はてなキーワード: 伝統とは
答えはだいたいわかってるんだけどね。
それは核家族化によってそれまで維持できていた家事育児の集団での分担共有コミュニティ、いわば女社会が崩壊したからだ。
考古学の成果でも原始的な人間社会は「狩りや戦争を分担共有遂行するコミュニティである男社会」と、「家事や育児を分担共有遂行するコミュニティである女社会」があって、それら2つの社会が支え合って人間社会を維持していたことは明白だ。
明白な理由として共同炊事場跡や貝塚の存在がそれを裏付けており、何なら現代でも伝統を維持する一部の民族には共同炊事場文化が残っていたりするし、例えば日本の家事に関わる慣用句として井戸端会議などを挙げればイメージされるのは女性同士のコミュニティだろう。
しかし人間社会は誤った舵取りをしてしまい、経済発展のために核家族化を加速させたことにより女社会の崩壊を招いてしまった。
もちろんこの考え方は現代の人間社会でジェンダーロールの強制などの問題を孕むものだけど、別にこれは身体としての男性が男社会、女性が女社会と表現しているわけでなく、理解しやすい言葉として選択しているだけなので、そこにツッコミを入れられても困る。
この辺りへツッコミを入れる際は戦争や家事などの要素を含めて誰もが理解しやすい代替する言葉を明示すること。
男社会は狩りや戦争を担うものというステレオタイプに囚われるのが良くないみたいな考え方もあるだろう。
すばらしく高度に発展した人権思想をアナタは持っているので高度な人権思想を理解できるアナタの天才的な頭脳を持って、それを原始人に説明してきてくれ。
男社会は前述した通り原始古代の人間社会の役割がベースにあることを前提に選んでいる言葉であり、男社会は狩りや戦争を担うものというステレオタイプが良い悪いとかそういう部分の議論は別の議題の時にやってくれ。
現代では女性同士による家事や育児を分担共有遂行するコミュニティとしての女社会がほとんど崩壊してしまった。
一度に大量のメシを加工して集団へ提供することをしないし、上の世代に孫を預けることもしなくなってきている。
このような状況で女性がワンオペで家事育児を回しているのだから大変なのも当然だ。そもそもワンオペで回せるように人間の社会構造が古来からどうやらできていないようなのだから。
女性は女社会が崩壊したけれども、人間はコミュニティへ属さなければ生きていけない動物なので残ったコミュニティである男社会へ進出せざる得なくなった。
しかし男社会はそもそも家事育児を想定していなく、更には多くの女性を狩りや戦争へ参加させることも想定していなかったので女性にとってみれば生活しづらいコミュニティだ。
そこで生まれたのがフェミニズム論なのだろうと思う。
つまりフェミニズム論はそもそも女性でいながら男社会での平等公正さを求める主張であって、例えば女性が生活しやすい女社会を再構築するみたいな主張じゃないわけだ。
男性という衣食住の心身健康の品質の管理を怠ることがなければ進んで危険な環境へ飛び込んできて富を得てきてくれる存在を維持するための女社会は求めていなく、男社会という危険な環境へ飛び込むことが推奨される社会で女性も活躍できるようにしようという主張なわけだ。
俺も現代思想へ染まった人間なので女は後ろに控えていろなんて言うつもりはない。
どうぞ俺の代わりに前線で戦ってくれ。それだけ俺に弾丸が当たる確率が減るしな。
2年ほど前、留学先の友人に誘われてマレーシアの首都クアラルンプールを観光したときのこと。
とりあえず主要な観光地を回ろうと、観光バスに乗った。私は割と短絡的なので、観光地にやってきたおのぼりさんらしくKLタワーという塔に登ることにした。高さは東京タワーを超える421mで地上276mに展望台がある。壁一面ガラス張りになっていて、クアラルンプールの街並みが360度一望できた。早速望遠鏡を覗き込んだ。その日はよく晴れていて遠くまで見渡すことができたが、関心は眼下に広がるビル街に移る。発展途上といえども近代化著しいマレーシア。首都はさすがに都会なんだなあ、などと考えたのも束の間、強烈な違和感を覚えた。その正体にはすぐに気が付いた。
