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2020-11-11

anond:20201111141816

そう言えばこの間、中高ずっと好きだった子に超久しぶりに会ったわ。

の子もなんか僕のこと好きだったみたいって大学の時に気づいたけど、その時はもう住む場所も離れていたし特に何にも無かった。

でもたとえもし大学時代にその子と付き合ってたとしても、中高時代人生ってあとから取り戻せないよね。

2020-11-05

ふみコミュで会った12個上の男性に捧げて終わった10年間

中学生ときに今は無きふみコミュ12個上の男性と会った。14歳相手をする26歳は今思うと犯罪だが、その時はそんなこと微塵もわず好きになった。付き合ったり、時には別れたりしたが、ずっと好きだった

でも、18歳を過ぎたあたりから、この人は私のことをどう思っているんだろうと不安になった。自分大学生になってみたら、4つ下の14歳中学生と付き合うなんて考えられなかった。好きでいてくれているのか、そもそも恋愛対象なのか、分からなかった。

家も知ってる、会社も知ってる、プライベートは無いくらい会って電話もしていたから、不審なところはない。優しくて、大切にしてくれる。でも、何かがおかしい。

好きだけど、でも、14歳に手を出す、14歳恋愛対象の26歳はおかしい。

心の奥底では感じていたけれど、でも好きで、初彼氏ではなかったけど、ほぼ全ての初めてを捧げた人で。一緒にいると居心地がよくて。だから結局10年も付き合ってしまった。でも、やっぱり「おかしい」その気持ちは拭えなくて、24歳のときにお別れした。

そして、33歳になった今、結婚することになった。同じ年で、落ち着きのある優しい人。「12個下の女の子が好き」ではなく、「私を好き」と思ってくれていると自信をもって思える。

それでも10年の月日は長くて。おかしいと思ってたけど、大好きだったから。結婚する前に、最後だと心を決めて一生忘れられない電話番号に電話をかけた。すぐに電話に出た。低い「久しぶり」の声。結婚するのか、よかったねの一言。この人と結婚する未来は見えなかったけど、何度もおかしいと思ったけど、それでも大好きだった。

私の大好きでおかし10年間。普通恋愛青春も無かったし、出会わなければよかったと思ったこともあったけど。

それでも10年間一緒に過ごしてくれて、ありがとう

幸せになってね。

2020-10-11

ずっと追っていた長期コンテンツが、既存ファン絶対にそこは変更しないであろうと信頼を寄せていた部分の路線変更を行った。古参ファン側としては完全に梯子を外されてしまった状態になり、ファンコミュニティは焦土になった。

だが、その路線変更が功を奏し、見事に新規ファンを掴んだ。焦土になったコミュニティには新しいファンが訪れ、客観的に見ればシリーズは完全に再興し、外部の人間新規ファンからは「路線変更して大成功だった」と言われてしまう結果に。かつての古参ファンは姿を消すか、生き残ったファン愚痴という名の怨念を燻ぶらせるばかり(かつその怨念は見向きもされない)。

具体的なシリーズ名を挙げないのは、最近立て続けにそういった『ずっと好きだったシリーズの転換点』に立ち会ってしまっているからだ。大幅な路線変更が行われ、そしてそれが成功してしまう。具体的な数字も、界隈の盛り上がりも、かつての頃に比べれば見違えるようだ。だがそこには私やコミュニティで語り合っていたかつてのファンたちがが好きだったシリーズの『肝』は最早存在していない。そもそもシリーズの『肝』なんて、勝手ファンが考えていただけで、制作サイドにとってはそんなもの肝でも何でもなかったのかもしれない。

とにかく、シリーズノットフォーミーになってしまい、そのノットフォーミーの部分が世間に受け入れられた以上、去るべきは自分の方なのだ理解しているのだが、しかしどうしても、とにかく、辛い。

2020-10-06

好きな女には私より長生きしてほしい

半年くらい前に高校3年間ずっと好きだった人に彼氏が出来た。そのあと1週間くらい何に対するやる気も起きなかったし、コロナ禍で外に出られなかったのも手伝って5キロ近く体重が落ちた。

高校で同じ部活だったけど、無事卒業したのでこれを機に連絡を切ろうと思った。でも出来なかった〜〜!! 私は結局大学でもその子と同じサークルに入り、3ヶ月に1回くらいのペースで遊ぶ関係が続いている。 私はその子にマ〜ジで邪な感情を抱いているので、「一緒のサークルに入らん?」って聞かれて断れなかった〜〜!!!

まあそんなこんなで私はその子20番目くらいに仲良しな友達ポジションに置いてもらっている訳だけど、最近心境に変化が訪れたな〜と感じている。

変化というのも、今までは「好きで好きで仕方ない!その子彼氏が出来たら死ぬ!」と思っていたのに、今は「その子幸せになって私より長生きしてくれたらそれでいいわ〜」と思えるようになったのだ(後者後者気持ち悪いとか言ってくれるなよ)。

考えられる要因は2つ。 1つ目は「その子彼氏がメチャメチャ良い奴だった」ことである。もしその子大学で見つけたぽっと出の男に掻っ攫われていたら間違いなく死んでたしなんなら刺してた(その男を)。 でも、その子彼氏超良い奴なんだよ……。 そもそも善性の塊であるの子が2年くらい片想いしてた男なんだからいい男じゃない訳がない。周りの評判も上々、顔もいい頭もいい身長も高い。 あれ私勝てるところ無くない?! それはいいとして、2年間少しずつ距離を詰めていってやっとのことで実った恋なのだ。 私は20番目くらいの仲良しな友達なので元々その子の思いは聞かせてもらっていた。 そのため覚悟が出来ていたというのもあると思う。

2つ目は「思ったよりその子が私のことを好いてくれている可能性が出てきた」ことである高校1〜2年生の間は私の完全なる一方通行で(今思えばそんなことは無かったのだけれど)、遊びに誘うのもいつも私からだったし、善性の塊であるの子の周りにはいつも他の子がいたし、向こうは私のことなんて眼中にないのだと思っていた。 大学に入ったら多分私のこと忘れちゃうんだろうな〜なんて夜な夜な泣いたりもした。 でもこのところ、実はそんなことないのでは?と思い始めた。 遊びに誘ったら必ず直近で空いている日を教えてくれて、コロナ禍で会えなかったときには電話してくれて、誕生日には忘れずにメッセージをくれる。えっこれ友達としては相当好かれてない? イタい勘違いイタい勘違いだったらヤダな〜〜〜。 高校ときは「〇〇(その子名前)過激派ファンキャラでやってきたので(過激派なのは事実)、その子も"キモオタへの対応"的な返しをすることが多かったけど、私が大学受験で忙しかったのと、その子の恋が上手くいきそうだったこから距離を置いてみたら私からしても向こうからしてもちょうどいい距離感を築きあげることが出来た。 恋愛は上手くいかなかったけど友情としてなら上手くいっていると今は自信を持って言える。

以上の2つの要因から私は高校3年間抱き続けた激情から目を逸らし、一生消えることのないであろう恋心(と言えば聞こえはいいがただの執着もしくは信仰である)と向き合い始めている。

