はてなキーワード: 脚本とは
誰か知らない人もいるだろうけどコナンのベイカー街の亡霊の脚本家といえば良いだろうか。
あれもまぁまぁ原作と違う部分があって結構な叩かれ方したんだが、でも作品自体は評価があった。
彼は自死している。
ここで詳しくは本人のWikipediaへ誘導するのが適切だと思うのだが、シナリオ作家協会で出す月刊誌で告発がなされたことがある。
>重政隆文による人物考
以下を読んで貰えればと思う。
>「自分の描きたいことを描いた脚本が他人によってズタズタにされた例と、まったく関与していない人物が脚本に名を連ねる例。その二つの例をともに経験した脚本家が野沢尚だ」
詳細がページに記載されている。
「原作者」としての脚本家の立場について昔から何も変わっていないことがわかるだろう。彼がどれだけ戦い続けたかも大体だが想像できる。
それに今の若い人は2000年代以前に活躍した人がネットの誹謗中傷に悩んだことを想像できていないのかもしれないが、この頃から起きているのに依然苦しみは繰り返されていることも分かる。
今回、芦原妃名子氏の場合は自らの説明があったからこそ世間に騒がれるものになったが、映像業界はどれだけの創造者の心を蝕んでいるのか。
黒沢も8割くらいはマトモな事を言ってるし、なんなら途中から口数増えた人(名前忘れた)がアタオカ率一番高い。
黒沢は1人だけ女声で目立つのと、司会とパーソナリティを兼任してる都合で他の人がマトモな事を言ってるタイミングでアタオカな横槍を入れる形になって悪目立ちしてる。
全体の論旨としては、普通は製作会議で決まった方針に従って脚本を書くしそのときの翻案の許容度は作家や作品ごとに違う、今回は改変一切不可という約束があるという特殊事例だ、という、まぁ正当な話がベースになっていて、これが6割くらいのマトモさ。
出演者全員共通のアタオカポイントとして、最初の1〜2話だけならまだしもリライト食らいまくった後も翻案度を落とさなかった当該脚本家の異常性を無視していることがある。
あまりに憂鬱な話題ばかりなので成功事例をいくつか。最近の作品はあまり観てないので、全体に古いのは許して。最近の作品・小説原作・海外版とかは誰かにお任せ!
初回試写を観た藤子Fに、声に自信のなかった大山のぶ代が恐る恐る感想を訊いたら「ドラえもんってああいう声だったんですねぇ」と褒められたエピソードは有名。
もとひら了と芝山努監督の力量もあり、後期に絶妙なキャラ弄りや捻りを加えたオリジナルエピソードを連発した丸尾みほの脚本も最高。のび太の担任教師にフォーカスを当てた回まであった。
現在放送中の第2作第2期(わさドラ)はキャラを原作に過剰に寄せた作画、特にキャラの表情が個人的にはあざとく見えるが、声も含め原作や大山ドラへのリスペクトを感じるので、これは好みの問題。
なお、1973年に日本テレビ(日テレ)で放送された第1作については、藤子F(当時は藤本弘名義)が厳しく苦言を呈している。
アニメ化に使われた原作は〝てんコミ〟版全3巻が底本。実際には全40話ほど描かれていたが、アニメ放映時代にそれらは発掘されておらず、版元の小学館も把握してなかった。学年誌掲載の漫画原稿は雑に扱われる傾向にある。
長寿番組になったが、殆どがアニメオリジナルエピソード。多くの脚本家が手掛けたが、メインで書いてたのは、TVアニメ版サザエさんでの暴走が有名な雪室俊一。2ちゃん等では〝スノールーム〟と渾名が付けられるほど。
しかしファンの不安は杞憂に終わる。藤子Fもお気に入りで毎週楽しみに観ていた、というファンの間では有名な逸話もある。
〈TVアニメ(劇場版は割愛)/1986-1988/フジテレビ〉
初期は、高橋留美子の原作を丁寧に補完することに徹した。中期以降は原作にあった際どいネタを、アニメの方が自粛したこともあったが高橋は納得の上で快諾。
地上波ゴールデンタイムのアニメで「オナペット」という単語が使われたのは本作が最初で最後だろう(空飛ぶ飛行機の音を被せて聴こえにくくしてたが)。
脚本は3人がシーズンごとに交代。特に中期以降を脚色した回を量産した伊藤和典と高屋敷英夫の手腕が見事。伊藤は有名なので割愛するが、高屋敷も実力派。作品を検索すれば納得する筈。
ドラマ化に際し、原作・久住昌之が出した唯一の条件「音楽を担当させてくれ、そしてJASRACには登録しない」をテレ東が守った。
五郎役が発表され、原作ファンは不安しかなかったが蓋を開けたら……後は皆さんご存じの通り。
〈実写TVドラマ/2019、実写TVドラマS2/2023/テレビ東京〉
〈実写劇場版/2023/東宝(制作スタッフはTVシリーズと同じ)〉
個人的には、ここ数年で最も実写化に成功したレアケースだと思う。最近の作品なので詳細は割愛。
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【追記。長文失礼!】
仕事で生活リズム崩れ中、寝る前にフワッと書いたのが起きたら伸びててビビった。炎上というのは、これに付いたブコメのような「他者から集まる意見」ほぼ全てが憎悪ってことだよね。そりゃ怖いわ。
だけど便乗というより、原作レ◯プ・クラッシャーの類例がここぞとばかり過去の怨恨と共に山ほど噴出してるので、せめて評判が良かった作品を思い出し、澱んだ気分に支配されぬようにと思ったのよ。
何だお前のオナニーかよ。そうかもね。それならほとんどの増田もブコメもSNSもオナ。
オリジナルも二次創作もオマージュも、それこそ映像化の監督脚本や役者による改変や解釈さえオナ要素はある。某漫画家が『シン・仮面ライダー』を「予算が潤沢な同人誌」と評してたけど、的を射てると思う。
定義ガバガバ、数が少なすぎ!ってのは自覚してる。個々の説明書いてたら眠くなっちゃったのよw
俺が藤子Fの原作・アニメ共に一番好きな『エスパー魔美』も入ってないし。実写ドラマは微妙だったけど。
