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2020-02-11

両親が不仲だった自分語り

02/13 23:36 追記ちょこっとしました。

床屋勤務だった父に、美容院勤務だった母はハワイ旅行中に出会い結婚したらしい。

物心がついたころにはもう父と母は不仲だった。父は仕事休みがちで、私が小学生低学年の頃にはもう職場転々としていたのを覚えている。

つの職場に留まらず、職場を変えるものからもちろん給料も上がらない。父と母は夜な夜な電話口や居間喧嘩していた。

それは深夜だった時もあるし明け方の時もあった。長いことアパート住まいで横にも上にも寝ている家があるのに家に居る母は金切り声を上げていた。

でもほとんどがお金問題で、まだ小学生自分にはできることが無いことが分かっていたので家の手伝いをして、3歳年下の妹の面倒をよく見た。

父が仕事から帰ってくるとき帰りは母の車の迎えを頼んでいた。母はまだ小学生の私と幼い妹を乗せて車で最寄り駅まで父を迎えに行く。

その車の中でもお金の話で揉めていた。

夏のとある日、いつものように父を車で迎えに行った時に自販機で何か買う?と母が私に聞いてきたが私はペプシが欲しいとはその日言えなかったのを今でも鮮明に覚えてる。

両親を困らせないようにいろんなことを毎日考える日々が続いてた。

今も昔も趣味ゲーム。私が幼稚園の頃テレビの下スーパーファミコン仕舞ってあるのを見つけて以来ゲームの虜だった。

コンポジットケーブル繋ぎ方を覚えてひたすら「スターフォックス」の1面を遊んだ。これ一つで随分と長いこと遊んだ

小学生になって私以外にもゲーム好きな人が沢山いることを知り、お家によくお邪魔して遊ばせてもらった。

父は気まぐれにゲームを買ってきてくれた。

F1 RACEhttps://youtu.be/-isADihL65Y とか「役満https://youtu.be/H-Nc1_9bXpQ とか。

でもスターフォックスの次にハマり込んだのがゲームボーイカラーで出た「ポケットモンスター銀https://youtu.be/Lfy93rW7zRs だった。

幸い、テレビさえ占拠しなければ父と母はゲーム理解を示してくれており、妹と一緒にゲームボーイカラーの画面をよく覗き込んだ。

ただ、その間にも父の帰りが遅かった事を責めたり、やはりお金の話で父と母が声を荒げる日が続いていたので、もうゲームソフトを買ってもらえるなんて無いんだろうなとポケモン銀を手にしたとき思った。

小学生にもなると、友達が増え色んなことを知り、考えることが増え、自分と友人の違いをよく知ることになる。

私はある日ゲームボーイカラーのソフト、「ポケモンでパネポン」https://youtu.be/yYfZPb4nqa4 (以下ポケパネ)を友達に遊ばせてもらった。

パズルゲームスーファミで家にあった「マジカルドロップ2」https://youtu.be/NN5JIwbNG1U を遊んだことはあったけどそれ以上の爽快感で遊べたポケパネは衝撃的だった。

どうしてもこれを家でも遊びたい。でもゲームソフトをせがむのは両親を困らせる。また今夜パパとママ喧嘩するかもしれないし、普段よりもっと大きな喧嘩になるかもしれない。

その時小学生ながらにとった手段は『友達から盗む』だった。うまいこと友人からポケパネを盗み、買ってもないゲームを遊んでいるのがばれるとまずいからと、家では音量を消し

放課後には公園で一人でポケパネを遊んだ。でも親は子を見ている。買ったはずのないゲームソフト気づき、ひどく怒られ、翌日友達へ返すくだりとなった。

その時、今となってはどう思ってそんな発言をしたのかも覚えていないが確かに私は言った。

「返すの?友達は盗まれたこと気づいてないよ?」

母は泣いた。でも私は両親に負担をかけずにゲームソフトを手に入れる純粋手段として盗みを働いたつもりだった。

盗みはダメだと諭され、母と一緒に友人の家に行きソフトを返した。友人は特に気にした風もなく、小学校卒業するまで一緒に遊んでくれた。

夜な夜な喧嘩が続くが中学生になってある日突然、父がマンションを買った。

正直当時は驚きのあまり意味が分からなかった。お金ないんじゃなかったのかな。どこかで貯めてたのだろうか。大人になるまで、ずっとこのアパートで過ごすのかと思った。

引っ越ししてマンションに住み始め、落ち着いてきたあたりで

とうとう父は働かなくなってしまった。

マンション引っ越し中学生になった私と小学生の妹はそれぞれの部屋をもらったが父は妹の部屋に入り浸った。

妹のベッドで眠り、昼食に袋麺を食べ、また妹の部屋で引きこもる。妹は母と一緒に和室で眠った。

あっという間に妹の部屋はたばこ臭くなり、ベッドの布団はぺたんこになった。

母は時短で働かせてもらっていた職場をやめて夜勤も挟みながら働くようになった。夕飯を作るのも私と妹で作るようになった。父の分はない。

初めて作ったのは野菜炒めだった。今でも覚えてる。切って洗った野菜を炒めるのに油が跳ねて妹と大騒ぎして、父に怒鳴られた記憶がある。

ほどなくして車で買い物に出かけた帰り、マンション駐車場で母が助手席に乗る妹と後部座席に乗る私に向かって「ママ、パパと離婚することになったの」と言った。

私はまぁ、そうなるよな。と思った。驚くべきことに部屋を占拠されていた妹は泣いた。

そうして私と妹は母に引き取られ、マンションと父を残して出て行った。

家庭裁判所に行った。家庭裁判所の人は私と妹が望めばいつでも父と面会できる旨を伝えてきた。

でも私達から望んで面会を申し出たのは今までで一度もないままだ。

養育費は二人分。私と妹が高校卒業するまで。その養育費最初の2ヵ月払われて、それっきりだった。

私と母と妹はアパート住まいに戻った。

私は高校生になった。アルバイトをはじめ、携帯代は自分で払い、月にいくらか家に入れ、欲しいもの必要もの自分で賄った。

たまに妹を連れて原宿かに連れて行ったりもした。

アルバイトというのが地元ショッピングモールに入っているラーメン屋だったのだが、オーナー社員おっさんにとても良くしていただいた。

絵を描くのが好きと知れば誕生日画集画材を頂き、美味しいものもたくさんごちそうになった。


ある日、自分で夕飯の買い物袋を両手に下げてアパートに帰ってきたときなんだか急に悲しくなって声をあげて泣いた。

私以外にも高校生で、両親がいない中買い物袋を提げて帰ってくる子もいるだろう。

でもなんだか理不尽さと寂しさとどうしようもなさ、あとはなんで私がこんな環境にいるんだろうという気持ちで家に母と妹がいないことをいいことに、両手に買い物袋を提げて立ち尽くしたままうわーんと泣いた。