まだその子のことは超好きだから、時々一緒に撮った写真を見て泣いたりもするけどこれもこれで悪くない。

多分私は結婚することも子供を産むこともないだろうけど、その子のことを好きになれて、その子の後の人生を友人の立場から見届けられる人生幸せと言えるんじゃないかな。

ただ、その子がもし不慮の事故病気で亡くなったり、誰かのせいで不幸になったら立ち直れないしそれこそ死ぬ気がするので是非ともその子には幸せになって私よりも長生きしてほしい。これは切実に。



あとはその子結婚式に出席出来て、その子に似た子供と年に1回くらい遊べて、その子が私のお葬式に参列してくれたら大満足かな〜〜!!(いやめっちゃ強欲やんけお前)

2020-08-28

昔好きだった男の子が見事に「アベガー」になっていた話

入りきらなかった題名

『昔好きだった男の子が見事に「アベガー」になっていて百年の恋も冷めた話』

題名の通り。昔好きだった男の子が、「アベガー」になっていた。それを知ったのは2、3年前の話だけど、今日安倍総理が辞任されるという話を聞いて色々と思い出したので書こうと思う。

政治の話がしたい人には申し訳ないが、ここからしばらくは私の恋話に付き合っていただきたい。ウヨもサヨも、野党与党安倍総理も、全く関係がない。

長い前置きで悪いね。でも言っておきたい。私は彼のことを責めているのではない。私は結構自分勝手人間だったってことを自覚したと同時に、世の中の残酷さを味わったという、ただそれだけの話。

昔、というのは私が中学生の頃のこと。現在の私は社会人1年目。社会の荒波に揉まれながら毎日頑張っている。

これは、私が中学2年生だった頃から23歳を目前に控えた今日までずっと消化しきれなかった、小さな恋の話である

中学2年生のとき好きな人ができた。彼の名前は"リュウ"としよう。クラスメイトが時々彼は神木隆之介さんに似ていると言っていたからだ。リュウは賢く、明るく、優しく、運動も得意で、先生にも好かれている、常にカーストてっぺんに立っているような人だった。対する私は、良く言えば大人しく、悪く言えば地味な眼鏡っ子勉強はそこそこ、運動は苦手、国語先生には好かれて体育の先生には嫌われるようなタイプだった。

リュウは私のような人にも優しかった。人見知りの私は初対面の人間の大半が苦手だが、不思議と彼を苦手だと思ったことはなかった。初めて隣の席になったときなんて、もう毎日が夢のようだった。教科書見せて、これどうやって解くの、今日朝練やってたね…少しずつ、少しずつ、私たちは"ただのクラスメイト"から"友達"になっていった。

友達になった私たちは、あっという間に仲良くなった。(私は人見知りだが彼のことが大好きだったから、どうしてもこのチャンスを逃したくなくて必死だったのだ。)ノートの切れ端で手紙を交換して、授業中に目が合えば小さく手を振られて、休み時間はよく2人で頭を突き合わせて数学問題を解いていた。

私は彼のことがずっと好きだった。今でも覚えている。中学3年生のある日、彼はこう言った。

「俺、増田のことがずっと好きだった。付き合って欲しい。」

もちろん答えはイエス。隣の席になったときよりも、もっと夢みたいだった。

で、まぁよくある話だけど、幸せ時間は長くは続かないんだよね。夢みたいに幸せな私が、彼と恋人でいられたのはたったの半年だった。公立中学校の3年生には、受験というものがあるからだ。ありがちな展開で申し訳ないが、私たちは進学を機に別れてしまった。より正確に言えば、私は彼に振られたのだ。

大半の大人から見れば、中学生恋愛なんて所詮はオママゴト。中学校より高校高校より大学大学より社会人になってから恋愛の方がより真剣で、大事ものだと思っている人も多いんじゃないかな。でも、私にとってあの時の恋は本当に真剣で大切で、今でも忘れられない出来事だった。

話は変わるが、私が初めてスマートフォンを手にしたのは高校入学したときのことだ。スマートフォンを手に入れた女子高生がすることといえば?

…そう、SNSだ。私はTwitterアカウントを手に入れた。(Instagramを始めたのはもっと後の話だ。)

始めたばかりのTwitterアカウント、それもリア垢でフォローするのは誰?

…そう、リアル友達だ。私は友人たちを探してフォローしたし、彼女らも私をフォローした。そうやっていつの間にか広まって、私のフォロワー欄には同じ中学校や高校の人たちが並んだ。

その中にリュウがいた。恋人になる前の私とリュウは気の合う友達だったし、趣味も話もよく合った。SNSでも、滅多にリプライなんてしないしされないが、それでも私たちは時々、本当に時々、ネット世界で顔を合わせるようになった。

まだ私は彼のことが好きだった。あの時だって、「面倒な女」「聞き分けの悪い女」になりたくなくて、別れ話にも納得したフリをしただけだった。必死で忘れようとして、本当に忘れた時もあったけど、やっぱり好きだった。多分ずっと好きなんだと思う。

ストーカーだと思われたくないから、今までの話は誰にも言ったことがないし、行動を起こしたこともない。私は彼にLINEの一件すら送ったことがない。

私の激情もだいぶ落ち着いて、大学生になったある日。リュウTwitterたまたま見てしまった。いや、わざわざ彼のアカウントを見に行ってしまったのだ。友達彼氏ができたって聞いて、私はやっぱり彼のことを思い出してしまたから。

高校生の頃は確かにあったはずの、彼の好きなスポーツ音楽部活ゲームに本や漫画話題は全て消えていた。真っ白なタイムラインタップしてリプライ欄。メディア欄。空っぽ

どうしたのだろうかと考えながら、またタップいいね欄。私はここで2度目の失恋をした。

安倍晋三総理大臣としての責任果たしてさっさと辞職するべき。」「アベはこの問題について一体どう考えているのか。逃げていないで説明しろ!」「アベは国民バカにしている!」「アベが」「アベが」…。

どうしたというのだろう。何故彼のいいね欄は政治の話…それも所謂「アベガー」ばかり。

リュウは優しい人だった。自分努力家で、同じく頑張る人を見捨てられない、優しい人だった。

間違っても、誰かを口汚く罵倒するような人ではなかった。

なのに、どうして?

私の恋心ゆえに、記憶の中のリュウがかなり美化されていることは分かっている。(クラスメイトよ、リュウ神木隆之介似というのは流石に言い過ぎだと思う。)

でも、優しくて賢くて、誰かに手を差し伸べることはあっても、誰かを攻撃するような人ではなかったことは紛れもない事実だ。

何がどうしてこうなったんだろう。リュウが私の理想通りにならなかったことに怒ってるんじゃない。絶対に言い返さない、言い返せない人に向かって、安全からこそこそ口汚い言葉を使うような人に共感しているなんて、ショックだった。

直して欲しいとは思わない。誰が何を考えていようと自由からだ。彼は自分共感した意見いいねを押して、私は勝手にショックを受けた。ただそれだけの話。

勝手でごめんね。だから私、振られたんだろうな。

今日安倍総理が辞任を発表した。

私は懲りずに彼のアカウントを見に行った。凍結されていた。

恋って一体何なんだろう。

2020-08-23

一番好きなものを素直に好きというのが怖い話

私は小学生ときからGARNET CROWというアーティストずっと好きだった。というより今も大好きだ。

今日まで四半世紀とちょっと生きてきて「夢みたあとで」以上の楽曲に私はまだ出会っていない、本気でそう思っている。in little timeやholy groundも未完成音色も、全ての楽曲がたまらない。捨て曲なしだ。これを読んでくださった皆様もどうか一度騙されたと思って聴いて欲しい。