街並みがおかしいのである。「ビル街」と聞いて想像するのは、ビル同士がところ狭しと立ち並ぶ日本の都市だろう。大抵は、超高層ビルの間は高層ビルで埋められている。無駄のない没個性的な建築物が寄せ集まり、地平線まで白い四角の集合が続いていく。徹底的な「均質」。これが都市なのだと認識してきた。対して、クアラルンプールの都心部は「雑多」だった。開発が遅れている地区と現代的なビル群が立ち並ぶ地区が分けられていないのだ。ガラス張りの近代建築の隣に並ぶ民家らしき平屋。40階はありそうな超高層ビルの傍を流れる小川はドブのような色をしており、対岸には廃屋が寄せ集まっている。計画性が微塵も感じられない。望遠鏡から顔を上げて、街を見下ろした。砂地の白と草木の緑、家屋の古ぼけた淡色の間に、超高層ビルの強烈な白が浮いている。マレーシアの人種のように、共生しつつも混ざり合わない歪なパッチワークのようだ。
街中を実際に歩いてみるとクアラルンプールの特異さがよく分かる。バラック小屋と露店が立ち並ぶエリアには、小説で読んだ終戦直後の東京の雰囲気があった。露店の軒先は煤けたように汚れ、乞食があちこちで座り込んでいる。感じたことのない異質さに緊張が走った。太陽が容赦なく照りつける晴れの日だったが、その一帯はどんよりと薄暗かった気がした。何だかばつが悪いような気分で、街中へそそくさと歩いて行った。街中といっても、一昔前のトレンディドラマのような古ぼけた建物がずらっと並び、頭上にけばけばしい看板がせり出たようなストリートだ。この道の先に、高架が見えてくる。見上げた先を電車が走り去っていく。高架の柱に近づいてよく見てみると、かなり年季が入っているようだった。所々コンクリートが欠けている。ぼんやりと大学の講義で聞いたことを思い出した。日本では、高度経済成長期に一斉に建設されたインフラがそろそろ限界を迎え、改修の時期になっているという。なんとなく、高架はその年代くらいに建てられたものだと推測がついた。都市の周縁部を散策し終えたので、私たちはタクシーに乗り、中心街へと向かった。車窓からペトロナスツインタワーが見える。―なんだあの巨大な建物は。対になった2棟の超高層ビルが堂々と屹立し、スカイブリッジが2つの塔を繋いでいる。天頂部は、伝統的なモスクさながらの意匠が凝らされている。タワーのすぐ近くでタクシーから降り、仰ぎ見た。黒光りする鉄塊は天にも届きそうだ。夕暮れの陽光を力強く照り返す双塔は、最新技術の粋をこれでもかと主張してくる。究極の現代建築を前に、今日一日で見てきたクアラルンプールの街並みを思い返していた。
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最近は偉大な伝統国体を守るために皇族は人権はないという流れになりつある
人権ないなら側室でも人工授精でもなんでも手段選ばず強制的にでも男子継承者作る形にすればいい。後継を残すことが存在意義としてしまえば良い。
マコさまも、姪っ子だとしたら、あんな男で大丈夫なの?くらいは親に聞くかもしれないけど、別にそれで終わりやん
それでもマコさまはごね通して結婚しちゃえば終わりだけど、坊ちゃんの方は人生の選択肢ゼロでしょ?
本当に人権侵害だよね
それでも今までの方は権威があり、国民に敬愛されてたからこそ天皇という立場をやれたわけだけど、坊ちゃんが大人になった時、それを受け入れるとは限らないよね
法的には無理だよね?
じゃあもし坊ちゃんが、マコさまみたいにごねてしまったら、マサコさまみたいに鬱ということにされて、国民はお姿を見ることはなくなるのかな?
