「休み」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 休みとは

2023-06-07

痩せたいけど無理かもしれない

すぐ爆食いしちゃう

小学校新卒で勤めて4年。

朝7時に家を出て、夜は21時に帰宅する。担任をもって毎日5〜6時間、空きコマ無しで働いている。プールにも入るし、リコーダーも吹くし、習字マッチのつけ方も教える。

この仕事を始めて想定外だったことの一つに、休憩時間がないということがある。給食〜昼休みは、一応書類上は休憩時間扱いだと聞いたことがある。が、子どもと一緒に配膳をし、器の置き方や箸の持ち方、苦手な物でも一口食べようとか声をかけ、皿をひっくり返せば一緒に片付け、吐いたら処理し、30人分の食器を下げ、咥えたまま出歩かないように歯磨きを見張り、昼休み宿題をチェックして、不登校の家庭に連絡し、全校マラソンで走ると「休憩時間」は終わる。

16時頃に子どもが帰って、休んだり怪我をしたり心配な様子があった子の家に連絡をして、あらゆる行事事務処理をし、発達障害や家庭環境的ハンデのある子(今やクラス平均10人弱)への支援指導計画を練る会議計画作りをして、植木に水をやり、校外学習先へ挨拶回りをし、提出物に朱書きする。気づくと20時過ぎている。

休憩っていうのは、放課後になってコーヒーお茶を飲みながら仕事をしていい時間だと思っていたから、OLをしている友達が仮眠したりコンビニに行ったりソシャゲしたりしていると聞いて驚いた。

もちろん、OL仕事が楽だとかそんなことを言いたいわけじゃない。

子どもと過ごすのは楽しいし、やりがいもある。これは自分で選んだ仕事で、楽な仕事じゃないことは分かってたつもりだった。

でも、現状、これ以上頑張れる気がしない。家に帰った後、何をする気にもならない。ほぼ毎日寝落ちする前にぼーっと見るYouTubeで「10分で効くストレッチ」やら「美味しくヘルシーな簡単朝ごはん」を見ていいなあと思っても、疲れて1ミリも動けない。「今月発売の新作コスメ」も「話題映画ネタバレなしレビュー」もいいなあって見るけど、化粧直しなんて概念はないどころか毎日ほぼすっぴんだし、平日に仕事が終わらなければ土曜も無給で仕事して日曜は死んだように寝てるといつの間にか映画の公開終わってる。教材研究もろくにできてないから、毎日帰宅しながら一人反省会して落ち込んでる。

毎日毎日「あーしんどい」「いいなあ」って思いながら床で寝落ちしてる。

言うて、歳を重ねて経験を積めば、多少力を抜いたり受け流したりできるようになるのは、先輩たちを見れば分かる。こんな私を先生と呼んで慕ってくれている子たちを放り出すこともしたくない。

けど、この先1020年と、この仕事を続けていける自信は正直ない。辞めたいわけじゃないんだけどなあ。続けられる気もしないのよ。

でも、膀胱炎ストレス胃炎ダブルパンチときに、電話口でいじめの加害側の親から子供も産んだことない冷たい女のくせに」って怒鳴られたときちょっと泣いた。

でもね、まだなんとか、明日も頑張らないとなって思えるくらいには、魅力も多い仕事なんだよ。子どもって本当にすごいって毎日思ってるよ。

でもやっぱ、この生活が続く限り、ダイエットとか何かの勉強とか、現状をもっと良くするためのアクションは無理かもしれないとも思う。生きてるだけで精一杯すぎる。

会社をズル休みしてしまった

今朝から軽い腹痛はあったものの、薬飲んで行こうと思えば全然行けるレベルではあったけど、会社まで行く気力が出なくて、今日体調不良で休ませてくださいと連絡した。

先週から子供(1歳と5歳)が相次いで発熱し、在宅勤務とかしつつなんとかこなしてたのだが、丸一日子供を見つつ仕事というのは不可能に近いし精神ゴリゴリ削られる。家も荒れるし諸々雑務も溜まるし、仕事も何一つ片付いてないのに夜には疲労困憊。

という感じだったので、本当は今日は出勤して仕事を進めたかったのだが、どうにもしんどくて休んでしまった。

家でできる仕事もあったけど、結局スマホ漫画読んだり、アマプラ映画見たり、昼寝したりしてダラダラ過ごした。

日中はそれでよかったけど、5時には保育園のお迎えに行き、何が気に入らなかったのか帰宅してから1時間半ずーっとギャン泣きの1歳&私の膝に座ってアーンしてもらわないとご飯を食べない5歳、で振り出しに戻るという感じ。

有給取得はズル休みではないよな…と思いつつ、それほどでもないのに体調不良カードを使ってしまった罪悪感もあって、なんというか、生きづらい。

anond:20230607185215

人に要求するなら自分もやれって話だ

偉そうにクレーム入れてる奴も休み時間にダラダラとインスタント料理弁当食いながら駄弁ったり、優雅ランチとやら楽しんでるんだろうに

不公平だよ

anond:20230607162734

同じく騒音トラブルで、かなり精神的にやられた。

うちは公園ではなく、ご近所のお子さんの声。

会えば挨拶もするし、お子さんともじゃれて遊ぶようなご近所さん

割と仲良くさせてもらってたと思う。

で、2020年コロナ禍で非常事態宣言が出て、保育園とか学校とかが休校になった。

こっちも仕事リモートになって自宅でずっと作業してた。

そんな中で、このご近所さん、夏場に庭にビニールプール出して子供複数)を遊ばせるようになった。

最初は「元気でいいなー」くらいの認識だったけど、子供保育園とか小学校低学年くらいと思ってくれ)が

フルパワーで「キャー!キャー!」と1時間も騒いでると、流石に「ちょっとうるせえなあ…ここ住宅街だぜ?」と思うようになった。

週1で1時間くらいなら我慢もできる。

けどさ、朝8時から夕方6時くらいまで、家を出たり入ったりしながらずっとプール遊びをしてんのよ。

楽しく遊ぶ子供、「くらええええーーー」「キャーーーーー!」「おかあさーーん!」「ちょっとーーーー!」「キャハハハ!!!

これが断続的に10時間続くんだぜ?