"幸せの中に潜む不幸せ""大切なものをなくす痛み""過ぎ去ってしまったものが戻らない無情感"そういったものを拾い上げて歌ってくれる、そういう楽曲が当時小学生だった私には衝撃的だった。解散しても何年経っても、彼らの曲の魅力は色褪せない。今も私は魅了され続けてる。

けど、この思いを私は信頼できる1人の友人と夫以外には伝えていない。他の友人はGARNET CROWを好きなことすら知らないと思う。友人に嘘をついているわけではない。答えたアーティストが好きなのも本当だ。ただ一番ではないというだけで。

私は自分が本当に一番好きなものを誰かに打ち明けられずに、今も生きてる。

別に最初からこうだったわけじゃない。少なくとも小学生ときはこんなんじゃなかった。

変わったのは中学生の時。

私の中学田舎ということもあって、荒れた学校だった。幸いにも私は人数の多い運動部所属してたおかげもあっていじめなど被害を受けたことはない。けど、俗にいう"陰キャ"をバカにする空気がそこにあって、なんだか生きづらいなと思っていた。

きっかけとなったその出来事のことはいまだによく覚えてる。中学に入ってすぐ「どんな曲聴いてるの?」なんて話になった。小学生高学年から中学生になるとみんな、音楽に興味が出てきだして好きなアーティストの話にもなったりする。同じクラスになったばかりの子に私は「GARNET CROWとか好きだよ」と答えた。好きだから。他のどんなアーティストよりも大好きだから

でも返ってきた言葉に私は衝撃を受けることになる。GARNET CROWにピンときてない様子だったその子の隣にいた別な子に「コナンの歌でしょ。なんでそんなの聴いてるの?」と言われた。なんでって、好きだからじゃだめなの?そんなのって、なんだよ。

やっとのことで「好きだからだよ」と返した私にその子は「普通聴かないよ、変なの」と言い放った。きっとその子何の気なしに放ったその当時の率直な感想なんだと思う。GARNET CROWがじゃなくて、中学生の私が聴くのが変わってるって意味だったんだろう。けど当時の私には衝撃的だった。

今まで自分のすること、興味があることを否定されたことがなかったわけじゃない。けどそれは私が何かをするという行動が伴っているからだと思っていた。つまり否定されるのは私の言動であって、私の気持ち趣味嗜好ではないとそう思っていたのだ。

けど今回は違う。そこに目に見えた私の言動はない。"ただ好きなだけ"という誰にも迷惑かけてないはずの嗜好ですら否定対象になる。

私の勝手でしょ、なんて言ってやればよかったのに言い返せなかった。変に反論してこじれるのも大好きなGARNET CROW否定されるのも怖かった。彼らが悪いわけじゃないのに、あんなに素晴らしい曲を作る人たちなのに、私が好きってだけで変なの呼ばわりされるのも耐えられなかった。

の子とはそれなりの友達ぐらいの距離感のまま卒業して、それ以降私から連絡することはなかった。同じ部活で汗を流しても結局あの印象が抜けなくて最後まで本当の意味で心を開くことができないままだった。

高校はやりたいことがあって、知り合いのいない少し遠い都市部学校を選んだ。そこでも同じ質問をされる。正直に答えようとして、名前が喉の奥につっかえて出てこなかった。

このまま唇を跨いだとして、本当のことを言ったとして。また否定されたらどうしよう。その時私は目の前の、これから仲良くしていきたいクラスメイトのことを好きでいられるだろうか。そう考えたら一番好きなものを好きだというのが途端に怖くなった。

結局当時一番ではないものの、好きだったチャットモンチー名前を挙げた。「私も好き」と返してくれたことにひどく安堵した。そのまま仲良くなって、友人も増え、知り合いが一人もいない学校にきたにも関わらず私は友人に囲まれ穏やかで楽しい高校生活を手に入れたのだ。

その時分かったことが2つある。

1.好きなものを好きだと馬鹿正直に打ち明けなくてもいい。自分がわかっていればそれでいい

2.下手に答えてその人を嫌いになってしまうくらいなら、当たり障りのない答えをしておいた方が圧倒的に楽だ

人生を穏やかに楽しく生きるためのコツを掴んだ気がした。あの質問をされるたびにその時聴いているアーティストのなかから流行ってて人気がある人を答えるだけでよかった。答えたそのアーティストが好きなのも一部分では本当のことだから、すんなり信じてもらえた。

自分友達にそんなことをする人がいると思いたいわけじゃない。実際多分いないと思う。けど誰にも迷惑かけていないただの自分の嗜好を否定された時、その友達を好きでいられる自信がない。友達ならまだしも、生きてく都合上ある程度関わらなくてはいけない程度の思い入れしかない人だったら尚更許せる気がしない。

からこれは私なりの予防線だった。なるべく人を嫌わずに生きていくために必要だった。

大学に入ると自分大人に近づくにつれ、周囲も大人になり、人との違いに寛容になっていった。当たり前だけど大学はいろんな人がいる。多分ここでなら何を好きと言おうと否定してくる人間はいなかったと思う。それでも言えなかった。

社会人になりいろんな世代の人と接するうちに、ご年配の方には人の嗜好にまで口を挟んで否定してくる人が多いことにも気がついた。それでも付き合っていかなきゃいけないから、もはや言う努力なんてやめてしまった。

数少ない私の一番好きなアーティストを知っている二人、夫と親友GARNET CROWの話をしたのは去年のことで、好きなものを正直に話してもいいと思えるまで出会ってから10年かかった。

今ここで書けるのも匿名からだ。

私はこれからもきっと本当に好きなもの誰にも言えないままだと思う。この先も「普段何聴いてるの?」と聞かれるたびにそのとき比較流行っていて聴いてるアーティストのなかから適当に答え続けるだろう。

の子何気なく発した言葉が、十数年経った今でも未だに私に刺さったまま抜けない。

この増田を読んでくださった方々にそんな方はいないだろう。本当に私が届けたい、いつかのあの子にこの言葉は届かないんだろうし、そもそも私が傷つきやすいってだけなんだと思う。でも、

自分の好きなもの否定されていい気持ちになるやつなんて、この世に存在しない」

これは誰にでも当てはまることだと思うから。いつか誰かに抜けないトゲを刺してしまう前に、言葉を発する前にどうか一度思いとどまってほしい。私も気をつける。

その"好き"をあなた理解できなくてもいい。しなくてもいい。どうか、否定しないであげてほしい。理解出来ないってだけで攻撃対象にしていいわけじゃない。

否定言葉の代わりに「そうなんだ」と相槌を打つだけで世界は少し優しくなる。誰も傷付かずに済む。

誰もが一番好きなものを素直に好きと言える、言っても傷付かない優しい世の中になってほしい。

バンプが好きだと言ってた中学生チャットモンチーが好きだと言ってた高校生、クリープハイプが好きだと言ってた大学生の私が救われることはないけれど。世界が少し寛容になればそれで救われる誰かがいる。いつか変わることが出来る。そう、信じている。

2020-07-31

祖母の死に水がオロナミンCだったのが悲しい(追記しました)

