなかったのかなと。
学会誌の表紙として不適切である/不適切とまでは言えない、について断定的に述べるのはかなり難しいんじゃないでしょうか。
今までに固定的ジェンダー観が叩かれた事件。
「私作る人、僕食べる人」とか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9%E9%A3%9F%E5%93%81
これと同列に扱うのは酷だよなあと思います。
この例は、男を対比させて、「家事は女の仕事、男のするものでない」というメッセージが明確に読み取れる。
これで「性別役割分業意識の追認であるから許容できない」となったら、現実の専業主婦こそ追認どころか実践してるじゃないですか。
「なんでこの表紙に限ってそんなに熱心なの?」という違和感はどうしても拭えないです。
個人的には、限られた人向けの学会誌の表紙より、
アニメ「サマーウォーズ」で家事してるのが全員女だったことのほうが嫌な感じだったけどなあ。
影響力なら後者だと思うけどなあ...
「学会のPC意識の低さに失望した!」って言うんだけどそれもあんまり心に響かないんですよね...
そんなに人工知能学会とか学術会に期待したんかなあと。
言ってることはことごとく正論なんだけど、この人らそんな山奥に行きたいんかなあ...って。
「人権意識高い系の我々が意識低い差別者共を糾弾し、啓発する」みたいな。
批判できないけど嫌な感じするやつ。
「固定的ジェンダー観の押し付けに対して怒っている」という印象はあまり受けず、
「学会のPC意識の低さに対して失望している」という印象もあまり受けず、
「キモオタ憎し」っていう印象を受けました。
ツイフェミってけっこう党派的というか、「私はこう思う」と発言するよりも、
仲間の発言に同調する人々なんだなあと思いました。
「憎しみにドライブされる」「党派的」なところはネトウヨに似てるなあと...
ん?良くわからない。
上とか下とか。
まあこちらが最初に「一番の差別者」と言ってしまったのが間違いだったが、それは訂正した。
その上、あなたは今、その物凄く汚い言葉により、こちらを差別している。
それに関してはどう説明するんでしょうか?
言い訳も何も、最初から差別なんてないじゃないか?と言ってるだけですが。
もしあの絵を差別というならば、世の中の「専業主婦」を匂わす描像はすべて差別では?
一方、男が汗水たらして働く、というのも差別では?
両者ともに、同じように描かれなければいけないのでは?
それこそtogetterにもあったが、iphoneのSiriとか、女性の声だけなんだが、これに関しては如何にお考えで?
地球上のすべての土地を削り取って海に投げ込むと陸地は無くなって海だけになるという。つまり山の総量よりも海の深さの総計(海の容量)の方が大きいということだ。
一つの例え話なのでこれが事実であるかはどちらでもいい(たぶん事実だけど)。
もしくは以下のような仮定をしてみる。。
予算に限りのあるNPO、例えば貧しい人に食料を配布するNPOだとしよう。そのNPOが一部の人だけに支援をするのは不適切だからと支援の対象者を世界の全員に広げたら支援は一食分にも満たずに結局は一人も救えないことになる。一人ひとりには取るに足りない金額でもかき集めれば何かを成し得るという募金の考え方の真逆になってしまう。
世界は少しずつ改善されており、建前と現実に食い違いはあるものの着実に民族や宗教、性別やジェンダーでの差別を減らす方向に向かっている。
奴隷はいなくなり、軍人ですらも拷問されない権利があり、病気や障害などで働けない人、そもそも働く気のないような人ですらも生きることは保障されていたりもする。
今では子供向けギャグマンガでうっかり男の子同士がキスしちゃったりしたときに「オエー!気持ち悪い!」なんて言っている描写を見ると、同性愛者の人は気分を害していないだろうか?なんて余計な心配をしてしまうぐらいに世界は「配慮」に満ち溢れている。
もちろん国や地域や社会階層などで進行・浸透の度合いは違うけれど、少なくとも日本の属する西側先進国の間ではあらゆるマイノリティに対しての配慮を進め、平等な社会を実現することを目標としているように見える。