本当に「うわーーーーん」だった。


私は高校卒業したら就職するつもりだった。(ちなみにこの時はまだ養育費が払われているものだと思っていた。)

母に高校卒業したら就職する。と言ったときの母のあの喜んだ顔は今でも夢に出るほど覚えている。

スーツ用意しなきゃねとも言った。

高校卒業したら就職するんです。とアルバイト先のおっさんにも言った。

そうしたらそのおっさん「あのさあ、人生よくやり直しが効くとかいうけどそんなことないよ?」と言い出した。

どきっとした。

わがまま言ったらいろんなものを困らせると思って黙っていたことがむき出しにされた気がした。

勉強したいことがあるなら今のうちだと思うんだけど」

ゲーセンで知り合った友人に相談した。その友人は通っている専門学校デザイン学科があるよと教えてくれた。

資料をもらって穴が開くほど眺めて悩んだ。そして母に言った。

「ごめん、就職したいと言ったけどこの学校に通って勉強がしたい。2年制でいいから、通わせてほしい」

その時の母の落胆した顔も覚えてる。この顔も良く夢に出る。

それでも母は奨学金手続きを一緒になってしてくれて、無事私は専門学校デザイン勉強をすることができた。

2年制だったから、うんと居残ってphotoshopillustratorを覚え、プレゼン勉強をして、就活を終えた(新卒で入った会社がクソブラックだった話はまたどこかで。失せろクソ会社


もちろん、あれからバイト代が入ればちょこちょことゲームを買い、ゲーセン音ゲーでも格ゲーでも遊んでいたのだが

無事社会人として安定してきて、switchスマブラ友達と遊んでいた時の事。

友人と二人でいろんなキャラオンライン対戦で遊んでいた時、5連勝くらい続いたあたりで

「なんか勝ち続いちゃってる。」としれっと攻撃を食らったりアイテム取り損ねたりして手を抜いてしまった。

これは高校生の時よく遊んだスーパーストリートファイターⅣ」でもかなりの頻度で起こった事象だった。

格闘ゲームで遊ぶ以上、ミスも弱さも自身のせいというのが基本なのだが、勝ち続けて嫌われたくない、気分を不快にさせたくないと

幼少の時に培った「相手のご機嫌伺い」が発動してしまって対戦ゲームでなかなか気持ちよく遊ぶことができない。

ご機嫌伺いはゲームだけでなくいろんなところで作用し続け友達は本当に少なく、それなのに変に性格明るい人間になってしまった。


なんでもかんでも両親のせいにするつもりはないけど、子は親を選べないし、ここまで女手一つで育ててもらった母には感謝もしているけれども

なんであんな男と結婚したのか、なんで喧嘩するくらいなら生んでしまったのかとこの間ちょっとノイローゼになったとき思っちゃった。おわり。




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今。妹は素敵な旦那結婚して1児の母に。もうすぐ2人目が生まれる。姪っ子にはクリスマスぽぽちゃんベビーカーポポちゃん用のエルサの服をプレゼントした。

妹は育児四苦八苦しながらも旦那、姪っ子と部屋を飾りながら私の手放しに楽しそうに生活している。

私は一人暮しのため住んでいたアパートを出たので母は久しぶりの一人暮らし満喫し、フラダンスにハマった。

父はしらない。

>うちは早くに見切りをつけて子の物心つく前に離婚して一人で育ててるが、金銭心配はなく楽しく二人暮らしのつもりが、子がこんな思いを抱えてたらどうしようと思った

金銭的な事情きっかけに過ぎず、みんなが当たり前に持っているものが私達にないというこの状態こそが、買い物袋をぶら下げて立ち尽くしてしまう最大の理由なので、出来る事なら子には友人や人とコミュニケーションがたくさん作れる・取れる環境を作ってあげるのが大事だと考えてる。

その環境さえあれば、足りないものは徐々に補えるようになるはずで、そうなるように出来ている。

今思えども急にマンション買った下りは本当に意味不明で笑っちゃう

まぁ多分、良い暮らしをと思ってマンションを買ったのだろうけど良い暮らしはそこに無かったと言う訳。

>お母さんのリアクションが、逆ではないんだね

私達と真逆環境に居た人ではあった。

>落ちがないのがなんかい

落ちてないから落ちがない…という落ち…

たくさんの人に読んでもらえてたくさんの人に文章を褒められて嬉しい

ありがたや

2020-02-08

旅館に泊まりたい

長距離バスで4〜5時間くらいのところにある温泉街に行きたい 

朝早くに出発して、昼過ぎくらいに着く 平日だからあんまりはいない その辺にある海鮮丼が有名な店に入って海鮮丼を食う 魚介類はそこまで好きじゃないんで多分あまり嬉しくないだろうけど、旅行らしさは大事

チェックインの3時まではまだ時間があるんで街をうろうろする 観光案内所に入ってパンフレットを見てみるんだけどあんまりパッとしなくて、そぞろ歩きって感じで行くことにする

風情はあるんだけどまあ所詮日本だし、たいして感受性もないんで飽きてくる チェックインまであと40分とか微妙時間なっちゃってるし、もういいやと思って宿の近くで座れるところを探して時間を潰す

宿に入る 部屋はまあ特別でかくはないけど狭くもない オーソドックス和室で、広縁がある 小さい冷蔵庫の中身をなんとなく覗いてみるけどビールとかしか入ってない 酒はあんまり飲まないんでウーンと思う

から外を見る ショボい川の特にショボい部分が見える 家から見えるのよりはさすがにマシな景色だけど、絶景とかでは全然ない せっかくなのでしばらく見るが、飽きっぽいので時間にして20分もあればいいところ

来たはいいが疲れているので外に出たくない 内湯がもう入れるっていうので入ろうと思うが、部屋から出るのもめんどくさい

4時半くらいになってやっと風呂に向かう 人はいない 脱衣所でちょっとおどけたポーズをとってみたりする まあい風呂だけど、その辺の銭湯とどう違うかと問われたら多分答えられない 備え付けのシャンプーリンスから嗅ぎ慣れない匂いがする

風呂から上がって涼む この辺で他の客が来て、ちょっとガックリくる まあ仕方ないと思いながら部屋に戻る

…なんなんだこの妄想 もう嫌!