こっちは窓を完璧に締め切って、しかも全部屋2重窓を導入済み。

そんな防御壁があっても、数メートルからの子供の声の前にはほとんど無力に等しい。

最初キツイのは物理的に飛んでくる声だけど、すぐに「いつアレが始まるのか分からない」という、

コントロールができない状況そのもの精神が耐えられなくなる。

しかも向こうは、こっちに迷惑をかけてると思ってないから、さらにタチが悪い。

増田がいう、騒音元の「想像力のなさ」に絶望と怒りが止まらなくなってくる。

で、玄関を出ると「こんにちわー!」「どこいくのー!!!」と元気に声をかけてくる子供

先日までは可愛いと思ってたけど、もう無理。

ここはただの住宅街で、保育園の園庭でもなんでもない。

そこに何で考えが及ばないんだ!と怒りしかわかなくなった。

やんわり「お元気ですねえ」(うるせえ)と伝えても伝わらず、そんな状況が1ヶ月か2ヶ月か…

一度、プールが破れて数日静かだったので「助かった!」と思ったら

さらパワーアップしたプールが置かれて絶望した。

そんなある日の朝。

新聞を取りに玄関を出たら「今日プールやってまーすー!!」と子供が声をかけてきて、何かが切れた。

休みの日の朝くらい静かにね」と言い捨てて家に入り、家族に「もう限界。次はもう直接言う」と話したら、

その日を境にピタッとプール遊びが終わった。

マジ騒音ストレスはきつい。

子育ては大変だと思うけど、自宅を保育園の園庭にすればどうなるかくらい、いい大人なんだから考えてくれ。

田舎で周囲の家と100メートル離れてるとかなら話は別だが)

https://anond.hatelabo.jp/20230607162734

俺も公園クレーマーになりかけた。家の前が金網に囲まれグラウンドで、中学生やら高校生やら、毎日数人が夜9時過ぎまでたむろして、金網に向かってサッカーボールを蹴りまくられている状況だった。そこは一応使用に連絡必要な区管理グラウンドだったけど、鍵がなくて夜は入り放題だった。ガシャン…ガシャン。増田の言う通り、ランダムに訪れる騒音しんどいんだよな。少し音が止んで、終わったかなと思ったらまたガシャン。夏休み毎日中学生花火でキャーキャー騒いで、春休み冬休み学校が長期休みなんだなとすぐわかるようになった。

子供が産まれて、赤ちゃんがその騒音で泣くようになった。勇気を出して、注意しに行った。クレーマーだって怖いよ。ボコボコにされたらどうしよう。でも子供のためだと思って注意しに行った。めっちゃ、足ふるえてたよ。3〜4人でたむろしていた少年たちは、「あ、すいません」と言って消えていった。でもまあ増田の言う通り、数日後には別の奴らが来るんだよな。今は引っ越したけど、やっぱりあの家にはいい思い出はないよ。ほんとに自分の行動が騒音だなんて気付いてないから、無理なんだよな。俺も若い頃夜友達と集まって、コンビニで買い物して、あれ楽しかったよ。わかる気持ちもあるんだよ。でも赤ちゃんが泣くんだ。注意させてもらったよ。増田の様に騒音過敏モードに入らなかっただけで、役所に鍵つけろ!とか相談しなかっただけで、一歩間違えば俺も公園クレーマーになってたよ。

会社で昼休みに給湯室で弁当箱洗ってる奴と

歯磨いてる奴でごった返すから給湯室5個ぐらいに増やしてくれボケ

これは、嫌な感じで取らないでほしいんだけど、わたしはよく「人気者」って言われる。

実際、会社休み時間はみんなが一気にわたしの先に集まってくる。

しかし!!

男には一切モテない。

なんでかは知らんが。

いや、男性人間としては好んでくれるけど、女性としては見てくれない。

もっとおしゃれするべきなのかな?

モテないってつらいよ!!

最近のお店、不定休多い気がする

毎週月曜休日みたいな、いつお休みってのが決まっていなくて、インスタとかのSNSカレンダーのっけてお休み告知するお店が増えた気がする

店頭には休み張り紙とかなくて、インスタ見てくるのが当たり前、なんならインスタ見て行ってもやってない日もある

GoogleMapでお店見つけて、営業時間見て、お店まで行って、結局休みでしたーってのがしばしばあってまずインスタ見る癖ついた

ドキュメンタリーで見る、老舗・ボロボロ飲食店後継者がいないけど待ってる人がいるから続けなきゃ(店長70歳)…みたいなお店とは客に対する気持ちが天と地の差

ただどっちの店行くかっていうと、後者の店は常連から腹立つこと言われたり空気感が苦手で敬遠ちゃうので、新しめの店に行っちゃうんだよな

固定休の新しめの店はそれだけでありがたいね

2023-06-06

いずれケアマネジャーをやめると思う

表題の通りです。

すぐには辞められないけど、次は更新しないと決めている。

私自世間一般ケアマネジャーからしたら若手になると思う。それでも30代。……30代が若手扱いの業界って何なんだろう。

やめようかなとぼんやり思い始めている。

時間お金ばかり取られる更新研修(これが地味に辛い、お金マン単位

増えない給料と見合わない仕事

増える利用者

罵倒されることもある

他の事業者から家族から利用者から入院先の病院からも何でも屋扱い

休みがなく動いていると思われている。

ケアマネにも人権があるよ、皆が思っているより給与低いし忙しいし時間がないよ、と伝えたい。

周りもどんどんケアマネジャー退職しています

深刻なケアマネ不足、ケアマネ高齢化リアルになっています

どうすんのこれ?って気持ちです。

一人あたりの受け持ち件数を増やせばいいとか思ってるの?

昔に比べて書類関係も厳しくなっているのに?