貧困や差別は無い方がいいに決まってる。貧困にまつわる問題を解決するためには貧困層以外の全員がなんらかの負担をしなければならない。それはある程度は税金と言う形で実現されている。
差別をなくすためにも何らかの負担は必要だ。上に挙げた例のようにゲイやオカマ、デブ、ハゲ、チビに嫌な思いをさせないためには程度の低いジョークを止める程度の負担で済む。もっと根深い差別に対しても同様で、差別される側が深く傷つく代わりに、差別していた側が広く浅く少しだけ何かの負担をすればいい。それは金銭的、精神的な負担だったりもしくは歴史的背景を学ぶことだったりといろいろな事が必要だとは思うけれどつまりはマイノリティが抱え込まされている負の財産を大勢でちょっとずつ負担するという募金のような考え方になるんじゃないかと思っている。
2012年ごろに月刊アフタヌーンで連載していた「勇者ヴォグ・ランバ」という漫画で以下のようなセリフがあった。正確には覚えてないので印象に残った部分の要約みたいになってしまうがこんな感じだ。
「世界から奴隷がいなくなったので今まで奴隷がやっていたような労働を一般の人が少しずつやるようになった。世界から戦争を無くしたいならば一般の人を含めた全員が今まで軍人がやっていたような作業をやらなければならない。」
続きで語られる具体的な部分は覚えていないが、つまりは戦争を無くすという大きな変革を成し遂げるためには全員がそれなりの負担をする(主人公は為政者側なので「負担をさせる」が正しいが)覚悟が必要。覚悟も無しにきれいごとを言っても意味が無い。という会話だったと思う。
誤解の無いように書いておくと、ここで言う「軍人がやっていたような作業」とは人を殺して回ることなどではなく、もっと精神的な部分だったと思う。この辺で揚げ足を取られるのは本意ではないので意図を汲んでいただけると幸いです。
現実に話を戻すと、少人数の重病の人の治療費をみんなの保険でカバーすることは可能だと思う。日本の人口の2%程度に生活保護を支給するのもまだ大丈夫だろう。でもこれは日本と言う裕福度の平均値が高い閉じた社会だから可能なだけであって、先の二例だけであってもこれを世界中に広げることは不可能だ。
全ての先進国が食事の選択肢を減らし、贅沢をしないように、残飯が出ないように、とがんばればアフリカで飢えてる人を全員救ってもまだ余るらしい。じゃあやりますか?「それ(アフリカ)とこれ(先進国)は別」というのが現在出ている答え。これについては特にコメントしない。
食料やお金なら多少は分けてあげてもいいという人もいるかもしれない。じゃあ平和を少し分けてあげることはできますか?過度な貧困地域や犯罪多発地域を無くすために世界で広く貧困と犯罪を引き受けてあげますか?
(貧困が減れば犯罪も減るかも知れないので、それらの総量は常に一定ではないかもしれないけどここでは無視する)
今は世界の都会でもいわゆる危険なエリアに行かなければそこそこ安全だけれども、広く薄く貧困と犯罪を引き受けるというのは、全員が常にそこそこの犯罪リスクにさらされながら生きるという事になるのではないかと思ってしまう。全員が「負担」として十分な警戒心と自己防衛の知識と技術を持たなければならなくなるのではないだろうか。
先進国の豊かな暮らしは、貧困や犯罪や差別や不衛生やその他の負の財産を途上国やマイノリティに負担してもらう事でなりたっている。
みんなの理解や努力で負の財産自体を減らしたり消滅させたりすることが可能な部分もあるとは思う。
全ての人を救おうとした結果に待っているのはすべての人の不幸なんじゃないだろうか。
おれの考え方がおかしいのかもしれない。みんなこの辺にどう整合性を付けているか気になる。
トラバにあるように、まずは自分の生活が大事。遠くの誰かより身近なペットが心配。というのは理解できるし自分もたぶんそういう人間だと思う。
しかし目が届きにくいからと言って遠くの問題から目をそらすのは人間としてあまり程度の高くない行いにも思える。100年前ならいざ知らず今はインターネットやマスメディアなどで多くの情報を得られ、一般人でもその気になれば世界のほぼどこにでも行ける時代だ。なのに「遠くの事は知りません」という態度が(個人としてではなく社会として)正しいのかはわからない。
