はてなキーワード: 不可能とは
セーラー服は、もともと、女性に水兵さんの恰好をさせることで、
性的欲情の対象外になるように狙ったものだったのに、なぜかセーラー服に欲情する人がでてきた。
スクール水着も、もともとは、露出を抑えて性的欲情の対象外になるように狙ったものだったのに、
なので女性がどうがんばっても、男性から性的に見られないようにすることは不可能なんだと思ってる。
それが女という性の宿命。
セーラー服は、もともと、女性に水兵さんの恰好をさせることで、
性的欲情の対象外になるように狙ったものだったのに、なぜかセーラー服に欲情する人がでてきた。
スクール水着も、もともとは、露出を抑えて性的欲情の対象外になるように狙ったものだったのに、
なので女性がどうがんばっても、男性から性的に見られないようにすることは不可能なんだと思ってる。
それが女という性の宿命。
これは国語力に障害があるというよりは単純に知能が低いんだと思う
ああいう人たちってそもそも中卒とか高卒であったりで、まともに国語(物語を読み解く力)の勉強をしてきてないわけよ
例えば受験勉強(に限らないけど)にしても問題文に書かれた意図を読み解いて回答することが当たり前じゃん
そうなると自分がこう思うという「意見」とそこに書かれている「事実」をきちんと切り分ける必要があるし
書かれていることの一部だけ読んで回答を出すということはありえないわけよ
けど今回のような人たちはそんなことはこれまでの人生で一切勉強してないし教えられてない(と思ってる)
だから自分の都合のいいようにしか物事を解釈しないし一部だけ読んで自分の感想を主張したりすることが当たり前でそれになんの問題もないと考えてる
つまりそもそもの前提となる思考回路や知能レベルが違うからまともな意見を主張することが不可能なわけで
別に門外漢が議論に参加すんじゃねーよというつもりはないし色んな人がいるのがネットの良さだとは思うけど
せめて最低限の知能や論理は持った上で参加してくださいよと思う
色合いもバラバラで建物の老朽化も激しい中規模の同じようなチェーン店が延々と並ぶバイパス道路を大型トラックが途切れる事なく走り、かつては農耕地や工業地帯だった土地が虫食いに切り取られて似たような建売住宅が並んでいる。
虫食いの農地には駅から30分も離れているのに相続税対策だからと建てられた同じような形のアパートも沢山ある。
決まってプロパンガスなのは都市ガスが通っていないからで、その隣には砂利の駐車場と小さな果樹園や雑木林がある。
・最寄りのコンビニ(700m)
・最寄りのスーパー(1510m)
こんな表記のその手のアパートに入居しているのは外国からの出稼ぎで来ている人が中心だ。
「何十年間家賃保証!」とかそんな言葉を信じて判をついた農家のおじいちゃん・おばあちゃんはとっくに天国へ行ってしまっている。
彼らの多くが遠い故郷を捨てて発展を続ける日本経済の未来を信じて東京から60分のこの町に一生の買い物をした。
バブルの頃に出来たニュータウンの話になると、「あそこには大学の先生や大企業の社長が住んでいる」「海外旅行に行くお金持ちが多い」そんな根も葉もない噂話が必ず流れている。
この町に6%や7%の金利で5000〜6000万の建売住宅を買ったサラリーマンたちが懐かしむ「俺たちだってそこそこイケてたんだぞ」という昔話し。
しかし彼らの子供たちの過半数はこの町で生きる事を選ばなかった。
人口減少率は4%を超え、億近くのお金を払って手に入れたボロボロの建売住宅も今となっては資産価値を持たない。
唯一の幸運は、年功序列で定年までたどりつく事が出来たという生まれた時代そのものでありその恩恵で年金で細々と食い繋ぐ事が出来る事。
もっと東京に近かったら、この町から子供達は去らなかったかもしれない。
何一つ解説してない。
まあ言いたいことはわからんでもない(麻雀なんて今からおぼえてもコロナ下じゃ実プレイが不可能に近い。オンラインでカモられるなら最初から回避がベスト)が
サクセンダ、0.6mgから始めて徐々に増やして今は1.8mg、27日目で2本完了。
地味な副作用がつらい。軽い頭重感による集中力低下。運動時の持久力低下。
22日目あたりからアルコール綿の消毒で腫れるようになり、代わりの消毒綿を処方してもらったが、それでも腫れる。
徐々に体が慣れるなら頑張ろうと思うのだが、むしろ日に日にきつくなってきている。
当初は、食事制限の苦痛をお金で解決できるならと始めたのだが、副作用の苦痛があるので思惑通りには行かなかった。
もうやめたいが、あと2本残っていて、それが単純にモッタイナイ。以下の3つの対処案を携えて医師と相談した。
1. 1回の量を減らす
1は注射針の数が決まっているので、薬剤が余って自分的にモッタイナイ。注射針だけ追加できればいいのだが、現実問題それは不可能。
