はてなキーワード: 一部の人とは
もう何回も出てるであろう文句だけれど。
フーレムワークやらsassやらなんやら非常に便利な世の中です。
効率よいし便利なのは重々承知だけれどそのソースはやっぱり嫌。
「ソースを見る人なんて同業か、アレの類なので」
確かにみないでしょう、普通ソース見るなんてwebの仕事触る人だけでしょう。
それでも。それでも。
「それは貴方のただの自己満足です」
と一蹴されたりするわけですが、
そんなこと言うプログラマーがインデント揃えてハァハァしているわけで
それなら「自社都合よりお客様」の建前でこっちもなんとかしてくださいと思うのです。
HTMLやCSSをメモ帖手打ちでハァハァしてた時代に戻りたい。。。
ハーモニーのあとがきの解説の中で伊藤計劃の言葉として、「世界観をつくってからそれらにあうようなキャラクターをつくる」というようなことが書かれていて、納得した。
いわゆる設定厨なんだね彼は。
設定ありきですべてが考えられている。SF小説らしいっちゃらしいのかもだけど。
だから、キャラクターの掘り下げがほとんどなかったり、うんちく垂れ流しだったり、設定垂れ流しだったり、物語性に欠けているように感じたりする。
だから、キャラクターとかストーリー性を求めて伊藤計劃を読む一部の人間には面白さが伝わらない。
SFとしてはすごいのかもしれないけど、息の通うキャラクターがいて彼らと物語が動いて~といったようなものを求める人間には伊藤計劃は合わないんだろう。
設定や背景、テーマという部分の密度が高ければSFが好きな人間にはそれで十分。だから高評価にもなる。
普段普通のミステリーなりファンタジーなりしか読まない人間からすれば、何がすごいのかわからない。
別にそれを受け入れられない人間を攻撃する必要はないし、攻撃するのは馬鹿げている。
逆もしかり。ただ、自分にはわからない面白さだったという残念な気持ちだけ持ってすっぱり次に行けばいい。
本なんていくらでもあるんだから。
書き手がウジウジした弱い人間だと感じちゃうし、本当にそこがブラックなのか疑問に思う。
実名で出さないからただの愚痴にしかなってなくて実態を晒すというより一部の人間への嫌悪を吐露するだけっていうね。
それって結局自己満足であって会社にとってはいい迷惑だし、仮に事実であっても書き手に問題があるからそう思うだけ。
正に「お前がそう感じるんならそうなんだろうな、お前ん中ではな」の通り。
就業規則や守秘義務なんてブラックには全く関係ないし会社が守らないのに社員のお前が守るという所に違和感を感じる。
そして、守秘義務に固執するのは書き手がいかに型に嵌り過ぎてつまらなく空気の読めない人間だという事が証明される。
ブラック企業を実名で晒さない事で書き手に問題があるといえるのは、書き手がブラック社員だからこそ。
要するに思い込んでるだけ。会社は訴えていいよ。
【韓国 妄言】「対馬は韓国領!即時返還」 韓 地方議会が決議文採択+(1/4ページ) - MSN産経ニュース48 users
http://b.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20130331#bookmark-138805706
在日コリアン街で旭日旗掲げ街宣 大阪、住民ら抗議し騒然 - 47NEWS(よんななニュース)www.47news.jp
http://b.hatena.ne.jp/scopedog/20130331#bookmark-138802386 108 users
scopedog
「トンデモ団体の主張を大騒ぎされてもなあ。
って言わないとダブスタですよ?
(これですら、韓国のれっきとした地方議会と日本のカルト団体を同列に扱っていて韓国に失礼ですが)
少しは自らのことも律して欲しいと思いました。
「口を拭っていいとこどり」なんか出来ないんですから。
1.2chやTwitterでの拉致被害者や拉致家族への誹謗中傷、日本disの書き込みを長年見続ける(または実際に見かける)
→なんて酷いんだ 許せない 追い出したい 排除したい
2.2chやTwitterでの拉致被害者や在日への誹謗中傷の書き込み、半島disを長年見続ける(または実際に見かける)
→なんて酷いんだ 許せない 追い出したい 排除したい
この流れを増田は「ヘイトループ」と呼んでいる クトゥルー神話に出てくる怪物の名を挙げたが、ここでいうティンダロスの猟犬とはすなわちヘイトの増幅だ
過去の書き込みばかりにこだわっているとティンダロスに捕まる どっちもどっちで餌食になる
(余談)
SNSは他人にレッテル貼ってコラージュして集団で嘲笑う為のおもちゃじゃない
その実名本当に実名かどうかなんて一々確かめる人は多くない 確かめるまではあくまでも実名風
匿名disを名字自体が「増田」みたいなありふれた名字の人に言われると微妙な気持ちになる
生死不明の拉致被害者の中傷やその家族への書き込み棚に上げて、ヘイトカキコ法的規制したい人たちはそんなにディストピアが欲しいの?
前に増田で海岸で拉致られかけた話書いたことある ネットで拉致被害者家族への誹謗中傷とか見たら実名では書ける話ではなかった
だけど朝早く起きて仕事して家事して寝るのループなので、拉致問題や人権問題には関心を持てない 暇無い
その事件以来関わり合いになりたくないからそういうクラスタにはどっちにも近づかないことにしている
「実名名乗れ」って名乗った相手の粗探して中傷する為やこき下ろす為に言うんでしょ?