2020-02-06

夢日記

2/5

灰色で狭い食堂にいる。テーブルがいくつか並べられていて何人か座っている。ここは宿泊施設らしい。夫は従業員に何か話しかけている。「今日地震が起きるらしいです。」私は急にテーブルの上に置いてあったおしりふきに話しかけられて驚いた。「今はおしりふきもしゃべるんですね。」周囲の人たちは当たり前のことに驚く私を無視した。食堂から部屋に戻った。和室。広い窓から外の景色がよく見える。外は森で鹿が歩いていたので子供に鹿がいるよ見てごらんと促した。そのうち森は動物園に変わった。私の部屋の真下コアラのおり。それからまた動物園は広い座敷に変わった。座敷の奥の方に子供が遊びに行ってしまった。向こうには虎がいるのに!私は子供を呼んだ。子供は部屋に帰ってきたが今度は津波の気配を感じた。早く逃げようと思ったが、さっき帰ってきた子供がまた帰ってきた。同じ子供が二人もいるはずがないのであなたの部屋は隣でしょうと言って隣の部屋へ追い返した。津波はどんどん窓から迫ってくるので階段をかけ降りて玄関に向かった。テレビがおいてあって安部首相が「被災者支援として一年スリッパの貸し出しをするように施設要請する」と言っていた。それを聞いた私はスリッパを履いて玄関を出た。玄関を出たら入り口のあたりで(白い砂利が敷いてあって広い)従業員や他の宿泊客不安そうに顔を見合わせていた。◯◯(食堂にいた女性)という従業員がいないそうだ。私は、そういえば夫はどこへ行った?と思った。そこには白い看板が立っていて被災者名簿が張り出してあった。夫の名前があった。私はシングルマザーになるのは大変だろうなと思った。そしてそれが現実かどうか疑った。このあとは目が覚めた。

2020-01-26

前住んでた場所の近くの中古マンションネット広告たまたま見た

前のところは20年弱住んでいた

家賃マンション価格比較して

ああ、家賃でこの中古マンション買えたなと思う

なんだかとても嫌な気分になった

1DKのリノベーション物件洋室

借りてたアパートは1K和室

間取りマンションのがやっぱり広め

築年数は同じくらい、マンションのが5年古い

でもまあ20年も住む気がなかったからこそ借り続けてたわけで、結果として長くなっただけ

そこはもったいないとか思ってもしょうがない

それにしても、きれい改装したマンションの室内写真間取り図をみてもいいなと思えなくなった

いかにも一人でいる部屋、という感じがして

この部屋見てなんだか嫌な気分になるのは、一生ずっと一人でいるって気持ちが思い出されるからなんだな

2019-12-24

anond:20191224034722

自室、和室リビング転々として、5時頃ようやく寝れました。

気にかけてくださってありがとう

辛いものカラムーチョなら食べられるかも。

この間、普通の水すら気道に入れてしまって、呼吸困難になったのです。

液体系外して、辛い物、探してみます

そういえば、無性に自傷したくなるって、今の主治医には言ったことがなかったかも。

次、話してみます

2019-12-18

今日やること

洗濯2 皿洗い ごみ出し 布団干し 掃除機、床拭き(寝室、廊下階段居間台所廊下洗面所和室) 風呂洗い 食品買い物 紙ごみまとめ 

2019-11-19

寒がらない猫

最近寒くなった

猫は進んで寒い廊下和室に行きたがる

リビングいちばん暖かいのに

故に布団に潜り込んでくるなどということもない

挙げ句の果てには家の中でいちばん寒いであろう部屋の窓際で寝ていたりする

でも寝相はだいたい丸くなってる

寒そう

やせ我慢してんのか!?

2019-11-06

ねこでありたい

誰もいない実家に帰ると、ねこはいつかと同じところで同じポーズで寝ていた。いや、こないだとは少しだけ場所がズレているか。障子の隙間から差す日が少し傾いて照らされる場所が変わって、ねこお気に入り場所日時計の差す時刻のように移動している。和室一角日焼けして藁のような色だ。なんとなく私もねこの隣に横になってみる。なるほど、畳が温い。ここがいいとちゃんとわかっているのだ。

い草の匂いはとうの昔に褪せて、湿気の匂いがした。隣に横になった拍子で、ねこはその振動に反応して半眼になって、二ヶ月ぶりに会った私を見て、ああ、お前かと安心したように黄色い目を閉じた。ゴロゴロと喉を鳴らす。ギブアンドテイクが当たり前のこの社会に揉まれて命からがら帰ってきた私は、何もしてやっていないのにただ横に来ただけでそんなに幸せそうにしてくれるねこを見て感傷的になってしまうのだ。どうしてそんなに私に懐くのか。お前を拾ったのは私じゃなくて妹だろう。餌は小さい頃から母がやっていたろう。まともにトイレなんか綺麗にしてやったことはなかったろう。実家にいた高校卒業するまでの私は、家に帰った時にせっかく出迎えに来たお前を置いて部屋に閉じこもっていただろう。

それなのに。お前は私の気持ちがわかったみたいに、でも人のいい友人のように同情した風でもなく、純粋に私のことを好いてくれる。

なんだか切なくなって、罪滅ぼしの気持ちで頭をわしゃわしゃ撫でてやる。ゴロゴロが大きくなって、ねこはぎゅっと目を閉じた。だから、私も同じように目を閉じてみる。ここが耳で、ここが鼻。寝ているから鼻がカラカラに乾いていた。幾度となくこいつを撫でてきたから、触れるだけで良かった。