3は体が活動していない時間帯にサクセンダを使っても意味が無いということで医師から却下。
ということで、2で試してみることになった。中2日(つまり3日に1回)はどうかと聞いたが、まずは2日に1回にして、何かあればまた相談してくださいということで、医者の大半は様子を見るのが好きなようだ。
個人の感想です。自分向けのメモです。参考になれば参考にしてください、個人の感想です。今のところ1kgくらいしか減ってない。個人の感想です。
現在恋人と呼べる人はおらず、最後に彼氏が居たのはもう一年以上前になる。
恋愛下手で、周囲の人間は口を揃えて「男を見る目が無い」と言う。
今後の自身の価値観の揺らぎ方によってはこの方針が変わることも考えられるが、今のところその予感もしない。
私の意思とは無関係に、周囲からの結婚しないの圧は年々高まりを見せている。
実際もう90近い歳の祖母からは「私が生きてる間に、あなたの結婚式には参加したい」というようなことを言われたことがある。
親からも「いつ結婚するのか」「いい人はいないのか」という問いかけはもはや当たり前になり、私はその度に「相手はいないし、探さないし、結婚するつもりもない」と答えている。
孫の顔が見たい問題も、姉と弟がすでに達成していることで解決されているはずであり、是が非でも私が産まなければいけないということはない認識でいる。
もちろん子どもはかわいいと思うし、現在子育てをされている方々に対しては頭が下がる一方だ。
他人との共同生活を送ることが苦痛で仕方がない私には到底できることではない。
社会全体が子育てに関わる人々、そして当の子ども達を大切にすべきだと、私は真剣に考えている。
これは性別問わず同世代の平均年収及び中央値を越えている(はずだ)。
つまり私の市場価値は平均よりは上に位置しているということであり、それなりに頑張っていると評価されても罰は当たらないだろう。(※ あくまで社会的ルールに則った評価軸で考えているものであり、私自身が私に対してどういう風に価値を付けているかは別問題だ)
1,000万円の生活には程遠いが、多少の贅沢くらいなら全く問題ない。貯金もできるし、投資にも多少は回せる余裕がある。
正直なところ、私はこの点について全く自信がない。
ここまでで薄々勘付いた方もいらっしゃるかもしれないが、私には可愛げがない。愛嬌をふりまく、ということができない。
元来負けん気が強く、男を立てるということができない。奢られると腹が立つし、高価すぎるプレゼントも素直に受け取ることができない。後日それよりも価値の高いものを返したりしてしまう。
愚痴を黙って聞くことができず、求められていないアドバイスをしてしまう。頷くだけでいいなら最初からそう言ってくれと思ってしまう。
掃除はするが本当に必要最低限で、クイックルワイパーで床を拭くだけ。トイレ掃除は月に2回すれば良いほう。水回りは時々思い出したかのようにパイプユニッシュを垂れ流すくらい。
洗濯物だけはちゃんとするが、柔軟剤なんて使ったことはない。シミ抜きの方法は先月初めて知ったレベルだ。
通販のダンボールは全然片付かないし、ゴミ捨てを忘れることも珍しくない。幸いGやウジ虫が湧いて出るレベルではないが、割と紙一重の生活を送っていると自分では思う。
加えて食にも興味が無い。
普段の食事は基本的にコンビニ。あるいは塩むすび。一日何も食べないなんてこともザラだ。
自炊ができないわけではないが融通が効かないのでレシピに書かれた通りのものしか作れない。(もしかしたらこれは一般的には自炊ができると言わないかもしれない)
残った野菜を廃棄した経験と、作って食べて片付けるまでの費用対効果の悪さに目を瞑ることができず、調理器具には5年以上触っていない。
私自身はまるで困ったことがないため恐らくこの先もこの生活が劇的に変わることはないと思うが、上記のような人間が果たしてちゃんと生活をしている人間と対等に肩を並べられる存在であるかは疑問だ。
そういう意味で、私の女としての価値(あるいは人間としての価値)は底値を割っているのではないかと考えている。
昨今では先に述べたジェンダーレスや生き方の多様化に伴ってロールモデルも変容している。
とは言え、じゃあ私のような人間が仮に婚活や恋活といった場に出たとて、その他素敵な女性陣と比べられては見劣りしてしまうに違いないだろう。
一般男性の思う理想の女性に求めるものが私には備わっていないように思えるし、相手の年収を気にする男性は女性よりも少ない印象がある。
それに稼げると言っても大人一人を余分に養えるほどでもなく中途半端だ。子どもを産むつもりもない。極めつけは人間的価値が怪しいときた。
こんな私をだれが好いてくれるのだろうか。
仮にそんな稀有な男性が居たとして、私がその男性の友人なら必死で止めるだろう。「一緒に生活なんてしてみろ。絶対に大変だぞ」と。