国がケアマネに求めていることと現実がすごくちぐはぐに感じてしまう。

いずれケアマネ有料化になったら、また色々と大変なことになるんだろうな。

もう何も考えたくなくなる。

50代独り身おじさんの自分語り

大学卒業就職に失敗。アルバイトから物流会社に勤務するも辛すぎて数ヶ月で退職しそこから10年以上引きこもり

母が職場で倒れたことをきっかけに介護施設就職し、数年経って介護福祉士となった。それからしばらくして転職現在も勤務する私立病院事務職に就いた。この時41歳。

そこで知り合ったのが妻。

同い年でバツイチ看護師自分も向こうも職場で同僚との人付き合いが殆どなかったが、何故か挨拶する様になって会話するようになって付き合い始めた。女性交際したことは40年以上生きてて一度もなかったが、その歳だったからか初デートでも初セックスでも一切緊張しなかった。

約2年交際してから結婚。お互い歳で向こうは既に子宮全摘してるってこともあり子なし夫婦。最初は母と3人で住んでいたが間もなく亡くなったため以後は二人きりの生活になった。ご飯食べて、仕事行って、ご飯食べて、各々本読んだりテレビ観たりして、2日か3日おきくらいにセックスして、休みの日には道の駅に行くか近所を散歩するような生活をしていた。

結婚して一年半で妻の病気骨盤に再発。医師から抗がん剤放射線で進行を抑えられるレベルって言われたけど、結局そこから1年持たずに妻は亡くなった。

それから50歳の誕生日を一人で迎え今に至る。

結局自分は独りで死ぬことになったし当然後始末とかで誰かに迷惑をかけてしまう。傍から見たら孤独で不幸な人生に見えるだろうけど「自分人生は不幸だったか?」って言われたらそうは思えないんだよね。30半ばで社会人になってから妻が亡くなるまでの10年とちょっとの間に一生分の生きがいのような物を味わった気がする。テレビの前に置いてある等々力渓谷で妻と母と3人で撮った写真とかを見てたまに寂しくなるときあるけど「孤独」な気持ちにはならない。

なんで突然こんなこと書きたくなったのかわからないけど、明日も一日頑張るか。

anond:20230606004631

365日24時間 親を数年勤めるの、キツいぞ

休みなしだ

車を手放してよかったです、マジで

なんとなくタイトルだけ真似てみた。

ずっと車を所有していたが3ヶ月前に手放して、いまはカーシェア生活をしている。

手放した理由年収が減り車は金くい虫だからだ。

親の介護費用がかかるようになり、教育費もあり、ローンが残っている戸建をなんとかする必要があり、小さいマンションに住み替えた。

そして自宅の駐車場がなくなった。都内駐車場は高い。

車を使う頻度は年々減っているので駐車場代>カーシェア代 くらい。長期休みがある月は倍以上になるだろうが

あと車検費用車両保険、重量税、ガソリン代、オイル交換やタイヤ交換などの維持費を考えなくて良くなった。

デメリットはもちろんある。

乗る前に予約する煩わしさ。休みの日は早く予約しないと車がなくなる。我々のような人たちは増えてるんだろうね。

から毎回同じ車には乗れない。新しい車は少し戸惑う。車に私物をおいとけない、計画的に返却しないといけない、など、慣れないうちは面倒くさい。

返却時間に無断で間に合わないことが何回かあると強制退会させられる。すでに1回やってしまった。

まれに前の人のゴミが車内に残っているときがあるので、潔癖症の人は難しいだろう。幸いそんなに潔癖症ではない。

手放す前はもちろん悲しかったけど、でも経済的な重みから解放された安心感は大きい。

電車でたまに遠出するのも楽しい。遠出した先で借りてもよい。

ないならないなりに楽しむほうが精神的によい。

いずれにせよ、2023年日本に生きる年収ダウンの一匹として車は手放して本当によかった。

2023-06-05

anond:20230604133121

3行目くらいでネタバレそうだなって思ったけど

これはめちゃめちゃ観たいわ〜次の休みで行ってくる。

子ども可愛い、が…

子どもを育てている

子ども可愛い

家にいて何かしてるだけで和むときもある

日本社会生活に合うしつけや教育を施さなくてはならない

これがキツい

子ども意思を持っている

楽な方に流れようとする

口うまく言い訳もする

もつ

そしてまだ自制ができない

好き勝手である

親の中では許せる範囲も、社会的にはアカンと思ったらそこは咎めなければならない

指導もする

時間が掛かるが何度も何度も言う

一緒に対処方法対策を考えたり、システムを組んだりしなくてはならない

親の態度も重要

親がだらけていたら、子どももだらける

休みの日だからといって寝てばかりいられない

家の片付けもしなければならない

子ども要求にも応えなければならない

ゲームもしたいが、自分だけの世界にのめり込むことはできない、一緒にやれるものを選ぶ

自分は興味がなくても子どもが覚えてきたゲームは覚える必要もある

自分子どもを育てるだけで収まればいいが、両親、義両親、親戚、子の友達、親、保育園学校担任、果ては町内、PTAというものである

つくづく親とはコミュ障でいられないものだと思う

子ども可愛いんだ

だが付随してくる社会的責任、これがつらくキツい

自分子どもまれてもなんとかなるよとは言い切れない

なんとかしてきただけだ、これから問題が発生するたびに何とかしていくしかないのだ

田舎高校に通っていた頃の思い出


昔のことに整理がついた。いつもお世話になっているはてなで語りたい。

ちょっと長くなるけどごめん。ピュア気持ちが赤裸々に表現されているなんてことはないので安心してほしい。若かりし頃の日記を見ながら書いている。

かつては花の高校生だった。今はすっかりアラサーが身に付いている。

地元の小中学校卒業してからは、家からキロほど離れた高校に通っていた。進学理由は、そう、友達三人がその高校を志望していたから。制服もかわいかった。だから私も志望した。今思えばその程度の理由だけど、自分には大事なことだった。

偏差値が高い学校ではなくて、みんな専門学校かに行く感じの、ごく平凡な高校だった。同じクラス大学に進んだ子は5人もいない。そんな中で、晴れて高校生になった私は、コンビニアルバイトに挑戦することにした。同じクラス女子アルバイトをしている子は少なかった。早く大人になりたかったのもある。

七月の始めだった。近所のセブンイレブンに応募した。夏は暑くて元気が出ないから嫌いで、新しいことを始めたくはなかった。けど、上の友達の一人がどうしても同じお店がいい!! というので、一緒に挑んでみることにした。

60才ほどのお爺さんがオーナーで、二人一緒に面接を受けたのを憶えている。パイプ椅子に座って面接を受けた。それで、志望動機を聞かれて、私は「社会勉強したいです」と言った。お小遣いが欲しかったのが本当だけど、別に嘘はついていない。