ネットで誰かに助けて欲しかったら馬鹿にしていた暇なニートや引きこもりに「助けてほしい」って頼むのが一番
ただ一つ言いたいのは貴方達の一部の人たちの争いにこの「匿名」世界を巻き込むなと
一度影響力を得た人達が影響力を維持する為に、どんどん過激な言動に走っていって炎上するあの現象を何と
公私ともにアイデアマンと認めるこの俺が創造力を発揮する秘訣はというと何と言ってもある1つの心構えにあると思う。
だいたい創造性開発といえば好きを貫けってことと、インプットとアウトプットを増やせってこと、それからKJ法に始まる発想法を身につけろと、そういうことしか言わない。これでは本当の創造力はつかない。
『スーパーIT高校生"Tehu"と考える 創造力のつくり方』も何か新しいことが書かれているかなと思ったけど特に書かれてなかった。ってか創造力について記述がほとんど無いだろこの本。
その心構えとは、これ「新鮮さを貫け」である。
だいたい気付かないといけないよ。好きを貫くことによる視野の拡大ってのは実はその裏で視野の固定化も孕んでいることに。
俺は世の中で素晴らしいとされているあらゆることが好きになれなかった。好きを貫けとか糞くらえと思っていた。だからこそ「新しさに目を向ける」ことに気付けたのだろう。
新しさに目を向ける、という発想こそが創造力開発の妙薬なのだ。
暮らしのなかで積極的に新しさを見つけようとする。そのためには予想を立てることが不可欠である。予想を立てて現実と照合する結果、違いに気づき驚きが生まれる。
君は新しさに驚く日々を過ごしていますか?新しさは心の栄養ですよ。予想を立てないから違いに気付けずありきたりの日常に見えてしまう。
それから好きを貫いたり1つの目的や目標のために身を粉にしたりすると一気に新しさが見えなくなってしまう。もっと柔軟にならないといけない。
音楽を聴く時もみんな「イイ曲」を探そうとするんだよ。それが駄目。イイ曲ってのは自分の既存のモノサシでイイ曲ってこと。それでは視野が広がらない。
そうじゃなく「新しい曲」を探そう。本当に「イイ曲」なんて1000曲に一曲で、そのためにせっせとCD買いまくるのはご苦労なこったとしか言いようがない。馬鹿である。一種のギャンブル中毒、スロット馬鹿と同じ。
そうじゃなく「新しい曲」を探そう。「新しい曲」であれば50曲に一曲はそういう曲が見つかる。新しさが無いかなと注意深く聴いていれば5曲に一曲はそういう曲が見つかる。
そうやってどんどん新しい感覚を心に取り込んで味わっている人と、固定したモノサシで「イイ曲」ばかり追い求めているとでは、心の豊かさに雲泥の差が生まれるのは言うまでもねえことだ。
facebookにも「イイネ!」ボタンがあるがあれは「新しい」の意味で用いるべきなんだ。「良い」の意味で使うと心が狭くなる。評論家気取りで良い悪いを判定しているとまたたく間に心が死んでしまう。
少しでも新しい部分がないか耳を澄ませて生活しないと。パクリって言葉を多用する人間も危ない。あいつらは新しいものまでパクリ認定してる。
あれもパクリこれもパクリと連呼してる人間がさあ自分が作り手側に回ったとき何も出来なくなる。自分の首を絞めちゃってる。だから新しさに鈍感なヤローは何も作れないんだ。
これまで話を聞いてこう思った人もいるだろう。新しさだって1つのモノサシに過ぎないからそれに拘るのは視野を狭くするんじゃない?現代アートも新しさに拘って珍妙な方向へと迷走してるように見えると。
それはある意味正しいように見えるが現実には新しさを追及していけば1つの新しさだけでなく色んな新しさを求めるようになるから狭い視野に陥ることはない。
現代アートと言ってもいろいろあるが理屈に拘って迷走してる人もいるのは事実である。だがそれは新しさに拘っているからではない。新しさに拘ることで珍妙なアートが出来るとすれば
それは新しさがマジョリティに理解されないからであって、それは視野が狭いのとは別問題である。発想法みたいに機械的に理屈でひねり出した新しさではなく、
ちゃんと本人の感性が新しいと感じたのであれば、それは同じ感性の持ち主には感動として伝わるはずである。珍妙に見えても一部の人には価値あるアートなのである。
好きを貫くデメリットをもう1つ書いておこう。それは好きには限度があるということ。例えば作曲家が「イイ曲」ばかり作ろうとしていたら必ず壁にぶつかる。
作曲のセンスや技術が成長してどんどん「イイ曲」が出来ているうちは良いが必ずどこかで壁にぶちあたる。芸術家の苦悩と言えば聞こえは良いがはっきり言って自業自得の馬鹿である。
「イイ曲」ではなく「新しい音を追い求める」というスタンスでいけば一気に視野が広がる。「イイもの」以外は全部捨ててしまうのではなく、その中にも面白い音がたくさんあることに気付く。