いっそのこと1本〜2本ほど稼げるようになれば、専業主夫になってくれる人も出てくるかもしれない。でも子どもが持てないというのはきっととてつもなくネックになるだろう。
やはり女の価値は稼ぐ力ではなく、接するだけで癒やしてくれたり、子どもを産むところにある気がしてならない。
そう思えば思うほど、私が所帯を持つことはほぼ不可能な気がしてしまう。
あるいは「期待されている女性像」と釣り合う稼ぎが500万円では済まないのだろうという直感があるのかもしれない。
ここが解消されない限り私が恋愛や結婚願望を持つことは難しいのだろう。
白馬の王子様はいらないが、適度なヒモなら居て欲しいかもしれない。
あぁ、だから周りに言われるのだろう。
「男を見る目がない」と。
https://www.yomiuri.co.jp/medical/20210624-OYT1T50210/
飯時しかニュースを見ていないが、私が知る限り「百万回は無理」とか「ワクチンの入手が不可能」とか
色々言っていたはずだがそれに対して謝罪や訂正をしているところは軽く調べても全くでてこない。
糾弾されるべきだとは思わない
その避ける原因が原発事故にあるのかどうなのかは本人が発信しない限りわからない
生産製造方法や生産製造環境によっては日本産よりも中国産のほうが優れいているものだって必ずそれらの中にはあるだろう
だが信頼できる情報網がない状態では日本人が優れた中国産のものを探すのは不可能に近い
福島産については行政も民間もその情報公開を過剰とも言えるほどにしている
私は福島産をあえて選んで買っていることが多い
もし対象が存在するならば、対象を見つける(物的証拠を提示する)ことによって存在を証明できる。しかし、存在しないこと(消極的事実)を証明するとなると、《証拠がない》というだけでは存在を否定することにはならない。単に未発見であるだけかもしれないからである。他に有効な証明方法も見出しがたい。
消極的事実の証明は、到底不可能、あるいは、不可能であると断言はできないかもしれないが、限りなく不可能に近い困難を伴う。つまり、「証拠がない」ということが「ないことを証明する」ことにはならない以上、どうしようもないわけである
どこかのお嬢様がそうやって声を張り上げた時には、すでにパンティは異世界へ転生していたのである。
なかなか鋭いツッコミだ。確かに、何も知らなければそう思うかもしれない。だがしかし、これは間違いなく転生、パンティ転生である。なぜなら、一部のパンティには生命が宿るからだ。
それはいつどこで現れたのか分かっていない。未だに謎とされている。古くは1700年代のヨーロッパで存在が確認されていた。
清らかな乙女のパンティに寄生し、時間をかけてパンティと一体になる寄生生物。
そう思った時にはもう遅い。パンティ生命体は転生の準備を終えている。10分もしないうちにパンティは消え去るだろう。
パンティ生命体の生態は謎に包まれているが、少なくとも地球上の生物が進化したものとは考えられていない。あまりにも生物としてのあり方が違いすぎているからだ。
一説には、パンティ生命体は清らかな乙女から何らかのエネルギーを得ているのではないかと言われている。ちゅうちゅうと吸い取っているらしい。しかし、研究は進んでいない。清らかな乙女のパンティを常に観察することなど不可能だからだ。人としてできない。
パンティ生命体は乙女からエネルギーを得て異世界のゲートを開く。そして、パンティごとゲートへ飛び込んで異世界へ消えるのである。
とある狂った学者の独自研究によると、パンティ生命体は異世界からやってくるらしい。異世界Aとしよう。そこでパンティ生命体は生まれる。パンティ生命体は我々の住む世界へやってきて乙女のパンティに寄生する。そしてパンティと一体化した後、ゲートを開き異世界Bへ移動する。
転生とはある生き物が別の生き物へ生まれ変わることだ。パンティ生命体は異世界Bへ移動する際に全エネルギーを消費して死んでしまう。異世界Bでは死んだ生き物は必ず新たな生き物へ生まれ変わるというルールがある。だから、パンティ生命体はわざわざ異世界Bへ行って死ぬのだ。
その謎はパンティ生命体の生き物としての弱さにあるとされている。
パンティ生命体は異世界Aでは常に狩られるだけの存在。他種に勝てるだけの力はなく、唯一の特殊能力が透明化なのである。その特殊能力さえも完璧ではなく、我々の世界までたどり着く個体は全体の一握りとされている。
種としての目標が別の種への生まれ変わり。パンティ生命体はおそらく自分のことが大嫌いなのだろう。自己の存在に耐えられないのだろう。
なんとも悲しい生き物である。
あなたのような淫乱変態女と異性関係を結ぶにはどんなコミュニティに属すればいい?