友達のMちゃんは、「タウンページを見て応募しました!!」と言っていた。「タウンワークのこと?」とオーナーに問い返されて、隣の部屋の大学生達が大笑いしていた。ほかにも同じくらいの時期にアルバイトで入った子達がいた。



八月頃だった。働いていて、ある男性に気が付いたのは。

その人は、がっしりした体形で、作業服を着ていた。あまり汚れはない。夏頃は薄い緑の作業服で、冬になると白い作業服の下からワイシャツネクタイが覗いていた(作業服の下にワイシャツを着ている人がいるよね。わかるかな…? 建設コンサルタントみたいな)。黒いカバンを持っていて、手のひら大のキイロイトリストラップひとつ付いていた。

ある時だった。その人のレジを受けたのが何度目かの時だ。私がいるレジの前に来た時、「こんにちは」と声をかけてきた。その時、私はどうすればいいかからなかった。ひとまず「こんにちは」と返して、何点かの食料品バーコードを読み取っていった。

レジ袋を渡す際、少しだけ手が触れた。変な感じがして手を引っ込めた。

その後も、その人は週に1,2回は私のいるレジに来た。その度に、「こんにちは」や「こんばんは」と挨拶をする。私は黙ってることにしていた。挨拶は返さない。マニュアルにないのもあるけど、なんだか変な感じがした。

ほかのアルバイトの子は、みんな「落ち着いてる」とか「男らしい」とか言っていて、でも私にはわからなかった。嫌な人じゃないとは思っていた。

その人のことをMちゃんに話してみた。すると、Mちゃんも同じように挨拶されているとのこと。そういう人みたいだった。彼女は、ちゃんと男の人に挨拶を返していた。何度か見たことがある。Mちゃんと一緒のシフトになることは珍しかったけど、作業服男性(当時の苗字を取ってKさんにする)に「こんにちは」と挨拶されると、「こんにちはー!!」と元気に返していた。

Mちゃんは人気があった。はつらつとしたキャラクターの子だった。30才になった今でもかわいい。異性にモテる子で、小柄で明るくて元気だった。不細工ではない。本当にいい子だった。



八月の終わり頃だった。生まれて初めて美容院に行った。当時実家には、両親と私と弟がいたんだけど、毎回千円カットだった。弟はスポーツ刈りで、私は簡単なボブカットだった。Mちゃん小学校の時から美容院に連れて行ってもらっていて、うらやましいと思っていた。

で、私も晴れて、初めてもらったお給料美容院に行ってみた。当時の私は物を知らない子だった。美容院にかかる料金も知らなかった。恥ずかしくて友達に聞くこともできなかった……。

入口では綺麗な人がこっちに来て、「初めてですか?」と聞かれた。緊張しながら「カットお願いします。ブローなしで」と言った。Mちゃん受け売りだった。「シャンプーしますか?」と問い返されたので、「お願いします」と伝えた。

こうして私は、まるで違う人になったみたいなショートヘアを手に入れた。料金はシャンプー込みで五千円だった。

それで、次の土曜の昼にコンビニレジをしているとKさんがやってきた。彼の順番がくると、「ん!?」という声が店内に響いた(はずだ。さすがに記憶あいまい)。ちょっとびっくりした。

増田さん、髪切った?」

どうしようかと思った。まだ、親以外の誰からコメントをもらっていない。なんだか怖くなって、「はい……切りました」って小さい声で答えた。そうしたら、

「似合ってるね!!」

と、Kさんは言うのだ。自信満々の目つきで。

あの頃は、Kさん特殊な人だと思っていた。まだ16年しか生きてなかったけど、彼のような人を見たことはなかった。でもその時、理由がわかった気がした。彼を特殊だと感じた理由が。

瞳だ。力強かった。当時、私と同じクラス男子はもちろん、周りの大人や、教師でさえあんな瞳の人はいなかった。Kさん目力ダントツだった。

ありがとうございます…」

途切れ途切れだったと思う。恥ずかしいけど、嬉しかった。レジの中で私は小さくなっていた。心臓の音が大きくなってきて、震える手でKさんが選んだ商品を読み込んでいた。お釣りを返す時に、緊張のあまり10円玉を床に落としてしまった。急いで拾って、拭くのも忘れて返した。



土日のどちらかで、Kさん接客をすることが多かった。

別に、その人に会うためでは全くない。そんなことは全然ない。ただ、雇用契約書を交わす時のオーナーとの約束で、「平日は2日と、土日のどちらかにシフトに入る。お盆正月シフトに入る。試験間中休み」という約束を守っていただけ。

月に何度か、Kさんは話しかけてきた。他愛のない話で、10秒くらいで終わる。ほかの話しかけてくる男の人と違って、こちらが返しやすい問いかけや、共感を呼びかける言葉が多かった(雨が多いね、名札が曲がってる、ゴキブリ死体が落ちてる、会計金額が2000円ぴったりとか)。

和やかな日々が続いていた。学校勉強は難しくなかった。偏差値が高くないところだった。風紀が乱れているとか、そういうことはなかったけど。制服を着崩す人は少ないし、部活動をやってる人もたくさんいた。女の子可愛い、ということで有名な広島県東部公立高校だった。思い出話が多くなってごめん。こんな時しか話せる機会がないので許してほしい。

その年の冬だった。放課後にMちゃんから相談を受けた。夕日が教室を照らしている時間帯で、ほんのりとまぶしかった。Mちゃんと一緒にやっている文化部活動が終わった後だった。彼女自分の机に座っていて、私は自分椅子をそこに移動させていた。

Mちゃんカバンの中から取り出したのは、手紙だった。薄い青色封筒だったと記憶している。小さい便せん2枚に渡って手紙が添えられていた。

「これ、あの人からもらった」

とMちゃんが言った。Kさんのことだ。話を聞くと、一昨日の夜にKさんコンビニに買い物に来て、帰り際にMちゃんに渡したという。それで、Mちゃんは受け取った。

もやもやとしていた。何かが燃える感じが、ぶすぶすと胸の奥から込み上げてくる。あの時、私の表情は歪んでいたかもしれない。へんな感情だった。心臓から血管へと、血液が流れ出ている感じがわかって、心臓から流れ出たその血が体の中を巡っていった。そういう感覚があった。