「新しさ」を追い求めると興味が特定分野に限定されない効用もある。例えば、ポップスばかり作曲しててジャズに全く興味のない人が新しさを求めはじめるとどうなるか。
最初はポップスの中から色んな新しさを見つけようとする。だけどよくよく聴いてみるとジャズ要素の入ったポップスに新しさが見いだせるかもしれない。あるいはポップスの中に新しさが見いだせなくなって
他のジャンルも聴こうとしてジャズにたどりつくかもしれない。そうして自分の興味分野がどんどん広がっていくのが新鮮さを貫くメソッドの大きな効用である。
そしてジャズの新しさを一通り取り込んだ心でまたポップスを色々聞き直してみると面白いことにこれまでとは違った聞こえ方がしてさまざまな新しい新しさを発見できるようになる。
そうやってどんどん新しさが見つかって心が広がって楽しみが尽きることがない。新しいもの探しをしない作曲家は駄目なんだよ。「イイ曲」ばかり作ろうとしてる作曲家は感性が窒息死してしまう。
PSYCHO-PASSのシビュラシステム = 免罪体質者達による人間的洞察結果による判定
=「俺らがこいつは危険だと判断したから、捕まえたり場合によっちゃ殺す。お前の職業適性も教えてやるよ。現状世間的にはやっぱ混乱を招きかねないからスパコンによるビックデータ解析だということにしておくけど。でもいつか皆にわかってもらえる日がくるように動いていくよ」
マイノリティ・リポートのプリコグ = 予知能力者達による予知結果による判定
=「俺らはこいつが人を殺す夢を見たから捕まえた」
DEATH NOTEのキラによる粛清 = キラ(夜神月)の善悪基準、または価値観、主観に基づく判定
=「俺がこいつを悪い奴だと判断したから殺す。でも俺の判断もそんなに間違っちゃいないじゃん。実際平和になったじゃん。それを乱そうとするLとかNとか死ねばいい。新世界の神に俺はなる」
犯罪予測ソフトウェア = 殺人を含む6万件以上の犯罪記録から仮釈放や執行猶予の期間中に殺人を犯す可能性が高い人物を判断するアルゴリズム
=「多分いわゆるビックデータ解析」
新世界よりの不適格者の早期排除 = 判定基準不明(呪力のコントロール成否?人格?)
=「こいつによって俺らが殺されるかも分からないから、先に殺しておくね。でもその事実の公知自体がストレスや社会の不安定化をもたらすから、秘匿にしておきますね」
デスティニープラン = 人間の遺伝子を解析する事でその人が持つ先天的な適性と能力を調査し、その解析結果を基にその人を最適な職業や役割に就かせて、より効率的な社会運営を目指す
オンラインゲームのアカウント凍結 = 判断基準不明(各社による)
=「お前迷惑行為かチートしたろ。いったんアカウント停めとくな。文句か言い訳ならサポセンで聞くわ」
その他にも思いつくのあったら教えてください。こういうのに凄く興味があるのです。ちょっと詳しく見ていないものもあるので、要約がずれてるかも。
現実味が一番あるのはビックデータ解析ですよね。個人や一部の人の主観と価値基準で決められちゃあれですよね。判断基準が不明、尚且つ隠そうとしてるものもダメダメですよね。遺伝子も本当にそうなの?っていう合理的説明が出来ないものに関しても信憑性薄いですし。そこらへん上手くやれたらディストピアだと言われない管理統制型社会って案外早く来ちゃうんじゃないかなーと。
死とは、不可逆の自称で、以後、再び動いたりしないことである。
として、真の生物でないドラえもんは故障後も再稼働に持って行くことは、現実的でなくとも可能だろうと思うに至り、生命ではないと、「私は」認識する訳です。
寿命の設定が無かろうが、一度完全に死を迎えれば、お終いの存在ならやはり生命だと思います。
ぴったりの表現で言うならニルバーナというか、蝋燭の火が消えて、お終いならそれは生命だというか。
ゾンビ。死語も活動していますが、やはり生命ではないでしょう。正体は創造者のロメロに聞いてください。
カーズ。死ねないと本人も仰っていますが、やはり太陽に突っ込むなり、ブラックホールに吸引されるなりで死ぬと思いますので、生命ではないかと。
キリスト。世界中で、唯一、死後に復活した例外。事実の確認が難しいので言及しません。(断じて、インチキだと決めつけているわけではないです)
呼んでくれた方の中に、曰く
「定義はちゃんとあって、
自己複製する
境界がある
代謝する
の三つなんだよね。
まあ定義が難しいとか論争があるかのように書かれているサイトは多いけども。
と仰った方がいます。
ここは見解の相違です。それは、一部の人が、便宜上決めた定義でしかないのです。
仮に上記の三要件を必ず満たす物が生物だと言うのであれば、種子を作る機能を欠いた植物は生命ではなくなってしまう。
ウィルスが生命でないというのは現段階で生命だと明言できないからに過ぎない。
と、まあそんな感じ?