それとも出会い系のように性交渉を目的にした場での邂逅じゃないと、どれほど自分にとってタイプな異性であっても異性関係結ぶのは生理的嫌悪感を覚えて不可能というタイプか?
何か論争があるとネトウヨの文法に絡み取られて正常な議論が進まず、イデオロギーの問題にすり替えられてしまう。
「左のネトウヨ」という言葉もあるように、「ウヨ」であるか「サヨ」であるかはもはや関係ない。
そもそもネトウヨとは何なのかという話になるけど、これの定義は難しい。
古谷経衡は「中韓と朝日新聞が嫌いな人」と定義したことがあったが、これはもう当てはまらない。
彼らの嫌いなものは日進月歩で増え続けており、もはや何が嫌いかで語ることは不可能だ。
宗教で考えるとユダヤ人のようなものかもしれない。ユダヤ人の定義は一応あるが実態はあいまいで、「何となくユダヤっぽい」文化集団の一員であることをもって他者からユダヤ人と認識される。
ネトウヨ自身何か定義してるわけでも、入信の儀式をするわけでもないが、「なんとなくネトウヨっぽい」思想集団のことをネトウヨと他者は呼称する。
丸山眞男が右翼的な傾向を下記の10項目でまとめていて、これがよくできているように思うので、これを狭義のネトウヨの定義としてもいいのかもしれない。
(1)他のあらゆる忠誠に対する国家的忠誠の優先
(5)国民的伝統・文化を外部からの邪悪な影響から守れというアピール
(7)社会的結合の基本的紐帯(ちゅうたい)としての家族と郷土の重視
(10)知識人あるいは自由職業人に対して、彼らが破壊的な思想傾向の普及者になりやすいという理由から、警戒と猜疑の念をいだく傾向。
単にネトウヨを「政治関連で特定の思想をもって話す人物」に固定すると話はこれで終わるのだが、
興味深いのはネトウヨのように発生した別のムーブメントが複数見られる点だ。
覚えている人は少ないかもしれないが、かつて野球で「イボゴキ論争」という物があった。
野球選手の松井秀喜選手とイチロー選手のどちらが優れているかという論争で、この論争での書き込みがネトウヨそのまんまだったのである。
もう一つはゲハ戦争がある。
これも任天堂とソニーのどちらが優れたゲームハードを擁するかという論争で現在も続いているが、これまたネトウヨそのもののやり取りが続いている。
似たような論争は他のジャンルにもあるだろう。
今後も似たような論争は生まれてくるはずだ。
ネトウヨというのは単なるネット上での政治的論争に収まるものではなく、より広範な、ネット社会でのフォーマットになっている。
日本人はネットを使い始めると同時にこのネトウヨフォーマットに汚染されるので、「これはおかしいことだ」と思わなくなっている。
しかしその害毒は明確に社会を毒し、家族を侵し、個人を害している。
ネトウヨフォーマットはある種の依存症を生み出し、そのフォーマットの中でしかものを考えなくなる。
例えば、ある意見を見て「これは右か左か」「敵か味方か」「どの陣営の発言か」を先に気にするようになる。それに沿った思考しかできなくなるという恐ろしい病である。
AI時代に必要とされる人間の判断力を根こそぎ奪う、恐ろしい公害だ。そしてこれは人の死に直結することでもある。
とりあえず、普遍的な公害としての名前を新たに作ってほしいところではある。
ネトウヨという名前に矮小化されてしまうことで、この公害の恐ろしさが過小評価されてしまっている。
https://anond.hatelabo.jp/20210621222603
ついにきたな、と感じました。
ワイドショーで推し活というワードが聞かれるようになってしまった昨今、ようやくアンチ推し活の声があがりはじめた。
あ、自分はクリエイターサイドの、推される側の人間です。詳細は書きません。特定されやすいので。
実は、推し文化を見直して欲しいな、と思っとります。ので、便乗します。
推し活には、資本主義社会化とSNS時代における正当な活動という空気感があります。