増田さん。これどうすればいい?」

「あー、はいはい。うん。すごいね。知らんよ。好きにすれば」

気持ち言葉で表すとこうなった。

そのまま席を立って、教室を出て、靴箱まで下りるところの階段で涙が込み上げてきた。別にKさんのことが好きなわけじゃなかった。当時、私に「付き合ってよ」と告白してくる男子もいた。Kさんはただのお客さんだった。何の感情もない。本当だ。

今思うと、わかる。女として負けたのだ。Mちゃんに。だから気分がもやもやした。当時は「女としての負け」という考え方はなかった。でも、心の中で感じていたのは、まさにそれだった。

コンビニを休むようになった。それまでは試験間中しか休んでなかったけど、行く気がしなくなっていた。休んでいる間は、別に普通だった。学校は楽しかったし、部活は週に二回しかなかったし、それ以外の日はまっすぐ家に帰っていたし、稼いで貯めたお金好きな音楽漫画雑誌に使っていた。

美容院には通い続けていた。三ヶ月に一度。何度もお風呂で髪を洗っていると、セットしてもらった髪がシワシワになる。そうなったら行くことにしていた。周りのおしゃれな子に合わせて、大人の女性が読むような本も買った。



高二の梅雨時だった。Mちゃんコンビニを辞めると聞いたのは。マクドで、同じ中学出身のみんなで騒いでいる時にMちゃんがそんなことを言った。別に理由はないらしい。

そんなことはないはずだ。だって、冬頃からMちゃんは太りだしていた。以前はスラっとしてこぢんまりしていたのに、今ではすっかり丸くなっていた。お腹が出ていて、制服を着ていても目立つ。以前はハムスターだったのに、今はチンチラだった。

Mちゃんが「オーナーが困ってるよ」と私に言った。ほかにも欠員が出て苦しいらしい。もう何ヶ月も休んだし、そろそろ出てみることにした。

Kさんは、やっぱり週に何度か来店していた。冷凍食品ホットスナック炭酸水ビールを買っていく。最初は「久しぶりだね」と聞いてきたので、「はいお久しぶりです!」と作り笑いを返した。

昨年入った高校生は、みんな辞めていた。先輩の大学生やパートさんに聞いてみたけど、そんなものらしい。オーナーは「働くという行為に耐性がつく子が少ない」「もっと楽なアルバイトを探す子も多い」と愚痴をこぼしていた。

それからKさんと話す頻度が増えていった。前よりも話すのが楽しくなっていた。Mちゃんが辞めて気分が楽になったのも正直ある。

その夏だった。一度、ファッションカラーというのをしてみたかった。夏休み限定で。完全に金髪にするんじゃなくて、線状にスッと部分的に染めるのをしてみたかった。

馴染みになった美容院に行って、当時流行っていたロングヘアの横髪の方に金色ラインを入れるのをやってもらった。後ろの毛先もちょっと染めた。

次の日、コンビニレジを受けているとKさんが入ってきた。土曜日で、ジーンズTシャツラフな格好だった気がする。

増田さん、今日どうしたの。金色じゃん」

はい。変えました」

「うん、うん。変わってるね」

「どーですか?」

「似合ってるね!」

この時、息がしにくくなって、左手を前に出して2,3回すばやく振った。小さい声で会計金額を告げて、お札を受け取って釣銭を取ろうとしたところで、また落としてしまった。お釣りを拾う時、休日だったので当たり前だけど、Kさんカバンを持ってないことに気が付いた。キイロイトリ(リラックマ…)のストラップを思い浮かべて彼の前に立った。

Mちゃん気持ちがわかったかもしれなかった。何も言わずにお釣りを返した。Kさんはほんのり笑っていた。2023年の今と違ってマスクをしていない。朗らかな笑顔だった。懐かしい。

でも、怖い時もあった。同じ年のことだったけど、私は中年のお客さんに怒られていた。声が聞き取りにくくて、タバコ選びに二度も失敗したからだ。Kさんレジの三番目に並ぼうとしていた。

ずっと怒られ続けていて、ようやく終わるかと思ったけど、やっぱりまだ続いていた。すると、Kさんが割って入ってきた。「すいません。あと二名ほど並んでるんですが」とフォローしてくれた。

でも、その中年のお客さんはキレてしまった。「兄さんは関係なかろうが。おい!!」とヒートアップしてた。「関係あるでしょ」とKさんが返していた。

かに店員もいなくて、話のやり合い(ほとんど平行線)が続いている中、いきなりだった。Kさんが「あぁ!!?」と怒鳴ったのだ。彼はおじさんにこんなことを言っていた。

「さっきからお前、つまらんことをグチグチグチグチと……俺はのう、お前に手を出そうとするんを、ずっと我慢しとるんやぞ!!」

「……兄さん警察呼ぶよ」

「呼べ!!」

「……」

おじさんが退散すると、Kさんバツが悪そうにしていた。ほかの子応援に来たので、私は向こうのレジに行った。



もうすぐ高3になる頃だった。変化があったのは。

Kさん手紙をもらった。夜9時くらいで、お客さんもほかの店員も誰もいなかった。会計を終えた後で、「増田さん、増田さん」と声をかけてきて、カバンの中から手紙を取り出した。

何も言わずに受け取って、家に帰って読んでみた。以下内容。

増田さんはよく動いていてすごいと思う

・どんな人なのか知りたい、食事に行きたい

・今年中に引っ越すのでその前に

・興味があるならメールがほしい

・興味がない場合は返信はいらない

当時は彼氏がいた。初めての彼氏だった。同じ学校で、お調子タイプ男子だった。

そこまで好きではなかったけど、告白されて悪い気はしなかったし、嫌な人でもないから付き合っていた。クラスの中でも悪い立ち位置の子じゃなかったのもある。

ある夜、その彼氏Kさんとを心の中で比べてみた。別に、どちらがいいとか結論は出なかった。いや、見た目も中味もKさん圧勝なんだけど、今の彼を嫌いにはなれなかった。それで、交際中の人がいる以上は、Kさんに何も答えない方がいいなって思った。