私は、手の感触ねこのシルエットを想像しながら色んなことを考えるのだ。

なぁ、ねこ。ここ最近、私は初めてお前のように生きてみたいと思ったよ。私はねこがすきだけど、もともとはねこになりたいなんて無責任なことを言うやつが嫌いだったんだよ。

お前はお寺の近くで、拾ってくださいという札を首にかけられて彷徨っていたね。いつお母さんと離れ離れになったんだよ、かわいそうに。そこから得体の知らない私たちに拾われたね。運の悪いことに、うちは住宅地だし車が多く通るから外には離してあげられない家だった。いつも窓から外を見て、小鳥を見るとちょっとだけ切ない声を出す度、私も切なくなるんだよ。

お前は幸せかい

そんなことを考えたこともないのかな。

毎日同じ餌ばかりだけど、お前はいつも美味しそうに食べて。何もない休日も、同じところを初めて歩くみたいにして歩いて、またよっこらしょと横になって。みんなが夢中になっているテレビというものはわからないだろうし、本に向かっている人間気持ちもっとからいからとりあえず読んでいる最中の本の上に乗ってみたりして。

いつも喧嘩が絶えない家だったけど、頑張って一緒に乗り越えてきたよね。お前はどんな風に見てた? 大きい声が聞こえると、お前は自分が怒られたと勘違いしていつも部屋の隅に隠れて大人しくしていたね。八つ当たりされたこともあったか。めちゃくちゃになった家族をなんとか落ち着けて、皆が寝静まった午前1時、突然虚しくなって悲しくて一人で泣いていたこと、親や兄弟とかの人間たちには隠したけど、たまたま隣にいたお前だけには隠せなかった。お前は私の気持ちを知って膝の上に乗ってきたのかい? どっちにしても、上から降ってくる涙が冷たくてごめん。

家族バラバラになった今、一番家にいるのは間違い無くお前だけど、私に気づかなくてお前が気づいていることってある? みんなをどうやったらもっと幸せにできると思う?

他にもいっぱい聞きたいことはあるけどさ、どうやったらお前みたいに強く生きられる?

お前ほど辛くはないけど、私も結構似てるところがあるんだよ。僕も物心ついた頃、お母さんが病気になったせいで両親から離れ離れになってあまりしたことのなかった祖父母の家で育てられてさ。祖父母仕事テレビ新聞ばかりでちっとも取り合ってくれなかったよ。理不尽な叱られ方もした。少し大きくなると親も少し元気になって、ようやく両親の元へ帰れて、その頃お前と出会ったんだよ。でも知っての通りずっと喧嘩が絶えなくて、その怒鳴り声を聞いて、また家族が離れ離れにならないか怯えてた。時々酔った母が暴れて殴られたこともあった。今思えば、なんにも悪いことしていないのに生きてるだけで罪悪感に押しつぶされそうで、部屋の隅で耳を塞いで泣いてたよ。実際家族はバラバラになって、そのまま私は出来るだけ親に迷惑をかけないようにそつなく生きたよ。勉強もそこそこ頑張ったつもりだよ。そのまま実家を旅立って、今は一人暮らしになって、単調な日々を過ごしてる。同じ時間に起きて同じところを歩いて、キャットフードよりはバリエーションがあるけどぶっちゃけ毎日毎日同じようなものを食べてる。お酒っていうマタタビみたいなものに溺れる日々で、少し頑張ってみてもすぐ疲れてしまうし、人一倍寝るのが好きだよ。なんだか、色々とお前と一緒だね。

というか、お前を可哀想ということで自分可哀想と思いたいだけなんだろうね。わかってる。

でも、お前とは違うんだよ。お前と違って私は、時々過去を思い出して、心の傷とか変われない自分かに悩んだりして、虚しくて泣いてしまうんだよ。今までは生きるのに必死だったけど、突然に単調な日々に取り残された今、全てに取り残された気分だよ。毎日がつまらなくて、生きるために生きていた頃と違って、なんのために生きているのか本当にわからなくなって、笑ってもこころスカスカで、何故だか生きるのが辛いよ。まだまだ到底、お前のようには生きられないんだよ。今だって閉じたまぶたの端の方から涙が漏れ出してしまいそうで、必死に目を閉じて蓋をしているんだよ。

私も捨て猫みたい?

ねこになりたいって言うやつが嫌いなのはそういう理由だよ。ねこの拾われる前の壮絶な人生と、その後の退屈で虚しい人生想像できないやつは嫌いだよ。

ねことか私のことを見て、のうのうと生きてていいなと思うだろうから

私はお前の気持ちがそこらの人間よりはわかってると思う。でもだからこそ、純粋なお前に純粋に憧れるんだよ。お前を見ているとお前のようでありたいと思う。ただ、お前のような強くて優しいこころが欲しい。お前は、変えられない過去なんか振り返らないし、おそらく変わることのない未来を嘆いたりしない。ちょっとずつ変わり続けるだけの今を黄色くて丸い目でじーっと見つめて、いつも全力で飛びかかる。だからちょっとした季節の変化で寝るところを変えてその温かさに目を細めたり、食卓から盗んだお刺身一切れを幸せそうに食べたり——そんな儚いだった一瞬の幸せ絶対絶対に逃さない。

からお前は、美しい。ただ生きているだけで、見るもの幸せにするんだね。

お前と比べて、私はダメダメだね。

あ。ねこはそんなことも思わないのかな。きっとお前はほかのやつと幸せを比べたりもしないよね。外にいる野良猫を見て毛を逆立てて、フーッと威嚇して怒ることはあっても、あいつは自由でいいなと羨むことはない。

この先どうなるんだろう、とか。

生きるって何、とか。

認められたい、とか。

そんなことより、日で温もった畳って温かくていいな、なんて思っているのかな。

私がこんなことを考えているうちにも、ねこはずっとゴロゴロと喉を鳴らし続けているのか。なるほど。つまりはそういうことなのかな。

ねこでありたい。

ねこになりたいのではない。だって、もうほとんどねこになっているのだから

そう、ねこでありたい。ねこでありたいのだ。

大丈夫明日も強く生きる。

2019-08-15

anond:20190815221053

洗濯機乾燥機・物干し竿

 →制服による。営業マンならクリーニング必須だし自宅洗いならノーアイロンウォッシャブワイシャツ買い揃えたらアイロンいらなくね。

 汗と油とかいているけど調理? ハンガーたくさんいるね

   