つまるところ、
【推しを応援する→推しが儲かる→推しが更に活動できる→自分が満足できる】
1人でコンテンツを支える、少人数でコンテンツを支えるということが不可能なのです。
まあ、現代のコンテンツというのは何かと生産するのにコストがかかりますからね。
つまり、上の流れは実は成立しないのです。億万長者でもなければ、1人の消費など、焼石に水をかけているだけですね。
ユーザー1人1人が、なんと広告塔になれると。個人が宣伝を行うことが可能になった。
つまり、推し活をすることよって口コミ効果が起きると。そういう力学の発生を、皆様信じておられるのですね。
【推しを応援する→その声を聴いて他の人も推しを応援してくれる→推しがすごく儲かる→推しが更に活動できる→自分が満足できる】
現代人は自分個人の力がいかに無力なのかを、とても良く知っている。
その上で、一人一人がメディア機能を果たして、SNS上で、大声で推し活をすることで、より自分が満足できる環境が構築されるに違いない、と思っているわけです。
◎実はユーザー同士の口コミでコンテンツが盛り上がることはない
企業広告が嫌われ、ユーチューバーなどの個人が行う宣伝は好かれる理由がここにあります。
要するに企業の宣伝って嘘っぽいけど、個人個人が本当に好き!これはいい!というとそれっぽく感じちゃうわけですね。
そして、個人ユーザーがSNSで宣伝を行うと、素人感≒本音感のある声を溢れさせることができる。
だから、ユーザーが推し活をすることでコンテンツが元気になるんだと。そういう思考があるわけです。
ところがどっこい、効果ないです。
(実証ソースは確か海外の研究論文がダイヤモンドオンラインとかで和訳されていたはずなので探してみてください)
さてさて、所謂健全な口コミって、みなさん下記のような流れを想定されると思います。
Aさんがこれいいよ!と言い、Bさんがわかる!といい、それがCさん、Dさん…と流れていく、という形ですね。
ところが、現実は下記のような流れでコンテンツは話題になります。
【ユーザーA→ユーザーB ユーザーA→ユーザーC ユーザーA→ユーザーD】
わかるでしょうか?
つまり、大本になる発信力の強いAさんの情報が、バラバラに、それぞれに届いているのです。
宣伝能力という面で、ユーザーBさんやユーザーCさん、ユーザーDさんには価値がないということです。
Aさんは何者なのか。多くの場合はインフルエンサーと呼ばれる存在です。
もしくは、クリエイターやまとめサイトの管理人でしょうか。皆さんも心当たりがあるのではないでしょうか。
たまに、ズブの素人が下の図のユーザーAさんになることもあります。しかし、本当に稀な話です。
そして、コンスタントに下図のAさんのような立場になれるなら、自然インフルエンサーになるでしょう。
簡単に言っちゃいましょう。
『インフルエンサーでなければ宣伝をする意味は全くない』=『インフルエンサーでなければ推し活をする意味は全くない』
ということです。
つまり、ここに
【推しを応援する→その声を聴いて他の人も推しを応援してくれる→推しがすごく儲かる→推しが更に活動できる→自分が満足できる】
だって世の中のほとんどの人は、インフルエンサーじゃないんですから。
◎推され疲れ
ズブの素人だろうとなんだろうと、インフルエンサー的な力を簡単に持つ方法があるんです。
それは、悪評です。
つまり、○○はこんなひどいやつだ!と、できればソースつきで言うことですね。
その場合、どういうわけだか、非常に簡単に広まってしまうんですね。
まあ、端的に言っちゃうと、まとめサイトとかのゴシップ好きや、善意のフリをして悪評を広めるインフルエンサーが多いからなんですが。
(インフルエンサーサイドも、話の正誤を他人に預けられるというリスクヘッジができますし)
小さい声を拡声する機能は、コンテンツのクリエイターを攻撃する場合に、非常に簡単に、かつ効果的に発揮されるんですね。