もし仮にKさんと会ってみて、一緒にご飯を食べて、もし仮に告白とかされて、付き合いはじめたとしても・・・・・・すぐにフラれるだろうなって、ベッドの中で思った。

Kさん雰囲気が優しそうで、見た目も悪くない人だった。ほかのアルバイトの子も皆格好いいって言ってた。自分相手にされない、付き合ってもすぐに幻滅されると思った。



高3に上がってからも、これまでどおりKさんとの関係が続いた。私のいるレジに並んで、たまに会話をする。天気の話が多かった。あとは、私のメイクとか、髪型とかが変わった時は気づいてくれた。ほかのお客さんがいない時に限って会話をしていた(迷惑になるから?)。

当時、高校を出た後の進路は美容専門学校を考えていた。そこまで大した志じゃない。高校入学した頃は、見た目が『じゃが芋』だった私も、メイクファッションを覚えてだいぶましになっていた。『メインクーン』になっていた。

自分でいうのはどうかと思うけど、本当に私は変わったのだ。高1の時の写真と高3の時の写真を比べると、じゃが芋から進化した存在になっていた。別人みたいだった。

その年の秋になると、第一志望の専門学校に入るために、コンビニの隣にある地域集会所で毎日勉強していた。いつも親が仕事帰りに迎えにきてくれる。当然Kさんと会うことはできず、悶々とした気分になった。

入学試験ちょっと前だった。集会所を出て、お腹がすいていてコンビニに何かを買いに行こうとしていた。すると、ちょうどKさんがお店から出てきたところだった。自転車に乗ろうとしていて、コンビニ駐車場に入った私を呼び止めた。

お疲れ様です」と声をかけてきて、私も「お疲れ様です」と返した。「今日寒いね」には、「本当寒いですね」と返した。「元気そうでよかった」には、「はいめっちゃ元気です!」と返した。泣きそうだった。嬉しかった。

その時、Kさんが「増田さん。俺、今日最後なんだ」と手短かに言った。「今週末に引っ越す。今日コンビニ最後から。じゃあ、元気で」と、Kさん自転車に乗った。

私が「こちらこそ、ありがとうございました」って言うと、「増田さんはい社会人になると思う。もし、大人になってどこかで会うことがあったら何か奢る。約束な」って、自転車に乗って私の家とは反対方向に駆けていった。



あれから十年以上が経った。今は結婚二年目で、生活に慣れてきた頃だ。子どもはまだいない。そろそろ社会人として復帰しようかと考えている。コンビニで働こうか、それとも昔いた会社契約社員ポジションを探そうか思案している。

実は、あの別れの日から数年後にKさんに会うことがあった。当時の私は、美容専門学校卒業した後、都会の方で美容とは関係のない仕事に就いていた。求人情報誌への掲載営業で、とある喫茶店に出入りしてたんだけど、ある日そこでKさんサンドイッチを食べているのを見た。その時は、作業服じゃなくてスーツだった。後日聞いたところだと、会社からの出向で政令指定都市に赴任しているとのこと。

お久しぶりです。元気でした?」と声をかけてみたけど、Kさんちょっと悩んだ様子だった。かくいう私もメイクが濃すぎたし、髪も長くなっていたから、気づくのに時間がかかったみたいだ。向こうも驚いてたっけ。やっぱり優しそうな雰囲気で、笑顔がまぶしかった。あの日約束どおり、後日ご飯をおごってもらった。

この日記を書こうと思ったきっかけは、早朝に旦那を送り出した後で、昔の自分を思い出したからだ。玄関で、旦那カバンに付いているぬいぐるみストラップを眺めていて、思うところがあった。

とりとめのない内容だったけど、以上になる。最後まで読んでくれた方がいたらうれしいな。

やはり奴隷百害あって一利なし

今あらゆる業界人手不足になってきてどんどん給与待遇が上がってる

世間で言われてた最低賃金1500円なんてわざわざ政府義務化しなくても勝手に超える勢いだ

で、人々に話を聞くと「給与安すぎるから辞めて別の場所行きますわ」「低賃金で働くとか馬鹿でしょ」という声がかなり増えてる

一昔前にいた社畜連中はなんだったんだ?と言いたいぐらいの変化だ

こういうのを見てると、やっぱり低賃金文句わずに働く奴隷存在が世の中を歪めていたんだなと分かる

そうした奴隷擁護する際に「無職よりはマシだろ」「正社員じゃ雇われない奴を雇ってやってる」などとしたり顔で宣う連中がいたが

全く馬鹿休み休み言えよという感じだ

お前たちのその奴隷根性が社会を悪くしていたんだ、猛省しろ奴隷

ひとり暮らしをはじめた息子に会いにいく (→ 追記:会ってきた)

この春から地方大学に進学して、ひとり暮らしをはじめた息子のようすがすこし心配だ。よくある五月病だったらいいのだけれど(よくないけど)、とにかく一度顔を見にいくことにした。

息子はバカではないが成績が良かったわけでもなく、小~中~高と見事に「下の上」あたりをキープしつつ受験生となった。それでも受験の年には勉強も頑張り、あっぱ第一志望の公立校合格、腕試しに受けたそこそこの私学もなぜか受かり、合格祝いのPS5をかかえて引っ越していったのが4月の初旬。ちなみに地方大学というのは親戚が通っていたこともあり、遊びついでに何度かいたことがある。というかそれで気に入って志望校にしたらしい。また、私自身が(そこではないが)地方大学下宿生活経験者なので、最初さびしいぞー、みたいな話は家でよくしていた。

最初電話で話をしたのが4月中旬、ひとり暮らしが思っていた以上につらいという。仮面浪人して、地元大学を受けなおしたいとのこと。大学にはちゃんと通っているらしい。というか部屋で一人だとさびしいので、できるだけ毎日講義があるようにカリキュラムを組んだそうだ。ぼっちというわけでもなくて、会えば普通に話す程度の友人もいるみたい。バイトもして自動車教習所にも通って、なんかふつう大学生じゃんとおもうんだが、それでも帰りたい帰りたいと思いながらくらしているんだとか。

その電話の時は、こりゃほっときゃおさまるな、と思ったので、「夏休みまでは真面目に大学生して、そのときになってもまだ悩むようなら仮面浪人勉強をはじめれば?とりあえずそれまではちゃん単位を取るつもりで通いなさい」というようなことを話した。