冷蔵庫

 →野菜室要らないのは男性らしい。冷凍庫おおきめかむしろ冷凍庫+ペルチェで寝室ビールという手も。 耐熱天板って普通そうだろ

電子レンジ

 →男性は揚げ物が好きだろうから最初からヘルシオにしたら電子レンジトースターも揚げ物マシンも1台ですむけど

 

カーペット(2階なので防音)

 →掃除機しっかりかけようね たまに連れ込んだ女の長い髪の毛はすぐ繊維にからみつくぞw あと夏は暑い

 

カーテン(遮光カーテンで)

 遮光しすぎると日周期リズム崩れるからあけしめ楽なやつね、雨戸きちんとあけしめするならレースの目隠ししか要らないという話もある

 

・机・ハンガータンス・本棚生活が落ち着いてから買う(大きすぎて邪魔・小さすぎて買い足すような羽目にならないようにする)

・クッション・ソファも同上の理由不要

 →こたつ座椅子はとてもよいもの

ゴミ箱ティッシュ食器実家から持っていく

 →インスタントカップ麺のためのティファールポットも余ってたらもらってこい

 

以上が必需品?

それとは別に疑問点として、

・2LDKだが、1ルーム和室なのでどう使う?(和室は完全に生活空間として使い、洋室書斎(?)として使うか?)

 →倉庫になる

和室本棚・机は畳が痛むから危険か?

 →10センチ角の板をどこからかもらって足に敷く なければ100円ショップで探す

引っ越し挨拶はした方が良いか?また、どういったものを持っていけばよいか?(「洗剤・食品NG商品券ゴミ袋のような消えものが定石だ」と聞いたことがある)

 →昔は長続きするそば定番だった。男性なのでどん兵衛とかでも許されるかな。あとタオル

一人暮らし必要もの

アラサー男が初めて一人暮らしするにあたり、必要ものってなんだろう?

洗濯機(安物で十分・それよりきちんと畳んだりアイロンを忘れないことを重視すること)

・2ドア冷蔵庫(霜取り芙蓉・容量160L±20L・耐熱天板)

電子レンジは割とよく使う。オーブンは使いそうで使わない。というわけで電子レンジフラットテーブルの単機能の安物で十分)

カーペット(2階なので防音カーペットを)

カーテン(遮光カーテンで)

・衣類乾燥機・物干し竿(仕事上汗と油で服が1日でだめになるので)

・机・ハンガータンス・本棚生活が落ち着いてから買う(大きすぎて邪魔・小さすぎて買い足すような羽目にならないようにする)

・クッション・ソファも同上の理由不要

ゴミ箱ティッシュ食器実家から持っていく

以上が必需品?

それとは別に疑問点として、

・2LDKだが、1ルーム和室なのでどう使う?(和室は完全に生活空間として使い、洋室書斎(?)として使うか?)

和室本棚・机は畳が痛むから危険か?

引っ越し挨拶はした方が良いか?また、どういったものを持っていけばよいか?(「洗剤・食品NG商品券ゴミ袋のような消えものが定石だ」と聞いたことがある)

2019-08-05

実家の残念な話

里帰り出産のため、実家に帰っている。和室ベビーベッドと私の布団をおきたいと思っていた。リビングにあるソファーが壊れていることを知り、まだ壊れていない和室に置いてあるソファーと入れ換えてリビングソファーを捨てたらどうかと親に相談した。和室からソファーがなくなれば和室スッキリして私も助かる。

父親は了承した。

伯父に軽トラを出してもらって運ぶということになり、母親とずっと和室掃除していた。母親和室からソファーを出せる段階になってから伯父に相談すると言われた。伯父だって用事があるから前々から相談するべきなのではと言ったけれど、母親が伯父に連絡しないのでひたすら和室掃除をした。準備を整えてから伯父に相談すると母親は言った。お盆休みに妹が来てくれるから人手が増える。もし伯父に協力してもらえばソファーを移動できると思っていた。

一生懸命、いらないものを捨てて整理したのに、母親から急にソファーを入れ換えるのは後々(両親の老後の意味?)になってからじゃないとできないと言われた。伯父だってお盆は忙しいかもしれないと。じゃあなんで前々から伯父に相談しなかったんだろう。それに、軽トラさえ貸してもらったら父が運転して父親母親、妹で協力してソファーを運ぶっていっていたのに。

急に裏切られた気持ちになった。

和室からソファーがなくなる。リビングの壊れたソファーも捨てれて、実家が整うと思っていたのに。

母親はそれまで、ソファーをうまく運ぶプランの話をしていたのに急にできない話をしだした。

そう思っているなら何で最初から私の提案を断らなかったのか。

でも、私の母親はおそらく発達障害か軽度の知的障害があるので

そういう展開もあるのかなと考えた。

実家は私の部屋ではないし、もう好きにしろよと思った。うちのリビングには四つ立派な時計があるが、そのうち時刻が正確な時計は1つだけ、来客はうちの時計を見て、混乱することが多い。壊れたソファー、使われないマッサージチェア時間が合ってない立派な時計、溢れる不要品、この家のリビングに招かれた客は「この家の住人は知性がない」と思うだろう。

不要品ばかり集めた家で生活して、何とも思わない両親

母親は60歳を越えてもフルタイムで働き続けるらしいので老後の掃除というものはできない。今家の大掃除ができているのは私が里帰り出産のために帰省しているから。特別きっかけでもないと実家大掃除する必要はない。老いた両親の二人暮らしだし、父親は全く家事をしないし、母親は週6のフルタイム仕事日常家事に追われて、細かいところまで気を回す余裕はない。