この冬に亡くなった父方の祖母は、祖父の初婚の相手が病没してからの後添いで、最近後家でもあった。

彼女祖父再婚したとき、すでに父も伯父も成人していたので、祖母を慕うでも疎むでもない、いわゆるおとなの距離感だった一方、私と母は祖母とずっと仲良しだった。

祖母血縁関係がないことを知ったのは小学生時代の半ばだったが、「あ、まじ?」くらいのかんじで、祖母のことは変わらずずっと好きだった

80歳になった頃から認知症が出始めて、以降はちょっと若返り、ずっと79歳で通した。

90歳近くになっても「80歳になったら遺言状を書く」と言い続けていたので、遺言状書くのが潜在意識レベル億劫だったんだろう、気持ちは79歳のまま、91歳で亡くなった。

歳もとしで、生存してる知己も皆無のため、葬儀では町内会長が弔辞を読んで下さった。

会費払うくらいの活動しかしてなかった祖母に対して「〇〇地区の発展のためおおいに尽力されました」は、いくらなんでも高齢者汎用弔辞丸出しだなと思われたから、私が親戚代表でお別れのことばを読めてよかった。

私は次男の娘、しか結婚して姓も変わったというはんぱなポジで、完全に押し付けられたかっこうだけど、彼女のことを好きだったから、そういう人が読んだほうがいいと我ながら思ったのだ。

祖母は私達家族がたずねると、「今くるところと思っとったとよ」と言って迎えてくれ、帰るときは「もう帰るとね。泊まっていけばよかやんね」と送ってくれた。

電話を掛けると、「今かけようと思っとったとこやった。気は心たいね」と言った。

彼女には決まり文句があった。

それが大好きで、もう聞けないと思うと寂しくて仕方ないと、そうお別れのことばをのべながら私は泣き、母も泣き、その後の進行でも泣き通しに泣いていたのだが、式の最後、死に水をとる段(祖母地域では、菊の葉っぱに飲料をつけ、遺体の唇を湿らせる行為)になって涙が引っ込んだ。

死に水がオロナミンCだったのだ。

葬儀場の人がすんごいしめやかにオロナミンCをご用意いたしました」って言いだしたとき、死んでるのに元気ハツラツもあるかよ、と思い、さっきまで泣いていたのに急転直下で笑いをこらえるはめになった。

のちに、伯父が気を利かせて手配したと発覚するのだが、それにしたって死に水がオロナミンCとは……と思うと同時に、私はかすかな違和感を覚えていた。

おばあちゃんオロナミンC飲んでたっけ? 

生前祖母はたしかにこの手の飲み物を愛飲していた。夏場に行くと茶色い瓶を差し出し、増田ちゃんも飲まんね、と勧めてくれた記憶もある。

ならばオロナミンCを飲んでいたのだろう。よく生協からとっていたという記憶もまた、あるにはある。

葬儀後、伯父は、我ながらオロナミンCナイスプレイだった、祖母子さんは(伯父も父も、決してお母さんとは呼ばない)オロナミンCが好きやったけん、と自ら言いまわっていた。伯父は祖母敷地内別居をしていたので、離れて暮らした私よりよほど祖母生活に詳しいはずではある。

そんなわけでオロナミンCで死に水をとったのち、祖母は骨だけの姿にかわり、四十九日を納骨の日と定めて再度集まった。

その日、葬儀ときは訪ねなかった、祖母が亡くなる直前まで暮らした家に寄り、私はそこで、おもいもしなかったものを目にした。軒下に大量の茶色い瓶が置いてある。

あーほんとに大好きだったんだな、おじいちゃんに怒られるくらい飲んでたよな……と思って瓶の群れに近付き、私は雷に打たれたような衝撃をうけた。

瓶が……でかい! 

これは、オロナミンCの瓶ではない……!

とっさに写真を撮って友人にLINEしたら、

「それはもうデカビタやんか」

とかえってきた。

まさかミルクボーイまさかの全力チャージ

葬儀ときになんとなく感じた違和感の正体はこれだった。いま、瓶を見てはっきり思い出した。

祖母が勧めてくれたのは、小さな瓶のオロナミンではない。

大きな瓶のデカビタだったのだ。

おばあちゃん、死に水をエナドリ(?)にされるという素っ頓狂な目にあったうえに、銘柄を間違われてる……。

そのことがわかったとき、私はほんとうにほんとうに、心の底から悲しくなった。

実子のない後添いの、そして後家の、なんとつらく悲しいことかと思ってしまった。

成人してから出来た継母への興味なんて、そりゃ愛飲しているのがオロナミンかデカビタかもわからない程度のものなんだろう。

だって自分立場に置き換えたらそうなるかもしれない。

それにしたってあんまりじゃないか

町内会長にはなんの罪もないどころか、参列の上弔辞まで読んで頂き感謝しかないが、あの汎用弔辞や、祖父の前妻が眠っているからという理由一族の墓とは別に用意された納骨堂のことも、全部全部悲しく、やりきれなかった。(が、私が祖母なら納骨堂に入りたいなとも思った)

そして何より祖母に会いたくて仕方なくなってしまった。書いている今も祖母に会いたい。

が、あの世に向かって全力チャージしてしまった祖母とは、永遠にとは言わずとも、当面会う事はできないだろう。

どうしていいかからないし、どこにもこの気持ちを持っていきようがないから、とりあえず、オロナミンとデカビタで、利きエナドリ(?)をやってみたいと思っているし、できたら両者区別がつかないといいとも思っている。

という話を、葬儀後、大学時代サークル仲間で餃子パーティをしたときに話した。

その場の人たちは、参加したい、どうせならドデカミンリアルゴールドミラクルVなども加えて盛大にやった方がいいと言ってくれたが、直後のコロナ禍でまだ開催できていない。

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追記

半年以上、祖母の死に水オロナミン事変についてもやもやしてたのもあり、長くまとまらない吐き出しだったのに、たくさんの人に読んでもらえていてびっくりしました。ありがとうございますコメント全部読みました。これからもらえる分あったらきっとそれも読みます祖母を悼んでくださった方、本当に恐れ入ります。これを自分で言うのも野暮ですが、リアルゴ……実話です。

オロナミンはデカビタの上位互換なので大丈夫、という意見散見されてかなりとほっとしました。

1月、家のまえにいた迷子のおばあちゃんをご自宅まで送っていったときのことを増田を書いたら、思いがけずいろんなコメントをいただけて、それを読んで少し気持ちが整理できたということがあった、その直後に祖母が亡くなり、まさかオロナミン事変。

こんどは自分のおばあちゃん葬儀についてなかなか気持ちのか整理がつかず、もう一度……と思って増田に吐き出したら、笑ってもらえたり、やるせなく感じた部分をわかってくれる方もいてうれしかったです。