ちんちん。
会おうと思った時に会える高校の時に仲の良かった知り合いがいるとか関東、関西圏もしくは自宅から旧帝大に通える極一部の人間しかいないから。
だいたいの人間は一つの大学に同窓生が数十人、場合によっては自分1人とかでそれなりに会話した人間は4,5人いればいい方。
学年が上がって実験レポートに追われたり更には院生になったりすればよっぽど生活サイクルや共通言語が似通わない限り本当に定期的な近況の報告以外だと連絡取ることがほとんど無くなると思うんだ。(これは大学入った後の知り合いでも同じ)
そういうことに対してもうすこし意識的にこまめになったほうがいいよってことだと思うんだけど。
問題を
「無報酬で1年間、市のデザイナーをやるのは、ダンピングなのか?それとも個人の営業努力の範疇なのか?」
という形にすりかえてしまっている人が居る。おそらく無意識だろう。
なぜ叩かれているかをよく理解していない人間が居るようなので一応書いておく。
叩かれているのは「市側が、労働者を搾取しようとしているから」である。
なにを大げさにと思うかもしれないが、いや、実際そうだ。
たとえば企業は、「1年間一切無給労働!見込みのある人間は正社員にします!」という方式の求人を出してはいけない。
「労働者側にもメリットはあるだろ!」などと言っても駄目なものは駄目である。
たとえ労働者が無給労働に同意しているとか、契約書を書いたりしたとしても、労働基準法違反である。
しかしあれは「労働じゃなくて社会勉強だよー」という建前の下でやっているものである。
しかも実際は、学生が足元を見られ、無給で使い捨て労働させられ、就職も出来ないといったことは珍しくない。
米国等ではこの問題が相当深刻化している。
なぜ「労働者側にもメリットがある」場合でも無給労働が駄目なのかは、それが理由だ
そのメリットを餌に、労働者に労働ダンピングを強い、不当に使用者側が利益を得ることができるからである。
この不当さが分からないのは、いまだに前時代的な労働観を持っているごく一部の日本人だけだろう。
残念なことに、元NHK記者の水谷翔太区長はその一部の人間である。
いい加減目を覚ましてほしいと切実に思う。
大衆とゆーのは魚だ 群れの流れに沿って泳ぐ
はてブの流れに沿い つぶやきのホットキーワードを何も考えずにRTして受け入れる
同調する数が多いほど何も考えず受け入れる人達への影響力は増えていく
この流れに善悪は無い ただそれを悪用しようとしてばれた時は流れは逆さになる
ヘイトについても語るけど、意見の反する人の立場に冤罪を被せる事を考える書き込みや思い通りに動いてくれない人の家族に危害を
加えたいと考えているような書き込み。それから生死不明の被害者やその家族への誹謗中傷をネットで長年書き込み続けているようなクラスタが
いうネットでの誹謗中傷が酷いって何言ってんのみたいな? Win98以前からネット泳いでるけどそういう誹謗中傷続けていた
人達の業が、叩くのが大好きなイナゴに叩かれる材料をを更に与えてしまって 一部の人達だけの問題では済まされなくなってしまった
こういう人たちがネットでの誹謗中傷が酷いとか人権とかヘイトスピーチとか匿名disとか叫んでいてもあなた方のネットでの長年の振る舞いの自業としか思えない そのことについて言い訳は受け入れられない
声の大きい人ほどそんな傾向がちらほら目立ってやなんだよね
「普通」の人が過去にモラル的に責められるべきネット上の事柄も無いのにヘイトかまされて嘆くのと
上記みたいな事をしている人達がヘイトかまされるのは違う
後者はちっとも可哀想だと思えないし、人権振りかざして匿名disるのも気に入らない
藤原正彦。
内田樹。
ここ数年くらい「とりあえず一躍脚光を浴びた」感のある人間を見てきたけど、
この3人だけは「なんだかなあ」という感じでいつも見ていた。
一躍脚光を浴びたけど、いつの間にかフェードアウトしてった藤原先生と内田先生。
そして、なんか読者の失笑を一身に浴びつつ、フェードアウトしつつあるイケハヤ師。
本についてはもう色んなところから突っ込みを受けた挙句、気付いたら保守の論客みたいな感じで持ちあげられたのはいいけど、
あの人今どうしてんだろうみたいな感じの人。
品格本以降、全ての段落に突っ込みどころを搭載したクラスター爆弾を投下してくれていた。
たぶん割と高位の老害。
内田樹。代表作はたぶん「ハシズムを許すな」だと思われる。自称思想家兼武道家の本業翻訳家兼実業家。チラシの人や精神科医のお友達。
橋下選挙のときにちょこっと出てきて喧嘩を売ってきたけど土俵に出てこないままフェードアウトした感がある元大学教授。
やまもといちろう曰く、「専門から外れた物事でゴミすぎる論説をしては物笑いの種にされる」
池田信夫曰く、「彼の頭が悪いのはしょうがないが、せめて知らないことには口を出さないほうがいい」
深沢明人曰く、「現実に立脚した話ではなく、何か気の利いたこと、一風変わったことを口にして、商品にしてやろうというだけ」
そして我等がイケハヤ師である。
最早説明不要な感じになってきてるが、最近の尊師のエントリーがびっくりするほど酷い。