父親母親より物が捨てられない性格で、本当にいらないものを集めたがる。琉球グラス、カメラ、本、パソコン時計フィギュア

綺麗に並べるわけでもなくただ無造作に置かれているだけで、父親コレクションが減っても気づかないだろう。

断捨離ミニマリストとは真逆住民が住む私の実家はこれからも、きっとこの不要品をずっと貯めながら生きていくんだ。虚しいと思う。

私の父親は車を二台所有している。通勤用と娯楽用。母親も車を一台所有しているので二人暮らしなのに車が3台ある。当然車検代や保険代の費用が発生する。先日実家のコンロが壊れて十数万の費用が発生したが、最大限の回数でローンで支払うことにしたらしい。良い歳の老夫婦なのに十数万円のお金も一括で払えない経済状況だ。コンロを修理してくれた業者は「おたく立派な車を持ってますね」と明るい話題をふってくれたが、私は「この人にはうちの両親が良い暮らしをしてるように見せかけて実は貧困層ってことがバレちゃったな」と気まずくった。

私も両親の血を引いていて、なかなか物が捨てられない女だし、部屋を汚くして夫を怒らせてしまったけど、これからもっとミニマリストになって、自分の子供には不要品に囲まれゴミ屋敷での生活をさせないようにしようと思う。

2019-08-04

モダンな部屋に憧れあるから和室に住みたいけど大抵風呂とかトイレも古いんだよな

タイル張りの和式トイレとかバランス釜とかはマジ勘弁

そう都合の良い賃貸は見つからんかぁ

2019-07-21

母がトイレに行くと、犬もトイレに行く。

それから犬は母を追ってリビングから和室に入る。それから和室引き戸を開け、トイレに続く廊下に出る。

犬が廊下に出た頃合いになると、先にトイレを後にして廊下を歩いてきた母がリビングのドアを開けて戻ってくる。

ドアの音を聞いた犬は廊下和室リビングと来た道を走って戻ってくる。

バタバタ走り回ってる割りに、戻ってくると何でもなさそうな顔をしているのでおかしな奴だなと思う。

2019-07-09

anond:20190709153438

こういう人って「和室がある家」自体を知らないんだろうか?

今の新築でも普通にあるんだが…

あと子供部屋に鍵つけないのって普通に流行ってる(それこそ引きこもりを作り出す、ってんで。リビング学習なんかも流行ってる)し

2019-06-28

anond:20190628201156

休日和室で昼寝してて起きたら猫さんのケツが目の前にあったりする。なぜコイツはいつも後ろ向きに俺の胸の上に乗っかって寝るのだろう。

2019-06-10

anond:20190610150708

あなた智慧を求めているので、キリスト教は合いません

上座部仏教をおやりなさい

私もプロテスタント学校10毎日礼拝お話を聞いて、何一つ智慧の開発された手ごたえがありませんでした

上座部仏教は全く手応えが違います

一つ一つに論理があり、自分で確かめることができます


ついでに言えば

日本宗教は全体的に低レベルです

私は日曜日学校に紹介された「まともな教会」の礼拝に出た事があります

邪教サークルしか言いようがない怖い教会でした(まず和室

穏健プロテスタント伝統校が推薦する教会でもそんなもんで、

更には統一教会など韓国系カルトやその他地場カルトも多いです

もちろん仏教神道系のハチャメチャな教えの新興宗教も沢山あります

キリスト教はわりとまともなところもカルトも含めて全く不毛の地なのが日本だという気がしま

キリスト教には何の未練もありません

讃美歌と聖書に関する知識スノッブ教養として残ったぐらいです

2019-06-06

あなたは76歳の元農林水産事務次官です

あなたには妻と息子がいます


息子は一週間前にあなたマイホームに戻り、和室に布団を敷いてドラクエ10をしています

息子は中学時代から妻とあなた暴力をはたらき、息子はそこに快楽見出しています

なんとか独り暮らしさせ、日常暴力から遠ざけることに成功したものの、マイホームに戻ってきてしまいました


息子は近所の小学生と妻に殺意とも取れる言動をしています


あなたはどうすべきでしょうか?



警察相談する→報復殺人あなたは死んでしまった!

我慢する→妻が死んでしまった!

追い出す→近所の小学生が大量に死んでしまった!

妻と逃げる→しかし回り込まれしまった!

あなたが息子を殺す→ネットで叩かれてしまった!