じゃあ何をどこまですればいい?そもそも今のまま差別や不公平をなくして行けば良くなるのか?もしかして良くしてるつもりがみんなで袋小路に突き進んでるのではないのか?と疑問がつきない。というのが現状。
トラバもブコメもあんまりついてないのに追記ばかりしてもしょうがないのだけれど、どうも意図がうまく伝えられてないようなので書き足す。
身近 VS 遠く という軸も気になる部分の一つではあるのだけどそれが主題ではないのです。
社会は確実に「遠くの知らない誰か」や「昔なら無視していいと考えられていたマイノリティ」に配慮する方向に向かっています。だからと言って身近な人やマジョリティに死ねとかは誰も言っていない。全員が幸せになるために、現状不幸せな人が幸せラインに立てる方策を模索しているわけですよね。
だけど「全員が幸せ」っていうのは実現可能なのか?それは「全員が少し不幸せ」になるのではないか?と言っているのです。
10の人、5の人、マイナス10の人、いろいろいると思います。(誰がどういう基準で判断するのかは置いといてください。定量化が目的ではなく、ただの表現ですから)
全員の幸せを目指した時にせめて3とか4で落ち着けばいいけれど、結局全員がマイナス7とかになるんだとしたら悲しい結末ですよね。会社で言うならば使えない社員やアルバイトにも平均的正社員と同じ待遇を与え、障害者雇用も推し進めてたら潰れてしまったということになるんじゃないの?差別や不平等は無くした方がいいとは思いながらも、差別や不平等があるからこそ今の生活があるのだとしたら、差別や不平等を無くさない方がいいんじゃないのか?でもそれは被差別者の人権を考えるともうありえない選択肢になっている。つまり社会は沈没に向かっているということになるのではないか?
というのがメインテーマです。
いろいろ意見をいただけてうれしいです。今後も考える材料にしたいと思います。より有益な意見をもらえるように以下に気になったコメント等に返事します。これ以降、コメント等への返事については「追記」とか区切らずに追記しちゃいます。
そもそも幸せかどうかって以前に命が保証されてない生活を送っている層もあるわけで、食料や医療の問題と、差別やマイノリティの問題を同じステージで考えるのは無理があると思うよ
だけども、基本的には同じだと思っています。
命が保障されていない人たちを救うために自分たちの命の保証度を引き下げる事をどう考えるか?
差別されている人を差別から自由にするために自分たちの自由が減ることをどう考えるか?
一個一個を見ると「やるべき」に思えるけど、それらをすべて推し進めた先には暗い未来が待ってる気がする。結局は誰かを犠牲にしないと生きていけないのか?という疑問です。
歴史上、農耕社会成立以降に被搾取者や非差別者がいなかった事はありません。彼らの犠牲なしに人間は社会を維持できるのか?犠牲のない社会とはどんな社会なのか?そこに自分は暮したいのか?今の暮らしを維持するために誰かを犠牲にし続けるのか?結局は「遠くの被差別者よりも身の回りが大事だから」と言って物質的精神的搾取を続けるのか?わからないことだらけで困っています。
わかりやすい説明をありがとうございます。
富の問題に関しては少なくとも良い方向に向かってるんですね。なんか安心。
コメント欄でヤフコメ批判がよくあるが、ヤフーとはてなではページビュー数が全く違う。はてなメディアガイドによると、はてなはたかが月間2億ページビューしかなく(はてなの発表なので、2億でも水増し)、ヤフーは月間ページビューが550億ページビューを超えている。つまり、全くアクティブユーザー数が違う。はてブのアクティブユーザー数は、ヤフコメのアクティブユーザー数より遥かに遥かに少ない。そのはてブではてサ・はてなサヨクの数限りない下劣なコメントの山なのだから、実質的な下劣率で言うと、はてブのはてサがネットで最も下劣で、ネット左翼の下劣さを証明している。
中でも、はてサの「同和は生まれながらに人格破綻者だから出自を明らかにして徹底的に追い詰めろ」「ざまぁ死にやがったな!さぁ、罵倒しまくれ!」「安倍晋三は下痢ピーの腹下し」は、三大下劣の事例となっている。
週刊朝日の同和叩きで、週刊朝日に同調するのを通り越して、同和叩きに躍起になってる事例