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アンチのみなさん、今日もせっせとありがとうございます - ihayato.書店 | ihayato.書店
どのくらい酷いかというと、顔を真っ赤にしながら自転車操業やってんだけど肝心の自転車は1ナノも進んでいない。
そんな感じである。
とりあえずこの2つのエントリーの間のブクマ数を調べてみた。(2月25日時点)
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安易な謝罪がモンスター消費者を助長させる - ihayato.書店 | ihayato.書店 5
(本)村上隆「芸術闘争論」 - ihayato.書店 | ihayato.書店 1
「一流の人は、みんな異常」—デザイナー・山本寛斎名言まとめ - ihayato.書店 | ihayato.書店 41
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もうめんどいので調べるのをやめますが、炎上系エントリーを挟んだエントリーがあんまりブックマークを稼げていない。
というか、炎上系エントリーと、それ以外のエントリーの落差が酷すぎる。
「プロブロガー」なのに大丈夫なんだろうか。本来このあたりのエントリーでPVなりアフィ収入なり稼がないといけない筈なのに。
これで月収なのか売上なのかよく分からないけど月間52万(以上)稼ごうというのだろうか。
やまもといちろうとのブログでのやりとりのほうが圧倒的に面白かったし、
現在進行形でイケハヤ師の株価がどんどん下落、というか暴落していっているので、
対談をやる頃にはもうイケハヤ師自身が賞味期限切れになってフェードアウトしている可能性大である。
フェードアウトしていった2名と、これからフェードアウトしていくであろうイケハヤ師、
この一連のサイクル、特に3において主張されるものが過激であればあるほど、炎上すればするほど、有名になる。
一部の人間に尻尾を振りまいている内容ならなおよい。(保守、反TPP、脱原発、脱貨幣経済など)
しかし毎回違った燃料が投下され続けなければ周りからは飽きられてしまう。
なおかつ1(専門知識がないこと)が露見しないように注意しなければならない。簡単なように見えて実は結構難しい事なのだ。
FUJIWARA先生と、内田先生は、専門知識がないことが露呈してしまったために、フェードアウトしてしまった。
今、イケハヤ尊師も、周りの失笑を買いながら、専門知識が皆無なことを露呈している。
彼らの言論に共通しているのは、「賛否両論ではなく、ただの間違い探しである」ことだ。
間違い探しになりはじめたら、もう終わりだと思う。
最初に言っておくと、増田はSCEが嫌いな方でPS3もVitaも持っていない。
そんな増田だが、PlayStation4発表でのハードウェアに対する誤解の数々を見てちょっとばかり怒りを覚えたので少し書いておく
いきなり「何が違うんだ?」と思う人や「何も違わないだろ?」と言う人も居るかも知れない。
だが後半を語る上でもこれは重要な話なので省略しないでおく。
最近のPCは当たり前のように64bitのメモリ空間を扱えるようになった。
この増田を読んでる人でも64bit OSを使っている人は少なくないはずだ。
これをもたらしたのは、x86 CPUを作ったIntelではなくx86互換CPUを作っていたAMDである。
じゃあIntelは何をしていたのかと言うと、64bit CPUを作っていた。x86を完全に捨てて。
Intelは「IA-64」という64bit CPUを開発して商品も出していたが、これは現在ではほぼ完全に消えている。
確かにIA-64は64bitをネイティブで扱えて「x86の古臭い負債」が全く無かった。しかし、現実世界はx86で作られた既存のソフトウェアを求めたのだ。ゲーム業界でも似たような話を聞いた気もする。
それに対して、AMDは「64bitを扱えるx86」を作ってしまった。これが「AMD64」であり、現在業界標準としてx86-64と呼ばれているものである。
知っての通り、x86-64は現在のIntel CPUでも対応している。AMDが作った命令を使わされる事になったIntelは何を思っただろうか。逆に、これまでIntelの命令を使ってきたAMDは何を思っていたのだろう。
PS3に搭載されていたCellは、非x86でスカラプロセッサのPowerPC CPU(PPE)と、複数のベクトルプロセッサSPEを組み合わせたヘテロジニアス(非対称)プロセッサだった。(スカラ、ベクトルについてはググろう)
スカラプロセッサが得意な処理、ベクトルプロセッサが得意な処理を両方とも高速に実行できる。それがCellの目指した「夢」だった。
スカラプロセッサとベクトルプロセッサのプログラム最適化は全く別の概念で、プログラマーにとっては野球とサッカーを同時にやらされるような物である。
しかも、スカラプロセッサとベクトルプロセッサの間でデータの交換もある。野球とサッカーのキャッチボールて。
スーパーコンピュータ「京」もスカラとベクトルの合わせ業で池田某氏に何度も叩かれるほどの超絶難産だった事は記憶に新し…いっけ?