あと、知らないエナドリ(?)もあがってたから、利きエナドリやるときは買い集めようと思います

2020-07-18

才能のある人間が羨ましいという話

この日記を見ていらっときた人、批判したくなった人、意見を言いたくなった人、どんな人が現れるかわからないが、深夜4時のテンションで日頃の鬱憤を吐き出したい。

お叱りの意見が来るのは承知である。あとで見返して大反省するのも承知である

大半の人間が何かしらの才能を持ち合わせているという事実

なぜかよくわからないが、周囲の人間に限ってはこの事実例外を見たことがない。

友達のSは絵が上手くて自頭がよく化粧やお洒落はしていないが周囲から愛される。

友達のYは友だちが多い。また頭の回転が早く旧帝大に現役合格しており、吹奏楽部幹部で頑張ってきたようだ。

友人のTも旧帝大に楽々合格して、運動神経も良い。ついでにルックスも良い

友人のMは友達が少なく勉強も苦手なようだが球技だけはずば抜けており、最近では趣味イラストも上達してきている。

などなど

私も良い大学合格したくて誰よりも努力した、少なくとも勉強時間でいうとクラスで一番だった。中学の頃は友達恋人に囲まれてる人が本当に羨ましかったし、趣味イラストだってずっと頑張ってきてる。

でも、なぜかできない。

何を頑張っても平々凡々にしかできない。そりゃあ、勉強だって高1の頃から居残りをして沢山やってたから、担任から一橋だって行けるんじゃないかって言われてた。周りがやってなかったから。でも、学年が上がるに連れて自分偏差値相対的に落ちていったし、何より効率よく勉強したはずなのに、一橋どころか地方公立でさえ落ちた。今は胸を張って高学歴だとは言えない私大に在籍している。自分頭が悪い自覚がなかった、周りが良すぎると思ってたし今も思っている。(受験について述べ始めるとキリがないが、政経センター対策参考書網羅したはずなのに、半分知らない内容だったし、数1A2Bだって自分の中では難易度の割によくできたほうなんじゃないかと思ってたら、平均点しかなくて絶望した、英文法も分厚い王道参考書網羅して自身があったのに某私大英語では参考書にない知らない文法ばっかりでひっくり返ったし、受けた奴らは皆簡単だったと言ってて暫くTLも見れなかった。)

模試の度に反省をしてトライエラー繰り返してきたけど、受験を振り返ってみると圧倒的にやった参考書の量と勉強時間が足りない。の一言に尽きる。誰よりもやってきたはずなのに、自分スマホ禁止している間スマホをやってた奴らのが成績が良かったのだ…。

私が記述数学対策必死でやってきた中で無対策友達に点数を好かれたら死ぬほど悔しくて、3日間睡眠食事以外徹底的に勉強した(一日15時間以上)り、冬休みネットテレビを経って毎日14時間ぐらい無我夢中勉強した

それでもセンターが近くなるに連れて周りの奴らが本気で勉強しだすので、自分の成績は上がりようがなかった、くそったれ

まぁ勉強は才能がなかったで終わり、今は就職のための新しい勉強をしているか学歴はもう良い、と最近は思う。まぁ、その勉強受験勉強と同じく好きだけど得意なわけじゃないか就職してもできるやつに追い抜かされるんだろう。

んでもってさ、勉強以外ができるのかって言うと、違うのよ。

まず自分は圧倒的に仕事ができない。ケアレスミスが多くてレジ打ちなんてもってのほか集中力がすごいだけで、一つのことに集中してはいけない接客業では圧倒的にハンデになる。マルチタスクがこなせない。何をやれば良いのかわからなくなってしまう。覚えたことがごっちゃになって、またそこでもケアレスミス。せめて仕事ができる人間だったら良かったのに

そして、受験が終わってから小学生の頃からずっと好きだったイラストをまた描き始めたがこれがまた成長しない。ネットで上手くなる方法を探してはトライエラーを繰り返し。デッサン模写も沢山やってるし、周りの友達可愛いね、上手だねって褒めてくれる時はあるけど、上手い人と比べると圧倒的になにかが足りない。同じ18歳で絵の上手い人なんてゴロゴロいるけど、自分より絵描き歴が短かったり自分より圧倒的に描いてる枚数が少ないのにこのレベルかと驚愕することが多い。(自分中学生の死ぬ気で絵を描いていた。)もうやだ、才能がない、辞めたい、過去絵みたら全部下手に見えてくるし、って思いながらも睡眠時間を削って大学課題をする時間以外はずっと絵を描いている、3月から。(諦めたり、辞めたりしない、継続する根性受験期に身についた)さっきも絵を描いていたけど、やっぱりちょっと楽しいと思う半面もう百枚以上は描いてるんだからそろそろ上手くなっても良いんじゃないかと思う。無念。

友達だって少ないし、人から愛されるような愛らしさや魅力もない。ツイッター愚痴ると嫌われるから本性は出さないようにしてここで愚痴ってるし、中3から化粧の仕方だってyoutube研究してきた。見た目のコンプレックスだって拭えない。

最近よく何かがずば抜けてデキる人が本当に羨ましいと思うし、自分は何をするにも鬱になるぐらい、他の娯楽を全部我慢して睡眠時間を削るぐらいの努力をしないと”そこそこできる”のラインに到達できないのに嫌気が差してきた。

自分には何ができるのかわからないしなんの才能があるとも思えない。ちょっとかじっただけで何でもできてしまう友人が本当に羨ましかった。

一時期はこの人だって自分より努力してるかもしれないと思う時があったけど、そう思えないほど自分精神的にも体力的も疲弊してるのに 相手SNSでの楽しそうな投稿を見る度にこいつは自分より才能があるんだっていう認識に変わる。

これでも、頭が良くて友だちが多くて運動音楽の才能がある多彩な人間ほどもてはやされた中学時代と違って、女子大生は才能がなくてもルックスだけ良ければちやほやされるから楽だ。自分普通だけど。

以上、今日徹夜イラスト練習をしているがその合間に書きなぐった愚痴です。文章ぐちゃぐちゃ。大勢の人に見てもらいたいわけじゃないけど、深夜のテンションとたまには愚痴ってもいいよねってことで吐き出してみた。

おわり

2020-06-17

高校の時付き合ってた人に大学卒業の時に4年間ずっと好きだったから縁切らないでって言われてそうだねって言ってから丸3年連絡もなくて今夢に出てくるほど会いたいんだけどどうしたらいいか

大学4年間は自分もその人も恋人できたことない

2020-06-16

私はファンの力で天変地異を起こしたかった

私にはずっと好きだった作品がある。

その作品はそろそろn周年を迎える。(nには任意数字を入れてほしい。)

そして私は、そのお祝いの作品を作っている。

けれど、私はそれがまったく楽しくない。

その理由も分かっている。そのことを書きたいと思う。

私は、ファンの力さえあれば公式を動かせると信じてきた。

信じて、この作品が好きだ!と発信し続けてきた。

私がその作品に出合ったのは、まだ学生の頃だった。

それは世の中に出たばかりで、たまたま手に取った私は今までに出会たことのない世界観表現の美しさ、その他全てに心を奪われてしまった。

今思い返しても、人生五本の指に入る素晴らしい偶然の出会いだと思う。

私はクラスメイトや友人にその作品布教しにかかったが、作品ターゲット層と私の年代が合っていないこともあり、あまり捗らなかった。

それからしばらくした頃、世の中でインターネット好きな物を発信する手段が出てきて、

学生から社会人になり、様々な自由を手に入れていた私は当然、インターネットの場でこの大好きな作品を広めよう、もっと色々な人に知ってもらおうと活動しはじめた。

しかし、その時にはもう遅すぎた。

作品はヒットすることなく数年が過ぎ去っていて、インターネットにあったのは一握りの熱心なファンの集まりと、「あの作品面白かったよね」と思い出話として語る人々だけだった。