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/kojitaken/20121018/1350496488
shigeto2006
確かに、橋下徹の異常人格者といえる人間性がどのようにして形成されたのかを分析するには、その生い立ちを知ることは避けて通れないだろう。政治家のプライバシーが制限されるのはやむを得ないことだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/kanose/20121129/hatesa_hashimoto
D_Amon
はてサの線引きは知りませんが、個人的には「人権派ならこういう風に行動しろよ」的な「踏み絵の強要」の方にうんざりして無視することもありますね。
D_Amonは歴史修正主義批判とかやってるが、「踏み絵の強要」と言ってる時点で歴史上の同和の差別性に全く鈍感で人権を語る資格なし。そもそも「こういう風に行動しろよ」と普段から言ってるはてサが、自分には絶対に言うな!ってどんなお花畑だよ。同和は人格破綻者と言うshigeto2006、同和の歴史的差別性も無視して踏み絵の強要と言うD_Amonに、星を付けている。
はてなブックマーク - 政治評論家の花岡信昭氏が死去 拓殖大院教授、元産経新聞政治部長 - MSN産経ニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/politics/news/110515/stt11051517580003-n1.htm
↑
安倍晋三は腹下しの下痢ピーなどと下劣なコメントをしているはてサは、かなり見受けられる。安倍晋三の難病で罵倒するのは、難病患者を差別するのと同じ。はてサの本音の難病患者は死んでしまえが透けている。ハンセン病患者への仕打ちなど、はてサに通じるものがある。
はてサはこのように、人権派を装っているが、ネットで最も醜悪な下劣さが滲み出ているのがはてサ。繰り返すが、アクティブユーザー数が他の大手サイトに比べて目立って少ないはてなで、下劣なコメントが目立っている。数でなくて率が実質をあらわすから、はてなが最も下劣なところ。ネット左翼の醜悪さは人権派を装いながら実は徹底的な差別者だということ。当事者にとってはそちらのほうが非常なショックになる。はてサの醜悪な事例の3つだが、他にも山ほどある。はてサには自浄作用がない。
おまけ。はてサの低知能は、安倍自民党が大きな政府(デフレ下では全く正しい)でアメリカで言えば民主党に近く、日本の野党はむしろ共和党の経済政策の小さな政府で日本共産党も財政規律とか言って公共支出を抑えろと頓珍漢なことを言ってるのに、はてサの経済音痴で貧乏人をさらに貧乏にするデフレ推進の日本共産党を支持しているところ。はてサは小さな政府と大きな政府、デフレ、インフレの基本すらさっぱり分かってない小学生レベルと言える。経済リベラル政策の大きな政府を敵視し、日本共産党の小さな政府デフレを支持するはてサ。
こんなのもあった。
これ読んでみた。
http://ameblo.jp/sakura-smile-for-you/entry-11582675117.html
特に理由はない。
生理的に受け付けないって感じ。
今度の件も、何か気に食わないことがあったから降りたんだろうなくらいに思っていた。
別にそれでもいい。特に期待してるんじゃないし、舞台も見に行くこともない。
ところが、製作者側は損害賠償請求も辞さないなんてことになってる。
ありがちなきもするけど、
心情的にはひでー話だ、がんばれって思う。
「それともこの監督さんは、私が何も出来ない障がい者だからということで、どうでもいいと思われていたのでしょうか?」
ってのを見て冷めた。
どうして障がい者だからこんな仕打ちを受けたなんて言うんだろう。
障がい者だからといっていい加減な約束にもなってないことで許可を得たとか言ってるんじゃない。
だからそんな卑下するような言い方をしないで、もっと堂々と主張しよう。
この一言が無けりゃ全面的に支持なんだけどな。
このブログにコメントしてるヒトも原作者が障がい者だからってことで勢いづいてる感があるし。
この監督がこれまで舞台化したものが全て障がい者を扱ったものであるならそうとも言えるけど、どうなの?