こういうゲームブックあったよね

2019-03-30

幼少期に受けた兄から性的虐待のこと

もうすぐ20歳になる大学生です。

秘密はくるしいので、書き残しておきます

ずっと相談たかったけど、できなかった。

長くなります文章は書き慣れていなくて、ぐちゃぐちゃだけど、誰かが見てくれますように。

わたしは、小学1.2年生くらいから3歳上の兄から性的虐待を受け、小学卒業あたりまで性的な目で見られていました。

まずはお風呂性器や胸を見られ、触られるところからまりました。

まだ幼かったので、それが性的なことだとは理解できませんでした。

兄は必ず、わたしがお風呂に入るとついてきて、そのようなことをしました。

何故かだんだんと怖い気持ちになって、お風呂に兄がついてきそうなときは、父親を呼んで3人で一緒に入りました。

ある日、兄と2人きりでお風呂に入ってしまい、「胸を吸わせてほしい」と言われました。

嫌だと言いましたが、何度も言われるので、応えてしまいました。

これは駄目なことなんだと察し、わたしは怖さと気持ち悪さを感じました。

何日後かにあったピアノの発表会の帰り道で、そのことを思い出して震えて動けなくなったことも今でも覚えています

わたしは汚いんだ、と思うようになりました。

母にも心配されましたが、本当のことは言えませんでした。

誰にも言えない秘密になりました。

しかし、兄がお風呂についてくるのが耐えきれず、 ついに母親に「お風呂にお兄ちゃんが入ってくるのが嫌だ」と打ち明け、お風呂に兄がついてくることはなくなりました。

それでも、兄から性的行為は終わりませんでした。

小学2年生か、3年生の頃です。

わたし和室で本を読みながら眠ってしまい、ふと目を覚ますと、兄がわたしの服に手を入れ、「(わたし名前)、起きなよ、起きなよ」と言いながら胸を揉んでいました。

まりの恐怖に叫びました。

寝起きで上手く声が出せず、息が苦しくて、足で兄を蹴って抵抗しました。

ほんとうにこわかったです。

ずっと覚えてます

うたた寝すらもできない、

気付かなかっただけで、今までも寝ている間に何かされていたのかもしれない。

兄と自分に対する嫌悪感気持ち悪さ、不安、そして自分は汚れているという感覚でいっぱいになりました。

からの直接的な行為は覚えてる限りだとここで終わりました。

でも、性的な目では小学卒業くらいまでずっと見られていました。

わたし小学生の頃から胸が人よりも大きく、目立っていました。

小学校高学年くらいから、兄に「(自分名前)は、胸が大きいよね」と言われてきました。

性的目線や笑いがまとわりつきました。

その頃、同学年の男子からも同じようなことを言われ始め、「わたしはそんな目でしか見られないんだ」と悲しくなりました。

普通は気にすることではないのかもしれませんが、兄とのことがあったため、妙に気になりました。

運動会は、胸にさらしを巻いて出ました。

それから月日が経ち、兄は性的行為発言をすることはなくなりました。

なるべく、会話もしないようにしていたし、関わることも少なくなりました。

あれは幼くて、善悪判断がつかなかったから起きたこと、性的好奇心から出来事だと思うようになりました。

兄は、その時のこともきっと忘れているんだろうな、と。

そう思うと、前よりは普通に接することができました。

しかし、中学生になったある夜に

から「一緒に寝てほしい」と言われました。

「一人だと寂しくてたまらない」と。

なんとなく昔のことを思い出して断ると、

兄は言いました。

「小さい頃みたいなことはしないから。」

聞いた瞬間に背筋がゾワっとしました。

やっぱり、まだ覚えてたんだ。

忘れてなかったんだ。

かに縛られたように、その場から動けなくなりました。

絶対に無理だから」と言い、わたし自分の部屋に戻りました。

この時、兄は笑っていました。

この人にとっては、そのくらいの出来事だったんだ、と。

わたしけがずっとトラウマを抱え込んでいるんだ、と。

そのときわたしは一生このことに縛られて生きていくんだな、と思いました。

兄の少し肩が触れただけで、目が合うだけで鳥肌が止まらなくなります

自分はきたない、価値がない、知られたら気持ち悪がれる秘密がある、

毎日、昔のことを思い出します。

自己肯定ができません。

明るく振舞って、本当の自分を隠しています

もっと酷いことをされた人もいるのに。

しかし、そのこととは裏腹に、異性との距離感がわからず、どこまで性的なことに及んでいいのかもわからないでいました。

何故か、いけないことの区別がつかないのです。

貞操観念がわからないのです。

しろわたし性的なことをするために生まれ人間なのだと思うようになりました。

兄との記憶や、兄の手や舌の感触を別の人で塗り替えたくてたまりませんでした。

こんなわたし純粋に人を好きになるなんて気持ち悪いことで、本当は駄目なことだと思う。

中学生の頃に好きな人性的関係になってしまったり、高校に入っても何人かから同じ扱いを受けました。信頼していた男友達に襲われた時から、人を心から信用できなくなりました。2.3人とお付き合いしましたが、わたし依存されやすいようで、いい思い出はありません。

わたしは断れない性格なので、相手けが悪いわけではありません。

もう、抵抗の仕方を忘れていました。

押し倒された瞬間に無感情になります

しかし、わたしは性行為ちゃんとできませんでした。

痛くてしょうがないのです。

初めても、無理矢理されて血がたくさん出て泣き叫びました。

今でも、長時間入っている状態を保てません。

なんて中途半端価値のない人間なんだろうと思います

今は優しい方とお付き合いしており、その人以外と性的関係になることはもちろんありません。その人のおかげで、悲しい記憶も、思い出さない日はないけど、少しずつ薄れています

でも、こんな身体でごめんね、と思ってしまます

こんな自分では、離れてしまうのではないかと涙が出ます

本当の自分を見せたいけど、見せたら彼の負担になってしまうのではないかと。

自己肯定ができず、日々のストレスでこの前身体を壊し、

最近まで彼には言わず精神安定剤を少しだけ飲んでいました。

副作用があるため、今は控えています

明日、兄が家を出ます

やっと解放されるんだ、と肩の荷がおりた気持ちでした。

母に「見送りに行かないの?」と聞かれました。

行けるわけがありません。

一刻もはやく離れたいのです。

母に、行かないと言うと

「酷いね家族愛がないねがっかりした。

そんなに冷たいなんて。」

しょうがないの。

ごめんね、親不孝で。

本当に無理なの、

20年弱一人でたたかってきたの。

責めないで。

思い出させないで。

こんな娘でごめんね。

涙が溢れました。

部屋にこもって泣きました。

ここに書いてないことや、今までのことをひとつずつ思い出しました。

生きるのはすごく難しいです。

自分を大切にするのは、すごく難しいです。

わたし自分肯定できない代わりに、わざと明るく振舞うとき自分を愛します。

周りの人を愛します。

傷は一生癒えないから、忘れるしかない、

自分を認めるしかないのかな。

方法がわからない。

すごく長くなってしまいました。

ぐちゃぐちゃな文章でごめんなさい。

読んでくれた人がいたら、本当にありがとう

2019-03-18

28年生きてて初めて彼氏ができたけど

異物感がすごい。

和室の隅に本場ブラジルサンバダンサーが鎮座してるみたいな。

全然私の人生と馴染まない。

やばい

もう全然理解が追いつかなくて途方にくれてる

まず手を繋いだりするんだよね?ヤバイ・・・うそだろ・・・

もう想像するだけで発狂しそうだし裸足で遠くへ逃げたい

彼氏・・・?私に・・・うそだろ・・・

キスをしたりする?うそだろ・・・犬としかしたことない(くさい)・・・

その先・・・???・・・・・?????????

えっ・・・無理・・・18禁BL知識しかない・・・これ役に立つ?多少の汎用性ある?

すご・・・無理・・・私のこと好きらしいよ・・・えっ?

28サバンナガゼルのように生きてきたんだよ・・・・・

突然やさしさで包まれてもスペースキャットしかできない

嬉しいけどありがとうだけど・・・和室の隅のサンバダンサーにどう接したらいい???

わかんねえ・・・やべえ・・・踊るか・・・

でも私の彼氏サンバダンサーではない・・・

もう何もわかんねえ・・・

喪女だらけのツイッターでは言えないから吐き出させてもらいました

28まで喪腐でも彼氏できたよ私にはもったいないくらいの良い人、しかも犬好き

しか彼氏ほしくてオシャレも化粧もがんばってきたけどいざ出来たあとのことをまったく考えてなかった

いま恋活婚活中の喪女は事前に多少のイメトレしておくべき

ショック状態の私からアドバイス

追記

なんで私が彼氏Siriを開発する流れに?って思ったけど

挿入されるより挿入するほうがまだ経験あるからやれそうな気がする

いや待て経験はなかった!!!