天変地異でも起きない限り、あの作品が多くの人の目に留まることはなくなってしまっていた。

もちろん、多数の人の目に留まることが全て善というわけではないし、私はファンの集まり出会った皆さんにも思い出でも語ってくれた人たちにも大いに感謝している。

ただ、私自身が、「自分の好きな作品が沢山の人の目に留まってほしい」と強く思っていただけだ。(言ってしまえば、メジャーになってほしかったということだ)

私は何度も、作品が出た頃に何もできない学生だった自分を恨んだ。あの時に何か出来ていたら、と。でも恨んだところでどうしようもない。

その代わり、私には、1つの希望があった。

それは同じようにインターネットに流れていた、『ファンの声で公式を動かした』という先人たちの実績の数々だった。

最近Twitterに流れてきていたものだと、サクラ大戦のような、あれ。

私はそれを信じて、声を上げ始めた。

といってもそこまで大それたことをしたわけでもなく、推し作品布教する話になったら本気でプレゼン画像を作ったり、良さを語るブログを書いたり、

あるいは公式に定期的に作品展開の希望を送ったり、n周年の時にお祝いの二次創作をしたり、幸運にも作者さんと直接お会い出来たときファンレターで思いを伝えたり。そんな感じ。

(今思い返せば、署名活動の1つでもやればよかったと思う。それをしなかったのは私の怠慢だし、何より「もし集まらなかったらどうしよう」という、自分の好きな作品好きな人の人数が可視化されることへの恐怖にビビったチキンさ故だ。情けない)

たくさんの良き出会いもあったし、嬉しいことに私の発信から作品を手に取ってもらえたこともあった。

そのことには感謝してもしきれないし、ファンとして声を上げていて本当に良かったと思う。

ただ、私には天変地異を起こす力は、なかった。


なかった。


数年前出た小さな設定集を最後に、私の好きな作品は止まっている。


きっとこれはよくあるありふれた話なのだろう。悲しい思いをして諦めているのは私だけではないのだろう。それは分かっている。

作品のヒットだって時の運だ。どんなに作者さんが粉骨砕身しても、プロデュースが頑張っても、ヒットしないものはヒットしない。

どんなにファンが声を上げようが、動かない公式はある。

分かっている、分かっているのだけど、「どうして私の好きな作品が」という思いは拭えない。

(私の好きな他の作品も似たような感じなので、余計に思ってしまうのだろうというのもある)

そう思っているうちに、声を上げることが辛いと思ってしまうようになってしまった。

馬鹿な、と思ったし、そんなことはない、たとえ天変地異を起こせなくても声を上げる意味はある、と言い聞かせた。好きな作品について話せる人に出会えるんだし。いいじゃん。

けれど、自分言葉を信じきれないくらい、私は疲れていた。

勝手に声を上げて、勝手疲れただけなのだが。

そう、これは一人のファン作品から離れることを、おおげさに書いた文章だ。

気持ちが離れたことを「公式を動かせないことに疲れた」と言い訳している、身勝手自信過剰自分の力量を見誤ったファンのたわ言だ。

たわ言だ。

絶対に言いたくなかった、たわ言だ。

言いたくなかったけど、吐き出さないとおかしくなりそうだったから、ここに書き殴っている。


私にはずっと好きだった作品がある。

その作品はそろそろn周年を迎える。(nには任意数字を入れてほしい。)

n周年が過ぎた時、私にとってその作品は、

「あの作品面白かったよね」という思い出になってしまうのだろう。


もし、これを目にした人で、私と同じように公式に届け!と動いている人がいたならば。

私はあなた天変地異を起こせることを、強く、強く、願っている。

そして、それと同じくらい、あなたあなたの好きな作品を好きでいることに疲れてほしくないと、強く、強く、強く、願う。

おわり

2020-06-01

anond:20200601224511

エイ干物君がずっと好きだったけど

エイ干物のくせに(確かに足も長いしスリムだけどさ)面食い若い子が好きでデブが嫌いみたいなので

脈なしどころじゃないという

平気で浮気しそうだし、干物からなー。

コロナ自粛中にお腹すいて外出してコロナになったら嫌だから(そういう連想はして震える)

感染とかぜんぜんない地元おせんべいおくったりしたけども



なんで好きな人がいるように思われニャいかんのだ。

いつもいつも胸がでかいというだけで、

ロマンティックな歌詞の曲や映画を好きというだけで

かってにあり得ないような人物にされるのは、みんなそんなにホイホイ恋愛してんの?

私は掛け持ちなんかできるほど集中力ない人間じゃないぞ。

愛は心の仕事なので。

2020-05-27

供養をする

ずっとずっと好きだった

彼にその気持ちを伝えたことはない。

彼にもずっと好きな人がいた。私の友人だ。

何度も話を聞き作り笑いで笑った。

心が狭いから実なってずっと思ってた。

私の醜い願いどおり実ることはなかったけど。

彼は結婚する。友人と別の人と。

結局行動に起こさなければ未来は変わることはない。

どんな人と出会っても君が1番だった

君ほど優しい人はいなかったし君ほどときめく人はいなかった。

ずっとずっと大好きだったから。その背中を見てたから。

『俺、来年結婚する』その言葉笑顔で飲み込むのにはかなり時間がかかってしまった。

彼のことを10年くらいすきだったから。

気持ちを伝えられなかったのは自分の弱さ。

結局つかめなかったのは脈がないと知り、関係にすがる私のずるさ。

諦めきれなかったんだもん。最初から背中しか見えてないのに。

本当に自分が欲しいものは手を伸ばさなければ手に入らない。

彼が私を好きになってくれるような世界奇跡以上のことだったんだから

おめでとう。

彼の結婚に対し心からそう願いたい。

2020-04-11

推しに初めて手紙を書いた

タイトルの通り、先日推しに初めて手紙を書いた。推しバンドをやっていて、初めて生で見た時からずっと好きだった

ライブの後に撮影会とか握手会を割と頻繁にやるバンドからライブを楽しんだ後に直接話して一緒にチェキを撮ったりしていたのだけど、私がコミュ障な上推しを見ると頭が真っ白になってしまうため直接話せる機会があるにも関わらずありきたりなことしか言えなかった。でもコロナの影響でライブは軒並み中止になってしまった。楽しそうに演奏する推しが大好きなのにそれを見ることができない悲しみ。コロナめ!推しが毎晩夢にまで出てくる。次会えたら会いたかったと言ってしまいそうなくらい会いたい。コロナめ!