ただの糞野郎だから、取り巻きが持って来た面白そうな話を適当に舞台化して調子に乗ってるだけだろ。今回たまたま原作者が障がい者だってことじゃない。
憤ってるのはよくわかるけど惜しい。
まあ障がい者差別者ってことにした方が注目が集まると思ってやってるんなら
しょうがないけど。
それだとなんか例の人と同じだもんな。
惜しい。
横だけど、一つだけ確認を。
>きったない罵声を張り上げて中指たてまくって挑発している。
>筋の悪いチンピラ団体
とか。
ええ、ええ、日本語が読める人なら確認するまでもないことだと思います。
けれど、
>「差別反対」とかいうお題目を掲げてるのが悪質で、その点で在特会より更に危険な団体
とかいう口調を見ると、なんだか、最終的には批判を片側に向かせようとしているようにも見える。
ええー。
「過激な民族主義者」
「差別主義者」
「筋の悪いチンピラ団体」
「危険な団体」
とまで書いてもまだ
在特会批判文言が足りない、在特会を批判しようとしてない、ですか。
それはそれは。
そういう色がちらついて見えると、批判が批判として見えないので大変残念ですね。
まわりくどい屁理屈捏ねながら言い掛かりつけるんじゃありません。
いつも思うんだけど、こういう人ってさ。
「差別するな」とは言うけど、「差別しないための考え方」を伝えようとしないよね。
その人は差別的な言葉を吐かなくなるだけで、差別心は心の中に溜まったままになるわけじゃん。
───まあ、それでも新たな差別者を生み出す助長をしなくなる、という利点はあるんだろうけど。
そうじゃなくて、なぜその人が差別心を持つようになったのか、
それはどのように間違っているのか、どのように考えたら差別に至る考えを回避できるのか、
ということを伝えようとする人はなかなか少ない。
「あなたが使ったハシは汚い。洗っていても汚い。使いたくない。」という人に、
「そんなことを言うな!」と怒るのか、その汚いと思う心はどうすれば変えられるのか、と考えて、伝えようとするような感じ?
おそらく後者じゃなければ、問題は解決しないよね。
その人は口に出さないだけで、料理屋で割り箸以外を出されるたびに
心の中で「うええ、いやだなあ」と思ってしまう。口に出さないだけで、思ってしまう。何も解決していない。
怒りたくなるのはわかるよ。
でも、怒っても何も解決しない。
以下ははてな等で行われる「私モテ」に関する想定問題集と推奨される回答。
1. もこっちのキャラ造形は「泉こなた」を連想させる。オタクキャラであったこなたと同様にオタクはもこっちに自己投影している。オタクの自己愛が駄々漏れである。幼児的だ。未成熟だ。許されない。このような作品を見ているオタクは成熟するべきだ。
2. 私モテの主人公の内面は男オタクである。しかし外面は女性として描かれている。つまり喪女を消費して搾取している。私モテは男性オタクによる性消費である。このような作品を見ているオタクはジェンダー的に正しくない。差別者であり政治的に許されない。自己反省をするべきだ。
3. 私モテは女性性を搾取している。女性へのヘイトスピーチである。このような作品が作られているのが日本のオタク文化の構造的問題である。慰安婦問題にも通じる構造である。差別的社会構造に加担するオタクは許されない。自省するべきである。ジェンダーについての勉強が足りない。反省が足りない。差別的社会構造を野放しにしているどころか無邪気に構造から産出された差別的偏見的抑圧的作品を消費することで構造の強化に加担しているオタクに表現規制に反対する権利はない。オタクの自省の無さが橋本と石原を産んだ。反表現規制は笑うべき論だ。
4. モテない男が空想の中で女性に自己投影をしている。これは女性の女性性を消費する行為だ。更にはトランスジェンダーに対する差別でもある。現実で努力とリスクを負うこと無く空想を愉しむ行為は自らの男性性からの逃避である。男性が持つ加害性に対する自省が足りない。市民社会の一因として男性の加害性に向き合い男性としての自覚を新たにせよ。それが男性として生きる道である。それが男性としての責任である。男性性からの逃避は許されない。お前は男だ。男としての自省が足りない。男として生きろ。男の責務を忘れるな。お前は女ではない。お前は女にはなれない。染色体から逃げるな。男性ジェンダーから目を背けるな。逃避するな。空想に逃げるな。男の義務を果たせ。現実と戦え。