それが原因でPS3の性能を最大限に引き出したソフトはほとんど存在せず、こともあろうにXbox360とのマルチソフトが溢れる結果となった。(ちなみに増田は360も持ってないのでエルシャダイをプレイ出来ていない、問題だ)
それに対し、PCの世界ではPS3・360が発売してしばらく後に新たなヘテロジニアスコンピューティングが生まれていた。
CPUに比べて進化が止まらないGPUをベクトルプロセッサの代わりとして使う試みだ。
GPUはスパコン用のベクトルプロセッサやCellのSPEと違い、最近のどのPCにも搭載されているので量産効果で割安というメリットがある。
DirectXのバージョンも2桁に突入し機能が増えるにつれて、「もうこれで計算すれば良いんじゃね?」となったわけだ。
結論から言うとこの試みは無茶苦茶ヒットした。近年開発されたTOP500スパコンでGPUが使われていないものを探すのが難しくなってきたし、
最近はPhotoshopなんかの比較的身近なツールもGPUコンピューティングに対応してきてヌルヌル動くようになっている。
しかし、そんなGPUにも欠点はある。「CPU・メモリから絶望的に遠い」のだ。
IBMが発明しMS-DOS・Windowsが動くことで爆発的に普及した今のPCは、GPUを外付けにすること前提で設計されていた。
DirectXやOpenGLのような例外を除いて、基本的に現代のOSはCPUとメインメモリでソフトを動かすように出来ている。
GPUも、一旦メインメモリ上でGPUのRAMに載せるためのデータを生成し、CPUから「GPU動かすよー」という命令を出さなければ動かせないのだ。
これはGPUにとって致命的すぎる欠点だった。これが原因で、遅さを跳ね返せる最新のミドルレンジ・ハイエンドのGPUでなければ逆にCPUより遅くなってしまうケースばかりだ。
現実的な理由で始まったGPUコンピューティングがぶち当たった現実的な壁である。
このGPUの欠点を克服する方法について、AMDはかなり前(少なくともGPUコンピューティングが流行るより前の2007年以前)から取り組んでいた。
GPUコンピューティングが遅いのはCPUから物理的に遠いため命令を送る時間が掛かり、メモリの扱いも異なるせいである。
CPUからGPUに命令を送る遅延を無くし、CPUのメモリとGPUのメモリを交換する時間も減らせばGPUコンピューティングのデメリットは消え失せる。
夢のある話だ。
しかし、AMDには発想と設計技術はあったがカネと製造技術はIntelと比べて絶望的に劣っていたため、
初めてのCPUとGPUを統合したプロセッサはIntelに先を越されてしまった。(IntelのGPUが絶望的に遅いからって実質出てないなんて言っちゃダメだ)
これにはAMDもかなり堪えただろう。けれどもAMDは戦略を曲げなかった。
IntelのGPUが絶望的に遅いのでほとんど意味は無かったが、少なくとも前世代のIntel GPUに比べると格段に実効性能が上がっていたのだ。CPUとGPUを近付ける統合には間違いなく意味があったということである。
AMDはCPUとGPUを同じチップにするだけでは無く、メモリ「アドレス空間」も一緒にする道を目指した。
こうなるとCPUの使っているメモリがGPUから直接扱え、GPUの使っているメモリがCPUから直接扱えるようになる。
これが実現するとCPUとGPUが完全なヘテロジニアスコンピュータに一歩近付くのだ。
2011年にやっとAMD初めてのCPU+GPUであるAPUを出せたが、メモリアドレス空間はまだ別々だった。
2012年になってもメモリ空間は別々のままだったが、AMDはARM(iPhoneやAndroidやWindows Phoneに載っているARMである)と合同でHSA(ヘテロジニアス・システム・アーキテクチャ)を推進すると発表した。
世の中の現実的な人々は笑った。「アーキテクチャだけを作ってもハードとソフトが出てこないんじゃ話になりませんよ」と。
同じ2012年、AMDは2013年中にHSAの第1世代製品を出すとだけ発表し2012年は終わった。
そして2013年2月21日(米国時間20日)、Sony Computer EntertainmentはPlayStation 4を発表した。
Cellはコケてしまったので載らない事は誰もが知っていたが、載っているハードウェアに一部の人が驚いた。
―HSAである。PC用のHSA対応APUがまだ正式発表されていない中で、なんとHSAを載せてきた。(2013年末発売だから当たり前だというツッコミは止めろ!)
CPUはx86-64のJaguar 8コア(ちなみにPC向けJaguarは4コアまでだ)、GPUはRadeon HD 7800相当でPS3と違いガチで1.8TFLOPS(理論上1秒間に計1.8兆個の小数点を含む計算を実行可能)のスペックを持つ代物だ。
このCPUとGPUは8GBのGDDR5メモリを共有して動作する。8GBと聞くと最近のPCから考えると少なく聞こえるかも知れないが、(わたしのメモリは16GBです)
GDDR5とはGPUの描画計算を速く済ませるために作られた超高速メモリであり、ご家庭のDDR3メモリとは比べ物にならない速さが出せる。
実際の所PS4がHSA対応かは正式発表されていないのだが、PC向けJaguarはHSA対応と発表されており、SCEもPS4をAPU(CPU+GPU)と呼んでいてこの変態メモリ構成とすると、発売までにクッタリでスペックダウンしない限りHSA確定と見て良いはずだ。
また、PlayStationはこれまで一度もx86系CPUを採用した事が無く、これが最初(で最g)のx86採用機となる。
Intelが初代Xbox(Celeron搭載)であっさり諦めたx86のゲーム機市場制圧の夢を、AMDが思いもよらぬ形で果たしたのだ。
これまでPCでしか発売されてこなかったDiabloが、x86-64のPS4向けに初めてコンシューマ版を発表した事もx86-64の採用が決してつまらない事ではなかった証だろう。(Diabloと戦うハメになるサードの方々にとっては非常につまらないが)
CPUとGPUの”フュージョン”…(HSAは以前はFusionと呼ばれていた。そういえばドラゴンボールの映画も今年やな…)
AMDが長年の間見てきた夢が、PS4で初めて現実世界に現れることになる。(※ただし次世代XboxもHSA採用でPS4より先に発売したりしない世界線に限る)
こんな馬鹿らしいほど夢が詰まったマシンを「x86搭載だからPCみたいで夢が無い」という一言で切り捨ててしまう人に増田は絶望した。
でも、それってユーザーの夢にどう繋がるの?
性能の引き出し易さがPS3と比べて格段に良くなるのでPS3版ラストレムナントや人喰いの大鷲トリコのような非情な現実が減る。以上。
太ってるやつは甘えだと言うけども、
私は甘えているのに太ってない。むしろ甘えてるからこそ痩せている。
パラサイトして、ヘルシーな食事を親に作ってもらってる。
お昼もコンビニ弁当だと野菜が摂れないからお弁当にしてもらった。
元々、太りにくい体質だ。特別何かしたわけじゃない。それでも、細いねとよく言われる。
まあ、正月あたりにちょっとやばいかなと思うことはあるんだけど、そのうち減ってるから、特になにも、なあ。
ダイエット特集って、スリムなカラダへの強迫観念と一部の人の強烈な需要によって成り立っているんだろうと思う。
体型に頓着しないわけじゃない。
他人のはどうでもいいけど、自分のは、容姿において細いねくらいしか褒めてもらうことないもの。
他力で痩せた体を維持して、自立したりおばさんになったりしたらどれだけ太るんだと思わないでもないが、
父も母もいまだに標準的な体型だし、親戚に太ってる人もいないし、
てきとーに生きてればそれなりの体でいられるんじゃないか。
クラス内女子や職場内女性などのブスランキングを作って楽しんだことがある
クラス内女子や職場内女性などの性的魅力について「あいつは無いな」という話で男性同士盛り上がったことがある
一切ない。そういうことする奴は糞だと思う。
というのも俳優やアイドルについて「どこがイケメンなの!?」とか「可愛くない…なんでこの子がドラマの主役なの??」とか言うのは
商品の性能諸元に対する感想のようなもので、一般人に対して容姿に言及してしまうのとは性質が違う。
そこをきちんと汲み取っているこれの書き手はフェアだと思う。)
・・・のうえで、
もちろん「特に付き合いのあるごく一部の人にだけそっと渡す」のであればありだが
「おおっぴらにほぼ全員に渡しながら一部の人にだけ渡さない」というのは
渡されなかった人間に対する攻撃であって
「これ田舎のお土産。ほとんど全員に配ったけど〇〇さんと△△くんだけにはないよ」っていうのは
俺がこういうことをしたら何をやり返されても文句は言えないと思う。
バレンタインはどうでもいいけど
なんとかペルガーじゃなければ説明しなくてもわかるレベルのことだと思うが。
やっぱ義理チョコなんてものは全く無駄な面倒とストレスを撒くだけの有害無益なアホ習慣だと思う。
たった一人に渡す本命チョコだけにしとけばどうだ。
このまえブックオフでまとめ買いした中にあった『新約聖書』という本のなかに気になる言葉がありました。
人はパンのみにて生きるにあらず
パンを食べなければいけないというのがそもそもオワコンなのです。
パンが無ければケーキを食べればいいじゃない。
ケーキはパンと比べてカロリーが10倍あります。ケーキのほうが効率的にカロリーを摂取できるのです。
また、ケーキは見た目も楽しいものが多いですし、何よりも甘くておいしいです。
しかしパリではまだまだ食事はパンだという固定観念が強いようです。
この不作でパン屋にもパンが無い状態なのに、無理して何も食べずに仕事をするというのは美徳ではありません。
パンにこだわって何も食べずに仕事をするより、ケーキを食べて仕事をするほうが力が出るのは自明なのにです。
こういうことをツイッターで言うと「ケーキで生きてけるのは一部の人間だけ」などの罵詈雑言が飛んできます。
ボクはそのような鈍感で動物的な人には辟易しているのでカジュアル断頭台しちゃいます。
ぼくもこれからすべての人がケーキだけを食べて生きるわけではないと思います。
これからも多くの人はパンを食べて生きていくでしょうし、それを非難するつもりはありません。
しかしケーキを食べようとする人にパンを食べることを強要する空気を僕は見逃せません。
冒頭で紹介した本は少々訳が読みにくいですが、参考になるフレーズが多くお勧めです。
じゃあの
本人はかなり症状の重い認知症であり、寝るか食べるかしかできないような状況で、既に意思の疎通は不可能。寿命は恐らくあと10年ないだろう。
近しい関係者が亡くなっている事などもあって、私がその親族の後見人のような立場になっている。相続権もある。
誰だってそうだと思うが、私もこの状況を他人に喋るようなことはまず無い。
下手に喋れば身の危険に繋がり得るし、そうでなくとも人間関係に幾許かの齟齬を来たすだろう。
何故そう思うか?