そんな中推し所属するバンドメンバーがインスタでファンから質問に答えていて、ファンレター送ってもいいですかという質問事務所に送ってくれたら嬉しいみたいなことを返していて、書くか…手紙…となった。

手紙を書くのは本当に苦手。交換ノートとかも自分の番で何ヶ月も止めてたタイプ。そんな私が手紙。もう推し名前を書くだけでドキドキした。でもちゃんと書きたいことはほとんど書けた。投函した後にあーあれ書けば良かったとか思うこと結構あったけど。でも読んでくれたらいいな。

2020-01-31

一発屋じゃないよ

ようつべダラダラみてたら、たまたまappbank動画がでてきて

ミスチル桜井KANと歌ってた。

and I love you

って曲なんだけど、やっぱりKANうまい

からずっと好きだった

久々に東京ライフ聞こうっと。

2019-12-12

5年好きだった女と2年付き合って別れたら、相手が「消費された」と言っている。俺は結婚という制度が憎い。

恋愛感情を持ったことが人生において3回しか無い30歳男性です。

20の頃から5年ほど私はうっすら片思いをしていた女性がいます

ずっと友達付き合いをしていました。

私の友人に彼女が軽くストーカーしていたのもあり、私は彼女と付き合うのは諦めていました。

付き合う1年ぐらい前から恋愛感情は薄くなっていました。

ところが、2年ほど前、ひょんなきっかけなのか、彼女意図があったのかはわかりませんが、向こうから襲われて体の関係になりました。

私としては、ずっと好きだったこともあり、こんなチャンス滅多にないし、付き合うか。。。となったのです。

そもそも私には恋愛感情を持つことが奇跡だとも思えます

2年ほど遠距離で付き合いました。

しかし、私はもともと結婚したくないし、好きな女性と付き合えても結婚したいと思えませんでした。

むこうが「私が都心総合職をやめて、「あなた地方」に地域限定社員として務めることもできるよ」

提案したとき、とうとうこの時が来てしまった、別れなければならないと思いました。

彼女結婚がしたい、子供がほしい。私はしたくない。それで終わりじゃないですか。

付き合う前から、私の結婚に関する考えは言っています

私は彼女幸せを願っています、そしてその幸せ彼女自身価値観によるべきです。

結婚幸せなら、私とこれ以上付き合っているのは彼女にとってマイナスです。

から、私は彼女と別れました。

寂しいけれど、こっちからは連絡も取らないようにしました。

こんなことを書く程度には未練たらたらです。

だけど、彼女は私に「消費された」と周囲にいっているそうです。

なんでそうなんの?

結婚したくなかったら、交際しちゃいけないの?

から、私は結婚したくないって言ってるじゃない。

まだ友人だった頃、あなた結婚相談所に行くことも応援したのに。

(行ったら行ったで、「冴えないおじさんばっかで、いい人がいなかった。結婚はしばらくいい」って言ってたけど)

多分お互い人の話を聞いていないんだろうと思う。

そういうところで、不思議と波長が合っただけかも。

彼女結婚を私に断られて悲しかっただろうけど、私も思いが理解されなくて悲しい。

わかり易い文章を書く能力が失われてしまった。

彼女も私もつまらない大人になってしまった、悲しい。

2019-11-27

コーヒー飲める奴を呪ってる

自分も飲めない訳じゃないし、昔は普通に飲んでたんだけど、近頃はコーヒー飲むと腹が張って苦しくなるので飲めなくなってしまった。高校の頃は苦いのが苦手で、某提督を真似てあんな泥水とか言ってたけど、大学の頃からずっと好きだったのにさ。

ツイッター見ても喫茶店でうまそうなコーヒー画像あげる奴ばっかだしよぉ。まぁコーヒー画像なんか遠慮もしねぇわな。つれえわ

2019-11-25

anond:20191125221736

ずっと好きだった人と再会して、結婚しようとしてるんでしょ。

じゃおめでとう。

2019-10-15

運命とかって多分ないけど、

それでも運命かも〜!!って思っちゃうぐらいには最初からずっとずっと好きだったよ。

初めて目が合ったときに「あ、この人」って思ったこと、一生忘れないよ。

お店の明るさなんてもう覚えてないけど、君のまわりはふんわり明るかったんだよ〜。

はぁ

2019-10-10

最後メッセージ既読がつかなくなってから一ヶ月経った。

関東台風が直撃した次の日、彼が暮らしている県が被害を受けたってニュースで見て送った。

台風大丈夫?って。

一ヶ月ぶりの連絡にしては童貞臭すごかったかないやそもそも一ヶ月連絡取ってないってやばいなとか反省しながら返事を待っても待っても来ない。

そもそもずっと未読。見られてすらいない。

しろブロックされているのかな~一ヶ月経った今でも怖くてブロックされているかどうか確認できていないけれど。

結婚を前提に付き合ってなんて初めて言われたから舞い上がってしまった。

大切にするって言われて信じてしまった。

恋愛経験が少なすぎるせいでなんにも気づけなかった。

みんなのもので有名な凪のお暇のゴンさんの洗面台、もうね、めちゃくちゃ既視感あった。

一人暮らしなのに5本くらい置いてある歯ブラシ

ボトルで違う種類がドンって置いてあるシャンプー

誰彼構わず配っている合鍵

合鍵貰ったときは本当に嬉しかった。合鍵貰うなんて憧れだったし、信用されてるのかなって思ったから。合鍵はさすがに彼女しか持ってないだろうなって思ってた。そんなことなかった。

思えば付き合って1ヶ月後にはインスタのストーリー見れないようにされたしなんならフォロー外されてるし。

でも、未来のことを話されるとさ、この人とずっと一緒にいれるんだろうなって思ってしまって、ずっと好きだった

好きだったというか今も嫌いになれてないし、だからこそこうしてぐだぐだグダグダ書き連ねてる

こうして夜中に彼のことを思い出してうだうだするのも今日でもうおしまいにしたい。さようなら

――――――‐―‐――――――

とここまでメモ帳に打ったのが10月7日

そしておとといと昨日、若手俳優がキャッキャしている姿を観て、今までうじうじしてたのがもうど~~~でもよくなりました。

ミュージカルテニスの王子様3rdシーズンは最高!!!!!!!!!!!!!!

2019-09-21

旦那友達

旦那友達に昔から気になる人がいた。

初めて会ったのは旦那友達同士の飲み会に呼ばれて参加した時だ。

童顔で最初見たときはかなり年下だと思ったが、2歳上だった。

見た目と違って大人っぽい考え方の人で、頭も良くて話も楽しかった。

その後も何かと旦那を通じて一緒に遊ぶことがあり、だんだんその人に惹かれている自分がいて、旦那の手前自分を抑えていた。

ある時、その人が転職するために少し離れたところに引っ越すことになった。それをきっかけにだんだんと疎遠になり、いつしか全く会わなくなった。旦那も連絡が取れないらしく心配していたが、時間が経つとともにその人のことは考えなくなった。

その後、旦那仕事地方単身赴任した時に、その人から連絡があったと旦那から聞いた。結婚していたらしく、新しい仕事家族のことで手一杯だったそうだ。最近落ち着いたのでまた会いたいと言っていたそうだ。

それを聞いて、いてもたってもいられなくなり、旦那からその人から連絡が来たというメールアドレスを教えてもらい、連絡してみた。

すると返事がきた。

直ぐにLine登録をお願いして、何度かやりとりした。職場東京なので家から近いこともあり会う約束をした。

会ってみると、昔よりも少しだけ丸くなった彼がいた。話してみると全然変わってなくて、嬉しかった。

彼に触れたくて、歩きながら少しくっついてみた。彼も寄り添ってきた。手を繋いだ。我慢できなくて、ずっと好きだった会いたかったと言ってしまった。それからはもう止められなかった。