5. 非モテ男という自らの現実を空想で女性に投影している。自傷的自己愛に耽溺する行為である。非モテのウィンプ性が駄々漏れである。お前たちは堕落した醜いウィンプだ。だがしかし実のところお前たちはマッチョであり強者なのだ。オタクが好む作品がその事実を示している。私モテを見ればわかる。お前たちは自らのマッチョ性から目を背けている。醜いナルシズムに浸る行為であり許されない。自らの強者性と無自覚な加害をウィンプの態度で覆い隠しているのだから単純な暴力よりも邪悪である。私モテを見ることは女性へのDVに等しい。現実と戦え。成熟しろ。自省が足りない。反省するべき。
6. 私モテは学校で孤立している黒木智子が自分は男にモテないのが最大の問題と思い込んでいるように描いている。したがって私モテは男女二元論的ジェンダー規範に加担している。私モテは異性愛社会の権化だ。つまり同性愛者に対する差別である。セクシャル・マイノリティへの配慮が足りない。政治的に正しくない。自省しろ。反省しろ。お前が同性愛者あるいはその他のセクシャル・マイノリティだとしても異性愛社会の差別的構造を内面化しているだけだ。可愛らしさを是とする理想化された女性像に囚われた同性愛者でありながら非モテ的心性に共感するお前は黒木智子に対する自己投影を行いジェンダー規範を強化している。許されない。お前のしていることは抑圧移譲だ。お前は女性への抑圧者だ。お前は社会の生き辛さを強化している。差別的社会構造への加担者である。許されない。反省するべき。自省しろ。
7. 私モテ読者は女性への抑圧者だ。見ればわかる。作品が示している。おまけに日本社会の差別的抑圧的社会構造に加担する無自覚な加害者であるオタクが邪悪な欲望に塗れた作品を描いて消費することで抑圧された女性の苦しみを搾取している。私モテが存在することで女性が生き辛くなる。許されない。自省しろ。反省するべきだ。私モテは性差別でありヘイトスピーチに等しい。更にはセクハラである。私モテの存在が性暴力である。辛い。苦しい。規制しろ。焚書するべき。されたくなければ自省の態度を示せ。お前たちは政治的に正しくない。女性へのヘイトスピーチを娯楽として消費しているのだから規制されて当然。自省しろ。反省しろ。
8. 以上のように私モテが差別であり偏見でありヘイトスピーチであり抑圧であり生き辛さを生み出す邪悪な社会構造の根本原因であることが理解された。お前たちは何故自省しないのか。反省しろ。自省しろ。弱者に対する態度を示せ。被差別者に対する態度を示せ。マイノリティに対する態度を示せ。私モテはウィンプを偽装したマッチョであり弱者を偽装した強者であり無自覚な加害者であり無自覚な差別者であり無自覚な偏見を眼差すひ弱で醜い零落したいじめられっ子でぼっちの気持ち悪いモテないオタク男が性欲に塗れた自らのナルシズムを慰撫するために作り出した黒木智子という自傷的自己愛のカリカチュアを性的に愛でるオナニーであり即ち女性のモノ化でありハラスメントであり性的搾取であり性消費であり性暴力のイコンなのだ。私はそれを指摘した。故に私は道徳的に正しい。倫理的に正しい。政治的に正しい。私こそが弱者の擁護者でありマイノリティの庇護者である。だがお前たちは邪悪だ。許されない。自省しろ。反省しろ。お前たちが悪いのはどう考えてもお前らが悪い。許されない。反省しろ。自省しろ。反省しろ。自省しろ。反省しろ。自省しろ。反省しろ。自省しろ。反省しろ。自省しろ。反省しろ。自省しろ。反省しろ。自省しろ。反省しろ。自省しろ。反省しろ。自省しろ。反省しろ。自省しろ。反省しろ。自省しろ。反省しろ。自省しろ。反省しろ。自省しろ。反省しろ。
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3 :可愛い奥様:2013/05/23(木) 22:11:44.76 ID:JRgNrB8H0
乙武様のご来店お断りについて。(イタリアン店主公式謝罪文)2013-05-18 23:39:00
ttp://ginzaganzo.com/info/444903
イタリアン入店拒否について(乙武オフィシャルブログ)2013-05-21 12:00くらい
ttp://ototake.com/mail/307/