可哀想すぎるよね
後継が20人くらいいて、その中から希望者がなる、とかだとなりたい人はいるかもしれない
でも1人じゃあなあ
歌舞伎役者とか、伝統芸能の跡取りとか、有名な寺の住職とか、代々の名家は沢山あって、誰に強制されるわけでもなく、家の掟として個人的に存続してるとこあるよね
その先のことは、天皇家の人たち自身で、女系でいいんじゃない?となればいいんだろうし、当主を遠縁から持ってくるならそうしたらいい
それで基本的人権も守られたらいい
民間人になって、ジャパンロイヤル株式会社とか設立して、外交や名誉仕事、まあ今の公務だよな、それを受注して生計をたててもらうのもひとつよな
リベラリズムだと自分で選んだか選んでないかが問題になるけど、現実の社会は家族とか自分で選んでもないもので溢れ返ってるしそういうものを全否定すると成り立たないよねっつー主張だからなサンデルは。
彼は伝統的な家族観とか宗教観とかそういう共同体の価値観を軽視するとこういう問題が出てくるのでよろしくないという立場であって、政策面の主張は似通っていても根っこはリベラルではないのだ。
Webフォントに関しては、美しさで伝統的フォントに及ばないって印象が正直なとこなんだよね。
判断難しいとこあって、デザインはプラットフォームのなかで活きるものだから、スクリーンの視認性とか、掌サイズのちいさいデバイスで可読性があるか、日本語だったら基本横組みのWebの世界で最適化されているかとかも考慮に入れた評価をしないといけないと思う。
でも、情報伝えるのと同時に満たしたいタスクとして、「非言語の雰囲気、感情的ムードを共有する」とか「デザインコンシャスな人の審美眼に耐える」ってとこも考えたい。
そこ考えてたとえばTrajanに置き換え可能でいいパフォーマンス出すWebフォント探してCinzelかな、ってなって、ここら辺は縦と横の線の細さがあんまり変わんないとか、WやJのエレメントのシャープさとか見て決定するんだけど、やっぱ文字組んでみるとTrajanの方が出来上がった文字組として綺麗だなっておもうんだよね、CinzelはなんかTrajanを追いかけてるんだけど、細部で越える事ができてない、って感じたり。
そこら辺はGaramondの代替でCrimson Textかなーってなったときも、ちょっと繊細さがないのが気になっちゃう。
Adobe fontだったらWebフォントで使えるかもだけど、ビジネス的なことを言うと権利関係とか制約めんどい事多いし。
同様のめんどくささはモリサワ系日本フォンとにもいえて、ちょっと使うためのハードルが高い。
それに読み込みの速さとかも、まああるよね、日本語はサイズが巨大だからなんかテンポ遅くなるし。
つかいやすいgoogle fontの中で「お、これはなかなかいいな」って思うのはLatoかなー。
サンセリフとしての基本的読みやすさをそなえてるし、すこしジオメトリックな要素もあって審美眼にも耐えて、小さいスクリーンでも大きめの画面でもストレスなく読める。
あとMontserrat、これは単に伝統的フォントを真似してるのを超えた美しさがあって、場所えらぶけどいいなって思う。
https://note.com/arisan_designer/n/n77e068511f5c
こちら、フォントの歴史の話が珍しくホッテントリまで上がってたんで、まあちょっと嬉しくなったんで。
まあフォントはみんな好きなんで、いろいろブコメつくんだけど、まあ「知ってても何の役に立つんだ」「海外仕事するとき以外無用知識」的な「半端にイキってんじゃねーよ」的コメとか「読みづらい文字死すべし」的「デザインは理論原理主義」、「小林章さんが全て言い尽くしてる」っていう「有識者権威主義」はたまた「〇〇が好きなフォントです!」的「無邪気なフォントLOVER」がそれぞれワイワイいって、「で、どうすりゃいいんだ」ってなかなか意見が出んよね。
まあわっしもそんなに決定版的回答出せるほどの絶対的知識ないんだけど、現場で選んでるときの一例だせれば「ほーん」てなるかなって。
元記事の歴史的な背景知ってるときに、有効な例っていくつかあって
なんかは役に立つよなと。
時代性的なことで、有名な例としてスターウォーズのポスターのフォントとしてTrajanが採用されてたりするんだけど、あれは見た目がトラッドでかっこいい以上に、スターウォーズが年代記的英雄譚、言ったら「サーガ」だから背景的にもバチっとハマってるってのがある。
Trajanは碑文から発見された文字にインスパイアされて作られた文字なんで、言ったら最古のグループのフォント(まあそこをイメージして作られたんだけど)で、伝説にはピッタリよねと。
あと、Frutigerなんかはシャルル・ド・ゴール空港のサイン用書体として開発されたっていう経緯があったりして、デザイナーのアドリアン・フルティガーの作ったフォントはシステマチックなラインナップ展開を考えた作りで、近代性・工業性を表現できる書体かなって思う。