次の電話がちょうど1ヶ月後の5月中旬、なんと担当教官に他大学受験相談をしたらしい。そこで後期は休学したらどうなるかとか、あと授業料の話なんかもしたらしくって、ようするに後期の休学かなんかの申請をすれば授業料減免(?)される、その締め切りが5月末までなのでどうしようか…。という相談電話だった。

こっちはてっきりおさまりつつあるもんだと思っていたので、まださびしい帰りたい病が続いていたことにおどろいた。とりあえず「前回の電話での話はまだ変わらない、夏休みまではちゃんと通え・夏休みに考えろ、あと金の話は気にすんな、5月末の締め切りとか考えなくていいよ」と答えた。ほかにも話を聞いてみると、仮面浪人するから一年よぶんに学費がかかるのを気に病んでいるらしい。仕送りお金も使い切ると申し訳いからと節制しているという。アホか、遊べ。

ちょっとさすがにこれはまずいかなと思ったので、次の日に会いに行くよとメールした。なるべく早く行きたかったんだけど、その後こっちの別件でなんやかんやあったので、けっきょく明日になってしまった。ということで行ってくる。

まだどうなるのかぜんぜんわからない。とりあえず当たって、後は流れで。だな。

一番大事なのは本人のメンタルヘルスだと思う。ただの五月病ならいいけど、うつ状態かになるのは絶対に避けたい。それくらいなら戻ってきたらいい。それが大前提だけど、それがクリアなようであれば、なるべく続けてほしいなと思っている。もちろん金の問題一年ロスの時間問題もあるけど、なにより「しなくてもいい挫折体験」はせずにすませてほしいから。

明日会って、いろいろ話して吐き出してスッキリしてくれるといいんだけど。

【以下追記

コメントありがとう!!会ってきた。きょう帰ってきたので報告です。二晩いっしょに食事しながらいろんな話をして、笑ったりときどき泣いたり(←息子が)でした。

とは言っても、正直いって報告するほどの進展というか、成果みたいなものはありません。二日間の印象ではこのままうつになりそうな感じではなかったし、仮面浪人意思はけっこう固いものの、後期も休学はしないつもりでいるらしい。とかいいつつ、本人の気持ちにもまだ揺らぎがあるみたいで、最初の晩には「受験してだめだったら切り替えて4年間通う」と笑ってたのが、次の晩は「でも帰りたいな…」とちょっと涙ぐむとか、そんな感じ。

というか、会いに行ってわかったんだけど5月中旬の二回目の電話とき結構ヤバかった。いままで二回ほど寝坊講義を欠席しちゃったとか言ってたのがちょうどそのころらしく、聞いたら寝坊というかまあ寝坊なんだけど、そこで目が覚めても布団から出る気になれずにそのまま休んでたらしい。ほかに休みの日に映画を見に行ったけど何を見たか覚えてなかったり、たぶんそれアカンやつやん。ほんと危なかった。よく持ち直した。

いまは本人にも当時はヤバかったという自覚があるみたいなので、もう一度そんな状態になったら、なりそうだったらすぐ連絡しろとよくよく言い聞かせつつ、ほんとうに持ち直しているのか気を付けてみておかないと、と肝に銘じる。

ともかく本人が「会って話ができて本当に良かった」と言ってくれたので、ああ行ってよかった。間に合って(間に合ったのか?)よかった。

そういう過去のヤバさはあるものの、いまは落ち着いている感じだったので、元増田でも書いた私の考え(うつを避けるのが一番とか、しなくてもいい挫折体験とか)はそのまま伝えました。たぶん伝えて大丈夫だと思う。それから教習所を早く卒業して、夏休みまでにいちど帰省して免許とりに行くことにしました(住民票そのままなのです)。これも息子はお金を気にして夏休みにとるつもりだったらしいけれど、しばらくはこまめに帰省させたり、こっちから行ったりしたほうがいいと思う。息子も「教習がんばる!」とのこと。

奴が検定でしくじりまくらない限り、来月にはまた会うことになるはずなので、またいろいろ話をしようと思います

コメントからみでもうちょっと書くと、浪人留年評価については私はわかりません。息子に言わせると、「なぜか受かったそこそこの私学」だとちょっと残念な気がするらしい。そのもう一ランク上の私学を目指して仮面浪人するつもりだそうです。まあ大学によるってことですね。

グループワークや課題、泊まり込みなんかは、息子のすすんだ学課ではそうでもないみたいです。他大学に進んだ高校同級生からそんな大学生活も聞いているみたいで、うらやましがっていました。

異性の雰囲気は…なかったですね。いや昨今は異性とは限りませんが、そういう雰囲気は。あればたぶん素直に言う息子だと思いますし、隠したとしても見抜けない私ではない、と思う。そんな感じです。コメントありがとう

でも帰ってきてから、今度は私が泣けてきてとまらない。

TRPGに疲れてきた

最近の秘匿HOものCoC、やっぱり合わないな

世間での評判が高くても、実際やってみると面白くないシナリオばっかり

自分シナリオのことや、出てくるNPCについてSNSでやたらと発信しているタイプの人が書いたシナリオ特に合わないと分かった

そんなに俺の考えた最強のストーリー上でNPC活躍させたいなら、小説ノベルゲーにすりゃいいのに

CoC以外のシステムもやるけど、CoC界隈の秘匿性癖エモエモ系の空気に他システムも引っ張られてる気がする

 

あと、素人が考えたシナリオで、素人同士が演技してるのを見るのが辛くなってきた

TLで「自陣最高!!」「(シナリオ名)って良くって」みたいなの見ると、こちら側との温度差で風邪ひきそう

時々は心に残るセッションもあるけど、ハズレの方が圧倒的に多い

プロが作ったコンシューマーゲームで遊ぶ方が安定して楽しい

自分のペースでできるし、嫌になったらやめられるし

 