ないけども!!!抵抗なくやれそうな気がする

いや抵抗なくやれそうだから何!!???わかんない

もう何も・・・・・アレクサと付き合えばよかったのかな・・・

でも彼氏ができたのはうれしい

2019-02-06

国会時代劇風にしてはどうか?

本日国会中継を久ぶりに少しだけ見た。

国会中継を見ると、見た目にどうも日本らしさがなく、面白味に欠ける気がする。

もっと人目を惹くビジュアルにして見る人は増やせないのだろうか。

そこで、この様な案はどうだろうか。

国会議事堂のあの部屋を和室(もちろん豪華な感じの)にして、議員は静粛に正座

さすがに和服を着るべきとまでは言わないが。

太鼓の音でお辞儀をして質疑応答開始。

これでどうだろうか。

アイデアがまるでこち亀両津のようだな。

2019-02-03

宮城周遊

郡山は雨だ。

文字通り真っ暗な車窓に、水滴が張り付いている。

新白河行きの列車は、郡山10分ほど停車するらしい。

ホーム上の喫煙所煙草を吸って、戻ると間もなく発車した。

少しでも遅れると困る。このまま大宮まで在来線を乗り継いでいかなければならない。

グーグルからの通知で、宇都宮から遅れているとの情報を受け取る。

日付が変わる頃には家に着いていたい。

明日仕事だ。

土曜の7時過ぎ、平日なら都内方面へ向かう大宮駅の在来線ホームにいるはずだが、この日は打って変わり、新幹線ホームにいた。

手には仙台行きのやまびこ号の特急券

金曜の夜のうちに、鳴子温泉の宿を取っていた。

昨晩熟睡できたおかげか、頭はすっきりしている。

少なくとも午前中には宿に着いてしまう、余裕を持ちすぎた旅程だった。

出発の5分前に新幹線は入線した。構内のブックエクスプレスで買った本を読みながら発車を待つ。

宇都宮福島を通り過ぎ、あっという間に仙台駅に着く。

雪が降っていた。

西口ペデストリアンデッキの隅々には黒く汚れた雪がそこかしこに避けてあった。

本来なら、鳴子温泉にまっすぐ向かうのであれば、古川行きの特急券を用意するのが一般的だが、気分の変わりやすい私は、なんとなく先のことを見越して仙台行きでやめておいた。

別に仙台から東北本線陸羽東線を乗り継いで行っても問題ない。

また、結果的にその通りになったのだが、仙山線に乗り迂回しながら鳴子温泉にも行ける。

コートポケットの中には行き先指定乗車券ではなく、乗り降り自由周遊券が収まっている。

これでふらふらと時間の許す限りどこまででも行ける。

宿には、17時にチェックインを予約していた。

雪を見たら必ずどこかに行きたくなる。

仙台に降った雪にそそのかされ、仙山線山寺を目指すことにした。

山形県境を超えると、雪が濃くなった。

車窓には白色が占める割合が高くなり、車輪が雪を踏みしめる音が聞こえる。

1年前も、ほとんど同じ時期に山寺へでかけた。

大学卒業を控えた、卒業論文を書く合間の旅だった。

私は学生身分から社会人になったが、仙山線のこの風景は何も変わってはいない。

立石寺までの道のりや、参道茶屋雰囲気、何もかもそのままだ。

昔のことを考えていたらなぜか気恥ずかしくなり、1時間滞在した後、すぐに山形方面を目指した。

あの頃は、貧乏学生新幹線なんて使えず、全て鈍行での旅程だった。

羽前千歳新庄と乗り継ぎ、ようやく鳴子温泉に着いた。

駅前では旅館のおかみさんボートを手に掲げ、待っていてくれた。

一晩お世話になる宿は、とても素晴らしいものだった。

ネット口コミ通りのご飯、こじんまりとした雰囲気

なによりも、お湯が最高であった。

鳴子の湯は、湧き出る箇所によってその特色が全く異なる。

今回の宿は、これでもかというほど白く濁りきり、硫黄匂いで脱衣所どころか、宿全体が溢れていた。

2階建てですべてが和室こたつストーブ。更には湧き出る源泉の温度を利用したヒーターが備えてあった。

夕食後は湯に浸かり、酒を飲んで、気付くと朝を迎え、あっという間にチェックアウトをしていた。

駅前喫茶店コーヒーを飲み、列車を待った。

小牛田行きの気動車に乗り込む。目指すは女川だ。

かつての震災実家青森の私は、知っておくべきことではないかという観念があった。

女川駅前からまっすぐに海岸まで伸びる道。

整然としている。真っ先に思い浮かんだ感想

列車の中で見た女川までの車窓は、やはり想像していたとおりだった。

テレビで見た光景がそのまま拡がっていた。

しかし、女川駅前は違っていた。

復興の力とはすごいものだ。震災直後の町の有り様は、詳細には私にはわからないが、一つだけ言えるのは、さっきまで見ていた車窓とは全く異なっていた、ということだ。

地元の人、観光客公共施設、そこで働く人たち。

これこそが活気だと感じた。

もちろん、横目には未だに復興前途の痛ましい風景がある。

だか、確実にここには人が住んでいる。そういう気分にさせた。

私はその後、今日何度目かの温泉に浸かり、土産を買い、ただの観光客という身分でそこにいた。

観光客でいられるということは、よく考えてみれば、それはもう立派な町だ。

間違いなく東北は立ち直ってきている。一部分の一瞬を切り取っただけを見た私が言うのは甚だ軽薄で軽率であるが、そう思わずはいられなかった。

一年前、仙台から鈍行で東北本線を上ったことがやけに懐かしくなり、私は300km超の道のりをゆったりと列車に揺られている。

この文章を書いている間に、すでに新白河に到着した。

残りの時間は少し眠ろうと思う。仙台で少し買いすぎてしまった酒がもう底を尽きた。

なんとまあ奔放で堕落した2日間だっただろう。

明日二日酔いがやってこないことを祈る。

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