成功の定義は、送り手も受け手も人それぞれ。視聴率や興行収入・作画や役者の評価・原作ファンからしても良改変という判断……。だからタイトルを
【〜成功した(とされる)〜】
という曖昧な書き方にした。それでもなお主観からは逃れられない。ドキュメンタリーと同じ。しかも今回はパッと思い付いただけの範囲。年代表記だけは調べたけど、あとは記憶で書いた。
「ドラマ面白かった!→原作読んでみよう→あれ何か違う?でも面白いな」
というケースもあるかもしれない。
コメに色んな意見や作品が溢れてて勉強になる。前述「魔美」みたいに、それ入れるの忘れてた!何で思い出せなかったんだよ俺!ってのも多く出てる。
何にせよ、一からオリジナルを作った原作者ってのは本当に凄いと改めて思ったよ。
書きたいことはまだあるけど、長くなるので一旦〆る。コメくれた皆、ありがとうね。
【追記ここまで】
世間もブクマも「原作改変はどこまで許されるか」みたいな話ばっかしてるけど、
そんなん、ケースバイケースに決まってるじゃん。
マンガは絵。小説は文章。アニメは絵の動画。ドラマや映画は実写の動画。
それぞれに特性が違うんだから、同じ物語でも伝え方はまったく異なるでしょ。
原作を尊重した結果、原作とは表現が違ってしまうことだってあるでしょ。
原作にはないセリフをドラマでは追加したほうがいいケースとか。
逆に、原作にあるセリフでもドラマでは削ったほうがより効果的だとか。
上手に原作が翻案された作品なら、そんな違いにはむしろ誰も気づかないよね。両者を見比べたら実は色々と違うところだらけなのに、「原作のまんまだった!」っていう印象を与えられたら、それこそが最高のドラマ化だよね。
そういった原作に寄り添う作品作りとはまた別に、あえて原作とは違うベクトルに持っていくアプローチもあるよね。
マニアックな原作からコアとなるアイデアだけをいただいて、もっとテレビ的な普遍性を持たせる、とか。
原作掲載誌の読者層とテレビドラマの視聴者層は一致するとは限らないから、アレンジする。
もちろん原作者の了解あってこそのアプローチであって、原作者の了解もなくファンの思い入れを踏みにじるようなアレンジをすれば当然炎上する。
でも上手にやればドラマが原作の人気を超える作品になることだってあるでしょう。
おおまかな設定だけを原作からいただいて脚本はドラマオリジナルって作品、いくつもありますよね。「おみやさん」とか。
つまり、どっちもアリなんですよ。
原作オリエンテッドだろうがなかろうが、作ろうと思えばどっちでもみんなが満足するいい作品は作れる。
そのために共通しているのは「上手にやる」こと。
原作者とのコンセンサスを得ないままどっちつかずのスタンスでドラマを作ろうとするとトラブルになる。
そういうところにもっと目を向けましょうよ。
当たり前です。
例えば映像制作の場合、クオリティに責任を持つのは監督とプロデューサー(以下P)です。
純粋な製作面から見るのが監督、制作的な観点で見るのがPです。
Pは参集している役者のマネージャーやその他ステークホルダーから〇〇はNGとか、AよりBの露出があってはいけない等の調整をします。
この両者(もしくは代理人)は当然現場にいて、撮ったそばからこれはOK、これはリテイクと判断を下していきます。
撮影が終わって編集になっても基本そうですし、広告を作る段になっても広報とPでその場でOK出しをします。
最終的に成果物が出来上がって納入です。以上終わり。
もし原作者が仲間であろうとするなら、まずこのスキームに組み込まれる必要があります。
実際企業としてのライセンサー、著作権代理人はこの現場にエージェントを派遣し、都度OK出しをします。
(余談だけどワンピースのルフィーが言ってないセリフを田中真弓に喋らせてしまった事件もありましたね)
全部出来上がってから「ここはダメですね~~」とかやる人はいませんし、このご時世一発で予算ショートして打ち切りまであります。
だから大抵の個人著作権者の契約では「全委任」か「契約を結ばない」の二択を選択することになります。
本当に原作に準拠した二次創作を制作したいのであれば、原作者もしくは代理人を制作スキームに組み込む必要があります。
そうした座組を作った上で初めて仲間、チームの一員と認識されます。
同じクリエイティブに携わる、同じクオリティを追求するチームの一員です。
もちろん、日テレや脚本家のインスタでの発言が良くなかったことはわかる。
でも現状の、憶測だけが巡り巡って"脚本家"と"ドラマ製作陣"という大きな『敵』に正義感を持った人たちが強い言葉で攻撃しているのは、見るのがつらい。
「脳に欠陥がある」「尊重する意思がないイカれた集団」「原作がなけりゃなにも書けない」「おかしいやつしかいない」「コソ泥と同じ」
そんなに言わなくていいじゃないか。
大きな方向性を持った炎が、色んな人々の攻撃性を追い風にして、今なお大きくなり続けている。もう何を言っても焼け石に水で、あとは燃え尽きるのを待つしかない。
もし、ぼくがこれから脚本家になれたとして、これらの強い言葉に、正義感の炎に対して自分自身を守れるのかがわからない。 脚本に対して真摯に向き合うしかないんだろうけど、それでも自分に火の粉が降り懸からないとは限らない。
今は10代だけど、いづれ若者じゃなくなる。脚本家という仕事を志すかに対して、迷ってる
気が滅入っちゃって、ゴミ箱に投げるくらいの気持ちで書きなぐったけど、やっぱり酷いこと言われるねw見る専だったから初めての経験。
担当編集者は口を酸っぱくして「アニメは二次創作!アニメは二次創作!コミカライズも二次創作だからな!」というのを口を酸っぱくして言っていた。
・キャラデザチェック
・脚本チェック
・色関係のチェック
・アーティストのチェック
・コンテチェック
・アフレコチェック(あと、1回だけ効果音やBGMつけるところにも参加した)
・グッズチェック(見本が大量に送り付けられてきてウザい)
・描き下ろし各種
自作品がアニメになることで純増したのはこの辺の仕事。作家さんによってはもっと色々チェックしている人もいるだろうし、逆に俺はそこまで見させてもらってないけど?って人もいるだろうけど。
ちなみに勿論無給。(それに対して文句を言っているわけではないし、報酬を渡されても困る)
担当氏はアニメ化作品をいくつも手掛けている人間で、「普通作家さんにはここまでお見せしないのですが先生だけ特別」とかなんとか言ってすごいチェック物を送りつけてきつつも、
「そんなもん俺わかんねえよ」みたいなところは「まあここはお任せってことでいいですよね」で気持ちよくスルーさせてくれた。
てか、コンテとかキャラデザとか脚本とか見せられてもわからないんだよね。オープニングとかエンディングの歌手も言われても正直わからない。
「今をときめく歌手」じゃなくて「業界内で次にくるとされている歌手」を起用されたし。(ちなみにその後本当に有名アニソン歌手になった)
アフレコで、「このキャラってこういう演技でいいですか?」って言われても全然わからん。担当氏はバリバリ演技指導しててすげえなって思った。
勿論チェックで、「ここはこうで」とか「これはイメージと違います」ってのは伝えさせてもらったけど、実のところ、それで完成品のクオリティが上がったのかはよくわかっていない。
俺はアニメ脚本のプロじゃないし、映像のプロじゃないし、デザインのプロじゃないからだ。
作画関係、神作画になってほしいなーって言ったけど、担当氏はそれはうちでコントロール効くところじゃないから無理と一刀両断だった。
話に関してはバレるからあんま言いたくないけど、オリジナル展開も結構挿入され、それがかなり好評だったので地味に凹んだ。担当氏は「そんなもんだよ!」みたいな感じで笑ってたけどね!
とにかくメディアミックスはみんなが思っているより大変で、地道なもので、どの領域にどの程度口を出せばどういう修正になって、どういう完成品になるのかまるで想像がつかない。
お互いがお互いを尊重するといえば聞こえはいいが、それはお互いの仕事の妨害に直接的につながっていく。だからこっちも発言は配慮したし、向こうも投げてくるものは配慮がある。
「原作者に荒神みたいになられても困るんだよね。祈るしかないから」とは担当氏の言だが。
原作通りにという思いはみんなあるだろうけど、その負担が作家や出版社側にいかないような形にして欲しいね。
あと、第三者委員会に監修を委託とかは大反対。登場人物を増やして調整を増やすことに意義があるとは思えない。
上にも書いたようにただでさえ調整の仕事多いんだよ。でもこれを第三者に委任する気にはなれない微妙な原作者心もわかってくれ。担当氏ならいいけど、第三者は嫌だ。
まあ、俺はあと3作品、5作品とアニメになるような作品を作る気でいるし、いつか自分が満足するものに当たればいいやという気持ちでいるので、その節は皆様よろしくお願いします。
(追記)
音響監督が担当氏と俺にキャラクターの演技がイメージに合ってるか聞いてくる。
誤解を招き申し訳ない。
(追記2)
契約書、読むのがめんどくさいんだよな。
AIに書き起こさせて、途中まで手を入れましたが面倒になったのでひとまずここで公開。
こんばんは、脚本家たちの深夜密談です。今週はちょっと先週からの予告を変更しまして、急遽セクシー田中さんのお話をしたいと思っております。言いますのもですね、やっぱり「脚本家の深夜密談」ということで脚本家の名前を貸している以上、ちょっと脚本家の立場からこの話をして、ご理解していただきたいところもあるなというところから、はい、急遽決めました。なかなか勇気のある決断だったので、私達だけでは心もとないので、40年にわたってテレビドラマで活躍されている伴一彦さんに急遽ゲストとして来ていただきました。伴さん、よろしくお願いいたします
よろしくお願いします。伴さんのお話をお伺いする前に、一応ちょっとここまでの経緯を簡単にお伝えしますと、まずこの件の発端というのが12月の24日に脚本家の方が、そして今月の26日に原作者である芦原妃名子さんが、それぞれなぜセクシー田中さんの9話と10話を原作者である芦原さんが書くに至ったのかという、経緯をSNSに投稿されるんですよね。
それを受けて、ニュース、Webニュースなどでも取り上げられたり、X上、SNS上で大炎上し始めるんです。当初はもう9割がた脚本家を責めるようなツイートが多くて、「原作クラッシャーだ」などとひどい攻撃が上がっておりまして、28日、昨日ですね、になって、原作者の方が「攻撃したかったわけではなくて、ごめんなさい」というツイートを残してアカウントを消されてるんですよね。その段階で、私自身も伴さんに「ちょっとお話したいんだ」とお願いしてはいたんですけれど、やはり当事者の方がもう触れて欲しくないのかなというツイート、アカウント消されてるってことは火消しにしたいのかなというので触れない方がいいのかなと、考えたりもしていたんですけれど、今日になって、芦原さんがお亡くなりになったというニュースが届きまして、やはりここはちゃんと取り上げて、脚本家のドラマに関してですよね。この件に関して私達は当事者ではなくて、あくまでも報道やSNS上、ご自身たちの発信で知ったことが全てですので、憶測で物も言いたくないですし、業界関係者から新たな情報を、確信もなく確認することもなく、手に入れてお話しするつもりもありません。あくまでも今わかってる事実に基づいて、ドラマ作りなど、あるいは脚色の仕方など、どんなことをキャッチし、脚本家がしてどんなトラブル、これまで起こったのかなどをお伝えできればなと思っております。はい。ということなんですけれど、伴さんもこれまでの経緯をかなり、こう、何て言うのですか、チェックされたりされているかと思うんですけれど、