TRPGって、生きている人間と話したり交流したりするのが好きな人向けの遊戯なんだよなあ

みんな、ゲーム面白さや出来自体二の次で、結局人と盛り上がりたいだけのような気がする

オタク同士で遊んでると、自分人間との交流で心のスタミナを消費するタイプの、ガチコミュ障なの忘れがちになってしまうの良くないな

拘束時間も長いし、休みの日に疲れるばっかりだ

2023-06-04

anond:20230604161421

悪いどころじゃないよ。そもそもこれも書いたが、全体会議前に

"担当者間でPOPM入れて会議やって合意を得てる" んだよ

ほんで、その会議議事録"音声とメールで送ってる" んだよ

それにもかかわらず、突っかかってくるヤツが合意内容をガン無視した全体会議資料をあげてきても、

POPMも偉い人も突っ込んでくれないからな

ほんで、ワイが毎回、ぶっ潰すことになってるし、

突っかかってくる人が更に荒れたり休みがちになってもフォロー入れてくれねぇし

突っかかってくる人+PO or PM会議して『△△で行こう』って言質取ってるし、

会議後に『△△で行こう』って決めましたメール送ってるので、PO or PM は逃げらんないからね

あと、みんながみんなあまりよくわかっていないわけでもないので、

会議中に過去事例や仕様説明すると納得してくれる

 

困ってるのはここなんや

  • 突っかかってくる人が合意内容ガン無視した会議資料あげてきてきてるのに PO or PM が突っ込んでくれない
    →事前合意はとってるので、ワイが説明しても顰蹙は無いけど何か違くない?ワイは突っかかってくる人の上司やないで・・・

 

  • 突っかかってくる人がボトルネックだったと全体会議ではっきりしてしまうこと
  • 突っかかってくる人がさらにワイを敵視したり突っかかってくるようになること
  • 突っかかってくる人が仕事抱えたまま休みがちになること。でも会社を辞めないし異動しないこと

https://anond.hatelabo.jp/20230604115840#

 

  

でも、上司(偉い人)やPOPMが悪いしたってしゃーないのよ

 

ワイが求めてるのは、突っかかってくる人を叩き潰す・職階で黙らす以外で、

なんとかする方法いか?って事や

嫌な記憶がずっと続いて休まらない

金曜日お局と喧嘩して、それからずっと頭の中をぐるぐるしてイライラしてる

あのときこう言い返せばよかったなとか、いや最初の段階で話し切り上げて穏便に済ませるべきだったなとか、周りの人たち後で面白がって噂にして笑ってたんだろうな、とか

月曜休み三連休なのに休んだ気がしない

家にお局はいないのに家から逃げたくなる

anond:20230604123253

全体会議ではワイが事前合意取った内容が100%通るの

ほんで『なんでもっと早く△△ができなかったんだ?』ってなるの

そして『今まで、◯◯担当してたの誰よ?』ってなって、

ワイに突っかかってきた人がボトルネックだったんだねってなるの

 

ここで、突っかかってきた人が心を入れ替えたり、部署異動するか、しばらく休職するか、会社辞めてくれればいいけど、

そのどれにもならず、同じプロジェクト・チームに居続けるんだなぁ・・・

 

突っかかってきた人が自分ポンコツボトルネックになってたんだってことは理解してくれるようになって、

これはXXですよ〜って言えば、説明は聞いてくれるようにはなるが、

いちいち突っかかってくきてものすごく説明時間がかかるし、情報共有の外しはしてくるし、

仕事抱えたまま休みがちになる

 

これ、上司POPM相談してもワイくん自分でなんとかしてなのよね、毎回毎回

どうにもならんし、どうにかする方法があるなら教えて欲しいが元増田

anond:20230604120731

いやー・・・そういう話やないんや

会議の話に言及があったから、いちおうそこに言及しておくと、

担当者間の会議プロジェクト全体の会議、偉い人や顧客入れた会議

この全部で会議中の音声、アジェンダと進捗状況と合意内容残してるし、共有してる

相談内容(悩んでいること)は会議のやり方どうこうという話では無いんや

 

悩んでいるとこはここ ↓↓↓

  • 突っかかってくる人を叩き潰す以外の方法ある?平和に滞りなくお仕事したいだけなんや
    →1回叩き潰さないと、とにかく話を聞いてくれない
  • 叩き潰したあと、仲直り!ってなればいいが、もちろんなるわけが無い。話は聞くようになるが更に突っかかってくるし、あからさまに外しとかしてくる
  • 話を聞くようにはなるのでそれでOKにしたいが、仕事を抱えたまま休みがちになる。でも部署異動したり会社辞めたりはしてくれない

anond:20230604114507

そこは困って無いのや

突っかかってくる人+PO or PM会議して『△△で行こう』って言質取ってるし、

会議後に『△△で行こう』って決めましたメール送ってるので、PO or PM は逃げらんないからね

あと、みんながみんなあまりよくわかっていないわけでもないので、

会議中に過去事例や仕様説明すると納得してくれる

 

困ってるのはここなんや

 

  • 突っかかってくる人がボトルネックだったと全体会議ではっきりしてしまうこと
  • 突っかかってくる人がさらにワイを敵視したり突っかかってくるようになること
  • 突っかかってくる人が仕事抱えたまま休みがちになること。でも会社を辞めないし異動しないこと

ありがとうノーマスク政権

おかげさまで何かに罹患したよ!イェーイ!

ここ3年ほとんど何にも罹らなかったのに

ノーマスクを広めてくれたおかげでこれだ

自分はずっとマスクしてた

満員電車での通勤中もノーマスクの人が半分ぐらいいる車内でも

外を歩くとき会社の中にいるとき

最近は具合悪くなっても休みにくいからしばらく無理して出社したよ

病院の受け入れ態勢はイマイチ

相変わらず熱あるかどうかで受診の仕方が変わるらしかった

そのくせ検査キットは準備されてない

風邪の症状あっても受け入れてくれて、なおかつインフルコロナ検査してくれる病院職場の近くにない

ちなみにここは東京

しょうがいか検査はしてくれないけど診察してくれる病院をどうにかみつけて薬もらってきた

会社一日休んで週末もずっと寝てるけど悪くなる一方

いまだに喉が激痛でツバ飲み込むのも辛い

咳が止まらなくなってきたから眠れない

鼻詰まりもひどい

なぜか熱だけは出ない

医者の薬がなかったらもっとひどい症状だろうな

痛み止めとか風邪用の対症療法は少し効いてるんじゃないか

ありがとうノーマスク政権

おかげさまでインフルコロナかもわからないまま寝込んでるよ

誰がくれたんだろうな、この感染症

これから自分ノーマスクで広めるに限るのかな

からノーマスクで食料買い出しに行ってくればいいか

ノーマスク政権万歳!!

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん