はてなキーワード: 看板とは
https://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/2023/may/20230517kanshi.html
「その供給に要する費用を著しく下回る対価で継続して供給し、当該給油所の周辺地域に所在する他のレギュラーガソリンの販売業者の事業活動を困難にさせるおそれを生じさせた疑いがある」
どえらい価格破壊を仕掛けてきたのかと調べると
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023051700799&g=eco
「レギュラーガソリンを1リットル当たり140~143円で販売。仕入れ価格を下回る安さで、周辺地域の競合他社の事業活動を困難にさせる可能性があったという。」
https://twitter.com/JK1ACY/status/1626054674163044352
他店も対抗してたという
https://e-nenpi.com/gs/price_graph/2/1/0/
当時の実売は154円ほどなので約10円の差。(看板価格では20円)
140円で仕入れ価格を下回って実売154~162円で仕入れ値上回る利益が出る価格ってめちゃくちゃ利益率低いね?
地域差大きい…のかわからない商品だけどパッと検索してもリットル数円~10円って感じで食品の客寄せのタマゴやもやしみたいなもんだよね。しかし看板商品が旨みがない客寄せ商品というのも悲しい話だ。
ガソリンなんて(管理以外の加工や工夫を)何もしなくていいし勝手に売れて行くだろうし何も出来ないから1円の価格で競うしかないんだろうか。セルフで人件費削ってもそれも安さに流れてる…けどこのしょっぱさを見るとセルフで少し安くしても人件費削ったほうがお得になりそう。あん?でも稼げる給油以外のサービスを捨てるのか。
タンクの費用も大変と聞いたことがあるし、明るい話をあんまり聞かない業種じゃのう。
補助金でほぼインフラ業になってたり、薄利でもものすごい多売でなんんとかなってるのかね。車社会だし、はてなーは田舎で車なしは即死と思ってるし、そうなのかも。
広島県東部では有名な なかやま牧場のキャラクター「モ~ちゃん」には
直営スーパーのハート 加茂店・新涯店・新市店には看板に両方描かれていたが
(例 https://goo.gl/maps/cAdqk5jnzE2Yq8uu7 )
比較的新しい店舗である井原店・坪生店・木之庄店・酒津店・水島神田店
(店舗外観一覧 https://heart.nakayama-farm.jp/shop/ )
緑のモ~ちゃんは消えたのかと思いきや
俺は仕方がないと思う。
竹田くんを否定するためなら「初心者だから仕方ねえよ」を言う権利が奪われるのは仕方がない。
でもそれは客サイドとしてそう思うだけであって、組織は「初心者だから仕方ねえな」でちゃんと育てるべき。
そもそもの話、ベテラン引けるか素人引くかを客の運ゲーガチャで決め過ぎなんだよ日本の仕事は。
素人でも出来る仕事を新入りがやって、ヤバくなったらベテランが出てくる流れを確立して行けばいいだろ。
1年目の新人を雑に送り込んで「わが社が派遣した立派なプロですけど?立派に働いてますよね?新卒だからなんなんですか?わが社の看板を背負ってるんだからプロですけど?」みたいな事する組織が多すぎるんだよ。
その仕事の経験年数が0なら肩書だけ立派だろうが素人と変わらねえよ。
「金を貰ってるからプロ」なんじゃなくて「金を貰ってそれに見合う仕事をしてるからプロ」なんだろうが。
少なくとも客が「プロが欲しいので外注します」と言うときはそうなんだよ。
マジで日本企業や日本公僕はこの「素晴らしい肩書を与えたので業務経験値0だけど実質プロフェッショナルです」と言い張るのをいい加減やめろ。
育てるコストや失敗のリスクを客に一方的に押し付けていくのをやめろ。
そんな社会の中で「嘘つきのプロ」「知ったかのプロ」「教えて君のプロ」「運のプロ」だけが生き延びていけばいいってやってる余裕は今の日本にはねえだろ。
ちゃんと育てろと言ってるんだよ。
なんでいきなり雑に挑ませて失敗させて「失敗は経験になるからヨシ!」で済ませてんだ。
まずはスライム倒させたり、相手が強いなら装備品で底上げしたり援護したりして「仕事を成功させた」で経験値積ませろよ。
失敗でも学べることはあるけど、失敗だけして学んだやつは「失敗しても別に客が困って怒られるだけだからヨシ!」を学習しちまうんだよ。
出来ることをやらせつつ、レベルアップさせたいなら「あたってくだけろ」以外の作戦を出せ。
それが出来ない組織は滅びろ。
失われてくれていい。
むかしむかし、「笑っていいとも!」というバラエティ番組があった。
看板コーナーの「テレホンショッキング」は、毎回トークゲストを1組迎え次のゲストへ電話で繋いでいくという趣旨のコーナーだ。
このコーナーのゲストが若い女性の時には、タモリは決まって、ゲストの眼前で手元のメモ用紙にサラサラと何かを描き、それを「安産のお守り」と称して手渡していた。
描いている途中から女性ゲストはそれを見てクスクス笑ったりモジモジしたり、苦笑したり目を見開いたり、各者各様の反応を見せた。
二重丸にそれを貫く垂直の線一本、そして周囲に放射状の線を何本か、という、ポピュラーな「お●●んこマーク」だ。
(タモリの手元をよく見ていると、手の動きでそれを描いていることが視聴者でもはっきりわかることがあった)
つまり下ネタ・艶笑のたぐいなのであるが、それとともに、平日の真っ昼間という時間帯に生放送で公然とメモの受け渡しが行われていたという事実も重要である。
出演者に対するセクハラにはそれほど厳しくなかった当時にあっても、「お●●んこマーク」は放送コード(各社の禁止規則・自主規制)にはしっかりと抵触していた。タブーだったのである。そのまま画面に投影すれば放送事故である。
タモリもゲストもスタッフも、観覧客も視聴者も、そこで何が行われているかはわかっていて、笑う。全員を共犯者にする大人の冗談なのである。
「こんな真っ昼間に生放送で堂々と、放送してはいけないようなスケベな悪ふざけをしているけど、画面には映ってないからセーフだろ?」
だらだらと長い文章になったので最初に要約を書いておく。要約できている気はしない。
・推しの出演したイベントの運営を批判することはタレントの評判を落とすことにつながる。だからできない。今やってるけど。
・その他クソな出来事でも推しのことを考えるとSNSなどでネガティブな発言をすることができない、吐き出す場所がない。
・推しのコンテンツをただ楽しいものとして受け入れたいのにいちいち運営にヘイトが湧いてきて純粋に楽しめない。
・この意味不明なしんどさはなんなの。
以下、本文。
某VTuber事務所の話。伏せても意味はないと思うが一応伏せておく。
昨年の暮れ頃に事務所に所属するタレントの殆どが出演する大規模なライブイベントがあった。
自分の推しはそこに所属するメンバーであり、推し以外のメンバーについても配信をよく見ていたし
そうでなくてもコラボでよく見かけたりしていたため全員を応援する気持ちがあり、とても楽しみにしていた。
その事務所では以前に全体イベントを開催したことがあるし、事務所内グループのイベントや
タレントソロのイベントも多数実施した実績があったし、それら過去のイベントは内容、画質共に素晴らしいものだった。
そういうわけで、イベントの配信チケットは昼の部・夜の部で各8,700円で両方買うとさすがに財布に優しくないと感じてはいたが、
クオリティや体験は過去の実績から期待できるものであったしその値段でも満足だと思いどちらも購入していた、
イベントのブルーレイも当日購入に限定特典が付くというアナウンスがあったためイベント開催前にもちろん買っておいた。
イベントが終わったら感動の余韻で即買いすることになるんだから今買っておいても問題ないという判断だった。
しかし、当日の開演時間が来て待ちに待ったイベントが始まった瞬間とてつもない違和感に襲われた。
画質が最悪だった。どれくらい最悪かというと、出演者がアップになっても顔のパーツがはっきりは見えないぐらい。
鼻や口は絶対に見えない。目もそこに目があるということはわかるが、細かい形はわからない。
さすがに手足は見えるのでダンスは何となく見える。だが指の形はわからない。それくらい。
配信された画面は現地会場のスクリーンをカメラで撮影したもので、カメラ自体の性能や解像度は良かったのかもしれないが
スクショの取り方が分からない人がPCの画面をスマホで撮影してSNSに投稿しているアレと同等のクオリティだった。
どう反応していいものか戸惑ったが、コメント欄やハッシュタグは画質について多少の言及はあるものの特に荒れた様子もない。
ライブ会場の雰囲気を味わうための演出かもしれないし、否定から入るのではなく楽しもうという気持ちで参加すれば
良いところが見えてくるかもしれないと考えてしばらくそのまま視聴した。
出演者は皆何か月も前からファンを楽しませようという気持ちで一生懸命に練習に励んでいたのを知っていた。
そうでなくてもこんな大きな舞台にいい加減な気持ちで臨むやつなんて普通はいない。
みんなのパフォーマンスをこちらとしても可能な限り楽しみたかったし、出演者も視聴者もみんなが「いいイベントだったね」と言って
「いい思い出だったね」と言ってイベントを終えて、いつか「あの時は楽しかったね」と振り返りたい。
だからもやもやした気持ちが片隅にあるものの、画質のことは忘れて推しや出演者のパフォーマンスをめいっぱい楽しもうと努力した。
昼の部、夜の部と視聴を終えた結果、やはり気持ち的には半分楽しんで半分もやもやしていた。
「なんだこれは」という気持ちが少なくない割合を占めており、余韻が残るほど全力で楽しむことはできなかった。
配信画面は完全に運営の仕事の範疇であり、出演者のパフォーマンスを台無しにした運営に強い怒りも感じていたし
過去最高クラスに高いチケット代を昼の部・夜の部の2回も徴収していたことや、イベント開始前に特典を付けて
イベント終了後のTwitterや出演者の配信コメントの反応は概ね「いいイベントだったね」というもの。
当たり前だ。あんなに推しが頑張って出演したイベントを悪く言いたくない。「よかったね、最高だったよ」と言ってあげたい。
それに「推しのイベントが良くなかった」ということがTwitterなどで広まってしまったら推しの活動に支障が出るかもしれない。
だからみんな心の中に大なり小なり何かあったとしてもそれは決して表に出さない。
それがわかってたから自分も何も言わず、次に同じことがなければ許してやろうと考えて何も言わなかった。
内容は2日後に事務所内のタレントのグループを全て廃止し、全員をグループ所属ではない個人タレントとするというもの。
グループを解体して事務所の名前で押し出していくつもりらしい。
発表の文面には「前向きな変化なので応援してね」というような内容が書かれていた。
また、グループを解体する理由(?)として今後どのようなことをやるかという内容も列挙されていたが
過去にもできていたこと、グループを解体しなくてもできることしか書かれていなかった。
少なくともグループを解体しないとできないことは1つも書かれていなかった。
自分はある1人の特定のメンバーを推してはいたが、その所属グループもまた推していた。
それが2日後にはなくなるのだという。それを2日で受け入れろと。前向きに受け取れと。
そもそも事務所所属のタレントのチャンネル登録者数は10万人未満、5万人未満が多くとても売れているとは言えない。
事務所として収益を上げていく、または事務所や所属タレントが存続するためになにかしら手を打たなければならず
それがグループの廃止、事務所直属への統合だということならそういう考えもあるだろう。
それでも「2日後になくなります」はないだろ。「前向きな判断です」って言ってもどう前向きなのかは書かれていない。
それで「応援してね」って言われてもバカなのかという感想しか出てこない。
所属タレントの反応が「反対したが止められなかった」「運営の判断だから仕方ない」というもので
「そうした方がいい」「そうすべきだ」という意見が少なくとも自分の観測範囲では1つもなかったのも受け入れられない原因だった気がする。
なんにせよ、推しの所属グループがそんな軽いノリで軽さで消されるのは納得がいかない。
それでも多くのファンは我慢、ないし無理やり前向きに受け入れようとしていたように見える。
こんなクソな発表でも推しの周りに悪評を立てまいと多くは無理にポジティブに振舞っていた。
このあたりからかつては「いい運営」として評判だった事務所運営が炎上したり批判の対象になり始めた。
いろいろ文章にしてスッキリしたのかそろそろ書くのが面倒くさくなってきたが、
・運営の責任(担当者のバックレ)による所属タレントのライブの準備不足、という怪文書が発表されたり
・それを理由に別のタレントが誕生日ライブを自粛し活動休止したり
・事務所からタレントへのアカウント引継ぎに関する操作で誤ってアカウントの収益化を止め復活のめどが立ってなかったり
他にもあったと思うが思い出すために頭を回すのがもういやだ。
事務所が炎上したり批判の対象になっていることについて、所属タレントのメンタルにもダメージがあるようで
一部は運営に代わって配信で謝罪したり、やはり気に病んでいる素振りを見せたりと影響を感じざるを得ない。
最近は事務所主催で歌イベントのようなライブ配信があったり、今後事務所主催のライブイベントが控えてたりするけど
正直もう事務所の名前が出て来た時点で何か心にもやっとしたものを感じて素直に楽しめなくなった。
自分はただ推しの楽しいトークをニヤニヤしながら聞いたり、歌を聴いて楽しい気持ちになったり
そういうことがしたいだけなんだよ。
それでも最近は運営がいちいちでしゃばって何かやらかすせいで、タレントのコンテンツを楽しもうとしても
常に黒い影がついてまわるようになった。
何か最低限の基本的なところが欠落しているような話題が多い気がして、今後も何もないとは到底思えない。
とにかく何が言いたいかというと
あるきっかけ。感じた怒り。それを消化というか消火できずにいると、それはやがて自分の人生上の怒り、というところまで拡大していく。そしてそれが解析困難だと、あらゆる意欲を失っていく。意欲の失い方、堕落の仕方は完璧だった。投げ出したんじゃない、先延ばしし続けたのだ。その結果、人生を諦めて放棄したように錯覚するところまで行き着いた。あまりにも自然にそこまでフェーズを移してしまった。
怒りを感じて、怒りをどうすることもできないと感じると、無力感を生じる、そうして問題と向き合うのを先延ばしするうちに無気力になっていく。
もう届かない怒りをどうするのか?
結論は?
根源の相手を探すか、他の人に八つ当たりするか、それ以外か。忘れるか。
時間が経てば忘れられる。小さくなって消えていく。だけど直後はそれが判らない。
人間全体が憎くなって、それを晴らす方法も分からない。自分は一方的に相手からやられ続けるだけだと思うようになる。
実際は、私の人格は多重複合構造であり、怒りと報復のテーマだけで動いているわけではない。
でも感じられない。どれをとっていいかわからないと感じる。どれか一つしか選べないような気持ちになる。あるいは統一できないといけない気持ちになる。
どんなフェーズでもいい、どんな精神状態でもいいから、やるべき行動を続けることを止めないんだという自分への約束は無意味なことに感じる。
もう一度そのテーマについて1から再検証するべきではないかと感じる。事実3日も4日も自分に課した義務を放棄してるのだから、今さらノコノコ元の状態に戻れない、なんの成果もなく元の生活に戻ったらただの損失でしかなくまた同じ事を繰り返すから、あと1〜2日無駄にしてもこの問題に向き合って考えるべきだと感じる。
しかし私は多重複合的な精神構造で生きてる。私の精神状態は常に揺らいでいる。その気になればいつでも問題に正しくフォーカスできるというのは幻想である。
それは存外難しく、一度機を逃すと再びそれが上手くいく確率は、実はものすごく低い。それを待っているよりできることをやったほうがはるかに実がある。わかっているのに私は動かない。4日は無駄になったと認めて損失の合計を4日間と計上するよりも、5日間の時間と引き換えに何か大きな気づきや悟りや決心やその他投じた時間に値する価値を得る、損失を取り戻すことに執着する。
それは時間が経てば経つほど困難になるほとんど不可能なギャンブルだ。なのに私はいつまでも損失を認めることができない。ただじゃ起きないと思ってる。ただで起きなければ失ったモノが戻ってくると錯覚してる。実際はただで起き上がる方がずっと賢く、失うものは取り戻すより最小限に留めるほうがずっと良いということが判らない。5日かけて何かの気づきを得たと思っても、5日を失ったことに変わりはないことが解らない。
私は精神状態さえ持ち直せれば恒久的に安定して前進を続けられると思っている。
そうした思い込みの末に今の泥沼の中にいる。
「取られるはずなのないもの」に足を取られて、「すくわれるはずのないもの」に足元をすくわれて、「怒るに価しない怒り」のせいで結果自らの人生すら破壊しようとしている。有り得ない有り得ないと喚いている、それが私だ。
私は自分で止めるしかない。自分で違う場所を目指すしかない、怒りだろうと、他のどんなネガティブな感情だろうと、ネガティブな経験だろうと同じ事で、私がそれに“やられて”しまうのを誰も助けないし誰も哀れまないし、誰も意味を与えることもない。私は独りきりだ。誰も私の現状に納得のいく説明などできないし、してくれない。私は放置されているし、見放されている。いや違う、私は関心を持たれていない。私の境遇も、私の過去も、私の努力も、私が怒りを抱えながら藻掻いたり悩み苦しんだり、そういうことに“この世”は関心が無い。少なくとも、私の場合はそうだ。他の人間の待遇は知らない。他の人間は関係ない。他の人間の待遇は違う。他人は他人、私は私のこの世での待遇に目を向けるべきだ。私は今はまだ死ねない。かといって生き続けても私の人生がよくなる保証は一切ない。私は産まれる前にありとあらゆる保険を解約したのかもしれない。他の多くの奴らが付帯させてほしいと契約したものを、私は敢えてぜんぶ外したのかもしれない。特段に人生で虐げられてきたとは思わない。特段にひどい境遇というわけじゃない。ただ、保険や保障や恩恵や共同体利益や、そういう皆と同じ輪の中で得られる福利に私は1つもチェックマークをつけなかったのかもしれない。
だから私の出す結論は何か。進み続ける、行動し続ける、それしかない。死なないのなら死ねないのなら、怒りすら捨てて、前に進まないといけないのかもしれない。これは崖なのかもしれない。ただただ登るしかないのかもしれない。わけのわからない目的のために、ただもう頂上を目指す、それだけしか残されていないのかもしれない。
怒り。許せない人間、許せない思い。
憎い、悔しい、許せない、私は訴える。
その思いを何とかしないとどこにも行けない気がする、進めない気がする。でも【それを見ているもの】は、ない。
怒りの火種で燃やされて終わってしまうのだとしたら、そんな私に、“なにか言うことはないのか”と私は何かに対して問う。
ない。
私は随時、放火される。放火魔は多くの場合、捕まらない、私は一方的に放火される。私が火を消さず怒り狂って地団駄を踏んでいたら、どうなるか?
【そのまま】になる。
私は随時一方的に放火される。放火魔はたいてい捕まえられない。もし捕まえて八つ裂きにすると、私の人生も終わる。そんな危機が何度も起こり続ける。それが私の人生で、私の生きている世界だと思う。そこで私は選ばないといけない。放火魔を八つ裂きにするのか、消火して私自身を建て直すのか。この問いを繰り返し繰り返し毎日看板に書いて掲げる必要がある。やるのは無意味かも知れないが、やらないのはそれよりも無意味に思える。無意味の中でも【より意味のあるように思える無意味】を選択する。それ以外にできることはきっとない。最善は選べない。最善を選ぶのは贅沢な行為である。贅沢は贅沢を許される人生に許されている。贅沢を許される時期に許される。私のモラトリアムは終わった。私へのそういったものの支給はもう終わった。私にできる贅沢な選択はない。私にとって最善の選択は、常に【マシな】選択である。こっちよりはこっちが、あれよりはそれが、【比較的】【若干】【ほんの少しだけ】マシに思える。そういうマシな取っかかりや手がかり、足がかりを、私は掴み続けるしかない。崖をよじ登るならそういうことなんだろう。そんな状況でわざわざ私を燃やそうとする捕まえもできないものたちを、私はどうするのか。私に捕まえられない放火犯を分析する余裕は【ない】。
私は割り切らなければいけない。
あの人間は私に火をつけて逃げた。私はショックを受ける。怒りが湧いてくる。火が燃え広がる。ショックで立ち止まったままになる。消火を怠って、延焼を放置して、5日が経った。あの人間は平然と生きている。当然だ。私はそのことを考え続ける。自分より他人のことを思いつづける。私はあの人間なのか?私の人生はあの人間の人生なのか?私が私の心を放棄するほど、私の人生はあの人間の人生なのだろうか?あの人間の人生について考える価値が私の人生以上にあると、私は本気で思い込んでいる。私が陥ったものというのは、そういうものだ。私があのとき立ち向かわなければいけなかった分岐点は、そういうものだ。
「でも、だって、この怒りは抑えられない、どうしようもないんだ」その言葉の正統性を知っているのは、私一人だ。誰も私と全く同じようにその思いを分かち合ってはくれない。他人は火を消せという。私ははそれを聞いてもっと怒り狂い、火に油を注がれたと感じる。「火をつけたやつがいるんだ!」と私は叫ぶ。他人は「わかるけど火を消せ」と言う。「何がわかるんだ!上っ面で分かったフリすんな!火をつけて逃げたやつがいるんだ!!」と私は叫ぶ。私と他人は永遠に噛み合わない。私は失い続ける。他人への怒りと不信感は膨らみ続ける。それでも誰も私を憐れんではくれない。他人は無理解である。だが私はこの世界でその他人と関わって、時に助けを借りなければいけない。それをしたって私が根っこから救われるわけじゃない。ただ、そのほうがマシだからだ。他人を一切閉め出すよりも、他人と一定関わるほうが【マシな選択肢】だからだ。私はそういう選択をし続けるしかない。消極的だろうが積極的だろうがそうやって選ばないけといけない。選ばない損失と選ぶことで得られる可能性を秤にかけて行動を起こさなければならない。私がいるのはそういう世界だ。進むしかない。上を目指して登り続けるしかない。私がそういう世界を自分で選んだのだ。
774株式会社が運営するVtuberグループの774inc.(現ななしいんく)に所属する4人組ユニット(結成当初は5人組)だったハニーストラップ。774inc.内では屈指の成功ユニットと言われていたが、2023年3月に774株式会社の運営方針の転換により解体。
それによってハニーストラップのリーダーでありチャンネル登録者数67万人と774内では圧倒的な数字を誇っていた周防パトラが5/9にななしいんくから脱退、独立することになった。周防パトラ本人が独立へのきっかけはハニーストラップの解散であると明言している。
周防パトラが抜ける前の時点で全メンバー合わせて総登録者数290万人弱のななしいんくにおける周防パトラの67万人という数字は非常に大きく界隈を騒がせ、ハニーストラップの解散は愚策だったと大いに批判が集まった。