まあでも同じ人が作ったやつでデザイナーがより好きなのはAvenirかなー、円形とか直線とか、かなりジオメトリックなエレメントを持ちつつ、ちゃんと人間が描いた字として読みやすいから、意味と画面の平面構成的美しさがバーンと同時に目と頭にくるんだよね。
和文欧文混植の話は、厳密に000年だから、みたく同時代性に合わせるってより、それぞれのなかで相対的な「トラッド・モダン」のポジションを持ってるものを組み合わせた方がしっくり来るよと。
たとえばA1明朝で、A1についてる英文だともうちょっとニュアンスが足らんよなー、もっと優雅さをだして落ち着きと伝統性出したいよね、なんか欧文フォント組み合わせたいってなったとき、A1明朝ってのは、リュウミンなんかよりより伝統的ムードを強調して作られた書体なんで、時代性として相対的に古いと理解できる。
で、欧文はなにがマッチングするかと言うとローマンの中でも古いやつの決定版のGaramondなんかは合う。
ここら辺は頭で「時代性があう」からだけじゃなく、エレメントとして、和文の場合は漢字とかなの大きさの差や、「ふところ」なんていわれる「田」みたいなエレメントの狭さと、欧文のベースライン・ミーンライン間の幅と、アセンダー・ディセンダーラインの比率を見て、これが大きければ、要はクルっと丸まった部分とシュッと縦に伸びてる部分が差が大きい、「ふところ」の狭い和文フォントと似てるね、ってなって、「あいつら上手くいきそうじゃない?」ってなるわけ。
あと、和文の伝統的なものを意識したフォントは、縦組みに使いやすくなってるので、はらいの方向が斜めだったりして、こう言う斜めのながれは、欧文ではOの字の一番細い部分を縦に結んだ線が垂直か斜めかに対応している。
斜めになってるローマン体は相対的に古く、伝統的で、ここも合わせるときに見所かなー。
https://anond.hatelabo.jp/20210527193602
住民投票の高須某とか前総理もそうなんだけど、普段は「切腹は名誉の死」だとか「美しい日本」とかいっておいて、自分の責任で問題が起こると醜く逃げ回るからどうしようもない。
責任は自分にあるとはいうけど、やったのは末端の部下とか秘書で自分は知りませんでしたと言い張る。部下のやることを把握して管理するのが上の責任ではないのか。
よく見てみれば普段やってることも自分とお仲間への利益誘導ばかりで、保守って言うのは国や伝統を守り保つんしゃなくて自分の権益を守ることなんだなということがわかる。
その結果もたらされるのは破壊だからもはや保守とすら言いがたい。
LGBTについても自民党の会合でめちゃくちゃいって差別を禁止する法案を潰そうとしたのは保守じゃん。保守に転向したリベラルがいるからリベラル嫌いって批判されるけど、実害だしてるのは保守なんだよな。
アニメ『スーパーカブ』の6話で、免許取って間もない主人公・小熊がカブで二人乗りをする。
カスタムで125ccの第二原付にしているから「免許所得から1年経てば二人乗りはできる」が、
1年経っていないから違法。でもする。この描写についてネットでは
・おいおい…… というモニョり派
が喧喧諤諤。
……「という話になっている」
「という話にされようとしている」?
全然ちがうって。
「アニメをアニメとして楽しめない人は」って言ってる人、絶対読んでないだろ。
俺は読んだ。で、この描写辺りの小熊の心情描写で小熊嫌いになったというか、
「この作者の価値観は無理」と思って読むのやめた。
捨ててしまったから完璧な引用はできないけど、大体の言葉は覚えてるので書いとく。
単純に言うと、原作小説「スーパーカブ」はかなり粗が多くて、下手。
全然話を書き慣れてない人が、1つ1つのエピソードを思いつきで書いてるのが丸わかりで、真面目に読むときつい。
コミカライズやアニメで、どのように専業プロの手で整えられたのかは知らない。
ただ、小説については読んでいると状況について矛盾というか無理のある場面が多く(夏休み入って初雨とか)
かなりの作者ルールを飲んで付き合うことを作者側から要求されるという感じ。
俺はそういう小説は「まだ全然上手くないな」と思って読むやつ。
ただ「おいおいおい」「そりゃないだろ」と思ったのがこの二人乗り前後の話。
全文キャラを立てようとしてないってぐらい淡泊な筆致のわりに、
たまに解説される小熊の心情はかなり歪みや偏りが見えてキツい。
特にねずみ取りしてる警察に対して「公道で小遣稼ぎをする泥棒」みたいな唐突な心情独白があって、
しかもそれがライダー全員の共通認識みたいに書かれていて、「マジか」と思った。
俺はバイク乗ってるけど、そういう認識全くなかったので「やめてくれ」と思った。
第一ライディングの経験が浅い小熊がなんでそこまで警察を目の敵にするか
(むしろないない尽くしの少女にとっては味方側だと思うのだが)が不明で、
小熊というより作者出ちゃってるなぁ、トホホという感じだった。