乙武洋匡さん、銀座のイタリアンに「車椅子だから」と入店拒否される(追記あり)
釣り解説"乙武洋匡さん、銀座のイタリアンに「車椅子だから」と入店拒否される"
60万フォロワーのチカラ──某イタリアン店主個人への激烈リプライ(信者砲まとめ)
ttp://kasakoblog.exblog.jp/20523301/
乙武さんの責任と心のバリアフリー「この場合はロンドンでも難しいでしょう」
ttp://bylines.news.yahoo.co.jp/kimuramasato/20130521-00025090/
ttp://d.hatena.ne.jp/marumieseijin/20130521/1369120014
ttp://anond.hatelabo.jp/20130520221917
この件は、店側の臨機応変のなさとその背後にある人権感覚の欠如の点において乙武さん@h_ototakeが
正しいと思う。店名を公表しなければ店主の高田晋一氏@takosinの人としての成長もなかったと思う。
ttps://twitter.com/masaki_kito/status/336056379267743744
櫻井光政@okinahimeji
サービス業者のサービスの悪さを,店名を揚げて,自身も顕名で批判するのは悪いことでも軽率でもないと
ttps://twitter.com/okinahimeji/status/336711420337082368
茂木健一郎 ?@kenichiromogi
読ませていただきました。やっぱり、乙武さんはまっとうな感覚だと思う。
ttps://twitter.com/kenichiromogi/status/336811483407192064
4 :可愛い奥様:2013/05/23(木) 22:12:28.98 ID:JRgNrB8H0
■その他の事件■
ttp://megalodon.jp/2008-0105-1258-49/sports.cocolog-nifty.com/ototake/2006/09/post_f549.html
ttp://www.j-cast.com/2006/09/08002901.html?p=all
↓
■他人を騙ったアカウントが乙武に中傷凸→乙武は本人のサブ垢かどうか確認せず、
http://twilog.org/h_ototake/search?word=%40YateChee&ao=a
http://twilog.org/YateChee/search?word=%40h_ototake&ao=a
5 :可愛い奥様:2013/05/23(木) 22:13:18.34 ID:JRgNrB8H0
他人に介助の負担をかけておいて「最高に幸せ」と公言する恥知らずにして、
職をコロコロ変えるほど気まぐれで根気がなく、
障害者に気づかって迷っている姿を滑稽であるかのように笑うほど底意地が悪く、
自分を賞賛するツイートを自分で臆面もなくリツイートするほど自己愛が強いナルシストで、
直接リプされたわけでもないのに自分を批判するツイートをエゴリサーチし、晒しRTして信者に
不必要に自分の病気を強調し、障害ジョークを飛ばすほど、病的な露悪趣味を持っており、
介助教員の必要な自分がいちばん教師に向いてないのに、他人に「教師に向いてない」と言い放ち、
売りになる四肢欠損は見せつけようとするが、売りにならないハゲは隠そうとするほど器が小さい、
「他の障害者はこうなってはいけません」という悪い見本のような障害者だ
こいつを叩かなきゃ誰を叩く
まさに、2ちゃんねらーに嫌われる要素のロイヤルストレートフラッシュみたいな男
「おれのかんがえたせいさくがさいきょう」なんで聞いてくれ。
日本には様々な各種問題があるんだけど、銃を一般人が手にすることで解決する事がたくさんあるんで話を聞いてくれ。
まず、銃があると、弱い人間が自分で身を守れるようになる。老人でも病人でも女性でも、力の弱い男性でも、障害を持つ人間でもだ。
強盗や強姦だって、相手が銃を持っているとしたら、うかつに手を出せない。手を出した途端、銃で撃たれて終わり。正当防衛であれば殺人もokさ。
ヤクザだって手出しできない。銃を持ってる相手に暴力の威嚇なんて通用しない。
このように、対犯罪者でとても有効。え?犯罪者だって銃持ってるだろって?