ハニーストラップは2018年7月に結成された配信メインになってからのVtuber界隈でもかなり老舗のユニットである。同774inc.内のユニットであった有閑喫茶あにまーれはその前月にデビューしている。
外部で同月にデビューしたライバーとしてはにじさんじゲーマーズの「笹木咲」「本間ひまわり」「魔界ノりりむ」「葛葉」「椎名唯華」、翌月にはホロライブ2期生として「湊あくあ」「紫咲シオン」など。
前提はここまでとしてハニーストラップがうまく行ったユニットだったのかという話に戻る。
まずハニーストラップはメンバー間の中が非常によく内部でのコラボ配信を活発に行っており、仲良しユニットとしては非常にうまく行っているように見えた。これは裏ではどうかはこちらからは計り知れないためそう表現しているだけで、うまく行っているように見えたが実は……という話ではない。
特に同社所属でほぼ同期のあにまーれがメンバー間の仲があまり良好とは言えなかったためハニーストラップの仲の良さが際立って見えたという部分もあるが、それを差し置いてもVtuber界隈でも仲のいいグループの筆頭に上がるくらいにはうまく行っていたと言える。
では数字的にはどうだっただろうか。
ハニーストラップは5人でデビューし間もなく1人が脱退。その後メンバーチェンジを一切行わなかった。
先日までの登録者数としては
西園寺メアリ 22万人
堰代ミコ 9万人
ではあにまーれはどうか。
あにまーれは5人ユニットとしてデビューし2人辞め3人になってその後追加メンバーが入った。
ハニーストラップの同期となり現在もななしいんく内に在籍しているメンバーでは
日ノ隈らん 13万人
宗谷いちか 10万人
先ほど例に挙げたななしいんく外のメンバーとしては
湊あくあ 179万人
葛葉 152万人
紫咲シオン 112万人
と大台越えが3人いてその後50万人越えが続き最下位が
となる。
数字としてユニットがうまくいっているというのをどう評価するのかという話にもなるが、一緒に活動することによってお互いのリスナーを共有し合える関係性があるかという点は欠かせない。つまり人気のあるメンバーがそうでないメンバーの数字を引っ張り上げるような効果があるかどうか。
ホロライブなどはそれをうまく使って数字の底上げを行っていた。
その点で、ハニーストラップはYoutubeでも登録者数が取れやすいASMRで非常に高い評価を得ている周防パトラ、西園寺メアリは非常に高い数字を持っているものの、その数字を他のメンバーと共有するような関係性が作れていたとは言えない。周防パトラ、西園寺メアリを推していた視聴者は多かったがだからと言ってハニーストラップの他のメンバーまで応援する気はないという視聴者も多かったということだ。
あまりうまくいっていなかったあにまーれの初期メンバーは全員が10万人を超えているのに対して、ハニーストラップは半数が10万人に手が届かない状況となっている。圧倒的登録者数を誇る周防パトラ、774inc.内No3(一時期はNo4)の西園寺メアリを有していながらもその数字を活かせていたとは言い難い。
結成当初はまだライバル関係とも言えた(あにまーれはにじさんじの妹分ユニットとされていた)、にじさんじ、ホロライブには約5年間かけて数字で圧倒的に水を開けられてしまった。
運営会社、またその親会社から見て本当に「ハニーストラップはうまく行っているユニット」だっただろうか。
もちろん「数字的にはうまく行ってないし解体したろw」で解体した結果、周防パトラという大看板Vtuberを失っているのだからハニーストラップの解体は愚策は愚策でしかないのだが、ではハニーストラップというユニットを周防パトラを繋ぎ留めるためだけに継続するのが正しかったのか。
あにまーれには次々と新人が投入された。そのほとんどがうまくはいかなかったが、中には風見くく(11万人)、柚原いづみ(8万人)とハニーストラップの初期メンバーを超える、近い数字を持つライバーも現れた。しかしハニーストラップは仲良しユニットとしての完成度が高すぎたために新人を入れられなかった。
ユニットとして活性化させるための施策を打つ=ユニットの方向性、ユニットの色を変えるということが非常に難しかったとも言える。なによりハニーストラップは774内で一番活発に活動していたユニットだった。が、うまく数字にはつながらなかった。
ユニットを解散するという試みは、今のところあまりメリットが見いだせていない上に周防パトラという屋台骨を失う結果になったので、結果的には大失敗と位置付けられる。そもそもなんでハニーストラップがうまく数字につながらなかったのかの検証をちゃんとしたとも思えない。
もちろん自分で何でもできる周防パトラを774株式会社に繋ぎ留めていたというだけで価値は計り知れないので、そこをもって「ハニーストラップはうまく行っていた」と言うこともできるが、客観的に数字だけの評価をするならうまく行っていたとは言い難い。
その前日は、プロジェクトの責任者として費用対効果が目標に至らず、詰められ、報告と対策の提案は翌週に持ち越しになった。
その日は燃えるゴミの収集日だった。虫が苦手だから、燃えるゴミの日は何が何でもゴミ出しをせねばならない。
ギリギリ近所を歩ける格好に着替え、靴を履き、ゴミ袋とスマホと鍵を持ち、すやすやと寝ている夫を背に玄関を出る。ごみ収集所に向かい、ゴミを捨て、天を仰ぐ。雲ひとつない晴天。
死ぬならこんな綺麗な日がいい。
ふと思い浮かんだその気持ちに、抗うもなく、肯定するもなく、ただ足は近くの踏切に向かって歩いていた。
永遠を誓ったはずが独身の自由さに戻るため離婚したいという夫。人の意思は自由だから。
何度も調整し言質をとり議事録にも残っていることを認めず責任を問う経営層。立場上、弱音を吐くことを他の従業員や役員に見せることはできないから。
期日を過ぎても成果物を提出してくれない取引先。他の案件も忙しいなかで大変だから。
疲弊するだけで工数ばかりがかかり成果の見合わないプロジェクトを売った営業担当。彼には達成しなければならない売上目標があるから。
人にはみな都合があり、都合のぶつかり合いで世の中は意思決定がなされていく。
都合を主張するのが苦手な自分は、かと言って『察しろ』と開き直ることもできず、都合と都合の調整に追われ、今日まで来てしまった。ただ疲れてしまった。
自分の都合などとうに捨てた。何がしたかったのかも分からない。
いや、正確には一つあった。夫と老人になってもただ二人で緩やかに暮らしたかった。
しかしそれは叶わぬ都合だった。では、私にはもう望むものなどないのだ。
、
シミュレーションのために1本、2本と踏切の先で通り過ぎる電車を見る。 駅の近くにあった踏切だから、電車は遅く見えた。
この速度なら、跳ね飛ばされるよりも車輪下に入り込んですり潰されかねない。それはとても痛そうだ。
電車が通過し遮断器があがった。踏切に入り、横に遠く伸びる線路を眺めた。
少し先にいくつかまた踏切が見える。あちらの方が、電車の速度が出ていそうだ。
手押しのカートをひいた白髪のおばあちゃんがよろよろ歩きながら私の後ろにいるのに気がついた。
いま踏切にとどまれば、このおばあちゃんにグロテスクなものを見せてしまうかもしれない。
そう思うと、踏切で止めるべき足は止まらず、渡りきってしまった。
次の電車を待とうと踵を返そうとしたら、線路脇の一軒家、2階ベランダで洗濯物を干している女性と目があってしまった。踏切前をふらふらしている人間なんて不審者でしかない。
居心地が悪くなり、線路から見えた一つ奥の踏切に向かおうと思い、歩き出した。
いのちの電話、かけたことあるよ。ただ、電話口で「さあ話して」と構えられても何から話していいか分からずロクに話をせずに一言謝り切ってしまったけど。救われる人もいるのだろう。
閑話休題、その踏切は道幅の割に意外と交通量が多かった。どこかの抜け道になっているのかもしれない。
人に見られると思うと憚られた。遮断器に入ってる間に緊急停止ボタンを押すかもしれないし、白昼堂々、あまりよろしくないものを見せるのは望んでない。