で、高校の修学旅行に小熊は一人カブで向かうというたくましい話が続くのだけど、
その道中で「パンク修理すら自分でできない、情けないカブ乗り」の少年に出会う。
俺は、店のピットにお金払って作業してもらうのこそ安全と思っているので情けないとは思わないが、
小熊(淡泊で物語られないので作者、としか思えない)にとってはそうらしい。
で、小熊はパンクを修理してあげたあと、
同じカブ乗りとして親近感を覚えて近づいてきた少年のすねだか膝だかに蹴りを入れて、そのままカブで逃走。
「あんなやつがカブ乗りなんて!あんな情けないのと一括りにされたくない!」て感じで癇癪を起こしながら修学旅行先に向かう。
で、話題になってる「二人乗り」の話は、
原作だとその「自分はダサいカブ乗りとは違う」と描き切った直後、修学旅行先の宿に着いてすぐの話なのだ。
しかも、
「免許を取って1年以内は二人乗りできないことは知っていた。しかし重要な決まりとは思わなかった」
というものすごくサラッとした1行か2行かの地の文でOKになり、礼子とタンデムするのだ。
小熊ヤバいというか作者ヤバイ、さらに言うと違法を知っててケツに乗る礼子の株も下がった。
俺からすると、さっきのパンク修理できない少年の何倍もダサい。
これ成立するのか?この作者の中では?ってのが俺がこの作者無理だと思ったところ。
善なるヒロインとしてこのストーリーラインを受け入れてもらえると思ってるなら、かなり読者を選ぶ作品だなって。
ぶっちゃけ、同じバイクを愛する者?として俺は「この小説、流行って欲しくない」と思った。
チンピラ的ダブスタがチンピラ漫画で書かれるなら全然いいのだけど、
ないない尽くしからカブっていう皆に寄り添う名機を手に入れた少女が、
カブを手に入れたことで当然に迎える「美しいもの」や「成長」のエピソードとして法軽視を書いてほしくなかった。
保険金払われないから任意保険入ってる意味もなくなるし、誰も乗せなかった。
ただでさえ白眼視されやすいバイク乗りの誇りって、俺的にはそっちだと思ってたから。
変なこと言ってるとは思わない。
とまあ、そんなわけで、「小熊も、作者も、モラルはない」ってことが、
「アニメだからたぶんこの世界は法律が違う」とか「アニメに突っ込む人間ダサイ」とかじゃなくて、
堂々と「仕事してる警察は敵」で違法行為は「重要と思わないから犯す」っていう、
「重要でない要素」としてサラッと出てきたのが視聴者に「……え?」ってなってるんだって。
リアリティラインが違うヤンキー漫画やコメディ漫画につっこんでるわけじゃなくて、
カブ文化を賛美すると標榜する美少女×スローライフ作品に「当然の確信的違法」が入ったから、
ガラガラの道路で白バイとかねずみ取りとかめんどくせえなあとは思うときはあるけど
そんなとこ。
なんか「アニメをアニメとして見られない可愛そうな人」にされそうだったから、
「公式も作者も焦って、今そういうことにしようとしてんだよ」って言いたくなった。
流行ってほしくないとは思ったが、
べつにこの作品がこういうスタイルを許されずに潰れてほしいなんて思ってない。
全然違う変な結論を作り上げて、それで哀れまないでくれって感じ。
オタク同志たちがあっさり丸め込まれてるのも見てて辛いわ。おわり。
追記:
美少女×ほのぼのスローライフ、って言葉を使ったのは俺がショボかった。
俺の感想としては
純朴×スローライフ×成長譚×HONDAスーパーカブの素晴らしさがテーマっぽい作品で、
軽い気持ちで一線を超えた違法を美しいものとして書くのは困惑することで、
俺的には直前のエピソードの整合性とあわせていろいろと無理に思った、その方が正確。
それが「フィクションをフィクションとして楽しめないやつ」呼ばわりだから、
これは持ち出したコンセプトと照らしてツッコミ入れたくなるレベルだからツッコミ入ってるんだよ、
って言いたくなった。追記おわり
あのさ、
それを介する際のゲートウェイは人の手書きっていうのがなんとも滑稽で
というか
取引先ごとに表計算のシートのフォーマットの形が異なり違うから、
それを人間が読み取って解読して別のシートに分かる様に入力もしくは手書きで書き直すって
人間を介すと急にヘボくなる
ファクシミリやめない?って思う反面
私は今受話器を片手にファックスしたことを電話で伝えるこれまた昭和時代から受け継がれているスタイルを継承しつつ
まあ指原莉乃さん的に言うなら
クイックルワイパーでよくない?って
もういつまで雑巾がけ大変な目を喰らわなくちゃいけないのよ!って
よくよく考えてみたら、
デジタルってあとで改変し放題なので、
変更出来ない仕組みが確立しないと、
いつまでたっても受発注の作業は手書きアンドファクシミリな簡単なお仕事どえす!って求人募集も甚だしいんだけど
本当に、
オフィスの複合機が壊れて調子悪いときにメンテに来て貰った人に
さすがドキュメントカンパニーですね!って得意げに言ったものなら、
人類はいつまでたってもファクシミリから解放されることがないのかしら?