いやいや、銃所持者はある程度の厳しい試験に合格しないと持てないようにするんです。そこらのDQNなんかまず持てない。
最低限、運転免許よりちょっと難しい程度の試験に合格する必要があり、一定以上の納税者であり、かつ、交通違反を含め、1度も刑事罰及び行政処分も受けたことが無い、というような人間のみにライセンスを与えればよいのです。何かあれば一発でライセンスは取り消し。一生、銃は持てない。
このようにすれば、犯罪者なんて、割れ窓理論ではないですが、本格的な犯罪を犯す前にすでに銃は持てない。
まあいってみれば、銃を持てる身分、持てない身分に別けてしまうことになりますが。
ワープア問題、ブラック企業の問題もこれで一気に解決。労働者は舐められすぎ。労働者に酷いことをしたら銃乱射されると思えば、酷い事なんてできない。
ヤクザに対抗する警察がヤクザと癒着してるようじゃどうにもならん。銃持ってるのが、警察とヤクザだからこうなる。
暴走族なんて、迷惑でしなかないものだって、すぐにいなくなる。
銃の力というよりも、銃を持てる一流市民と銃を持てない二流市民に分ければ、解決できることは多い。
電車の痴漢だって無くなるし、痴漢冤罪も無くなるだろう。痴漢したら撃たれるのに痴漢するアホはいない。
間違った運用した奴は厳罰な。アメリカと一緒。10年模範囚だから釈放とかなし。
でもそれをスルーするキチガイもいるかもしれない。そしてそのキチガイが間違った銃運用をするかもしれない。
でもその確率はヤクザや不良警察官における銃犯罪の被害者よりも少ないだろう。
国家も行政も様々な連中も、個人を舐めすぎ。失礼すぎるにもほどがある。あれだけ銃が普及しているアメリカだって、銃犯罪はあるが、銃によって政治家や経営者がどうにかなったなんて話はあまり聞かない。それはなぜか。個人が銃を持っているから、あまりにも個人に対して非礼な事が出来ないからだ。銃犯罪のデメリットはあれど、メリットも計り知れないのだ。
アメリカはもう銃を管理できない。でも日本なら出来る。なんで犯罪者や不良警察官という悪人だけが銃を持てるのか。おかしいにもほどがあるだろう。
今話題の体罰もそう。生徒が何もできないから暴力をふるう。銃さえあれば、いじめもおきん。柔道指導者のレイプなども無くて済んだ。レイシスト連中もいなくなる。アメリカですら、黒人差別者は顔を隠す。撃たれるから。日本は顔出して人種差別できる。舐めすぎてんだよ、様々な個人を。
国軍だ、核兵器だと言ってる連中も、国内のことを考えれば、個人が銃を持つことには賛成のはずだ。
銃武装というパワー、ちからが互角であってこそ、その先の話し合いが出来る。最初からパワーの違いがあるから、話合いも出来ない。一方的な話だけになる。
オスプレイがあーだこーだ言ってる連中も、銃を持っていれば、攻撃が出来る。もちろん、相応に法で罰せられるし、応戦されるだろうが。しかし、そうされないように運用する方もちゃんとした、話し合いなり、筋の通った手順を取らざるを得ないだろう。個人的にはあまり興味がない話だけど、そういうところにも銃所持の影響は生まれる。
まあ当然、東電あたりもふざけた事は言えなくなる。
日本は武装の自由が無いから、暴力装置を持つ者だけが適当なことをやってられるんだ。
ウヨもサヨも武装の自由、銃所持の自由を叫べよ。