ここもダメだと歩き出した。首都圏ベッドタウン、連休初日の朝。
都合よく人のいない踏切や道などなく、次の踏切、次の踏切、と歩いている間にとうとう隣駅についてしまった。
ついぞ踏切で立ち止まることはできなかった。
駅前のコンビニでコーヒーを買って、ロータリーのベンチに座る。
私以外みんな幸せそうに見えたが、そんな自己憐憫に浸っている自分が恥ずかしく、思わず下を向いた。
ベンチの足元には花が咲いていた。小ぶりで白い可憐な花。
じわりと視界が歪み、涙が目に溜まり、地面に落ちた。
来た道を戻りもう一度踏切行脚をする気力も体力もなかった。
スマホに入れたSuicaで改札に入り、駅のホームに設置されたベンチから空を眺めた。
今日でなくて、明日でもいいかもしれない。いや、明日するなら今日でもいい。
今日なら、夕方でもいいか。今日ずっと考えて、明日結論を出すのはどうか。
猶予は5日間あるのだから焦らなくてもいいと結論を出すまでに2時間が経っていた。
その日はおとなしく帰宅し、ただ泥のように眠った。
次の日は曇りだった。踏切を思うことはなく、持ち帰っていた仕事を片付けるためにPCを開いた。
お前は本当にどうしようもないバカだな。
描写することには意図は必須だけど、描写しないことには意図は必須じゃないんだよ。物事を多少考えれば当たり前の話なんだけど。
元ネタの駅の看板まんま書いてるとして、その看板の劣化を書かななかった意図は?
アラサー以上が過半数を占め、世帯の合算ではなく単身で年収600万以上が多いはてなで、
『学歴コンプ』と『○○をしたら年収XXX万が保証されないとおかしい妄想』を披露し続けるのは、恥ずかしいのでいい加減おやめなさい
増田に常駐している子の中にみんな無職か低所得に違いないって勘違いしている子がいるが、それは違うので認識を改めような
ブクマカがおかしい(貧乏ド底辺)だけで、増田民はネタじゃ無くはてなの基準民の方が多いぞ
https://anond.hatelabo.jp/20230426100521#
無限に同じこと言ってるので年相応に職業観をアップデートしてな?
住宅街の中で、神社の真向かいにある若い兄ちゃんが一人でやっているパン屋だ
「いつ行っても閉まっているのよね」とのこと
8時から13時までしか開いておらず、おそらく売り切り形式なのですぐ閉まってしまうのだろう
昔、同じ同僚に紹介されて、そのパン屋で買ってみたら美味かったので、今日行ってみた
入口の1m弱先にはもうカウンターがあり、左右に置かれたスチールラックの上にハード系のパンが並ぶ
お客が動けるのは1畳くらいのスペースだけで、あとは全部キッチンというストロングスタイルの店構えだ
バゲット1本と、レーズン入りのサワー種のパン、オレガノがかかったフォカッチャを買った
店主は通り過ぎただけのおばあちゃんにも「おはようございます!」と声をかけていて、気持ちのよい人だなと思った
帰宅し、少し買いすぎたなと思い、両親に食べるかどうかを訊ねた
この店のバゲットは皮がガリっと音のするくらい硬く、お餅やおやきを連想するような強い香ばしさがある
硬めなので噛んでいくと中の小麦の味と、最後に少し酸味を感じる
美味いけど、クセの強いパンで、よくこんなパンを若い人の少ない住宅街で売ろうと思ったなと思う
パン食ったところをほとんど見たことない父が何だこれの顔をしながらバゲットを一口噛み、「美味いな」、モグ、「美味いな?」、モグ、「美味い…」と食っていた
あまりに「美味い」と言うので「他のも食う?」と聞くと、「他のも食いたい。もっと言うとコレ(バゲット)ももっと切ってほしい」とのことだった
とりあえず三種とも切って渡した
親父は他のパンもさては美味いな?といった顔で食い、「美味いな!」と確認していた
最終的に店の名前と場所を聞かれ、「お金を出してもいいからたまに買ってきてくれんか」と頼まれた
親父、パンも食うんだと知った朝だった
個人的にはフォカッチャの上にオレガノと岩塩がかかっていて、表面に油が染み出ている(塗られている?)やつが油!塩!オレガノの香りと苦み!小麦!って感じで美味しかった