身の周りの人間達が、いわゆるボンボンに対して呪詛めいた言葉を口にするのを、何度となく見たからだ。
労せずして大きな富を相続する事が、まるで悪鬼羅刹の所業とでもいうように。
比較的若いころから上記のような状況だった私は、人々が半ば無意識に垂れ流すそういった悪意に当てられて、財産を相続する事がすっかり嫌になった。相続をしてしまったら、自分は一生罪人として罵られ続けるのだと思った。
だから、状況を知る限られた一部の人に対して、いっそ相続を放棄してしまおうかというような弱音を吐いた。
するとどうだろうか。彼らは申し合わせたかのように私を止めるのである。馬鹿な真似はやめろ、と。
それどころか、家の財産を守るのはお前の務めだと説教される始末である。
仮に私に幼い子供が居て、彼らを育てるために多額の金が必要だというのならまだ分かる。労せず富を得るのは不道徳な罪だが、子供のためには罪をも受け入れよ、という訳だ。
社会的な道徳よりも家族親族の利益を優先するという、その姿勢からしてダブルスタンダードで非常に気に入らないが、現実問題として手に入る金を捨てて苦労すれば後々子供に恨まれもするだろう。
だが、既に述べたように、私は若いころからこの事について悩んできた。そして、子供を作らなければいいのだ、という結論に達した。
しかし、そういう事を説明しても、やはり馬鹿な真似はやめろと言われる。
じゃあどうすりゃいいの?
どうやったら私は罪人にならずに済むの?
世間からの有形無形の呪詛を、アンタら私の代わりに受け止めてくれるの?
アンタらの言う不道徳を正そうとしたのに、何で馬鹿者扱いされなきゃならないの?
横だけど、ボカロPが金取り始めた途端叩かれるのは、その昔のギコ猫騒動やモナー騒動と基本的には同じだと思う
それまで共有財産であったものを誰かが独占して権利を主張し始めるのではないかという危機感があるんだよ
ボカロ曲ってボカロPが、曲を作ってボカロに歌わせて、PV作って宣伝して
って工程を一人でやってるわけじゃなくて
曲を作る人も、ボカロに歌わせる人も、PV作る人も、宣伝する人も全然別で
お互いに知り合いですらなくて、みんなやりたいからやってて結果的に楽曲が大ヒットしたなんて事もよくあるわけで
何十人何百人って人が気に入っていじりまくってムーブメント起こしたからヒットした曲を
一部の人だけがお金に変えて、利益を独占するみたいな構図がよくないんじゃないかと
そういう前例ができちゃうと、ネット上にある共有財産である曲や映像を好き勝手いじる自由な空気がなくなってぎくしゃくしてしまう
辞書にはそんなこと書いてないから辞書は別に間違っていないね。そもそも誰がそんな定義をして、どこに掲示してるの?
人々が使っていない、辞書にも載ってない意味でその言葉を使っても通じないし
人々が間違っているわけでも君が間違っているわけでもなく、ただ君と世間とで使っている言語が違うだけ。
これを、心罰を区別して教育上の罰として 教罰と呼ぶか、 歴史的経緯を重要視して心罰を体罰に組み入れるかどうかは現段階ではわからん。
いまのところ組み入れられていないので、今そのような意味で使っても通じない。
人々は体罰を身体的なものに限って使うし、身体的なものだと解釈するし、解釈の重要な指針となる辞書もそのように記述しているから、
一部の人間が勝手に再定義して身体的なものに限らず「体罰」を使っても通じないし
人々の使う「体罰」を罰全般だとして解釈すれば齟齬が発生する。当たり前。
それなら「罰禁止」と言えばいいじゃないか。わざわざ「体」をつけるから誤解を招く。
肉全般が嫌いなら「豚肉が嫌い」と言わずに「肉が嫌い」と言いなさい。
そんな慣習は君の空想のなかにしかないか、そのような慣習があったとしても一般的ではない。
人々はずっと身体的な罰の意味で使い、そのように解釈していて、マスコミ等と人々との間にはずーっと齟齬が生じていたというだけのことだし、
「孤独死する老人が居る」「ホームレスが居る」という判定基準なら
基準を満たせる日は永遠に来ず、
と言っています。
本論で意味不明なことしかいえない馬鹿が手を出す領域じゃありません。
一部の人には、理解できているけど、それも知らない人がいる。
その状況は客観的には
「俺と俺の仲間は正しいと確信しているが、広く一般にはまだ提起すらしていない」って言うんだよ。
それは
「狭い仲間内の輪の中で頷き合ってるだけで、他者からのチェックを受けたことすらない」だろ。
言ってねーじゃん。
自分達の狭い主張を広く世に問うたことすらないまま、
でも、それに対して、意義を唱えるのも、重要なこと。
お前の異議は異議になってません。
現に俺は、お前の考えを理解しようとして、
お前の非論理的な文章を精一杯頑張って読んだけど、
「地域コミュニティー再生」の大事さについてどういう根拠を持ってるのか全くわからなかった。これじゃ賛成反対以前だ。
いかに、地域コミュニティーを再生させるかが、重要な課題であることは、一部の人には、理解できているけど、それも知らない人がいる。
とかいう対話力のかけらもないオタク臭い言い回しを読まされただけ。
上の文は「いかに、地域コミュニティーを再生させるか」の代わりにどんな言葉を入れても成立するよ。
いかに、地域コミュニティーを崩壊させるかが、重要な課題であることは、一部の人には、理解できているけど、それも知らない人がいる。
な。
私の言葉使いに対して反感を感じたように思う。
言葉遣いがどうこうという表面的なことじゃなくて
その下に何の論理性もないからバカ丸出しで感情的だっつってんだよ。
猪瀬批判や「地域コミュニティー再生」主張にきちんと論理が示されてりゃ
余禄で口汚くてもいいわ。