ハッキリ言って、やってられないですよ。作る側としては。
だって良い声には意味がなく、悪い声は意味を持ちやすい。それが現代ですから。
良い声がいっぱいSNSに溢れている状態というのは、まあありがたいっちゃありがたいんですが、結局、その状態に持って行った時点でもうコンテンツとしては勝ってるんです。
つまり、ほぼ初動でインフルエンサー的存在が、推してくれるかどうかだけが、売上にとっては重要なのです。
多くの人に推されたから売れるのではなく、売れたから多くの人に推されるのです。
だから、その、申し訳ないのですが、人気になった後は推してくれようがくれまいが、あまり関係ないんですよね。
なのに、推してくれる人のご機嫌は常に伺わねばならない。
◎最後に
結局、グッズや商品、情報コンテンツを多数の人にお金を出して買ってもらわねば、クリエイターは生きられないのは確かなのです。
この話は、
【推しを応援する→その声を聴いて他の人も推しを応援してくれる→推しがすごく儲かる→推しが更に活動できる→自分が満足できる】という論理を否定するものです。
推し活の定義や、細かい部分でそれは違うぞ!というお話はあると思います。
大学4年
5月に第一志望の企業を落ち、就活のやる気をすっかり失ってしまった。
どれくらいやる気が無いかというと今まで面接したのは一社、書類で落ちたのは二社といった感じである。親には到底言えない。
興味のない企業の説明会を受けているが、応募する気にすらなれない。内定は待っていてもやって来ないというのに。
普段は同人活動をしており、イベントで完売するなどまあまあ軌道に乗っていた。しかしコロナでコミケ等がすべて中止。
その時私は思った、漫画を描くのが好きというより同人誌を発行するのが好きなのではないか?と
それからは絵もあまり描かなくなってしまい、大学もオンラインになったのでスマホをいじる日々に。
自分の唯一の特技である絵も描けなくなったら本当に自分の価値というものがわからなくなった。あと人と会わない生活で会話の仕方がわからなくなり、もとからあった被害妄想癖が肥大化、不規則な生活リズムになり戻し方もわからない。
期待して入った大学・ゼミだが、技術的な指導もなく、「大学でデザインの勉強をする」という目的までなくなってしまう。しかし真面目系クズなので卒業は余裕でできそう。
これから唯一興味のある第一志望の企業と同じ業界の会社を受けるが、ここも落ちてしまったら本当に人生どうしようといった感じである。人に迷惑がかからない方法で○にたいが、そんな勇気もやる気もない。
今更漫画で食っていくのは不可能。漫画家になりたいとは思うが覚悟が足りない。それではプロの方々に失礼だ。
読んでいてわかると思うが、文章力もない、コミュ力もない、得意なこともない。ないないづくしの自分を見ていて恥ずかしい。就活のことを考えたら消えてしまいたくなる。なんもやる気が出てこない。とりあえず早く寝るしかなさそうだが「早く寝るために頑張る」のも面倒くさい。ここに書いたらちょっとすっきりした。
夫婦間のセックスレスを解決するのは、世界から核兵器をなくすくらい不可能なことだ。
中年の性欲は本当にどうしようもない。人体のバグとしか言いようがない。
自慰では満たされないのも理解できる。でも現実的な解決策としては、それしかない。
女なので参考にならないかもしれないけど、自分はVRのAVや、ダミヘ(ダミーヘッドマイク)のASMR、クリトリス吸引機などを使って、下手な男のセックスより気持ちいい体験を楽しんでいます!
2時間くらいぶっ続けでオナニーしてると指はふやけるし体がおかしくなるよ!週末の楽しみだよ!
夫が求めてくれないことを以前は悲しんでいたけれど、一人体験が充実してくると、風呂上がりに裸でウロウロする夫の股間にぶら下がっているものを見ても、「何の役にも立たないただの棒」としか思わなくなった。
増田もがんばって!