はい。
いかがですか。
いや、僕もツイート、X、ポストか、したんですけど、やっぱり両方、原作者と脚本家両方がお互いの意向というか意思を知らないで、進んでしまってるのが一番の懸念かなと思ったんですよね。
うんうん。
そうなんですか。
そうですね、お友達になって飲みに行ってっていうかパターンの方が多いんですよね。
ええ、ええ
そのとき、もう、いや、だから、別に責めるっていうか、まぁ番組って、だから、脚本家が自由に書けるわけじゃないじゃないですか
はい。
監督が勝手に言っとるわけで、やっぱりプロデューサーが全ての責任を負うんですよね。この番組の方向性だとか、そういう本にするとか、誰に書かせるとか、そういうのは全部、あのうそこ、プロデューサーの仕事なので、僕の見えないところで、原作者と、いろんな交渉をして、ドラマ、バリューチェーン繋げてくれたんだなとは、今振り返って思うんですよね。
つまり、トラブルがなくすのが、プロデューサーの仕事というふうに思ってるんで。ただ、原作者の意図とかわからないときに「話し合いをしたい」とこっちが言ってるけれども、やっぱ間に入る編集の人とか、プロデューサーが「そこは会わせない方がいい」と思ったのか、お互いに忖度してくれてるのか、合わずに、あの、話が進んじゃう。で、最後に、何か打ち上げか何かでお会いしたときにはもう、記者会記者発表のときか、お会いしたときにはもう「面白かったです」って言ってくれたりみたいなことがあったんで、もっと早く…多忙な作家さんだったんで、うん、逢う時間がなかったのかもしれないけれども、何かあったらやっぱり直接会って話すというのが、一番誤解も解けるし、やりたいことも再確認できるし、いいんじゃないかなと思いますね。
そうですよね。私も、まぁ、テレビに限らず映画なんかでもそうなんですけど、やっぱり、私の感覚からすると、やっぱり脚本家と原作者って、やっぱり作家同士ですのでね、性質上どうしたって対立したりってする、しがちっていうか、私は当然だとは思ったりするところもあるんですよね。
ただ、そんなになんだろう、トラブルになる、トラブルが全くなかったってわけではなく、やっぱりこちらで書いたものを、原作者の方からこういう要請が来ましたみたいなことは結構ありますし、そこで意見がぶつかって、はい、まあね、「ちょっとうちで話しましょう」みたいな呼びつけられて、「なんかあなたって本当に私の原作のこと全然わかってないよね」みたいなことを言われてたこともありましたけど、ただ、やっぱり基本的に直接脚本家が原作者の方と会うってなかなかないですよね。それは、やっぱり、ですよね、だからそんなの「会わせたら、何かお互い何か対立するに違いない」みたいなこともあったり、プロデューサーが間に入り調節した結果、だから原作者の要望も十聴くのではなく、五聴くことにして、五は原作者の方に納得していただいて、持ち帰った五だけはこちらが説得されて直すとか、なんかそういうことで仕事をしてきた経験があるので、やっぱりTwitter上、X上でね、なんか「脚本家が原作を全部変えている」みたいな発言を見ると、とっても心が痛んだんですよね。
伴さん、経験上、ご自身、勝手に「もうこのキャラクターこっちに変更しますから」って言って通るってどれぐらいの確率であります?
いや、僕の声結構そういう意味じゃ、原作から変えてることが多いんですけど、例えばツイッターにも書きましたけど、クリスチャンとかも原則を歴史小説家なんですけれども、それもやめて探偵事務所にしてジョシュ担当の上司がいるんですけど、それも原作だと女性だけのお2人の男女にして、あともう1人、子供も加わってみたいなこともあるんで、ほとんどもう原作のエピソードも使ってないんですよね。
なるほどなるほどはい。でもそれに関しては寺沢さんって原作者の方からは何もなくそうですか。そのプロデューサーが止めてたのかどうかもわからないんですけれどもうん、うん最後のスタジオ収録の日、最終回のスタジオ収録のときにいらっしゃって、ホテルとかですって僕はちょっとドキドキしてたんですけれども、本当にご紹介あったみたいでいただいて、それから結構一緒に飲みに行くようになって、うん。
エースの悪口を言ったりとか、みたいな部分までだし、後で頑固も、もう、うん。原作はほとんど使ってないし、多分ちょっとだいぶ忘れてましたけどええ。昨日、犬がパートナーっていうのも、こっちで作ったやつだと思うんですよね。
ええ。国際の森本と書かれると森本翔子さんっていう方が原作者なんですけれども。はい。そう、何回目か、進んだときに、スタッフルームに手書きの漫画付きのFAXをいただいてそれがほ参りましたみたいな、多分本当に面白いこういう番号を書きたかったみたいな言葉で書かれてたんですよ。
なるほどねそのお2人の原作2入るときにですよその仕事を受ける段階でプロデューサーから原作ってどれくらい変えていいですよみたいな説明ってありました。いやあ、僕になかったと思いますなるほど。それいや、ちょっとこの、これをやるんだったらあれだ、うんをしたいとかね、運行しましょうみたいなのを企画会議でやって、うん大体そ、そこでまとまっただったと思いますよ。
やっぱりそれは企画会議っていうプロデューサーさんとの会議を経て、何か決定することで、強ねそれでその企画会議でややこれは原作通りに行ってやってくださいって言われたときに、晩餐です。あったとしてもなかなかるものではないんですよね。
原則通りにやれっていうことですか。ママ会会議場を、つまり晩餐1人の力で変えられるものなのかなっていう、それはもちろん、同意がないとできないです。できないですよねっていう僕がやるときは大体、プロデューサーと一緒に訪問することにしててはいはいええ。
監督後から入ってくる先生も出来上がったもので、うん、うん。ただ眼光の場合はもう現場のありもすごい面白い監督があって現場で思いついたことを入れてたりとかねやったんですけどそれを僕のシナリオからはみ出してない、原作からははみ出してると思ったんですけれども。
うんそれも面白がってくれてたんですよね。ですよね原作者の方の中には、やっぱり何か2種類いるなと思っていて。うん。もうね、原作は原作映像化は映像から全く別物なので、もう50にどうぞ出来上がりを楽しみにしていますっていうタイプの原作者さんも少なからず、いらっしゃるっていうそういうタイプの、多分今のね2ケースの場合は、バケツの場合は、多分そういう原作さんはファンだったのかなっていう気もするんですけど、その一方で、特に初めて書いた本ですとか、小説ですっていう作者さんに多いのが、やっぱり自分にとってすごくこだわりがあるので、はい。
原作はなるべく変えてもらいたくないですっていうような大きいケースもありますよね以前、前々回かな。陳亜美さんでもちょっと話題に出たやわらかい生活のね、はい車や作者さんも本当に思い出のある小説なのでっていうことでちょっと裁判になってしまったりとか、うんやわらかい生活でしたっけ、やわらかい生活ですねはいっていうのもあったりですねお父さんこんばんは。
もうアンさんのポストも拝見してます。ゆはい、拝見してましたってことでした。はい人偏に半分の判断でよろしくですそうです。はい。3社になってますねこれ細谷さん違います違います。それさんではないです。別な方失礼しました。
患者さんの知らないファンの方もいらっしゃるということで、はい、はい、うんそういうはい。いや、僕東野圭吾さんってどっちタイプなんですか。私は東野さんやったことないのでよくわからないただ作家の方でも作品るケースも結構あるんですよね。
この作品だったら自由にやってください。でもこれはっていうのがあって、だから私の場合はもう原作で企画ができた段階で、原作者の方ってどれくらい変えていい方だなんですかっていうのをまず聞くようにしてますねっていうぐらい、ちょっと最近はやはりこだわられる方が増えてるのかなっていう、以前よりも感覚としてこうっていう感じは、今月は東野圭吾さんが担当相を取った放課後っていうのを着色してるんですよ。
はいはいはい。ドスパラ部木曜ドラマストレートだったかな、うん、うん、それは高校が舞台のやつだったんで、もうちょっと青春寄りな精神者っぽいノリで書いたんですけど、それに関しても東野さんと会ってもいないし、何か意見を聞いたこともないんですよねそうなんですよねただやはり今回の場合、すごく実は特殊なケースだったんだなって後からわかったのがもうそのドラマー化を許可する段階の条件として、原則通りにやってくださいよという条件が出されていたっていうのが、うん。
ちょっと今回の場合、かなり特異なケースだなとは感じたんですよねただ、それを受けてしまったというか伴さん可能ですかと思うんですよね映像化するにあたって、原作まんまみたいな。上着を持ったまんまっていうのがあっても、媒体が違うわけだから、絶対ね同じものには何年か同じものにはならないですね。
なんですけれどやっぱりそれどこまでならないですよ。だけどできる限り、うん、もう原作を生かす方向でいきますみたいな説明がなされたのかとか、うん。やっぱりそのあたりがまずどうだったのかっていうことと、あとその点をどれだけ脚本家に伝えていたのかっていうこの2点がわからないので、いや、脚本家にすすめるとそれは全く伝わってない感じですもんねそうですそれはそうそう丸山を正木さんが書かれてるけれども、これだから約束事の問題ですよね。
何か緑色に悪いとかじゃなくて、そこがちゃんと伝わってない、両方が持ってることが違うっていう違ってたっていうことですかね。こういうのって普通の契約書みたいなのって交わすんですか。特に多分返してると思うんですけど、僕は1回も原作者と局が交わした契約書を見たことはないです。
脚本家が見れるものではないんですね。そうですねどういう約束しましたかみたいなことを聞くことは可能かと思うんですけど、僕は聞いたことはなくて、そういう質問したこともないんですけど、ただ、七瀬再び行って、筒井康隆さんの原作のやつをNHKでやったことがあるんですけど、そのときにはもう、プロデューサーが、筒井さんに、こういうふうに変えたい。
なぜならこういう理由ねみたいなことを、もう愛を込めた文章でメールを送られて、たところから始まったみたいですね。だからヘンリーっていう円だったかな、黒人が出てくるんですけれども、ちょっと時代的にも今の時代はちょっと黒人が上位に出てくるタイミングでみたいな、うん能力の話ですけど、それはちょっとまずいかなっていうものもあって、日本人に変えたんだけどね。
うん。ヘンリーというそれそれもこういう理由でみたいなこと言って、多分テレビかOKしてくれたと思うんですよ。手続きの場合は、もう本当にあの台本隅から隅まであって、原作者チェック以上に、ここはこのセリフは繋がってるかみたいなことまで毎回、メールをいただいてそれをプロデューサーが僕に直接見せてくれたんですよね。
そういうの直したまんま直したかちょっと忘れましたけれどもそういうやり取りをやりますよって言って始まる前にちょっと原宿のおうちにも挨拶というか、説明に行ったこともありますけどねうん。いやだけど、なんかお母さんの今のお話を聞いて何となく問題点がわかってきたなってちょっと感じたのがですね、とある原作者の方がすごくドラマ化にあたって揉めている最中にその原作者の方と会ってお話する機会があったんですよ私は関わりがなかったんですけど、うん。
そしたらその原作者が言うには、別に変えてくれてもいいんだけど、変えるなら変えるなりの理由を説明してもらいたいんだよっていう、そういうあたりをふわっとしたまま帰られても納得いくわけないじゃないですかってその方おっしゃってて、うん。
全くその通りだなと思ったんですよね。うん。こっちだってね他の方の原作を変えるには、変えた方がいいって確信がなかったら安易に変えてるわけじゃないじゃないですか。うん。それをどれだけね、お伝えして納得していただけるかっていうのはやっぱり丁寧なプロセスだし時間が必要なんだと思うんですよ。
うん。だけど、やっぱり最近のテレビドラマの撮影のスケジュールとか制作のスケジュールを見ると、うん多いスケジュールを取る余裕さえないような状況で作られてる場合って多いかなと思うんで、なんかねでも、そこは時間かけるべきところですよね。
本当そう思いますね。だってそこに時間かけなかったら、原作者にも意図が伝わらないし、虚構化にもう、なんですか、原則省の意図が伝わらないから、結局齟齬は発生してそのままずっといっちゃいますよねそうなんですよ。
だから不信感だけが募ってってくることなのかなってちょっとコメントいただいてるので、6木村さん、芦原さんが最後にはご自身で脚本を書かれていますが、前はご自身で脚本を書く話はなかったのかなと思いました。いやそれは多分ご自身も何か出ているニュースを読む限りは、本当は書きたいを書きたくて書いたわけではなかったという。
うん、うんね。推測はしないというは言いましたけど、多分最初の約束として提示されていたんですって。これは憶測じゃなく事実として出てるんですけれど、完結していないから、ドラマの完結する和に関しては自分のストーリーを使ってほしいセリフもそのまま書いてくださいという条件を出していたんですって、許諾のときにただその最中ですごく過失が多くて、時間的なことも考えて自分で書いた方がいいんじゃないかって決断されたんだろうと思うんですよね。
だからやはり脚本は脚本家で最初のうちきちんと任されていたんだろうと思います。そんなに何かね、無効な要求をされていたわけでもないし、ただやはり、なんていうんでしょうね。芦原さんには芦原さんのファンもいらっしゃるし、その脚本家さんには脚本家さんのファンもいるわけで、そのファンの方々がそれぞれね自分のが好きな脚本家さん、あるいは原作者さんに期待するものが多いし、その期待に応えたいと思うのってやっぱりそれはねお2人とも当然じゃないですか。
だからああいう説明に至ったんだろうと思うんですよねそれぞれのファンの方はそれ読んで納得すればそれで済むことだったのに、そうじゃない人たちなんかあまりにも攻めすぎなんじゃないのっていうのはちょっと感じましたね。
まあね芦田さんの最後のDとかツイートっていうか、そこがね、攻撃したかったわけじゃなくてってそうそうそうなんですよ。だからやっぱりね、うん。すいません、このプランだから、あの脚本家の方に非難が集中してるけれども、原則車に避難っていうのはな、ほとんど僕見たことがないんですけどそれ、それなのに、原作者がこういうことを書くっていうのはやっぱりSNSへの誹謗中傷に心を射止められたのかなと思っちゃいますけどね省察なんですその辺りはねあれなんですけれど、そうなんです。
なんでしょうねやっぱりここ最近、本当に私自身がもう行けない風潮だなって、やめてもらいたいなと思ってるのがすぐに対立構造で物を語りたがるっていうだからこれだって別にね、そこまで本課さんと原作者さんが直接的に2人で対立したりしていた話ではなかったように思うんですよ。
ブラックジャックによろしくの作者、海猿の作者のエントリーがバズってるけど、
実際、舞台俳優なんかは演出家(脚本家)に奴隷のように扱われるのがこれまでのスタンダードだったじゃん??
良し悪しは別としてね。
役者なんてのは、監督や脚本家は愚か、照明だのカメラマンだの、メイクさんだのの、その辺の下っ端スタッフよりも下の位置付けだろ。
実際、人気俳優はそういう立場にはならずに、立場逆転してる事はよくあるけど。
まぁ、一番の底辺よ。
一番の底辺が神とも言うべき原作者を邪魔者扱いしても、なんだかんだ許す雰囲気なのが、
マジで、はてなの連中って自分の好きなものは許して、嫌いなものは嫌いだから叩く、そんなマスゴミ的なクズ集団なんだなぁ、と思った。
祝アニメ化!森見登美彦×上田誠が語る『四畳半神話大系』と京都【前編】
https://hatenanews.com/articles/201004/1089
読みどころ:
「森見さんが覚えていないんです」
これに関して、けっこうみんな「契約」っていう言葉を使ってるけど、たぶん契約書では明文化してないよね。
原作改変禁止をガチガチに契約書で縛っていたのならああはならなかったと思う。
契約書は契約締結後に押し問答する余地をなくすためのもの。なのでこういう時はこう、ああいう時はこう、と微に入り細を穿って条項を埋めておく。
でもこの件は劈頭から「これじゃ約束が違うじゃないか!」を何往復もやってるので、どうせ口約束だったんでしょう。
「許諾を得るために口約束でうまいことを言っておいて、後からそれを反故にする」なんて、いかにもテレビ業界の人がやりそうなことじゃない?
そうでもなきゃ、約束とは全然違う改変脚本を何度も何度も原作側に見せたりしないでしょ。
契約書ではそのへんをフワッとさせておいて、あとは寝技で改変する気まんまんだったんですよ、テレビ側は。口八丁で改変を押し切れるとナメていた。しつこく改変脚本を見せて、なだめすかしたり脅したりすれば原作側も折れるだろう(そうやって折ってきた)と。脚本家もこの方針に沿って改変脚本を書くように指示されていたのでしょう。
これが訴訟にでもなれば、契約書になっていない口約束であっても証拠があれば契約と見做されるので、最終的にはテレビ側が折れるしかない。
んー、今暴れ回ってるのって原作厨なの?
暴れ回る理由ができたからなんでも批判していいと思ってる層の話でしょ。
ハイエナみたいに日テレを叩けるぞーと群がるメディアもいる訳で。
脚本の通りにしない演出家も監督もいるしセリフを変える役者だっている訳だから、張りついて噛み付くことにはしばらくは困らないよね。
一度も愛されたことのなさそうな奴らが愛がどうのの映画をみてるとかいう煽りは沸くのに、「脚本どころかまともな文章もろくにかけねえくせに例の件で脚本家擁護してるんだな」とかいう煽りはわかないね。
CG屋でありMV監督などをメインに行っていた曽利文彦が監督を、宮藤官九郎が脚本を務めた。
監督、脚本の外連味溢れる演出、窪塚、中村獅童らの怪演が松本大洋の大仰な作風の再現に一役買っている。
5巻分を2時間の映画に収めるために設定や展開に一部変更があるが、漫画の実写化の成功例に挙げられることが多い。
「ハゲタカ」などの大友啓史が監督、香港でドニー・イェンの盟友として鳴らした谷垣健治がアクション監督を務める。
脚本部、コスプレ感、牙突に難を抱えながらも、香港映画さながらのアクションシーンが高く評価された。
GANTZやアイアムアヒーローの佐藤信介が監督、1年にわたる脚本会議には原作者も参加した。
映像にこだわり中国でのロケを敢行したり、アクション、合戦シーンのこだわり、顔が似ているだけじゃない配役など
前述のるろうに剣心同様、ちゃんとかけるべきところに金かけて映画撮れば行けるんやぞという気概を見せつけた。
藤原竜也、松山ケンイチの怪演が話題を呼び前編28億、後編52億という異例のヒットを飛ばした。
制作は突貫に次ぐ突貫で「前編制作時には後編の脚本案すらゼロ」「クランクイン直前に松山ケンイチが決まる」「前編の編集をしながら後編の脚本を書く」など非常に難しい状態で作成されていたが概ね好評。
福田組特有のコスプレ感、メタネタ、くどいギャグ、大げさな演出などが銀魂の作風と大いにマッチしており大ヒットを飛ばした。
後にのだめカンタービレなどの監督を務めるドラマ監督の武内英樹が監督。
ヨーロッパを舞台にしながらも顔の濃い日本人役者を「ローマ人」役として大胆に起用するギャグ的な要素と
ローマでのロケや、海外のスペクタクルドラマ「ROMA」のセットで撮影を行うなど本格派な映像がマッチし好評を博した。
すげー売れたし映画化もした
すげー売れたし映画化もした
花より男子の枠は元々のだめカンタービレのドラマ化の予定だったが
テレビ局がジャニタレゴリ押ししたため、原作者がドラマ化を拒否。
困ったTBSが、せや花より男子の版権あるやん!と急きょ座組を組みなおし2か月で撮影した。
個人的選外
映画としての出来はいいと思うんだけど原作が好きすぎて実写化としてはあんま認めてない
でもすげーヒットしたしパヒュームがすげーよかったので成功例にしてもいい。
邦画特有の登場人物がすげー馬鹿になる現象が発揮されすぎてて個人的には微妙
1は別に悪くもなければよくもない普通の映画だけど2が酷すぎたので。
いや、うん
個人的に好き
あまりに憂鬱な話題ばかりなので成功事例をいくつか。最近の作品はあまり観てないので、全体に古いのは許して。最近の作品・小説原作・海外版とかは誰かにお任せ!
初回試写を観た藤子Fに、声に自信のなかった大山のぶ代が恐る恐る感想を訊いたら「ドラえもんってああいう声だったんですねぇ」と褒められたエピソードは有名。
もとひら了と芝山努監督の力量もあり、後期に絶妙なキャラ弄りや捻りを加えたオリジナルエピソードを連発した丸尾みほの脚本も最高。のび太の担任教師にフォーカスを当てた回まであった。
現在放送中の第2作第2期(わさドラ)はキャラを原作に過剰に寄せた作画、特にキャラの表情が個人的にはあざとく見えるが、声も含め原作や大山ドラへのリスペクトを感じるので、これは好みの問題。
なお、1973年に日本テレビ(日テレ)で放送された第1作については、藤子F(当時は藤本弘名義)が厳しく苦言を呈している。
アニメ化に使われた原作は〝てんコミ〟版全3巻が底本。実際には全40話ほど描かれていたが、アニメ放映時代にそれらは発掘されておらず、版元の小学館も把握してなかった。学年誌掲載の漫画原稿は雑に扱われる傾向にある。
長寿番組になったが、殆どがアニメオリジナルエピソード。多くの脚本家が手掛けたが、メインで書いてたのは、TVアニメ版サザエさんでの暴走が有名な雪室俊一。2ちゃん等では〝スノールーム〟と渾名が付けられるほど。
しかしファンの不安は杞憂に終わる。藤子Fもお気に入りで毎週楽しみに観ていた、というファンの間では有名な逸話もある。
〈TVアニメ(劇場版は割愛)/1986-1988/フジテレビ〉
初期は、高橋留美子の原作を丁寧に補完することに徹した。中期以降は原作にあった際どいネタを、アニメの方が自粛したこともあったが高橋は納得の上で快諾。
地上波ゴールデンタイムのアニメで「オナペット」という単語が使われたのは本作が最初で最後だろう(空飛ぶ飛行機の音を被せて聴こえにくくしてたが)。
脚本は3人がシーズンごとに交代。特に中期以降を脚色した回を量産した伊藤和典と高屋敷英夫の手腕が見事。伊藤は有名なので割愛するが、高屋敷も実力派。作品を検索すれば納得する筈。
ドラマ化に際し、原作・久住昌之が出した唯一の条件「音楽を担当させてくれ、そしてJASRACには登録しない」をテレ東が守った。
五郎役が発表され、原作ファンは不安しかなかったが蓋を開けたら……後は皆さんご存じの通り。
〈実写TVドラマ/2019、実写TVドラマS2/2023/テレビ東京〉
でも、テレビ局側はお前が書かないとこのまま放送しますからと、放送日が決まってますからと強行することを匂わせて、原作者に脚本の過剰な直しや果ては脚本を書くことまで要求するわけだ。
うん、法的はなんの問題もないね。だってこれを原作者が引き受けたのは自由意志であって、強要されてるわけではないものね。
法的に問題ないなんてなんのクソの役にも立たんのよね。それが出番になるのは裁判になった時だけなのよね。これは初めから道義的な問題でしかないんだよ。法的に問題がない?勝手に駄文書き散らしてろ
どちらが正しいの?
誰がどう見てもアカンやろかつ事実と確認出来るインスタでの奇行ってのは一般的な認識だから大炎上した認識ですけど?じゃあやっぱこれなんか?
あるいは、インスタでの奇行の炎上が理解できないのではなく、興味がなくて(著作人格権と著作財産権がない世界線の増田も興味なさそう→ anond:20240203003654)
政治厨と同じくどうしたらより世の中を良く出来るかにパッションがあるが故の逆張りとか?
もしそうなら参考になりそうなの置いておきますね
双龍@Souryu_std
脚本家がオリジナリティを発揮したいのならオリジナルの脚本を書けばいいだけだろ。なんだよ脚本家のオリジナリティを発揮できない事への問題がどうのこうのって。原作ありきの脚本でオリジナリティを発揮したら改変にしかならないし、それをするならリスペクトを込めた態度で提案すべきだろ。んで原作がダメだいったらダメだろ。二次創作でもオフィシャルがノーと言ったら従うものじゃないか。
双龍@Souryu_std
オリジナルの脚本をやりたければやりゃいいだろが。上層部がーとか業界がーとか、言い訳してないで小説にするなり、それこそ漫画の原作とかやりゃいいだろ。映像制作よりコスパはいいぞ。てか物語を考えられるなら何にでも転用できるだろ?0→1が出来るってのはそう言う事じゃねーのか
双龍@Souryu_std
いろいろ映像化の話を聞くとさ、ほんと私の場合はかなり柔軟性がある方だったのだと思う。もちろん脚本は細かく担当と読み合わせてチェックして修正すべき点は絶対直してもらった。それに伴い急な顔合わせの打ち合わせもした。てか、これが当たり前だよな。
双龍@Souryu_std
「こういうのがいい」ドラマ化するにあたって、小道具のギターをどうするかって相談までしてもらった。予算の都合もあり当初スクワイアーを使う予定だったが、そこは本物のアメスタを用意する事で見栄えが多少なりとも変わると思ったので自分で買って用意して使ってもらった。
双龍@Souryu_std
原作至上主義で当然だと思うけどな、だからと言って脚本家や監督を下請けとは一切思ってないし、そこじゃなくて"勝手に"改変すんなっていうだけの話。そりゃ映像と漫画は表現方法が全然違う。んな事わかりきってんの。だから一緒に協力しあって、リスペクトを忘れずに作れよってだけ。
森川ジョージ@WANPOWANWAN
→続き。
走り出したものを止めるのはエネルギーを使うし勇気がいります。
自分もあの時の心労は思い出したくもないです。
他にも例があります。
納得いかず本当にアニメの放映を二週間止めて話し合った作家とか。
連載に支障をきたすからやめてくれと自らアニメを打ち切った作家とか。
話が違うと裁判して勝訴したとか。
しかし作品と読者を守れるのは原作者だけで、その責務があります。
尊敬と感謝を忘れずに、そして堂々と自分の意見を言ってほしいと思います。
https://x.com/WANPOWANWAN/status/1752893425115115813
続く→
→続き。
「あそこはどういう表現になるのかな」と楽しみにしている作家が多いのも事実です。
そもそも漫画と映像では演出方法に大きな違いがあり原作そのままというのは至難の業です。
原作者を含め全員が尊敬と感謝をもって携わることが一番なのだと思います。
そのことを忘れずに。
私が描いた「セクシー田中さん」という作品の個性を消されてしまうなら、
どうして変更していただきたくないのかということも丁寧にご説明し、
粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1〜7話の脚本の
完成にこぎつけましたが…。
(中略・気になるなら魚拓見て)
そして、私があらすじ、セリフを準備する終盤のドラマオリジナル展開は
8話〜10話となりましたが、ここでも当初の条件は守られず、
私が準備したものを大幅に改変した脚本が8話〜10話まとめて提出されました。
特に9話、10話の改変された脚本はベリーダンスの表現も間違いが多く、
ベリーダンスの監修の方とも連携が取れていないことが手に取るように分かりましたので、
「当初の約束通り、とにかく一度原作者が用意したあらすじ、セリフを
「足りない箇所、変更箇所、意見はもちろん伺うので、脚本として改変された形ではなく、
といったことを、小学館から日本テレビさんへ申し入れをしていただきましたが、
それを小学館サイドが「当初の約束通りに」と日本テレビさんにお戻しするという作業が
数回繰り返されたと聞いています。
最終的に、日本テレビのチーフプロデューサーの方から「一度そのまま書くように」との
指示が出たとも伺っていましたが、状況は変わらぬまま約4週間が過ぎてしまいました。
ドラマの制作スケジュールのリミットもどんどん迫っていましたので、
本当はドラマオリジナルとなる8話〜10話全ての脚本を拝見してオリジナル部分全体で、
何とか改変前の内容に修正させて頂いて、日本テレビさんにお渡しすることになってしまいました。
9話、10話に関する小学館と日本テレビさんのやりとりを伺い、
時間的にも限界を感じましたので、小学館を通じて9話、10話については、
当初の条件としてお伝えしていた通り、
でもまぁ、製作過程のあれこれ脚本やドラマの良し悪しは一概には言えないので、そこについては深く言及しないとしても、
(言及している人いるしね)
高橋しん+しんプレ@shinpre
不幸なのは
作品が変えられることではなく
作品が失敗することではなく
作品が
そう感じさせてしまう事です。
赤木アカ
漫画の実写化は、漫画の連載を100年やっても読まないだろうなっていう遠い層に向けて「かぐや様」を届けてくれる漫画家としては滅茶苦茶有り難く、かゆい所に手が届く文化です
誰がどう見てもアカンやろかつ事実と確認出来るインスタでの奇行について言及ではなく、
詳細は確認できない書類周りにお気持ちベースでなんか言ってるのマジでなに目的なんだ?ってなる
とりあえずひとりは、『法律解説ごっこ(anond:20240201182631)』と、『原作者は神ではないがやりたい二次創作者フォロワー(anond:20240201181732)』ってのは
わかったのでスッキリはした