そんでね、
読み込んだ紙が出てくるじゃない
途中でメビウスの輪のようにねじれを加えてファクシミリを送信し続けたら、
ボイジャー1号か2号あたりにもファクシミリ届くんじゃない?って思うそんな発想の
どういうカタチで印刷されるのかしら?
もうメビウスだけに目の付け所がシャープでしょ!ってやかましーわい!って
お後がよろしいようでって終わりたいんだけど
でわでわ。
うふふふふ。
ぱくぱくいけちゃうから何か食べておかないと行けないときも調重宝するわよ。
私はそう思うな。
憧れるわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
"種の保存"みたいな話を「子供を産むのは道徳的である」という伝統観念に結び付けるのは、全くの悪手で、科学にも道徳思想にも疎い人間のやる典型的な間違いなんだが。
それはそれとして、"種の保存"って用語を用いる間違いを否定することで、「子供を産むのは道徳的である」という伝統観念を否定したことになるかのような向きがあるのは、それはそれでよろしくないと思っている。
かつてまだ貧しかった時代、おじいちゃんが、ひいおばあちゃんが、祖先が頑張って子供を食わせてきたのは、子供がそのまた子供を育て、更にその次世代が子供を育て、その連なりが永遠となり、結果として自分自身の価値も永遠になると信じていたからだと思う。
もしも「私は私の人生を謳歌したいから子なしでいくわ」と決断したならば、それは「私は私の人生以外は知ったこっちゃないから祖先の思いとか知らないわ」と言う意味で。もし祖先の思いが関係なくて自分自信の思いが優先ならば、それはあまねく他者に適応されるであろう。個人主義である。
個人主義が非道徳的である、という話になら、一定のコンセンサスが得られるのではないか。
いや倫理と道徳の話なんて、そんなもん全体の気分や時代の流れでしか決まらないから、どのみち確定はしないけど。
とにかく、子供を育てない人間は非道徳的である、という観念からは、いくらリベラリストが種の保存がどうとか反発しても、逃げられないと思うんだな。
じゃあ年金なしね、ぐらいの話にはなっていっていいし、そこまで露骨じゃなくても近いことは今後100年で起きていくと思う。
いまは保守の政治爺が話に疎いから、種の保存とかいうトンチンカンで済んでるけどね。
企業規模は重視してなくて、転職時期にちょうど類似の職種の求人出てて、応募したらいけただけ。
こんな会社に来るんじゃなかったってここ数か月思ってる。まさに伝統的日本企業。
もうすぐ一年だけど、今じゃなんか涙まで浮かんできちゃってさ、書かざるを得なかった。
裁量はまるでないし、派遣社員のようなルーチンばかり。欠員募集だから前任者はこれが嫌で辞めたのかなあ。
これまでの経験を生かしてやり方を提案しても、これまでのやり方が正しいと信じて疑わない。
提案してるオイラが悪者。何もできない人みたいに扱われている。
スキルがまるで身につかないんだよね、技術屋さんだから危機感を感じる。OJTなんてないよ。ただの作業。
言われたことをそのままやってほしい、てだけなんだろうね、上司は。
こんな会社に来なければよかったけど、他に行けるとこになかった。
やらない後悔よりやる後悔?もう一回くじ引きに参加してみるかなあ。