行為をしてから旦那への罪悪感はあったけど、それ以上に気持ちは満たされていた。

それから月に数回彼と会う日が続いている。

2019-09-16

田中圭ずっと好きだったけど、おっさんずラブブレイクしたの気に入らない。

自分が好きになれないドラマブレイクしたって事実が気に入らないんだな。

はるたんとか言ってるファンを見てると泣けてくる。

もうなかったことにしてほしい。

2019-09-14

スーパーノバの君へ

タイトルからし地雷感が半端ない

あいい、ここ増田だし

何年経っても関西弁聞くと、月を見ると、タバコ吸っている人を見ると、バス運転手を見ると反応してしまう。

もしかしてあの人なんじゃないか?と

必ず顔を確認してしまう。勿論あの人の訳じゃないんだけどね。

勿論めちゃくちゃ意識してやってるわけではない、無意識に近い。とりあえず気を紛らわすために色んな出会いの場があるところに行き、沢山の男性と知り合い、その中にはとても素敵な方もいた。交際寸前までいった方も何人かいる。でも、心のどこかで引っかかってしまお断りしてしまった。

再会できる確率なんか低いのに、またいつか会えるんじゃないかってどこかで信じている自分がいる。

一目惚れって何?意味わかんない?第一印象で好きになるって何?ただの面食いじゃん(笑)ってあの人に会うまでずっと思ってた。

あの人は一目惚れだった。一目見た時から言葉では表せない感覚に導かれた。彼に吸い込まれるような、不思議感覚だった。

一目惚れなので名前職業も年齢も何をしている人かも何もかも知らない。なのに、彼に一目惚れしてから早5年近く経つが未だにひっかかっているのである一目惚れ威力はすごい。心臓が口から飛び出そうなくらい、ドキドキして頭が真っ白になって会話するのがままにならなかった。あの感覚

でもいつまでもあの人のことを引きづりながら生きて行くのは違う。仮に再会出来たとしてどうするのか?ずっと好きだったとでも言うのか?そもそも彼は私のことなど覚えていないだろう。仮に覚えてくれていたとしても、彼がどんな人か知っていくうちに冷める可能性もある。だから、早く進みたい。これは一つの思い出と経験だと割り切りたい。そうずっと思ってるのに今も心に残ってる。きっとこれからも残るんだろうと思う。笑顔が本当に眩しくて、聞くと落ち着く声で、思い出す度頑張ろうって元気をもらっていた。勝手に好きになって勝手に元気を貰って気持ち悪いな私。でも一回きりの縁だとしてもこんな気持ちになる人に出会たことにすごく感謝している。一目惚れなんか滅多に経験できることではないと思ってるからありがとうございます

来週から彼に会った場所の近くで働くことになった。私の家から新幹線で3時間かかる場所。だからこそ一つの分岐点なのではないかと思っている。あの地に行くのも5年ぶり。勿論再会など期待していないが5年ぶりの地だからこそ感じる新しい感情があるのではないかと思っている。だから私は新天地新生活頑張ろうと思う。

そんな決意投稿みたいな、ちょっとよくわからない内容になったけど何か見つけられたらいいなと思ってます

2019-07-24

2年間好きだった人が恋人になった

ずっと好きだった人が恋人になった。

馴染みの店員さんで、私はただの常連客で、まあまあ普通にいい関係だったけど、ある日このままの関係で居たら未来自分が後悔すると思って、もうこの関係が崩れても良いやと思って一か八かで連絡先を書いた手紙を渡した。

その日に連絡が来た。

ご飯に誘われた。

3回目のご飯告白された。

人生てこんなことあるんだなって思った。

ずっと好きだった人が私の彼氏になって、苗字さん付けだった呼び方名前ちゃん付けになって、休みの日に会えたり、連絡先も知らなかったのに今はLINEしてみようかなって悩めたりする。

動くと人生って変わるらしい。

何かあるたびに感動して泣きそうで、好きな人に好きだって言ってもらえる喜びに震えている。

私が好きなものを彼は好きだったり、彼の好きなものを私は好きだったり、今のところ運命しか感じない。

見た目も内面も考えてることも全部が好き。まだ手も繋いでいないけど。

これからきっとイライラしたり上手くいかないこともたくさんあるけど、今のこの幸せ気持ちを忘れたくないなと思って書きました。

私は世界一幸せだし、この幸せ自分で行動して掴んだ。

そんな自分も大好き。

ずっとこの気持ちを忘れないでいられますように。

2019-07-01

地方格差に泣くオタク同担を潰す事を公式に勧められている

3年間推してきたアニメの3期がはじまる。

東京地方で2時間放送時差をつけて。

コラボカフェ

コラボカフェ

限定ショップ

コラボカフェ

コラボカフェ

2日間限定コラボ

コラボカフェ

たった3ヶ月の間でこのイベント数、しかも内6つは東京限定

毎週のように東京行きの新幹線に乗り、コラボはしごして地方に帰る。

1週間資金調達の為に働き、そしてまた週末には東京に戻る。

大好きだった推しアニメ奴隷のような生活に心と身体疲弊してくのを感じた。

2期まではDVDBDの2種類揃えて買っていた円盤も、3期は見る前から1種でいいやと思い始めている。

正確には今の状態ではどちらか1種しか買うことができないだろうと思っている。

そんな中で次々と発表される新しいコラボ

食費をグッズ代と交通費に回す計算をしながらTLを覗くと皆口を揃えて「楽しみ」「嬉しい」「ありがとう」と称賛の言葉ばかりがならぶ。

一言不満を漏らそうものなら「アンチ」と言われてしまいそうな空気感に恐怖を感じながら「絶対行く」と義務のようにつぶやいた。

行かないという選択肢は脱落者になってしまうような気がして選択することは出来なかった。

毎週東京へ通うのが辛ければ東京に住めばいいし、この売り方が嫌ならジャンルから降りればいい。

そう頭ではわかっているけれど生活を変える勇気はなく、気持ちを割り切ることも出来ない。

3年間ずっと好きだったもの作品とは違う所で嫌いになってしまいそうで、好きだからこそ辛いと感じている。

いっそ嫌いになれればと思うけれどキャラクターたちはやっぱり魅力的で、作品への気持ちは変わらない。

そう思いながら「東京へ引っ越す選択をしないのはジャンルへの忠誠心よりも自分人生の方が大切なんだね」という冷めた自分もいる。

もうひとつ作品とは違う所で嫌いになりそうなのが公式が行っている「キャラクター誕生日ツイート投稿させて公式ファンに優劣をつける」という企画

公式に選ばれた3人のオタクがこのキャラのTOですと見せつけられる地獄のような企画で、最初企画を見た時は絶対に荒れると思った。

ところが初回開催から2ヶ月たった今でも担降りする人や発狂した人は見かけていない。

人知れず消えているのかもしれないが、何日もかけて用意をして、自信作を投稿した上での敗北。私なら発狂する。

どうしてファン同士で潰し合いをさせるのか、悲しくて仕方がない。

でもそれが公式のやり方ならば全力で同担と戦うし、どんな手を使っても勝ちたい。

地域イベント東京オタクに勝つことはできないけど、ウェブ上のコンテンツでなら同じ土俵に立てるから

私の推し誕生日はまだ先だけれどその日に自分推し担としての人生が決まるような気がして、ずっと怯えている。

2019-06-14

結局女も跡部様に「おもしろい女だぜ、気に入った」と言われたら喜ぶくせに

男が架空の妹に「お兄ちゃん大好き」とか架空の幼馴染に「ずっと好きだったの」って言われることを快く思わないんだぜ

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