映画版『宮本から君へ』のニュースで、ピエール瀧の名前を久しぶりに見たので、改めて疑問点を記しておく。
そもそも、演技の専門訓練を受けていないピエール瀧のような「素人」が、何故NHK大河ドラマや映画で大きな役を頻繁に貰っていたのか?という素朴な疑問である。
これについて一つの仮説を私は持つが、残念ながら、それが正しいか否かを確かめる手段は無い。
その仮説とは「ピエール瀧が、違法薬物を密売する組織や人間にとって『優良顧客』だったからこそ、NHKや映画会社も演技の素人であるピエール瀧に、優先的に仕事を回していた」というものである。
芸能人などがNHKで仕事をすると、その際のギャラが格別に高い訳ではないが、世間の信用や好感度がアップするので、結果的に、その後の仕事の依頼が増えて収入も増えるらしい。
だとするならば、違法薬物の密売組織がNHKに食い込んでキャスティング権限を持つ人間を操り、違法薬物を使用している芸能人にNHKの仕事を回すように工作すれば、その芸能人の収入を増やして薬物を買う大金を持たせることが可能になるのではないだろうか?
この仮説に従えば、違法薬物で検挙された芸能人を芸能界に復帰させようとする動きも、社会復帰というよりも、むしろ、再び違法薬物を買わせることが出来るように、デカい金を持たせることが目的ではないかと疑わねばならない。
勿論これは単なる仮説である。しかし、伊勢谷友介、沢尻エリカなど、NHKで大きな仕事をしていた複数の芸能人が違法薬物で検挙された事実を考えると、このような仮説を私は考えざるを得ないのである。
最近のピエール瀧は、再び石野卓球と仕事をしている様子で、YouTubeでも関連映像のサムネイルを見かけた。しかし、それを私は視聴していない。
何故かと言えば、それは、私が応援することでピエール瀧の仕事が増えたら、それによって再び違法薬物を買う資金になるのではないかという懸念を抱いているからである。もう今の私は、以前のようにはピエール瀧を応援することが出来ない。
違法薬物に手を出した人間の再犯を防ぐには、薬物を売りつけようとする人間および薬物の入手が可能な環境から、隔離するしか方法は無い。田代まさしを見れば分かるように、どれほど本人が「再犯しない」と誓おうと、そんなものは風の前の塵に等しい。田代まさしの場合、本人なりに更生しようと努力はしていたけれど、イベントで「誘惑に負けず、頑張って下さい!」と握手して励ますフリをしながらバイニンが違法薬物のパケを手渡してきたので、アッサリと陥落して再犯したという。一度違法薬物に手を染めると、本人の意志で再犯を防ぐことは、ほぼ不可能である。金を持たせず、行動も監視して、接触する人間を極力制限するしか、違法薬物使用者の再犯を防止する方法は無い。
それなのに、今まさにピエール瀧は、芸能界の仕事に復帰しつつある。芸能界への復帰は、再犯の確率を増やすだけである。もしも「石野卓球は、違法薬物の誘惑から、ピエール瀧を守れると思うか?」と訊かれたならば、私は思わないと答える。そんなことを石野卓球がする/出来るならば、最初からピエール瀧も違法薬物中毒にならなかっただろうと思う。再犯の心配が杞憂に終われば良いのだが、生憎この心配からは、ピエール瀧も我々も彼の一生が終わるまで決して逃げることが出来ない。それぐらい、違法薬物は恐ろしいものなのである。
話を映画『宮本から君へ』に移すと、本作のプロデューサーや監督がピエール瀧の違法薬物犯罪の事実を知っていたか否かは定かでないが、彼らが「演技の素人」をキャスティングするに至った経緯や理由については知りたいと思う。演技の素人であるピエール瀧を高く評価していたということは、プロデューサーや監督は、贋作を真作と見誤る美術鑑定人と同じく、目が節穴なのではないか?その程度の能力しか持たない人たちに映画を作る助成金を出すのは、端的に言えば金の無駄遣いであろう。どれぐらい無駄遣いかと言えば、他で稼いだ金を吉永小百合主演の駄作に注ぎ込んで溶かしてしまう何処かの映画会社と同じぐらい無駄遣いであると思う。
貴方は「そんなことはない。ピエール瀧は、実力で役者の仕事を勝ち取っていた」と、果たしてどれ程の自信を持って言えるだろうか?オトモダチだけを優遇するような悪しき行いが至る所で蔓延る、現在の日本を見て、例えば日本フェンシング協会の会長として、フェンシングに縁もゆかりも無いような陸上選手崩れの胡散臭いタレントが選出されるような、日本の現状を見て、貴方は自信を持って「ピエール瀧は実力で役者の仕事を貰っていた」と言えるだろうか?